Diary 2017. 7
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7月1日 (土)  千尋の滝

昨日、朝の9時近くまで相当な雨量があったので、雨が上がると、「千尋の滝」へ様子を見に行った。姉の家から、歩いて25分ぐらいである。

案の定、展望所から眺められる滝は、豊かな水量により、なかなか迫力があった。

この「千尋の滝」は、落差が60mに及ぶそうだ。しかし、展望所の位置が、滝から大分離れているため、ちょっと臨場感に欠けてしまう。

そこで、昨日は、展望所からさらに、「立入禁止」という表示が掲げられたロープを跨いで、もっと下まで降りてみた。

道は、少し降りた先から、コンクリートで舗装されていて、転落防止用の鉄鎖もあり、急な坂は階段になっているので、非常に歩き易い。

舗装されていない部分も、かなり踏み固められた状態で、雑草が生い茂っていない。どうやら、「立入禁止」と言いながら、結構、往来が少なくないようである。

ところが、暫くして、滝が少し間近に見える吊り橋の袂まで来たら、吊り橋は、有刺鉄線付きの鉄扉で厳重に閉ざされていた。

仕方なく、そこで写真を撮って引き返したけれど、おそらく、向こう側へ渡ることが出来れば、滝壺の直ぐ近くに降りられたのだろう。

聞いたところによると、滝の周辺は、「水源地管理」という名目で、「立入禁止」になっているらしい。

とはいえ、この川は、「千尋の滝」から「龍神の滝」と「トローキの滝」を経て、瞬く間に海へ注いでいる。途中、取水して利用している状況は殆ど考えられない。いったい、どのような「水源地管理」なのか、皆目不明である。

それに、案内のガイドさんを雇えば、吊り橋を渡って、滝壺の辺りまで行けると言うから、ますます何のことやら解らなくなる。屋久島には、こういった山道などを案内して収入を得ているガイドさんが300人(!!)もいるそうだ。


*写真・動画(フェイスブック)
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.10212489370525987.1073741910.1134094593&type=3

*自己紹介欄のメールアドレスは既に使えなくなっているので、私(新実誠)へのお問い合わせは下記のアドレスにお願いします。↓

makoton1@hotmail.co.jp

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7月2日 (日)  パンにシュクル(感謝)!

(7月1日)

今日(7月1日)の昼は、尾之間の辺りまで散歩に行き、途中、「パン・ド・シュクル」というパン屋さんで、菓子パンを買って食べた。

クランベーリーとクリームチーズの入ったパン、それからカスタードクリーム入りのデニッシュが非常に美味かった。

東京は足立区出身の御主人が焼いているそうだが、屋久島で最も美味しいパン屋さんの一つではないかと思う。

トルコ語で「シュクル」は、アラビア語起源の「感謝」を意味する言葉だから、ちょっと気になって、どういう意味なのか訊いたら、フランス語の「砂糖」であるという。

「砂糖」なら、英語の「シュガー」はもちろん、トルコ語の「シェケル(砂糖)」とも音が良く似ている。ひょっとすると、語源は皆同じかもしれない。

トルコは、先日、ラマダンの祝祭を終えたばかりだが、一昨年だったか、何故、この祝祭が「砂糖祭(シェケル・バイラム)」と呼ばれたりするのか話題になっていた。

ある識者によれば、かつては「シュクル・バイラム(感謝祭)」と呼ばれていたものの、アラビア文字で記した場合、「シェケル(砂糖)」も「シュクル(感謝)」も同じ字形になるため、誤って「シェケル(砂糖)」と読んだのが定着してしまったらしい。

アラビア語起源の単語は、「キタップ(本)」〜「キャーティップ(秘書)」といった風に、子音で構成される語幹に異なる母音が付いて、様々な意味が派生して行くそうである。

それで、「シェケル(砂糖)」と「シュクル(感謝)」が同じ語幹から派生した言葉だったら面白いと思って、ちょっと調べてみたところ、「シュクル(感謝)」はアラビア語起源でも、「シェケル(砂糖)」はペルシャ語起源の言葉であることが解った。

インド・アーリア語族のペルシャ語には、同じ語族のフランス語や英語と語源を同じくする言葉が多いという。例えば、ペルシャ語の否定「ナ」と英語の「ノー」も、おそらく語源は同じだろう。

