Diary 2016. 9
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9月1日 (木)  ローザンヌ条約の密約?

昨日(8月31日)、イスタンブールの新興ビジネス拠点になっているマスラックまで出かけて来た。といってもビジネスとは何の関係もなく、韓国料理屋を経営する友人と会って来ただけである。友人の経営する料理店“カヤ”は、以前、タクシムにもあったけれど、あちらは1〜2カ月前に閉店してしまった。

Kore Restaurant Gaya
https://www.facebook.com/GayaKoreRestoran/

2年ぐらいマスラックには来ていなかったが、また少し高層ビルが増えたように思う。一昨日、“戦勝記念日”を祝った為か、いくつかのビルに巨大なトルコ国旗が掲げられていた。

戦勝記念日は、1922年の8月30日、アナトリアへ侵略してきたギリシャ軍に対して、キュタヒヤ県のドゥムルプナルで壊滅的な打撃を与えた勝利を記念している。

さらに進撃を続けたトルコ軍は、9月8日にイズミルを奪回して、侵略勢力をアナトリアから駆逐する。翌1923年の7月24日には、ローザンヌ条約が締結され、現在の領土がほぼ確定した。

そのため、毎年、この時期になると、ローザンヌ条約の是非を巡って様々な議論が蒸し返される。

多大な犠牲を払って、栄光の戦勝を得たのに、ローザンヌ条約では、“ミサク・ミッリ(国民の誓い)”に基づく領土の全域を回復できなかったところが、一部の人たちにとっては納得し難いようだ。

ローザンヌ条約の密約に纏わる話も、こういった納得していない人たちが伝えて来たのかもしれない。

密約の部分には、トルコが領内の石油資源等を開発しないといった条項も含まれていて、ローザンヌ条約の有効期限が切れると同時に、トルコはこの密約から解放されるというのである。

しかし、いつだったか、テレビの討論番組で、ある識者は、「ローザンヌ条約に有効期限があるなんて何処にも書かれていない」と反論していた。密約の有無どころか、「ローザンヌ条約の有効期限が100年で切れる」という前提条件にも根拠は見当たらないらしい。

昨日のヒュリエト紙のコラムで、タハ・アクヨル氏も、この有効期限云々を強く否定していた。「ローザンヌ条約の密約」というのは、一種の都市伝説のようなものだったのだろうか?

7月4日 (月) 分割して支配
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2016&m=7


*自己紹介欄のメールアドレスは既に使えなくなっているので、私(新実誠)へのお問い合わせは下記のアドレスにお願いします。↓

makoton1@hotmail.co.jp

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9月2日 (金)  トルコと日本の保守と革新

昨年、トルコを訪れていた日本の方から、「保守とは何であるか解りますか?」と訊かれて、答えられずに、「何ですか?」と訊き返したら、次のように教えてくれた。

保守とは伝統を守ることだが、そのためには現状に合わせて、少しずつ部分的に伝統を変えて行かなければ、結局、維持できなくなってしまう。革新には守るべきものがないので、変わる必要がない。日本の革新は戦後一貫して同じ姿勢のままである。しかし、保守は常に新しくなっている・・・。

おおよそこういう論旨ではなかったかと思う。私は、これをトルコの保守と革新に置き換えて考えながら、『なるほどなあ』と納得してしまった。

保守的なAKP政権、そしてエルドアン大統領は、僅か3〜4年前と比べても同じではない。20年以上の長期間で見たら、それこそ信じられないくらい大きく変わった。

ところが、左派革新の中には、未だにアタテュルクの理想を繰り返し唱えている人たちがいる。アタテュルクが亡くなった1938年で時計の針は止まってしまったかのようだ。

一方で、保守と革新の違いを、政権党と野党の立場から説明することも可能だろう。

エルドアン大統領は、イスタンブールの市長に当選して以来、現実対応を迫られるようになる。AKPが政権に就いてからは、さらに変わらざるを得なくなった。

例えば、AKPと袂を分って、野党のまま残ったイスラム守旧派は余り変わっていない。万年野党の革新CHPも、現実に対応する必要がないため、同じ姿勢を貫くことができた。

