Diary 2017. 4
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4月1日 (土)  寒くても季節になれば花は咲く

イスタンブールは、昨日、一昨日、ちょっと暖かくなって、春の訪れが感じられたのに、今日はまた冬が戻って来たかのようだ。

風邪をひいてる所為かもしれないが、エイプリルフールの冗談じゃないかと思えるくらい寒い。実際、昼の2時現在で、気温は10〜12℃までしか上がっていないだろう。

2015年の4月もやたらに寒くて、チューリップがなかなか満開にならなかったような記憶があるけれど、今日、“サファ・テペス(喜びの丘)”では、寒空の中、紅白のチューリップが咲き乱れていた。

季節になって、気温が一定のレベルに達すれば、花は咲くものらしい。しかし、季節が過ぎれば、いくら陽気が良くても散り果ててしまう。

なんだか、人生も同じであるような気がする。


*自己紹介欄のメールアドレスは既に使えなくなっているので、私(新実誠)へのお問い合わせは下記のアドレスにお願いします。↓

makoton1@hotmail.co.jp

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4月2日 (日)  トルコのイケメン塩ふりシェフ

最近、日本で「トルコのイケメン塩ふりシェフ」というのが話題になっているらしい。料理に塩を振るシェフの姿が格好良いそうだけれど、あのシェフ、そんなにイケメンだろうか?

トルコに、ああいう風貌の気障な男なら、それこそ掃いて捨てるほどいるような気がする。

とはいえ、久しぶりに暗くない話題でトルコが取り上げられて嬉しい。あれをイケメンだと思う日本の女性たちが、大挙してトルコに押し寄せてくれたら、もっと嬉しい。

嘘でも誇張でもなく、トルコへ来てもらえれば、本当に、あの程度の“イケメン”なら、そこらじゅうで見つけることが出来るはずだ。

しかし、残念ながら、トルコには、そういうイケメンに言い寄る“美女”も掃いて捨てるほどいる。こちらは、いつも注意深く観察しているから、確信をもって断言できる。

イスタンブールで地下鉄に乗れば、1車両に1人ぐらいは、ずっと眺めていたくなるような“美女”がいる。日本では全車両隈なく探しても難しいと思う。

だから、私ら日本人が、トルコで、イケメンや美女に言い寄っても巧く行くことは、なかなかないかもしれない。

トルコの男たちに訊いても、大概、「いやあ、女性はトルコの方が、断然きれいですよ」と言う。逆も、おそらく同様だろう。

10年くらい前だったか、「日本の女性は美しい」と頻りに称賛する友人がいて、何処でその美しい日本人女性を見たのか訊いたら、財布の中から、日本の女優や歌手のブロマイド写真を取り出して見せたので、呆れてしまった。

おまけに、「トルコ人の女がどんなに不細工か証明する」と言い、今度は、自分の妹や親戚の写真を取り出して見せながら、「可哀そうな俺の妹、こんなブスで嫁に行けるのか心配だ」などと嘆くのである。

確かに、妹さんは余り美人じゃなかったけれど、そもそも、比較する対象が間違っているからお話にならない。でも、イスタンブールの街角には、日本の女優さんと比較しても、全く遜色のない美女がごろごろしている。

しかし、もしもお付き合いできるのだったら、私はやはり東洋人の女性の方が良い。西洋的な面影は、なんだか非現実的に思えてしまう。

一方、トルコでは、西洋人の容貌が当たり前だから、却って東洋的な面影にエキゾチックな魅力を見出す人たちが結構いるのかもしれない。

友人家族の長男坊エルシンの高校の同級生にオヌルという青年がいて、彼は「塩ふりシェフ」などよりよっぽどイケメンじゃないかと思えるが、初婚の相手も、今度再婚した相手も、いずれも少し東洋的な美貌のトルコ人女性である。

