Diary 2016. 4
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4月1日 (金)  春爛漫のイスタンブール

イスタンブールは4月になって、いよいよ本格的な春を迎えた。今日は、日中20度ぐらいまで上がったのではないかと思う。

週間予報によれば、暫くは温かな好天が続くらしい。これでイスタンブールは気分的にも明るさを取り戻せるだろう。

ガラタ橋の上では、熱々の新婚カップルが、様々なポーズで写真を撮っていた。記念のアルバムを作るためなのは解るけれど、なかなか大変そうである。

へとへとに疲れ果てた2人は、険悪なムードに包まれ、エイプリルフールの結婚式になってしまうかもしれない・・・なんて考えている奴はまさしく四月馬鹿だ。


*自己紹介欄のメールアドレスは既に使えなくなっているので、私(新実誠)へのお問い合わせは下記のアドレスにお願いします。↓

makoton1@hotmail.co.jp

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4月2日 (土)  トルコの経済成長

昨年、様々な忌まわしい事件にも拘わらず、トルコの経済成長率はそれほど鈍化しなかったようだ。↓

トルコ:10−12月GDPは前年比5.7%増
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2016-03-31/O4W8676S972801

トルコ、15年は4%成長 人口増背景に消費堅調
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM31H46_R30C16A3FF2000/

観光業界が厳しい状況にあるとはいえ、国民総生産に観光が占める割合は、5%に満たないらしい。上記の記事にも見られるように、現在、トルコの経済を牽引しているのは「自動車産業」であるという。

例えば、観光地の余り流行らない土産物屋で働いている客引きや店員などを対象にしたら、「勤勉なトルコ人」というのは冗談と思われてしまうかもしれないが、遥かに大きな割合を占める自動車産業等の製造業に従事している人たちの多くは非常に勤勉で意欲的だ。彼らがトルコの経済成長を担っている。

日本でも、昼間からパチンコ屋にいる人たちばかり見ていて、日本人が勤勉であるとは誰も考えないだろう。トルコの人たちが余り勤勉じゃないと言われてしまうのは、それと同じことであるような気がする。

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写真(左・中)は、昨日のイスティックラル通りにある両替商の様子。なんだか随分モダンな店構えになった。

ここから左程遠くない、ジハンギルの故マリアさん宅に間借りしていた2005年頃じゃないかと思う。換金しようと店先に並んでいたら、後ろにいた西洋人顔の男に「ここレート良いですか?」と日本語で訊かれた。

私は『客引きのトルコ人に違いない』とその男を胡散臭そうに見ながら、トルコ語で応じたところ、「すみません。私はトルコ人じゃなくて日本人なんですが」と言われてびっくりした。

ロシア革命で日本へ逃れて来たユダヤ人の子孫だそうである。神戸で美術商を営んでいて、折しも開催されていた美術展に参加するために、イスタンブールを訪れたという。

「ロシアから渡って来ましたが、アシュケナジムではなく、もともとセファルディムのユダヤ人だったらしいので、この街に住んでいるユダヤ人と同じですね」とお話になっていた。

もっと色々伺いたかったけれど、最初に失礼な態度で応じて恥ずかしかったため、少し立ち話しただけで別れてしまった。やはり、どんな人に対しても、つまらない先入観で見てしまうのは、大きな損失に違いない。


*写真(右)はカラキョイ。イスタンブールは何処もかしこも本当に車が増えた。

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4月3日 (日)  頭に包帯の男たち

いつ頃からだったか、イスタンブールの街角で、頭に包帯した男たちを良く見かけるようになり、『事故か? 事件か?』などと首を捻っていたら、なんのことはない、植毛手術の過程であることが直に解ってホッとした。

頭の後ろの方に残っている毛を抜いて、無くなったエリアに植え付けるらしい。抜かれた所にも毛根は残っているから、また生えて来るし、自分の毛を植え付けるので、副作用もそれほど心配はないと説明されている。

