Diary 2016. 7
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7月1日 (金)  スルタンアフメットの外国人旅行者

今日、ヨーロッパ側のシルケジへ出たので、ついでにスルタンアフメットの辺りも歩いて見たけれど、観光客で賑わっているような所は何処にもなかった。

地下宮殿やアヤソフィアの前にも並んでいる人がいない。人影の少ない広場はやけに広く見えてしまう。その中を20人ぐらいの東洋人の団体が近づいて来た。台湾の人たちだった。

スルタンアフメット・ジャーミー(ブルーモスク)の方へ向かうと、噴水の前で写真を撮り合ったりしている旅行者が何組かいた。セルフィーで撮っていた若い女性2人に、何処の国の人なのか訊いたら、チュニジアだそうである。モダンな雰囲気から欧州の何処かを想定していたので、ちょっと意外な気がした。

それから、やはり欧州風のカップルに写真撮影を頼まれ、快く応じて何枚か撮ってあげた後で訊くと、ロシアのクラスノダールから来たと言うので、なんだか嬉しくなって、思わず固い握手を交わし合った。

プーチン大統領が「トルコへ行くな」と言っても、まったく来なくなっていたわけではないらしい。いよいよ関係改善の目途も立ったし、トルコを訪れるロシア人は、これからまた増えるだろう。

トルコは、イスラエルとも国交正常化を果たしたばかりだが、イスラエル人の旅行客は、この6年間で減るどころか増え続けていたそうだ。自国でもテロは多いため、冷静にリスクを計算して、コストパフォーマンスが良ければ、旅行先にトルコを選択する人たちが多かったのかもしれない。

スルタンアフメット・ジャーミー(ブルーモスク)の裏の坂道を降りた所にあるレストランの前には、韓国人の旅行者がたくさんいた。今日は30℃を越えてかなり暑かったけれど、サンバイザーを被った韓国のおばさんたちは、何故かとても元気だ。

一行の中年男性一人と少し立ち話したら、「今回、トルコを回って来て、日本の人たちを全く見かけなかった。海外旅行では行く先々で必ず出会うのに・・・」と不思議そうな顔をしている。

現在の状況で、日本人の旅行者をトルコの各地で見かけたら、その方が不思議なくらいなのに、このおじさんには危機意識というものが殆どないらしい。

しかし、韓国の人たちは、「テロの危険性? いやあ我が国の直ぐ北には、もっと危ないのがいますから」なんて笑っているけれど、確かにリスクはあっちの方が高いかもしれない。

なにしろ彼の国は、自爆テロのレベルじゃなくて、核弾頭まで用意しているそうだ。日本でも、こちらのリスクをもっと考えて見るべきであるような気がする。


イスタンブールの風景:7月1日
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.10208975489921168.1073741859.1134094593&type=3


*自己紹介欄のメールアドレスは既に使えなくなっているので、私(新実誠)へのお問い合わせは下記のアドレスにお願いします。↓

makoton1@hotmail.co.jp

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7月2日 (土)  トルコのEU加盟交渉

サバ―紙の若い女性コラムニスト、ヒラル・カプラン氏は、「イギリスのEU離脱」について論じた記事を、以下のように刺激的な表現で締めくくっていた。

「・・・これほどトルコ・フォビアがあるのだから、この連合体(EU)を数年の内に分裂させたいと望むならば、変わらぬ信念で加盟交渉に励むことができる。どうやら我々は、EUに入れなかったが、その分裂には貢献してしまった!」

しかし、トルコ政府は、分裂に一層貢献するためかどうか解らないが、今まで通り加盟交渉を継続させるらしい。

トルコでは、“政教分離主義”や“イスラム主義”といった思想信条の違いを越えて、多くの人たちが、「西欧並みの豊かで文明的な生活」に憧れ続けて来たのではないかと思う。だから、その象徴的な目標として掲げて来た「EU加盟」を、そう簡単に引き下げるわけには行かないのかもしれない。

「トルコのEU加盟」には、トルコからの分離独立を主張していたクルド人ばかりでなく、トルコと敵対していたシリアを始めとする中東の国々も、熱い眼差しを向けていた。

2005年の4月、シリアのアサド大統領は、以前の敵対的なイメージを払拭しようとしたのか、サバ―紙のインタビューに応じて、友好のメッセージを語りながら、次のように率直な心情を吐露している。

「(トルコのEU加盟は)シリアにとっても重要です。トルコがEUへ加盟すれば、私たちもEUの隣国になれるからです」↓

【136】レバノンからの撤退を明らかにしたシリアのアサド大統領【サバー紙】【2005.04.11】
http://neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00136.html

