Diary 2017. 6
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6月1日 (木)  トルコの“激動の4年間”

2013年6月1日(土)餃子は中国式、催涙弾は韓国製?
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2013&m=6

2013年6月のゲズィ公園事件から4年が過ぎた。トルコにとっては、まさしく“激動の4年間”だったと言える。

ゲズィ公園事件の当時も、トルコでは、この事件を外国によって焚きつけられた騒乱と見做す“陰謀論”が盛んに論じられていたけれど、今、その後の“激動の4年間”を振り返って見ると、確かに、まったく根も葉もない“陰謀論”としては片づけられないような気もしてくる。

そもそも、事件が勃発するや、瞬く間に各国のメディアがイスタンブールに集結して、過剰な報道を繰り広げた所にも、なんだか不自然な雰囲気が感じられた。『この程度のデモ騒ぎが、何故、これほど大々的に報じられているのだろう?』と訝しげに思えたものだ。

6カ月後の所謂“司法クーデター”でも、日本の報道は迅速だった。そして、トルコに関するネガティブな報道は、つい最近に至るまで、日本のメディアを賑わし続けていたようである。

2013年12月22日(日)疑獄事件
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=20&y=2013&m=12

しかし、ようやくネガティブ報道が少なくなって来たかと思ったら、メディアのトルコに対する興味も薄れてしまったらしい。トルコが話題に上ることも殆どなくなり、ちょっと寂しく思えるほどだ。

年明けの“ナイトクラブ襲撃テロ”以来、イスタンブールやアンカラでは、大きなテロも発生していないし、EUや米国とも関係修復の兆しが見えるなど、トルコの世相はやっと落ち着いて来たものの、こういう話題はニュースに成り難いのだろう。

トルコでは、この“激動の4年間”の要因が、アフメット・ダヴトオウル前首相による独自外交にあったのではないかとして、前首相を咎める論調も見られる。

元軍人のジャーナリストであるエロル・ミュテルジムレル氏などは、その外交政策を「単なるロマンティズム」と切り捨てていたけれど、米国に対して“同盟”を余儀なくされている国々の多くが、一度ぐらいはこういう“ロマンティズム”に駆られてみたくなるのかもしれない。

韓国も90年代に“ロマン”を追い求めた挙句、酷い目に合わされてしまった。


*自己紹介欄のメールアドレスは既に使えなくなっているので、私(新実誠)へのお問い合わせは下記のアドレスにお願いします。↓

makoton1@hotmail.co.jp


*写真:屋久島・ガジュマルの樹

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6月2日 (金)  トルコのイスラム

2017年5月30日(火)「トルコは競争社会にならなければならない」?
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2017&m=5

先日、上記の駄文に、清貧に徹した故ビュレント・エジェビット元首相の暮らしぶりは、一方で、「模範的なイスラム宗教者の生活と言えたかもしれない」なんて書いてしまったが、これはちょっと言い過ぎだったと思う。

強固な政教分離主義者として知られた故エジェビット元首相には、おそらくイスラムの信仰など全くなかっただろうし、その脱宗教的な態度は、多くの信心深い国民から疎んじられてもいた。

しかし、私もクズルック村の工場にいた頃、いつも昼食を残さずに食べていただけで、敬虔なイスラム教徒のトルコ人マサルさんに、「貴方こそ真のイスラム教徒です」と褒められたことがある。

マサルさんは、私が無信仰で毎日のように酒を飲んでいたのも知っていたけれど、食べ物を粗末にしない所がイスラム的であると感じていたらしい。

だから、故エジェビット元首相の質素で誠実な生活態度は、敬虔なイスラム教徒に称賛されても当然だったのではないだろうか?