非常に保守的なイスラム主義者のジャーナリストであるアブドゥルラフマン・ディリパク氏は、7年ほど前、ヘリン・アヴシャル氏(左派革新・女性)によるインタビューで、「AKP政権は、トルコを何処へ連れて行くのですか?」と問われて、こう答えている。

「AKP政権に限らず如何なる政権も、一つの社会を前進させることもなければ、後退させることもない。社会は、それに相応しい形で生きる」

革新の人たちが、その思想によって社会を導き、変えて行くことができると考えているのに対して、ディリパク氏は、それが容易ではないと言いたかったのかもしれない。

2014年10月25日 (土) アブドゥルラフマン・ディリパク氏
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=20&y=2014&m=10

保守を標榜しているエルドアン大統領は、「信仰に篤い新世代を育てたい」とか「女性は結婚して少なくとも3人は子供を産むように・・」とか、様々な主張を掲げているが、次男のビラル氏は、モンテッソーリ教育などという新しい教育システムにも取り組んでいて、13年以上の結婚生活で、子供は未だ2人しか授かっていないらしい。

次女のスメイエ氏は、三十路を越した今年になって漸く結婚している。どうやら、「高学歴の女性は晩婚になる」という通説は、概ね正しいようである。

このように、一個人の家庭でさえ、なかなか主義主張通りには行かないのだから、大きな社会を変えて行くのは、やはり難しいだろう。そうであれば、変わる社会の現実に、自分たちが対応して行かなければならない、ということではないのか?

だから、私は、日本でもトルコでも、大概、どちらかと言えば保守支持である。とにかく現実には対応してもらわないと困る。

ところが、日本では保守支持の人が、トルコへ来ると革新のアタテュルク主義者と意気投合したりしていたので、時々解らなくなっていた。

これには、アタテュルクが明治天皇になぞらえたりしていた影響もあっただろうか? しかし、アタテュルクと大久保利通を対比するなら解るが、明治天皇はちょっと違うはずだ。ひょっとすると、左派革新のアタテュルク主義者が思い描くアタテュルクは、森有礼などに近いかもしれない。

(君臨すれども統治せずの天皇と、オスマン帝国の皇帝では全く立場が異なるものの、明治天皇と対比できるのは、アブデュルメジト1世とも考えられるのでは・・?)

この「アタテュルク−明治天皇」のイメージのためか、かつて日本の革新の人たちとアタテュルク主義者の接点は、コミュニスト的なアタテュルク主義者でもない限り、「反米」といった要素に限られていたような気がする。

トルコでも、デミレル〜オザル〜エルドアンと、保守政権は親米と見做される場合が多かった。けれども、最近は、これが何だか変わって来ている。

そのためか、欧米から執拗に誹謗中傷されているエルドアンに対して、日本の報道で、少し好意的な記事を見て喜んでいると、要するに、とても反米的な論調だったりする。

世界の現実に対応していく上で、“反米”という選択肢はないだろう。エルドアン大統領も、アメリカに抗議しているだけで、決して反米主義者ではないと思う。


*写真:8月31日のマスラック

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9月3日 (土)  ギュレン教団の摘発

8月31日、辞任したエフカン・アラ氏に代わり、スレイマン・ソイル氏が内務相に就任した。一説によると、これは、“辞任”も含めて、エルドアン大統領の指示に基づく人事だったらしい。

内務省は、ギュレン教団の排除を進めるうえで、中心的な役割を担っているため、この人事にも様々な憶測が飛び交っている。

ある識者によれば、ギュレン教団の浸透に最もさらされているのが他ならぬ内務省であり、内務官僚出身のエフカン・アラ氏では、かつての同僚を摘発するに当たって、困難が生じる可能性もあった。

新任のスレイマン・ソイル氏は、民間企業の経営者から政界入りした人物であり、内務省との縁もなければ、AKPへの加入も2012年9月と遅く、いわば新参の外様であることから、AKP内部の摘発にも大なたを振るえるだろう、というのである。

ギュレン教団の摘発に関して、私の身近なところでは、黒海地方ユンエの友人ネヴザットさんの弟で、モスクのイマーム(導師)を務めていたオクタイさんが、捜査の対象にされて、一時的に職を解かれているそうだ。↓

