Diary 2015. 7
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7月1日 (水)  トルコは“テロリスト国家”なのか?

6月30日付けラディカル紙のコラムに、オラル・チャルシュラル氏が「トルコは“テロリスト国家”なのか?」という非常に興味深い記事を書いていたので、以下のように拙訳してみました。

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トルコは“テロリスト国家”なのか?:

平行構造〔訳注:フェトフッラー・ギュレン師の信奉者が、司法等の官僚機構の中で地位を得て造り上げたとされている組織〕が、MIT(国家情報局)のコンボイに対して行なったオペレーションの目的は何だったのか? 本当に“違法な武器”に関するものだったのか? それとも、問題はAKP政権だったのか? 彼らは手元のオペレーション関連写真を未だに配信し続けている。彼らのこの熱意は、西欧のメディアと政治から非常に関心を持たれている。それは何故か?

これを問質す理由は、“12月17〜25日オペレーション〔訳注:2013年12月にAKP政権の関係者が逮捕された事件〕”によって始まり、段階的に高まって来た「テロを支援している」というプロパガンダ・・・、ISが再び始めたコバニへの攻撃・・・、こういった事柄がこのテーマを改めて議題に上らせているのである。「トルコはISを支援している、彼らに道を用意している」といった言説がまたもや飛び交っている。

皆さんはAKP政権に立腹しているかもしれない。シリアや中東に対する外交政策をこころよく思っていないかもしれない。トルコ国内で“クルド和平プロセス”が継続する最中、PYD〔:北シリアを中心とする左派クルド人の組織、PKKに近いとされる〕を“テロ組織”と糾弾するのは、賢いやり方ではないと考えているかもしれない。「クルド問題は終わった」というような民族主義を煽る発言に反発しているかもしれない。私たちもこれらを批判したことがある。

しかし、情け容赦もないのは困る。「トルコはISを支援している、トルコはテロを支援している」といった言説は際限のない、事実に基づいていないプロパガンダである。

昨日のコラムで、私は、イスラエルの有力な政治家であるエフード・バラクの発言について書いた。バラクは「ISに関して最も正しい、そして現実的な分析は、トルコが行なっている」と認めたうえ、「問題解決のための先ず始めのアドレスはトルコである」と強調した。しかし、興味深いことに、「トルコはテロリスト」と主張する内外のメディアは、このバラクの発言を無視しているのである。

* オラル・チャルシュラル氏の6月29日のコラムによれば、このエフード・バラク氏の発言は、“Russia Today TV”で、オクサナ・ボイコ氏のインタビューに答えたものだそうである。−

ある人物、もしくは、ある政治の流れに対して、いくら反発しているとしても、“正当性”と“事実を語る姿勢”を失ってはならない。

まず始めに、「ISのメンバーが通り過ぎた、手元にその写真がある」「ビデオがある」などと主張する人たちは、これを携えて国会へ行き、政府を問質さなければならない。テレビや新聞紙上の主張で済ませながら、これを元に政治を行なうのは正しくない。手元に情報、記録がある者は、それを関係所管に持ち込んで問質す必要がある。これは可能であるし、彼らにはその力もある。

もちろん、異なる第2の角度から検討してみることも重要だ。トルコにおける“イスラム主義運動”は、常に暴力との間に一線を引いてきた。受けた抑圧にも拘わらず、暴力に訴えることはなかった。これは、運動の創始者であり指導者だったネジメッティン・エルバカン氏が、我が国の政治にもたらした最も大きな貢献の一つと言える。氏はイスラム主義を合法的な基盤に着かせたのである。

また、イスラム主義の名のもとに、暴力がトルコに影響を及ぼすことを最も恐れているのはイスラム主義者である。彼らが暴力を煽ったところで得られるものは何もない。

第3に 、トルコは、シリアにおける“アサド体制に対する反政府勢力”を当初より支援している。トルコだけでなく、アメリカも西欧もこの反政府勢力を支援してきた。最近になって、トルコにいる反政府勢力を教練するために作られたキャンプの筆頭支援者はアメリカである。