今から思うと、トルコとシリアにこんな蜜月の時代があったなんて、ちょっと信じられないくらいだ。2006年4月29日付けのミリエト紙には、アスマ・アサド大統領夫人へのインタビュー記事も掲載されていた。↓

【146】イスタンブールを訪れたシリア大統領夫人へのインタビュー【ミリエト紙】【2006.04.30】
http://neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00146.html

やはり、トルコに限らず、中東イスラム圏の多くの人たちも、「西欧並みの豊かで文明的な生活」に憧れているのではないだろうか? 命を懸けて、ボロ船で地中海の波濤を越え、西欧に新天地を求める人々が後を絶たないのである。

仮に、多くのイスラム教徒が、「西欧並みの豊かで文明的な生活」ではなく、「イスラムの大義」とやらに命を懸けていたならば、さすがのイスラエルも対抗し切れなかったような気がする。

結局、宗教やイデオロギーの如何に拘わらず、人間の根源的な欲望は、さほど変わりがないということかもしれない。


*写真:近所の市場で、山のように盛られた“サクランボ”。現在、実験的に超糖質制限を実施中なんで、ぐっと我慢した。人間の根源的な欲望に抗うのはなかなか難しい。

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7月3日 (日)  関係改善、次はエジプト、その次は?

トルコ政府は、イスラエルとロシアに続いて、いよいよエジプトとも関係改善に乗り出すらしい。チャヴシュオウル外相は、話し合いの準備が出来ていると語ったそうである。今後はシリアのアサド政権に対しても、より柔軟な姿勢を示すのではないかと囁かれている。

わずか10年ほど前、現AKP政権のもとでトルコは、積極的に近隣諸国との友好外交を進め、長年にわたって敵対していたシリアとは劇的な歩み寄りを見せていた。

しかし、シリアで内乱が勃発してから、状況は一変する。トルコは、アメリカに押されてシリアの反体制派を支援し、反アサドの急先鋒に立つ。ところが、背中を押したアメリカは、結局シリアに介入せず、トルコだけ最前線に取り残されてしまったかのようだ。

この難局を打開すべく、エジプトとも関係改善を図ったり、アサド体制への強硬な態度を改めたりしたとしても、それは、自らの強い意志で進めていた以前の友好外交と同じものじゃないだろう。

振り返って見れば、未だシリアとの歩み寄りが続いていた2007年の総選挙で、AKP政権は、さらに積極的な外交を進めて、国際社会の中で経済的な発展を目指すと訴えた。

対する野党のCHPは、非常に排外的で内向きな姿勢を見せる。当時、シヴァス県の宿で相部屋になったCHP支持者の主張は、まるで“鎖国論”のように思えた。

「日本ように勤勉で賢い国民がいれば、諸外国と競合して行くことも可能だが、この国には愚かな怠け者が多いから、外国資本の食い物にされてしまう。しかし、我が国は日本と違って国土が広く豊かだ。国を閉ざしても充分やっていける」

実際、トルコは、80年代にオザル首相が開放経済へ舵を切るまで、非常に閉鎖的な国家体制だったらしい。その後、紆余曲折を経て、AKP政権により再びオザル首相の路線が継承されたという。

現在の困難な状況を見て、「国を閉ざしても充分やっていける」と主張した彼は、『だから言わんこっちゃない』と思っているかもしれない。しかし、一度開け放たれた扉を再び閉ざすのは無理だったに違いない。90年代、トルコは既に後戻りの出来ないところまで来ていただろう。

AKP政権が推し進めた積極的な友好外交とその後の強気な対策は、結果として、巧く行かなかったけれど、状態が悪化する前に引き返して修正を図る柔軟性は、なかなかじゃないかと思う。

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7月4日 (月)  分割して支配

これまでトルコの人たちから何度聞かされたのか数え切れない、アングロサクソン(米英)の恐ろしさを表す言葉がある。「彼らは必ず分割してから支配する」というのだ。

我々日本人としては、「必ず挑発して相手に手を出させてから、もっともらしい大義名分を掲げて返り討ちにする」ではないかと言いたくなるけれど、オスマン帝国を分割されてしまったトルコの人たちにとっては、この「分割支配」が何より恐ろしいらしい。

そもそも、第一次世界大戦中、オスマン帝国をもっと細かく分割してしまうつもりだったイギリスを中心とする連合軍が、イスタンブールの占領を目論んで、ダーダネルス海峡からガリポリ半島へ上陸しようとした「ガリポリの戦い」では、オスマン帝国が同盟国側に与していたため、連合軍は特に大義名分を掲げる必要もなかった。

この戦争でオスマン帝国軍は、約5万5千人に及ぶ戦死者を出しながらガリポリ半島を文字通り死守する。もしも上陸を許していたら、“トルコ共和国”は生まれずして滅んでいただろう。