2014年6月24日(火)ユンエの結婚式
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2014&m=6

その後の経過を一々訊くのも変だから、どうなったのか分らないけれど、捜査の対象にされた時点で、「免職は避けられそうもない」というのがネヴザットさんの推測だった。

2年前、長女の結婚式にユンエを訪れた際も、オクタイさんは、フェトフッラー・ギュレン師の信奉者であるために、親族中でごうごうたる非難を浴びていたくらいだから、ネヴザットさんは、「まあ、しょうがないだろう。ギュレン教団は徹底的に取り締まらなければならない」と冷静に話していた。

オクタイさんは、おそらく末端のメンバーに過ぎず、大して重要な役割も任されていなかったに違いない。多分、免職で済むのではないかと思う。また、彼らのところは、絆が強い大家族なので、路頭に迷うようなことは決してないはずだ。

昨日、テレビの討論番組で、今はギュレン教団のでっちあげとされている「エルゲネコン・クーデター計画事件」に連座して逮捕され、4年間の刑務所生活を経験したという退役大佐が語っていた。

自分は“でっちあげ裁判”で有罪にされたものの、周囲の人たちが理解を示してくれたお陰で気分的には助かった。しかし、現在、誤った捜査により、ギュレン教団の烙印を一度押されてしまえば、世間からひどい仕打ちを受ける恐れもある。捜査は慎重に進めてもらいたい、と退役大佐は懸念を明らかにしていた。

オクタイさんの場合、そういう心配はないが、ギュレン教団への風当たりは日増しに強くなっているので、中には家族から見放されてしまう人が出て来るかもしれない。

免職程度であっても、いい加減な処置による“冤罪”は、絶対に避けなければならないようである。番組では、「教団のメンバーが、無関係な人を告発する“罠”にも注意すべきだ」という指摘もあった。(いずれも既に起こってしまっている疑いが濃厚だが・・)

なにしろ、30年以上、教団による“浸透戦略”を放置してきたため、9万人ぐらいの摘発で済めば御の字らしい。いったいどうなることだろうか?


*写真:8月31日、マスラックへ行く前、グランドバザールの辺りに寄ったら、犠牲祭が近づいている所為か、付近の商店街は大賑わいだった。

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9月4日 (日)  因果応報

クズルック村の工場へ視察に訪れた本社の相当な地位にある方と、工場長、製造部長、そしてこの私が、社宅の一室で車座になって飲んだことがある。

飲みながら、本社の方は、「我々は現場の人たちに比べたら、寄生虫みたいなものですから・・・」というように謙遜した。前後の会話までは覚えていないものの、この部分はとても印象に残っている。

多分、財務関連の仕事をされていた方で、大変なエリートだったと思う。工場長も製造部長も私も、皆、高卒だったから、言い方によっては、酷く嫌味に聴こえてもおかしくないが、その方の真摯な語り口がそう感じさせなかった。

しかし、現場の生産をサポートする財務の責任者の方が“寄生虫”であれば、現場の「通じない通訳」で食べさせてもらっていた私は、いったい何と形容出来るのだろう? 寄生虫の中でも最下等の“ごくつぶし”と言えるかもしれない。

「現場が原点」をモットーとするこの企業では、生産に携わる現場の人たちがあくまでも主役だった。

主役が作り出す製品を、営業は高く売らないと恨まれる、顧客からは「値を下げろ」と迫られる。これまた相当タフでなければ務まりそうもない。通訳の“ごくつぶし”は呑気で良かった。

クズルック村工場の楽しい思い出は、ここにも沢山書いて来たけれど、もちろん、いつも呑気な日常が繰り返されていたわけじゃない。部署間の対立ばかりでなく、日本人出向者とトルコ人の間に深刻な葛藤が生じることもあった。

そういった場面で、私はトルコ人の中に入って、一緒に文句を並べたりしていた。ごくつぶしの寄生虫はコウモリ的な一面も備えていたらしい。

ところが、あれから10年以上過ぎて、トルコ人の元同僚たちに会ってみると、日本人出向者への不満を口にする者など殆どいない。皆、闘いながら、対立と葛藤を乗り越え、生産の現場を支えて来たのだろう。

