Diary 2016. 8
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8月1日 (月)  アメリカはクーデターに関与していたのか?

(7月29日)

まだ7月29日だけれど、この“便り”の日付では、もう8月になってしまった。

6月28日の“アタテュルク空港爆破テロ”、そして7月15日の“クーデター”と、トルコは激動の日々を過ごし、私は性懲りもなく、毎日せっせと駄文を書き連ねている。

文章書くのは老化の防止になるそうだから、暇があれば、せいぜい励むべきかもしれないが、どうせならもっと地べた目線の和やかな話を書きたかった。

幸い、私の身近では、誰かが被害にあったという話を聞いていない。

7月15日の夜11時過ぎ、イエニドアンの家電修理屋さんは「クーデター発生」が報道されるや、直ぐに車で市内に向かい、クーデター阻止の行動に加わったそうだ。

私がぐっすり寝ている間に、彼らは勇敢に戦っていたのである。

「俺たちも兵役で軍事訓練を受けているからね。戦い方は知っているんだ」と笑っていたけれど、新聞にも、一般の市民が兵役の経験を活かして、置き去りにされた戦車を安全な場所まで運転して片づけた“美談”が紹介されていた。

銃撃戦があったハルビエやタクシムの辺りに住んでいる人たちは、緊迫した一晩を過ごしたことだろう。

ルムのスザンナさんは、タクシムにいて大変な目にあったと電話の向こうで興奮していた。

「危うく、“シェヒット”になるところだったわよ」なんて話していたが、“シェヒット”は、アラビア語の「シャヒード」で、イスラムの「殉死・殉教」という意味だから、ギリシャ正教徒のスザンナさんが使うと何だか妙な気もする。

「犠牲者」ぐらいの意味で使ったのかもしれないが、「クーデターはアメリカの仕業に違いない」と主張したりして、あれほどの国難が迫れば、ルムの彼女も「トルコ国民」としての一体感を共有してしまうのだろうか?

*ルム:
≪ルムとは「ローマ人」のことであり、トルコに住んでいるギリシャ人は、自分たちを、ギリシャ共和国のギリシャ人(ユナンル)と区別して、必ず「ルム」と称している。千年の都コンスタンティノポリで暮らすルムの人たちにとって、ユナンル(ギリシャ人)というのは少し田舎者のように聞こえるらしい。≫

トルコでは、「アメリカの関与説」を裏付けるという様々なネタがメディアを賑わしていて、その全てが事実無根とは言い難いような雰囲気である。

なにより、1999年以来、フェトフッラー・ギュレン師はアメリカのペンシルバニア州に居住しており、ここが教団本部の役割を果たしてきた事実は否定できない。

もちろん、物的な証拠などは出てこないと思う。ひょっとすると、アメリカはわざと背後で絡んでいるように見せて、トルコに無言の圧力を加えているのかもしれない。

『言うこと聞かないともっと酷い目にあわせるぞ』というように・・・。これじゃあ、まるでヤクザだけれど・・・。

1960年5月のクーデターで処刑されてしまったメンデレス首相は、クーデターがなければ、7月にモスクワを訪れる予定だったそうである。

今回も、エルドアン大統領とプーチン大統領の会談は、クーデター事件前から予定されていた。

『クーデターの背後にアメリカがいるとすれば、尚更恐ろしいから、プーチンとの会談なんてキャンセルしちゃえば良いのに・・』と気の弱い私は思ってしまうが、そういうわけにも行かないのだろう。

エルドアン大統領は、予定通り、8月9日にサンクトペテルブルクへ行くらしい。

しかし、クーデター事件後の日本の報道は、背後にアメリカの影が見える所為なのか、“浸潤”しているギュレン教団の影響なのか、トルコを見下した内容で、あまりにも酷すぎる。

「死刑復活の議論」や「軍の文民統制」まで、エルドアン独裁化のプロセスであるかのように伝えられたりしている。

まったく、死刑を廃した国ならいざ知らず、日本では今年も既に何人か処刑されているはずだ。

それに、文民統制を危惧するのであれば、日本の自衛隊も“独裁者安倍”の下に置かれているのは拙いから、“統帥権の独立”なども再検討してみるべきじゃないのか?