第4に、トルコがこの反政府勢力を支援するため、武器や食料の援助を行なってきたのは世界的に知られている。“シリア反政府勢力”が初めて現れた時、この勢力の中には、西欧との協力関係を選ぶ人たちがいたように、強いイスラム主義の流れもあった。

第5に、西欧と特にアメリカは、ロシアがアサドを支援し始めると、反政府勢力に対する支援(この過程には、様々な政治的要因が関わった)を減少させた。あるいは打ち切るに至った。こういった躊躇に力を得たアサドは、反政府勢力に対して、より攻撃的で無慈悲な戦闘を展開するようになった。戦闘の悲惨さは、シリア反政府勢力内のラディカルなグループを強化させた。そして、シリア反政府勢力の穏健派が弱まると、まずアル・ヌスラ、それからISが、影響力のあるアクターとして舞台に登場した。おそらく、反政府勢力へ与えられた武器の一部は、彼らの手に渡ってしまった。

第6に、シリア政府の弾圧であるとか、クルド勢力とISの戦闘、その他諸々の戦闘によって、様々に異なるグループ、集団がトルコの国境を越えて避難してきた。彼らの中には、一般市民と共に戦闘員もいた。最初のコバニ包囲の期間中、負傷した1500人のPYD戦闘員がトルコの病院で治療を受けたことが知られている。おそらく、“自由シリア軍”の戦闘員も他の国境から入って来ている。負傷者を治療する際、彼らをISであるとか、PYDであるとか、自由シリア軍であるとか区別して治療するのは可能なことじゃないし、正しいことでもない。

第7に、大統領の(特にこのテーマにおける)態度、言動、観点を扇動的であると見て、これを批判できるだろう。誤った先入観に基づいていると考えることもできる。もしくは、その目的を問質せるかもしれない。

さらに、もっと様々に異なる角度からの評価、批判も可能だろう。しかし、この中に、「トルコはISを支援している」という主張を裏付けるものは一つもない。

トルコを「テロリスト国家」と宣告し、“IS支援者”と言いながら糾弾して、世界規模のネガティブ・キャンペーンを繰り広げることに、トルコの野党勢力として、どれほどの合理性があるのか?

現実的ではない、両極化を扇動するキャンペーンや絶えず大きくなって行く“悲惨なシナリオ”は、対外的な困難を招来するばかりか、国内においても、和平や問題の解決、そして常識的な思考の妨げになっている。


ラディカル紙のトルコ語原文
http://www.radikal.com.tr/yazarlar/oral_calislar/turkiye_terorist_devlet_mi-1387925



7月3日 (金)  中東の不可解

昨日(7月2日)のアクシャム紙、ギュライ・ギョクテュルク氏のコラムによれば、ジャーナリストのアフメット・ターカン氏は、“CNNトルコ”の番組で、次のように語ったそうである。

「ISがモースルに迫り、バルザーニがトルコに救援を求めた際、オゼル参謀総長へ文書による指令が下されたにも拘わらず、オゼル氏が『バルザーニの背後を守るための冒険に、私はトルコ軍を投入できない』と述べたのは事実であり、知られている」

これは昨年の事件の裏話らしいけれど、現在も、AKP政権が、国境を越えてシリア側に緩衝地帯を作るため、軍に指令を出したものの、軍が慎重な構えを見せていることから、「政権と軍の間に齟齬が生じている」と反AKPのメディアでは大きな話題になっているという。アフメット・ターカン氏もこの齟齬について語っていたようだ。

ターカン氏の発言が事実であるとすれば、「AKP政権はISを支援してきた」という反AKP派の主張とは矛盾するような気もするけれど、それよりも、「軍と政権の間に齟齬が生じていて、クーデターの可能性もある」という期待感の方が重要なのかもしれない。