こういった歴史的な経緯もあり、トルコの指導者たちは「分割支配」とそれを企てるアングロサクソン(米英)を非常に恐れて来たのではないかと思う。

その所為で過剰防衛に陥り、長い間、門戸を狭めて閉鎖的になり、あまり積極的な外交も展開して来なかったのかもしれない。わけても、かつてのオスマン帝国の領域でムスリムの同胞が暮らす中東とは、なるべく関わりを避けていたようだ。

80年代になって、改革開放を唱えたオザル政権が、中東へも目を向け始めると、中東の人々はこれを歓喜して迎えたという。いつ何処で読んだのか忘れたが、その記事によれば、人々は「トルコが初めて我々の方を振り向いてくれた」と喜んでいたらしい。

確かに、最近、シリアやイラクから逃れて来た人たちに会って話を聞いたりしても、『イスタンブールはオスマン帝国以来の求心力を失っていない』と実感することがある。

しかし、これは「分割支配」を目論む側にしたら、不愉快で堪らないはずだ。かつてトルコが中東との関わりを避けて来た背景には、こういう要素もあったのではないだろうか? 連中を不愉快にさせるのは何よりも恐ろしい・・・。

トルコでは、アメリカがシリアへの介入を見送ったのは、介入してアサド政権が倒れると、その後に親トルコ的な政権が誕生してしまう可能性があった為だという説も聞かれる。この場合、イスラム原理主義的であってもサウジアラビアのように親米ならば問題とならない。

先日の報道によれば、シリアでアメリカの支援を受けている反体制クルド人組織PYDは、北イラクのクルド自治政府に対しても攻撃を繰り返しているという。これも、北イラクのクルド自治政府は非常に親トルコ的だからであると説明されていた。

とはいえ、エルドアン政権も、2013年の11月、自治政府のバルザーニ大統領をディヤルバクルに招いて盛大なセレモニーを開いたりして、少し強気になり過ぎていたのではないか。↓

11月17日 (日) ディヤルバクル
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2013&m=11

エルドアン大統領は、事あるごとに「2023年の目標」を掲げて、「強大なトルコ共和国」の未来を描いたりもしていた。2023年は、共和国の創立100周年であると同時に、共和国の国境などを確定したローザンヌ条約の効力が切れる年でもあるそうだ。

嘘か真か、ローザンヌ条約には、トルコが領内の石油資源等を開発しないという密約が含まれているという。密約なんて言われると、なんだか怪しい感じがして、ちょっと眉唾じゃないかと思うけれど、「強大なトルコ共和国」の夢を見るには、もってこいの“隠し味”だったかもしれない。

でも、これは“不愉快”じゃ済まされない気がする。幸い、エルドアン大統領も徐々に巧くトーンダウンさせているようだから、そのうち雰囲気も落ち着いてくると期待したい。

「分割して支配する」は、確かにやられた側にしてみれば恐ろしい。しかもアメリカは、最近まで公然と分離独立主義のPKKを支援してきた。

ところで、現在の日本がアメリカによって分割されてしまう恐れはないものの、戦後、アメリカは大日本帝国もしっかりと分割している。この「分割して支配する」は、全ての強大な帝国が用いて来た手段に違いない。これを巧く使いこなせなかった“帝国”は滅びてしまっただけだろう。

この世は、結局、「勝てば官軍、負ければ賊軍」で、日本もトルコも賊軍側についてしまう愚行だけは避けなければならないと思う。

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7月5日 (火)  アタテュルク空港爆破テロはISの犯行か?

アタテュルク空港爆破テロは、ISの関連組織による犯行とほぼ断定されたようだけれど、例によって、ISからは犯行声明が出ていない。

そのため、トルコの反エルドアン・反AKP系メディアは、ISとAKP政権の間にまるで協力関係があったかのように論じている。

「AKPはISから石油を購入している」といった説だが、現在は欧米の主だった公的機関がこれを否定しているにも拘わらず、一部の欧米メディアからも同様の論調が相変わらず繰り返されているらしい。

オラル・チャルシュラル氏の7月2日付けポスタ紙のコラムによれば、欧米メディアは、トルコの反エルドアン・反AKP系メディアの記事を引用して伝えているそうだ。

こうしてネタがトルコの国内から提供されているのであれば、「捏造だ」と言って一方的に欧米のメディアを責めるわけにも行かない。(なんだか似たような問題が、数年来、日本でも騒がれているけれど・・・)

ISにしても、犯行声明など出さない方が、トルコを一層困難な立場に追いやることができる。

しかし、トルコ政府が、当初、ISの掃討に余り積極的でなかったのは確かかもしれない。人質の救出で見られたように、情報機関は彼らとの間に何らかのパイプも持っていたと思われる。