*自己紹介欄のメールアドレスは既に使えなくなっているので、私(新実誠)へのお問い合わせは下記のアドレスにお願いします。↓

makoton1@hotmail.co.jp



8月2日 (火)  テロリストにならずに済んで良かった

(7月30日)

我々は西欧が思っているほど愚かだろうか?/エティエン・マフチュプヤン氏のコラム記事
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=30&y=2016&m=7

一昨日(7月29日)拙訳したこの記事からもうかがい知れるように、トルコの人たちは、西欧の余りにも冷ややかな態度に驚き、戸惑っているのではないか。

トルコを見下した西欧の冷たい態度は、日本の報道にも反映されているような気がする。

戦車を素手で押し止めて、クーデターを阻止した“英雄的な国民”による「民主主義の勝利」と謳っても良いくらいなのに、なんだか“独裁”“粛清”といった言葉ばかりが目立っている。

あれでは、“英雄的な国民”どころか、“独裁”の道具にされている“愚かな国民”になってしまいそうだ。

そして、困ったことに、そう思いたがっている人たちは、トルコの識者の中にもいる。ここから西欧は“情報”を得ているらしい。

この識者たちがエルドアンに対して怒っているのは、「愚かな国民を見下す優越感」を失いそうになっているからではないかと疑いたくなる。彼らは、“英雄的な国民”の出現に、まだ当惑しているのかもしれない。

一方で、マフチュプヤン氏も指摘しているように、“英雄的な国民”を誇りながら、西欧の態度に腹を立て、なんでも西欧の所為にしようとしている識者らにも問題はあるだろう。

しかし、教養があって、いつも西欧の情報を収集している彼らにとって、トルコを馬鹿にしきった西欧の偏向報道には堪え難いものがあるに違いない。

ニュース番組に出演して、「昨日のガーディアン紙にこんなことが書いてあった・・」と怒り心頭に発した表情で、逐一その記事をトルコ語に訳しながら解説したりしている識者を見ていると、『この人たちもタフだなあ・・』と思ってしまう。毎日、そんな記事ばかり分析していて、よく気が変にならないものである。

でも、考えて見たら、西欧で暮らしているムスリム移民の状況は、もっと厳しいだろう。教養を身に付けてしまった人たちは、新聞の論説などを読むたびに、血圧を上げているのではないか。

その中から、ついにぶち切れて、精神のバランスを失ってしまう人が出て来ても、不思議ではないような気がする。

私は良い時代に良い国に生まれたと思う。日本でも、私より上の世代には、欧米で嫌な目にあった人も少なくなかったはずだが、この先人たちの弛まない努力のお陰で日本は様々な分野で発展を遂げ、私が成人した頃には、それ相応の待遇を受けるようになっていた。

87年に初めて韓国へ行った時も、欧米の人たちが、日本と韓国の間に明らかな扱いの差をつけているのに気がついて、私は恥ずかしげもなく喜んだ。

あれで喜んでしまう人間が、差別を受け愚弄されるような厳しい状況に置かれていたら、それこそ簡単に気が狂っていたかもしれない。

今日この日まで、テロの犠牲になることもなく、まだ生きている幸せはもちろんだけれど、なにより、自分がテロリストにならずに済んだことを感謝したい。



8月3日 (水)  尊師の魅力?

(7月31日)

一昨日(7月29日)、ギュレン教団との関連が疑われているジャーナリストのナズル・ウルジャク氏(女性・71歳)が、滞在先のボドルムで拘束された。

ウルジャク氏は、7月15日にクーデター事件が起こるまで、ギュレン教団の実態を理解していなかったと語り、自らの過ちを認めながら、遺憾の意を明らかにした。

それまでは、抑圧される側に立つジャーナリストの信念により、教団を擁護してきたという。非常に個性的で情熱の感じられたウルジャク氏が語る言葉に嘘はないと信じたい。

ウルジャク氏が行方をくらませていたのは、逃亡というより、気持ちを整理するための時間が必要だったからではないだろうか。

多くの人たちが、ウルジャク氏と同じように、教団の実態がこれほど恐ろしいとは考えてもいなかったに違いない。

政府は以前から、教団を“フェトフッラー派テロ組織”と呼んでいたけれど、私もこれを随分大袈裟な言い方だと思った。暴力を使わない限り“テロ組織”とは言えないだろう。

教団には、教養があって紳士的で大人しい人たちが多かったから、教団とテロは容易に結びつかなかったのである。

しかし、考えて見れば、日本で“オウム真理教”が騒がれ始めた頃も、私は「少し変わっているだけで害はないじゃないか」と全く気にしていなかった。だから、サリン事件には驚いて肝を潰してしまった。