4月、イスタンブールを立つ前、スルタンアフメットでホテルを経営する友人からは、以下のような話を聞いた。

友人のホテルも、西欧のツーリストが激減したため、ターゲットをアラブ諸国のツーリストに切り替え、宿泊料金を下げて対応していたが、朝食のバイキングの経費は、以前より少し増えてしまったというのである。

「なにしろ、アラブの連中ときたら、バイキングの皿へ山のように盛った挙句、食べきれずに沢山残して行ってしまうんだよ。ドイツ人やイギリス人のお客さんで、そんなことする人はいなかったね」

友人はこのように説明しながら、アラブ人ツーリストの食べ物を粗末にする態度に呆れかえっていた。

トルコの基準からすれば、友人のイスラム信仰は、かなり敬虔な部類に属するけれど、彼は、戒律に厳しいアラブ諸国のイスラムを全く評価していなかった。

そもそも、この友人に限らず、トルコでは、信仰に篤い人たちの多くも、アラブやイランのイスラムと「トルコのイスラム」を分けて考えているような節が見受けられる。

4〜5ヶ月前だったか、“YouTube”で視聴していた討論番組がコマーシャルに入った合間に、他局の討論番組を観たところ、イスラム神学者と思われる出演者が次のように語っていた。

「ISやギュレン教団が、何故、あれほど歪な信仰に囚われているのか? それは彼らに“祖国”という概念がないからだ」

これに対して、左派らしい出演者は、呆れかえったように、「貴方は本当に神学者なのか? イスラムにあるのはウンマ(イスラム共同体)であって、もともと“祖国”の概念なんてなかったじゃないか!」と反論していた。

しかし、トルコで同様に考えているイスラム神学者は、この出演者以外にもたくさんいるような気がする。

トルコの敬虔なイスラム教徒の多くは、「政教分離のトルコ共和国で、どのようにイスラムの教えを活かして行くか?」を考えているのであって、イスラム法であるとかウンマ(イスラム共同体)といった概念に拘っている人たちは、ごく少数に限られているのではないかと思う。

エルドアン大統領が、トルコの近代化や民主化について語った場合も、それは私たちが考えているような「近代化と民主化」であり、「イスラム的な近代化・・・」といったものではないだろう。

一方、トルコの産業の発展を望んでやまないエルドアン大統領も、度々懸念を表明しているように、トルコでは既に少子化の兆しが現れ始めている。

以下の「世界の合計特殊出生率 国別ランキング」を見ると、トルコは出生率が「2.05」で、116位に留まっており、なんだか過去に産業化を達成した国々と同じ道を歩み始めているかのようだ。

産業化とこれに伴う都市化が進み、女性の高学歴化が顕著になると、何処でも少子化は進んでしまうものらしい。

世界の合計特殊出生率 国別ランキング・推移
http://www.globalnote.jp/post-3758.html

2016年3月13日(日)エルドアン大統領の次女が婚約
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2016&m=3



6月3日 (土)  モッチョム岳

今日は快晴に恵まれたので、母を介護デイサービスに送り出してから、姉の家の目の前に聳え立っているモッチョム岳(940m)に登って来た。

昭文社の「山と高原地図」を見ると、登山口の駐車場から頂上まで、登りが2時間50分、下りは2時間と記されているけれど、9時50分に駐車場から登り始めて、11時50分には頂上に到達した。

姉の家から見上げると、頂上付近はかなり険しい岩山になっているが、登山道は裏側を迂回しており、こちらはそれほどの岩でもない。最後の15mぐらいを添え付けのロープを使ってよじ登るだけである。

下りは、時間を計っていなかったものの、頂上に20分ほどいたとして、2時には駐車場に着いていたから、1時間50分ぐらいだったのではないかと思う。

急な坂が多く、下りは却って慎重にならなければならなかった。しかし、昭文社の地図に往復で4時間50分と記されている道のりを約4時間しか掛けていないのだから、まあまあの成績だろう。体力はまだまだ残っているように感じた。

https://www.facebook.com/media/set/?set=a.10212230889544124.1073741903.1134094593&type=3

*写真:左は姉の家の前から撮ったモッチョム岳/右は頂上から見下ろした風景(姉の家も良く見えている)

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6月5日 (月)  屋久島の日常・のどかな南の島の人情

屋久島では、姉が計画している果樹園の準備で、時々穴を掘ったりする作業が私に任されているくらいであり、これも今月中には一段落つくらしい。その後は、島内で仕事が見つからなければ、鹿児島や関西辺りまで出て行かなければならなくなるかもしない。

