Diary 2015. 6
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6月1日 (月)  イスタンブール/エミノニュ・ボスポラス海峡


イスタンブールに戻ってきた。やっぱりイスタンブールは美しい。この景色は何年見続けても飽きないような気がする。

もう初夏を思わせる陽気で、これから3ヵ月ぐらいが、イスタンブールの最も良い季節じゃないだろうか。

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6月5日 (金)  いよいよ7日は総選挙

アンタルヤでは、あまり新聞にも目を通していなかったけれど、総選挙を前にして、メディアの報道は相当加熱していたらしい。

現在、トルコで最も発行部数が多い新聞は、以下のサイトを見る限りザマン紙となっていて、これにヒュリエト、サバー、ポスタ、ソズジュの各紙が続いている。

Gazete Tirajları - Gazeteciler.com
http://www.gazeteciler.com/gazete-tirajlari.html

かつてザマン紙は、与党AKP寄りのメディアだったが、2013年の末に、AKPとフェトフッラー・ギュレン教団が決裂して以来、ソズジュ紙などと共に反AKPの旗頭のようになっている。

ヒュリエトとポスタも、かなり反AKP的なドアン・グループの新聞だから、上記5紙の中で、与党系はサバー紙のみと言って良い。まあ、国営のTRT放送は押さえているものの、メディアの世界でAKPは野党の立場であるかもしれない。

それにも拘わらず、AKPは2014年の地方選挙と大統領選挙を勝ちぬいて来たわけだけれど、逆風の中、今回は相当厳しい選挙になると言われている。

コンダ、アディル・ギュルといった定評のある調査機関も、AKPの得票率は42%以下に留まりそうだと試算している。これでも、「10%を越えなければ議席が与えられない」という規定があるため、クルド系のHDPが10%に達しなければ、楽に単独政権を維持できるらしいが、コンダもアディル・ギュルも、クルド系HDPは12%に達するだろうと見ている。

クルド和平の交渉を進めているAKPは、表向きとは裏腹に、HDPが議席を確保するよう望んでいるのではないかと言われているけれど、これはなかなか悩ましい問題のようである。

最悪の場合、AKPは単独で組閣できずに連立政権を組まなければならなくなってしまう。そうなったとして、相手は最も支持基盤が似通っているMHPということになるのか・・・。MHPにも保守的・イスラム的な面はあるものの、トルコ民族主義を掲げて、クルド和平に激しい抵抗を見せているから、とても無難には行きそうもない。

AKPのクルド和平交渉は、反発が予想された保守層を支持基盤とする政党が進めているところに重要な意味があると思ってきたけれど、これもどうなるか解らなくなる。

そんなことは決してないと信じたいが、AKPとエルドアン氏が、政権維持のためにMHPと和し、クルド和平交渉を先送りにして、従来の保守・中道右派のポジションに戻ろうとしたら、トルコは90年代のように、また10年を失ってしまうのではないか、そうはならないように祈りたい。



6月8日 (月)  選挙の結果

総選挙は、調査機関“コンダ(KONDA)”の予想がほぼ的中した結果に終わった。これから、どうなるのか、もう暫く様子を見ないことには、何ともはっきりしないが、MHPとの連立は、MHPのバフチェリ党首が早くもこれを拒絶していたので、とりあえず実現せずに済みそうだ。

しかし、今朝は、フェースブックを開いたところ、AKP支持者だったと思われる旧友が、この結果に落ち込むどころか、「これで、神の思し召しにより、AKPとMHPの連立が実現し、シオニストの陰謀が砕かれることを望む」などと喜々として書き込んでいるのを見て、先ずはのけぞってしまった。

友人はトラブゾン県出身で40代後半、おそらく2011年の総選挙まではAKPに投票していたのではないかと思うが、今回はどうだったのか良く解らない。最近、“クルド和平”に関する否定的な見解を何度もフェースブックに書き込んでいたくらいだから、あるいはMHPに投じていたかもしれない。

エティエン・マフチュプヤン氏は、今日のコラムに、MHPに流れた票を“クルド和平”への反発票であると看做すのは間違いであるとして、AKPに猛省を促していたけれど、友人が“クルド和平”に反発していたのは明らかだ。

保守的で敬虔なムスリムである友人は、イスタンブール大学の卒業で決して無教養なわけじゃない。しかし、“クルド和平”を、何故シオニストの陰謀などと思うのだろう?

