Diary 2016. 5
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5月1日 (日)  ニコライ堂/復活祭

今日は、姉と母が引っ越し先の屋久島で使う家電を見に行きがてら、家族総出で、神田や日本橋の辺りを歩いて来た。姉と母にとっては、これが東京の見納めになるかもしれないそうだ。

神田では、母の思い出の場所であるニコライ堂に、また寄ってみたところ、ちょうど東方正教会の復活祭が催されていて、ミサには間に合わなかったものの、堂内を見学することもできた。

母は、子供の頃、この堂内で信者の方たちが額を床につけて祈っている姿を見たと話していた。アルツハイマー症だけれど、昔の記憶はかなり正確だから、実際、そうやって祈りを捧げていたんじゃないかと思う。

私もイスタンブールのロシア正教教会で、額が床につかんばかりに身を屈めて祈る姿を見たことがあるし、「戦争と平和」にもそういった記述があったのではないかと記憶している。

堂内では、復活祭にちなんだロシアの菓子“クリーチ”が売られていて、外でこのクリーチを頬張っている子供もいた。お母さんはロシア人のように思えたが、子供はちょっと東洋人らしい面影になっていたので、日本人とのハーフであったかもしれない。

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5月12日 (木)  軽トラで南の島へ・・・

引越荷物の殆どは黒猫ヤマトの宅急便で送ることができた。便利な時代になったものである。

10日の早朝、残った荷を軽トラに積み込み、私が先行で屋久島へ向けて出発。軽トラに積み込まれた荷物を見て、これではまるで夜逃げの一家だと皆で大笑いした。

そして、大阪までは中央高速〜名神高速をひた走りに走り、大阪からフェリーを乗り継いで、今日(12日)、屋久島に到着。まだ着いて半日しか経っていないけれど、山の景色が素晴らしくて、なかなか良い所であるように思えた。

屋久島
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5月21日 (土)  屋久島から東京へ・・・

屋久島への引越作戦も無事に済み、神戸〜静岡を経て東京に戻って来た。明後日(23日)には、またヒースロー空港を経由してイスタンブールへ帰還する予定です。

屋久島より
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神戸〜静岡
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5月23日 (月)  イスタンブール!!

ほぼ1ヶ月と10日ぶりに、トルコ、そしてイスタンブールへ帰って来た。

飛行機の窓からイスタンブールの夜景が見えて来て、いざ空港へ降り立った時は、帰還の喜びに興奮していたけれど、時間は既に夜12時を回り、日付は24日に変わっている。

地下鉄もバスも終わっているから、この空港で夜を明かさなければならない。帰還の喜びも束の間、たちまち当たり前な日常へ戻されてしまったような感じだ。

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5月24日 (火)  空港からイエニドアンへ

空港のロビーで一晩明かし、今朝(24日)の5時半頃に地下鉄の駅へ降りて見たら、駅のシャッターはまだ閉まっていて、多くの人たちが所在無げにシャッターの前で待っていた。

私も5時半には電車が動き出しているだろうと思っていたけれど、始発は6時ちょうどで、満員とは言えないまでも、かなりの乗客を乗せて電車は出発した。乗客の中には、私のように、空港で夜を明かした人も結構いたのではないかと思う。

終点のイエニカプで海峡横断地下鉄のマルマライ線に乗り換え、これまたアジア側の終点アイルルックチェシメスィ駅で降りて、イエニドアンへ行くバスに乗った。

バスは早朝の下り路線とあって、車内もガラガラ、道も混雑することなく、順調にイエニドアンまで走った。天気も良く、早朝のイスタンブールの街は、とても平穏で静かだった。

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5月25日 (水)  水曜市場

昨日も昼からカドゥキョイへ買い物に行ったけれど、今日はイエニドアンの水曜市場で必要なものを買いそろえてきた。

なにしろ、一時帰国の前に、野菜などは全て使い切って、冷蔵庫も空になっていた。

明日から、節約と健康のために、またいろいろ作って食べることにしよう。

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5月26日 (木)  近隣の出来事

私が一時帰国で留守にしていた間、街の近隣で起きた最も大きな出来事は、あの廃品回収屋さんが移転してしまったことじゃないかと思う。

なんでも以前より、地主から立ち退きを迫られていたらしい。地主にしてみれば、跡地にもっと高収入が得られるマンションでも建設したいところだろう。イエニドアンの街では、今やそこらじゅうに、鉄筋数階建てのマンションが建ち始めている。

