Diary 2017. 9
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9月1日 (金)  おいちゃん

福岡へ来てから1ヶ月が過ぎた。なんとなく福岡で暮らしている実感も湧いてきたのではないかと思う。

仕事は、8月21日以来の草刈現場で、相変わらず汗にまみれて作業着を派手に汚しているものの、これから少しずつ涼しくなりそうなので気分的には楽だ。段々暑くなる時期だったら気が滅入っていたに違いない。

元請けの監督さんたちとも親しくなった。休憩時間には冗談を言い合ったりしながら楽しくやっている。

当初、監督さんらが、「その作業はおいちゃんに・・・」等々と話し合っているのを聞いて、『“おいちゃん”て誰だろう?』と思っていたけれど、直接「おいちゃん!」と指示を受けて、ようやく“おいちゃん”は自分であることが解った。

しかし、未だ30代と思しき監督さんが、57歳の作業員を「あんちゃん」と呼ぶのも変だから、“おいちゃん”が妥当なところだろう。まあ、“じいちゃん”と呼ばれなくて良かった。


*写真:博多駅(8月27日)

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9月3日 (日)  作業着

派手に汚れてしまった作業着は、洗濯しても元のようにはならない。泥はある程度落ちるものの、草の汁がこびりついたシミは、何かで染めたみたいに残ってしまう。

洗濯する前の状態はなかなか凄かった。それが雨に濡れたように汗でびっしょりになったまま、コンビニなどに入ったら迷惑じゃないかと思ったけれど、何処でも嫌な顔はされなかった。

さすがに、あそこまで汚れた作業着で混んでる電車に乗る気はないが、日本では作業着のまま通勤する人もいるだろう。

トルコの工場へ修理等で短期出張に来た日本の技術屋さんたちは、現場での作業がパソコンを操作するだけであっても、宿泊先のホテルから作業着で出動していた。

ホテルのトルコ人スタッフらは、それを奇異な目で見ていたかもしれない。トルコでは、工事現場の土木作業員であっても、作業着で通勤することは殆どないからだ。大概、カジュアルな服装で通勤して、現場に来てから着替える。

私は、イスタンブールで工事現場の通訳を務めていた時、歩ける距離なら、平気で作業着のまま通勤していた。

現場通訳と言っても、一緒に作業して泥やセメントをこびりつかせていることもあったので、時として、道行く人たちの奇異な視線を感じなければならなかった。ガラタ橋で、「どうしたんだ?」と詰め寄って来る男から逃れるのに苦労したこともある。

どうやら、トルコで作業着姿の印象は、余り良くないらしい。クズルック村の工場でも、当初、大卒のエンジニアは勤務中の作業ユニフォームに抵抗したそうだ。

ホワイトカラーであるはずなのに、ブルーカラーみたいで格好悪いということだったのかもしれない。そんな大卒エンジニアが、共産主義思想にかぶれていたりしたのだから、トルコのサヨクはちゃんちゃら可笑しかった。

トルコではなく、昔、韓国で聞いた話だが、工事現場の作業員と無職であれば、無職の方が印象も悪くなかったという。財産があって、何もしないで食べて行けるのは、汗にまみれて働くより世間体も良かったらしい。

日本では、全くの無職じゃないフリーの仕事であっても、世間体は余り良くないような気がする。毎日、労働していないのはもちろん、所属がないという状態は、認知され難いと思う。

私も、会社のネームの入った作業着で汗にまみれて働き、ようやく世間から少しは認めてもらえるようになっただろうか?

イスタンブールでフリーの通訳などにより、たまに日銭を得ながら、この“便り”に御託を並べていた時などは、それこそ最悪の状態だったかもしれない。

あれはあれで、毎日、一生懸命になって取り組んでいたのだけれど・・・。


*自己紹介欄のメールアドレスは既に使えなくなっているので、私(新実誠)へのお問い合わせは下記のアドレスにお願いします。↓

makoton1@hotmail.co.jp

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9月4日 (月)  “街歩き”も安くない?