闘わないどっちつかずのコウモリは、そのうち何処からも相手にされなくなってしまいそうだ。

実際、トルコでの生活はどんどん厳しくなっている。生活費を抑えるのも限界に来ていて、これ以上切り詰めるのは難しい。

今までは、底へ着きそうになると、何処からともなく救世主が現れたりしたものだが、いよいよ底にぶち当たる時が近づいているような気がする。まあ、因果応報ということかもしれない。


2013年11月22日(金)現場が原点
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2013&m=11


*写真:
8月31日のグランドバザール。往来しているのは殆どトルコの人たちばかりで、外国人観光客の姿は本当に少ない。

グランドバザールでトルコの人が利用するのは、金相場のレートが良い貴金属商と周辺の外貨両替商ぐらいである。

そのため、賑わっているのは入り口の辺りに限られ、中へ入ると信じられないくらい空いていた。私もこの日は外貨両替商に寄っただけである。

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9月5日 (月)  戦争と平和

中国の杭州で開催されたG20、もちろんトルコでは、エルドアンとオバマの会談が話題になっている。会談の中身で注目されているのは、シリア情勢、そしてフェトフッラー・ギュレン師の送還である。

まだ楽観的には考えられていないようだが、「送還も有り得るのではないか」と論じる識者は増えているかもしれない。

少なからぬ識者たちが、これを「賞味期限の問題」と見ている。

つまり、アメリカは、ギュレン師の賞味期限が切れたと判断すれば、送還に応じるだろうし、さもなければ決して手放さないというのである。

1999年、PKKの指導者オジャラン氏は、突然、トルコへ引き渡されたが、あれはアメリカにとって、オジャラン氏の賞味期限が切れてしまったためらしい。その数か月後には、ギュレン師がアメリカのもとへ引き取られている。

トルコの人たちが恐れているのは、ギュレン師の賞味期限が切れていない場合、また何か仕掛けて来るのではないかという疑念だろう。トルコは、セーブル条約・分割の悪夢から完全に醒めていない。

しかし、現在の世界は、トルコや中東に限らず、欧米から極東に至るあらゆる地域で、先行きの見えない状況が不安を駆り立てているような気もする。

私個人の先行きが暗くなっても大した問題じゃないけれど、世界情勢の先行きがはっきりしないのは、確かに大きな不安であるはずだ。

歴史の歯車が外れて、どっと流れ出してしまえば、小さな人間が英知を集めても、それを押し止めることは出来なくなってしまうかもしれない。

トルストイの「戦争と平和」も、そういった歴史に翻弄される人々を描いた小説ではなかっただろうか?

私はあれを随分苦労して何とか読み終えた覚えがある。本編は2巻目を過ぎた辺りから、わりと快調に読み進められたが、やっと本編が終わったと思ったら、エピローグに付録というのが、それからさらに178ページも続いてうんざりした。

本編の小説よりもまた遥かにややこしい哲学の解説みたいな話だから、途中で何度も放棄しようと思いながら、一応最後まで読んだ。どの程度理解できていたかは全く心許ない。

このエピローグの中に、「人間の行為の非自由性」なるものを延々と論じている部分がある。

これを私は、『人間が自分の意志で行ったと思っている行為も、なんらかの運命的な力に支配されているのではないか』という風に理解したけれど、例えば次のような説明が試みられている。

「・・1分間前に行った行為を検討するならば、その行為は疑いもなく自由なものと思われるであろう。〈中略〉10年ないしそれ以上も昔の行為を回想するならば・・・・・・もしこの行為がなかったらどうだろう、というようなことを想像するのに、極めて困難を覚えるだろう・・・」

私はこのくだりを読んで、「そんなこと当たり前じゃないか」と思ってしまった。ところが、この後も数ページにわたって、同じような説明が何度も繰り返されるのである。

私たち日本で育った人間の多くは、こういう運命的な何かを、よく考えもせず、なんとなく当たり前な事としてそのまま受け入れてしまっているように思えてならないが、どうだろうか?

