Diary 2015. 2
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2月1日 (日)  アブドゥルラフマン・ディリパク氏の講演会

昨日、うちからバスに乗って40分ぐらいの所で、イスラム主義者のジャーナリスト、アブドゥルラフマン・ディリパク氏の講演会があったので出かけてみた。

講演会の日程は、5日ほど前、バス停に貼られていたポスターで知った。“ギョヌルデル”という団体が主催するらしい。

開演は7時だったが、6時半には会場に着いていた。会場のある建物は、主催団体“ギョヌルデル”の本部のようである。1階の半分が待合用のロビーになっていたが、そこには、高校生ぐらいに見える女子2人と彼女らの母親と思しき中年女性が所在なげに座っているだけだった。

彼女たちは皆、きっちりスカーフを被っている。「イイ・アクシャムラル(今晩は)」と挨拶したら、中年女性がにこやかに「イイ・アクシャムラル(今晩は)」と応じてから、「会場は2階ですよ。どうぞ」と言う。

それで2階へ上がってみたが、会場にも未だ誰も来ていない。また1階へ降りると、ちょうど上がって来ようとした彼女たちと階段の下で顔を合わせた。念のため、「招待状か何か必要なんですか?」と中年女性に訊いたら、「私たちは会員なんで、招待のメールが来ましたが、自由参加だから構わないはずですよ」と丁寧に答えてくれた。

そこへ主催団体の役員と思われる男性も来て、「ええ自由参加ですよ。まだ早いですが、会場でお待ちになって下さい」と勧められたけれど、少し喉がかわいていたので何か飲もうと思って一旦外へ出た。

5分ぐらいで戻って来たところ、先ほどの彼女たち以外に、もう5〜6人若い女性が増えていただけで、会場は未だがらんとしていた。この若い女性たちも全員スカーフを被っている。

一番前の席に座り、本を読みながら待っていたので、後ろの様子は良く解らなかったが、開演10分前ぐらいなって、ぞくぞくと参加者の人たちが入って来た。聴くと、「イイ・アクシャムラル(今晩は)」なんて挨拶している人は何処にもいない。皆、「セーラムアレイキュム」というアラビア語によるイスラムの挨拶だった。

当初は、女性たちも前の方に座っていたけれど、この段階になったら、主催団体役員のアナウンスに促されて、女性陣は全員後方の席へ移ってしまった。これには、ちょっと驚いたけれど、男性陣を見たら、その殆どが垢抜けないむさくるしい男たちで、『まあ、しょうがないか』と思った。男性陣側からそういう要望があったのかもしれない。

最終的に、参加者は200人ぐらい、男女比は7対3ぐらいじゃなかっただろうか。後ろの席に移ってしまったから、あまり良く観察できなかったが、女性たちは、おそらく全員がスカーフを被っていたと思う。しかし、学生風の若い女性も多く、男たちより遥かに洗練されていたような気がする。

後で解ったが、どうやら主催団体は、AKP政権党の下部組織のようなものらしい。ディリパク氏の講演も、フェトフッラー教団の陰謀を退けて、来る6月の総選挙に備えるよう呼びかける内容だったと言っても大きく間違ってはいないだろう。クルド和平やアレヴィー派問題の解決に理解を求めるような話も含まれていた。

特に、アレヴィー派の問題は、この保守的なスンニー派の人たちから理解が得られるかどうかが解決の鍵になるのではないか。説得に努めるディリパク氏らの役割は大きいかもしれない。

講演後、質問に立った年配の女性が、ISISの今後を尋ねたけれど、ディリパク氏は、「私も良く解らない。本人たちも良く解っていないのではないか」とまず答えてから、以下のように続けた。

ISISは、イラクとシリアの混乱に乗じて急激に膨張したため、内部を統轄できるヒエラルキーの構造さえ未だ固まっていない段階ではないのか。そのヒエラルキーを形成する過程で内部分裂を起こして崩壊する可能性もある。・・・・そうなれば良いのだが・・・。

