Diary 2017. 2
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2月1日 (水)  建設工事

まだ朝の8時10分というのに、裏手から「ゴーッ」と重機が動くような音が響いて来たので、様子を見に外へ出たら、おりしもユンボが地面を掘削しながら、土をダンプに積み込んでいる真っ最中だった。

良く見ると、既に区画を示す白線が引かれていて、裏の空き地の全域を覆う大きなビルが建設されるようである。

どうやら、イエニドアンの建設ラッシュは留まることなく、これからも続くらしい。おそらく空いている土地が無くなるまで、終わらないのではないか?

ここに4〜5階建てのビルが出来てしまうと、うちの陽当たりも大分悪くなりそうだが、これまで、なかなか田園的な雰囲気の中で過ごさせてもらったことを有難いと思えば良いのかもしれない。

ずっと都会暮らしで、窓を開けると緑地が見えるなんて言うのは、ここが初めてだったような気がする。

89〜91年にかけて住んでいた東京の東池袋の四畳半では、一つしかない窓を開けると、1mぐらいの距離に隣家の窓が迫っていた。その窓には、クーラーの室外機が取り付けられていて、夏はそこから熱風が吹き込み、扇風機もない四畳半は凄まじい暑さになった。

今、あの環境で生活することが可能だろうか? なんだか、私も随分贅沢になってしまった。


*自己紹介欄のメールアドレスは既に使えなくなっているので、私(新実誠)へのお問い合わせは下記のアドレスにお願いします。↓

makoton1@hotmail.co.jp

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2月2日 (木)  建設現場

裏手の建設工事、結構、急ピッチで進んでいる。地面の掘削は、今日中に終わらせてしまうつもりなのか、もう辺りは暗くなったのに、ユンボの照明だけを頼りに未だ頑張っている。

私は若い頃、日本で産廃のダンプもやっていたから、なんとなく日本の現場の様子だけは、今でも覚えているが、これぐらい掘ったら、土が崩れて来ないように、必ず土留めの工程を行っていたのではないかと思う。

産廃屋の思い出
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2008&m=7

それが、この現場では、土留めなんてやる気配もなく、どんどん掘り進めている。というより、イエニドアンの辺りの現場で、土留めをやっている所など、見たことがないような気もする。大概、基礎工事が終わるまで、掘りっぱなしの状態じゃないだろうか?

まあ、地崩れなど、そう簡単には起きないはずだが、1月中みたいに大量な雨雪が降り続いたら、どうなるか解らない。

しかし、2月に入って急に気温も上がり、昨日今日と好天が続いた。天気予報は、7日まで晴れマークが並んでいる。ひょっとすると、1月中は、悪天候のため、工事を見合わせていたのかもしれない。


2015年3月1日(日)クルド和平/イエニドアンの建設ラッシュ
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2015&m=3

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2月4日 (土)  貴方はそれを自分の目で確認したのか?

トルコ語では、伝聞・推量を明らかにしたい場合、「ミシ(母音調和により“ムシュ”等に変化)」という語尾を使ったりする。

例えば、「ゲル(来る)」の過去形は、「ゲルディ(来た)」で良いが、これが「来たそうだ・来たらしい」といった伝聞・推量の過去になると、「ゲルミシ」という形に変わる。

ジャーナリストのような人たちは、これをかなり明確に使い分けていて、「ゲルディ(来た)」と表現した後で、「ごめん、まだ来たことが確認されていないから、『ゲルミシ(来たそうだ)』に訂正したい」なんて言ったりする。

これを「ゲルディ(来た)」と言い切りながら論じると、「貴方はそれを自分の目で確認したのか?」と突っ込まれてしまうようである。

そのためか、私も、日本のメディアで、トルコに関する否定的な論説が、「〜だそうである」とか「〜らしい」ではなく、断定的に語られたり、記されていたりすると、『おいおい、貴方はそれを見て来たのかよ?』などと文句を言いたくなる。

