Diary 2016. 3
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3月1日 (火)  霧のイスタンブール

昨日(2月29日)の朝、イスタンブールは深い霧に覆われていたけれど、昼には晴れて大分気温も上がった。

私は連続ドラマのエキストラに駆り出されて、スルタンアフメットの撮影場所に朝から夕方までいた。晴れ渡った後も、時々、霧が風に運ばれて来て、アヤソフィアやブルーモスクの辺りに漂い、なかなか幻想的な光景を楽しむこともできた。

しかし、外国人の団体観光客はやはり少なく、何だか寂しい感じもした。救いは、危機に強い韓国人団体客が相変わらず姿を見せていたのと、マレーシアの人たちらしいグループを何度か見かけたぐらいである。

個人旅行者には、欧米風もちらほらいたが、中東か北アフリカ辺りからではないかと思われる人たちの姿が目立った。

ブルーモスクの記念撮影スポットにいたカップルは、アルジェリアから来たそうだ。


*自己紹介欄のメールアドレスは既に使えなくなっているので、私(新実誠)へのお問い合わせは下記のアドレスにお願いします。↓

makoton1@hotmail.co.jp

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3月3日 (木)  滞在許可証

今日、1月に更新の為の申請書を郵送しておいた“滞在許可証”が届けられた。

滞在許可証に関する業務を、新たに設立された移民管理局が行うようになって以来、初めての更新手続きだったため、多少の不安もあったが、申請書の郵送から2ヵ月以内で手元に届いた。

業務に不手際が多くて、もの凄く時間がかかったという話を聞いていたけれど、そうでもなかった。新規ではなく、更新だったので少し早かったのかもしれない。

許可証は、なかなか立派なカードシートにうやうやしく収められていた。昨年も、申請の手続きに行った警察署から、後日郵送されて来たものの、もっと安っぽい封筒だったような気がする。

しかし、カードシートの裏に“トルコ航空”の名が印刷されていて、マイレージサービスの広告まで付いて来たのは、いったいどういうことだろう? 「トルコへの移民は“トルコ航空”で!」、なんてわけがないか・・・。

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3月4日 (金)  今日の昼飯/アルバニア風レバー/ベニスの商人

今日の昼は、家賃を入金しに行ったウムラニエで、“アルナブット・ジエリ(アルバニア風レバー)”を食べた。

なんで「アルバニア風」なのか良く解らないけれど、トルコの定番メニューの一つで、小麦粉をつけて揚げたレバー(羊か牛?)にちょっと辛めの味付け、生タマネギと一緒に食べるとなかなか美味い。この店のは特に美味しかった。

トルコでは鶏のレバーも一般的な食材となっている。しかし、良く肉を食べる割には、レバーの消費量はそれほどでもないような気がする。

また、調理の際は入念に火を通してしまうから、少し血が滲むような“焼き加減”はまず期待できない。もちろん、“レバー刺し”なんて有り得ない。

イスラム教やユダヤ教では、“血”も食べてはならない禁忌の一つに数えられている。それで、頸動脈を切る屠殺法により、充分な血抜きを行う。

血が滲むような肉やレバーは、教義の面から見ても、余り適切とは言えないのかもしれない。

“アルナブット・ジエリ”の昼飯を食べて、バスに乗ってから、ぼんやりこんなことを考えていたら、ふと「ベニスの商人」の話を思い出した。

悪徳なユダヤ人の高利貸しは、「期日までに返済できなければ、体から1ポンドの肉を切り取らせてもらう」という契約を実行に移そうとするが、「切り取っても良い。しかし、契約に書かれていない“血”は一滴も流してはならぬ」という名裁きによって野望を挫かれ、挙句の果てには、キリスト教への改宗を余儀なくされてしまう、というあの話。

なんとなく、あの話には、血を禁忌とするユダヤ教への皮肉も込められているのではないかと考えてしまったけれど、どうなんだろう? いくら血抜きしても、肉や特にレバーから完全に血を除去するのは無理じゃないかと思う。


*写真:(左)昼食べた“アルナブット・ジエリ”。ピラフもついている。
(右)午前中の雨も昼には上がり、イエニドアンへ帰って来た頃には快晴になっていたので、“喜びの丘”まで登ってみた。