質疑応答の時間も終了したら、男たちだけ、握手と記念撮影を求めて、講演者席のディリパク氏の周りに集まったが、その男たちの群れをかき分けるように、一人若い女性が歩み出ると、ディリパク氏の手元へ彼の著作を差し出し、サインを望んだ。

ディリパク氏は、この愛読者の出現が何よりも嬉しそうだった。少し会話を交わしてから、丁寧にサインして本を女性に返していたけれど、やはり握手はしていなかった。

女性は大学生のようである。凛として、とても美しかった。その所為か、私には、これがトルコの未来を明るくする象徴的な場面のように思えてしまった。


10月25日 (土) アブドゥルラフマン・ディリパク氏
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=20&y=2014&m=10


*今日は、ロドスと呼ばれる強い南風が吹き荒れていた。近所に新聞を買いに行っただけで、遠出しなかったから害もなかったが、何か吹き飛ばされてしまったり、飛んで来た物が当たったりして、被害を受けた市民もいたようだ。


*自己紹介欄のメールアドレスは既に使えなくなっているので、私(新実誠)へのお問い合わせは下記のアドレスにお願いします。↓

makoton1@hotmail.co.jp

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2月3日 (火)  イスラムは頑張らない宗教

15年ぐらい前だったか、イスタンブールで、ある程度日本語を解するトルコ人女性が、日本人観光客から「イスラム教はどういう宗教ですか?」と訊かれて、「頑張らない宗教です」と即答していた。私は今でもこれに『上手い言い方だなあ』と膝を叩きたくなる。

おそらく彼女は、日本人を“頑張り過ぎ”と思っていたのだろう。その為に肯定的な意味で「頑張らない宗教」と答えたようだ。

イスラム教は、あまり高邁な理想など掲げたりせずに、人間の弱さをそのまま認めながら、その弱い人間たちが寄り添って平和に暮らしていける社会を説いているような気がする。

しかし、これが結果的に、もの凄く頑張ってしまうキリスト教の西欧から打ちのめされ、平和を奪われる要因となってしまったのかもしれない。

それで、トルコのイスラム的な識者の中には、その西欧に追い付き追い越そうとする意気込みからか、プロテスタントに見られる禁欲的な刻苦勉励の精神を称賛し、ムスリムも信仰の力によって、同様の精神を得られるかのように説く人たちがいる。

実際、現在のイスラム的なAKP政権の人たちを見ていると、そうやってしゃかりきに働いている印象があるけれど、何処の社会でも、あのレベルに達する人たちは同様だろうから、参考になるのかどうか良く解らない。

でも、キリスト教の世界だって、中世の暗黒時代にはどんより停滞していたらしい。宗教の教義の如何に関わらず、何かのきっかけで一定の条件が揃えば、社会は活動期に入って、人々は頑張り出すのではないだろうか? そもそも、各宗教の教義なんて、一部の識者以外は、誰も良く解っていないはずである。

一方、先日のサバー紙で、エムレ・アキョズ氏は、西欧が発展した要因の一つに“表現の自由の獲得”を挙げていた。

また、9世紀にアッバース朝が科学的な分野で隆盛期を迎えたのは、当時、主流を成していたムタージラ派に“思想の自由”があったからだと説く識者もいる。ムタージラ派には、後のキリスト教の自由主義神学を凌ぐ自由な学問体系があったらしい。

そういうムタージラ派の講釈を宗教科の先生だった友人からも大分聞かされたけれど、殆ど忘れてしまった。友人は、ムタージラ派がその後もイスラムの主流として続いていれば、イスラム世界が西欧の後塵を拝したりする必要はなかったと残念そうに話していた。

驚いたのは、私がちょっと揚げ足を取るつもりで、「でも、そんな自由な考え方が行き渡ってしまうと、誰も神を信じなくなるんじゃありませんか?」と訊いたところ、友人は平然と「うん、私もそう思う」と答えて、ニヤッと笑ったのである。トルコでは、既に宗教の分野も含めて、かなり自由の領域が広がっているのだろう。

