Diary 2016. 2
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2月1日 (月)  ヨーグルト

この4〜5日、風邪でどうも調子が悪いけれど、昔に比べて、何だか余り風邪を引かなくなったような気がする。特に、イエニドアンへ越して来てからは、それほど酷い風邪に悩まされた覚えがない。

昔は冬になると、よく風邪を引いた。インフルエンザや気管支炎で寝込んだりすることもあった。

風邪の予防には、例えば手洗いの励行など、衛生も強調されているが、私の場合は、それより「寒さ」や「寝不足」などが大きな要因になっていたと思う。

衛生に関しては、季節を問わず、私はいつも褒められた状態じゃない。そして、いくら夜更かししても、夏場は滅多に風邪を引かなかった。それが、冬に暖房の余り効かない寒い部屋で夜更かししたりすると、かなりの確率で風邪をひいた。

イエニドアンの家は、暖房も良く効くし、ここへ越して以来、殆ど夜更かししなくなった。夜になったら、さっさと寝る。これが一番の予防じゃないだろうか。

もう一つ、私が間違いないと信じている健康の要因がある。

それは毎日のように食べているヨーグルト。

以前からヨーグルトは良く食べていたけれど、イエニドアンに越して以来、その頻度も量も比較にならないくらい増えた。2s入りのヨーグルトを、大概、3〜4日で消費してしまう。夜はヨーグルトしか食べないことも多い。

これで、まず便通がもの凄く良くなる。なるべく少食を心がけているのに、その食べたものが全て出て来るのではないかと思えるくらい、立派な生産物が毎日出荷される。

あれは、食べ物のカスだけが出て来るんじゃなくて、新陳代謝により、老廃物も排出されているそうだから、新陳代謝が相当良くなっているのかもしれない。

実を言うと、ヨーグルトのこの作用に気が付いたのは、もう30余年前になる。

川越の産廃屋で働いていた頃のある日、下痢してもの凄く具合が悪く、食欲もなかったため、食べやすいヨーグルトで何とか栄養とエネルギーを確保しようと、400g入りの「ブルガリア・ヨーグルト」をいっぺんに食べてみたところ、翌朝、立派な生産物が出荷されて、具合も良くなってしまったのである。

最初は、たまたま良くなっただけかと思ったけれど、何度か試してみた結果、ヨーグルトの効用に違いないと確信するに至った。でも、日本でヨーグルトは、それほど安価な食品とも言えないから、それは具合が悪い時に限られた「薬用食」みたいなものだった。

しかし、トルコに来れば、毎日食べても家計に響かない程度の価格である。スーパーでは、4s入りのビックサイズも売られている。あれでも、4人家族だったら、あっという間に無くなってしまうだろう。

トルコの食卓には、ヨーグルトが欠かせない。ご飯(ピラフ)にヨーグルトを掛けて食べる人もいる。そもそも、ヨーグルトの語源はトルコ語であり、トルコこそがヨーグルトの本場なのである。

ところで、「ヨーグルトを食べても便通は良くならなかった」と言う人もいるけれど、食べた量を訊くと、100gとか200gなんて答えが返ってくる。やっぱり、400〜500gは食べないと駄目かもしれない。大相撲の琴欧州親方は、若い頃、毎日2sぐらい食べていたそうだ。

毎日の健康にヨーグルト! その効果は間違いないと思う。少なくとも、私はそう信じて、毎日食べている。


*自己紹介欄のメールアドレスは既に使えなくなっているので、私(新実誠)へのお問い合わせは下記のアドレスにお願いします。↓

makoton1@hotmail.co.jp

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2月2日 (火)  デトックス(解毒)と大手術

ウィキペディアの記述によれば、人間の“便”の大部分を構成しているのは、「水分(60%)」と「腸壁細胞の死骸(15%〜20%)」「細菌類の死骸(10%〜15%)」などで、食べ物の残滓は5%程度に過ぎないらしい。

体内に蓄積されていた毒素も含まれているというから、まさしく「汚物」で、溜めずに排泄しないと、様々な悪影響を人体に及ぼす。便通が良いのは、やっぱり健康の証に違いない。

さらに、自然には排泄され難い毒素を取り除く「デトックス(解毒)」というのも、最近流行っているそうだが、そこまでやる必要があるのかどうか良く解らない。

自然に任せておいても、そういった毒素の蓄積が許容範囲を越える前に、本体の人間という「毒」がデトックスされているのではないだろうか?