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3月7日 (月)  フェトフッラー・ギュレン系のメディア・グループが政府の管理下に・・・

ザマン新聞等が政府の管理下に置かれたこの事件は、日本でも報道されているようだ。

なにしろフェトフッラー・ギュレン教団は、既にトルコで“テロ組織”の扱いだから、これも以下にお伝えした「無理なデトックス(解毒)」の一環であるらしい。

2月2日 (火) デトックス(解毒)と大手術
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2016&m=2

ジュムフュリエト紙のジャン・デュンダル編集長らが拘束された騒ぎも、このギュレン教団の一掃と関連付けて見る向きがある。

ジャン・デュンダル氏が報じた「MIT(国家情報局)によるシリアへの武器輸送」は、ギュレン教団のメンバーとされる憲兵将校が前以てマスコミにリークしてから“MIT”の車両を検査した謀略と言われ、関係者は逮捕されて裁判が進められている。

その為、歴史学者のハリル・ベルクタイ氏によれば、ジャン・デュンダル氏の行為は、元のニュースをコピペして報じただけで、およそ“国家機密漏えい罪”などに相当するものではないという。

それが何故、拘束されてしまったのかと言えば、他ならぬエルドアン大統領が自らデュンダル氏を告訴したためだ。その後、憲法裁判所の決定によりデュンダル氏らが釈放され、事態は収まるかに見えたものの、エルドアン大統領が「憲法裁判所の決定には従えない」などと言い出して、また騒ぎが大きくなっている。

ハリル・ベルクタイ氏は、この騒ぎの当事者である「ジャン・デュンダル氏」「エルドアン大統領」「憲法裁判所」の全てに問題があるとして、厳しく非難していた。

まず、デュンダル氏は、非民主的な教団の謀略に加担しており、民主主義など語る資格は全くない。憲法裁判所の決定も明らかな越権行為である。エルドアン大統領の告訴は、もちろん国民に認められた権利だが、大統領の立場でこの権利を行使するのは全く不適切で、どうかしている。

さらに、「憲法裁判所の決定には従えない」とは、いったいどういうことなのか? しかし、関係所管は速やかに「決定」に従って、デュンダル氏らは釈放された。等々・・・

このようにベルクタイ氏は述べて、エルドアン大統領の周囲にこれを思い止まらせる人はいなかったのか、と嘆いている。

選挙が続いたこの2年で、メディアは反エルドアン・AKP、親エルドアン・AKPの真っ二つに分かれてしまった。選挙が終わった後もこの状況には何の変化も見られない。余計、酷くなったような気もする。

トルコでは、政治家等を支持して、何にでも拍手喝采を送る人たちを「シャクシャクチュ(喝采屋?)」と言うけれど、親エルドアン・AKPのアクシャム紙なども、何だか喝采屋風のコラムニストばかりになってしまった。

こういった風潮を批判し続けていたギュライ・ギョクテュルク氏とエティエン・マフチュプヤン氏は、既にアクシャム紙を離れている。ギョクテュルク氏の場合は、辞めさせられたも同然だったらしい。

ところで、この喝采屋的なジャーナリストらによれば、エルドアン大統領が「憲法裁判所の決定には従えない」と言ったのは、告訴した当事者として「告訴を取り下げるつもりはない」という発言であって、大統領の立場で憲法裁判所への不服従を明らかにしたものではないそうである。その為に自分で告訴した・・・?

こういうのは、騒ぎがある程度収まってからじゃないと、何も見えて来ないのではないか。例によって、気が付いたら、うやむやのまま終わっている可能性もある。

しかし、根底にあるフェトフッラー・ギュレン教団の問題は、非常に重大であり、政府もうやむやのまま終わらせるつもりはないだろう。

そして、「羊をめぐる冒険」に出て来る「羊に入り込まれた男」じゃないけれど、相手はなかなか厄介な組織である。しかも、AKPの内部にも未だシンパがいるらしい。

これと闘ってデトックス(解毒)するのは、普通の論理的な思考では難しそうだ。暴力団の抗争みたいな所もあるかもしれない。

なんとなく、この辺りの駆け引きをエルドアン大統領は良く心得ているような気がする。デュンダル氏の騒ぎにも他の伏線がなかったとは言い切れない。

いずれにせよ、将来に禍根を残さぬよう、きれいに排泄・デトックス(解毒)してもらわなければ困ると思う。


12月23日 (水) 羊に入り込まれた男
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=20&y=2015&m=12