しかし、日本語の文章では、「〜だそうである」「〜らしい」「〜と言われている」等々を続けていると、なんだか格好がつかなくなってしまうような気もする。

こうしてみると、トルコ語は、とても表現力が豊かで、尚且つ、なかなか合理的な言語じゃないかと思う。


2014年10月16日(木)報道の事実性/17日(金)時間に厳しい男
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2014&m=10


*写真:エジプシャンバザール(2月3日)

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2月5日 (日)  トルコ語の表現力

何処で読んだのか忘れたけれど、ハンガリーのマジャール人は、「回転ドアに後から入って、先に出て来るような人たち」などと言われているらしい。

どうやら、機敏で抜け目がないと思われているようだが、ハンガリーを訪れたこともなければ、マジャール人の知り合いもいないので、何故、そこまで言われてしまうのか、私には良く解らない。

しかし、騎馬民族への関心から、トルコに嵌ったくらいで、マジャール人やマジャール語についても色々調べてみたことはあった。マジャール語は、ウラル・アルタイ語系に数えられ、日本語と似ている所もあるが、なかなか複雑で変わった特徴が少なくないという。

例えば、日本語と同様、「〜を」「〜に」「〜へ」といった助詞(接尾辞)が語尾について“格”を表しているものの、その格の種類が非常に多く、様々な情報を短い語尾の中に盛り込めるそうである。

そういう情報密度の濃い言語を使っている人たちは、やはり情報処理能力も高く、機敏で抜け目がなくなるかもしれない。

残念ながら、マジャール語の具体的な例文は覚えていないが、トルコ語も多様な接尾辞を持つ、なかなか情報密度の濃い言語じゃないかと思う。以下に、そのトルコ語の例を一つ示すことにする。

Turklestiremediklerimizdensiniz(テュルクレシティレメディックレリミズデンスィニズ)

多くの接尾辞を伴ったこの一言で、「貴方(たち)は、私たちが、トルコ人化させることが出来なかった人たちの中の1人(あるいは複数)です」という意味になる。

トルコの人たちに関して、「機敏で抜け目がない」という俗説は余り聞かないけれど、やはり平均的に情報処理能力の高い人が多いような気もする。

また、上記の例文にも使役の接尾辞が使われているように、使役や受け身の形が自由自在に使えることで、色々な言い回しが可能になっている。

「働かされる」と一言で表現できるし、受け身によって主語を明らかにしない曖昧な表現もお手の物である。

そのためか、はっきり「ノー」と言わずに、相手を気遣って、曖昧な表現で伝えようとするなど、なんだか発想のしかたが日本人に似ているのではないかと思わせたりする。

一方、韓国語は、文法が最も日本語に近い言語ではあるものの、受動態にならない動詞もあったりして、受け身の表現は非常に少ない。韓国の人たちは、はっきり「ノー」と言うことが多くて、日本人との違いを感じさせるけれど、これも言語の性質に由来しているのかもしれない。


*写真:シルケジの辺り(2月3日)

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2月7日 (火)  トルコ語・日本語・韓国語

オスマン帝国の公用語は、アラビア文字によって記され、アラビア語やペルシャ語の影響を強く受けていたため、「オスマン語」と呼ばれたりしているものの、言語の系統から見た場合、トルコ語に数えられるのは明らかであるという。

日本語に例えれば、やたらと漢文調に装った言葉使いが多かったようなものかもしれない。

だから、600年に及ぶオスマン帝国の歴史を通して、トルコ語も洗練され進化を遂げてきたのではないかと思う。しかし、アラビア語やペルシャ語の影響は、現在のトルコ語にも残っている。

トルコ語の文法で打ち消しは、日本語と同じように、動詞や体言の後に来るけれど、「メルト(男らしい)〜ナ・メルト(男らしくない)」というように、ペルシャ語系の単語では、ペルシャ語の否定詞「ナ」を前に付けたりする。