地球に蓄積される「毒素」についても様々な議論がある。温室効果をもたらす二酸化炭素、オゾン層を破壊するフロンガス、そして放射能と各々の危険性が指摘されているけれど、専門知識のない私には、いずれの説も解り難い。

しかし、こちらも何だか、議論の答えが出る頃には、「毒素」をまき散らしている人類そのものが滅亡しているような気がする。人間の寿命が尽きるように、人類も滅亡すれば、地球もいずれ無くなる。これには議論の余地などないはずだ。

糞(ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B3%9E

それから、社会における「汚物」とその排泄も、やはり人間の体の営みに似ているかもしれない。

人間の腹に、いつも「汚物」が溜まっているように、不正や犯罪のない社会は有り得ないけれど、それが正常に排泄されていれば、社会も健康を維持することができる。

ところが、現在のトルコは、国家機構の内部に巣食っているとされるフェトフッラー・ギュレン教団の組織、それから、南東部の各地に立て籠もっているPKKの組織という異なる種類の「汚物」を排泄しようと躍起になっていて、これがまたいずれも正常な排泄とは言い難い。

蓄積された「汚物」が放っている「毒素」も非常に強いため、致し方ないのかもしれないが、ギュレン系に対しては、強い副作用を伴う無理なデトックス療法、PKKには、さらなる危険が伴う乱暴な外科手術で、既に大量の出血を余儀なくされてしまった。

ギュレン系のデトックスでは、政権与党AKPの党内にいるビュレント・アルンチ元副首相のような大立者がどういう扱いを受けることになるのか注目されている。

一方、PKKを切断排除する大手術は、地域のクルド人住民からも一定の支持を得たと言われているが、PKKに反旗を翻した住民たちも、決して「AKP政権や軍そのもの」の支持に回ったわけではないそうだ。

彼らは、90年代に多くのクルド人が謀殺された事件の解明を望んでいるだろう。この事件には軍の関与が囁かれている。彼らの恨みは大きいに違いない。

しかし例えば、体内に入り込んだ異物も、生活に支障がなければ、そこに潜んだまま、忘れ去られていたりする。それを無理に取り除こうとして、却って危険な手術になってしまう場合もある。

でも、あれを取り除かなかったら、クルド問題の政治的な解決は難しいのではないかと思う。


*写真は、本文と何の関係もないけれど、ボスポラス海峡が黒海に果てるところ・・・

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2月3日 (水)  歴史の闇

トルコでは、90年代、国家憲兵(ジャンダルマ)によって作られた「JITEM」という組織が、PKKの掃討を掲げて、PKKとの関連を疑われたクルド人らを、非合法的な処置で、次々に暗殺していたのではないかと半ば公然と囁かれている。

当時は、軍を始めとする国家体制の主流が、「脱イスラム的な政教分離主義」と「トルコはトルコ人による単一民族国家である」といった思想に固執していた為、クルド人の存在すら認めようとしない国家と、分離独立を主張するPKK側クルド人との間には、政治的な解決はおろか、対話の糸口さえ全く見つからない状態だった。

その後、2002年にAKP政権が誕生した頃から、国家の硬直した思想に少しずつ変化が見られ始める。軍の内部でも、イスラム的な保守層の現実、そして民族的な多様性を認める人たちが、徐々に多くなって来たのではないかと論じられている。

そして、2008年には、イスラム的なAKP政権の転覆を図ったという旧主流派の軍高官らが続々と逮捕される。この「エルゲネコン裁判」では、いよいよ軍の影響力が失墜したと考えられて、民主化への期待も高まる。

