Diary 2017. 5
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5月1日 (月)  屋久島/大川の滝

昨日の日曜日(4月30日)、屋久島は快晴だった。一週間前に到着して以来、雨や曇りの日が続き、きれいに晴れ渡ったのは、昨日が初めてだったような気がする。

だからというわけでもないが、姉の軽トラで、母と島内のドライブに出かけてみた。

まず、島の西側に向かって暫く走ると、「大川の滝」という名所がある。島の方言によるのか、この「大川」を「オオコ」と読んで、「オオコのタキ」と言われている。

落差は88mに及ぶそうで、なかなか見応えがあった。


2016年5月12日(木)軽トラで南の島へ・・・
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2016&m=5


*自己紹介欄のメールアドレスは既に使えなくなっているので、私(新実誠)へのお問い合わせは下記のアドレスにお願いします。↓

makoton1@hotmail.co.jp

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5月2日 (火)  屋久島一周/イスラエル人のカップル

(5月1日)

日曜日(4月30日)の島内ドライブは、屋久島一周を目指して出発した。

「大川の滝」を後にして、島の西側を北上し始めると、間もなく「西部林道」という、森の中の狭い道に入る。

ここからは、北部の永田に至るまで集落もなく、バスのような公共の交通機関もない。

この「西部林道」に差し掛かった辺りの道端に、欧米人風の若いカップルが立っていた。大きなリュックサックを前に置き、手を掲げている。どうやら、ヒッチハイクを試みているらしい。

私たちの車は軽トラで、余分な座席もないから、一瞬躊躇ったけれど、彼らが荷台でも構わないのであればと思って車を止めたところ、嬉しそうに荷台へ乗り込んで来た。

何処から来たのか訊くと、イスラエルであるという。「シャローム」と挨拶して手を差し伸べたら、喜んで手を握り返してくれた。カップルの間では、よく解らないが、ヘブライ語を話しているようだった。

荷台に人を乗せたまま走っていて、警察に見つかれば、交通違反に咎められそうだが、永田までなら大丈夫だろう。こうして、荷台の若者らと共に「西部林道」を北上した。

「西部林道」は、辺りに人の気配の全くない、まさに山林の中を進む林道で、途中、猿や鹿に何度も出会った。

猿も鹿も道端を悠然と歩き、殆ど人を恐れる様子もない。その姿を写真に収めようとして車を止めたら、荷台の彼らも大喜びで写真を撮っていた。

彼らとは、永田のバス停の前で別れた。私たちの目的が、屋久島一周だと解って、彼らは目を輝かせていたけれど、「ポリスが・・・」とジェスチャーを交えて説明したところ、何とか納得してくれた。


*写真(右):「西部林道」の途中にある「屋久島灯台」。

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5月6日 (土)  屋久島で見るイスタンブールの夢

今朝、なんとも嫌な夢を見て目が覚めた。イスタンブールの空港で飛行機に乗り遅れたら、その飛行機が墜落してしまい、友人や家族に無事を知らせようとしたものの、インターネットに接続できるところが見つからず、焦っている内に目が覚めたのである。

この夢の中の私は、おそらく、アタテュルク空港にいたような気がするけれど、帰国以来、自分がイスタンブールの街中を歩く夢は、既に何度か見ている。よっぽど心残りがあるのかもしれない。

しかし、現実の世界では、日に一度ぐらいはインターネットに接続して、トルコの新聞にざっと目を通したりしている。“YouTube”からニュース専門局の番組を観ることも可能だ。

再びAKPの党員となったエルドアン大統領の演説も、僅かなタイムラグで視聴することができた。イスタンブールが遥か彼方に遠のいてしまったわけじゃない。世界は狭くなった。


*写真:イスタンブール(4月19日)
https://www.facebook.com/makoto.niinomi/media_set?set=a.10211936407982269.1073741901.1134094593&type=3&pnref=story

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5月7日 (日)  トルコのニュース

(5月6日)

インターネットでトルコのニュースを追おうとしているけれど、もちろん、イスタンブールにいた頃のようには行かない。時間も限られているし、なにより、気軽にトルコの人たちから話を聞けなくなってしまったのが残念だ。

興味深いニュースとしては、CHPの前党首デニズ・バイカル氏が、2019年の大統領選の野党候補として、アヴドゥルラー・ギュル前大統領の擁立を提案したとか、AKP党内から、ギュレン教団系のみならず、他のイスラム主義的なメンバーも排除されるのではないかといった、俄かには信じがたい話もある。