とはいえ、これは日本語の漢語系の単語における「非常識」といった否定形と同じだろう。日本語では、「不確かな」というように、純然たる和語の前に漢語の否定詞を付けて打ち消す例も見られる。

日本でも、江戸時代には、公式文書を漢文で記していたそうだ。それは、かなり日本語化した漢文らしいが、英語に訳せば“クラシカル・チャイニーズ”であり、「当時の日本人は公式文書を中国語で書いていた」と言われても仕方ないような気がする。

しかし、日本語の文学は、平安時代の昔から、発展し続けて来た。漢文で記されていたのは、ごく限られた文書に過ぎなかったはずである。日本語が進化を遂げて来た歴史は、トルコ語のそれよりも遥かに長かったと思う。

李朝時代の朝鮮は、この辺りが少し違っていたかもしれない。知識人は、私信に至るまでを漢文によって記し、その漢文は正確で中国と変わらないレベルだったと言われている。返り点を使った訓読などもなく、漢文をそのまま読みこなしていたそうだ。

そのため、今でも、「百聞は一見に如かず」といった漢文由来の諺を、「百聞不如一見」の韓国式発音により、「ペンムン・プリョ・イルギョン」と読み、ハングルで書き表しているけれど、これは「百聞不如一見」を平仮名で「ひゃくぶんふじょいっけん」と書くようなもので、丸覚えしていなければ、何のことやら解らないだろう。

「少年老い易く学成り難し」のような漢詩の一節も、「少年易老学難成(ソニョンイロハンナンソン)」と読んで、それをハングル表記している。

韓国には、和歌や俳句に相当するものも余り残っておらず、朝鮮の時代は、詩文学も漢詩が隆盛を極めていたらしい。

ところが、中国の人たちは、日本の漢詩を「変わった味がある」といって評価するのに、文法的なレベルの高い朝鮮の漢詩には、それほど興味を示さないというから、なんだか気の毒に思えてしまう。


*写真:シルケジの辺り(2月3日)

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2月8日 (水)  イズミルから訪ねて来た友人

いつ頃だったか、突然、イスタンブールからいなくなってしまった韓国人の友人、昨年、ようやく連絡して来た、イズミルにいると言う。

それから、フェイスブックで繋がるようになったが、私には経済的な余裕もなくて、とてもイズミルまでは行けない。彼もイスタンブールに来ることは殆どないようだった。

それが、日曜日に、「明日、イスタンブールに行くから、昼、タクシム辺りで会いましょう」と連絡してきた。私も月曜日は、カドゥキョイへ出る用事があり、「カドゥキョイまで来てもらえれば・・・」と返答した。風邪がしんどくて、とてもタクシムまで行く気はしなかったのである。

そしたら、月曜日、タクシムから地下鉄と海峡横断のマルマライ線を乗り継いで、カドゥキョイのアイルルックチェシメスィ駅まで来てもらう道筋を説明するのが大変だった。

彼はマルマライ線の開通を全く知らずに、「アジア側には船で渡る」という固定観念がこびりついていたのか、「地下鉄を乗り継ぐだけでアジア側へ渡れる」ということがなかなか理解できなかったようだ。

アイルルックチェシメスィ駅前のショッピングモールで落ち合ってから、「海底トンネルが出来たんですねえ」と驚いたように話していた。

マルマライが開通したのは、2013年の10月だから、既に4年近くになる。『彼がいなくなって、もうそんなになるのか、月日が経つのは早いなあ・・』と私も何だか感慨深かった。

しかし、イズミルにいても、「イスタンブールで海峡横断地下鉄が開通!」といったニュースは、当然、耳にするんじゃないかと思うけれど、彼は世間の動きにそれほど関心がないらしい。

