Diary 2016. 1
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1月1日 (金)  謹賀新年/年越しパスタとワイン

大晦日は、前夜から降り始めた雪が、朝になってさらに勢いを増したかのようで、いったいどのくらい積もるのか心配になるほどだった。

午後になると、少し日が差して来て、下のバス通りは除雪車が雪を掻きのけていたが、うちの前の坂道は、こんもり雪が積もったままで、車はおろか人の往来も殆どないらしい。

大雪は、数日前から予報され、注意が呼びかけられていたため、食料品は必要以上に買い込んである。それで、雪景色を撮りに出かけることもなく、ずっと家に引き篭っていた。

晩は、冷たいスパゲッティに缶詰のオイルサーディンを乗せただけという何とも簡単な肴を用意して、安いワインをマグカップに注ぎ、一人で乾杯した。

ワイングラスなど家には無いし、そもそもそんな洒落たワインじゃないから、マグカップで充分である。そして、最後は例のバズーカ(ウォッカ)で締めた。

スパゲッティを年越しそばの代わりと思えば良いし、このトルコ製のオイルサーディンはなかなか美味い。チャナッカレに本社があるダルダネル社の一品。しかし、トルコでは余り一般的な食材と見做されていないのか、何処のスーパーでも売っているわけじゃない。探すのに一苦労する。

元旦の今日は、天気も良くなり、うちの前の未だ雪が積もったままになっている坂道では、子供たちが雪滑りして遊んでいたけれど、私も一緒になって滑って転んだら、正月早々、間抜けの極みだろう。慎重に足跡を辿りながら坂を下りた。

バス通りの雪はもう解けていた。予報では気温も若干上がるらしく、夜になって凍結する恐れもなさそうだ。トルコを取り巻く諸問題も、こうしてすっと解けてしまうように祈りたい。


*自己紹介欄のメールアドレスは既に使えなくなっているので、私(新実誠)へのお問い合わせは下記のアドレスにお願いします。↓

makoton1@hotmail.co.jp

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1月2日 (土)  トルコの官僚

イスタンブールに現地事務所を構えていた日本の会社で働かせてもらっていた1992年の初秋、この会社がトルコへの輸入を試みた物品が、イスタンブールの税関で止められてしまった。

その物品は日本の遊戯機器、つまりパチンコ台だったが、これを輸入が禁じられているビリヤード台の類と見做して、通関不可を言い渡してきたのである。

直ぐに責任者の方たちとイスタンブールの税関へ赴いたところ、広くて立派な税関長室に案内された。

そこで我々を迎え入れた税関長もパリッとしたスーツに鷹揚な態度で、やはりなかなか御立派な雰囲気を漂わせていたものの、「なんとか許可が出るように尽力してみましょう」と、その対応はとても友好的だった。要するに、『いくらか出せば・・』と含みを持たせていたのだろう。

ところが、数日後、この税関長から、「アンカラの本省が不可と通達してきたため、もう私に出来ることはない」という連絡があった。どうやら、パチンコ台は、イスタンブール税関の裁量を越える案件になっていたらしい。

その後、政財界に繋がりを持つと言われる人物の仲介により、アンカラの本省まで行って、直々に輸入の許可を求めることになった。

私たちが面会したのは、多分、関税商務省で輸入を司る部署のトップに近い官僚じゃなかったかと思うが、まずは、その執務室の貧弱さに驚かされた。広くて立派なイスタンブールの税関長室とは比べ物にならない。

現れた官僚も40歳前後の風采の上がらない男で、地味なくたびれたスーツを着て、態度も非常に紳士的というか腰が低かった。

しかし、語った内容は極めて厳しく、「我々はパチンコ台がどういうものか良く知っている。その上で輸入を禁じたのであり、これは何があっても変わらない」と明らかにされて、取り付く島もなかった。

日本から出向していた責任者の方は、「ああ、この国は大丈夫だ。下が腐っていても上がしっかりしているから・・・」と何だか感動したような面持ちだった。

トルコで官僚が採用される過程はちょっと良く解らない。日本と同類の国家公務員試験を実施しているわけではないようだ。聞くところによると、ほぼ特定の大学の出身者の中から選び抜かれているらしい。中でもアンカラ大学政治学部が占める割合は非常に高いと言われている。

(日本も試験して得られた結果を見ればトルコと大して変わらないのでは?)