一方、トルコとペルシャは歴史的な繋がりが深いので、ペルシャ語とは異なる語族に属するトルコ語にも、相当数のペルシャ語起源の単語が入ってきている。どうやら、「シェケル(砂糖)」もその一つであり、アラビア語起源の「シュクル(感謝)」とは関連がなかったようだ。

しかし、糖質制限の合間に美味しいパンを食べたら、心から「パンにシュクル(感謝)!」と叫びたくなった。

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7月3日 (月)  「龍神の滝」の謎

犬の散歩で、毎日のように眺めている「龍神の滝」。落差は30mに満たないそうだが、大雨で水量が増した時などは、結構、迫力も感じられる。

それに、手前の木立に隠れて良く見えないものの、水しぶきを上げて落下する“滝”が、もう一つあるらしく、とても気になっていた。

この二つの滝を同時に眺められたら、見応えもあるだろう。また、もう一つの“滝”が流れ落ちている所へ、それだけの水量を運んでいる川の流れが見当たらないのは、何とも不思議である。

ひょっとすると、岩の間から地下水が噴き出しているのではないか? だとすれば、それは非常に神秘的な光景であるかもしれない。

しかし、ガイドブックに目を通しても、ネットで検索しても、もう一つの“滝”に関する記述は出て来なかった。

これでは、自分の目で確かめて見るより、“謎”を究明する手立てがない。そのため、昨日、“滝”の辺りを目指して、藪の中を少し降りてみた。

結果は、実に興ざめだった。何のことはない、地中に埋設されている土管から、大量の水が噴き出して、川に流れ落ちているのである。

余分になった農業用水だろうか? いずれにせよ、木立に隠れて、土管が見えなくなっているお陰で、景観が損なわれずに済んで良かった。

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7月4日 (火)  ヨーグルト:トルコVS 日本

帰国して以来、暫くの間、どうも“お通じ”の具合が良くなかった。食生活等で、いったい何が変わったのか考えて見ると、思いつくのは“ヨーグルト”ぐらいである。イスタンブールでは、毎日のように、大量のヨーグルトを食べていたからだ。

それで、乳酸菌の整腸剤を試してみたが、幾分良くなった程度で、イスタンブール在住当時の状態までは回復しなかった。

『ならば、一度、ヨーグルトを大量に食べて見たらどうなるか?』と思い、先週、ヨーグルトを2種類買って来て、いっぺんに食べてみたところ、早くも翌日に期待通りの効果が現れた。

しかし、日本でヨーグルトは、それほど安くないから、毎日続けるのは、ちょっと無理がある。乳酸菌整腸剤も服用しながら、効果の持続を図るよりないだろう。

ところで、日本とトルコのヨーグルト、コストパフォーマンスは、文句なしでトルコに軍配が上がるけれど、味の方はどうか? 

こちらは、日本人とトルコ人の味覚の違いもあるから一方的には決められないが、少なくとも私は、大差でトルコに軍配を上げる。断然、トルコのヨーグルトが美味いと思う。さすがはヨーグルトの本場である。


2016年2月1日(月)ヨーグルト
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2016&m=2

2016年6月28日(火)スズメ(水切り)ヨウルト(ヨーグルト)/タヴァ(平鍋)ヨウルト(ヨーグルト)
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2016&m=6

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7月7日 (金)  糖質制限のダイエット効果

昨年、一時帰国中に糖質制限を始めると、66〜67sぐらいあったはずの体重が、40日間で苦も無く62〜63sまで減っていた。

6月からまたイスタンブールで糖質制限を再開させて、7月中は超糖質制限(MEC)も試みていたため、一時的には、もっと減っていた期間があったかもしれないけれど、体重を計っていなかったので良く解らない。

今年になって、少し糖質制限を緩めていた所為で、4月に帰国した時は、多分、63〜64sになっていただろう。それが、先週以来、ついに59〜60sを推移する状態に至った。

おそらく、体重が60sより下がったのを実測で確認できたのは、高校卒業以来じゃないかと思う。実に約40年ぶりの快挙である。

クズルック村にいた頃は、70sを軽く超えていたから、ちょっと感慨深いものがある。しかし、身長が166p程度しかない私にとっては、60sでも決して理想的な体重とはいえない。