ひょっとしたら、テロとかクーデターなんてニュースも余り解っていない可能性がある。月曜日も、そういう話題は全く出て来なかった。

まあ、職業は「宣教師」だから、多少浮世離れしていても構わないのかもしれない。


*写真:
アイルルックチェシメスィ駅前のショッピングモールで・・(2月6日)。
ハート型の装飾は、2月14日のためじゃないかと思われる。トルコでは「恋人たちの日」などと呼ばれている。

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2月10日 (金)  国家の正統性/クルド人のアイデンティティー

2013年3月2日、サバー紙のコラムで、エンギン・アルドゥッチ氏は、当時の憲法改正議論に関して、以下のように述べていた。

「現存する国家を過去のものにして、新たに全く異なる国家を築くのであれば、それは法改正とか国民投票などで出来るものじゃない。“我々に塗炭の苦しみを与える大騒乱”が必要になる。何故なら、この変遷を自分の意志だけで認めさせられる力など何処にも存在しないからだ。それは絶対的な皇帝の意志によっても成し遂げられない。・・・」

そして、オスマン帝国が国家としての機能を果たせなくなって大騒乱に陥ったため、アンカラに新しい国家は樹立されたものの、この国家が救国戦争で勝利する保証など何処にもなかったと言うのである。↓

02-03-2013-Sabah
http://www.sabah.com.tr/yazarlar/ardic/2013/03/02/turkiyeliler-cumhuriyeti

2013年3月当時の改正議論では、エルドアン首相自ら、地方自治の拡大を念頭に置いた州制度に言及したりして、かなり大胆な主張が飛び交っていた。憲法に「クルド」といった文言を織り込むとか、「トルコ」という国称の変更まで提議する声も出ていた。 

当時は、私も、クルド問題の解決に向けて夢のような展開を期待していたが、アルドゥッチ氏の発言は、そういった幻想を戒めるためだったに違いない。

しかし、今日、国民投票が決定された改正案は、それほどエキサイティングな内容でもなく、クルド民族のアイデンティティーなど、そもそも議論の対象にすらなっていなかった。

一方、クルドの人たちの多くも、中東で燃え上がる炎に慄き、PKKの蛮行に怒り、HDPには愛想をつかしてしまった所為か、今のところ、民族的な主張は控えているように見える。

とはいえ、アイデンティティーに纏わる彼らの不満が解消されたわけではない、エルドアン大統領も充分その点を考慮しているだろう、とオラル・チャルシュラル氏は指摘していた。

そのため、国民投票を前にして、エルドアン大統領が何か思い切った発言を試みるのではないかという期待もあるようだけれど、さすがに現在の混乱が収まるまでは、ちょっと難しいかもしれない。

アルドゥッチ氏は、発言を通して、「トルコ共和国の正統性」を明らかにしていた。オスマン帝国の正統性を否定した共和国は、救国戦争に勝利して、ようやく新たな正統性を得たのである。

新しい正統性の象徴として、アンカラにはアタテュルク廟が建立されており、トルコを訪れる各国の首脳たちは、まずここへ来て表敬する慣例になっているらしい。

「この正統性を否定しようとするなら、流血の革命といった大騒乱を覚悟しなければならない」というのが発言の要旨だったと思う。

この先、クルド人のアイデンティティー等に関して何らかの展開があるとしても、おそらく、それは共和国の正統性を揺るがさない範囲で進められるのではないだろうか。

ところで、私は、こうして「国家の正統性」云々について説かれても、長い間、なかなか理解できなかった。今でも、納得できたような気がしない。それは、日本の歴史に革命といった転機がなく、古来より同じ国が続いてきたからだと思っていた。

しかし、明治維新は、ひょっとしたら、トルコの共和国革命に相当する大転換だったかもしれない。

トルコは、新しい国家の象徴としてアタテュルクを仰ぎながらも、旧来の伝統であるイスラムの信仰を完全に捨て去りはしなかった。その後、紆余曲折を経て、イスラム的な伝統も再興させながら、この新旧は巧く習合して来たように見える。