また、『当初、AKP政権はISと敵対したが、シリア北部でクルド系のPYDが台頭すると、方針を変えてIS支援に転じた』などという説もあるのだろう。

いずれにせよ、ISに囚われていた人質が、トルコ政府によって解放されたりしているのだから、政府がISとの間にパイプを持っているのは間違いないようである。そもそも、ISにはサダム政権の残党が多数合流しているという。それなら諜報機関にとって彼らが旧知の間柄であったとしても不思議ではない。

こうして、中東の泥沼には様々な陰謀説が入り乱れ、結局、何が事実であったのか、さっぱり解らないまま“歴史”は過ぎて行くのではないか、そんな風に思えてしまう。

1999年には、PKKのオジャラン氏がトルコへ引き渡されたけれど、あの裏に何があったのか、未だに納得の行くような話は聞いた覚えがない。しかし、当時、トルコの諜報機関に、単独でオジャラン氏を捕らえる力があったとは考えられないため、CIAが協力していたという話は事実であるような気がする。

そして、これが事実なら、PKKをアメリカが支援してきたという説も満更ではなさそうだ。

クルド問題に関しては、世界的な規模で、クルド民族の独立を支援しながら、これを認めないトルコに対するネガティブ・キャンペーンが長年に亘って繰り広げられてきたのではないかと思う。「独自の国家を持たない世界最大の民族」なんて、何を根拠にしているのか良く解らない話まで、当たり前の定説のように扱われていた。

「クルド民族、悲願の独立」というスローガンも良く聞かれるけれど、『それは米英の悲願じゃないのか?』と思わず言いたくなってしまう。独立させて、中東の泥沼に、新たな生贄でも捧げようというのだろうか?



7月4日 (土)  “クルド和平プロセス”の難しさ

私が暮らしているイエニドアンの街では、6月7日の選挙の結果に多くの人が酷く落胆していた。その後、CHP主導の“反AKP3党による連立”という構想が脆くも崩れ去ると、少しは元気を取り戻したようだけれど、暫くの間、家電修理屋さんも廃品回収屋さんも、皆、しょんぼりした様子で可哀想なくらいだった。

それまでは、何か大きな事件があると、いつも彼らが私を安心させようとして、「何も起こらないから心配するな」と声をかけてくれていたのに、今回は、私がそうやって彼らを慰めなければならなかった。

しかし、“クルド和平のプロセス”に関しては、彼らの話を聞いていると、私の方が不安になってしまう。

「クルド人は信用ならない。これでターイプさんも誤りに気がついてくれるだろう」なんて言うのである。過半数割れしたのは、クルド人が裏切ってAKPに投票しなかった所為であり、これによってターイプ・エルドアン大統領もクルド人に対する考えを改めるのではないか、と期待しているらしい。

「ターイプは、アメリカを巧く手玉に取ったけれど、クルドにはまんまとやられてしまった」などとしたり顔で解説する人もいた。

彼らは、皆、エルドアン大統領を熱烈に支持しているものの、“クルド和平のプロセス”には、以前から不満を持っていたようだ。AKPの支持基盤で、こういった傾向は、どのくらいの割合を占めているのだろうか?

一方、今日(7月4日)のアクシャム紙のコラムで、ギュライ・ギョクテュルク氏は、「・・・問題は、既にクルド人の民衆が“和平プロセス”への支持を取り止めるという危機を越えて、トルコの統一を脅かす事態に発展している」と明らかにしていた。

ギョクテュルク氏によれば、北イラクのカンディルにあるPKK本部の幹部たちは、2013年3月のネヴルーズ祭より和平を目指して続けられている“指導者オジャラン氏の呼びかけ”が、始めから不愉快で堪らなかったにも拘らず、クルド人の民衆が、この呼びかけを歓喜して受け入れたため、渋々、これに応じてきたらしい。

そして、昨年10月にコバニの事態が発生すると、カンディルのPKK本部は全力を挙げて、「AKPは、シリアのクルド勢力を潰すためにISを支援している」というプロパガンダに乗り出し、“和平プロセス”をサボタージュしようとしたのだという。