民主化が進み、「エルゲネコン裁判」に続いて、クルド人暗殺に関わった「JITEM」も裁かれるに違いないと思われた。ところが、残念ながら、そうはならなかった。

2014年以降、AKP政権が、国家機構内に巣食ったギュレン系組織の一掃に乗り出すと、「エルゲネコン裁判」を主導したギュレン系の司法関係者も排除され、再審によって軍高官らは無罪となり、「JITEM」の追及もうやむやになりそうな気配を見せている。

しかし、ギュレン教団は、国家を背後で操る為に、軍の弱体化を狙っていたと言われている。「エルゲネコン裁判」は、そもそも余り純粋な民主化の動きではなかったらしい。

PKKを支持していた民族主義的なクルド人は、これに酷く失望している。彼らはAKPに期待して裏切られたように思っているかもしれない。そのため、PKKを見限ったとしても、AKPに鞍替えすることは有り得ないという。

一方、AKP政権は、PKKを排除するためにも、軍との協力関係を維持しなければならない。軍も、イスラム的な保守層の現実を認めて、おそらくこの点ではAKP政権に理解を示している。そして、民族問題でも、既にクルド人の存在を否定したりはしていない。なにより、長期的には、軍もトルコの民主化を望んでいるはずだ。

しかし、政権内部でも、クルド側の要求を何処まで認めるかについては、統一見解が得られていないような気がする。これは軍においても同様だろう。

エルドアン大統領とレイラ・ザナ氏の会談は、大統領が「自分としては会談実現の方に傾いている」と明らかにしていたにも拘わらず、結局、実現しなかった。大統領の発言を受け、会談の前提として掲げたザナ氏の要求が認められなかったという。

PKKが、外国勢力と連携しながら、トルコの国土分割を狙っているのは、ほぼ間違いないと思われる。エルドアン大統領、AKP、そして軍も、これを断固阻止するという決意では一致しているに違いない。PKKの排除が進まなければ、過去に遡って「JITEM」を追及するといった余裕は、今のところないようである。

将来的にも、歴史の闇として残ってしまう可能性はあるかもしれない。トルコの人たちも、その多くは「玉虫色決着」にそれほど不愉快を感じないのではないか。事を荒立てるのを避けようとするし、白黒つけるといった極端なことも余り好きではなさそうだ。

もちろん、ラディカルなクルド民族主義者はこれを認めないだろう。また、反エルドアン・反AKPの左派知識人の大半は、これに限らず、ありとあらゆる「玉虫色決着」を嫌がる。

ところで、現在、反エルドアンを唱えて、誹謗中傷に躍起となっている人たちを見ると、旧来の硬直した国家思想に捉われたまま、エルドアンに怒りをぶちまけているだけの旧体制派も少なくない。彼らは何を騒いでも、無視されるだけではないだろうか。

しかし、一部の反エルドアンのリベラル派知識人は、「エルゲネコン裁判」と「JITEM」の追及まで、当時のエルドアン首相とAKPを支持していた。この人たちは、軍や体制への批判でも、首尾一貫していて、無視し難い存在である。実際、無視できないから、逮捕するのかもしれない。

例えば、先日、国家機密漏洩等の罪で終身刑を求められたジャン・デュンダル氏は、以前から政治的な意図によって歪曲・誇張された記事を書くことも多かったらしいが、2008年にはアタテュルクの個人崇拝へ一石を投じる映画を制作するなど、一貫して体制を批判し続けて来た。(その英雄的な姿勢も批判されているけれど・・・)

それにしても、終身刑とは酷すぎる。こんなものは一種の政治的なショーで、気が付いたら、これも玉虫色で終わっているのではないかと思う。また、そう祈りたい。

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2月4日 (木)  中華料理の思い出に乾杯!

