Diary 2015. 3
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3月1日 (日)  クルド和平/イエニドアンの建設ラッシュ

昨日、イムラル島に収監されているクルド武装組織PKKの指導者オジャランは、再び武装解除等を呼び掛ける声明を発表した。

武装解除は、2013年3月21日のネヴルーズ祭で、オジャラン氏によって呼びかけられ、まずPKKが、漸次トルコ領内から撤退する手筈になっていたが、早くもその9月頃には、撤退が中断されていたようである。

オジャラン氏は、翌2014年のネヴルーズ祭にも、平和の継続を呼びかけていたけれど、その間も散発的な小競り合いはあったらしい。さらに、2014年の10月、シリアのクルド人地域のコバニが、ISISの前に陥落寸前に陥ると、これに関連して、トルコ南東部のクルド人地域でも、かなり規模の大きな衝突により、死傷者が出るに至った。

しかし、クルド和平のプロセスは、決裂寸前になると、必ず双方が歩み寄って、紆余曲折を経ながらも継続が維持されてきた。これは、双方に、なんとか平和を達成したいという固い意志があるからではないかと説明されている。

南東部のクルド人住民の多くは、長年続いた武力衝突にうんざりしていて、いくらPKKが圧力を加えても、再び激しい衝突の構図に戻ることはないだろう、という声も聞かれる。

つまり、トルコでは、軍が政治の表舞台から退いて、民主主義が一歩前進したけれど、それと同じように、南東部でも、平和を望む人々の民主的な要求を、PKKが武力によって押さえつけて闘争を主導する時代は、既に終わったと言われているのである。

人々の教育水準が上がり、インターネットの普及もあって、情報が何処にでも行き渡るようになると、あまりにも非民主的な武力弾圧という手法は、国家側もPKK側も使えなくなってしまったということかもしれない。


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我が家の前に置かれたユンボ。天気が悪かった所為か、暫くそのまま放置されていたけれど、数日前から慌ただしく工事が始まった。どうやら家の直ぐ前ではなく、向こう側に4階建てぐらいのビルが立つようである。

その2軒先でも工事が始まっているし、今、イエニドアンで工事中の現場は果たしてどのくらいあるのか? この辺りの土建屋は大繁盛だろう。

それにしても、土を掘り出す過程で、下のバス通りまで泥だらけにして行くとは・・・。日本であれをやったら逮捕されると思う。


*自己紹介欄のメールアドレスは既に使えなくなっているので、私(新実誠)へのお問い合わせは下記のアドレスにお願いします。↓

makoton1@hotmail.co.jp

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3月5日 (木)  トルコとロシア

ロシアとウクライナは、どうなってしまうのだろう? イスタンブールで何度か訪れたことのあるロシア正教の教会には、ロシア人もウクライナ人も来ていたが、彼らの話を聞くと、その関係は極めて良好であるように思えた。

もっとも、彼らは同じ正教徒であり、カトリックのウクライナ人とは何か問題があったのかもしれないけれど、ウクライナでカトリックの人口は、全体の10%にも満たないらしい。

いずれにせよ、オレンジ革命なんて言われていた頃から、米国を中心とする勢力が、ロシアからウクライナを引き離そうと色々画策していたのは明らかじゃないかと思う。

ウクライナ人とロシア人の間の曖昧な境界
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-598d.html

このブログによれば、ウクライナ人とロシア人は、各々を区別することさえ難しい場合があるそうだ。フルシチョフやチェルネンコは、ウクライナ人だったという話も聞く。

そもそも、スターリンがグルジア人であるくらいだから、ソビエトというのは、民族的な出自など殆ど問題にならない「帝国」だったのだろう。アメリカは、この帝国を徹底的に解体してしまわないと気が済まないらしい。

おそらく、オスマン帝国の解体にも同じような意志が働いていたのではないか。英国がオスマン帝国から、アラブを引き離す過程は、映画“アラビアのロレンス”にも描かれていた。

そして今でも、トルコから何とかクルドを引き離せないものかという意志は、アメリカを中心に未だ残っているのかもしれない。それで、「クルド和平のプロセス」が進むと、凄まじい逆風が吹く・・・。

しかし、文明的な恵沢をちらつかせて、ウクライナを西欧へ引き寄せようとするのは、多少理解出来るけれど、トルコから引き離されたクルドは、中東の泥沼へ放り出されるだけであるような気がする。オスマン帝国から引き離されたアラブも、結局は、近代化への道を閉ざされてしまったのではなかっただろうか?