もちろん、“脱宗教”を主張する政教分離主義者の人たちは、こんな話で納得しないに違いない。しかし、一部の政教分離主義者が、「宗教やめて、神を信じなくなれば発展する」程度のお手軽な考えで、酒飲んで浮かれたりしているのを見ていると、何だかこちらのほうが、よっぽど“頑張らない宗教”の人たちであるような気もする。



2月5日 (木)  スルタンアフメット

昨日、イスタンブール観光の中心になっているスルタンアフメットに行ってみたら、結構外国人ツーリストで賑わっていたので安心した。日本から来ているグループにも出会った。

しかし、聞くところによると、事件の影響が出るのは1ヵ月ぐらい先になるらしい。2013年の“ゲズィ公園騒動”の時もそうだった。デモで大騒ぎになっていた6月、スルタンアフメットの辺りには外国人ツーリストの往来も目立っていたのに、事態が収束した後の9月になったら、急に往来が減って静かになってしまった。

今回も、既に日本ではトルコ旅行のキャンセルが相次いでいるという。拉致・誘拐の危険などが取り沙汰されているそうだ。でも、在住者にとっては、いつもと変わらない日常が繰り返されているだけである。

ところで、拉致と言えば、日本には未だ北朝鮮に拉致されたまま行方の解らなくなっている方たちがたくさんいる。こちらの重大性ももっと喚起されるべきだと思う。

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2月6日 (金)  ムスリムと西洋 ─ 9 月 11 日の後

ムスリムと西洋 ─ 9 月 11 日の後 ─パルヴェーズ・フッドボーイ (Pervez Hoodbhoy) /学習院
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/hoodbhoy/hoodbhoy2J.html

上記は、パキスタンの物理学者パルヴェーズ・フッドボーイ氏が、2001年に著した論説だけれど、今読み返して、また改めて非常な感銘を受けた。

フッドボーイ氏は、ここでまず次のように述べている。「イスラム教は ─ キリスト教、ユダヤ教、ヒンドゥー教、あるいは他のすべての宗教と同様 ─ 平和についての宗教ではない。 それは、戦争についての宗教でもない。 どんな宗教も、その宗教の優越性とその宗教を他者に押しつける神聖な権利についての絶対的な信念を扱うのである。」

イスラム教も、その共同体の安寧秩序と平和は願ってきたけれど、これを乱す敵には聖戦を辞さないのだから、世界全体の平和共存を望んでいたわけではないだろう。

オスマン帝国では、イスラムの共同体と他宗教の共同体が、一時期まで平和に共存していたものの、これは経済力を握っていたキリスト教徒らもそれなりに優越感を持っていたという微妙なバランスの上に維持されていたのかもしれない。↓

8月25日 (月) マイノリティの最も真実的な試験
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2014&m=8

フッドボーイ氏は、論説を未来への提言で締めくくっているが、そこで、「ムスリムは、信仰の自由と人間の尊厳を重んじ、権力は国民にあるという原則に基づいた、非宗教的で民主的な国家を必要としている。」と明らかにしている。

政教分離を達成したトルコ共和国は、この“非宗教的で民主的な国家”のモデルになり得るのではないだろうか。

イスラム的と言われるAKP政権による現在のトルコも、歴史学者のシュクル・ハニオウル氏が指摘するように、既に“民主主義の中のイスラム”を模索し始めているのではないかと思う。↓

1月9日 (木) 民主主義の中のイスラム
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2014&m=1

イスラムと民主主義(シュクル・ハニオウル−サバー紙/2014年1月5日)トルコ語
http://www.sabah.com.tr/yazarlar/hanioglu/2014/01/05/islm-ve-demokrasi

AKPを支持している民衆の多くも、脱宗教を目指した抑圧的な“政教分離主義”には抵抗していたけれど、政教分離の大枠は是認しているはずだ。かえって、過剰にイスラム的な政策が進んだ場合(たとえばアルコールの禁止など)、かなりの支持者が離反してしまうだろう。

そもそも、AKPの元来の基盤に、アルコールの禁止を望むような人たちがいるとしても、エルドアン大統領やダウトオウル首相らに、そういった偏狭な考えはないと思う。

フッドボーイ氏が危惧する過剰な民族主義も、クルドとの和平を実現できれば、乗り越えることは可能であるに違いない。



2月7日 (土)  飲酒の問題はクリアされたのか?