とはいえ、トルコとシリアの間には長い国境線があり、難民の流入もあって、ISのメンバーが入り込んで来るのを未然に防ぐのは非常に難しい。ISからテロの標的にされるのは、なるべく避けたかったに違いない。

そればかりか、トルコの国内にも、産業化と経済発展に伴う社会の変化に取り残されて、歪なイスラム主義思想にかぶれた集団は存在している。政府はそういった集団の動向にも神経を尖らせて来ただろう。

先日、トルコはイスラエルとの国交正常化に合意したが、これに不満を懐いているイスラム主義者も少なくないという。例えば、イスラエルとの国交が断絶する要因になった「マービ・マルマラ号事件(2010年5月)」の当事者であるイスラム系NGO“IHH”の内部からも、エルドアン大統領に抗議する声が上がっている。

パレスチナのガザ地区に救援物資を輸送していたマービ・マルマラ号がイスラエル軍によって攻撃されたこの事件では、IHHの活動家ら数名が悲惨な死を遂げた。

これに対し、当時、エルドアン氏との関係が悪化していたフェトフッラー・ギュレン師は、マービ・マルマラ号がイスラエルの許可を得ずに航行したため問題が生じたと論じて波紋を広げる。

エルドアン大統領(当時の首相)は、すぐさま「許可は私が与えた。それで充分だ」と反論し、IHHを擁護していたけれど、今回、そのIHHから非難されると、彼らを窘めようとして思わず口がすべったのか、「首相だった私に断りもなく出航して・・・」と6年前の発言を覆してしまった。

どちらの発言が真実なのか、他に何が隠されているのか、私たちは知る由もないが、劇的なマービ・マルマラ号事件の裏で、フェトフッラー・ギュレン教団やイスラエルとの間に虚々実々の政治的な駆け引きが展開されていたのは明らかであるような気がする。

ひねくれた見方をすれば、ギュレン教団を親米・親イスラエルと罵っていたエルドアン大統領は、教団との勝負をつけてからじゃないと、国交正常化に踏み切れなかったのではないか。

いずれにせよ、多くのAKP支持者たちは、そういったエルドアン大統領の現実的で柔軟な姿勢にそれほど不満は懐いていないと思う。しかし、IHHの抗議に同調するイスラム主義的な支持者も少なからずいるはずだ。

大多数の支持者とは異なり、このイスラム主義的な人たちは、「AKP政権によって“イスラムの信仰”が社会の中で活かされ尊厳を回復した」ぐらいでは満足していないかもしれない。

それよりも、さらにラディカルなイスラム主義者たちは、そもそも最初からAKPなど支持していない。10%の得票率が確保できないため、いずれも議席は持っていないものの、いくつかのイスラム主義政党が活動を続けている。それとは別に、規模は小さいながら、もっと過激な思想を喧伝している様々な教団もある。

産業化と経済発展にともない、AKP政権の14年間で、伝統的な社会は却って急速に変化してしまった。取り残されて歪な思想にかぶれた連中が、かつてはイスラム主義者として身近に感じていたAKPを恨んでいるとしても不思議ではない。

彼らは、ヨーロッパのキリスト教社会で疎外感を深めて行ったと言われるISのメンバーと類似しているような気もする。


*写真:昨日でラマダンの断食も終わり、今日からラマダン祝祭の休暇に入ったけれど、イスタンブールは朝から激しい雨と晴れ間が繰り返さる妙な天気だった。右の写真は、左の写真から30分も経っていない光景である。

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7月6日 (水)  ダッカのテロとIS

アタテュルク空港爆破テロもさることながら、ダッカのテロが日本の社会に与えた衝撃は大きかったに違いない。滅多に連絡のない友人まで、「テロは許さん!」と長文のメッセージを書き送って来た。

メッセージには「テロリストを全員処刑したい」とか「彼らの思想を叩き潰すべきだ」といった激しい言葉が綴られている。いつも冷静な友人からは想像もできない“怒り”だった。

日本では事件の詳細が様々な角度から報道されているようだ。ネットからその一部には目を通すことができる。あまりにも惨たらしく恐ろしいので、私は逐一読んでいないけれど、テロ行為の経過であるとか、遺族の方々へのインタビューも掲載されていた。

この悲劇を連日のように聞かされていたら、神経がどうにかなってしまうだろう。友人のメッセージからも、それは読み取れるのではないかと思った。

しかし、事件の背景にあるバングラデシュの国情などについては、もう少し読んでみたい。

6年ほど前、イスタンブール市内にある中堅財閥系の工場を訪れたところ、工場長はトルコ国籍のパレスチナ人で、彼は以前、エジプトとバングラデシュの工場に出向していた経験から次のように語っていた。