この友人が聞いたら激怒するかもしれないが、今、私が密かに期待しているのは、AKPとHDPの連立である。これが実現できたら、確かに年々かつての新鮮味を失いつつあるAKPとエルドアン氏は、またダイナミックな興奮を呼び起こしてくれるに違いない。

そもそも、AKPが公約に掲げていた“大統領制へ移行”は、過半数に及ばなかった時点で却下されたも同然だから、HDPのデミルタシュ党首が掲げていた「エルドアン氏を“大統領”にさせない」という公約は既に実施済みであり、連立の妨げにはならないと思う。

また、AKPは東部・南東部のクルド地域で、2011年には第一党となっていた6県を、今回の選挙で失っている。つまり、かなりのクルド票がAKPからHDPへ流れたはずである。これは同時に、ある程度、支持層が重複しているのを示しているのではないか。

この連立を試さずに、解散再選挙などやったら、それこそ悪あがきみたいでつまらないことになってしまいそうな気がする。



6月9日 (火)  得票率と議席数

今回の総選挙、AKPが初めて過半数を割ったと報道されているけれど、これは獲得議席数の話であって、得票率から見たら、AKPはいつも過半数に達していなかった。

最も票を伸ばした前回の2011年で49%、2007年は46%、政権に就いた2002年なんて僅か34%に過ぎなかった。それでも過半数の議席を獲得して単独で政権が取れたのは、“10%に達しない政党には議席が与えられない”という規定のお陰だった。

2002年に10%を上回って議席が得られたのは、AKPとCHP(19%)だけで、他の政党は全て10%を割ってしまった。それで、どう計算するのか良く解らないが、34%のAKPが66%の議席を獲得したのである。

*6月5日の欄に、「10%を越えない政党が一つでもあれば」と書いたけれど、これは間違いなので訂正しておきます。今回の選挙でも10%に達しなかった政党がいくつもありました。


*写真は、バラット地区にあるルームの民族学校

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6月11日 (木)  これからどうなるのか?

2002年当時、“10%に達しない政党には議席が与えられない”という規定は、それこそAKPのように、イスラム主義と思われる政党、あるいはクルド系の政党が議席を得られないようにする為だったのではないかと思うけれど、政権に就いたAKPは、なんとも皮肉なことに、この規定のお陰で、得票率では一度も過半数へ達しないまま、13年間も安定政権を維持したのである。

ところが、今回の総選挙、これまで政党としてではなく、無所属でなんとか僅かな議席を獲得してきたクルド系政治グループは、昨年の大統領選でデミルタシュ氏が9%得票したのに自信を得て、“HDP”として選挙へ臨むことになった。

“クルド和平交渉”を進めているAKPは、HDPが10%に達せず、クルド系政治グループが全く議席を得られない場合、交渉の窓口を失ってしまうばかりか、クルド系政治グループがまたもや武力闘争に転じることを恐れた為、表向きとは裏腹に、HDPが10%を越えるよう望んでいたのではないかと囁かれていた。

その為、3月、和平ムードのネヴルーズ祭が終わってから、エルドアン大統領がこれに水を差すような発言をしたりして、AKPとHDPの対立が激化し始めると、当初、反AKP陣営は、『これはHDPに10%取らせようという出来レースじゃないのか?』と疑心暗鬼で事態を見守っていた。

しかし、AKPにしたって、HDPが10%を越えるようだと、自分たちも50%の大台を越すのが難しくなる。これは非常に悩ましい問題だったに違いない。

結局、私は新聞にも余り目を通していなかったので良く知らなかったが、4月以降、エルドアン大統領とAKPはますますクルド勢力に対して攻撃的となり、調査機関のアンケートによれば、徐々にHDPが勢いを増し、AKPは支持率を下げて行ったらしい。

そして、選挙の結果、HDPの得票は13%に達し、AKPは41%に留まった。調査機関をいくつも使って、慎重に世論の動きを見極めながら選挙に勝って来たAKPにしては、随分お粗末な選挙戦だったと言えるかもしれない。

さて、昨日は、エルドアン大統領が、長年のライバル前CHP党首のバイカル氏とアンカラで会談したことが話題になっていた。

今回当選議員の中で最年長(76歳)のバイカル氏は、新国会議長が選出されるまで議長を務めることになるため、表向きは国会運営についての意見交換となっていたけれど、前日の夜、エルドアン大統領が、選挙地のアンタルヤにいたバイカル氏に電話して、急に会談を決めたうえ、大統領官邸ではなく、アンカラの住居として使っている外務省官舎へバイカル氏を呼んで、2時間以上に亘って話し合ったことから、『そんな長い時間、2人で何を話していたのだ?』と様々な憶測が飛び交っているようだ。

「AKPとCHPの連立じゃないのか?」と言う人もいる。CHPは前回(2011年)に僅かながら及ばない25%に留まったものの、AKPに続く第2党の位置を守っている。可能性が全くないわけじゃないらしい。

しかし、今のところ、最も可能性があるのは、やはり支持基盤が似通ったAKPとMHPではないのかと言う人が多い。

“クルド和平交渉”は、HDPが国会に議席を得て、既に新しい段階へ入っているから、AKPとMHPの連立がその妨げになることはないという説もある。さあ、いったいどうなるだろうか?