トルコの場合、『我こそは』という志がある若者たちに未だ「軍」という選択肢が残されているけれど、各省庁の官僚にも、かなり士気の高い優秀な人材が集まっているのは間違いないと思う。

この5〜6年の間にも、何度か通訳として随行したアンカラの官公庁で、官僚と出会う機会に恵まれたが、やはり如何にも優秀な人たちばかりだった。

一度、エーゲ海地方の企画について、アンカラの官庁で話し合っていたところ、その場を仕切っていた役付きの官僚が、未だ入省して間もないと思われる若い官僚に、「君も日本の方たちと一緒に現場を見て来なさい」と命じた。

私たち日本人一行が、その夕方に航空機でエーゲ海地方へ飛び、ゆっくりホテルで休んで、翌朝その現場に赴くと、若き官僚は私たちよりも先に来ていた。

当然、航空機を利用したと思ったので、彼に「フライトは昨日何時の便だったのですか?」と訊いたら、恥ずかしそうに「いやあ、そんな贅沢は許されていませんよ。昨日、仕事が終わってから、夜行の長距離バスに乗って来たんです」と言うのである。

とても謙虚な態度の青年だったけれど、もちろんアンカラ大学とかそういう大学を出て来ているエリートだから、将来は次官ぐらいまで出世するかもしれない。なんだか畏れ多いような気がしてしまった。

トルコの軍や官僚機構には、おそらくオスマン帝国以来の伝統があるのだろう。組織の作り方などには、それなりの歴史があるはずだ。

軍においては、参謀総長が絶対的な権限を持っているものの、あくまでも組織として動くから、昇進も規定に基づいているし、参謀総長も定年を迎えて退役となれば、その影響力はたちどころに失われてしまうらしい。

トルコ共和国は、独裁者的な人物の恣意的な行動により、簡単に国家の機構がひっくり返ってしまうようには出来ていないと思う。エルドアン大統領が、度々「トルコ共和国は伝統に根ざした国家だ」と強調しているように、訳も分らぬままに独立してしまった「ぽっと出の国家」ではないのである。


*写真:今朝は良く晴れていたのに、午後からまた大分雪が降っていた。夜になって、今のところ止んでいるけれど、もういい加減にしてくれと言いたい。

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1月3日 (日)  現AKP政権の閣僚

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http://www.basbakanlik.gov.tr/forms/_global/_government/pg_cabinet.aspx

これはトルコの首相府のウェブサイトで、このページには、現閣僚のリストが掲載されている。いったい官僚出身の閣僚は何人ぐらいいるのかと思って、ちょっと目を通してみた。


ヴォルカン・ボズクルEU担当相/外務官僚−アンカラ大学法学部 

エフカン・アラ内務相/内務官僚−イスタンブール大学政治学部

ジェヴデット・ユルマズ開発相/国家計画庁官僚−中東工科大学行政学部

ナジ・アーバル財務相/財務官僚−イスタンブール大学政治学部。


ざっと見た限り、以上の4名じゃないかと思う。あとは、リュトゥフィ・エルヴァン副首相が、イスタンブール工科大学の鉱物学部卒で、テクノクラートとして国家計画庁にいたことがあるそうだ。