*写真:一昨日(5日)のメジディエキョイ。

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3月8日 (火)  ギュレン教団の排除

フェトフッラー・ギュレン教団のメンバーを国家機構内から排除するプロセスも、いよいよ大詰めを迎えたようだが、ある識者はこれを「90年代の体制が、イスラム主義勢力を排除しようとした動きと変わらないじゃないか」と批判していた。

当時、排除の対象にされたイスラム主義者の中には、もちろんエルドアン大統領を始めとするAKPの中心人物らも含まれていただろう。確かに何だか皮肉な感じもする。

そして、現在、排除されようとしているギュレン教団に極めて近いと思われている政治家は、そのAKPの中心人物の中にもいるという。例えば、ビュレント・アルンチ氏、ヒュセイン・チェリック氏の両元副首相などの名が取り沙汰されている。

噂程度に過ぎないけれど、アブドゥラー・ギュル前大統領の名が出て来ることもある。

今日、ラディカル紙のコラムで、オラル・チャルシュラル氏は、フェトフッラー・ギュレン教団に関連するこれまでの経緯をざっと振り返っていた。

ギュレン教団とAKP政権の対立は、まず、2012年の2月、教団のメンバーと思われる検事が、MIT(国家情報局)のハーカン・フィダン長官に検察へ出頭するよう連絡してきた“7日の夕刻”から始まったとされている。検事は、フィダン長官がオスロでPKKと秘密裡に交渉を進めていたことを立件しようとしたらしい。

チャルシュラル氏の記事によれば、フィダン長官は検察から連絡を受けると、直ぐにエルドアン首相(当時)に電話したものの、繋がらなかったため、ギュル大統領に電話したところ、大統領は「大したことはないから、出頭して聴取を受けて下さい」と答えたそうだ。

その後、エルドアン首相と電話が繋がり、首相はフィダン長官に「絶対、出頭してはならない」と命じて、事態は異なる展開を迎える。・・・

いずれにせよ、エルドアン首相がAKPの中で真っ先に教団との対決姿勢を示したのは、確かじゃないだろうか。今から思えば、教団関係の友人たちの間で、エルドアン氏の評判はもとより芳しくなかったような気がする。

“ミッリ・ギョルシュ(国民の思想)”で、エルバカン師の薫陶を受けたエルドアン氏が、当初、フェトフッラー・ギュレン教団を懐疑的に見ていたのは想像に難くない。いったい誰が彼らの間を取り持ったのだろう? これは、いずれ明らかになるかもしれない。

しかし、フェトフッラー・ギュレン教団の企てが成功していたら、トルコはどうなっていたのか。ギュレン師はアメリカから、イラン・イスラム革命の“ホメイニ師”のように劇的にトルコへ帰還するはずだったという。

まあ、そうならずに良かったと思う。結局、トルコの体制に劇的な変化は起こらなかった。


*写真:土曜日(5日)のメジディエキョイ。

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3月9日 (水)  AKP政権を支持する人たち

アメリカでは、トランプ氏の勢いがなかなか止まらないらしい。そういったニュースを聞いていると、トルコの民度はアメリカのそれよりよっぽど高いような気がしてくる。

私が住んでいるイエニドアンの街は、トルコの知識層からすれば、教育水準の低い住民が多い地域と見做されているようだけれど、私が身近に接している近所の人たちは、皆、結構冷静に情勢の変化を見ている。余り安っぽい扇動には引っかからないのではないかと思う。

もっとも、家電修理屋さんにしても、廃品回収屋さんにしても、自分たちで起業して経営を成り立たせて来たのだから、教育水準はともかく、もともと世の中の動きを良く見てきた人たちであるかもしれない。

アメリカでトランプ氏を支持する人々の多くは、零落した白人層であり、新興勢力の移民たちに不満を募らせているという。それならば、イエニドアンの彼らは、新興の中流層と言って良いから、アメリカのトランプ支持層とは、全く立場の異なる人たちだということになる。

ウォール街を歩くメフメット・シムシェク財務長官(当時)−YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=msMULPXWdK8&feature=youtu.be