それまで、島の日常としては、毎日朝夕、母と犬の散歩に出かけ、日曜日は軽トラで一週間分の買い出しに出かける。

犬の散歩は、母の足が大分弱ってしまったため、起伏の少ない道を選んで、2〜3kmが限度になっている。3年前は、5km程度を平気で歩いていたから、この間の衰えには急なものが感じられる。

5月14日に、ヤクスギランドというハイキング場を歩いた時も、最短の30分コースで母は疲れているように見えた。3年前であれば、最長の150分コースでも楽勝だっただろう。

そんなこともあって、なるべくなら屋久島から余り遠くへは行きたくないと思っている。

日曜日の買い出しは、軽トラの助手席に母を乗せて、小瀬田という所まで行く。途中、ヤクスギランドのような観光地にも寄ったりして、昼食は菓子パンなどで済ませる。

姉が家で作る食事は、全て糖質制限なので、実を言うと、私もこの菓子パンが待ち遠しくなっていた。母は週6日の介護デイサービスで、普通の昼食を食べているものの、私が糖質制限を緩められるのは、この時だけである。

昨日は、母と一緒にアンパンを食べて非常に満足した。イスタンブールでも、週に一度ぐらいは糖質制限を破って、菓子類も楽しんでいたけれど、やはり日本のアンパンの美味さは格別だ。

小瀬田には、大きなスーパーマーケットが2軒並んでいて、姉の指示により、各々で買うものが決まっている。

ドラッグストアモリ、通称“ドラモリ”では、豆腐やキャベツ等々、隣のサムズでは、卵やニンジン等々といった具合である。

ドラモリは、九州や中国・四国地方に展開している大規模スーパーで、なかなか品揃えが良い。サムズは、屋久島と種子島に店舗を構える“地元密着型”のホームセンターで、家電や園芸用品も扱っている。

昨日は、サムズで“鹿沼土”という園芸用品を買うことになっていて、店先に出ていた若い店員さんに訊くと、直ぐに外の園芸用品置き場から“鹿沼土”を担いできて、軽トラの荷台に積み込んでくれたうえ、「レジで“鹿沼土”を2袋と言ってください」と言うので驚いた。客の自己申告に任せているらしい。

それから、店内に入ったところ、いつもの野菜売り場にニンジンが見当たらない。そこへ、先ほどの青年が通りかかったので、今度はニンジンの有無を尋ねたら、また直ぐにニンジンの箱を倉庫から持ってきて、必要な3パック分を小分けせずに素早く一つの袋に入れてくれた。

しかし、他の買い物も揃えてからレジへ行くと、レジ係の女性は、下の方に隠れているニンジンの袋を良く見ないまま、「ニンジン、1パックですね」と1パック分の価格を打ち込んだのである。

私が慌てて、「3パック分ですよ」と自己申告したら、「あらあ、どうもありがとう!」と嬉しそうに訂正していた。もちろん、“鹿沼土2袋”の自己申告も忘れなかったけれど、青年はレジまで来なかったし、レジ係の女性も店先へ出て、軽トラの荷台を確認しようとはしなかった。

実にのどかな南の島の人情を感じて私も嬉しくなった。


ホームセンター・サムズ 
http://tanegashima.co.jp/somes-3.html

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6月7日 (水)   トルコの人情もいずれはすたれるのか?

トルコでは、イスタンブールのような大都会にも、まだ結構人情味が残っている。例えば、私が住んでいたイエニドアンの街などは、暖かい人情が感じられて、とても暮らしやすかった。

しかし、これから新しいマンションがどんどん建って、街の人口が急激に増えたら、どうなってしまうだろう? いずれは「隣の人は何する人ぞ」といった状態になり、ご近所付き合いもすたれていくかもしれない。

今のところ、イスタンブールでは、既に人口が密集している中心部においても、「社会の信頼と絆」を感じさせる光景を目にすることが出来るけれど、徐々に、見ず知らずの他人との関わりを避けたがる傾向は増して行くような気もする。

帰国前日の4月20日、イスタンブールで最もモダンな区域の一つであるレヴェントの辺りを通る地下鉄に乗っていたところ、車内の中ほどに立っている大きな黒人の男が、両側の座席に座っている黒人たちと大きな声で何やら自分たちの言葉で話していた。