昨年末、日本へ発つ前、近所の家電修理屋さんに、「日本の食事で何を楽しみにしているのか?」と訊かれたので、「そりゃ、もちろん日本の酒だよ」と答えてから、「すまんねえ」と言い添えたら、「構わないよ。私らは、もうとっくにそういう問題をクリアしているんだ」と笑っていた。

保守的なイエニドアンの街では、金曜礼拝の時間になると、殆どの商店が一時休止してしまう。がちがちと言って良いくらい敬虔なムスリムの家電修理屋さんも、金曜礼拝となれば、真っ先にモスクへ行く。他の礼拝時間には、店内で礼拝を行なっている。ラマダンには断食を実践し、アルコールは一滴も口にしない。

しかし、このイエニドアンの街にも、酒類販売店はある。ラマダン中も営業しているし、酒類販売は10時までという法規も厳格に守られているわけじゃない。

だからと言って、これに家電修理屋さんらが目くじらを立てることもないようだ。確かに、問題はクリアされてしまったらしい。

思うに、かつては、飲酒こそが近代的な風俗であるかのように喧伝しながら酒を飲む政教分離主義者のエリートから、自分たちが抑圧を受けていると感じていたため、むきになって反発していたものの、既に飲酒はエリートのシンボルじゃなくなってしまったので、それほどむきになる必要がなくなったのかもしれない。

そして、政教分離に対する反発も余り見られなくなったのではないかと思う。

なにしろ、2011年には、かつて政教分離の敵と看做されていたエルドアン首相(当時)が、エジプトへ行って、政教分離を勧めるようになったのである。

【251】エルドアンによる政教分離の勧め【ミリエト紙】【2011.09.19】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00251.html

9月19日 (月) エルドアンによる政教分離の勧め
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2011&m=9

しかし、民族主義へ傾かないまま、もう少し非宗教性を強調できる健全な野党がなければ困るような気もする。


2月8日 (日)  1978年8月:佐渡島の出来事

1978年、高校3年の夏休みに佐渡島を旅したことがあった。もっとも、佐渡島へ行こうと思って旅に出たのではなくて、上越線を越後湯沢辺り(正確に覚えていない)で降りて、そこからヒッチハイクして行ったら、たまたま新潟港で降ろされたので、ちょうど出航間近だった佐渡島行きのフェリーに乗り込んだのである。

両津港に着いて、何処をどう歩いたのか、とにかく一軒の民宿風の宿を見つけて、そこで一泊することにした。途中、バスに乗ったような覚えもあるが、この辺りの記憶は余りはっきりしていない。宿があったのは、海岸から大分奥に入った所で、周囲に水田が広がっていたのを思い出す。

宿は50歳ぐらいのおばさんが一人で切り盛りしていた。(おばさんだけじゃなかったかもしれないが、覚えていない)

宿泊客は私以外に殆どいなかったような気がする。夜、もう10時ぐらいだったと思うが、1階入口近くの食堂でテレビを見ながらビールを飲んでいたら、30〜40歳ぐらいの男二人連れが宿に入って来て、おばさんに部屋はないかと訊いている。

二人連れは、私と同じく2階の部屋に案内されたようだが、直ぐ食堂に降りて来ると、私の前に座って、いろいろ話しかけてきた。一緒にもう少しビールを飲んだかもしれないが、この辺りも余り良く覚えていない。

それから2階の部屋に上がって寝た。そして何時頃だったか、ふと目を覚ましたら、あの二人連れが枕元の辺りにいる。ここからの記憶はかなり鮮明だ。

私は未だ多少酔いが残っていたのか、それほど驚くこともなく、「どうかしましたか?」というような問いをボンヤリ彼らに訊いた。そしたら、向こうも「おばさん何処にいるの?」などと惚けたことを言う。