賢明なクルドの人たちは、その為、何とか“クルド和平”によって、トルコ共和国に留まろうとしているのだと思う。

トルコとロシアでは、強い逆風が指導者のカリスマ性を高めてしまっている点も共通しているかもしれない。でも、トルコでエルドアン大統領のカリスマを支えているのは、あくまでも選挙によってAKPを政権に押し上げ、エルドアンを首相、そして大統領に就かせた民衆、そして、これを可能にした民主主義であるはずだ。

民主化のために、クーデターを思い止まった軍が、非民主的な武力の行使を容認することも有り得ないだろう。AKP政権は、民主的な手続きを経て、1980年の軍事クーデターによる憲法を改正し、大統領制への移行を図ろうとするのではないか。

最近、「AKPの進めて来た民主化が後退し始めた」という失望の声が欧米から出ているそうだけれど、残念ながら、もともと、後退してしまうほどAKPが民主化を進めていたとも思えない。

欧米が失望しているのは、グローバル的な穏健イスラム主義政権の誕生により、トルコのナショナリズムは弱まったと見られていたのに、AKP政権が次第にナショナリズムの傾向を強めてきた為であるような気がする。

AKPの母胎となった“ミッリ・ギョルシュ(国民の思想)”は、もちろんイスラムを掲げていたから、エスニック的な民族主義は否定していたものの、“ミッリ・ギョルシュ(国民の思想)”というだけあって、当初より強いナショナリズムに立脚していたのかもしれない。

それが、政権に就いた頃は、穏健イスラム主義を標榜していたグローバルな教団、“フェトフッラー教団”と協力関係を築いていたので、グローバル主義の政権と考えられていたけれど、教団と決別して以来、その本性が明らかになってきたようである。

とはいえ、トルコには、もっと国家主義的であったり、エスニック的な民族主義であったり、遥かに激しいナショナリズムの勢力も存在する。AKPはその中で結構巧くバランスを保っている方ではないかと思う。

トルコ自体、中東の重要なバランス要素であるし、さらに逆風を強めて、現在のバランスを崩してしまうのは、欧米にとっても不都合じゃないだろうか?




3月6日 (金)  健全なナショナリズム

トルコでは、昨年の6月まで3年半に亘り、“ムフテシェム・ユズユル(華麗なる世紀)”という歴史ドラマが放映されて、絶大な人気を博していたようだ。

このドラマは、観ようと思えば“YouTube”などからも視聴できたけれど、私は結局、予告編をチラッと観ただけで、本編はとうとう一度も観ることがなかった。元来、へそ曲がりに出来ているので、「大好評の・・・」なんて騒がれていると、余計に『わざわざ観なくても良いか・・・』と思ってしまうのである。

“華麗なる世紀”とは、オスマン帝国がスレイマン大帝のもとに最盛期を迎えた16世紀を指しているらしい。こういったオスマン帝国の栄光を称える映画やドラマは、以前から作られていたが、最近、ネオ・オスマン主義的な風潮の中で、一層持て囃されて来たような気もする。

しかし、これが「オスマン帝国の再興」とか「再び中東に覇を唱える」といった発想に結びつくものとは到底思えない。自分たちの歴史を誇ることで、おそらくナショナリズムは鼓舞されているけれど、こういうのは私たちがNHKの大河ドラマを観て感動していたのと、あまり変わらない心の動きじゃないだろうか。

AKPにしたって、それはあくまでも未来志向のナショナリズムであって、オスマン帝国の時代へ逆行するような思想とは縁がないと思う。ただ、映画やドラマと違って、彼らが誇っているオスマン帝国の歴史には、もっとイスラムが語られていなければならないはずである。