それだけでも、充分に迷惑な雰囲気だったが、何処かの駅で近くの席が空くと、その大きな黒人は素早くそこへ座り、隣の小柄な中年トルコ人女性を挟んで、もう一つ先に座っている、これまた大きな黒人の男と体を突っつき合ったりしながら、大きな声で話し続けようとするのである。

間に挟まれた小柄な中年女性は堪ったものじゃないだろう。品の良い身なりをした女性の表情には、不快感というより緊張が感じられた。

それで、私が歩み寄って、黒人の膝を叩き、『立って、女性と席を入れ替えたらどうか?』と片言の英語とジェスチャーで伝えようとしたものの、黒人は「ホワイ?」などと笑って応じる様子も見せない。

さらに、向かいの座席に座っているトルコ人男性が、トルコ語で「関わり合わない方が良い」なんて言い出したので、私はすっかり当てがはずれてしまった。イエニドアン辺りだったら、周囲の男たちも私に加勢して、一気に問題が解決されてしまうはずだったのである。

それから、黒人が「お前は何が言いたいんだ?」とトルコ語で呟いたため、『これで話が伝えやすくなった』と今度はトルコ語でまくしたてたら、もう一方の隣に座っていた、やはり品の良い身なりのトルコ人女性が、「なによこれ、コメディーじゃないの?」と笑った。

その女性は、それだけ言うと、私を一瞥しようともせず、そのまま無関心な態度を続けた。『危ない黒人を刺激しようとする間抜けな東洋人』とでも思ったのだろうか?

結局、黒人たちは、彼らが降りる次の駅まで、席を立とうとしなかった。黒人たちが降りて行って、車内には安堵の空気が広がったようにも思えたが、皆、無関心を装い、もちろん私に何か声を掛ける人もいなかった。

挟まれていた女性は、私と同じ駅で降りたので、『貴方へ余計に不愉快な思いをさせてしまった』と謝罪すべきかどうか考えたけれど、女性が終始、私の方を見ないように努めていたのは解っていたから、何も言わずに女性を追い越して、足早に遠ざかった。

何だか本当に間抜けな東洋人のコメディーじゃないかと情けなくなった。


2009年10月11日(日)社会の信頼と絆
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2009&m=10

2008年1月7日(月)市バスの痴漢
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2008&m=1


*写真:屋久島・モッチョム岳(6月3日)

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6月8日 (木)  屋久島・尾之間温泉

車で10分ぐらいの所にある尾之間温泉。ひなびた風情が感じられて、温泉好きには堪らない。

ほのかに硫黄の匂いが漂い、ちょっと熱くて、如何にも効きそうな気がする。

のぼせるまでゆっくり浸かってから水を浴びると、実に爽快で、湯疲れもせず、却って鋭気が養われたのではないかと思えた。

まだ昨日(6月7日)で二度目だけれど、屋久島にいる間、もっと頻繁に来られたら嬉しい。

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6月9日 (金)  アルジャジーラが取材した「イラン革命」

先日、“YouTube”の“おすすめ”に出ていた以下の動画を観た。

Bir Devrimin Anatomisi - Al Jazeera
https://www.youtube.com/watch?v=Y1SRxk2eU4g

3年ほど前に、アルジャジーラ・トルコが放送したと思われるドキュメンタリー番組で、1979年の「イラン革命」とその背景に迫っている。

当時を知る人物へのインタビューや、記録映像によって構成されており、戦後間もない頃に、アバダンの採油施設で働いていたというイラン人の証言が印象的だった。

採油権は英国の企業が握っていたため、採油場で働くイラン人と英国人の間には、甚だしい待遇の違いがあったらしい。

アバダンの街へ買い物に行こうとしても、英国人専用のバスには乗れないので、炎天下に30分以上、イラン人用のバスを待たなければならなかったという。

アバダンの街には、英国人専用のクラブがあり、その入り口に「イラン人と犬はお断り」と記されていたそうだ。

もちろん、これはカタールに本拠地を置くアルジャジーラ放送の取材による番組だが、トルコで知り合ったイランの人たちからも、同様に、米英やパーレビ体制への怨嗟の声を聞いたことがある。