この為、トルコ政府はISに対して、いよいよ本格的な手段を講じる可能性があるそうだ。

これは、ギョクテュルク氏のコラム以外でも伝えられているけれど、アンカラの政府高官が明らかにしたところによれば、ターゲットはあくまでもISでありPYDではない、PYDとは話し合いで合理性を見出せるが、ISにこれは期待できない、ということらしい。

実際、指導者が何処にいるのかもはっきりしていないISと異なり、PYDのサレフ・ムスリム・モハメド代表は、度々アンカラを訪れている。

しかし、PYDはPKKに近い組織であり、彼らが“和平プロセス”の障害となる懸念も大きい。何だか、“和平プロセス”にはまだまだ幾多の難関が待ち受けているような気がする。

エルドアン大統領とAKPにしてみれば、PKKやPYDは言うに及ばず、支持基盤の民衆の中にも“和平プロセス”をこころよく思っていない人たちが多数いるのだから、この問題を扱うのは非常に難しいだろう。

さらに、NATOの強力な同盟国である“米英”も、おそらく“和平プロセス”をこころよく思っていない。それどころか、ひょっとすると、全ての障害の根源は、この辺りにあるのかもしれない。



7月5日 (日)  ゲイ・プライド

6月の末、タクシムでデモ行進していた“ゲイ・プライド”という同性愛者のグループに、警官隊が放水車等で介入して、デモ行進を中止させてしまう事件があった。

“ゲイ・プライド”のデモ行進は、数年に亘って何の問題もなく挙行されていたのに、今年はラマダンと重なったことで、少し状況が違っていたという。

警察は、「一部の過激なイスラム主義者が妨害行為を企てているという情報も寄せられたので、衝突を未然に防ぐために介入せざるを得なかった」などと弁明していたらしいけれど、何だか後から思いついた言い訳のようにしか聞こえない。

トルコでは、同性愛者に対する偏見が、かなり激しい。“ホモ”や“ゲイ”は侮辱用語に数えられているのではないかと思う。トルコ語には“イブネ”というもっときついスラングもある。

宗教的な信仰が殆どなくても偏見の強い人はいるし、その逆もないわけじゃない。また、侮辱の対象になるのは、受けの側だけで、攻撃するほうは何とも思われていないようである。これに気がついた時は随分驚いた。↓

似非進歩主義〜同性愛の認識
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=30&y=2013&m=5

まあ、こんな感じだから、介入という愚挙に出た警察だけを責めても仕方ないような気もする。

この事件に関連して、6月30日付けのアクシャム紙で、ギュライ・ギョクテュルク氏が、とても興味深い考察を記していた。

ギョクテュルク氏は、まず警察の愚挙を厳しく非難してから、次のように問うている。

「同性愛者たちは、長年に亘って、同性愛がヘテロセクシャルと同じくらいノーマルな性選択であると、私たちを説得しようとしている。しかし、ノーマルなことから誇りを感じるのは少しおかしくないだろうか? 皆さんは、あるヘテロセクシャルが“ヘテロセクシャル・プライド”というイベントを開催したのを聞いたことがあるだろうか?・・・」

氏は、これに続いて、同性愛者の人たちが多数派のヘテロセクシャルから受けた侮辱にも言及しながら、ああいったイベントが、そういった問題の解決には繋がらないのではないかと考察しているのである。

この考察には私も大いに頷かされた。トルコでは、革新・左派の中に、同性愛をあたかも近代化の証しであるかのように語る人たちがいて、どうにも気になっていた。そういう言動は、保守派の反発を煽るだけのように思えたからだ。

しかし、日本でも、最近は同性婚が議論されているらしいけれど、あれはどうなんだろう?

キリスト教やイスラム教などの一神教の世界では、“結婚”に「神の祝福を受ける」といった意味合いがあるから、「同性愛の人たちは神の祝福を受けられないのか?」という議論になってしまうようだが、日本の場合、結婚なんてものは、二つの家族や社会の了承を確認するために行なっているだけのような気がする。

もっとも、その社会の承認を得たいという議論なのかもしれないが、私には良く解らない。それほど重要なことだろうか?