(9月3日)

三菱UFJのような大手銀行のATMなら、日本全国、それこそ何処にでもあるものだと思っていたけれど、そうでもないらしい。例えば、屋久島はもちろん、鹿児島県全域にも三菱UFJのATMはなかった。

福岡県も同様に、福岡銀行といった地方銀行の支店が多く、福岡市内で三菱UFJのATMを探したところ、やはり博多駅と天神に数か所あるだけだった。

コンビニなど、提携先のATMも利用できるが、休日の場合、216円の手数料を取られてしまう。それで今日(9月3日)は、歩いて博多駅まで出かけて来た。216円の手数料をケチって、420円の電車代を使ったのでは意味がないからだ。

行きは、最短距離と思われるコースを辿ったものの、周囲の風景などを確認しながら普通に歩いて、1時間3分しか掛かっていなかった。これなら充分に歩ける距離である。しかし、周囲は余りにも殺風景で、街歩きのコースとしては不適格かもしれない。

博多駅に着くと、先ずはATMで預金を果たし、アミューズプラザの屋上に登って景色を眺めてから、駅前にあった吉野家で牛丼を食べた。せっかく電車代を節約したのに、高い昼飯を食べてしまっては、これまた意味がないだろう。

先週までは、“博多街歩き”などと言いながら、休日の度に博多やら天神辺りをぶらぶらしていたけれど、あれは地下鉄等も使って、結構高くついていた。

昼飯も、美味しそうな店の前を通り過ぎて、安く抑えるのに苦労した。今日も吉野家で我慢するのは、なかなか辛かった。来週からは、暫く“街歩き”も寮の周辺に留めてみようかと思う。

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9月5日 (火)  それぞれの立場に相応しい服装

(9月3日)

作業着を派手に汚してしまうのは、作業の手際が悪い証しでもあるから、もちろん自慢にはならない。

また、日本の場合、製造や建設等の現場に作業着で入るのは、かなり一般的になっているものの、職種や場所によっては、スーツにネクタイが当たり前だったりする。つまり、それぞれの立場に相応しい服装があるということじゃないかと思う。

ひと頃、ウルグアイの大統領の質素な服装が持て囃されていたけれど、政治家の評価が、“質素な生活”で高まってしまうのは、適切であるのかどうか良く解らない。それに、あれではちょっと、みすぼらし過ぎるようにも思えた。

トルコでは、左派の野党CHPのクルチダルオウル党首が、ランニングシャツ姿で夫人と食卓についている写真が公開されて話題になっていたようである。

しかし、トルコのような右肩上がりの社会で、与党AKPを支持する大半の人々にとって、ランニングシャツ姿は、それこそ“みすぼらしい”だけだったかもしれない。


*写真:博多駅アミューズプラザの屋上から眺めた景色(9月3日)

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9月7日 (木)  雨の福岡

古賀の草刈現場は、草を刈る作業も一段落ついて、今週から、道路際に積み上げられた草を4tダンプで搬出する段階に入った。

ダンプへの積み込みはユンボで行うため、作業も大分楽になったうえ、暑さが和らいで、それほど汗もかかずに済み、やれやれと喜んでいたら、今日は朝から雨に降られて、作業が中止になってしまった。

日給の労働者にとって、これは非常に厳しいけれど、今後、9月〜10月にかけては雨天の日も少なくないだろう。それを見越して、せいぜい貯蓄に励まなければならない。さもないと、ドヤ暮らしが長くなるばかりだ。

このドヤというか、寮には、先週から調理師の方が来るようになって、朝夕はもちろん、昼の弁当まで出るようになった。

ドヤ代と共に、食費も差っ引かれるわけだから、喜んでばかりもいられないが、この“賄い飯”以外に、何も食べなければ、却って支出は抑えられるはずである。

しかし、私の場合、“糖質制限”を全く諦めるつもりもないので、夕食はおかずだけにして、部屋に戻ってから、ご飯代わりのプレーンヨーグルトを食べることにしている。

その他、ピーナッツ等も少しずつ食べてはいるものの、ビールや酒は、8月13日以来、口にしていない。当分の間、飲むのを止めれば、その分を貯蓄に回せる。3月〜4月はイスタンブールの方々で酒を御馳走になった。あれで半年分飲んでしまったと思えば良いだろう。

お陰で、快食・快便・快眠と健康状態は申し分ない。

また、この“便り”に長々と駄文を書き連ねたりしていない所為で、ストレスから解放されたのか、昨年の夏以来悩まされていた湿疹も治まってきた。とはいえ、たまには頭を緊張させて、こちらのエネルギーも使わないと呆けてしまいそうだ。