上記の官僚出身者に限れば、アンカラ大学卒はボズクルEU担当相だけだが、以下の4閣僚もアンカラ大学卒である。


メフメット・シムシェク副首相/政治学部

メヴリュト・チャヴシュオウル外相/政治学部

ムスタファ・エリタシュ経済相/政治学部

ビュレント・テュフェンクチ関税商務相/法学部


他の方々も、ダヴトオウル首相のボスポラス大学を始めとして、その多くが一流大学の卒業であり、欧米の大学で修士などを取っていたりしている。

現AKP政権で、学歴がそれほどパッとしていない代表格は、エルドアン大統領かもしれない。(マルマラ大学経済商業学部)

もちろん、あまり拘るのも良くないけれど、輝かしい学歴の持ち主は、やはり何となく頼りになると思う。私らが子供の頃は、日本の大臣にも東大卒がやたらに多く、それで結構安心していた。

それから、日本でも官僚を志すような人たちは、やはり真面目で公共心が高そうな気がする。一般の公務員も、警察官や消防士、自衛官等には、公共心の高い人が多いだろう。

私も小学校ぐらいまでは、「将来、社会や人の役に立ちたい」と夢を語っていたかもしれないが、高校へ上がった頃になると、そんな殊勝さは、もう殆ど残っていなかった。

というわけで、官僚はもとより無理だが、公務員や製造業といった社会に役立つ仕事を志した覚えもない。「他人のために生きるわけじゃない」と嘯いていた。

しかし、「俺は自分のために生きる」といったエゴも大して強くなかったらしい。そのため、文芸やら思想やら、そういうのも無理だった。挙句の果てにこの有様である。

だから、官僚や政治家を殊更批判してみる気にもなれない。おそらく、私と違って公共心は高い人たちが多いのだろう。そのうえ、高学歴で優秀ならば、何も言うことはないかもしれない。


11月2日 (日) 脱線してしまった人生
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2014&m=11

*写真:アタテュルク廟に詣でたダヴトオウル首相と閣僚たち;aktifhaber.com

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1月4日 (月)  日本語も学んだチャヴシュオウル外相

Kabine
http://www.basbakanlik.gov.tr/forms/_global/_government/pg_cabinet.aspx

このAKP政権の閣僚リストに記されている略歴を見ると、出身大学や前職の他、語学力なども明らかになっている。しかし、語学力についての記述は、必須の項目になっているわけでもないようだ。

例えば、流暢な英語を話すダヴトオウル首相の語学力には全く触れていない。周知の事実だから、わざわざ記す必要もないということだろうか? 

ダヴトオウル首相以外の26人の閣僚中、語学力についての記述がないのは、スレイマン・ソイル労働社会保障相、ファルク・チェリク農業畜産相、ビュレント・テュフェンクチ関税商務相、エフカン・アラ内務相、ナジ・アーバル財務相の5名だけである。

しかし、イギリスの大学で“MBA”を取っているアーバル財務相は、当然英語に堪能だろう。

他の閣僚らの語学力は、「良い」とか「非常に良い」とか、そのレベルまでいちいち明らかにされたりしている。

英語力で「非常に良いレベル」という評価を受けていたのは、以下の8名である。


メフメット・シムシェク副首相

リュトゥフィ・エルヴァン副首相

ヴォルカン・ボズクルEU担当相/フランス語も・・・

ファトマ・ギュルデメト・サル環境都市計画相(女性)

アキフ・チャータイ・クルチ青年スポーツ相/ドイツ語も・・・

ジェヴデット・ユルマズ開発相

ビナリ・ユルドゥルム運輸海事通信相/中レベルのフランス語も・・・


フランス語やドイツ語も話せたりして、日本の内閣ではとても考えられない。これだけでも羨ましい限りだが、以下の7名も2つ以上の外国語を話すという。


ベキル・ボズダー法務相/中レベルの英語とアラビア語

セマ・ラマザンオウル家族社会政策相(女性)/良いレベルのドイツ語と英語

フィクリ・ウシュク科学産業技術相/良いレベルの英語と中レベルのアラビア語

メヴリュト・チャヴシュオウル外相/英語とドイツ語、そして日本語!!