昨日、市内のショッピングモールにあるフードコートで、久しぶりに中華バイキングを食べた。5〜6年ぶりだったと思う。

風邪が治らず調子が悪かった所為か、少し濃い味付けのものが食べたくなっていた。

食べ放題のバイキングが23リラ。今、イスタンブールで外食すれば大概このぐらい取られるから、相対的に大分安くなったように感じた。

相変わらず「安かろう悪かろう」で、店の雰囲気も5〜6年前のままだけれど、すっかり庶民の味として定着しているのかもしれない。

スープと3〜4品食べて、『まあ、こんなもんか』と諦めながら、昨年の夏、ソウルで御馳走になった中華を懐かしく思い出していた。

在韓華僑の友人明仁が、最後の晩に連れて行ってくれたのは、ヨンチョン(霊泉)市場近くの路地裏にある小さなうらぶれた中華料理屋だが、一風変わった店主の人柄と、その店主が作る料理は絶品だった。

明仁は、息子が通う中華学校の父兄という縁で、店主のおじさんと知り合ったらしい。晩飯時というのに、照明を半分落とした薄暗い店内に入ると、おじさんは奥のテーブルで所在無げにパソコンの画面を見ていた。もちろん客は一人もいなかった。

この店は、麺類を一切扱っていない。何故かと言えば、麺類を食べるお客がたくさん来ると、本格的な料理を作る楽しみが奪われるからだそうである。

現状、特に金を稼ぐ必要もないため、美味しい料理を作って、自分もお客も満足したらそれで充分というのが、おじさんの哲学らしい。ここまでの話だけでも凄いけれど、おじさんの作る料理はどれも本当に美味しくて、その哲学の奥深さを感じてしまう。

美味しい料理を食べ、高粱酒を飲みながら話が弾むと、途中で何度も乾杯した。中国式の文字通りの「乾杯」だったから、旅館へ帰り着く頃には酔いが回って千鳥足になっていた。

翌朝、へろへろの状態でインチョン空港へ向かい、なんとか搭乗手続きを済ませて、待合ロビーで待っている時も、体中から高粱酒の強い香気が、なんとも言えない満足感と共に未だ発散されているのではないかと思った。

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2月5日 (金)  ピタパンの鯖サンド

(2月4日)

今日(2月4日)の昼は、カドゥキョイで鯖サンドだった。

この店は、ドネルケバブのサンドや甘い菓子類もやっていて、とにかく安いから、ちょっとした行列が出来るほどの賑わいを見せている。

でも、私がここで食べるのは、いつも鯖サンドで、ドネルとかは未だ試していない。

鯖サンドは、大きなフランスパンじゃなくて、小さなピタパン(トルコでは“ゴビット”と言う)に挟まれているから、なるべく食事の量を減らそうとしている私にぴったりだ。

今日は、昼と言っても既に3時頃で、とても腹がへっていた所為か格別に美味かった。

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2月6日 (土)  究極のアルコール

先日、「ヨーグルト健康法」とか書いて以来、風邪がすっきりせずに愚図ついていたので、一昨日、強いアルコールで解毒を図ってみたら、翌朝にはすっかり治っていた。

やっぱり「酒は百薬の長」である、とか言って、実際は、その前に風邪が抜けていたのだろうけれど、朝起きて快調に感じたのは、アルコールの酔いでぐっすり寝られたお陰じゃないかと思う。

また、この10年ぐらい、引っ越す度に暖房の設備は良くなってきたものの、今のイエニドアンの家も、マイナスまで下がったら、暖房を全開にしてもなかなか温まらない。そういう晩は、早めに一杯飲んでさっさと寝るのが一番であるような気もする。

しかし、「アルコールで喉を消毒すると風邪が治る」なんていうのは、ちょっと嘘くさい。そもそも、飲めるくらいのアルコール濃度で、消毒の効果など期待できるのだろうか?

一昨日飲んだのは、まさしくその消毒用アルコール「96%」という代物だったが、もちろんそのままではとても飲めない。水で半分ぐらいに割ってから飲んでみた。結果は上々、ちょっと強めのウォッカと何ら変わるところがない。少なくとも、私にはその違いが解らなかった。

これは、トルコの酒造最大手メイ社の製品で、一応大規模スーパーの「酒類販売コーナー」に並んでいた。

他のウォッカやラクの750mlボトルが、50〜150リラもする中で、「1リットル:43リラ」という価格が目を引き、手に取ってみたところ、商標も描かれていない素っ気ないラベルには、以下のように記されている。