「おばさんは1階じゃないですか?」と答えたら、「ああそうなの? 起こして悪かったね」と言い残して部屋から出て行った。

その後私は、何も確認せずにまた寝てしまった。今から思うと随分間が抜けている。

朝、目を覚まして、『そういえば、夜中にあの二人連れが入って来たなあ』とボンヤリ考えていて、はっと飛び起きた。あれはどう考えても怪しい。枕元のカバンを見たら、チャックが開けられている。でも、財布は寝巻き代わりのジャージのポケットに入れてあったから、カバンの中は着替えだけで、取られるようなものは何も無かった。

やれやれと思いながら、食堂へ降りて、おばさんに、夜中の出来事を話したところ、おばさんは「えっ!」と驚いて、あたふたと2階へ上って行き、また直ぐに降りて来ると、「あーあ、やられちゃった」と呆れたように笑っている。

「何か盗られたんですか?」と訊いたら、「もういないのよ。宿代やられちゃったわね」と言って、また笑っていた。

旅行から帰ると、私は直ぐにこれを危ない冒険談の“ネタ”にして、何度も繰り返し話しながら得意になっていた。しかし、10年以上経って、北朝鮮の拉致疑惑が取り沙汰されるようになったら、『泥棒で良かった・・・』とその幸運に感謝しなければならないように思えてきた。

1978年8月の佐渡島である。翌日は、余り人気の無い日本海に面した海岸を歩いたりしてから小木の港に出た。もちろん何の危機感もないし、全く無防備な状態だった。でも、今考えて見れば、なかなか危なかったのかもしれない。

現在、日本では、シリアやイラクの周辺国にいるだけでも危ないんじゃないかと大騒ぎになっているらしいけれど、危機というのは案外身近な所にも潜んでいたのに、それに気がつかないまま、幸いにやり過ごしていた場合も結構あるんじゃないだろうか?


*今朝、玄関を出たら、目の前にどんとユンボが置かれている。まだ暗い内に搬入して行ったようだ。ここにもビルが建設されるのだろうか? 写真(左)でユンホの後ろに見える2棟のビルは、いずれも建ってから未だ2年経っていない。イエニドアンもいよいよ建設ラッシュである。しかし、ユンボの搬入業者、歩道をぶち壊して行くとは、いったいどういう了見なのだろう−写真(右)。

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2月9日 (月)  メトロガーデン/ミグロス

昨日、うちからバスで30分ぐらいの所にオープンした新しいショッピング・モールの様子を見てきた。

このショッピング・モールは、すぐ横で進められている地下鉄の工事が完了すれば、地下駅からのアクセスも可能になるらしい。その名も“メトロガーデン”という。多分、うちから最も近い大規模ショッピング・モールじゃないだろうか。

なんだか、大都会の賑わいが、どんどんうちの近くまで迫ってきたような気がする。地下鉄が開通したら、イエニドアンの街もかなり交通の便が良くなるに違いない。最近の建設ラッシュは、もちろんそれを見越しているはずだ。

メトロガーデンには、大手スーパーの“ミグロス”もあった。ミグロスはイスタンブールの至る所に展開しているが、この地域では殆ど見かけなかった。おそらく、うちから最も近いミグロスもここだと思う。

ミグロスには、色々なミグロス・ブランドの商品もあって、これがなかなか安いので嬉しい。昨日は、ターヒン(胡麻のペースト)やインスタントコーヒーなどを購入してきた。いずれも、他の有名ブランドに比べると半額に近いほど安い。でも、コーヒーは余りコーヒーらしい香りがしなかった。

ミグロスは酒類も安いし、もっとうちの近くに出来たら便利で良いが、もともと余り保守的な地域へは積極的に展開しようとしていなかったのかもしれない。

イスラム主義政党のRP(福祉党)が政権から引き摺り下ろされた“2月28日の政変”があった1997年、私はトルコにいなかったので、その話を一昨年の“ゲズィ公園騒動”の際に初めて聞いたけれど、ミグロスは政変の後、スカーフを被った女性の来客まで規制するようなことをしていたらしい。