前者は、実際、バイカル氏からそういう発言もあったようだが、後者は単なる憶測に過ぎないと思う。

アヴドゥルラー・ギュル前大統領を始め、アフメット・ダヴトオウル前首相、アリ・ババジャン元財務相のようにイスラム的なメンバーが遠ざけられ、重要ポストに、メフメット・シムシェク副首相(経済担当)、メヴリュト・チャヴシュオウル外相、スレイマン・ソイル内相のようなイスラム的傾向の余り感じられない閣僚が目立っているとはいえ、もともと“ミッリ・ギョルシュ(国民の思想)”のメンバーだった閣僚も少なくないらしい。

以前より、閣僚の顔ぶれが多様化してきただけではないだろうか?

しかし、政教分離主義のCHPが、イスラム的なアヴドゥルラー・ギュル前大統領を担ぐなんて、5〜6年前でも全く想像すらできなかった話であり、いよいよ、政教分離主義、イスラム主義といったイデオロギーに基づく対立軸が過去のものになりつつあるのだとしたら、それほど悪くない話であるかもしれない。


*写真:イスタンブール(4月19日)

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5月8日 (月)  学問のすすめ

福沢諭吉の著作をいくつか読んでみようと思い立ったのが14年前、以来、「文明論之概略」と「福翁自伝」は何とか読んだものの、「学問のすすめ」にはなかなか手がつかなかった。やっとそれを、帰国の際に立ち寄ったモスクワの空港で読み始め、先週、ようやく読了した。

そして、『この本は、中学か遅くとも高校の時に読んでおくべきだった』と後悔している。もっとも、当時の私が、これを読んだからと言って、目を覚ましたかどうかは解らないけれど、まともな中学生や高校生であれば、大いに触発されるはずだ。

読んで目覚めた若者たちは、私のように「心事の棚卸」もできない間抜けな人生を送ったりしないだろう。


2003年9月3日(水)トルコでも読書の秋
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2003&m=9

*写真:屋久島(5月7日)

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5月10日 (水)  「学問のすすめ」私立の精神

「学問のすすめ」では、官の主導に頼らない私立の精神が、最も重要な課題の一つとして説かれていたように思う。

トルコの共和国革命も、日本の明治維新と同様、官の主導による「上からの改革」だったと言われているが、当時のトルコに、私立の重要性を説いた思想家はいたのだろうか?

何だか、トルコでは、今でも「官の主導」に依ろうとする傾向が、日本より遥かに強そうである。

5年ほど前、友人がプレゼントしてくれたチケットで、公営の劇団による定期公演を観に行ったことがあるけれど、前衛的な解りにくい芝居で、寂しくなるくらい空席が目立っていた。あれが民営の劇団であれば、とても経営が成り立たなかったに違いない。

また、劇団員は国家公務員であり、芝居の良し悪しに拘わらず、給料はもらえるのだから、創意工夫の意欲も高まらないのではないかと余計なことを案じながら、芸術活動まで、官が主導しようとする姿勢に疑問を感じた。

一方、2〜3カ月前だったか、たまたま観ていたTRTトルコ国営放送(だったと思う)の番組では、スカーフをしっかり被ったイスラム的な女性の識者が、公営劇団の公演について、以下のような見解を述べていた。

民営の劇団なら、自分たちの思想信条に基づいて、如何なる芝居でも自由に公演できるが、公営劇団の公演は、一般的な公序良俗に基づかなければならない、というのである。

公営劇団の団員は、現在も、モダンで西欧志向の強い政教分離主義者が殆どではないかと思うけれど、彼らに、伝統的なイスラム思想に基づく芝居でも公演してもらいたいのだろうか?