6月14日 (日)  クルド和平プロセスの行方

【61】トルコにおけるムスリムによる政教分離の可能性【ラディカル紙】【2004.03.26】
http://neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00061.html

上記のコラムで、アヴニ・オズギュレル氏は以下のように語っている。
「トルコ共和国が複数政党制に移行した1946年以来この方、選挙民の選択は全く変わっていない。トルコ国民の65%は、右派もしくは宗教色の強い保守政党に票を投じ、・・・・」

これは、コラムが書かれた2004年以降も、昨年の地方選挙まで、多少の誤差はあったものの、そのまま続いていたように思える。

ところが、今回の総選挙では、保守政党のAKPとMHPの票を合わせても57%にしか達しない。だからと言って、第1野党だった左派CHPが票を伸ばしたわけでもない。CHPの得票率は前回より少なかった。

つまり、この結果は、今までAKPに投票してきた保守的・イスラム的なクルド人のかなりの部分が、左派クルド系のHDPに回った為にもたらされたようである。

HDPは、結局、MHPと並ぶ80の議席を確保するに至った。これによって、右派65%・左派35%などと色分けされてきた政界に新風を巻き起こすことになるのだろうか? 

昨年の10月、南東部のクルド人地域で暴動が発生した。政府寄りのニュース番組の報道を見ていると、キャスターは「現地の人の話を聞きましょう」と言って、明らかにAKP支持者と思われる人に電話を繋ぎ、どうやら『“クルド和平のプロセス”には影響しない』という言質が取りたかったようだけれど、電話に出た人は、「もう“和平プロセス”なんていい加減にしてくれ!」と“和平プロセス”への不満をぶちまけ始めてしまった。

政府はBDP(現在のHDP)に多大な譲歩を見せ、彼らの恣意的な政治活動にも目をつぶって来た。これに増長した連中が暴動を起こしたと言うのである。

しかし、一通り話を聞いてから電話を切り、何もコメントしなかったキャスターを始め、当時、AKP側の人たちは、『あんなこと言って、選挙になれば、AKPに投票するんだろう』と高をくくっていたような気がする。

もちろん、あれほどBDPに反発していた人が、HDPに回ったとは考え難い。やはり、AKPに入れたのだろう。でも、AKPにかなり気の緩みがあったのは確かだと思う。南東部であそこまで票を落とすとは思っていなかったのではないか。

選挙戦が始まってから、AKPはHDPを激しく非難して修正を図ったようだけれど、この為に南東部で惨敗し、他の地域でもMHPに流れた票を取り戻すことが出来なかった。いずれも、転向した人たちには、AKPにお灸を据える意図があったに違いないと言われている。

その為、直ぐに再選挙が行なわれたとしても、『お灸を据えすぎた』と感じた人たちの票が戻って、AKPは少し持ち直すのではないかと言う人も少なくない。その通りなら、AKPとの連立へなびく党もあるはずだ。

なにはともあれ、HDPの議席獲得がプラスの方向に作用して、和平プロセスが再び軌道に乗れば、それに越したことはないと思う。


*2月17日 (火) 日本語の間違いはとても恥ずかしい
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2015&m=2



6月18日 (木)  イスタンブール・ソウルの日・記念音楽会

今年は、イスタンブールとソウルが姉妹都市になって10周年にあたるそうだ。その為、双方の都市で様々なイベントが開催されているらしい。

一昨日は、ジェマル・レシット・レイ・コンサートホールで、“イスタンブール・ソウルの日・記念音楽会”という催しがあった。

1994年の“イスタンブール−ジャパン・フェスティバル”でも、ジェマル・レシット・レイ・コンサートホールは会場の一つになっていて、私は臨時で演歌公演の司会を任され、その舞台に立ったこともある。↓

2月9日 (日) “ジャパン・フェスティバル”の某演歌歌手
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2014&m=2

