Diary 2014. 9
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9月1日 (月)  セリミエ・クシュラス

8月29日以来、19時〜7時の夜勤で、現場の通訳に出ている。おそらく夜勤は、9年ぶりぐらいじゃないかと思う。

29日は、滅多に引かない夏風邪でくたばっていた為、2日間ほどしんどかったものの、いつの間にか風邪も治って夜勤にも慣れてきた。もっとも、あと2〜3日で終了する予定だが・・・。

*********

写真(左)は、アジア側のハーレム近くにある“セリミエ・クシュラス(兵舎)”。クリミア戦争の時代には、イギリス軍に提供されて、ナイチンゲールが傷病兵を看護したことで知られている。現在も、トルコ軍の司令部が置かれているけれど、一部はナイチンゲール博物館として公開されているそうだ。
写真(右)は、その向かい側にあるマルマラ大学の建物。


*自己紹介欄のメールアドレスは既に使えなくなっているので、私(新実誠)へのお問い合わせは下記のアドレスにお願いします。↓

makoton1@hotmail.co.jp

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9月2日 (火)  神のお告げ?

今日(9月1日)、前出の記事を書いてから一眠りし、午後4時頃に起きると、ちょっと早いけれど、4時30分発のウスキュダル行きバスに乗るつもりで家を出た。

バスは、イエニドアンのターミナルを4時30分に出発した場合、5分〜7分ぐらいして、家の近くの停留所を通ることになる。

このウスキュダル行きは、高速道路を使う快速バスで、これに乗れば、現場付近まで1時間と掛からない。しかし、運行本数が少なく、4時30分の次は6時30分発になってしまう。

頻繁に運行しているカドゥキョイ行きも現場付近を通るが、これに乗ると1時間30分から2時間近く掛かる。それで、4時30分の快速に乗って行くのである。

停留所についたのは4時30分きっかりだった。ところが、バスは4時40分になっても来ない。後から停留所に来た男が、「ウスキュダル行きは行ってしまいましたかねえ」と私に訊くので、「4時半から待っているけれど、まだ通っていないよ」と答えた。それから、バス運行ダイヤのいい加減さについて、この男と苦情を述べ合っている内に、気がつくと、もうとっくに5時を過ぎている。

結局、諦めてカドゥキョイ行きのバスに乗ったが、夕方の時間帯でも、逆方向になる所為か、それほど道は混んでいない。『まあ、遅れずに済みそうだ』と安心して、ぼんやり窓の外を眺めていたら、現場の責任者であるトルコ人の方から携帯に電話が掛かってきた。

「今日来るはずの部材が、この時間になっても来ない。これでは仕事にならないので、今日の作業は中止します。そのまま帰宅して下さい」という連絡だった。

多分、今日は、何をやっても巧く行かない手はずになっていたのだろう。ひょっとすると、バスが来なかったのも、『行かなくて良いんだよ』という神様のお告げだったかもしれない。



9月7日 (日)  アルトゥンテペ

1週間ほど続いた夜勤が終わった。今日、また昼遅くまで寝てしまうと、夜寝られなくなるところだったが、幸い友人のアフメットに電話で叩き起こされた。

アフメットは美術科の教員で、トラブゾン県の出身。彼の村では、まだギリシャ語のポントス方言が話されているそうだ。

カドゥキョイまで出て行き、久しぶりにアフメットと会って話した。そしたら、何だか言ってることが3ヵ月前とは大分違う。あれだけ激しくAKPとエルドアン首相を非難していたのに、「大統領選挙? 俺もエルドアンに入れたよ」なんて当たり前な顔して言う。

もっとも、以前、彼がエルドアン首相を非難しながら、旧体制のトルコ民族主義的なイデオロギーに与していたことの方が、よっぽど不可解であるかもしれない。彼の家系は、数世代前までギリシャ正教徒のルームだったらしいから、オスマン帝国時代の多様性を取り戻そうというAKPの政策には期待を寄せているのではないかと思う。

さて、今晩はカドゥキョイで買って来たワインを飲んで寝ることにする。これで昼夜がまた元に戻るだろう。

ワインは“アルトゥンテペ”という廉価品。もう5年ぐらいの間、家で飲むのは、この安いワインばかりである。最近、また少し値が上がったけれど、それでも、1リットルで16リラと格段に安くて、質も悪くはない。

それに、これを飲み始めて以来、たまにレストラン等でご相伴にあずかるワインが、とても美味しく感じられる。

超高級でもない限り、レストランのメニューに出てくるのは、大概“ブズバー”とか“ヤクート”といった銘柄で、昔は家でもこのクラスのワインを飲んでいたから、特に美味いと思ったこともなかった。それがもう、タイミングによっては、その美味さに感動してしまうのである。

如何に美味しい料理でも、毎日食べていれば、それが当たり前になって、感動の余地もなくなるだろう。経済的に苦しくても、生活の隅々に感動の余地がたくさんあって、私はとても幸せだ。