日本の場合、新しい国家の象徴も、旧来の伝統を担って来たのも皇室だと見做されているためか、新旧の繋ぎ目が良く見えなくなっているものの、実際は、明治維新を境にして、伝統というか、「国家の正統性」に関わる部分も大きく変わってしまったらしい。

トルコの共和国革命と同様に、明治維新も不完全なものであり、矛盾している点は、探せばいくらでもあるに違いないが、現在の正統性を否定しようとしたら、やはり大騒乱を覚悟しなければならないのだろう。

かつての伝統と新しい伝統を照らし合わせて、旧に良い所があれば、可能な範囲内で復活させたりして、新旧を巧く習合させて行くよりないような気がする。



2月11日 (土)  戦争と宗教

南東部でPKKとの戦闘が激化して以来、この1年半ぐらいの間、戦死した兵士の葬儀の光景が、数えきれないほどニュース番組の画面に映し出されてきた。

葬儀は、通常、モスクの前庭でイマーム(導師)によって執り行われる。宗務庁のイマームと軍の高官が並んで祈りを捧げる姿も見られた。

私は、長い間、政教分離主義の守護者たる軍高官と宗務庁のイマームらが親しい間柄になれるとは思っていなかったけれど、これは誤解だったようである。

以下のアヴニ・オズギュレル氏の記事によれば、共和国の創設期、宗務庁と参謀本部は同じ日に同じ法令によって設立されたという。↓

【61】トルコにおけるムスリムによる政教分離の可能性【ラディカル紙】【2004.03.26】
http://neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00061.html

考えて見ると、トルコでは、宗務庁も政教分離の要として機能しているのかもしれない。宗務庁のイマームは、長い顎鬚を蓄えたりせず、法衣の下にはネクタイを着用している。

現在のメフメット・ギョルメズ長官を始め、要職に就くイマームは、アンカラ大学の神学部などを卒業したエリートばかりで、非常に開明的な人たちが多い。

末端には、まだ頑迷なイマームがいないわけでもないが、これも急速に減って行くのではないかと思う。

また、かつては、開明的なイマームの説教を聞いて、「あいつらはイスラムを薄めようとしているんだ」などと文句を言う信心深い人も少なからずいたけれど、AKPが政権に就いて以来、そういう声は余り聞かれなくなった。

政教分離を掲げながら、宗務庁がモスク等を管理しているのは、なんだか不都合に思われてしまうが、カリフも廃され、ローマ法王のような存在がいなくなったイスラム教の世界では、人々に開明的な解釈を示せる機関が必要であるという。

しかし、非常に政教分離主義的な組織とされる軍部の中には、昨今のイスラム的な伝統の再興を嫌っている人たちも少なくないそうだ。それどころか、以前はこういった軍人が主流派を成していたらしい。

現在は、政教分離主義のCHPではなく、アタテュルク主義とイスラムの習合的な雰囲気もあるトルコ民族主義のMHPに近い軍人たちが主流ではないかと言われたりしている。

これには、イスラム的な傾向のあるAKP政権の影響があるかもしれないけれど、トルコが戦時状態に置かれていることも無関係ではないように思われる。

15年ほど前、イスタンブールのカラキョイにあるロシア正教の教会で、「宗教を激しく弾圧したソビエトも“大祖国戦争”が始まると、スターリンは正教会から支援を求めた」という話を聞いた。

この話をトルコ人の友人に伝えたところ、彼は次のような感想を述べたのである。

「当たり前さ、バース党のサダムだって戦争が始まったら、アッラーに祈りだしたじゃないか。トルコは国民を総動員しなければならないような戦争を経験していないだけなんだ。そういう事態になったらスターリンやサダムと同じことをしなければならなくなると思うね」

そもそもトルコ軍の「鬨の声」は、オスマン帝国以来の「アッラー!アッラー!」であり、共和国革命によっても、これは変わらなかったという。人間は、何処へ行っても生死に関わる場面では、宗教的な何かに頼らざるを得なくなるらしい。

ところで、私たちは、これを全くの他人事と考えても良いのだろうか?