おそらく、観客の顔ぶれが多少変わって、空席がもっと目立つようになるだけだろう。イスラム的な放送局がなかなか視聴率を伸ばせない現状をみれば、心配しなくても、そんなところであるような気がする。


*写真:屋久島・千尋の滝

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5月11日 (木)  トルコ人のイスラム教徒としてのアイデンティティー

クリスチャンのアルメニア人であるエティエン・マフチュプヤン氏は、「マイノリティの最も真実的な試験」と題したコラム記事(2014年8月24日付けアクシャム紙)で、自身のようなトルコのマイノリティ(ユダヤ人・キリスト教徒など非イスラム教徒のトルコ国民)が、マジョリティのイスラム教徒を見下すことによって自尊心を保ってきたと述べている。↓

マイノリティの最も真実的な試験 / 偽りても賢を学ばんを賢といふべし
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=30&y=2016&m=10

この言説には、多くのマイノリティとトルコ人の左派知識人が反発したという。「これによって扇動された無知な民衆がマイノリティに危害を加えるだろう」と思ったらしい。

ところで、トルコ人の左派知識人の場合、一応は、自分たちもイスラム教徒に違いないから、マイノリティとは、また異なる複雑な思いがあったような気もする。

左派の脱宗教的な政教分離主義者の中には、自身がイスラム教徒であることを否定して、無信仰や無神論を主張する人もいるが、キリスト教に改宗でもしない限り、西欧人の仲間入りは難しかったのではないだろうか? 西欧の人たちは、「不信心なイスラム教徒」ぐらいに受け止めていたようである。

トルコの社会で、マイノリティのように迫害されたりはしなかったものの、彼らが西欧から非常な圧迫を絶えず感じていて、その為に、信心深いイスラム教徒を見下すような態度を取っていたのだとしたら、一面、マイノリティよりももっと苦しい立場に置かれているかもしれない。

マフチュプヤン氏は、「抑圧され、強制移住され、殺され、財産を奪われ、徐々に少なくなり、無視された人々が、マジョリティに対して何を考えられるだろうか?」と言って、見下して来たイスラム教徒に理解を求めているけれど、一応イスラム教徒の彼らは何と弁明したら良いのだろう?

また、マイノリティにせよ、信心深いイスラム教徒にせよ、自分たちのアイデンティティーに悩んだりすることはなかったと思うが、「イスラムに改宗する前の中央アジアのエスニック的なトルコ民族」であるとか、共産主義といったイデオロギーにアイデンティティーを求めていた脱宗教的な政教分離主義者は、相当深い悩みを抱えているような気がしてならない。

ソビエトはとっくに崩壊してしまったし、「我々は皆、中央アジアから来たトルコ人である」という無理な論調も通り難くなって来たからだ。

彼らの中から、ルムやアルメニア人に対して、冷淡な態度を取る人が現れて来た背景には、こういった要因が潜んでいるかもしれない。

とはいえ、トルコの人らしい切り替えの早さを見せる人たちもいる。

以前、「私たちは中央アジアから来たトルコ人である」と主張し、無信仰の共産主義者を自称していた友人と、先月、イスタンブールを離れる前に会って話したら、「『トルコ人』というのは、エスニックルーツとは無関係なオスマン帝国のイスラム教徒のことだよ」とあっさり認めたので驚いた。

「ありがたいことに、ラズ人もチェルケス人もクルド人も、その殆どがスンニー派のイスラム教徒だから、我々は統一性を保つことができる」と言うのである。

もちろん、だからと言って、彼らが熱心なイスラム教徒になるわけじゃない。おそらく、酒は飲む、礼拝はしないという不信心なイスラム教徒のまま、それをアイデンティティーとして認めるだけだろう。(そもそも、礼拝の仕方など全く解っていない不信心者も少なくない)

「学問のすすめ」の第15編に、「なお甚だしきは未だ新の信ずべきものを探り得ずして早く既に旧物を放却し、一身あたかも空虚なるが如くにして安心立命の地位を失い・・・」という一節があるけれど、これは日本とトルコの歴史に共通する悩ましい問題だったのではないかと思う。

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5月12日 (金)  エルドアン大統領はリベラル?

3月から4月にかけて、イスタンブールの街角で、何度か偶然に、暫く会っていなかった友人や知り合いと出会った。

イスタンブールを飛び立つ直前の20日、7〜8年も音沙汰がなかった友人とばったり顔を合わせた時は、『イスタンブールも見納めだから、最後に神様が会わせてくれたんじゃないか?』と、却って不吉なものを感じてしまったくらいである。

3月の5日に、カドゥキョイを歩いていて、6年前、ハタイ県のアンタキヤで知り合った青年から「マコト!」と呼び止められたのにも驚いた。

この青年とは、その後イスタンブールで、一度連絡を取り合って会ったものの、それは4〜5年前のことである。呼び止められ、暫く話しても、何処で会った人なのか思い出せずに焦った。