彼らの多くは、ホメイニの体制を全く支持していなかったけれど、パーレビと結託していた欧米がホメイニを非難するのは、もっと許し難いと感じていたようである。

現在、このイランに対して、アメリカは着々と包囲網を固めようとしているのではないかと言われている。

イランに友好的な態度を見せているカタールへ、サウジアラビア等のアラブ諸国が国交断絶の処置を取った背景にはアメリカの思惑が絡んでいるという説もある。

そのため、表向き、サウジアラビアとカタールの仲介役を買って出ようとしているアメリカの動きには、「充分な警戒が必要である」とトルコの多くの識者が指摘している。

ヒュリエト紙のムラット・イェトゥキン氏は、トルコがシリアの問題で苦労した教訓を忘れてはならないとして、「ミルクで口を焼いた者はヨーグルトを吹いて食べる(羹に懲りて膾を吹く)」という諺を持ち出しながら、カタールの問題に深入りすべきではないと論じていた。

しかし、中東の混乱はいったいいつまで続くのだろう。やはり安価な石油が出る限り、中東の人々は枕を高くして寝られないのだろうか?

「イスラムとテロ」に纏わる討論番組だったと思うが、出演していたトルコの識者は、「サウジアラビアが民主化できれば良いが、そうなると当然、原油価格は高騰するから、アメリカが許すわけがない・・・」と語りながら苦笑いしていた。

中東の国々が、産業を発展させて自立するためには、まず政教分離を実現させて民主化を図らなければならないものの、アメリカは必ずそれを妨害しようとするのではないかと言うのである。

まあ、日本も安価な石油のお陰で助かっているから、あまり他所のことは咎められないけれど・・・。


*写真:屋久島・昨日(6月8日)は、いつもの散歩コースに猿が姿を現した。犬が吠えなければ、もっと近くへ寄って来たかもしれない。

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6月12日 (月)  韓国のロマンティズム/屋久島の豪雨

今日(6月12日)のサバー紙のコラムで、ハサン・ビュレント・カフラマン氏は、今後、カタール等を始めとする中東の問題に、トルコが大きな役割を果たせる機会は余りないだろうと論じている。中東の行く末は、米露の両大国に委ねられてしまったらしい。

ここでカフラマン氏は、「トルコは中東から切り離された」という表現を使っているけれど、これは戦後の日本にも言えるような気がする。

日本は、戦後、東洋から切り離されてしまい、韓半島の問題でも、蚊帳の外に置かれてきた。

もっとも、オスマン帝国の時代から中東と親密な関係があったトルコと異なり、日本が東洋と関わっていたのは、明治以降の一時期に過ぎなかったはずだ。

現在、韓半島は、中米露に行く末を握られていて、韓国でさえ、何ら主導的な役割を担っていない。そういった状況の中で、韓国も米国との同盟を維持する以外には、選択肢がなさそうである。

しかし、韓国に関する報道を読むと、なんだかムン・ジェイン大統領は、またしてもロマンティズムに駆られてしまっているようにも見受けられる。

ネットで調べたら、「羹に懲りて膾を吹く」に似た韓国語の諺として、「スッポンを見て驚いたら、釜の蓋を見ても驚く」というのが挙げられていたけれど、ちょっと意味が違うのではないだろうか? 

韓国の人たちは、「羹に懲りて膾を吹く」どころか、ロマンやイデオロギーで熱くなると、なかなか冷め難いのかもしれない。

***************

昨日(6月11日)の午前中、屋久島は、記録的な豪雨に見舞われた。

午後、いつもの日曜日のように、軽トラで買い出しに出かけた頃には、大分小降りになっていたので、夕方、普段通り「龍神の滝」の辺りまで、犬の散歩に行ったところ、水量が増した滝は、轟々たる音を響かせて、まさしく「龍神」の名に相応しかった。

散歩から帰ると、「千尋の滝」の様子も気になったので、今度は軽トラで「千尋の滝」へ向かった。車なら、滝まで10分ぐらいで行ける。

途中、道端に佇んでいる鹿にも出会ったりしながら展望所に着くと、滝は想像したように、水しぶきを上げて流れ落ち、なかなか豪快だった。↓

https://www.facebook.com/media/set/?set=a.10212311975131213.1073741908.1134094593&type=3