今後、日本が全面的な戦争に突入する事態はまず出現しないと願いたいが、現在のトルコのように局地的な戦闘に巻き込まれる可能性が全くないとは言い切れない。

そして、いざ戦闘になった場合、自衛隊の人たちは、戦前と同じように、「靖国神社」であるとか、「国体の護持」といったものに思いを致すよりないのではないか?

その精神的な支柱になるのは、やはり皇室であり、そこには宗教性も感じられないと困るような気がする。

これはとても非合理的な発想で嫌がる人も多いだろう。しかし、戦闘を極力回避する非戦主義を前提として、万が一のために、厳かな宗教性を維持するだけなら害はないと思うのだが・・・。


2016年2月26日(金)ディヤルバクル旧市街/28日(日)1997年2月28日の政変/トルコのイスラム
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=20&y=2016&m=2

*写真:アンカラのコジャテぺ・モスク(2015年7月)
前庭には、通常、葬儀の際に棺桶を乗せる石台が一つ設置されているが、このモスクでは軍の葬儀が執り行われるため、8〜9ぐらいの石台が並んでいる。

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2月12日 (日)  多くの国々が羨む日本の繁栄と平和

先日、トルコの時事討論番組で、「戦後の国際秩序が云々」といったテーマを論じていた識者が、「戦後、日本は、アメリカから技術力を与えられたお陰で・・・」などと話していた。

実際の歴史的な経過がどうなっていたのか、私には良く解らないものの、明治以来の科学技術の蓄積も戦後の復興・発展に寄与していたはずだから、それをまるでアメリカのお陰で発展したかのように言うのは如何なものかと思った。

明治の時代、アメリカを始めとする西欧各国から、多くの“お雇い外国人”が日本を訪れ、誠意をもって日本に科学技術を伝授したのは確かだが、それを効率良く吸収できた要因として、もともと備わっていた職人の技術や民衆の教育水準の高さを見逃してはならないだろう。

しかし、欧米を除いて、日本ほど発展を遂げた国は他にないため、周囲から多少やっかみの目で見られてしまうのは仕方ないと思う。

また、日本の発展が先人たちの弛まない努力によってもたらされたのは言うまでもないけれど、そこにかなり運の良さがあったのは間違いない。

19世紀の末、西欧列強に抵抗したアフマド・オラービーというエジプトの政治家は、明治維新で日本が近代化に成功したのは、スエズ運河をめぐって絶えず西欧列強の干渉にさらされていたエジプトと異なり、当時、生糸ぐらいしか生産していなかった日本が、西欧列強にとっては、それほど重要じゃなかったお陰であると考えていたらしい。

エジプトと中東の不運は、その後、石油の採掘とイスラエルの建国により、さらに深刻さを増して行く。これはトルコも同様である。

オスマン帝国の栄華に陰りが見え始めて以来、この地域は、それこそ不運と不幸の連続だった。非常に運が良かった日本の繁栄をやっかんでしまうのは当然であるかもしれない。

一方、日本の侵略を受けた中国、独立を奪われてしまった韓国の人々が、日本の繁栄をやっかむどころか、憎悪し恨んでいるとしても、これまた不思議ではないような気がする。

中国のGDPが日本を凌駕したと言っても、一般の民衆は未だ非常に貧しい。韓国もそれほど豊かにはなっていない。

特に韓国の場合、日本の敗戦で棚ぼた式に独立を回復してしまったため、未だに「国家の正統性」を確立できずに苦しんでいる。孫文の辛亥革命に正統性を求めることができる中華民国とは、この辺りが大きく異なっているだろう。

例えば、韓国が正統性を確立して、自尊心を取り戻す、最も手っ取り早い方法は、日本の独立を奪って意趣返しを果たすことではないのか?