7月7日 (火)  トルコの新国会

トルコの国会は、議長も選出され、今週中にもエルドアン大統領がAKPのダヴトオウル党首に組閣を命じて、本格的な連立の交渉に入ると見られている。

今のところ、CHP、もしくはMHPとの連立になるだろうと言われているものの、HDPの可能性が全くなくなってしまったわけでもないらしい。

HDPは、選挙前、クルド系のエスニックなアイデンティティーに基づく政党ではなく、トルコ全体の左派政党になると宣言していたが、結果を見れば、南東部のクルド人地域から得た票の比重が圧倒的に高く、やはりクルド系の政党と言って良いのではないかと思う。

それどころか、多数、AKPからの転向があったため、イスラム的・保守的なクルド人の支持者も増えて、もはや左派政党とばかりは言っていられなくなるという声も聞かれる。

しかし、選出されたHDPの議員は、クルド系に限られているわけじゃなくて、多彩な顔ぶれになっている。アルメニア人のガロ・パイラン氏も当選した。アルメニア人の議員は、CHPとAKPからも選出されている。CHPからはセリナ・ドアン氏(女性)、そしてAKPからマルカル・エサヤン氏である。

当選はしなかったけれど、HDPから立候補したトラブゾン県出身の友人もいる。23年前に3ヵ月過したイスタンブールの学生寮の舎監だったハイダルさんである。これには驚いた。

また、イムラル島に収監されているPKKの指導者オジャラン氏の姪も当選して話題になっていた。

この全てが、わずか10年前であっても、想像さえできない“未来”だったに違いない。

スカーフを被った女性議員など、もうそれほど騒がれもしなかった。16年前、スカーフを被ったまま国会へ入り、直ちに退場させられたメルヴェ・カヴァックチュ氏の妹であるラヴザ・カヴァックチュ氏が、当時姉が被っていたスカーフで宣誓式に臨み、これが少し話題になったくらいである。

一昨日(7月5日)のサバー紙で、歴史学者のシュクル・ハニオウル氏は、こういった変化について、次のように書いていた。

「多くの国会議員がアイデンティティーを修正することなく、“自分たち”として国会に入った。これは、社会操作プロジェクトの長いプロセスが終焉に至ったことを示している。・・・」

ハニオウル氏によれば、社会操作プロジェクトは、“国民国家”の建設と共に始まった「個人を“理想的な一つのタイプ”に変えていくプロジェクト」だったが、これは殆ど不可能であるため、次第に“エリートの標準”を明らかにして、これに合わない者を“公共のエリア”から締め出すという方策へ転換が図られた。

そして、このプロジェクトの最後の砦だった国会も、ついにその門を、「押し付けられた条件を認めない、“自分たちであること”に固執する個々」へ開け放ち、プロセスに終止符が打たれたと説明されているのである。

しかし、ハニオウル氏は、1908年のオスマン帝国の議会も、アルバニア人、アラブ人、アルメニア人、マケドニア人、ルーム(ギリシャ人)の議員たちが、エスニックのアイデンティティーを前面に出しながら、“自分たち”として参加していたものの、結局、社会的な問題を解決できなかったばかりか、この集合体を維持することもできなかった歴史的な事実を指摘して、さらに考察を進め、以下のように結んでいる。

「・・・国会の“真の人たち”が、目標とすべきは“アイデンティティーによる政治の強化”ではなく、“平等な国民たちによって構成される政治的な社会”の創造であることを軽んじなければ、トルコは長い年月を経た今、構造的な変革を始めることができるだろう」。

こうして、トルコ共和国がさらなる飛躍を遂げられるように祈りたい。



7月8日 (水)  ギリシャの経済破綻

ギリシャがいよいよ大変なことになっているけれど、以下の記事(有給休暇中の役人たち)を読んだりすると、トルコもかなりギリシャに近いところまで行っていたような気がする。

【38】イスラム教は近代化の障害か?/有給休暇中の役人たち【ラディカル紙】【2004.02.04】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00038.html