ところが、以来21年に亘って、ジェマル・レシット・レイ・コンサートホールを訪れる機会は一度もなかった為、一昨日は、コンサートホールの建物をまず見上げた時点で、なんだかもう感無量だった。

この日、音楽会の司会は、私のような臨時の素人じゃなくて、韓国から来たプロの女性タレントさんに任されていたけれど、巧みにアドリブも交えてその場を盛り上げていたので、一緒に舞台へ上がったトルコ人の通訳さんは大分困っていたようである。

しかし、司会の女性も、「皆さん、韓国語解っているんですか?」と度々驚いていたように、会場を埋めたトルコの人たちの中には、彼女の韓国語を聞いただけで反応を示す若い人がかなりいた。私もその内の何人かと韓国語で話してみたが、未だ韓国へ行ったことはないと言いながら、なかなか流暢に話す女学生に驚かされたりした。

韓流ドラマから自然に覚えてしまう場合もあるかもしれない。日本のアニメの虜になり、それだけで日本語をマスターした若者の話を聞いたこともある。世界は狭くなった。

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6月24日 (水)  ラマダンの季節?

ラマダンにたくさん出回るナツメヤシ。いつだったか、店の人に「ナツメヤシの季節はいつなの?」と訊いたら、「それじゃあ訊くけど、ラマダンの季節ってあるの?」と笑われてしまった。

イスラム暦に基づくラマダンは、毎年11日づつ早まり、ほぼ33年で春夏秋冬を一巡してしまう。今年は6月18日に始まり、22日は夏至だった。断食を実践する人たちにとっては、暑いうえに断食の時間も長く、最も過酷な季節のラマダンじゃないかと思う。

こうして、ラマダンに春夏秋冬があるのだから、ナツメヤシも春夏秋冬を問わず、どの季節でも出回っていることになる。原産地はアラビア半島や北アフリカなど通年温暖な地域だが、特に決まった収穫期もないような作物なのだろうか? それとも乾燥保存されているものが、ラマダンになると出回るだけなのだろうか?

確かに、ナッツやドライフルーツの専門店では、通年いつでもナツメヤシが売られているかもしれない。これがラマダンになれば、市場や街角のスーパーでもいっせいに売り出され、値段も少し下がるということらしい。

値段は産地によっても大分差がある。今日、市場で量り売りしていたのは、キロ8リラから15リラまでだった。大概、チュニジア産というのが、実も小さくて一番安い。メッカやメディナなどアラビア半島の南に下るほど、実が大きくなって値段も高くなるような気がする。

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6月26日 (金)  ベッド工場

うちの階下は、以前、縫製工場だったけれど、1年ぐらい前に入居者が変わり、今はベッドを作る工場になっている。

この工場、中を覗いてみたことはないが、いつも外に雑然と資材が並べられていて、管理が行き届いた仕事をしているようには見えない。

並べられた資材は、大雨が降っても濡れたまま放置されている。その中には、マットレスやスポンジ、布生地もあるが、これはさすがに廃棄物だと思っていた。

ところが、先日、窓を開けて外を眺めていると、工場の人たちが雨に濡れた布生地等を、せっせと隣の空き地に広げて干しているのが見える。

乾いたら、素材として使うつもりなんだろうか? まさかとは思うが、棄てる物をわざわざ干したりはしないだろう。

ひょっとすると、バネの間に挟むスポンジなど、完成品になれば、外から見えるわけじゃないので、多少汚れていても構わないと気にしていないのかもしれない。

時々、完成品をトラックに積み込んで出荷しているけれど、傍から見る限り、それは真新しい立派なベッドである。なんでも中古で済ませている私には、とても手が出ない値段で売られているに違いない。

しかし、あの雨ざらしのスポンジが使われているとしたら、そんなベッドで寝ても余り良い夢は見ないような気がする。

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6月28日 (日)  新型の連絡船

いつ頃からなのか、ボスポラス海峡の連絡船に新型が登場している。船首も船尾もなく、どちらの方向にも推進できて、そのどちら側にも乗降ゲートがついているから、接岸の際に、船を横付けしたり、向きを変えたりする必要がない。

船を横付けするのは、それほど簡単じゃないようで、場合によっては、何度も切り返しながら、えっちらおっちら接岸している。船を待つ人々の間から、「船長、何やってんだ? 新米か? あと1時間かかるぞ!」などと野次が飛んだりすることもある。

新型は、真っ直ぐ進行方向を岸壁に押し付けるだけで済む。手間も時間も掛からなくて、この方が良いんじゃないかと思うけれど、「格好が悪い」とか「船らしくない」とか文句を言ってる人も少なくないらしい。

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