そのため、日本が全く無防備な状態に陥れば、この機会を逃すことなく攻め込んで来る可能性は充分にあるはずだ。同様に、中国が攻め込んで来てもおかしくない。彼らには、意趣返しの正当な理由がある。

トランプ大統領は、「人殺しのプーチンと付き合っても良いのか?」と問われて、「アメリカも無垢ではない。多くの罪を犯してきた」と答えたそうだが、だからこそ、簡単に復讐されないよう、軍事力を強化しなければならないと主張するに違い。

幸運に恵まれ、多くの国々が羨む(あるいは憎む)繁栄と平和を謳歌している日本も、自分たちが犯してきた恐ろしい罪を忘れてはならないと思う。


2013年7月13日(土)韓国とトルコ−国家の正統性
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2013&m=7

2014年5月21日(水)戦後、日本は鈍感になったかもしれない
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2014&m=5


*写真:カドゥキョイのアルトゥヨル付近で翻っていたMHPの党旗(2月6日)

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2月13日 (月)  ツイッターでぶつくさ呟く

以前、殆ど使っていなかったツイッターにも、2週間ぐらい前から、色々な御託を書き込むようになった。

そのうち、効果のないことが解って飽きるんじゃないかと思うけれど、要するに、「メルハバ通信の読者が少しでも増えてくれたら・・・」という藁にも縋る思いで書き込んでいる。

この数年来、メルハバ通信へのアクセスは、爆破テロ等の事件が起きた後だけ増えているから、減少しているのは喜ばしい傾向かもしれないが、高々15〜20のアクセスでは余りにも寂しい。

それでも、中にはまだ熱心に読んで下さる方がいらっしゃるのか、有難いことに、「一冊の本として出版したらどうでしょう」といった励ましのメールが、年に2通ぐらいは届くので、こうしてなんとか続けることができた。

しかし、出版業界の事情は全く解らないものの、15〜20程度のアクセスしかないホームページに注目して扱ってくれる所もないような気がする。

また、一冊にまとめようとするなら、地べた目線を活かしたネタを集めに、何処か地方にでも出かけてみたいけれど、なにしろ少しでも切り詰めたいくらいなので、とてもそんな贅沢はしていられない。

愚にもつかない時事問題ネタの駄文なら、インターネットさえ繋がっていれば、各紙の記事に目を通したり、時事討論番組でも観たりすれば書ける。他に何の費用も掛からない。

ところで、私が紹介しているトルコの識者の見解などは、特に珍しい話でもなく、もちろんスクープとは言えないし、実のところ、ネタらしいネタでもない。

その多くは、如何にも“正論”といった極めて常識的な見解を述べる識者であり、言うなれば、読売テレビの「そこまで言って委員会」で下段の向かって左側に陣取っているような方々である。

とはいえ、従来の常識が通用しない革命的な転機でも訪れない限り、常識的な“正論”によって、充分、トルコの現状を学びながら、それを伝えることができると思う。

ところが、どういうわけか、こういったトルコの“正論”を、なかなか日本のメディアは取り上げてくれないようだ。

これは、例えば、韓国のメディアで、日本の保守派の“正論”が殆ど扱われていないのと同じような状況じゃないだろうか? 

韓国語を学んだトルコの人が、韓国のメディアから、日本の動静を把握しようとしたら、ちょっと恐ろしげな日本像が出来上がってしまいそうである。

韓国のメディアが反日的であるように、欧米のメディアも「反トルコ的」であるならば、やはり、日本で「反トルコ的」な論調が大多数を占めてしまうは致し方ないかもしれない。

私がここでぶつくさ言っても、どうにもならないだろう。


*写真:うちの裏手の工事現場、僅か12日間で、この状態まで出来上がった。(2月13日)

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