高校で、化学だか物理だかを教えているそうだが、それを聞いてようやく思い出した。両親はディヤルバクル県出身のクルド人らしいけれど、本人はこれといった民族意識もない政教分離主義者で、支持政党がCHPなのは、尋ねるまでもなく明らかだった。

3月5日の当時は、約1か月後に迫った国民投票が至る所で話題になっていたから、10分ほど立ち話しながら、国民投票の話題にも触れてみたところ、彼は、「もちろん反対票を投じる」と断言した後で、エルドアン大統領について、ちょっと興味深い見解を示した。

「私もエルドアンは大嫌いだが、それほど悪い政治家だとは思っていない。政治姿勢を強いて分類するなら、あれはリベラルですよ」と言ったのである。

既に、エルドアンをイスラム主義者と見做す人は大分少なくなったが、支持派以外から、「リベラル」という評価を聞いたのは初めてだったような気がする。

政教分離主義者の多くも、「トルコが政教分離を逸脱することはない」と確信に至ったのではないか? 今後、新しいモスクの建設などに見られるイスラム的な傾向は増すかもしれないけれど、それが政教分離を脅かす恐れなど全くないだろう。

一方、クルド問題の解決には、まだまだ紆余曲折があるに違いない。

しかし、かなりのクルド人が期待を寄せているように、エルドアン大統領は、解決への意欲を失っていないはずだ。この問題に対する政治姿勢は、確かに「リベラル」と言って良いと思う。


*写真:昨年、屋久島へ引っ越しの荷物を運んでから、ちょうど1年になる。(2016年5月12日)

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5月17日 (水)  エルドアン・トランプ会談

昨日の「エルドアン・トランプ会談」について、インターネットでざっとトルコの報道を見たけれど、特に耳目を驚かすようなニュースはないようだった。

トルコとアメリカの関係に何らかの変化が現れるとしても、もう少し時間がかかるだろうし、その時に、コラム記事などで識者らの見解を読めば良いかもしれない。

今の段階では、シリアの問題やギュレン師の送還等々に関して、様々な憶測が飛び交うばかりで、まだ何もはっきりしていないのではないかと思う。


*写真:サバー紙より

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5月18日 (木)  ハングル

(5月17日)

先月、イスタンブールのアパートを引き払って来る際、辞書の類は全て処分してしまった。トルコ語も日本語も辞書はネットで引くようになり、紙の辞書は殆ど使っていなかったのである。

しかし、ハングルだけは、紙の辞書で調べることもあった。ハングルのキー位置が未だに覚えられず、机の前に貼り付けてある「キー位置表」を見ながら打つのが億劫だったからだ。

それで、最後に部屋を掃除して、「キー位置表」を壁から剥がすと、これもスーツケースの中に収めて持って帰って来たけれど、本当はキー位置を早く覚えてしまうべきに違いない。

ハングルは基本の字数が少ないうえ、キーが合理的に配置されていて、非常に覚えやすい。

子音は左側、母音は右側という配置になっているから、常に、左手で子音、右手で母音を打てば良く、韓国の人たちは、凄まじい早さでキーを叩いている。

まるで、600年前にパソコンの出現を予測して、世宗大王がハングルを考案したかのようだ。ひょっとすると、既にそういう都市伝説が作られているかもしれない。

ところで、帰国して、韓国は距離的にも一層近くなったものの、旅行に行ける経済的な余裕なんて、いつになったら出来るのだろう? 仕事で行ければ素晴らしいが、もちろん、そんな巧い話があるわけない。

韓国へ行けるのなら、戦争のリスクなど、考えても仕方がない。韓国の人たちは、今日も普通に生活している。交通事故のリスクと比べても、規模が違うだけで、一人一人が直面してしまう確率は少ないくらいじゃないかと思う。

韓国と言えば、2014年に亡くなった岡崎久彦氏の名著「隣の国で考えたこと」を、先週、読み返してみた。最初に読んでから、既に30年が過ぎ、様々な状況の変化があるとはいえ、今でも、岡崎氏が心配した「日本人の韓国に対する無知」は余り変わっていないような気もする。


隣の国で考えたこと (中公文庫)
https://bookmeter.com/books/609840

2013年5月16日(木)ハングルのキー位置
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2013&m=5

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