ギュレン教団も、オウム真理教ほどではないにせよ、その尊師は見るからに胡散臭そうな雰囲気を漂わせている。教団の人が如何なる美辞麗句を並べようと、私には“挙動不審なおじさん”としか思えなかった。

例えば、カリスマ的な人気のある政治家には、それなりの魅力が感じられたりする。エルドアン大統領もそうであるし、日本では田中角栄元首相がやはりそうだった。

角さんは、日中国交も含めて、今から思えば負の遺産の方が遥かに多いような気がするけれど、人間的にはとても魅力的に見えた。その周囲に信奉者が集まっていたのは充分に理解できる。

ところが、新興宗教の教祖的な人物の場合、信者さんらが何処に魅力を感じて崇めているのか、さっぱり解らなかったりする。フェトフッラー・ギュレン師もその典型である。

以下の“YouTube”の動画には、アメリカのペンシルバニア州の本部で、幼い子供たちに1ドル紙幣を授けているギュレン師の姿が映し出されている。こんな子供の頃から洗脳されると魅力を感じるようになってしまうのだろうか? 


1ドル紙幣を配るギュレン師(YouTube)
https://www.youtube.com/watch?v=B337s5D0eMM



8月4日 (木)  主権は国民にあり

(8月3日)

今日(8月3日)、ヨーロッパ側に渡って、カラキョイからイスティックラル通り、タクシムにかけて歩いた。

街は普段の様子とまったく変わりなかったが、やはり外国人のツーリストらしき姿は少なく、また、その殆どが東欧であるとか、中東、北アフリカ辺りの人たちだったのではないかと思う。

タクシム広場のアタテュルク文化センターには、「主権は国民にあり」という大きな横断幕が掲げられている。夕方に始まる「クーデター反対集会」は、今週末まで続くそうだ。


*写真アルバム:8月3日のイスタンブール
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.10209256878635710.1073741868.1134094593&type=3

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8月5日 (金)  ギュレン教団の空軍・戦闘機への執着?

(8月4日)

クーデター事件の全容は、加担した将校らの告白などにより、少しずつ明らかになってきたようだが、どうやらギュレン教団とは関係のない将校の中にも、「クーデター」と知りながら、躊躇うことなく指示に従って行動した者が少なくなかったらしい。

そのため、昨日(8月3日)のサバ―紙でビュレント・カフラマン氏は、このような「クーデターを是とする風土」の醸成に寄与してきた“士官高校”を廃止すべきじゃないかと論じていた。

カフラマン氏によると、これはオスマン帝国時代に、貧しい農家の優秀な子弟を徴集して育てた“デヴシルメ制度”に由来しているらしい。

しかし、戦前は日本にも“陸軍幼年学校”があり、これはプロイセンの例に倣って作られたとされている。トルコの“士官高校”の範もこちらにあった可能性はないだろうか?

そもそもデヴシルメ制度に言及するのであれば、“士官高校”というより、ギュレン教団こそが正しくこれを手本にしていたような気がする。

教団は、子供の頃から養成した“忠実なメンバー”を軍に送り込み、彼らの昇進を待って着々と軍の内部に見えない組織を作り上げていたという。

特に、空軍のパイロットにメンバーが多かったため、排除後、その欠員を埋める困難に当局は頭を抱えているそうだ。

何年か前に、ペンシルバニア州の教団本部を訪れた記者のリポートを読んだところ、本部の玄関だか何処かに、大きなトルコ空軍戦闘機の写真が掲げられていて意外だったと記されていた。

まさか、その写真に象徴的な意味が隠されていたとは、当時、取材した記者も気がついていなかったのだろう。それはリポートの中で重要な扱いを受けていなかったが、私も意外に思った所為か、妙にそこだけ良く覚えている。

ギュレン教団は、アメリカ空軍への“浸潤”も目論んでいると言われ、先日のトルコ各紙の報道によれば、ラスベガスの空軍基地内に新設された「Coral Academy of Science Las Vegas」という学校は教団の運営によるものらしい。

かつて、アメリカが防共のために支援した宗教集団や機関の中には、後々アメリカにとっても厄介な存在になってしまったものが少なくないけれど、果たしてギュレン教団はどうなるのだろうか?