いずれにしても、これはなかなか健全なナショナリズムであるかもしれない。トルコでは、クルドやアラブ系の人々も、その多くが“オスマン帝国の栄光”を誇りに感じているだろう。エスニック的な民族主義とは全く関係がないのである。

また、ルームのマリアさんが、「我々はオスマン帝国の民(テバ)だったのだ」と良く語っていたのを見る限り、非イスラム教徒の人たちにとっても、オスマン帝国の栄光は、それほど不愉快な歴史ではなかったようだ。

なにより、このナショナリズムには、他国を見下したりする要素がない。かつての“公式イデオロギー”ように、オスマン帝国の栄光は素通りで、これを倒して建国されたトルコ共和国の歴史だけでナショナリズムを語った場合、優越意識を満足させるのが難しかったのか、やたらと中東の国々を馬鹿にする傾向が感じられた。

あれには、戦後、私ら日本人が、韓国や中国を見下すことで優越意識を維持してきた忌まわしさが思い出されて、とても嫌な感じがしたので、今、自信を取り戻しつつあるトルコの人たちを見ていると、非常に愉快である。

しかし、私たちが日本で、他国を見下したり、エスニック的な民族主義へ傾いたりせずに、健全なナショナリズムを育てる為には、いったいどうしたら良いのだろう?



3月7日 (土)  オスマン帝国の評価

昨年の夏頃だったか、頑強に反AKP・反エルドアンを主張する友人(40歳ぐらい・エンジニア)と話したところ、彼は、オスマン帝国が“ミレット(民族or国民)”に基づく国ではなかったから、肯定的に評価できないのだと言う。セルジューク帝国は、トルコ民族の国だったので、いくらか良いそうである。

トルコ共和国が成立して暫くの間は、その前の国家であるオスマン帝国を否定しなければならなかったのかもしれないけれど、90年過ぎた今でも未だそれが必要なのだろうか?

しかし、脱宗教的な政教分離主義者の中には、共和国革命の継続を唱える人もいる。

革命も90年続けたら腐ってしまうんじゃないかと思うが、彼らはイスラム教を少なくとも日本の“葬式仏教”のような状態にしてしまわなければ気が済まないらしい。でも、「それは可能なの?」と訊けば、大概、否定的な答えが返って来たりする。未来永劫に亘って革命を継続しなければならないということなのか・・・。

民間の企業で、こういった見込みの無い施策を続けていたら、とっくに倒産してしまうだろう。

それに、オスマン帝国の歴史を称える人たちも、それでナショナリズムを鼓舞しているのだから、現在の国民国家の体制は充分すぎるほど認めているに違いない。彼らは、オスマン帝国を崩壊させた欧米列強と戦って国土を守り、共和国を樹立したアタテュルクら救国戦争の英雄も誇りに思っている。AKP政権も、事あるごとに救国戦争の勝利を称賛してきた。

一時期、盛んに取り沙汰されていた“イスラム法による統治”など、過激なイスラム主義者がいくら主張しても、トルコの社会にそういう基盤がないのだから、実現できるわけがない。それは “脱宗教的な政教分離”にしても同様であると思う。

数年前、私も双方の過激な論説を読みながら、弱い頭を悩ませていたけれど、バランス感覚に優れたトルコの人たちの多くは、そんな論争を冷ややかな目で眺めていただけかもしれない。


*写真は、アヤソフィアとトプカプ宮殿。手前に見えるのはイスタンブール知事府。

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3月8日 (日)  商店主は君を許してくれるか?

Esnaf seni affeder mi?
https://www.youtube.com/watch?v=zqlUPnD81k8

この“YouTube”のコマーシャル・クリップが面白い。↑
「商店主は君を許してくれるか?」というテーマソングもなかなか良い。

これは、例えば「御近所の商店じゃなくて、何処か大手のスーパーで買い物してきた“君”を商店主は許してくれるのか」といった意味である。

両手に商品の入ったビニール袋を下げて、足早に通り過ぎようとした男が、御近所の商店のおじさんにつかまって慌てふためいたり、何処かの美容院で、洒落たカットにしてもらった若い女性が、やはり御近所の美容院の前をこっそり通り過ぎようとして見つかったり、ちょっと大袈裟に表現されているものの、あの気拙さは誰もが思い当たるのではないか。

フェースブックにシェアされていたのを観て以来、とても気に入っていたけれど、最後まで良く観たわけじゃないので、いったい何のコマーシャルなのか、さっぱり解らなかった。

これは、どうやら、“テュルクセル”という通信会社のコマーシャルらしい。最後に「街の商店で買い物して、街を元気にしよう!」みたいなアナウンスが入る。しかし、これがなんで携帯電話のコマーシャルになるんだろう?