いずれにせよ、いつも立ち寄らせてもらっていた廃品回収屋さんの建屋が、いきなり更地になってしまったのには驚いた。

しかし、家電修理屋さんに訊いたら、近くへ移転しただけだと言うので、昨日、早速訪ねて来た。歩いて15分ぐらいの所である。

移転先は、屋根のない更地をトタン板で覆って、事務所用のコンテナを置いただけの粗末なものだが、これから追々、一部に屋根を付けたりして行くに違いない。

昨日も、入り口に防犯カメラを取り付けるなど、着々と整備を進めている。元御近所のスーパー“エルジエス2”の店主、ハジュ(巡礼者)ことムスタファ青年らも手伝いに駆けつけていて、なかなか楽しそうにやっていた。

ムスタファ青年は、原理主義者を気取って、顎鬚を蓄えたり、車の後ろ窓にコーランの文句を書き込んだりしているため、ハジュ(巡礼者)などと嘲笑気味に呼ばれているけれど、至って気持ちの良い青年である。

未だメッカへの巡礼は果たしていないものの、先達て、ウムレという小巡礼でメッカを訪れて来たそうだ。これも近隣では比較的大きなニュースだったかもしれない。


10月25日 (日) 選挙まであと1週間/東京のトルコ大使館前の事件
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2015&m=10

12月2日 (水) 廃品回収屋さんの末弟
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2015&m=12

3月9日 (水) AKP政権を支持する人たち
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2016&m=3

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5月27日 (金)  カドゥキョイの夕暮れ

今日、イスタンブールは朝から雨が降り、午後、所々で局所的な豪雨に見舞われたけれど、夕方には晴れ間が見えるようになった。

カドゥキョイに着いたのは、既に8時近かったが、サマータイムのお陰で未だ陽は沈んでおらず、素晴らしい夕暮れを眺めることができた。

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5月28日 (土)  博士鍋?

トルコで大豆は手に入らないものかと、一昨日、大手スーパーで探してみたら、とりあえず黒豆が見つかった。インゲン豆等の他の豆類に比べるとかなり割高なので、常時利用できるものじゃないけれど、近々もっと安い大豆を手に入れるとして、まずは試しにこれを使ってみることにした。

これまで、インゲン豆は頻繁に調理してきたが、一晩水に漬けておいても、1時間近く茹でないと柔らかくならない。それで、昨日は、日本で教わってきた“博士鍋”を模した茹で方にしてみた。

空焚きしたために、取っ手が焦げて外れてしまった鍋は、もう一つの大きい鍋にすっぽりと収まり、鍋と鍋の間には1センチぐらいの空間が生じる。これなら、博士鍋と同様の保温効果が期待できるかもしれない。鍋の周囲を毛布で覆えば、保温効果はさらに高まりそうだ。

結果は、昨晩、約12分間茹でて保温して置いた鍋に、今朝、もう一度10分ほど火を加えただけで、黒豆は充分柔らかくなっていた。今度は肉の煮込み等でも試してみよう。

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5月29日 (日)  鹿児島

韓国に滞在したのは、87年〜88年にかけての1年半あまりに過ぎないけれど、その間、済州島を除く全ての“道”に足を踏み入れている。

もっとも、忠清北道と忠清南道、それに全羅北道は、鉄道やバスで通過しただけだが、その他の“道”では、皆、何処かで数日滞留したことがある。

トルコでも、東の外れから西の外れまで、訪れた“県”はかなりの数に及ぶだろう。しかし、これが祖国日本となると、情けないことに、北海道や沖縄を始め、足を踏み入れてない地域が未だたくさん残っている。

今回の屋久島行きまで、私が訪れた日本の最北は山形市、最南は熊本市、最西は長崎市で、全て長距離トラックを運転して行っただけだ。日本は交通費が高くて、そう簡単に旅行が楽しめない。

それが今回の屋久島行きで、最南の記録を更新したうえ、鹿児島にも足跡を残し、13年ぶりに大阪を訪れることもできた。こんなに嬉しいことはない。

欲を言えば、鹿児島市内でもう少し時間が取れれば良かった。せめて城山の西郷さんの銅像ぐらい見ておきたかったけれど、これは次回のお楽しみということにしよう。

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