私たちが余り宗教に入り込まない理由もここにあるような気がする。


日本教/山を呼び寄せるモハメッドの話
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=30&y=2016&m=8


*写真:グランドバザールの裏手には、色々な工房があったりして、うろうろして見るとなかなか面白い。

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9月6日 (火)  ブルキニ/磯着

ブルキニという“敬虔なイスラム女性用”の水着がフランスで禁止されて話題になっている。(ダブついたウェットスーツのような水着)

10年ぐらい前なら、「トルコでも禁止すべきだ」と主張する政教分離主義者、これに反発する保守派の間で大騒ぎになっていただろう。

それが今や、“禁止”まで訴える人たちは、無視して良いくらいの少数になり、反発の声もそれほど高まっていないような気がする。

既に、「政教分離とイスラム」の対立軸が解消されただけでなく、西欧に対する思いも大分冷めてしまったのかもしれない。なんとなく「呆れ果てた」という雰囲気さえ感じられる。

私はトルコで、ブルキニらしい水着を一度だけ見たことがある。2007年の夏、ビュユック島の人けの少ない海岸だった。

その女性は、バミューダタイプの海パンをはいた御主人と思しき男性から、泳ぎの手ほどきを受けていた。

あれ以来、ブルキニ水着は、トルコで増えているのだろうか? 余り話題になっていないところを見ると、そうでもないと思う。

そこまでしないと気が済まない女性は、そもそも海水浴などしないか、女性専用ビーチといったものを利用するらしい。私は知らないが、リゾート地に行けば、僅かながら女性専用ビーチも出来ているそうだ。

しかし、ブルキニに気分を悪くしているフランスの人たちも、伊勢志摩の海女さんたちの磯着姿には、多分、喜んで歓声を上げるに違いない。あの白い磯着は、ブルキニよりもっと水着らしくないような気がするけれど・・・。

ウイキペディアの記述によれば、伊勢志摩の海女さんたちも、大正年間までは、上半身裸で海に入っていたという。裸をやめた理由については、以下のように記されている。

「真珠養殖を欧米人に見学させる際に上半身裸では問題があるとされ早くから着衣が広まった」

トルコの女性は、欧米人に倣って肌の露出を増やし、日本の海女さんは、欧米人の視線を気にして裸をやめたのか・・・。まったく、欧米人というのは煩わしい存在だ。

他の地域では、ふんどし一丁の勇ましい姿で海に入る海女さんたちも多く、戦後の50年代、その風俗を取材して出版したイタリア人の写真家がいたそうである。(海女の島−舳倉島 - 日本が神話の中にあった時代)↓


海人(ウイキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E4%BA%BA

海女のふんどし
http://fundoshilady.fc2web.com/ama/ama.html

海女の島−舳倉島 - 日本が神話の中にあった時代
http://blogbu.doorblog.jp/archives/52272556.html

海女の島―舳倉島
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4624200586/egnon-22/


*写真:イスタンブール大学とその周辺

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9月7日 (水)  ギュレン教団の秘密主義?

ギュレン教団に関しては、離脱した元幹部クラスの告発・懺悔というのもメディアを賑わせている。しかし、なんとなく胡散臭い気がする。離脱に至った経緯も、余り明らかになっていない場合が多い。

他にも、色んな所から色んな話が出て来ている。事実らしいネタも少なくないけれど、いずれにせよ多少眉唾で聞いた方が良いのではないかと思う。

例えば、テレビの時事番組で、ある識者が周囲の知人から聞いたという話を伝えている。知人の子供が公開模擬テストで優秀な成績を上げたら、直ぐにギュレン教団のメンバーが訪ねて来て、「私たちが援助するから、お子さんを私立の良い学校へ行かせませんか?」と勧誘したそうだ。

その人は、「うちが経済的に厳しかったならば、思わず誘いに乗ってしまっただろう」と安堵した様子で語っていたという。これは、結構信憑性が高い話であるかもしれない。

こういった教団の手口であるとか、秘密主義に纏わる報道を聞いていると、私にも『あれはひょっとしたら・・・』と思い当たることが出てきたりする。

2006〜7年、何度か訪れた中央アナトリアの観光地の旅行代理店の経営者は、極めて紳士的な感じの良い人物だった。

もともと日本のテレビ番組のトルコロケに協力してもらったのがきっかけで知り合ったけれど、よく考えて見たら、あれはロケの許可を観光省から得る際に、紹介を受けていたのではなかったかと思う。当時は、あらゆる政府機関に、ギュレン教団の影響力が及んでいたらしい。