2003年の当時まで、過剰に雇用されたトルコの国家公務員たちは、解雇されることもなく、自宅で待機しながら給与を得ていたそうだ。それを、この年に就任したエルドアン首相が、全員出勤するように命じたものだから、座る所もない役人たちが官庁内に溢れかえって、大騒ぎになってしまったらしい。

しかし、これを読んで、私が驚いたのは、筆者のテュルケル・アルカン氏が、記事の中で批判の矛先をエルドアン首相に向けていたところである。アルカン氏は、エルドアン首相がそうやって嫌がらせして古い役人たちを辞めさせたうえで、自分たちに都合の良い連中を任命するつもりなのだろうと推論していた。

この推論が正しくなかったのは、その後の経過を見れば解る。トルコは着実に財政を改善して、10年後の2013年5月には、IMFの債務を完済している。(まだ対外債務は残っているけれど、とにかくIMFの頚木からは脱することができた)

あの頃は、トルコの未来が急に明るく「パァーッ」と開けてきたように感じられたものだ。3月には、ネヴルーズ祭でオジャラン氏の“平和宣言”が発表され、“クルド和平プロセス”が本格的にスタートしていた。

ところが、翌6月には、例の“ゲズィ公園騒動”が勃発する。その後の忌まわしい展開、激しいネガティブ・キャンペーンは、ご承知の通りである。政権支持派のトルコ人じゃなくても、『これって偶然なの!?』と叫びたくなってしまう。

改革を進めて、国力を増強しようとすれば、他国からの干渉を受けるばかりか、国内の旧勢力からも横槍を入れられるのだから堪ったものではない。けれども、改革しなければならないところは、まだまだたくさん残っていると思う。

一昨年だったか、水利庁に勤めていた国家公務員の友人が定年退職した。彼は2000年まで、“ペトロール・オフィス”というガソリンスタンド等を運営する国営会社の職員だったが、2000年にペトロール・オフィスが民営化されると、国家公務員の身分を維持するために移動を申し出て、水利庁に転職していたのである。

民営化された会社に残れば、給与は上がるものの、仕事ぶりの如何によっては解雇される可能性もある。それで多くの職員が移動を申し出たと言うけれど、これではいくら民営化を推し進めても、国家公務員の数はなかなか減らないだろう。

また、国営企業を買収した民間の企業も、多くの職員が移動してしまったら、新たに人材を入れて、一から教育しなければならない。

しかし、「移動しないで皆に残られたら、その方が問題だよ。やたらと解雇するわけにも行かないしな。あの連中を使って経営を成り立たせるのは大変だぜ」なんて言う人もいた。

実際、水利庁へ転職した友人に、当時、「貴方は、ずっと油の仕事をして来たのに、今度は水が相手になって、仕事の内容は解っているの?」と訊いたら、「いやー、出勤したって、新聞でも読んでるだけだから、解らなくても構わないさ」と惚けている。「それで良いの?」と迫っても、「ペトロール・オフィスにいた時だって、似たようなもんだったよ」と意に介していなかった。

トルコの国家公務員は、犯罪でも犯さない限り、首になる心配はないそうだ。いつだったか、共産主義者を自称する友人に、これを確かめてみたところ、「ずっと職場で寝ていても解雇されないから、なんの心配も要らない。これぞ素晴らしい共産主義の理想だ。ワッハハハ」と愉快そうに笑っていた。

こんな人たちが、皆、エルドアン大統領を「独裁者!」などと非難しながら、ネガティブ・キャンペーンに喜んでいる。これでは、エルドアン大統領に批判されるべき点があったとしても、却って解り難くなってしまうのではないか。

「独裁者の宮殿が豪華過ぎる!」とか下らないことばかり論って騒ぎ立てている。

確かに、“強化された大統領制”の為に、憲法が改正される前から、その機能を備えた官邸を造ってしまったのは、なんとも呆れた見切り発車であるし、“トルコ独自の”と謳いながら、構造など“ホワイトハウス”を結構意識しているような気がして、少し辟易させられた。