そもそも、13〜4年前に知り合った頃、オヌルは日本人の恋人を連れて歩いていたが、今から思えば、彼女はその後の結婚相手らに、とても良く似ていた。どうやら、彼は、そういう“東洋的な美貌”に非常な拘りをもっているようだ。

日本人の彼女は、広い額と切れ長の目で、まさしく私好みの美人だった。

おそらく、私の顔には、『おっ、好い女だな』という表情が浮かんでいたのだろう。彼女が席を外してから、オヌルは険しい目つきで私を睨むと、「おいジャポン(日本人)、ちょっとこっちへ来い。お前に話がある」と凄んだ。

私が、これにどう対応したら良いものかと迷っていたら、エルシンが素早くオヌルを引き寄せ、何事か耳元に囁いた。多分、『この人、俺たちより23も年上だぜ』とか言ったに違いない。

オヌルは、えらく恐縮した様子で居住まいを正すと、丁重に非礼を詫びた。当時、私が43歳で、彼らは20歳だった。トルコには、こういう年長者への敬意といったものが、まだ失われずに残っている。

困ったことに、それから何年経っても、オヌルは、私と会う度に、なんだか丁重過ぎる挨拶を繰り返すのである。もういい加減にしてもらいたいけれど、トルコの社会では特に不自然な丁重さではないのかもしれない。


*写真:ボスポラス海峡(3月30日)

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4月3日 (月)  ボアズィチ大学

昨日のボスポラス海峡の写真は、3月30日に、ボアズィチ(ボスポラス)大学のキャンパスから撮った。

ボアズィチ大学のキャンパスに入ったのは、10年ぶりぐらいだったかもしれない。

しかし、今回は、大学に何か用があったわけじゃなくて、近くへ行ったついでに立ち寄ってみただけである。

この日は、気温も18℃ぐらいまで上がり、春らしい陽気になって、学生さんたちが芝生で寝転んだりしていた。

ボアズィチ大学は、自由な校風で知られ、学生寮でも男女の往来が許されていると聞いたことがある。今はどうなっているだろう?

左の写真に、スカーフを被った女学生の姿が見られるけれど、スカーフの解禁も、他の大学より早かったのではないかと思う。

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4月5日 (水)  トゥズラ

昨日、イスタンブールの東端に位置するトゥズラまで出かけて、2005年、マルマライの工事現場で知り合ったフィクリさんと会って来た。

実に12年ぶりの再会だったが、もともと年の割に老けて見えた所為か、それほど変わったようにも思えなかった。今年で46歳になると言うから、現場で知り合った頃は、まだ34歳だったのである。

トゥズラは、現在、造船の街として知られているけれど、フィクリさんはこの近くの船会社で働いているという。

マルマライの工事現場には、船関係の仕事をしていた人たちが、たくさん働きに来ていた。なかなか建設業の職工が集まらず、現場の台船を管理している会社を通じて募集をかけたためらしい。

彼らは、船の操舵に長けていたり、ロープの扱い方がやたらに巧かったりしたものの、肝心の建設機械の使い方が解らなかったりして、当初は大分苦労したようだ。フィクリさんも、そういった連中の一人だった。

昨日、あらためて訊いたら、彼は黒海地方オルドゥ県のユンエの出身だそうである。ユンエへは、友人のネヴザットさんを訪ねて、何度も出かけたことがある。

オルドゥ県は船乗りが多いことでも知られているが、この25年ぐらいは、日本への渡航者が増えて、それで話題になっていた。私とネヴザットさんも、98年に名古屋で知り合った。

そして、フィクリさんの弟は、今、日本で働いているという。先日、フェイスブックでこの話を知り、会って詳細を聞いてみようと思い立ったのである。

弟さんは、日本の“ニョウコ”という所の解体屋にいるそうだが、おそらく“妙高”の間違いであるような気がする。

新潟県の妙高市であれば、37年前、19歳の時に、8カ月ほど働いていたことがあって、非常に懐かしい。

ちょっと難しいだろうけれど、妙高まで訪ねて行くことが出来れば、なかなか楽しい話になるのではないかと思う。↓

2014年10月9日(木)35年前の日本の信仰旅行〜観光ホテルの思い出
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2014&m=10


2014年6月24日(火)ユンエの結婚式
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2014&m=6

2015年7月23日(木)サムスン〜ユンエ
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2015&m=7

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4月8日 (土)  「イエス」か「ノー」か?