35歳ぐらいの経営者の方は、とても綺麗な英語を話し、西欧的な雰囲気を漂わせていたばかりか、仕事も実に正確で信頼を感じさせた。それで、その地域に出張することがあれば、仕事がなくても挨拶に伺ったりしていた。

代理店のオフィスには、如何にも田舎風な朴訥とした青年もいて、いったい何をしている人なのかと思ったら、経営者の方の弟であるという。

一度、この青年と雑談していて、選挙が話題になったので、支持政党を訊いてみたところ、「うちは皆AKPです」ときっぱりした答えを返され、ちょっと意外な気がした。少なくとも、非常に西欧風な経営者の兄は、CHPの支持者じゃないかと予想していたからだ。

その後、また彼らのもとを訪れた時、私は近くの醸造所で買い求めて来たワイン入りの手提げ袋を持っていた。すると経営者の兄が「貴方、ワイン好きですか?」と訊き、弟に奥から別のワインを持って来させたのである。

「お客さんからの頂きものをお渡しするのも何ですが・・・」と差し出されたワインを見れば、私が買い求めたものとは比較にならない高級品だった。

さすがに喜んで受け取るわけにも行かず、「もったいない、貴方がお飲みになれば良いじゃないですか」と断ったら、彼は微妙な笑みとジェスチャーで、『ワインとは縁がない』という意思を伝えようとする。これに私は驚かされた。

信仰に篤いトルコ人の多くは、こういう場面で、『私は信仰上アルコールを受け付けません』とか『私たちの宗教でアルコールは禁じられています』というように、はっきり理由を述べて断るだろう。そもそも、同様にお客さんからもワインを受け取ろうとしなかったはずである。

イスタンブールに戻った後で、こんなことをぐずぐず思い返している内に不愉快な気がして、結局、彼らと会ったのは、あれが最後になってしまった。弟はともかく、経営者の兄は、おそらくギュレン教団のメンバーだったのではないか。

イスタンブールのギュレン教団の友人とは、2013年まで連絡を取り合っていたのだから、もしも、彼がそれを打ち明けていれば、私は喜んで付き合いを続けていたと思う。私に隠そうとしたところが不愉快に感じられたのだ。

最近得た余計な情報によって考えると、子供の頃から優秀だった兄は、選抜されて最上の教育を与えられたものの、弟は朴訥とした農村の青年のままだったのかもしれない。

なんの確証もないのに、こういう想像を廻らすのは良くないけれど・・・。

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9月8日 (木)  アメリカが国家を持たせたい最大の民族

「国家を持たない最大の民族クルド」というのは、いったい何を根拠にしているのだろう? 

まずは民族の定義からして、様々な見解があり、一定の基準など何処にもないようである。言語上の相違をもとにして、スペイン人とカタロニア人、ロシア人とウクライナ人が、それぞれ別の民族に区分されるなら、東京人と関西人、沖縄人等々も全て別の民族として扱わなければならなくなってしまうらしい。

しかし、多少の相違はあっても「同じ系統の言語」を話すという基準にすれば、もちろん“日本人”は皆同じ民族であるし、ウイグル人からトルコ人までを含むテュルク語系の人々も全て同じ民族と見做して良いそうだ。この場合、ペルシャ語系の言語を話すクルド人は、イラン人と同じ民族になるという。

歴史的な経緯を考えた場合、日本人と沖縄人は、144年前まで異なる国の歴史を持っていたが、トルコ人とクルド人は600年来同じ国の住人である。

また、クルド人の人口は、2千8百万に及ぶとされているけれど、インドのタミール人は、ヒンディー語とは別系統の言語を話し、5千万以上の人口を有している。

要するに、最大の民族クルドとは、「アメリカが国家を持たせたい最大の民族」という意味じゃないだろうか?