*写真:屋久島
(左)「龍神の滝」
(中)「千尋の滝」。
(右)良く散歩の途中に会う猫の「タクちゃん」と母。
飼い主の方以外で、「タクちゃん」に触れたことがあるのは、まだ私と母だけらしい。

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6月13日 (火)  憧れのイラン

トルコの周辺国で、訪れたことがあるのはギリシャだけだ。グルジアのバツーミにも足は踏み入れているけれど、グルジアへの入国審査も受けなかったのだから、「訪れた」とは言い難いだろう。↓

2012年12月2日(日)グルジア・バツーミ〜ホパ
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2012&m=12

そもそも、私がこれまで入国を果たした外国は、トルコと韓国、ギリシャ、北キプロスの4カ国しかない。今後、何としても訪れてみたいと思っている国々も限られている。

経済的な余裕もなく、英語や他の外国語が話せるわけでもないので、夢ばかり広げたら、きっとむなしくなってしまうに違いない。

こういった現実の中で、未だに訪れてみたいと熱望して止まないのは、モンゴル、中国、ロシア、そしてイランである。

わけてもイランは、トルコの隣国であり、トルコに住んでいた頃なら、それほど経済的な負担もなく行けただろう。大きなチャンスを逃してしまったようで、非常に残念でならない。

そのため、トルコや日本のテレビ番組で、イランが紹介されていたりすると、街角の光景や人々の様子を食い入るように見つめていた。

テレビの画面から伝わるイランの印象は、『トルコと良く似ているのに、何かが違う』といったもので、これはギリシャを訪れた際にも感じられた。

また、訊いて確認したわけじゃないけれど、トルコの人たちの中にも、同様の印象を受ける人は、決して少なくないような気がする。

イランの女性たちは、イスラム体制の制約を受けながらも非常に活発であり、この点でも、他の中東の国々と比べて、トルコの人たちと一層よく解り合えるはずだ。

かなりイスラムの信仰に篤いトルコ人であっても、アラブ諸国から訪れる旅行者のグループを見た場合、非常に異質なものを感じているようだが、マナーの良いイラン人のグループには、多分、親近感を覚えていると思う。

スンニー派・シーア派といった宗派の違いより、様々なところに現れる民度の高さを見ながら、人々は『この人たちとなら一緒に暮らして行ける』と判断するのではないか?

以下の「世界の合計特殊出生率 国別ランキング」を見ると、イランの出生率は、トルコを遥かに下回る「1.69」で、既に西欧諸国並みと言える。どうやら、イスラム革命も女性の意識を変えるには至らなかったらしい。

世界の合計特殊出生率 国別ランキング・推移
http://www.globalnote.jp/post-3758.html

しかし、トルコもアンカラ以西の地域に限れば、おそらく、イランと殆ど変わらない出生率になっているだろう。全体でも「2.05」なのだから、東部地域の出生率も、既にそれほど高くはなさそうである。

将来、イランが自主的に政教分離を達成して、欧米とも協調できる体制になったら、トルコとイランは良好な隣国関係を築き上げて、双方ともさらに発展を遂げるに違いない。欧米はそういった将来を全く望んでいないかもしれないけれど・・・

persian poetry
https://www.facebook.com/makoto.niinomi/videos/vb.1134094593/10208143175713833/?type=2&theater

*写真:イスタンブールのイラン総領事館(2015年4月)

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6月14日 (水)  エジプトの不運

世界の合計特殊出生率 国別ランキング・推移
http://www.globalnote.jp/post-3758.html

この「合計特殊出生率」がどれほど正確であるのか良く解らないものの、ランキング順に見て行くと、なかなか興味深い状況が明らかになっている。

まず、出生率「4」以上のランキング上位には、こう言ってはなんだが、アフリカ等のちょっと絶望的な国々の名が並んでいる。

出生率「3」以上にも、生活水準が一定レベルに達している国は殆どなさそうだ。

例外としては、イスラエルの「3.01」に驚かされた。どうやってこの出生率が維持されているのだろう? 