*写真:今日の昼は鶏肉のカレー。イスタンブール市内のスーパーで買って来たカレー粉を入れただけだが、結構美味かった。

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8月6日 (土)  エルドアン大統領の謝罪

(8月5日)

一昨日(8月3日)、エルドアン大統領は、自分たちがもっと早くギュレン教団の実態を見極めていなければならなかったとして、神と国民から許しを請うた。

これに対して、「責任を追及される前に、先手を打って謝ったんだろう」とか、「野党側にも反省を求める政治的な駆け引きだ」などと冷ややかに見る識者もいれば、「あれだけ信心深い人が神の赦しを請うているのだから意味は大きい」と肯定的に評価する識者もいた。

確かに、まったく政治的な背景のない発言とも思えないが、多くの国民が犠牲になった事件への率直な気持ちは、もちろん含まれていたと信じたい。

ギュレン教団は、70年代より防共政策の中で、国内やアメリカから支援を受けていたと言われている。80年代、オザル政権の時代には、軍や官僚機構へかなりのメンバーが浸潤し始めていたらしい。

故オザル大統領は、フェトフッラー・ギュレン師について、「平気で嘘をつく。あの男の野望はトルコに収まりきらない世界的な規模である」といった評価を下していたそうだが、自身も教団の勢力拡大には、一役買ってしまっていたのではないだろうか。

そして、教団の勢力がAKP政権の下で急成長したのは間違いないけれど、野党のCHPも、2014年以降は教団に接近していたから、AKPばかりを責める訳にもいかない。

やはりエルドアン大統領の言うように、まず反省して、これからどうするのか考えて行かなければならないような気がする。

幸い、日曜日(8月7日)にイスタンブールで予定されている「民主主義と犠牲者のための大集会」への出席を断っていたCHPのクルチダルオウル党首も、エルドアン大統領の再三の要請に応えて出席を承諾したという。これで日曜日の大集会には、与野3党が一堂に会することになる。

また、フェトフッラー・ギュレン師の送還を求めて、アメリカへ渡っていた議員団に関する報道では、トルコ国内の「アメリカ陰謀論」とは全く異なる次元で、議員団がアメリカの当局者等々に、ギュレン教団が企てたクーデターの詳細と教団の危険性を説明した経過が伝えられている。

証拠のない陰謀論はもちろん、自分たちも教団を支援していたのだから、アメリカの支援を咎めるわけにも行かない。

「トルコでは大変なことになってしまいました。皆さんも気をつけて下さい」とやんわり理解を求めているのではないだろうか?

教団の実態が明らかになるにつれ、トルコと同様、アメリカでも驚きの声が上がってくるかもしれない。そのために、様々な機関や団体へ出向いて、説明を繰り返す方針のようである。


*写真:スレイマニエ・モスク(2年前に撮影)

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8月7日 (日)  ウルデレ爆撃事件〜フラント・ディンク暗殺事件

(8月6日)

クーデター事件以来、ギュレン教団に関する様々な疑惑が浮上してきたため、この10年ぐらいの間の出来事は、異なる角度から見直さなければならないと言われている。

例えば、昨年11月のロシア機撃墜を企図したのが、紛れもなく教団だったとしたら、エルドアン大統領とAKP政権は自らの意志で“西方回帰”を果たしたのではなかったということになる。

また、2011年12月、トルコ・イラク国境付近のウルデレで、トルコ空軍機がクルド人の隊商に爆撃を加え、34人が死亡した事件に関与していた元憲兵も、クーデター事件捜査の過程で拘束された。

この元憲兵は、クルド人の隊商をPKKと誤報して爆撃させたことにより、職務を解かれたものの、ギュレン教団の庇護を受けて、老人ホームや児童施設の管理者を務めていたそうである。

昨年来、南東部では、トルコ軍とPKKが再び激しい交戦状態となり、PKKと密接な関係を持つHDP(人民民主党)は、AKP政権に対して態度を硬化させていたけれど、クーデターが発生すると、HDPはいち早くAKP政権への支持を表明し、その後もかつてのような敵対的姿勢は見せていない。

これを見ると、ギュレン教団のメンバーである将校が南東部へ赴任して、PKKに限らない無差別な攻撃を行っていたという説も、かなり信憑性を帯びて来る。

軍とAKP政権を非難して、HDPを擁護していたジャーナリストの活動は、決して利敵行為などではなかったかもしれない。

さらに、これはクーデター事件の前から論じられていたが、2007年1月の「アルメニア人新聞編集者フラント・ディンク氏暗殺事件」にも、ギュレン教団は関わっていたのではないかというのである。