マヒル・ユナル文化観光相/アラビア語と英語

ナビ・アヴジュ教育相/良いレベルの英語と中レベルのドイツ語

メフメット・ミュエッズィンオウル厚生相/中レベルの英語とアラビア語、そしてギリシャ語!


アラビア語を話すという4名の閣僚は、出身地を見る限り、もともとアラビア語を母語としていたわけでもなく、宗教教育の過程で習得したのではないかと思われる。

しかし、トルコには母語としてアラビア語を話す人もいるのだから、そのアラビア語を評価するのであれば、シムシェク副首相の母語であるクルド語も評価して良かったのではないかと思う。

さて、驚いたのは、メヴリュト・チャヴシュオウル外相の「日本語」である。

“MedyaPolisi”というネットの記事によれば、チャヴシュオウル外相は、子供の頃、父親が見つけて来た日本人の家庭教師から日本語を教わったそうだ。

1980〜85年頃の話じゃないかと思うが、当時、日本人の家庭教師をどうやって探したのだろう? とても情熱的で面白いお父さんのようである。

それから、ミュエッズィンオウル厚生相の「ギリシャ語」に纏わる物語も凄い。

ミュエッズィンオウル厚生相は、1955年に、ギリシャ国籍のトルコ人としてギリシャで生まれ、高校時代からトルコに留学して、イスタンブール大学の医学部を卒業すると、一旦、ギリシャへ“帰国”したものの、ギリシャでは医師の資格が得られなかったため、1983年、国境のメリチ川を渡ってトルコへ亡命したという。

この話には、なかなかロマンを感じてしまった。

MedyaPolisi
http://www.medyapolisi.com/medyahaberim/yasam/yeni_ab_bakani_tam_bes_dil_biliyor__2448.aspx


*写真:今日は朝から雨になり、家賃を入金しに行ったウムラニエでは、雪も殆ど解けていた。帰りのバスに乗る前に、用を足しておこうと思い、近くのモスクへ寄らせてもらったけれど、モスクには必ずトイレがついているので、良く知らない街でトイレに行きたくなったら、まずモスクを探すと良いかもしれない。

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1月5日 (火)  エルドアンVS 橋下

閣僚リストには、「既婚で子供が何人」といった情報も大概記されていた。しかし、これにもいくつか欠落があったので、他のネット記事も見て調べたところ、どうやら、未婚で子供がいないのは、ファトマ・ギュルデメト・サル環境都市計画相(女性/45歳)だけのようである。

あとは全員が既婚の子女ありで、なかなか子沢山な閣僚も少なくない。5人の子持ちであるナビ・アヴジュ教育相を筆頭に、4人の子持ちも以下の5名に及んでいる。

アフメット・ダヴトオウル首相、フィクリ・ウシュク科学産業技術相、ムスタファ・エリタシュ経済相、ファルク・チェリク農業畜産相、ヴェイセル・エルオウル森林水利相。

そして、エルドアン大統領も4人の子持ちである。エルドアン大統領は、将来の少子化を懸念して、「夫婦は最低でも3人子供を作るように」と奨励しながら、他国の要人たちと会見する際にも、「貴方、お子さん何人ですか?」などと訊いて回り、フェミニストや知識人から激しく非難されている。

例えば、1人とか2人という答えが返ってきたりしたら、得意になって「いけませんねえ、うちは4人いますよ」などと自慢するそうだ。おそらく、安倍さんも大分やられたんじゃないだろうか? 