体力が衰えて来たのだから、当然、頭の方も衰えたに違いない。記憶力など、若い時に比べて明らかに低下している。気を付けなければならないと思う。

体力の衰えは、寝不足がとても応えるようになったりして、様々なところに現れているけれど、先日は、4tダンプの扉を開閉しながら、腕力の衰えも実感した。30数年前、産廃の4tダンプを運転していた頃は、あれを楽々と開閉していたからだ。

今の草刈現場で、4tダンプの運転は、もちろん元請けの人たちの担当だが、昨日は、狭い道路で作業中、通行の妨げになったダンプを急いで移動させなければならなくなり、私も少し運転する機会があった。

なにしろ、クラッチの付いている車を運転するのは、おそらく22年ぶりだったから、多少不安を感じたものの、クラッチを踏み込む感覚などは、足が覚えているものなのか、全く衰えていなかった。

もっとも、今月中には、要大型免許の仕事も任されるそうだから、不安を感じている場合じゃないだろう。


産廃屋の思い出
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2008&m=7

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9月10日 (日)  熟成された10万円

イスタンブールでは、残金が3千5百ドル辺りを下回ったら、日本へ引き上げなければならないと考えていたが、結局、帰国を決断した時点で残っていたのは、合わせて2千5百ドル相当の預金と現金に過ぎなかった。

イスタンブールへの未練が決断を遅らせてしまったけれど、こうして福岡で仕事が見つかり、今、ホッと一息ついている。

なにしろ、帰国を決断してから、航空券を買ったりしたので、成田空港へ降り立った時に所持していたのは、様々な思いが詰まった10万円の現金だけだった。

この10万円は、一時帰国していた2015年の1月、イスタンブールへ戻る前日、友人がこっそり私のカバンに忍び込ませていたのである。

友人は、2013年に韓国で落ち合った際、韓国行は自分が要請したのだから、10万円を受け取るように望んだものの、私は、一時帰国する度、この友人の世話になっているのに、それまで受け取るわけにはいかないと思って断ったため、彼は以上のような手段を試みたらしい。

しかし、私はイスタンブールに戻って、カバンの中の物を適当に引き出しへ突っ込んだまま、2016年の1月になるまで、この10万円の存在に気がつかなかった。

10万円は、なんと1年もの間、引き出しの奥で静かに身を潜めていたのだ。きっと1年の熟成期間を経て、味わいが深まり、単なる10万円ではなくなっていたと思う。

ところが、屋久島では姉のところに居候して、たまに野良仕事を手伝うだけで食べさせてもらっていたのに、この有難い10万円の残りから少しずつ使ってしまい、福岡へやって来た私の財布には、2万3千円しか入っていなかった。

これからは、せいぜい節約して、貯蓄を増やして行かなければならない。所持金が、2〜3万円では、何処へも行けないし、何か計画する余裕さえ失ってしまう。


*写真:先日、「雨の福岡」に添付した写真は、寮から西側の雨模様で、今日の写真は東側の風景。この景色はなんだか思い出に残りそうだ。

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9月11日 (月)  伊三郎製ぱん

(9月10日)

今日(9月10日)は、午前中、南へ30分ほど歩いてトライアルまで買い出しに行き、昼は寮の北側の多々良川を越えて、「伊三郎製ぱん」で昼食用のパンを買って来た。

「伊三郎製ぱん」は京都に本店があり、京都以西にチェーン展開しているようだ。残念ながら、関東地方には出店していないらしい。

先月、香椎線の土井駅まで歩いた際に、このパン屋さんを発見したけれど、美味しい焼き立てのパンの数々が「100円均一」で、とても今日味わった4種類のパンでは満足できない。これからは、賄い飯の付かない日曜日の度に、色々なパンを試してみようかと思う。

今朝は、平日と変わらない5時に起きて、朝食はピーナッツを手のひら分ぐらい齧っただけで、多少は“糖質制限”に努めた。夜は例によってヨーグルトだけにするつもりである。

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9月17日 (日)  韓半島の危機?

ようやく危機的な状況から脱したトルコを後にして、日本へ帰国したと思ったら、今度は日本の周囲へ危機が迫っているらしい。

現場などで、トルコが話題になることは全くないものの、「北朝鮮のミサイル」は、毎日のように話題になっている。現場の作業が終わって、帰り支度をしていると、監督さんまで、「明日、未だ死んでいなければ、またここで会いましょう!」なんて冗談を言う。

日本全国、津々浦々で、こんな冗談が言い交されているのだろうか? 