さて、私も買い物は、なるべく近所のスーパー“エルジエス2”で済ませるようにしている。店主のハジュ(巡礼者)ことムスタファ青年とは冗談を言い合う仲だし、昨年の7月、隣のビルに越して新装開店すると、店舗も広くなって、大概のものは揃うようになった。

8月21日 (木) スーパーマーケット“エルジエス2”
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2014&m=8

とはいえ、時には、10分ぐらい歩いて、もっと品揃えの良い大きなチェーンのスーパーへ行くこともあるし、カドゥキョイなどへ出れば、大手スーパーのミグロスへも寄ったりしている。

そういう場合は、道路の向こう側を通ったり、商品をビニール袋ごとナップザックに入れて隠したり、いろいろ対策を講じているが、ぼんやりビニール袋を下げたまま、途中でムスタファ青年と出会ってしまい、暫く立ち話してから、ハッと気がついて、非常に気拙くなったこともある。

スーパー“エルジエス2”が越した後の場所は、半年ほど空いていたけれど、先月、“UCZ”というチェーンのコンビニ風商店がテナントとして入った。でも、余り客で賑わっているのを見たことがない。

私は外から覗いてみただけだから良く解らないが、ここの商品は殆ど“エルジエス2”で手に入るものばかりだろう。そうなると、御近所の手前、ちょっと入り辛くなるのは、皆同じじゃないかと思う。

しかし、この辺りも建設ラッシュで、アパートがたくさん建って、多少人口も増えたに違いない。これからは商店も増えて、競争が激しくなるかもしれない。

我が家の前の坂を下りて、バス通りへ出たところの角にあるビルのテラスに、よく厳しい顔つきのお爺さんが座っていて、越して来た頃は、「お前は何をやっているんだ?」と何度も尋問されたりした。半年ぐらい経ったら、やっと普通に挨拶してくれるようになったけれど、いつも厳しい顔つきのままで、まったく愛想がない。

ところが、昨年の12月だったか、“エルジエス2”で買い物してから、このビルの前を通り過ぎようとしたところ、この爺様がニコニコの笑顔で近づいて来た。

何事かと思ったら、「おい、お前は、いつもエルジエスで買い物しているのか? ふーん、そうか。でも、たまには、こっちにも寄ってくれよ」と言いながら、ビルの地階の新しい食料品店を指差した。

どうやら、爺様の親族が店を始めたらしい。それから、満面の笑みで「なあ、お隣さんだろ?」と握手を求められたけれど、小さな店なので、あまり買うものがない。あれから一度寄っただけである。御近所付き合いもなかなか難しい。

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3月9日 (月)  不安に駆られる保守層

昨日(日曜日)、サバー紙のコラムで、エムレ・アキョズ氏が、ヴォルカン・エルティト(Volkan Ertit)という社会学者の新著「不安に駆られる保守層の時代」を紹介していた。

アキョズ氏の解説によれば、一時期、生活スタイルへの干渉を恐れるモダンな人たちの不安が熱心に取り沙汰されていたけれど、実のところ、現在、生活スタイルの変化に不安を感じているのは保守層の方ではないのか、とヴォルカン・エルティト氏は論じているらしい。

確かに、難しい理屈を考えることなく、イスタンブールの街角や人々の様子を眺めた場合、この10年ぐらいでも、世俗的な雰囲気がますます広がってきたように感じられる。

既に、スカーフをきっちり被った敬虔そうな女性の“路チュー”ぐらいでは、私も驚かなくなった。

カドゥキョイの広場では、以前から、何かの勧誘なのか、若い女性だけに声をかける派手な若者たちの姿が見られた。しかし、訊いてみたわけじゃないが、彼らは個人的なナンパというより、ある種の仕事で声をかけているような感じがする。

先日、そういうナンパ青年が、スカーフにロングコートの敬虔そうな若い女性2人連れにも、5〜6歩行く手を遮りながら何やら話しかけていた。女性たちはケラケラ笑いながら手を振り、足早に去って行ったが、こんなのは、もう当たり前な光景なのだろうか?