「バングラデシュの人たちの“のんびり”には人の良さが感じられるし、仕事はちゃんとやってくれる。でも、エジプト人の“のんびり”は怠けているだけだ」

パレスチナで生まれ育ったアラブ人の彼にとって、エジプトの人たちは“同胞”と言っても良いはずなのに、バングラデシュと比較して、エジプトをボロかすに貶していた。バングラデシュの思い出がよほど素晴らしかったのかもしれない。

そのバングラデシュで、ISが勢力を伸ばしているとはやりきれなくなる。

実行犯の一人はかなり裕福な家の生まれだそうだが、ああいう連中に共通しているのは、疎外感や嫉妬などが病的に高まった精神状態じゃないだろうか? 貧富がどれほど影響しているのか良く解らない。オウム真理教の連中もその多くは恵まれた環境で育っていた。

ある日本人は、ISのテロについて、「あれは宗教に関係ないだろう。あいつら女にもてないだけじゃねえのか?」と切り捨てていたけれど、当たらずとも遠からずであるような気がする。

しかし、シリアとイラクに跨る一定の領域を支配している“IS”は少し違うらしい。現在、その中心に居座っているのは、実務に長けたサダム・フセイン政権の残党ではないかと言われている。

トルコでは、ISを「西欧出身のムスリム」や「フセイン政権の残党」などから構成された“烏合の衆”と見て、早晩内部崩壊するだろうと楽観的に考えていた識者も少なくなかった。

フセイン政権の残党であれば、トルコの情報機関に顔が知られていても不思議ではない。政府もその辺りから情報を得て、積極的に動くのを見合わせていた節がある。

ところが、シリアとイラクの領域では、分別のあるフセイン政権の残党が実権を握って居座り、西欧などから集まっていた病的な連中は、世界の各地へ拡散するという最悪の展開を迎えてしまった。これは、手術に失敗して、癌細胞がそこらじゅうに転移した状態と言えそうだ。

トルコの所為にしたりして、責任を擦り付け合うのではなく、世界各国が一致協力して、この癌細胞を消して行かなければならないだろう。

もちろん、イスラムの所為にするのは勘弁して欲しい。イスラムフォビアは、過激なイスラム主義思想にかぶれている一部のムスリムを、さらに病的な状態へ追い込んでしまうかもしれない。

“YouTube”で、ISのテロに関する日本のテレビ報道を見ていると、「イスラム国」という言い方が何度も繰り返されている。せめて「自称イスラム国」とは言えないものかと思う。

テレビを視聴している方たちが、後でISの背景について正しく分析された新聞等の記事を詳細に読んでくれたら有難いけれど、大概の場合、興味のない方はざっと読み流すだけで、印象に残るのは、テレビに写された衝撃的な場面や繰り返し聞かされた名称ぐらいになってしまう。

もしも、イスラムに対するネガティブキャンペーンを張りたかったら、これだけで充分じゃないだろうか。人々の間に、なんとなく「イスラムって恐いな」という雰囲気が醸成されれば良いのである。

アメリカで、トランプのイスラム排斥に拍手喝采している人たちの多くも、そうやってイスラムのイメージを作り上げてしまったに違いない。


12月17日 (木) IS/イスラムフォビア
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2015&m=12



7月7日 (木)  理科系の強さ

このホームページも始めて12年が過ぎるけれど、アクセスは全く増えなかった。また、アクセスがあったとしても、実際に記事が読まれたかどうかは定かじゃない。

おそらく、各記事を初めから終わりまで読んでいることが確かなのは、この世に一人しかいない。

つまり“私”である。これでは“マスターベーション”と言われても仕方がない。
(それにしても、なんと疲れるマスターベーションであることか!)

しかし、今日、2008年3月に拙訳したコラム記事のトルコ語原文をちょっと確認しようとして驚いた。原文のタイトルの下に、アクセス数が表示されているけれど、これが僅か“2124”なのである。

ネットの接続をリセットして、もう一度アクセスしたら、“2125”になっていたから、カウントは未だ機能しているらしい。↓

【183】AKPはナクシュバンディ派のプロジェクトである【ラディカル紙】【2008.03.26】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00183.html

現在、ネットの上だけで公開されているラディカル紙は、既に各コラム記事のアクセス数を表示していないが、アクセス自体はかなり増えたはずである。

2008年当時は、未だ紙の新聞を発行していたため、ネットからアクセスしている読者は、それほど多くなかったのだろう。

それにしても“2125”では寂しい。記事を書くコラムニストのモチベーションにも影響するのではないかと心配になる。まさか、それでアクセス数表示をやめたのか? 