そのため、『これは大阪の橋下さんに仇を取ってもらわなければ・・』なんて秘かに考えていた。

エルドアン大統領も、デビューはイスタンブール市長だったし、この2人は似ている所が結構あるような気がする。いずれも大衆的な人気を誇っているのに、インテリからは蛇蝎のように嫌われている。そして、このインテリどもを蹴散らして拍手喝采を受けたりする。

一方はサッカーの選手、かたやラグビーという体育会系で、これも良く似ている。この2人の会談が実現したら、日本とトルコの友好の話題作りにもなるんじゃないかと思った。

エルドアン大統領に「貴方、お子さん何人ですか?」と訊かれて橋下さんが答える。「たったの7人です」

これには、さすがのエルドアン大統領も驚愕を露にして、「御見それいたしました! 失礼をお許し下さい!」と平伏するに違いない。ざまあみろだ。

しかし、残念なことに橋下さんは政界を引退してしまった。そのうちカムバックするとは思うけれど、当面、この企画はボツである。あとは、例のチャヴシュオウル外相の日本人家庭教師を探し出して取材したら、どうだろう? 外相との再会などがセッティングできれば、なかなか話題になるかもしれない。

ところで、橋下さんの失速、あれは「慰安婦問題」の発言がケチのつき始めだったような気もする。私はなんとなく、『ああ、この人はソープランドとか行ったことなかったんだな』と感じた。

私のように常習的に通っていた者は、多少の後ろめたさがあるため、何か発言するとしたら、とても慎重になる。足を踏み入れたことさえ無い人は、「売春」と言っても全くリアリティーがないから、軽々しくポロっと失言してしまう。そんなところじゃないかと思う。


*写真:今日はかなり気温が上がり、うちの辺りでも雪は殆ど解けてしまったけれど、“サファ・テペスィ(喜びの丘)”の噴水池には未だ氷が張っていた。しかし、丘の上の小舟、これはいったい何なんだろう?

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1月6日 (水)  神現祭

1月6日は、イエス・キリストが洗礼を受けた日であり、キリスト教の各教派で、それぞれの祝祭が催されているようだ。2012年の1月6日には、ベシクタシュにあるアルメニア正教の教会で、クリスマス・ミサを見学したこともあった。アルメニア正教会はこの日にクリスマスを祝うそうである。↓

1月7日 (土) アルメニア教会のクリスマス
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2012&m=1

東方正教会(ギリシャ正教)では、この日を“主の洗礼祭”として祝うという。(詳細は、以下のウィキペディアをご参照下さい)

神現祭
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%8F%BE%E7%A5%AD

海や湖に近いギリシャ正教の教会では、水の中に投げ込まれた十字架を泳いで取りに行くという儀式が執り行われる。それで今日は、金角湾沿いのバラット地区にあるコンスタンティノポリ総主教庁の聖ゲオルギオス大聖堂に出かけて、ミサとそれに続いて行われる儀式を見学することにした。この儀式、日本語では「聖水式」と言うらしい。↓

聖水式
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%B0%B4%E5%BC%8F

9時15分と、ミサを見学するにしても、ちょっと早い時間に到着したので、近くのカフェで何か軽く食べることにした。ところが、このカフェは、文字通りのカフェで、コーヒーしか出していない。訊いたら、「食べる物は外でお求めになっても良いですよ」と言われたので、遠慮なく外の屋台で“ポアチャ(語源はイタリア語のフォカッチャらしい)”という総菜パンを買ってきて、コーヒーと一緒に食べた。

カフェは中年の女性2人が切り盛りしている。彼女たちは、私の様子を覗いながら、「十字架を取りに行く儀式を見に来たんでしょ?」と訊き、「それなら、ミサは少しだけ見学して、早めに海際の場所を確保しに行った方が良いですよ。もの凄く混雑しますから」と親切に教えてくれた。

カフェには、バルソロメオス総主教がご来店した時の写真が飾ってあったので、私も同じ席に座って、写真を撮ってもらった。

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1月7日 (木)  コンスタンティノポリ総主教庁の聖ゲオルギオス大聖堂

(1月6日)