ライト級の世界チャンピオンだったガッツ石松は、172pの身長があるという。しかも、あの鍛え上げられた体で、ライト級のリミット61sまで落としていたのである。

筋肉らしい筋肉もついていない私は、もっと鍛えた上で、さらに体重を減らしても良いだろう。もう少し頑張らないといけない・・・。


*写真:屋久島−鯛之川・モッチョム岳・トローキの滝
フェイスブックのアルバム↓
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.10212559528959904.1073741913.1134094593&type=3

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7月8日 (土)  屋久島の宗教事情

水曜日(5日)、宮之浦のクリーンセンターへ粗大ゴミを捨てに行った際、少し先にある“一湊”という漁港町に寄ってみた。屋久島では、最も北側に位置する町らしい。

高台に上がって町を眺め渡せば、港を覆うように海へ突き出した岬の三つ並んだ峰の姿が、なかなか印象的である。

昔は漁港として栄えたそうだけれど、町の中へ入ると、確かに古い港町の風情が偲ばれ、ゆっくり歩いてみたくなるような町だった。

町の中ほどには、願船寺という真宗の寺院もある。いつ頃の創建か良く解らないが、コンクリート造りの建物は、あまり長い歴史を感じさせない。

そもそも、屋久島では、明治を迎えるまでに、仏教が根付いていなかったため、島内に寺院は数えるほどしかなく、古刹と言えるような仏閣もないそうである。

その所為か、キリスト教等々、新来の各教団による宣教活動が盛んであり、多種多様な宗派が存在しているらしい。

また、以下の記事によれば、鹿児島市内でも、寺院の数は極端に少ないが、それは、明治初期に“廃仏毀釈”を徹底して行ったからであると言う。ひょっとすると、屋久島には、こちらの影響も及んでいたかもしれない。↓

寺と僧侶が「完全消滅」した:日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20150115/276274/

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7月9日 (日)  屋久島に上陸した歴史上の人物たち

(7月8日)

一湊の港の近くに、「西郷隆盛上陸の地」という記念碑が立っている。西郷隆盛は、1862年、徳之島〜沖永良部島へ流される途上、この地に上陸したそうである。

残念ながら、滞在期間は僅かなものだったらしいが、それでも、こうして立派な記念碑が立っているのは、西郷さんの徳によるのだろう。

また、1708年には、一湊のちょうど真裏に当たる小島の海岸へ、シドッチというイタリア人神父が上陸したと伝えられている。

こちらは、姉の家からほど遠くない場所なので、5月中に早くも訪れる機会があった。やはり立派な記念碑が立てられていて、近くにはカトリックの教会もあり、布教活動にあたっているようだ。

新井白石が「西洋紀聞」を著したのは、このシドッチ神父との対話に基づくという。


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7月11日 (火)  大団円で幕を下ろした「行進」

第一野党CHPのクルチダルオウル党首らが、「公正」を掲げて、アンカラから歩き始めた「行進」は、9日、イスタンブールのマルテペ広場で多くの群衆に迎えられて幕を下ろした。

途中、事故や騒乱もなく、平和な雰囲気が維持されたことを与野双方の識者らが評価しているようだ。

また、これまで与党AKPを支持してきた識者の中からも、平和な「行進」を実現したクルチダルオウル党首を評価する声が高まっている。「10年前と比べたら、まるでAKPとCHPの立場が逆転した」と述懐する識者も少なくない。

10年前、野党とは言いながら、「体制」の守護者を自任して、AKPを政権から引きずり下ろすために、軍部の介入まで期待していたCHPが、今や「体制」の批判者となり、この「体制」に対して民主化の旗印を掲げていたはずのAKPは、「体制」を守る立場に回ってしまったと言うのである。

例えば、「行進」の期間中、インタビューに答えたイルケル・バシュブー元参謀総長は、ギュレン教団の策謀を追及する司法を高く評価して、裁判の過程で多少の過ちがあったとしても、それを殊更大きく取り上げるべきではないと語り、CHPを支持する識者から猛反発を受けていた。