まあ、実際のところ、コラムニストの識者たちは、アクセス数なんて殆ど気にしていなかったと思うが・・・。 

トルコでは、紙の新聞の総発行部数も、たかだか4百万ぐらいだそうである。日本の10分の1に過ぎない。

もっとも日本の場合、宅配で部数を伸ばしているだけで、ほんの一部しか読まれないまま“包装紙”になってしまう新聞も少なくないはずだ。

近所の家電修理屋さんの人たちは、「俺たちは新聞なんて読まん! エルドアンの悪口ばかり書きやがって!」なんて怒っているけれど、エルドアンを褒め称えている政権寄りの新聞も余り読んでいないらしい。

その割には、景気の動向とか経済欄に書かれているようなことは良く知っていて、私に教えてくれたりする。

要するに、ビジネスの役にも立たなければ面白くもない「思想」やら「文芸」の記事を読まないだけで、ネットから経済欄などには目を通しているのだろう。

もちろん信仰に篤い敬虔なムスリムだから、平易な宗教講座みたいな記事は読んでいる。でも、イスラム主義思想云々といったややこしい話に、それほど興味があるわけじゃない。コーランのトルコ語訳でさえ完読しているかどうかは怪しいものである。

AKPを支持しているような、大多数の保守的な人々は、まずこんな感じじゃないかと思う。家電修理屋さんなどはその中でも、かなり信仰に熱心な部類に違いない。

皆、日々ビジネスや子育てといった生産的な事業に忙しいから、イスラム主義とか政教分離主義とか新聞のコラムで争われていても、おそらく“暇人の議論”としか思っていないだろう。

そして、研究や分析に忙しいコラムニストの識者たちも、社会の全体像を見渡しながら、そうそう街角の人たちに付き合っている暇はない。

しかし、そういったコラム記事をうんうん唸りながら訳して、12年に亘ってこのホームページに駄文を書き連ねて来た私はいったい何なのだ? 

暇な独身男のなんという非生産的な生活だったのか。本当に哀れな半生としか言いようがない。

思えば、私がトルコにやって来てから、最も生産的な環境に身を置くことが出来た期間は、クズルック村にいた3年半の日々である。

任されたトルコ語の通訳もしどろもどろで、おまけに理科系が弱いと来たら、生産現場の何の役に立っていたのか心もとないが、私はその末端にいられるだけでも楽しかった。

クズルック村の工場で、敬虔なムスリムのエンジニアだったマサルさんは、「近代化というのは、産業化して物を生産することから始まるんです」と良く語っていた。

彼は中東工科大学を卒業した理科系のエリートで、まさにその近代化の真っただ中で活躍していたのである。

明治の日本がいち早く近代化を成し遂げられたのも、長い歴史の中で培われて来た「匠の精神」が理科系エリートの育成を容易にしたからではなかっただろうか。

トルコでも、80年代に改革開放を唱えて産業化を推し進めたオザル大統領は、テクノクラート出身で理科系の人だった。

そういえば、この10年ぐらいの間、私が最も興味深くそのコラムを読み続けて来たジャーナリストのエティエン・マフチュプヤン氏は、キリスト教徒のアルメニア人という点でも異色だが、ジャーナリストとしては珍しく理科系の出身である。これが定評のある理論的な社会分析の基になっているのかもしれない。

それぞれの思想によって様々な議論が闘わされる中、社会がこれからどう変わって行くのか解らないが、形のあるものを世に送り出す理科系の人たちは、いつの時代でも強いと思う。



7月8日 (金)  トルコの軍と政権

先日お伝えしたように、6年前のマービ・マルマラ号事件で、当時のエルドアン首相は、どうやら事前にマービ・マルマラ号の航行を承認していたわけではなかったらしい。事件後、「私が許可した」と発言した背景には、様々な政治的思惑が絡んでいたように思える。

さらに想像を膨らませると、マービ・マルマラ号による救援活動を進めていたイスラム系NGO“IHH”をエルドアン首相が支援していたのは、類似の活動に尽力していたフェトフッラー・ギュレン教団系のNGOを牽制するためだったのかもしれない。

8か月前のロシア軍機撃墜事件についても、日本では「NATOが前もって撃墜を承認していたのではないか」と論じた識者がいた。

それどころか、トルコの南東部が内戦状態に陥り、シリアとの国境でも緊張が高まって以来、軍部にはかなりの権限が委譲されていたそうだから、撃墜は軍部とNATOの了解だけで実行されてしまった可能性も疑えなくはない。

“Serbestiyet”のコラムでは、アルペル・ギョルムシュ氏が、バリオズ(大ハンマー)と名付けられた軍部のクーデター計画に関連する裁判の過程に疑問を呈していた。

「AKP政権の転覆を図ったクーデター計画」と言われ、軍の高官が多数逮捕されたバリオズ事件は、その後の展開で、フェトフッラー・ギュレン教団系の検察官らによる“でっち上げ”だったということになり、軍の高官は全て無罪放免されてしまう。