上記の“YouTube”のプログラムは、昨年の10月頃に放送されたようだ。国連総会の為にニューヨークを訪れていたシムシェク財務長官(当時)が、ウォール街を歩きながら経済情勢や自分の生い立ちなどを語っている。

進行役の女性ジャーナリストは、AKP政権寄りのメディアで活躍していて、ちょっと喝采屋的なところもあるけれど、なにしろ才色兼備だから、私はいつもそのお姿に拍手喝采してしまう。

それで、ウォール街の風景と言い、なかなか洒落たプログラムだと思って、フェースブックでシェアしたところ、左翼のトルコ人の友人が、「この人たちは金持ちの為に働いて成功したことが、まだ解らないのか?」などと書き込んでいたので悲しくなってしまった。

ウォール街を歩きながらシムシェク長官は、自分が貧しいクルド人の農家に生まれ、奨学金によってトルコで最も良い大学で学ぶことができたと語り、トルコ共和国には「機会均等」があると強調している。

その他、経済政策についても語っているが、経済格差の是正云々といったことには全く触れていない。そもそも、シムシェク長官は、2009年の就任当時から「AKP政権に反対している人たちは、イスラム化ではなく、グローバリズムに反対しているのだ」と論じていた人であり、「貧しい庶民の為に・・・」なんて雰囲気は余り感じられなかった。

そして、イエニドアンの家電修理屋さんや廃品回収屋さんも、エルドアン大統領とAKPを熱烈に支持しているけれど、「AKPは貧しい庶民の為に頑張っている」などと考えて支持しているわけじゃない。

彼らは、これからさらに事業を拡大して財を成して行こうと考えているだけで、現状、自分たちが貧乏であるとも思っていないだろう。

第一野党のCHPを支持する人たちが、AKP政権支持者のこういった感覚を認識しようともせず、相変わらず陳腐な左翼思想に捉われているのであれば、政権交代など夢のまた夢になってしまいそうだ。


*写真:(左)メジディエキョイにそびえるトランプ・タワー。(中)右から廃品回収屋の実質経営者である長兄、末弟、次兄、従業員のおじさん。

12月2日 (水) 廃品回収屋さんの末弟
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2015&m=12

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3月12日 (土)  ギュル大統領とフィダン長官

先日(8日)、「アブドゥラー・ギュル大統領(当時)が、MIT(国家情報局)のハーカン・フィダン長官に、検察へ出頭して聴取を受けるように勧めた」という話を、オラル・チャルシュラル氏の記事からお伝えしたけれど、昨日(11日)のコラムで、チャルシュラル氏はこれを誤報と認めて謝罪し、訂正する記事を書いている。

それによると、チャルシュラル氏は元の記事を「2014年2月21日付けのテュルキエ紙」の報道に基づいて書いたが、記事が掲載されると、アブドゥラー・ギュル氏に近い人物から電話が掛かって来て、訂正を求められたそうだ。ギュル大統領は、エルドアン首相と同様、フィダン長官を出頭しないように説得したらしい。

どちらが本当なのか解らないけれど、テュルキエ紙(保守・政権寄り)の報道が事実ではなかったとすれば、まさしく「講釈師見てきたような嘘を言い」の世界になってしまう。

確かに、AKP政権寄りの喝采屋的な人たちもなかなかだが、反AKP・反エルドアン派の報道も相当怪しい。なんだか政治的な思惑の絡んだ記事が多すぎるように思える。今、立ち込めている霧や煙が引いてからではないと真相は見えて来ないかもしれない。


*写真:昨日、ヨーロッパ側のエミノニュからアジア側のカドゥキョイまで海峡連絡船に乗った。最近は海峡横断地下鉄マルマライ線を利用することが多くなり、連絡船は久しぶりだったけれど、やっぱりボスポラス海峡の“船旅”は良いものである。

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3月13日 (日)  エルドアン大統領の次女が婚約

4年ぐらい前だったか、次のような趣旨の記事を読んだ。「AKP政権になって何が変わったのだろう? 以前、軍を中心とする体制は、イスラムの信仰を制限していたけれど、無信仰も認めていなかった。国民は体制の望むレベルで、イスラムを信仰しなければならなかった。変わったのは、その信仰のレベルだけじゃないのか?」