アメリカは、現在も、北シリアでクルド人の国家を建設することに執着しているのではないかと言われている。まず、ここに拠点となるクルド人国家を築いたのち、北イラクやトルコ南東部のクルド人も糾合して、自分たちの意のままになる大クルディスタンを構想しているらしい。

トルコとしては、これを何としても阻止したいところだが、クルド人民衆との対立は避けたいだろう。そのため、北シリアの有力なクルド人部族とはもちろん、アメリカが支援しているPYDとも、水面下では接触を図っているかもしれない。

最近、トルコの識者たちは、国際政治を語る上で、さながら常套句のように次の言葉を使っている。「国際関係には、永遠の敵も永遠の味方もいない」というのである。

この先、外交政策に如何なる変化があったとしても、驚いてはならないようだ。そういった大きな転換を迫られた場合、トルコの政治家たちは、「昨日は昨日、今日は今日」と言って、いとも簡単に切り抜けてしまう。

この言葉は、社会的にも広く受け入れられているから、反発を買う恐れもない。政治家に限らず、トルコの人々は、皆したたかだと思う。


2015年10月15日(木)トルコ人・クルド人・アラブ人 〜 10月16日(金)トルコ人とクルド人
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=0&y=2015&m=10

2015年10月22日(木)トルコへの外圧
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2015&m=10


*写真:8月31日のマスラック

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9月9日 (金)  枯木の側で生木も燃える?

ギュレン教団の摘発・排除は、教団の秘匿性のため、なかなか難航しているうえ、杜撰なやり方で様々な問題が現れているそうだ。

密告にもとづいて、いきなり職を解いたり、教団系の資本が1%入っていると言って、企業の活動を停止させたりして、無関係な人たちにも災いが及んでいるらしい。

ユルドゥルム首相も慌てて、「罪のない人を巻き込む」という意味で、「乾の側で湿も燃える」といった表現を用いながら、慎重を期すよう訴えた。

この表現は、「枯木の側で生木も燃える」と訳せるかもしれないが、既に、枯木(罪人)と共に、相当な生木(罪のない人)も燃えているのではないかと言われている。

ある識者によれば、現在はギュレン教団系の司法による“でっちあげ”とされている「エルゲネコン事件」など、かつてのクーデター計画事件も、教団が無関係な軍人まで多数処分しようとしたために、全てが“でっちあげ”になってしまったのである。

その結果、AKP政権に対するクーデターを実際に計画していた軍人も無罪放免となり、事件は闇に葬られる。「生木が燃えているのに気付いて、水をかけたら、枯木も救われた」という風に例えながら、同じ轍を踏んではならないとこの識者は警告していた。

また、7月15日のクーデター事件の捜査だけに的を絞り、軍や警察はともかく、教育機関等、その他の機構における摘発・排除は、後の第二段階で進めるべきだと論じる識者も少なくない。

しかし、政府としては、おそらく非常事態宣言の期間内に、手っ取り早く片付けてしまいたいのだろう。

教育機関では、ギュレン教団と全く関係のない左派教員の排除も行われているらしい。CHPなど左派から、猛烈な反発の声が上がっていて、このままでは与野協調ムードもぶっ飛んでしまいそうな勢いである。

左派教員の排除が意図的に行われている疑いは無きにしも非ずだ。トルコの教育機関には、全般的に左派が多かったため、AKP政権は、当初、ギュレン教団の学校を支援するばかりでなく、教団系の教員が公立学校へ浸透するのを積極的に後押ししていたのではないかと囁かれている。

だから、教団系の教員だけを排除したのでは、左派の多い元のバランスへ戻ってしまう可能性がある。これは司法や軍においても同じことが言えるかもしれない。

軍の場合は、MHPに近い、もともと民族主義的な右派の軍人もいたそうだが、やはり教員には左派がかなり多かったと思う。

5年ほど前、友人が赴任していたハタイ県の初等教育校を訪れたところ、宗教科の先生は、教員室の中で何だか浮いた存在になっていた。その若い先生は、無信仰を標榜する友人から小馬鹿にされても、申しわけなさそうに微笑むだけで可哀そうなくらいだった。

もちろん、AKP政権が、ギュレン教団を排除した後のバランスを保とうとして、左派まで排除しているのであれば、これは確かに問題である。

しかし、左派の人たちが、人口の65%〜70%近くを占めると思われる“信仰に篤い保守層”を見下しながら、「脱イスラム=近代化」といった自分たちの流儀を無理に押し付けようとして来なければ、ギュレン教団の隆盛はおろか、AKPが政権に就くこともなかったのではないだろうか?