この植毛手術がトルコでは非常に安くできるため、海外からの「植毛ツアー」も少なくないという。特に、中東や北アフリカのアラブ圏から、このツアーに参加する男たちが多いそうだ。

またまた先入観に捉われているかもしれないが、一昨日、エミノニュを歩いていた「頭に包帯の2人連れ」も何となく“アラブ圏”であるような気がした。

10日ほど前には、ベールで顔まで覆った女房を連れた「頭に包帯の男」を見かけたけれど、彼はおそらく“アラブ圏”に違いない。しかし、女房の方は、髪の毛はおろか顔も見せていないのに、亭主はわざわざ植毛までするなんて、あの夫婦の料簡はいったいどうなっているのだろう?


*写真:一昨日のエミノニュ

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4月5日 (火)  シリア人じゃないの?

サルガーズィまで出かけて、今しがた戻って来た。歩いても片道40分ぐらいだから、散歩コースの一つになっているけれど、用があって行くときは、どういうわけかバスに乗ってしまう。何故だか良く解らない。

帰り、サルガーズィでバスに乗ろうとしたら、私の前にスカーフを被った若い女性2人が乗り込んで行く。最初に乗った女性は乳児を抱えながら、2人の幼い子供を連れて、プリペイドカードによる運賃の支払いもせずに、少し混んでいる車内の奥の方へ進んだ。

次に乗った女性が自分の分だけプリペイドカードを使って、そのまま進もうとしたら、バスの運転手さんが「前の御婦人は?」と訊いた。連れ合いだと思っていたらしい。

そうじゃないことが解って、運転手さんは、「御婦人、運賃の支払いが済んでませんよ!」と叫んだけれど、子連れの女性は振り返ることもなければ、歩みを止めようともしない。

すると、運転席の近くに立っていた中年男性が「シリア人じゃないの?」と運転手さんに言い、運転手さんもそれで納得したのか、運賃の請求を諦めてしまった。

そして、バスの中ほどに座っていた若い男2人が席を譲り、子連れの女性は何も言わずに座って、子供2人を隣の席に着かせると、周りの人々はお互いに無関心な、いつもの車中の様子に戻った。

シリア難民が只でバスに乗るのは、少なくともこの辺りじゃ当たり前に受け入れられているのかもしれない。トルコの人たちは優しい。


*写真:4月1日のカルタル付近

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4月7日 (木)  やくざの縄張り争い

ベルギーの爆弾テロの後、トルコでは、1996年の1月にイスタンブールで起きた暗殺事件が少し話題になっていた。

それは、トルコで最も大きな財閥の一つに数えられるサバンジュ財閥のオズデミル・サバンジュ氏が、白昼、執務中に射殺された事件である。

容疑者の一人フェフリイェ・エルダル(女性)は、1999年、逃亡先のベルギーで偽造パスポートを所持していたために拘束されたが、1年後に釈放され、トルコ政府の度重なる返還要求にも拘わらず、未だにベルギーで自由に暮らしているらしい。

極左武装組織の一員だったフェフリイェ・エルダルが、サバンジュ・センタービルの内部へ入ることが出来たのは、当時、様々な謀略事件に関わっていたと言われる警察幹部ヒュセイン・コジャダ―(謎の交通事故により死亡)の口利きにより、ビルの清掃員として職を得ていたからだと明らかにされている。

そして、エルダルは共謀者2人をビル内に引き入れ、犯行に及んだ。

その為これも、当時、相次いでいたトルコ国内の政治的な謀略事件の一つではないかと囁かれていた。3人の実行犯は、財閥の総帥サークプ・サバンジュ氏らが集まる会議を狙っていたものの、誤った情報により目的を果たせなかったという説もある。