かつて、体制が強要しようとした「信仰のレベル」は、大多数の国民が望んでいたレベルよりも遥かに低く、脱イスラム的な傾向が感じられた。

とはいえ、一部の左翼的な政教分離主義者のように「無信仰」を奨励しているわけではなかった。1980年の軍事クーデターで激しく弾圧されたのは、イスラム勢力よりも左翼・共産主義者だったと言われている。イスラム勢力は、「1997年2月28日の政変」で初めて弾圧されることになり、ショックを受けたそうだ。

冒頭の記事を書いたのは、左派のジャーナリストで、「エルドアンは偉そうなこと言ってるけれど、大した変化はなかったじゃないか」という嫌味が込められていたように思う。

しかし、信仰に篤いAKP支持の雑誌編集者に訊いても、「そのジャーナリストの言う通りです。大した変化は起きていません」と答えて記事の趣旨に同意していた。

つまり、国民へ無理に「脱イスラム的な社会」を押し付けるのはやめて、社会の実態に合った政教分離へ修正したということなのかもしれない。

私は、カラキョイにあるロシア正教の教会を訪れて、熱心に祈る信徒の姿を見る度に、『ソビエトの70年とはいったい何だったのか』と思ってしまう。ロシアの社会は、帝政の時代からソビエトを経て、どのように変化したのだろう?

社会に変化をもたらすのは、産業化やそれに伴う都市化であり、イデオロギーによって無理に変えようとしても、社会はそう簡単に変わらないと説く識者もいる。

この25年間に、トルコの社会も少しずつ変わって来たけれど、これを振り返って見ると、上記の説は確かに説得力がある。産業化が進み、トルコの人々は以前にも増して良く働くようになった。

メフメット・シムシェク前財務長官(現副首相)も、トルコの経済発展が、他の新興国のような地下資源によるものではなく、勤勉な人々によって支えられている点を指摘していた。この国はさらに発展するだろう。

それから、「女性の識字化が進むと、イデオロギーや宗教の如何に拘わらず、出生率は必ず下がる」というエマニュエル・トッドの説は、トルコでも実証されつつあるのではないかと思う。

例えば、エルドアン大統領は、「子供は3人作ろう!」と事あるごとに主張しているが、次男のビラル氏は結婚13年でお子さんは未だ2人のようである。

30歳を過ぎていた次女のスメイエ氏も、今日ようやく婚約を発表した。

スメイエ氏には、政界入りの噂が絶えないくらいで、かなりキャリア女性的な雰囲気を漂わせていて、もちろん高学歴である。

以下の“YouTube”のプログラムでは、マラソンを振興するイベントに参加したスメイエ氏の姿が紹介されている。↓

https://www.youtube.com/watch?v=vgoG7Cj7SmY

なかなか美人だし、感じも悪くなさそうだ。私は「イマーム・ハティップ高校100周年」というシンポジウムで、スメイエ氏とは知らずに、1メートルぐらいの至近距離でその姿を見たことがある。↓

11月25日 (月) イマーム・ハティップ高校100周年シンポジウム
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2013&m=11

こんな紹介ばかりしていると、「お前も喝采屋だろう」と言われそうだが、エルドアン大統領とその家族は、独裁者であるとか何とか無茶苦茶な誹謗中傷にさらされているから、多少是正しても良さそうな気がする。

もっとも、野党CHP党首のクルチダルオウル氏も、独裁者云々では余りにも実態に合っていないと思ったのか、最近は「独裁者の出来損ない!」などと罵っているらしい。


*写真:3月11日−(左)エジプシャン・バザール。(中)バザール外側のチーズ屋さん。(右)ガラタ橋のたもと近く。/外国人観光客も少し来ていたので安心した。昔は良くここでチーズを買っていたけれど、高血圧が心配になってからご無沙汰している。

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3月14日 (月)  トルコの人たちの国際感覚

(3月13日)

「メルハバ通信」にも書いたけれど、クズルック村の辺りには、実に様々な民族の人たちが暮らしていた。“民族の博物館”と言っても良いくらいじゃないかと思った。ラズ人、チェルケズ人、グルジア人、アブハズ人等々・・・。