「家庭での使用を目的とする“農産物が原料のエチル・アルコール”」

使用目的として、特に「消毒」が明らかにされているわけじゃないが、「飲用」という表記もない。大きな警告マークと共に「火気厳禁」の注意書きも見られる。しかし、「酒類販売コーナー」で売っているのだから、購入者の大半は、飲むつもりで買って行くのだろう。

最近は、健康と家計を考えて、「飲む日」を少しずつ減らした結果、ほぼ週一ペースになっているが、それでも例のバズーカというウォッカが1ヵ月持たない。他に安いワインも飲んだりするから、月に約70リラは酒代に消えてしまう。

そのため、『なんとか、もっと安くあげる方法はないものか?』と常々考えていたので、この「究極のアルコール」の発見は、非常に喜ばしい。

おそらく、酒類の値上がりで、同様に「安さ」を追求していた人々の要望に応え、これが「酒類販売コーナー」でも売られるようになったのではないかと思う。

*****

昨年、また「密造酒のラク」で何人も死亡する事件があった。逮捕された男は、「俺にエチルと偽ってメチルを売った奴が悪い」と語って反省の色も見せなかったというから恐ろしいけれど、これで「密造酒事件」が何故後を絶たないか、少し解ったような気もする。

メイ社の「究極のアルコール」でも、ラクの半分から3分の1ぐらいの価格である。市場にはもっと安い「エチル・アルコール」も出回っているに違いない。それでラクを密造しても充分な稼ぎになるはずだ。

そして、この手の「密造ラク」なら、飲んだ人がひっくり返ることもないから、なかなか発覚しない。ところが、何かの手違いで「メチル」が混入されると、たちまち大事件になってしまうのだろう。

まあ、アルコール飲料は、常に仕入先がはっきりしている大手スーパー等で求めた方が良いかもしれない。


ラク
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=20&y=2013&m=10

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2月7日 (日)  酒の飲み方

33〜5年前、20〜22歳の頃は、湯上りに720mlの安い白ワインを一気飲みしたこともある。

ちょっと寝付かれないような暑い夏の晩、冷蔵庫で良く冷やしておいた白ワインを一気に飲んでしまうと、とても気持ち良く寝られて、翌朝すっきり目が覚める。

当時は、そうやって飲み干すつもりなら、720mlのワインが、アルコールの分量としてもちょうど良かった。ところが、今や普通にワインを1本(トルコでは通常750ml)空けても、翌朝なんとなくすっきりしていない。一気に空けたら、それこそ飲んでる途中で気持ち悪くなってしまうような気がする。

最近は晩酌の目安を、6〜7時間の睡眠で目覚めがすっきりしているかどうかに置いているけれど、これだとワインは400〜500ml、ウォッカならショットグラスで2〜3杯がいいところである。

アルコールを分解する力も、年齢と共に大分落ちて来ているのではないかと思う。高校生ぐらいの頃は、何の弁えもない凄まじい飲み方で、ゲロ吐いたり、公園や駅等で寝込んでしまったり、色々やらかしたが、今あれをやったら、急性アルコール中毒で間違いなくお陀仏だろう。

しかし、あれをやったお陰で限度が解ったのか、20歳以降、酒で失敗した記憶は殆どない。でも、朝起きたら記憶が飛んでいて、前の晩の一部始終が思い出せなかったことは度々ある。

ちょうど2年前の2月、1週間ぐらい通った工場へ技術指導に来られていた日本の方と、我が家からほど遠くないサルガーズィのメイハーネ(居酒屋)でラクの杯を重ね、翌朝、我が家で目が覚めたものの、どうやって家に辿り着いたのか直ぐ思い出せず、大いに焦った。

当たり前な恰好して寝ていたし、時間通りにアラームで起きたのだから、それほど心配しなくても良さそうに思えるが、技術者の方はどうされただろうか? これが不安で堪らなかった。

技術者の方がお泊りになっていたホテルも、サルガーズィと工場の中間ぐらいに位置しているけれど、我が家とは大分方向が違う。そして、サルガーズィでタクシーに乗ったような記憶は何とか引き出せても、そこから先が消えている。