かつては、日本人の女性が、イスタンブールでしつこくナンパされるのをシャットアウトしたかったら、きっちりスカーフを被ってロングコートでも着れば良かったけれど、今やこれも有効な手立てとは言えなくなってしまったようだ。

2011年の1月、著名なイスラム法学の権威ハイレッティン・カラマン教授が、“世俗化と信仰の劣化”といった内容の記事をイェニシャファック紙に書いて話題になっていた。

ここでカラマン教授は、「・・・イスラムにおける不変なものを変えない限り、それをリベラルな政教分離デモクラシーに合わせることは不可能である。この為、もしもそういった体制で生きなければならないのであれば、信徒たちは、信仰とその見解を守りながら、実践は可能な範囲内で行うのである」と持論を展開していた。

この為、政教分離主義者の中には、『イスラム化が始まる!』と戦慄を覚えた人もいたようだが、あれから4年経った今になって思えば、不安に駆られていたのは、確かに保守層の方であるかもしれない。

4年の間に、政教分離と相容れないイスラム化などは、その兆候さえ見られなかったものの、カラマン教授の恐れた“世俗化と信仰の劣化”は、着々と進んでいるような気もする。

2013年の11月には、当時のエルドアン首相が、「寮に入れない男女の学生同士がアパートの部屋をシェアしているのは由々しき問題」などと演説し、さらに「男女の学生が部屋を借りられないよう法的な処置を検討すべき」みたいなことをぶちあげたものだから、世俗主義者が反発して騒然となっていた。

これには、エルドアン首相が保守層の基盤を固めるために、わざと反発を誘ったのではないかという説も聞かれたけれど、ある識者は、「最初の発言は、社会の早い変化に不安を感じているエルドアン首相の本音だったのではないか」と述べていた。

やはり、「不安に駆られる保守層の時代」なのだろうか?


2013年11月10日 (日) 学生寮
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2013&m=11

2011年1月17日 (月) 世俗主義とイスラム
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2011&m=1

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3月10日 (火)  トルコの世俗化

「不安に駆られる保守層の時代」の著者ヴォルカン・エルティト氏は、いったいどんな人だろうと思って検索したら、以下のような動画も出て来た。まだ若い新進気鋭の学者といった感じである。「世俗化」という著作もあり、この動画では、その世俗化について説明している。

Volkan Ertit(Video Dailymotion)
http://www.dailymotion.com/video/x1pqtsc_sekulerlesme-nedir_news
http://www.dailymotion.com/video/x1pr49u_sekulerlesme-dinsizlesme-demek-degildir_news

エルティト氏は、人々が生活していく上で何かを決める際、宗教に限らず特定のイデオロギーから、それほどレファレンスを求めないで済ませるようになるのが“世俗化”であると定義しているらしい。

宗教に限定しないのは、例えば、トルコでタクシーの運転手が、コーランなど宗教的な何かを携えていた場合、彼らはこれによって事故のような不運から救われたいと願っているわけだが、中国へ行けば、タクシーには毛沢東の写真が掲げてあって、運転手に訊くと、やはり不運から救われるように願っていたりする。

このため、人智を超えた力が付加された存在を崇拝するようなイデオロギーも、世俗化の対象になると説明されている。

また、エルティト氏は自身の結婚を例にあげて(?)、トルコの世俗化を明らかにしていた。どうやら、氏はアレヴィー派であるものの、夫人はスンニー派のようである。(私の早とちりかもしれないが・・・)

近年、トルコでは、こういった他宗派間の婚姻がかなり増えているそうだ。しかし、彼はここで、各々がアレヴィー派なり、スンニー派なりの信仰を放棄してしまったわけではないと言い添えている。だから、世俗化は“無宗教化”を意味していないという。