かつて、軍部の中には、CHPを支持する将校が多かったそうである。何故なら、CHPも軍部と同様、政教分離の守護者をもって任じるアタテュルク主義者だった・・・。

しかし、現在の軍部は、ペリンチェク派(アタテュルク主義の左派)・テュルケシュ派(トルコ民族主義的なアタテュルク主義者・MHP支持派)、そしてギュレン教団の残党に三分されているのではないかという説もある。(エルドアン大統領とAKPを積極的に支持している将校は1%にも満たないらしい)↓

6月29日(木)エルドアン大統領に対する識者の評価
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2017&m=6

実際、ドウ・ペリンチェク氏もMHPのバフチェリ党首も、クルチダルオウル党首らの「行進」が、ギュレン教団を利する行為になるとして、激しく非難していた。

確かに、様々な機構や関係者の立場は、この10年で大きく変わってしまったように思える。

軍部の影響力が排除される民主化を望んでいた識者の多くは、当然、軍部と協力し合うAKPに失望しているだろう。とはいえ、ギュレン教団の脅威が完全に取り払われたわけじゃないから、なかなか難しいところであるかもしれない。

現状、AKPとMHP、そして軍部は、ギュレン教団の策謀から「国家の利益」を守るという観点では、一致協力しているのではないか?

そして、AKPを支持する大多数の民衆も「国家の利益」には敏感であるような気がする。国益が損なわれた場合、真っ先につけを払わせられるのは、低所得者層の人々であるからだ。

また、トルコには、元来“尚武の気性”があって、民衆の軍部に対する信頼もそれほど失われてはいないらしい。↓

2013年9月21日(土)尚武の国
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2013&m=9

9日、クルチダルオウル党首をマルテペ広場に迎えた群衆には、中流以上の高学歴者が多かったと言われている。

果たして「7月15日クーデター事件」の記念日となる15日には、どのくらいの群衆が、エルドアン大統領やアカル参謀総長に歓呼するのだろう?


*写真:昨日、日帰りで鹿児島市に行ってきた。久しぶりに“街”の雰囲気を味わえて嬉しかった。

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7月12日 (水)  城山の西郷隆盛像

一昨日、日帰りで鹿児島市に行ってきた。鹿児島市内を歩くのは、昨年の5月以来である。今回は多少時間に余裕もあったお陰で、城山の西郷さんの銅像を拝見することができた。

2016年5月29日(日)鹿児島
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2016&m=5

銅像の隣のビルの5階には、西郷さんの子孫の方が経営するカフェがあり、銅像を間近に見ながら、コーヒーを飲み、運が良ければ、子孫の方からお話を伺うこともできるそうだが、あいにく定休日のようだった。

入口のところに、メニュー等が表示されていたけれど、そこに「ご見学、写真撮影、歴史語り無料です」と大きく書かれていて、子孫の方の心意気が感じられた。

次回、いつここを訪れる機会があるのか解らないが、その時までに、「翔ぶが如く」ぐらい読んでおきたいと思う。

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7月13日 (木)  民宿プコチュの韓国料理

昨日、安房の警察署で、ようやく新しい免許証を受け取って来た。更新の手続きを始めてから、既に1カ月以上経っている。

どうやら、屋久島には免許証を発行する設備がなく、こうして時間が掛かってしまうようだ。

いずれにせよ、初めて5年間有効のゴールデン免許を受け取ることが出来て、とても嬉しい。

これまでは、更新に合わせたタイミングで一時帰国するのもままならず、いつも失効〜再発行のパターンを繰り返していたのである。

さて、昨日の正午過ぎに免許を受け取ると、小瀬田まで足を延ばして、“プコチュ”という民宿で、韓国料理のランチを食べた。

更新の手続きで、初めて安房の警察署へ出かけた日も、ここで昼を食べたけれど、なにしろ民宿を営みながら、ランチサービスの提供は、火・水・木に限っているので、なかなか再訪する機会がなかった。

プコチュは、店の雰囲気も料理も実に素晴らしい。将来、経済的な余裕が生じたら、ここの韓国料理を味わうために、わざわざ屋久島を訪れた上で、民宿の方にも泊まってみたいくらいだ。

民宿プコチュ
https://pukocyu.jimdo.com/

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