憲法改正の国民投票も、8日後に迫って、各地でキャンペーン合戦が繰り広げられているようだ。

トルコ語で「イエス」は「エヴェット」、「ノー」は「ハユル」であり、双方が「エヴェット」と「ハユル」の旗印を掲げて競い合っている。

チェキメキョイの広場では、「ハユル(ノー)!」と訴える第一野党CHPのテントの隣で、与党AKPが「エヴェット(イエス)・カフェ」などという看板を掲げて、支持者らに無料でチャイを振舞っていた。

カドゥキョイの広場にも、各政党のテントが設置されていたけれど、なんだか「ハユル(ノー)」を呼びかけるクルド系政党HDPのテントが一番目立っていた。

テントには、テロ組織PKKを擁護した罪により、現在収監中のデミルタシュ党首らの写真も掲げられている。

HDPの運動は、改正反対派の足並みを乱し、かえって「エヴェット(イエス)」を有利にしているのではないか、という声も聞かれる。果たして投票の結果はどうなるだろう?

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4月11日 (火)  イエニドアンのタクシー乗り場

先週の木曜(4月6日)、コマーシャル撮影のエキストラに駆り出されたけれど、撮影地はコジャエリ県であり、「早朝の4時半にペンディクで集合」というお達しだった。

その時間にバスはまだ動いていないので、当然、送迎に来てもらえるだろうと思ったら、「ペンディクまでタクシーで来てくれ」という。

イエニドアンは、イスタンブールの外れの街で、そんな朝早くからタクシーなど見つからないのではないかと不安だったが、インターネットで調べて、近くのタクシー乗り場に電話したところ、「現在は、24時間態勢で稼働しているから、何の心配もありません」と言われて少し安心した。

実際、翌日の早朝3時半に電話すると、直ぐに家の前までタクシーが来てくれた。運転手さんの話では、昨年から24時間態勢になっていたらしい。

「以前は、前日から予約しても早朝は難しかったようだが・・」と訊いたら、「なにしろ、タクシー乗り場が出来たのも4年前のことで、当時は3台しか稼働していませんでした。今は25台になっています」と説明してくれた。

しかし、昨日、夕方の7時過ぎに、タクシー乗り場の前を通ったら、待機している車は1台もなかった。この時間帯になると、25台の全てがフル稼働しているのだろう。

イエニドアンでは、この3年ぐらいの間にマンションが次々に建ち、人口も急速に増えたのではないかと思う。


*写真:左−早朝4時のペンディク(4月6日)。中・右−イエニドアンのタクシー乗り場(4月10日)

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4月13日 (木)  ルレブルガス〜ハヴサ

昨日、今日と一泊二日の小旅行で、トラキア地方のルレブルガスとハヴサに、友人のムスタファとムジャイを訪ねて来た。

考えて見たら、ルレブルガス〜ハヴサを訪れたのは、2011年の8月に、母と旅行して以来、実に5年半ぶりだった。

2013年9月、ムスタファが、イスタンブール大学に合格した次女の寮を探しに、イスタンブールへ出て来た日の出来事も、つい先日のように覚えているけれど、その次女が7月には大学を卒業すると言うのだから、月日が経つのは早いものである。