中には、『冗談で笑っている場合じゃない!』と真面目に心配している人もいるが、私は冗談に笑いながら、全く何も心配していなかった。

今でも、それほど心配しているわけじゃないけれど、何が起こっても不思議ではない状況になっているのは確かであるかもしれない。

とはいえ、その「何が」に“戦争”が含まれるリスクは未だ少ないと思う。また、そういう事態になったとして、私の“心配”は何の効力もない無駄で終わるに違いない。

戦争以外にも、金正恩に対するクーデターであるとか、様々なシナリオが取り沙汰されている。しかし、金正恩になって以来、北朝鮮で何が起こるのか、ある程度でも予測された例は殆どなかったような気がする。何から何まで意外なことばかりだった。

例えば、クーデターが勃発して、北朝鮮国内の騒乱で済んだとしても、韓国は何らかの被害を受ける可能性がある。38度線からいくらも離れていないソウルは、特に危ない。

そうなると、ソウルの友人たちが心配になってくるものの、悲しいことに私の心配なんて何の役にも立たないのである。

在韓華僑の友人兄弟は、いざとなったら台湾へ脱出できると思うが、今のところ、当たり前にソウルで暮らしている。それほど危機的な状況ではないという証しかもしれない。彼らが台湾へ引っ越すようであれば、それこそ正しく“赤信号”だろう。


2013年4月27日(土)ソウルに日本が溢れていた
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2013&m=4

2013年5月7日(火)ソウルの晩はパラダイス!
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2013&m=5

2015年8月20日(木)東京 - ソウル - イスタンブール
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2015&m=8

2017年3月6日(月)対岸の火事?
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2017&m=3


*写真:韓国−板門店(2013年4月)

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9月18日 (月)  筥崎宮放生会大祭(はこざきぐう・ほうじょうや・たいさい)

今日も、休日の“街歩き”は、電車等を使わず、歩いて「筥崎宮」まで出かけて来た。片道30〜40分ぐらいだったと思う。

筥崎宮では、「博多三大祭り」の一つとされる「放生会大祭」が、12日から開かれていて、今日はその最終日だった。

連休と最終日が重なった所為か、境内はもの凄い人波で、なかなか前へ進めなかったけれど、如何にも祭りらしい賑やかな雰囲気が味わえて良かった。

筥崎宮(ウイキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%A5%E5%B4%8E%E5%AE%AE

参道の両脇には、様々な屋台がずらりと並んでいて、その数は500軒にも及ぶそうだ。トルコのドネルケバブやアイスクリームの屋台もあった。

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9月19日 (火)  筥崎宮放生会大祭/ドネルケバブの屋台

(9月18日)

参道には、トルコのアイスクリームの屋台が3軒ぐらい、ドネルケバブは4〜5軒出ていたのではないかと思う。

屋台にトルコの国旗が翻っているのを見ながら、『おおっ!』と思って近づくと、日本の人がアイスを盛ったり、ドネルを回したりしていたけれど、4人ほどトルコ系の人たちとも出会うことができた。

“トルコ系”と書いたのは、1人アゼルバイジャン出身の人もいたからだ。奥さんは日本人で、東京から出張してきたそうだが、アゼリー語を話すので、ちょっと会話を成り立たせるのが難しかった。

後の3人は、皆トルコの人で、2人がガジアンテプの出身、もう1人はイズミルだった。

彼らも東京近辺からの出張者で、ガジアンテプの2人は、もともと就労目的で日本に来て、数年前から川口辺りのトルコ料理屋などで働いていたようである。まあ、ちょっとガラッパチで、品のない日本語で道行く人たちに声をかけていた。

アメ横辺りのドネル屋もそうだけれど、いったい誰がああいう下品な言葉遣いを教えたりするのだろう?

一方、イズミル出身の青年は、6ヶ月前に日本へ来たと言う。どうやら、ぶらっと遊びに来たら、日本人の彼女と知り合ったので、東京に居ついてしまったらしい。教養もありそうな雰囲気で、この青年との会話は楽しかった。それから、4月以来、5カ月ぶりにトルコ語を話すことが出来たのも嬉しかった。


*写真:左がアゼリー人のおじさんの屋台。右は私とイズミルの青年。

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