しかし、今度は裁かれる立場になったギュレン教団系の検察官らに対する審理は遅々として進んでいないらしい。

ギョルムシュ氏は、当初のクーデター計画に関する膨大な証拠資料の全てが“でっち上げ”だったとはとても考えられない、そもそも“でっち上げ”の証拠が未だに明らかにされていないのは不可解であると述べている。

実際、軍部に何らかのクーデター計画があったのは、既に多くの識者が既成事実として認めているのではないだろうか。軍部を支持する知人は、これを「軍の内部における清算」と説明していた。

つまり、軍の内部にも、AKPを支持するグループと、これに反対するグループの対立があり、結局、AKP支持派が勝って反対派を追い落としてしまった、ということらしい。

知人は、これを「エリートではなく民衆の軍であることを選択した結果」と言い表していたけれど、知人に限らず、こういった内部清算説を唱える識者は少なくない。クーデター計画の証拠資料は、その多くが漏洩ではあっても、軍の内部から提供されていたからだ。

その後、軍の高官が無罪放免されたのは、内部清算の決着がついてしまえば、もう罪に問う必要はなかったと説明できるのではないか。執拗に重罰を課そうとしたギュレン教団系の検察官らは、逆に清算されてしまったのだろう。

とはいえ、エルドアン大統領とAKPが、彼らの無罪放免まで望んでいたとは、ちょっと考えられない。強権政治どころか、全ては微妙なバランスの上に成り立っているような気がする。

ところで、2013年の4月、支持政党別に行われたアンケートで、「最も信頼する機構」という設問に「軍」を選んだ支持者の割合は、各政党で以下の通りだそうである。

AKP−64,5%、CHP−68,6%、MHP−75,4%

AKPと支持基盤が似通っている右派のMHPが、最も高い数値を示している。MHPの創設者であるアルパスラン・テュルケシュ氏は、1960年に軍事クーデターを実行した首謀者の一人だった(陸軍大佐)。

しかし、左派を標榜しているCHPの数値が、政権与党AKPの数値を上回っていたのは、なんとも興味深い。

このアンケートの2ケ月後に勃発した「ゲズィ公園騒動」で、一部のCHP支持者たちは、軍が介入してクーデターを起こすように求めていた。

トルコ共和国は、革命によって成立したため、長い間、革新の左派が体制派に近く、宗教勢力を中心とした保守派が反体制とされるややこしい状態が続いていたのである。

軍とAKPが和解して体制を刷新したかに見える現時点で、再び同様のアンケートを実施したら、AKPの数値はMHPと同じくらい高くなり、CHPの数値は激減してしまいそうな気がする。

CHPの支持者たちは、宗教を始めとする全ての保守的な伝統を嫌い、平和を愛して軍にも反対する、当たり前な“革新”のポジションに落ち着いて来たかもしれない。

昨年来、CHPは政教分離主義という共通項で、クルド政党のHDPと協力し合うような態度を度々示している。HDPは、今やもう分離独立を狙っているPKKの傀儡と見做されている政党だから、これに同調するCHPは、既に反体制派の政党と言われても仕方がないだろう。

南東部では、権限の委譲を受けた軍がPKKと激しく交戦中であり、AKP政権は政治決着の糸口を見失ってしまったかに見える。

CHPがもう少し柔軟な態度で、AKPとHDPが再び話し合える状況を作り出せないものかと思うけれど、これは全く期待できそうもない。

CHPは、AKP政権が行き詰って後退を余儀なくされた現状でも、殆ど明るい材料を見せられなかった。

結局、柔軟で現実的な対応が可能なのは、今のところエルドアン大統領のAKP政権以外にないと、多くの人たちが諦めているのではないかと思う。



7月9日 (土)  動物たちの反乱!:日本のクマと韓国のイノシシ/トルコのカモメ?

先週の金曜日、カドゥキョイで、カモメがゴミ集積所の周りに群がっているのを見た。7〜8羽は集まっていたんじゃないかと思う。

カモメは「カラスの天敵」と言われ、カモメの多いイスタンブールでは、さすがのカラスも小さくなっているけれど、代わりにカモメが集積所のゴミを食い散らかしている。カモメも相当な悪食である。

トルコの人たちは、野良猫ばかりじゃなくて、野良犬にも鳩にもカモメにも優しいから、カモメたちは人を恐れる様子もなくゴミを漁り、駐車中の車の上でふんぞり返っていた。

まあ、7〜8羽だから良かったものの、あれが70〜80羽だったら恐ろしい。それこそ、「ヒッチコックの鳥」になってしまう。

日本では、ツキノワグマの生態に変化が見られ、冬眠しなくなったり、肉食の傾向が増えたり、挙句の果てには、平気で人を襲うようになったりしている。

各々の遺伝子情報に、なんらかの異常が発生し、突然、攻撃性に目覚めた動物たちが人類へ襲い掛かる・・・なんて、何処かでそんな映画を観たような気もする。

しかし、昨日は、韓国のKBSニュースも、ソウルの近郊都市で、市街地の食堂にイノシシが乱入して暴れ回った事件を伝えていた。日本のクマに続いて、韓国ではイノシシの乱か? これでは何だか嫌な予感がしてくる。↓