特に、2013年の6月以降、トルコでは余りにも劇的な事件が相次いだため、一層早く感じられたのかもしれない。

今回、ハヴサへは、ルレブルガスからムスタファも同行した。近くに住んでいながら疎遠になっていたムスタファとムジャイは、なんと20年以上会っていなかったらしい。

ムスタファは、「俺、髪の毛がすっかり無くなって、大分変ったから、ムジャイは誰が来たのか解らないんじゃないか?」と心配していたが、そうでもなかったようである。

一方、ムジャイは、かなり太ったものの、雰囲気は殆ど変わっていないため、26年前のアルサンジャク学生寮の友人たちも、会えば直ぐ解るんじゃないかと思う。

しかし、そういう話になったら、彼らに、「一番変わっていないのは、マコト、お前だよ」と言われてしまった。


2013年9月12日(木)ムスタファの次女の寮探し
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2013&m=9

2010年7月1日(木)旧友ムジャイ
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2010&m=7

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4月14日 (金)  ルレブルガスのイシュケンベ・スープ(胃袋のスープ)

ルレブルガスでは、イシュケンベ・スープを御馳走になった。有名なソコルル・メフメット・パシャ・ジャーミー(モスク)の周辺には、昔ながらのイシュケンベ・スープ屋が軒を連ねている。

この辺りのイシュケンベ・スープは、ヨーグルトや卵等を加えて、とろみを出しているそうで、クリーミーで穏やかな味わいがある。

同席しているのは、たまたま通りかかったムスタファの友人たちで、食事中、日曜日に迫った国民投票も話題になっていたが、ムスタファは「無関心」と言って、自分の意見を明らかにしなかった。

友人たちが去ってから、ムスタファに真意を確かめると、「彼らに限らず、この地方には、ハユル(ノー)が圧倒的に多いから、言い争いにならないよう、意思表示を避けているんだ」と笑っていた。

実際のところは、強固な「エヴェット(イエス)派」であり、「心配しなくても、かなりの票差でエヴェット(イエス)が勝つだろう」と話していたけれど、確かに、瀬戸際になって、「エヴェット(イエス)派」は勢いを増してきたような気もする。

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4月15日 (土)  ルレブルガスのソコルル・メフメット・パシャ・ジャーミー(モスク)

ルレブルガスのソコルル・メフメット・パシャ・ジャーミー(モスク)は、イスタンブールのガラタとカドゥルガにある同名のジャーミー(モスク)と同じように、名建築家ミマル・スィナンにより、1570年頃に建立されたという。

トラキア地方で、エディルネを訪れるツーリストは多いものの、ハヴサやルレブルガスまで足を延ばす人たちは余りいないようだ。

ハヴサはもちろん、ルレブルガスにも、ツーリストを対象にした大きなホテルはなかったと思う。

この辺りには、ジャーミー(モスク)の他、歴史的な石造りの橋などが残っていて、見所も多いし、静かで落ち着いた街の雰囲気も楽しめる。

イスタンブールから一足飛びにエディルネまで行くのではなく、所々寄り道しながら、ゆっくりトラキア地方を旅してみるのはどうだろうか?

1992年、初めてルレブルガスを訪れた頃は、写真(右)のドームの上に、大きなコウノトリの巣があって、なかなか風情が感じられたけれど、いつだったか強風で飛ばされてしまったそうだ。

12日、ルレブルガスは5年半ぶりだったので、『コウノトリがまた巣を作っていないだろうか?』という期待もあったが、残念ながら御覧の通りである。

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4月16日 (日)  昨日のスルタンアフメット

昨日、スルタンアフメットの辺りを歩いてみたら、人出も多く結構賑わっていた。

ようやく春らしい陽気になったので、散策を楽しむ地元の人たちや国内旅行者がかなりいたのかもしれないけれど、賑わっている様子を見てひとまず安心した。

友人らが経営するホテルも、それほど悪い状態ではないらしい。価格を下げることによって、北アフリカや東欧・ロシアから来た宿泊客を何とか確保しているそうだ。

今日はイースターで、かつては長期休暇を利用した西欧の人たちが、イスタンブールへ押し寄せて来るかのようだった。それを考えると、ちょっと寂しい。

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