スカーフをしっかり首の辺りまで巻き付けるテュルバンと呼ばれる被り方や、黒い布を頭からすっぽり被るチャルシャフを規制の対象にしたのではないかと思うが、実施の規模や期間など詳細については良く解らない。実を言えば、『まさか、そんな馬鹿げたことを・・・』と未だに半信半疑である。 

このため、イスラム的な人たちの中には、今でも決してミグロスでは買い物をしない人がいるそうだ。

確かに、かつてミグロスで、テュルバンの女性客を見た覚えはなかったような気もする。今でもミグロスのレジ係りでスカーフを被っている女性は殆ど皆無であるかもしれない。しかし、来客の中にはテュルバンの女性も良く見かけるようになった。昨日のミグロスにも、テュルバンの女性客が数人いた。

こうして、人々の間を隔てていたイデオロギーの垣根も徐々に低くなって行くと期待したい。

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2月10日 (火)  イスタンブール:イエニドアンの雪景色

今朝起きたら、辺りはもう雪景色になっていた。イスタンブールでは、私が日本に滞在していた頃も雪が降ったらしいけれど、私にとってはこれが今冬の初雪だった。

おりしも、G20の会議がイスタンブールで開かれている。取材等に携わっている人たちも寒くて大変だろう。でも、久しぶりに平穏なニュースで、イスタンブールが日本に報道されているようで嬉しい。

もっとも、イスタンブールはずっと平穏で、危機など微塵も感じられていなかったが、これをきっかけにして、トルコ旅行のキャンセルに歯止めがかかってくれたらと思う。

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2月11日 (水)  イスラムの政教分離

さきほど、「私はトルコ以外に、イスラム国を訪れたことがないので・・」と書き出してから、はたと気がついた。これでは、何だか“ISIS”と区別がつかなくなってしまう。

かつては、「イスラム教徒が大多数を占める国」程度の意味合いで、“イスラム国”あるいは“イスラム教国”という言い方が結構一般的に使われていたはずだが、これからは、せめて“イスラム教の国”と書かなければならないだろうか。

日本政府は、“ISIL”あるいは“IS”という略称を使うように呼びかけているけれど、既に“イスラム国”は、問題のテロ組織の名称として記憶されているため、「イスラム教徒が大多数を占める国」という意味で使うのは、やはりもう無理だと思う。

それに、あのテロ組織はあくまでも“イスラム国”を自称しているのだから、“イスラム国”という呼び方が特に不都合であるとは言えないだろう。かえって、“ISIS”に固執するほうがおかしいかもしれない。

しかし、日本には、自分たちが“中華”であると主張して「中華人民共和国」を名乗る国に対して、「あれは中華でも共和国でもない」と言いながら“支那”という呼称に固執している人たちもいる。これは、英語の“チャイナ”を考えれば、それほど不都合な拘りでもないらしい。

私はこの妙な拘りにちょっと抵抗を覚えるが、まあこれなら“ISIS”という拘りも許してもらえそうだ。

そもそも、他国の名称など、慣例に従って随分適当にやっているような気もする。例えば、“ハンガリー”の自称は、“マジャロルサーグ”であるという。日本では、“米国”とか“英国”といった呼称もまかり通っている。

あんなテロ組織をわざわざ自称で呼んでやる必要など何処にもなかったかもしれない。

***

私はトルコ以外に、イスラム教の国を訪れたことがないので、私が見て来たのは、政教分離を実現した“トルコのイスラム”だけである。ところが、日本の識者の中にも、「イスラムに政教分離は有り得ない」と説く人がいて、そうなると私が見て来たのは“イスラム”ではなかったということになってしまう。

実際、かつてはトルコのイスラム主義者にも、「政教分離は教義上認められない」と主張する人が少なくなかった。その為、政教分離主義者の人たちは、イスラムを徹底的に封じ込めなければならないと思っていたようだ。イスラム主義的な政党が政権を取ることなどもってのほかだった。

しかし、非常にイスラム主義的と思われていたAKPが政権に就いて既に13年が過ぎようとしている。この間、AKPの歴代の首相は皆、「トルコは政教分離の国家である」と繰り返して来た。