しかし、“独裁者の宮殿”はないだろう。エルドアン大統領を企業のトップに例えれば、“ワンマン社長”であるのは間違いないけれど、決してオーナーとは言えない。トルコは、個人がオーナーとして君臨できたりする、そんな安っぽい国家じゃないと思う。もちろん、簡単に外国から牛耳られたりもしない。だから、ギリシャのようにはならなかった。  



7月9日 (木)  トラック野郎の集会

シルケジ駅前の公園に、むさくるしい男たちが集まって、なにやら話し合っている光景を良く目にすることがある。仕事を探しているトラックの運転手たちだと聞いていたけれど、最近は昔に比べると集まっている人の数が多少減ったかもしれない。

先月、その様子を写真に収めた後で、ちょっと彼らから直に話を聞いてみた。やはり、皆、自分でトラックを所有している個人営業の運転手たちで、シルケジ駅前には輸送業者のオフィスが集中しているため、ここに集まって仕事の情報を得ているのだと言う。

時々、男たちの間を「アダナへトレーラー1台分の仕事!」などと叫びながら歩く人がいる。それから運賃等を交渉して、折り合いが付けば、仕事が成立するのだろう。

50年配の運転手さんに、「今は何でもインターネットで情報が得られるでしょう? 何故、ここに集まる必要があるんですか?」と訊いたら、「私らインターネットなんてややこしいものは使いこなせんのですよ」と笑っていたけれど、どうなんだろう? 混んでいるバスの中で、もういい歳のおばさんがスマホを弄ったりしている時代である。集まっているのは、直接顔を合わせるといった目的があるのかもしれない。

この運転手さんには、以前から確かめてみたかったことを、もう一つ訊いてみた。「今でも税関の荷物は、特定の組合に所属している運転手さんしか運べないの?」。

「そうだよ、税関には契約のある業者しか入れないねえ」という答えだったが、実際のところは、税関なり輸送業者なりに確認してみなければならないだろう。でも、そういう調査を頼まれているわけじゃないから、これで終わりにした。

もう15年ぐらい前になるけれど、クズルック村の工場へ、イスタンブールの税関を出たトラックが3日も経って到着したことがあった。イスタンブールからクズルック村までは、3時間もあれば充分な距離である。運転手を問質したところ、途中、アダパザルの親戚の家に寄ってきたなどと悪びれもせずに話していたそうだ。

当時、輸入されて税関から出て来る荷物は、特定の組合が、所属している個人営業の運転手たちへ、適当に振り当てていたらしい。だから、税関に苦情を言っても埒があかない。こちらから業者や運転手を選ぶこともできなかった。

これでは困るので、他のトルコの企業がどうやっているのか調べてみると、大きな企業は、税関の直ぐ近くに自前の倉庫を構え、税関の荷物は、まずその倉庫へ搬入させて、そこから信頼のおける輸送会社に運んでもらっていたのである。

これなら、組合の運転手も、僅かな距離を走るだけで、規定の運賃が得られて言うことなしだった。それを「アダパザル県のクズルック村まで」などと言われようものなら、その時点で既にへそを曲げてしまったかもしれない。

しかし、なんと無駄の多いシステムだろう? 税関とその組合に、何か妙な癒着でもあるとしか思えなかった。

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7月10日 (金)  チャナッカレの“ペイニル・タットゥルス(チーズ菓子)”

イスタンブールからバスで約6時間あまり、まだ日が明るい内にチャナッカレへ着いた。明日はボズジャ島、日曜日には恒例の“ホメロスを読む会”が予定されている。

今日は着くと先ず、チャナッカレ名物の“ペイニル・タットゥルス(チーズ菓子)”を食べてから、街中をぶらぶらと2時間近く歩いた。

ダーダネルス海峡に臨む海岸通りの景観もさることながら、時計塔の辺りから続く古い街並みにもエーゲ海地方独特の雰囲気が感じられて味わい深い。余裕があれば、2〜3日逗留して、街を隈なく歩いてみたいくらいだ。