メルハバ通信
http://www.neo-pro.jp/makoto/merhaba/index.html

もちろん、トルコの全域がクズルック村のようになっているわけではない。周囲にトルコ語以外の言葉を話す人々もいなければ、異なる文化と交流する機会もない環境で育った人もいるだろう。

トルコ共和国は、トルコ民族の国を作り上げようとした為、オスマン帝国時代の多様性は大分失われてしまったらしい。しかし、50年代以降、ドイツ等への移民が始まると、今度は西欧と直に繋がりを持つ人たちが急速に増えて来たようである。

イエニドアンは、イスタンブールの外れの庶民的な街だが、この街でも西欧に移住した親族を持つ人は驚くほど多い。廃品回収屋さんにもジャー・ケバブ屋さんにも、西欧で暮らしている親族がいて、連絡を取り合っているそうだ。

良く考えて見たら、私のトルコ人の友人の大部分は、西欧に親族がいる。だから、最低の教育しか受けていなくても、結構ドイツやフランスの事情に詳しかったりする。

イエニドアンの人たちも、「トルコは強いぞ!」と言いながら、ロシアと戦争になったらやばいことぐらい皆解っている。今日(13日)、昼飯を食べたジャー・ケバブ屋の親爺さんも、「強力なトルコ軍は、我らが国境を侵す者を全て撃退する! でも、国境の外には出て行かないよ」と笑っていた。

現在、AKP政権を支持している「信心深い庶民」の中には、こんな人たちが少なくない。トルコの民度は相当高いと思う。

それにひきかえ、AKPとエルドアン大統領の全てに拍手喝采したり、逆に全てを誹謗中傷したりしている“知識人”のレベルはどれほど高いのかと考えてしまうけれど、テロまで政争の材料にして、何とか政権を躓かせようとする勢力もあり、まるで「仁義なき戦い」の様相を見せているため、どちらも引くに引けない状況に陥っているかもしれない。


*今日(13日)、18時半頃、アンカラでまた爆破テロが起きたようだ。21時半現在、死亡27名、負傷75名と発表されている。

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3月15日 (火)  仁義なき戦い

(3月14日)

昨日(13日)のアンカラの自爆テロは、クルド武装組織PKKの犯行という説が有力のようだ。

南東部のクルド地域におけるPKKの掃討作戦は、いよいよ大詰めを迎えていて、あと一歩のところまで来ているという。そのため、PKKは公然と、「次は大都市を狙う」と警告していたけれど、それが実現してしまったらしい。追い詰められて、もうなりふり構わない状態になっているのではないだろうか。

もちろん、警告されていたのだから、当局は対策を講じていたはずだが、90年代のように、「南東部出身のクルド人でPKKのシンパである」程度の理由により、強引な捜査を進めることも出来ず、事前の摘発は困難を極めているに違いない。

PKKへの共感を隠そうともしないクルド人なら、私の友人の中にもいる。彼らは、フェースブックなどで、それを公にしているし、何処にオフィスを構えて、どういう仕事をしているのかも明らかだ。

しかし、共感しているだけで、実行が伴っているわけじゃないから、捜査の対象にされる恐れは今のところないようである。

そもそも、PKKの出先機関であることが既に疑いもない政党HDPの議員らによる挑発行為に対しても、政府は介入を躊躇っているように見える。

議員権の剥奪などに踏み切ると、「トルコ政府はクルド人の政治活動を弾圧している」という宣伝材料を彼らに与えてしまうからだという。

つまりテロによって、トルコ政府の無能ぶりを印象づけ、強引な対策を実施すれば、「弾圧だ!」と騒ぎ立てる“二面作戦”を仕掛けているらしい。仁義もへったくれもないような気がする。

もっとも、歴史上の数多の戦争や、現在の中東の状況を見たら、仁義のある戦いなど望んではいけないかもしれない。ましてや、「平和を愛する諸国民の公正と信義」なんて、いったいどうやって信じられるのだろう?


*写真:昨日(13日)と同じく、3月11日に撮った写真から/(左)(中)カドゥキョイのアルメニア教会。復活祭を前にした“大斎”が始まっており、金曜日だったけれど、信者の方が多数集まって、ミサを催していた。(右)その近くのモスクでは金曜礼拝が・・・。

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