「政教分離は必要である」というイスラム学者もいる。それは「世俗的な政治からイスラムを守るため」なんだそうである。おそらく、政教分離主義者は、「イスラムから政治を守るため」と言うのではないかと思うけれど、結局は同じことなのかもしれない。

ある小さな出版社を経営する知人は、「トルコに政教分離の危機などない。トルコはオスマン帝国の時代から政教分離だった」と語っていたが、やはりトルコには、もともと政教分離を受け入れる土壌があったのだろう。

さて、トルコでも、ISISの公開斬首がメディアで伝えられると、日本と同様、殆どの人々がぞっとして鳥肌を立たせていたのは想像に難くない。宗務庁のギョルメズ長官は、「ISISの凶行はイスラム学の分野ではなく、精神病理学の分野で語られるべきである」と言って、イスラム学者としてのコメントを拒否したそうだけれど、これは多くの人々の気持ちを代弁していたと思う。

多くの人々が、「あのきちがいじみた連中は何処から現れたのか?」と考えながら、「イスラムの中から・・・」なんてことは絶対に認めたくなかったに違いない。

しかし、死刑さえ全廃してしまったトルコと、未だに斬首刑を公開しているサウジアラビアなどを同じ“イスラム教の国”として語るのは難しいような気もする。

もしも、そういったイスラム教の国のイスラム学者が、「政教分離は教義上許されない。トルコのイスラムは真のイスラムではない」などと言うのであれば、その中から血生臭い暴力が現れるのは、それほど不思議ではないかもしれない。

エジプトの獄中にいるムルシー元大統領は、「あの時、エルドアン首相の助言を受け入れて政教分離を認めていれば良かった」と後悔しているだろうか? やはり、イスラムを理由に掲げたテロ・暴力を防ごうとするならば、イスラム教の国々が政教分離による民主主義の道を模索し始めなければならないのではないかと思う。


【61】トルコにおけるムスリムによる政教分離の可能性【ラディカル紙】【2004.03.26】
http://neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00061.html




2月12日 (木)  脱宗教への信念

ムスリムと西洋 ─ 9 月 11 日の後 ─パルヴェーズ・フッドボーイ (Pervez Hoodbhoy)
/学習院
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/hoodbhoy/hoodbhoy2J.html

↑この論説に、パキスタンの科学者が、天国の速度を算出したり、精霊からエネルギーを抽出しようとしたりする話が紹介されていた。

日本にも変なオカルト科学者はいるだろうけれど、筆者のフッドボーイ氏が、わざわざそういう極めて希少な例を持ち出して、自国のネガティブな面を強調したようにも思えない。この手の妄信が、正常な研究活動を妨げてしまうほど蔓延っているということなのだろう。これはちょっと恐ろしいかもしれない。

天国と言えば、トルコのイスラム学の権威であり、イスラム主義者として有名なハイレッティン・カラマン教授が、コーランの56章に出て来る“天女の恩恵”について述べたくだりをお伝えしたことがあった。↓

10月20日 (月) 天女の恩恵
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2014&m=10

ここで、カラマン教授は、“天女”なるものが、地上の人間を善へ導く為に、地上の人間が知っている好ましい恩恵として示されただけであると説明している。このカラマン教授に、「天国の速度の算出」について訊いたら、おそらく「ナンセンスだ」と言われるんじゃないだろうか?

トルコでは、がちがちのイスラム主義者として政教分離主義者たちから非難されているイスラム学者がこうなのだから、科学の分野にも、それほどオカルト科学者がいるとは思えない。パキスタンの例とは、何かが根本的に違っているような気がする。

【154】コーランと科学【ミリエト紙】【2006.06.10】
http://neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00154.html

しかし、脱宗教を主張するラディカルな政教分離主義者の中には、イスラムの妄信に纏わる様々な例を上げて、自国のネガティブな面を強調しようとする人もいる。これは結局、却って信心深い人々の反発を招いてしまうばかりか、トルコの評判も貶めることになるけれど、彼らの脱宗教への信念は揺るぎないようである。

それは、「不信心の優越性と不信心を他者に押しつける神聖な権利についての絶対的な信念」と言えるのかもしれない。



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