2007年と言えば、まだ教団とAKP政権が蜜月の時代で、政権に不利な事件を教団が仕掛けるとも思えないから、『おいおい、なんでも教団の仕業にするつもりかよ?』と私はこの説をかなり疑っていた。

ところが、クーデター事件後に進んだ調査により、少なくとも暗殺事件の捜査を妨害していた司法や警察の関係者が、教団のメンバーであることはほぼ明らかになって来ているらしい。

暗殺を企てたのが教団かどうかは、まだ突き止められていないそうだが、もしも事実であるとすれば、まさしく“フェトフッラー派テロ組織”と呼んで相応しいような気がする。

いずれにせよ、教団の人たちが尊師フェトフッラー・ギュレンを無条件に称えていたのは間違いないと思う。私が知り合った教団の人たちからもそれは感じられた。

もちろん、彼らが尊師の命令であれば、暗殺まで企図する人間であったとは到底信じられない、信じたくもない。しかし、尊師を一途に崇拝してしまうカルト的な体質には、やはり危険性が潜んでいたのかもしれない。


*写真:エディルネのセリミエ・モスク(5年前に撮影)

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8月8日 (月)  ギュレン教団の特色/軍の文民統制

(8月7日)

トルコ政府は、軍や司法、教育等々の機構から、ギュレン教団系の排除を進めているが、その後の空白に、他の特定の教団やグループが秘かに勢力を浸透させてしまう恐れも囁かれている。

かつての抑圧的な政教分離主義により、あらゆる教団的な活動が規制されてきた所為で、ギュレン教団に限らず、どの教団にも秘密主義の傾向が見られるそうだ。

そのため、多くの識者が、今後はそういった教団の活動を透明化していかなければならないと主張している。

おそらく、これを機会に、宗教教団の在り方ばかりでなく、宗教教育等に関して様々な議論が展開されていくことになると思う。

ところで、ギュレン教団だが、この教団の特色としては、信徒を家族から引き離して、教団の中で兄弟の関係を作り上げていた点も指摘されている。

ギュレン教団には、信徒が外部の人と結婚しないように、男女信徒らの間を取り持つ指導員までいたらしい。なんだか統一教会の合同結婚式を思い出してしまった。

いずれも、冷戦中に、防共政策の支援を受けて勢力を拡大し、尊師が異様に崇め奉られたところも良く似ている。

統一教会の文鮮明師は、イエス様と会話することが出来たと語っていたそうだけれど、フェトフッラー・ギュレン師も、預言者ムハンマドと夢の中で語り合ったなどという伝聞がメディアで報じられていた。

フェトフッラー・ギュレン師は、クーデターが成功すれば、ホメイニ師のように凱旋帰国して、カリフの座に就くつもりだったのではないかと言われている。真偽のほどは解らないものの、確かに、あの尊大な態度からは、権威に対する異様な執着が感じられた。

しかし、サイードの家系を誇り、正統なシーア派の学問を修めてアーヤトッラーの称号を得ていたホメイニ師と、貧しい農村の導師の子として生まれ、大学の神学部等で正式な教育も受けていないギュレン師とでは、全く比較にもならないような気がする。

***********

「軍の文民統制」も同様に議論されているが、エティエン・マフチュプヤン氏は8月5日のコラムで、次のように書いていた。

「トルコの政治文化と民主主義の未成熟を考慮した場合、如何なる文民機構も、軍内部の無形のネットを監査しきれないことは明らかだ」

これは非常に手厳しいが、角を矯めて牛を殺してはならないから、やはり慎重に進めるべきなのだろう。


2013年2月19日 (火) アライルとメクテップリ
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2013&m=2

2014年2月4日 (火) AKP政権とフェトフッラー・ギュレン教団の対立
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=0&y=2014&m=2


*写真:カドゥキョイ/2012年9月

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8月9日 (火)  イエニカプ−新しき門

(8月8日)

昨日(8月7日)、イスタンブールのイエニカプ広場で開催された「民主主義と犠牲者のための大集会」には、いったいどのくらいの市民が集まっていたのか?