しかし、結果的に射殺されたのはオズデミル・サバンジュ氏、そしてトヨタとの合弁企業の社長ハールク・ギョルギュン氏とその秘書だったため、様々な噂話が出回っている。

例えば、日本企業の誘致に熱心なサバンジュ財閥に苛立っていた欧州が、極左組織を唆して犯行に及ばせた・・・だから、容疑者を返還しないのである・・・等々。

いずれも、よくある陰謀説に過ぎないけれど、3年前、英国のサッチャー元首相が亡くなった際に、中曽根康弘元首相が語った追想という記事を読んだら、なんだか『ふーむ』と唸らされてしまった。

サミットの会議が始まるのを待っていた中曽根首相のもとへサッチャー氏が近づき、トルコの橋梁工事を日本の企業が受注した件について、「あれは欧州の企業が取るべき範囲である」と耳打ちしたそうだ。↓

(記事で“ダーダネルス”となっている海峡は、“ボスポラス海峡”のはずであり、こういう些細なこともトルコ・オタクにとっては悲しい。)

中曽根康弘元首相−サッチャー元英首相
http://shincyan98.hatenablog.com/entry/20130409/1365486293
http://www.nikkei.com/article/DGKDASGM0807R_Y3A400C1FF1000/

これをトルコの人たちに話すと、「やっぱり欧州は、トルコを自分たちの植民地と考えているんだな」と納得顔で頷いたりするけれど、まるで「やくざの縄張り争い」みたいな感じがして、私も随分酷い話だと思った。「うちのシマを荒らすんじゃねえ!」と啖呵を切った女親分といったところじゃないだろうか。


*写真:昨日(4月6日)のエミノニュ(左・中)とカドゥキョイ(右)。

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4月10日 (日)  スザンナさん親子の近況

故マリアさんの娘のスザンナさんは、2011年だったか、私も間借りしていたことがある旧宅を売り払ってしまい、今はアジア側のボスタンジュのアパート(日本で言うマンション)で、地階の比較的安い部屋を購入して住んでいる。

8月18日 (月) スザンナさんのヌナ
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2014&m=8

昨日、久しぶりに訪ねて来たけれど、相変わらず賑やかで元気そうだったので安心した。

息子のディミトリー君は、イスタンブール大学で獣医学を学んでいる。獣医学科は、現在のトルコで、最も安定した就職と高給が保証されているそうだ。卒業すれば、この親子も何とか経済的な安定を得られるに違いない。

獣医の需要が高まっているのは、空前のペットブームのお陰であり、スザンナさんたちが暮らすマンションでも、殆どの住人が犬や猫を飼っているという。上階の部屋なら、マルマラ海の島々が見渡せるようなマンションだから、ペットの犬もなかなか高級な品種が多いらしい。

スザンナさんのところも、ひしゃげた顔の大きな犬を家の中で飼っている。愛嬌のある犬だが、ちょっと匂う。その為、昨日も直ぐに洗濯できる服を着て行った。じゃれ付かれると匂いが移ってしまうのだ。

スザンナさんは、犬の散歩で出会う同じマンションの住人や近所の人々とも多少交流を持っているようだけれど、「ヨーロッパ風に気取って偉そうな顔した田舎者」とか散々に貶しながら、次のように話していた。

「ジハンギルの旧宅の隣に住んでいたフィクレットおじさん知ってるでしょ? おじさん、シヴァス県の村の生まれで信心深いムスリムだから、この辺りの連中は“田舎者”と言うかもしれない。でも、おじさんは我々の文化を良く知っていて、敬意を表してくれた。ここの連中より百倍イスタンブール人だったわよ!」

まあ、現在70歳ぐらいになるフィクレットさんは、子供の頃、イスタンブールにやって来て、ずっとジハンギルで家の内装や修繕の仕事を請け負ってきたそうだから、昔の顧客にはルムやアルメニア人といった異教徒が多かっただろう。当然、彼らの文化を熟知して親しく付き合って来たに違いない。