フランス「2.00」、スウェーデン「1.93」、イギリス「1.92」、米国「1.88」等々が、結構高いのは、移民のお陰ではないかと思うけれど・・・。

最も人口の多い中国「1.57」とインド「2.40」の数値を見る限り、人口爆発といった事態は避けられそうな気もする。実際、世界全体の平均出生率は「2.45」まで下がっているらしい。

私が気になっている国では、モンゴル「2.64」が意外に低かった。元になる人口が少ないのだから、もう少し欲しいところだが、イスタンブールで出会うモンゴル人の留学生たちを見て、なんだか女性の強そうな印象は感じていた。

今、その“先進性”が話題になっているカタール「2.01」はもちろん、サウジアラビア「2.71」の出生率もそれほど高いものではない。

イスラム圏・アラブ圏で、想像通り高かったのは、パキスタン「3.55」、エジプト「3.31」といった国々だ。特にこの両国は、元になる人口が多いから、今後もかなり人口が増えてしまう可能性がある。

エジプトは国土の大半が乾燥地域で、人々が暮らしているのはナイル川の流域ぐらいしかなさそうに思えるけれど、既に8千万以上の人口を有している。(トルコの人口は約7千5百万、イランも8千万に満たない。)

「経済成長率は低いのに、出生率が高くて人口だけはどんどん増えていく」というのは、どう考えても良い傾向ではないと思う。

所謂“アラブの春”以来、エジプトも騒乱続きで、国情は今もって安定にはほど遠いらしい。トルコの識者の中には、その不安定な国情が「イスラム原理主義テロ」の温床になっていると指摘する人もいる。

こういった識者によれば、イスラム教の最高教育機関として知られるアル=アズハル大学で、厳格派と言われるサラフィー主義の影響力が強まっているのは、由々しき問題であるそうだ。

このサラフィー主義やサウジアラビア等のワッハーブ派に比べれば、ムスリム同胞団などは遥かに穏健であるにも拘わらず、アメリカはムスリム同胞団への弾圧を容認するばかりか、かえってサラフィー主義やワッハーブ派を支えていると言うのである。

いずれにせよ、イスラムの国々が、トルコのような政教分離を達成して経済的にも発展する将来を、欧米が望んでいるとは全く思えない。

エジプトやサウジアラビアが、政教分離によって民主化を成し遂げれば、当然、人々は自分たちの権利を主張するようになるだろう。石油資源等の国の財産を、もっと高く売ろうと要求するに違いない。

そうなれば、欧米だけでなく、日本やトルコも不利益を被るのではないかと思う。そのため、誰もがこの怪しげな国際秩序を問い質そうとはしないのかもしれない。

あるトルコの識者は、いみじくもこう語っていた。「IS等によるイスラムのテロと言っても、被害者が最も多いのは、他ならぬイラクやシリアであって、それに比べれば欧米の被害など微々たるものだ」

しかし、イラクとシリアは言うまでもなく、8千万以上に及ぶエジプトの人々の不運も実に悲惨である。いったい、どういう歴史の綾が、エジプトをナイルの袋小路に追い込んでしまったのだろう?

7年ほど前、イスタンブール近郊の縫製工場を訪れたことがある。そのトルコ企業は、エジプトにも生産拠点を持っていて、アメリカへ輸出する製品の多くをエジプトで作っているという。何故なら、エジプトからアメリカへ輸出すれば、関税がかなり低くなったからだそうである。

なんとなく、このように庇護を受けてきたことが、エジプトの自主性を妨げてしまったように思えてならない。

また、イスタンブールには、ヒディヴ邸という観光名所があるけれど、ここはオスマン帝国の時代、ムハンマド・アリー朝エジプトの副王アッバース・ヒルミ2世の邸宅として建設されたと伝えられている。

ムハンマド・アリー朝は、創始者のムハンマド・アリーも、オスマン帝国から派遣されたアルバニア人だったそうだが、その後の歴代の支配者の多くも、イスタンブールに邸宅を構えていたらしい。

支配者の一族が、現地に住んでいなかったというのは、そもそも不健全な状態だったような気がする。イスタンブールでヒディヴ邸を訪れる度に、そういった歴史の綾を漠然と考えてみたりした。


【84】作家アフメット・アルタン氏とヒディヴ邸(2)【gazetem.net】【2004.08.10】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00084.html

2017年2月12日 (日)多くの国々が羨む日本の繁栄と平和
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2017&m=2

*写真:ヒディヴ邸(2016年6月)

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