でも、その朝、工場で御挨拶して、恐る恐る前の晩の経過を伺ったら、大したこともなかったらしい。タクシーでまずホテルへお送りし、それからイエニドアンの家に向かったようである。「昨日は良い酒だったねえ」とお話になっていたので、ほっと胸を撫で下ろした。

その後、財布の中を見たら、なんとタクシーの領収書まで取ってある。トルコのタクシーは、催促しなければ、領収書なんて出してくれない。かなり酔っ払っていても、そういうのは忘れないせこさに、我ながら驚いた。

その日は、一日中頭が重かったものの、記憶が飛んでしまうほど飲んでいたのか、ちょっと良く解らない。アルコールの量なら、おそらく昨年の夏、あのソウルで飲んだ高粱酒のほうがよっぽど多かったと思う。

おそらく、どういう風に目を覚ましたかなど、他にも様々な要因が記憶を左右するのではないだろうか?


*写真:2月4日のカドゥキョイの様子。

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2月10日 (水)  危ない酒と危ない人

クズルック村の工場にいた頃は、収入も安定していた所為か、ほぼ毎晩のように飲んでいた。

工場を辞めた後は、まず経済的な理由から、そんなに飲めなくなった。そして、2012年以降は、さらに健康も考えて、飲む頻度を減らした。

現在、週一はちょっと言い過ぎだったかもしれないが、必ず2〜3日は間隔を空けるようにしている。

考えて見ると、毎晩飲んでいたのは、日本でも23歳ぐらいまでで、産廃のダンプを始めたら、体力的にきついと感じて、とても毎晩は飲む気がしなくなった。

1994〜95年、川崎の産廃屋の寮では、泡盛をがんがんやっている沖縄の先輩たちを見て、『付き合ったら、こっちの体力が持たない』と恐ろしくなり、「体質的に余り飲めません」などと嘘をつき、美味そうな泡盛の杯を勧められても断っていた。

川崎の産廃屋でダンプの運転手
http://neo-pro.jp/makoto/merhaba/003.html#200

要するに、毎晩飲んだら体に良くないとは、何となく思っていたのである。

これが、毎晩どころじゃなくて「朝から晩まで」になったら、その危険度は覚醒剤とそれほど変わらないかもしれない。既に廃人の一歩手前だろう。

しかし、覚醒剤と違って、廃人になるまで飲んでも、やくざに脅されたり、警察に逮捕されたりする心配はない。

産廃屋などで働いていると、身近に「覚醒剤をやったことがある」とか「やくざの知り合いがいる」といった人物が現れたりするけれど、可能な限り遠ざけて関わりを持たないようにした。そうすれば、素寒貧の私に、向こうから近寄ってくることはなかった。

ああいった連中と交渉を持ったら最後、ケツの毛まで抜かれてしまうらしい。初めから、抜かれる「毛」がなかったとしても、絶対にこちらから近寄ってはならない人たちじゃないかと思う。

私には、その手の人たちを多少身近に見る機会があったため、以来、それと同じ「雰囲気」を感じてしまう人間とは、極力関わらないことにしている。

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2月11日 (木)  名古屋のやくざマンション

長距離トラックの運転手をしていた1996年の4月、広島から名古屋まで、某引越センターの荷物を運んだ。

広島では、既に引越センターの支部へ運び込まれていた荷物を積んで来たから、荷主の家がどういう様子だったのか、私は目撃していない。

名古屋の搬入先は、郊外に建てられた高層マンションだった。

引越センターの車も来ていて、7〜8人の搬入要員が待機していた。これなら直ぐに片付くだろうと思ったが、マンションの外門の脇に駐車してあるベンツが邪魔で、玄関先までトラックを寄せることができない。

引越センターの責任者格の人が、マンションの管理事務所へ連絡したところ、マンションのオーナーであるという初老の男性が出て来たものの、「えーっ、このベンツにどいてもらうの? また、街宣車が来たら嫌だなあ」なんて恐れている。どうやら、ベンツの持ち主は暴力団関係者らしい。

しかし、その人の良さそうなオーナーが渋々連絡して、暫くしたら、マンションの玄関から如何にもな男が肩を怒らせながら姿を現し、我々の方を一睨みしただけでベンツを移動してくれた。