300万を超えていたのではないかとも言われている。広場を埋め尽くした人々のエネルギーが、ノートブックの画面からも伝わってくるかのように感じられた。

エルドアン大統領と与野3党の党首、国会議長、軍参謀総長が舞台に上がって演説し、それぞれに民主主義と国民の団結を訴えていた。

しかし、最大野党CHPのクルチダルオウル党首が登場しても、あまり声援がなく盛り上がっていなかったのは、ちょっと残念である。

CHPの得票率は25%、もう一方の野党MHPは12%に過ぎないのに、MHPのバフチェリ党首の演説は所々で喝采を受けていた。アカル参謀総長への喝采はもっと多かった。

保守的なMHPと与党AKPの支持層は、非常に似通っているため、バフチェリ党首はAKPの支持者からも声援を得られたのだろう。MHPの支持者たちも少なからず会場に足を運んでいたはずだ。

左派CHPの支持者は殆ど会場に来ていなかったかもしれない。それにしても、声援の少なさは寂しい限りだった。

とはいえ、まずは与野3党の党首が同じ舞台に立って国民の団結を訴えた“歴史的な一歩”を称えても良いのではないかと思う。

トルコ語で「イエニカプ」は、「新しい門」という意味なので、これがトルコへ新たに開かれた門になればと願っている識者もいた。


*写真:ネットのニュースから(右は、会場の控室でチャイを飲みながら懇談する与野3党の党首と国会議長、エルドアン大統領。)

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8月10日 (水)  討論番組の議論

(8月9日)

昨日(8月8日)、ハベルテュルク放送の時事討論番組で、左派ジャーナリストのギュルカン・ハジュル氏が論じたところによれば、クーデターに加担して拘束された後、ギュレン教団との関係を否定している将校らの陳述は、非常に疑わしいそうである。

彼らの中には、将官でありながら、佐官レベルの将校の指示に従って行動したと述べる者がいる。これは軍の命令系統と異なる“教団のヒエラルキー”が機能していた証左に他ならない、とハジュル氏は論じている。

これが事実なら、クーデターに加担した将校の大半は、ギュレン教団のメンバーであり、軍内部に巣食っていた“教団の組織”は想像以上の規模だったということになる。

番組では、各機構へ入り込んだ教団メンバーの摘発に伴う問題点も議論されていたが、ハジュル氏は、「教団系の金融機関に預金があるとか、子弟が教団系の学校に在籍していたことがあるとか、その程度の証拠で摘発を進めているのではないか? もしもそうであれば、AKP議員の殆どが摘発されていないとおかしい」と問い質している。

これに対して、AKP議員のメフメット・メティネル氏は、「まさか、そんなことはない。教団の指示に従って行動した証拠が明らかな者を摘発しているはずだ」というように反論してから、「我が党の閣僚経験者の中にも疑わしい人物がいる。今ここで誰とは言えないが、こちらも公正に取り調べなければならない」などと、かなり踏み込んだ発言に至った。

この発言にスタジオがざわつき、「それはビュレント・アルンチ(元副首相)じゃないのか?」という声が数人から上がると、メティネル氏は「いや、ヒュセイン・チェリック(元教育相)のことだよ」とあっさり誰なのか明かしてしまった。

しかし、左派のハジュル氏も、「教団の問題で最も反省すべきなのはAKP」と言いながら、「今は過去に遡ってアラを探すのではなく、明日に向かって解決を模索すべき」といったメティネル氏の提言にも理解を示し、「我々全員が反省しなければならない」と語っていた。

また、クルド人ジャーナリストのムフスィン・クズカヤ氏が、「教団を追及している政権が(イスラム的な)AKPで良かった。CHPだったら、教団はイスラム主義勢力を味方に引き入れ、政教分離主義とイスラム主義の戦いにすり替えていただろう」と指摘したところ、これにハジェル氏も含めて全員が賛意を表していたのは、なかなか印象的だった。

*ムフスィン・クズカヤ氏:
≪AKPの議員を務めたこともあるが、どちらかといえば左派じゃないかと思う。ちなみに、メフメット・メティネル氏は非常にイスラム的なクルド人≫

いずれにせよ、わずか数年前でさえ、左派アタテュルク主義者のハジュル氏と、右派イスラム主義者のメティネル氏が、あれほど前向きな姿勢で議論しているのは、ちょっと考えられなかったような気もする。

トルコは、クーデター事件に始まった混乱の中で、確かに未来へ向けて“新しき門”を開きつつあるのではないだろうか?


*写真:オルタキョイ(2014年8月)

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