この辺りが、ひと頃の闘争的なリベラル派知識人とは違うような気もする。そもそも、そういったリベラル派知識人であれば、「人智を超えた力が付加された存在」の例として、毛沢東などではなく、あからさまにアタテュルクを持ち出していたかもしれない。

いずれにせよ、エルティト氏の言うように、宗教やイデオロギーに束縛されない自由な思考が、トルコで広がってきたのは事実じゃないだろうか。

これには、保守層ばかりでなく、モダンを装う“世俗主義者”の中にも不安を感じている人が少なくないような気がする。

しかし、レシャット・ヌーリ・ギュンテキンの小説に現れる「自分の世界のごたごたで忙しい本来の民衆」が、オスマン帝国末期の激動の時代に、イスラムの旧勢力による“妄信”に惑わされることもなく、したたかに新しい時代へ適応したように、現在も、トルコの人々の多くは、こういった変化を巧く乗り切ってしまいそうである。

やはり、文明の十字路に位置する地政学的な条件の所為か、トルコの人々、そして社会には、驚くべき適応力が備わっているのではないかと思う。


Volkan Ertit(Video Dailymotion)
http://www.dailymotion.com/video/x1pr58v_sekulerlesme-ve-laiklik-arasindaki-fark_news
http://www.dailymotion.com/video/x1pr4kl_hegemonik-laiklik_news
http://www.dailymotion.com/video/x1pr3uo_sekulerlesme-kacinilmaz-midir_news

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3月12日 (木)  ベデレッティン・ダラン

1984〜89年にかけて、イスタンブールの市長を務めた有力な政治家でありながら、所謂エルゲネコン事件の捜査で逮捕状が出されたため、7年間に亘って国外逃亡を続けていたベデレッティン・ダラン氏が、逮捕状の取り下げにより、一昨日、トルコへ帰還した。

記者会見でダラン氏は、現在、再審の進められているエルゲネコン事件は、当時の司法に巣食っていた組織による陰謀であるとしながら、次のように語っていた。

「・・・エルドアン大統領も、あの頃、これが見えていなかったとしても、それは自然な成り行きだった。しかし、これが解ってからも、そのまま続けていたら、私は咎めただろう。だが、過ちを改めた。そして、今、正しい方に向かっている。祝福する。神よ力を与えたまえ。」

92年に、私がイスタンブールで暮らし始めた頃、周囲から聞いたダラン氏の評判はなかなか良かった。友人たちは、「イスタンブールの金角湾が、きれいになったのは、金角湾に汚水を垂れ流していた工場を、ダラン氏が賄賂で集めた金を使って立ち退かせたからだ」なんて話していた。

また、これは未だに半信半疑だけれど、99年頃だったか(もっと後だったかもしれない・・)、イズミルでタクシーに乗って、40歳ぐらいの運転手さんと雑談していたら、彼が「ベデレッティン・ダラン知ってる? 僕は彼の甥っ子なんだよ」と言い出した。

運転手さんの風貌は、確かにダラン氏のように、青みがかった目の白人だった。話し方にも、ある程度教養が感じられたし、満更嘘でもなかったかもしれないが、有力政治家の甥っ子がタクシーの運転手をやっているとも思えず、まあ、かなり疑いながら、彼の話に耳を傾けた。

彼は、近々オーストラリア(だったと思う)へ移民する予定だと語り、ダラン氏が巷で言われているほど悪い政治家だったら、トルコでもっと良い暮らしが出来たはずだと笑っていた。さて、真偽のほどは、どうなんだろう?