91〜92年、左派に対して遥かに融和的だったオザル大統領でさえ、左派からは「信心深い反動勢力」としてボロかすに貶されていた。

こんな仮定を試みても始まらないが、当時、左派の人たちがオザル大統領を支持して、保守的な祖国党政権が何の波乱もなく続いていたら、「大乱世の政治家エルドアン」は、今頃カスムパシャ区の区長さんぐらいで燻ぶっていたかもしれない。

この数年、保守的な人々が掲げているスローガンに、「彼らはメンデレス首相を吊るした、オザルを毒殺した、しかし、エルドアンには手を出させるものか!」というのがある。

保守政権のメンデレス首相は、60年の軍事クーデターで絞首刑になった。オザル大統領の急死が、毒殺だったのかどうかは解らないが、左派知識人による大統領への誹謗中傷を人々は「今に見ておれ!」と歯軋りしながら聞いていただろう。

こんな人々の思いが、エルドアンとAKPを政権に押し上げたと言っても過言ではないような気がする。そして、7月15日のクーデターで、彼らは命を懸けて戦車に立ち向かい、見事にエルドアンを守ったのである。

願わくは、政権も左派の人たちも、過去を振り返って、お互いの過ちを認め合いながら、協調ムードを断ち切らないように努めてもらいたいものだと思う。



9月10日 (土)  脱イスラムという信仰?

クーデター事件以来、脱イスラム的な政教分離主義者の中からは、ギュレン教団に限らず、全ての教団を根絶すべきだという声が上がっている。

ごく少数派の主張に過ぎず、あまり気にする必要はないかもしれないが、ここぞとばかりに、「やはり宗教は恐ろしい」と勢いづいた左派の人たちも少なくない。

ギュレン教団を排除して、欠員が生じた軍には、かつてエルゲネコン等のクーデター計画事件により放逐された軍人を戻せば良いという意見は、かなり広範囲に見られる。

この軍人たちの一部は、実際、AKP政権の打倒計画に関与していた疑いもある。AKP政権としては、気分が良かろうはずもなさそうだ。

AKP政権は、近年、飛躍的に教育水準が向上した“保守的・イスラム的な新興中流層”によって支えられているものの、教育や法律関係、マスコミといった知識産業に従事している人たちには、今でも左派が多いのではないかと思う。

そもそも、AKP政権は、当初、こういった知識産業から余り協力を得られなかったため、ギュレン教団に頼らざるを得なかったと言われている。

これを機に左派は往時の力を取り戻そうとしているのだろうか? それでまた政教分離主義とイスラムの対立軸が蘇れば、協調ムードも台無しになってしまう。

だから、教団根絶といった過激な意見は勘弁してもらいたい。共和国革命の中で、各教団は閉鎖されたが、実のところ、装いを改めてだけで活動を続け、ギュレン教団のような秘匿性の高い巨大組織が出現した。根絶しようとすれば、地下へ潜るだけに違いない。

【195】無認可のコーラン教室【ラディカル紙】【2008.08.11】
http://neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00195.html

ソビエトでさえ、70年かけて、宗教を根絶させることはできなかった。冷戦中、西側諸国では、防共政策の中で却って宗教や教団の活動が盛んになって行く。ギュレン教団もその一つである。

冷戦が終わり、脱イスラム的な理想も、大分色あせて来たけれど、今でも、これに固執している人たちにとっては、まるで「脱イスラム」が宗教になってしまったかのようだ。

この20年ぐらいで、産業化と都市化の進展に伴い、イスラム的な保守層においても、一層、多様化と世俗化は進んでいると思う。世俗化を拒んでいるのは、一部のイスラム主義者と「脱イスラム教徒」の人たちであるかもしれない。


2015年12月1日(火)トルコの政教分離と世俗化
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2015&m=12

2015年11月23日(月)イスラム主義と政教分離主義の論争
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2015&m=11

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