イスタンブールは、なかなか暑くならず、この数日、やっと少し夏らしくなっていたけれど、ビールが美味い季節にはほど遠かった。そこへ行くと、ここチャナッカレは、日が暮れてもまだ結構暑い、これから、その辺のカフェへビールを飲みに行こう。久しぶりに美味しいビールが飲めそうだ。

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7月14日 (火)  サッフォーの詩

ボズジャ島の催し、今年はギリシャ領のレスボス島が見渡せる“アヤズマ”の海岸で、「サッフォーを読む会」になった。

土曜日に、主催者のハールク・シャーヒンさんから、「サッフォーの詩の日本語訳で知っているのがあったら読んでくれないか・・・」と頼まれたけれど、その時は何も思い当たらなかったので、「インターネットで調べてみます」とお答えした。

サッフォーの名は、高校時代に夏目漱石の“三四郎”を読んで以来、知っていたものの、詩については、長い間、興味を懐くこともなかったのである。

しかし、インターネットで検索してみたら、「夕星(ゆうづつ)」という詩が出てきて、あっと思った。この短い詩なら、殆どそらで詠めるくらい良く知っていたからだ。

3年前の「ホメロスを読む会」には、日本から詩人の高橋睦郎さんと作家の澁澤幸子さんもいらっしゃった。この時、高橋さんがお話になった幾つかの詩の中に、「夕星(ゆうづつ)」があった。とても印象深かった所為か、詩はそのまま記憶に留めたけれど、作者がサッフォーであることは直に忘れてしまったらしい。

日曜日は、皆さんの前で、この経緯を話してから「夕星(ゆうづつ)」を詠んだ。

夕星は
かがやく朝が散らしたものを
みな連れかへす
羊をかへし
山羊をかへし
幼な子をまた母の手に
連れかへす

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7月15日 (水)  犬の船旅

ボズジャ島へは、土曜日の朝、チャナッカレから出ている高速船で渡った。これに乗ったのは今回が初めてで、なかなか快適だったけれど、走行中は甲板へ上がることもできず、ちょっと船旅の情緒に欠けるところが残念である。

イスタンブールへ帰る月曜日の朝は、いつものように、対岸のゲイックリへ着くカーフェリーに乗った。

直ぐにフェリーの最上部まで上がって出航を待っていると、人懐っこい犬がそこらへんを走り回りながら盛んに愛嬌を振りまいている。

犬は、フェリーが洋上へ出ると、先端の席に座っていた私の足元まで来て、そのままそこに座り込んだ。そして、時々、頭を上げて海の向こうをじっと見ている。どうやら、私に懐いてくれたんじゃなくて、フェリーの行く先が気になっているだけらしい。

岸が間近に見えて来たら、犬はそこを離れて下へ降りて行き、ランプウェイの突端に立って、近づく桟橋を凝視し始めた。船内に飼い主らしき人は見当たらなかったけれど、まさか桟橋で犬を待っているのだろうか?

しかし、いざフェリーを降りる段になったら、ランプウェイの辺りは自動車や乗客でごった返し、私は犬の姿を見失ってしまった。飼い主が来ていたかどうかも解らない。

フェリーを降りると、そこにエズィネのバスターミナルへ向かうミニバスが待機していたので、私もそれに乗り込んだ。ミニバスは直ぐに出発して、長い桟橋を渡り、ゲートを通り過ぎ、一般道に差し掛かったが、そこでふと歩道のほうに目をやると、あの犬がとことこ走っているのが見える。

ミニバスはあっという間に犬を追い越し、犬の姿はミニバスの後方に去ってしまったため、あまり確かなことは言えないけれど、やはり周囲に飼い主らしき人の影はなかったように思う。

ひょっとすると、犬の家はボズジャ島にあり、彼は気が向いたら、一人でフェリーに乗って、対岸へ遊びに来るのかもしれない。そして、夕星が出る頃には、また島へ帰る。・・・夕星は、かがやく朝が散らしたものを、みな連れかへす・・・。

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