Bedrettin Dalan(記者会見の模様“YouTube”)
https://www.youtube.com/watch?v=ezegby5zJ3M
https://www.youtube.com/watch?v=5xlMR1Gi34E

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3月13日 (金)  2003年のエルドアン−バイカル密談

(3月12日)

昨日(3月11日)のラディカル紙に、第一野党CHPの前党首デニズ・バイカル氏の談話が掲載されていた。

この談話で、バイカル氏は、2003年の2月頃に取り交わされたとされるエルドアン現大統領との“密約”の噂を否定している。

2002年11月の総選挙で、AKPは第一党に躍り出たものの、党首だったエルドアン氏は、被選挙権を剥奪されていたので、選挙に出ることが出来なかった。しかし、バイカル氏の主導により法が改正され、翌3月9日の補欠選挙で、エルドアン氏は当選する運びとなった。

この為、エルドアン氏とバイカル氏との間に、当時のセゼル大統領の後継はバイカル氏という密約が取り交わされていたのではないかと長い間噂されていた。これをバイカル氏は否定したのである。

しかし、2003年の2月に、エルドアン氏と極秘の会談があったことは認め、初めてその内容について語ったという。会談は、エルドアン氏の要請で行なわれ、アメリカ軍の国内通過是非を問う3月1日の議会票決が、主な議題だったらしい。

当時、エルドアン氏のAKPは、アメリカのイラク戦争に協力的な姿勢を見せていたから、3月1日の議会票決も通るのではないかと見られていたが、AKPの内部に離反者が出て、これは否決されてしまった。

会談で、エルドアン氏はバイカル氏に、否決された場合、アメリカはどういう反応を示すだろうか、それは我々にどのような否定的影響をもたらすだろうか、と問うたそうである。

あの票決は、AKPがアメリカに協力を約束して置きながら、内部離反者が出るのを承知で議会にかけた出来レースじゃなかったのかと、当時も噂されていたけれど、前以て、バイカル氏とエルドアン氏の間に極秘の会談があったというのでは、『やっぱり、そうだったのか』と思えてしまう。

いずれにせよ、バイカル氏とエルドアン氏は、議会で罵り合いながらも、結構巧くやっていたらしい。

未だ御両人が、首相と第一野党党首の間柄だった頃、何かのレセプションで乾杯した際、バイカル氏はグラスにちょっと口をつけてから、「あれ、私の方にリンゴジュースが来ているぞ。すると、首相、貴方のグラスはワインじゃないのか?」などと、隣のエルドアン首相に冗談を言ったそうだ。

現在の与野党党首の険悪な関係に比べれば、よっぽど和やかだったかもしれない。以下の話からも、その和やかだった様子が覗える。↓

5月14日 (水) バイカル氏の失脚を図ったのは誰だったのか
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2014&m=5

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3月14日 (土)  アラビアのロレンス

(3月13日)

“アラビアのロレンス”は、1971年、銀座にあった“テアトル東京”という映画館へ連れて行ってもらって初めて観た。小学校4年生だった。

まずは、“テアトル東京”の豪華さに驚かされた。見慣れた錦糸町・江東楽天地の映画館とはえらい違いである。あんな豪華な所で映画を観たのは、あれが最初で最後じゃなかったかと思う。

もちろん、“アラビアのロレンス”にも非常な感動を受けた。今でも、最も印象に刻まれた映画を問われれば、真っ先に、「アラビアのロレンス」と答えざるを得ないだろう。なんといっても、モーリス・ジャールの音楽と砂漠の情景が素晴らしい。

そして、私が始めて“トルコ”に興味を覚えたのも、多分、この映画だったような気がする。しかし、“アラビアのロレンス”で、トルコはまるで悪者扱いされていたけれど、あれを観てトルコに悪い感情を懐いてしまったという記憶もない。

映画のパンフレットを買ってもらって、何度も繰り返し読んだが、そこに、ある程度は客観的な歴史観が示されていたのだろうか?

また、ピーター・オトゥールの演技もあって、子供心に“ロレンスの狂気”を感じていたかもしれない。敗走するトルコ兵に、ロレンスが追い討ちをかける場面は、『可哀想だ』という印象と共に思い出された。

しかし、長い間、トルコ人と言えば、まず、将軍ベイを演じたホセ・ファラーの顔が浮かぶようになっていたのも事実である。

今、この“アラビアのロレンス”を改めて観たら、どう思うだろう? あまりにも一方的な押し付けがましさに、途中でうんざりするのではないか。戦前の日本がスローガンにしていた鬼畜米英というのも、言い得て妙だなと何だか納得してしまいそうな気もする。


*写真はアラビアじゃなくて、4年ほど前に訪れたカイセリ県ヤフヤルの風景。

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