KBSニュース(YouTube)
https://www.youtube.com/watch?v=LOhBDN7dd0c

そのため、「韓国でもクマに襲われる事件は起きているのか?」と思って、ちょっと調べてみたところ、どうやら韓国にヒグマは生息しておらず、ツキノワグマも絶滅危惧種に数えられているようだ。

ウィキペディアの韓国語版でツキノワグマの項を見ると、ロシアから連れて来たツキノワグマを山野に放して、種の復元に努めているという。既に絶滅寸前といった段階なのだろう。

それから、どうでも良いけれど、このウィキペディアの韓国語版では、ツキノワグマが絶滅の危機に瀕した原因として、日本統治時代の「害獣駆除」と「棲息地の破壊」をあげていた。

まったく、なんでも日本の所為にしなければ気が済まないらしい。

「李朝時代は、ソウル近郊の山にもトラが生息していたのに、日本人が全て殺してしまった」という話も聞いたことがある。トラがうろうろしていたら、危なくてハイキングも楽しめなくなっていたと思うが・・・

最近、日本では凶暴化したツキノワグマの捕獲に乗り出しているようだから、捕獲した「凶暴なツキノワグマ」を種の復元のため、韓国の山野へ放してあげると良いかもしれない。

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7月10日 (日)  衣類はトルコより日本が断然安い!

昨年来、日本へ一時帰国する度に、衣類や靴、ナップザック等を買い込んで来ている。とにかく安い! トルコよりも絶対に安い!

といっても、運動靴を除けば、買って来るのは中古品ばかりである。しかし、大規模な中古品専門店では、品揃えも良く、多くの商品が殆ど傷んでいない新品同様の状態で並んでいる。

最近、イスタンブールで外出の度に持ち歩いているナップザックとウエストポーチは、いずれも500円、着ている半袖のシャツも500円。この前の一時帰国中に購入したジーパンに至っては、たったの200円である。

このジーパン、試着した時は、かなりきつくて、腹をぐっとへこませなければボタンが閉まらず、少しでも太ると穿けなくなる惧れがあった。

それで、これに“チャレンジ・ジーパン”と名付けたら、姉が笑っていた。「既にチャレンジに失敗した奴がいるから、そんな新しいジーパンが中古で売られているんだよ」なんて言うのである。

しかし、2ケ月経った今では、腹を無理にへこませなくても入るようになった。チャレンジは見事に成功したと言って良いだろう。これはもう“サクセス・ジーパン”だ!

運動靴は、中野サンモール商店街の靴屋さんに行けば、1000円で新品が手に入る。デザインとか細かいことを気にしなければ、決して品質も悪くない。

今回、中野のブロードウェーではメガネを新調した。

「東大門眼鏡店」。13年前から、メガネはここで新調することにしている。韓国人の社長さんは日本語が随分巧くなった。新しいメガネは、近眼のレンズとフレームで計3000円。イスタンブールでもっと安い店があったら教えてほしい。

しかし、こうして何でも安い日本で買い物しながら、ちょっと気になったことがある。

何故か、殆どの表示価格に消費税が含まれていない。トルコのように税込み価格を表示してくれたら良いのに、計算するのがとても面倒だった。

日本の財政赤字は、私みたいな経済オンチの素人が聞いても、真っ青になる巨額だから、税率アップを延期しているような場合じゃないと思うけれど、あれでは、8%の消費税でさえ余計に高く感じられてしまう。(そのためにやっているのか・・・)

トルコでも、日用品の税率は8%である。しかし、一部の嗜好品には、18%課税されていて、数年前までは、チョコレートやビスケットのような菓子類も、そういった嗜好品に数えられていた。

現在は、8%に下げられているはずだが、何しろ糖質制限を始めて、菓子類には縁がなくなっているため、レシートで「8%」を確認してみようにも、今のところその機会がない。

いずれにせよ、今後、菓子類の税率が100%に引き上げられたとしても、私には何の影響もなさそうだ。却って糖質制限がやり易くなるかもしれない。

それどころか、この“菓子類100%”を実現すれば、糖尿病の患者さんが減り、チャレンジ・ジーパンに成功する人も増えて、万々歳じゃないのか? でも、そうなると、200円でジーパンが買えなくなってしまうから駄目か・・・。

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