それから、トラックを玄関先に着け、搬入作業が始まったけれど、人手も多いから、私はずっとトラックの荷台にいて、マンションの中には入らなかった。

途中、マンションの住人と思われる水商売風のおばさんが、「ご苦労さまですねえ」と微笑みながら、トラックの前を行き過ぎたので、私も軽く会釈を返した。ところが、そのおばさんが玄関に入ったところで、ひと騒動持ち上がってしまう。

エレベーターに引越荷物を運び入れていた搬入要員の一人が、先に乗せてくれと頼んだおばさんに、捨て台詞を残して、そのままエレベーターを出発させてしまったというのである。

おばさんは金切り声をあげ、亭主に連絡したから、来るまで全員が玄関先へ集まれと威嚇する。いくらも経たないうちに、その亭主が息子を連れて、車で駆け付けたけれど、これがまたベンツで、亭主は一見してやくざ風、息子は茶髪のいかれた兄ちゃんだった。

そして、全員、玄関の前に並ばされた挙句、階段の上に立ってこちらを見下ろしながら喚き散らす、支離滅裂な亭主の“演説”を拝聴しなければならなかった。

“演説”が始まる前、おばさんに何か言ったらしい搬入要員と引越センターの責任者は丁重に謝罪していたので、『もうそろそろ終わりかな』と思っていたら、突然、親爺の横に立っていた茶髪の息子が、「こらお前! 何笑っているんだ!」と喚き出した。

「一番後ろに立っているお前だ!」と指をさす、どうやら私のことらしい。それまで笑っていた覚えはないが、茶髪の喚き方は余りにも滑稽で、思わず吹き出しそうになるのを堪えながら、私も神妙な面持ちで謝罪しなければならなくなってしまった。

まあ、笑ったつもりはなかったものの、亭主の“演説”も随分馬鹿らしかったから、聞いている内にちょっと顔が緩んでいたかもしれない。

引越センターの責任者さんによれば、荷主の男もやくざ風だったそうである。おそらく、そのマンションは、やくざに占拠されていたのだろう。人の良さそうなオーナーは、家賃などを徴収できていたのだろうか? ケツの毛まで抜かれていなかったら良いけれど・・・。

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2月13日 (土)  我が家のスチーム暖房

今日は、朝、小雨が降っていたけれど、気温は昨日よりさらに上がって大分温かくなった。午後には15℃ぐらいまで上がるらしい。来週は、春を思わせる陽気になるという。これから暫く、暖房を使わなくても済む日が続きそうだ。

うちの暖房は、ガス湯沸かし器によるスチーム暖房で、イスタンブールの4〜5階建て以上のアパートには、大概、これが備わっているような気がする。

以前住んでいたエサットパシャとウスキュダルのアパートにも備わっていたが、スチームの通るラジエーターは小さく、間取りは広かったため、なかなか温まらなかった。

今のイエニドアンの家では、3部屋ある内の一番小さい部屋を日常使って、後の部屋は、洗濯物を干したリ、軽い筋トレする時に使うだけで、スチームのラジエーターも閉めてある。

唯一の居住空間となっている部屋は、間取りが狭いのに、ラジエーターはかなり大きいから、暖房の効きは悪くない。この10年来で、最も温かい部屋だろう。

最悪は、故マリアさんの家に間借りしていた2004〜5年の冬だった。

築100年という立派な石造りの家で、ギリシャ風、あるいはコンスタンティノポリ風といった趣が感じられたけれど、もちろんスチーム暖房なんて備わっていないし、天井がもの凄く高いから、ガスストーブを全開にしても、殆どストーブの前しか温まらなかった。

日本にいた頃は、6畳一間といったアパートが多かったので、ガスや石油のストーブを点ければ直ぐに温まった。あれはストーブの近くにいたら汗をかくくらい熱くなる。

スチームの暖房は、そんなに早く温まらない。温まっても、半袖でビールが飲めるほどにはならない。しかし、夜消しても、寝付くまで温かさが持続しているところは、なるほど素晴らしいと思う。

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