聖ゲオルギオス大聖堂には、クリスマス・ツリーが飾られ、その隣には、大きなサモワールのような容器が置かれていた。

ウィキペディアの“聖水式”の欄には、「大聖水式に成聖された聖水は教会に保管され、各種の成聖に使われたり、信徒に振り掛けられたりする。一部は信徒によって家に持ち帰られ、様々な機会に飲用される」と記されているので、おそらくこの容器の中に“聖水”が保管されているのだろう。ここからペットボトルに水を汲んでいる人たちもいた。

聖水式
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%B0%B4%E5%BC%8F

正教会のミサは、もう何度も見学したことがあるので、10分ぐらいだけにして、写真を撮ると直ぐに外へ出た。未だ少し早すぎるかとも思ったが、せっかくだから海際の良い場所を確保するため、海岸の方へ向かった。

右の写真は、一段高い所に座っていらっしゃるバルソロメオス総主教を撮ったのだが、小さすぎて殆ど見えない。手前に写っている黒装束の女性2人は、もちろんイスラム教徒の女性じゃなくて、正教会の修道女だろう。カトリックと違って、全くの黒装束なので、正面から見ても、イスラム教徒の黒装束の女性たちと殆ど変わらないように思えた。

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1月8日 (金)  金角湾

(1月6日)

早めに聖堂を後にして、金角湾の海際に出たら、儀式のためのステージを未だ準備している最中で、辺りには警備の警察官と数人のマスコミ関係者が来ているだけだった。

今日は、気温も10℃ぐらいまで上がり、雪は跡形もなく解けていたけれど、場合によっては、雪がちらつく中でも儀式は行われるらしい。ロシアでは、凍った湖に穴を開けて、そこで聖水式を行うという。

また、金角湾の水は、昔に比べれば大分きれいになったそうだが、それでもかなり濁っていて、ドブ臭い匂いまで放っている。飛び込むのは相当な勇気が必要に違いない。

しかし、聖水式で、十字架が投げ込まれることにより、ここの水も成聖されて“聖水”になるのだろうか? あまり有難い“聖水”ではないような気がする。

結局、2時間近く、この海際で警察の人たちと雑談しながら、儀式が始まるのを待ったけれど、確かに早く来ていて良かったかもしれない。ミサが終わり、聖堂から、バルソロメオス総主教を始めとする聖職者の方々がいらっしゃって、ステージへ上がる頃には、もの凄い人だかりになっていた。

海に飛び込んで、十字架を取りに行く猛者たちは、沖合の船の上で、30分ぐらい前から準備していた。まあ、雪が降っていなくて良かったと思う。

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1月9日 (土)  聖水式

(1月6日)

そして、いよいよステージの上から十字架が海に投げ込まれ、猛者たちが飛び込んで、儀式はクライマックスを迎えた。

この“便り”は、1日に写真が3枚しか添付できない設定になっているので、こうして日付は既に「1月9日」になってしまったけれど、どうせだから「1月10日」の分も使って、今日中に聖水式の写真を全て添付することにした。

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1月10日 (日)  続・聖水式

(1月6日)

海に飛び込んだ猛者たち、十字架までの距離は、25〜30mぐらいあったと思う。最初に十字架を取った男が、これを掲げて口付けした頃には、その周囲を追いついた猛者たちが取り囲み、彼を祝福しているようだった。

猛者の中には女性も一人いた。正教会は、アトスの僧院が女人禁制だったりして、なんとなく女性には表立った場所が与えられていないように感じていたけれど、一応聖水式への参加は認められているらしい。

しかし、十字架が投げ込まれるタイミングも良く解らなかったし、飛び込んでから十字架を取るまでは、あっという間の出来事だったので、なかなか巧く写真も撮れなかった。本当に良い写真を撮ろうと思ったら、毎年通わなければ難しいかもしれない。

儀式が終わりに近づいたら、ステージの上が少し空いたので、私もステージにあがり、幸運なことにバルソロメオス総主教の御尊顔を間近に拝見して、写真を撮ることも出来た。今年はこれから良いことがあるかもしれない。そう信じて今晩もバズーカ(ウォッカ)で乾杯しよう!

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