ボスタンジュ辺りの人たちも、このフィクレットさんと比べられたら困ってしまうのではないかと思った。

さて、スザンナさんのお父さんは、ロードス島出身のイタリア人で、その姓もイタリアのものだと聞いていたけれど、昨日確認したら、スザンナさんの姓はツァツァロニスであり、女性形はツァツァロニになるらしいが、なんだか普通にギリシャ人の姓であるような気がした。

スザンナさんの話によれば、祖父、つまり故マリアさんのお父さんもロードス島の出身でイタリアのパスポートを持っていたという。しかし、ロードス島は1947年までイタリア領だったみたいだから、お祖父さんがイタリアのパスポートを持っていたのは、それほど不思議ではないかもしれない。故マリアさんの姓は、キリッツィだった。

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写真(左)は、昨日のカドゥキョイ。最近、洒落た単車に乗る人たちが大分増えたように思う。

写真(中・右)はボスタンジュ。昨日は初夏を思わせる陽気で、いよいよ外でビールを飲んでも美味い季節になった。

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4月11日 (月)  ロンドン到着!

ただ今、ロンドンのヒースロー空港。といっても、トランジットでこれから羽田に飛ぶだけなので、外へ出られるわけじゃないし、英語が話せるわけでもないから、殆ど『ここは何処?』の状態です。

イスタンブールへ戻るのは5月の中旬で、それまでは日本から発信します。

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4月13日 (水)  ヒースロー空港/一時帰国中

飛び立った飛行機の窓から見下ろしても、ヒースロー空港の大きさが良く解った。2013年までは世界一の利用者数を誇っていたそうである。

イスタンブールでは、現在、新空港の建設が進められているけれど、完成すれば、このヒースロー空港を凌ぐ規模になるらしい。そして、サービスの面でも、かなり質の高いものを提供できるのではないだろうか。

こういってはなんだが、ヒースロー空港で働いている人たちの多くは、中東やアフリカなどから来た移民であるように見えた。トルコの人たちは決して彼らに引けを取らないと思う。

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この一時帰国期間中は、以下の携帯を使用しています。
080−7953−3985

*写真:(左)ヒースロー空港 (中)羽田空港 (右)実家の辺りでは未だ桜が咲いている。

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4月15日 (金)  ディヤルバクル〜アルビール

日本へ立つ前日(4月10日)のニュースだったが、トルコ南東部のクルド地域における中心都市ディヤルバクルから、北イラク・クルド自治区の首都アルビールへ、トルコ航空が運航を開始したという。

これにより、国境を挟んだ二つのクルド地域の人的・経済的な結びつきがますます強まって行くのではないかと思う。

ひと頃まで、「クルド人国家の成立は絶対に認めない」と頑なな態度を見せていたトルコの変化にも驚かされる。

北イラク・クルド自治区の独立やトルコ内クルド地域との交流が、決してトルコの不利益にはならないと自信を深めているのだろう。

また、これはディヤルバクルにいよいよ平和が戻って来たと実感できるニュースだ。

一方、北シリアのPYDと連携しながらテロ攻撃を続けていたPKKは、トルコ内クルド地域での民衆的な支持を殆ど失い、シリアの国境辺りに追い詰められているらしい。

PKK、PYDといった左翼的な集団は、地域の安定を乱すというのがトルコの政府寄り知識人らの見解のようである。

トルコ南東部や北シリア地域のクルド人民衆の多くは、信仰に篤いムスリムであり、そういう社会の実態に合わない政治運動は、やはり何処へ行っても騒乱を引き起こすだけの結果に終わるのではないだろうか。

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4月22日 (金)  浅草

一時帰国して以来、毎日インターネットに接続できる状態ではなく、今日久しぶりにネットでトルコのニュースを探してみたけれど、この間、あまり暗いニュースもなかったようなのでホッとした。

今日は、母と都内に出て、神田や浅草の辺りをぶらぶらしてきた。昨夏の一時帰国中にも、浅草へは出かけたものの、猛暑ですぐに退散してしまったから、今日はそのリベンジだった。天気も良く、涼しくて散策にはもってこいの一日じゃなかったかと思う。

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