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9月8日 (月)  ダルダネルのオイルサーディン

昨晩は、ワインの肴にダルダネルのオイルサーディンを食べた。こちらもワインと同様に安いけれど、なかなかの一品じゃないかと思う。

ダルダネル社は、チャナッカレを本拠地とするトルコの水産加工品会社で、社名はチャナッカレの海峡(ダーダネルス海峡)に由来しているようだ。ちょっと高級な鯖サンドなどが食べられる“ダルデニア”というファースト・フード店も経営している。

日本では、キングオスカーのオイルサーディンを好物にしていたが、ダルダネルのオイルサーディンもこれに引けをとらないような気がする。もっとも、キングオスカーのオイルサーディンの味が、今、思い出せるわけじゃないけれど・・・。

Dardanel
http://www.dardanel.com/

12月5日 (木) 鯖サンドの大出世!
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2013&m=12

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9月9日 (火)  新設バス路線はいつもガラガラに空いている

今住んでいるイエニドアンの街は、イスタンブールと言っても、アジア側の東のはずれで、30〜40分も歩けば、辺りには田園風景が広がっている。

緑に恵まれ、環境は悪くないと思う。家賃を始め諸物価も安い。人々は優しくて、ちょっとお節介なくらいだけれど、その為、治安がとても良い。

しかし、バスで市の中心部に出ようとすれば、結構時間が掛かってしまう。アジア側の拠点であるカドゥキョイまで、朝のラッシュ時には、2時間以上掛かったりしていた。

それが、今年の4月頃に、高速道路を使う2路線が新設され、大分便利になった。カドゥキョイ行きの“18E番”とウスキュダル行きの“18Y番”。これなら、ラッシュ時でも1時間半、時間帯によっては40分ぐらいで着くこともある。でも、便数が極端に少ない。16時30分の次が18時30分だったりする。

利用客が増えれば、そのうち増便されるだろうと期待していたが、“18Y番”などいつ乗ってもガラガラである。“18E番”も余り混み合うことはない。

まず広報が行き届いていないため、未だに路線の新設について知らない人がたくさんいる。地域の各停留所に、案内を張り出すだけでも効果があるはずなのに、何もしていない。私は、3月の地方選挙中、区の広報版に「バス路線新設」と大きく書かれているのを見てから、市交通局のウエブサイトを開いて詳細を知った。

さて、またどうでも良い話だけれど、バスの車内が空いているのを良いことに、ちょっと際どいパフォーマンスを繰り広げる連中もいる。

先日、夜勤へ行く時だから、午後5時過ぎぐらいじゃないかと思うが、イエニサハラで乗って来た若いカップルは、私が窓際に座っている最後尾の3人掛け席まで真っ直ぐ進んで来ると、男が私の方に寄って仲良く腰掛けた。彼女の向こう側はエンジンルームで、その前の席からも余り見えない構造になっている。

それから2人は、私が現場近くの停留所で降りるまで10分ほどの間、延々と激しいキスを繰り返していた。私は窓の方に顔向けて見ないようにしていたが、派手に音を立てたり、吐息まで漏らしたりするから嫌でも気がつく。光の加減では、窓に2人の様子が写ってしまう。ズズッーと舌を吸い合うような音まで聴こえて来て、なかなか凄かった。

以下の駄文に出てくる“アベック”は、服装からして少し派手な感じだったが、あのカップルはそうでもなかった。何処にでもいる普通の若者たちに見えた。欲情がよっぽど溜まっていたんだろうか? 降りる時は、しょうがないから2回ほど大きく咳払いしたら、静かに身を引いてくれたけれど、東洋人の中年男は殆ど彼らの眼中になかったようである。

3月30日 (火) 市バス車内のアベック
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2004&m=3

【184】娘を処女のまま嫁がせたい。でも息子は?【ラディカル紙】【2008.03.31】
http://neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00184.html

↑このモスクワの話も凄いけれど、さすがにトルコじゃそこまで行かないだろう。しかし、筆者のスアト・タシュプナル氏に、先日のバスのカップルを見せたら、『トルコもここまで来たのか!』と驚くかもしれない。


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9月10日 (水)  トルコの人たちと携帯電話

バスの車内のカップルには驚かされたが、その前の日だったか、バスの横を走っていたオートバイの運転手のパフォーマンスもなかなか見事だった。

あの日も、バスの最後尾の窓際に座って、ぼんやり窓の外を眺めていた。バスは高速道路を走行中で、窓の向こうには、平行して走っているオートバイが見える。道路は暫く直線が続いていた。

オートバイの運転手は、ちゃんとヘルメットを着用して、その服装もライダーに相応しいものだったが、やおら片手をハンドルから離すと、何処からか携帯電話を取り出し、さらにもう片方の手も離して、携帯のキーを押し始めたのである。

驚いて、その後の動きを注視しようとしたけれど、両手をハンドルから離したオートバイは瞬く間に減速し、バスの後ろの方へ下がって行く。後ろを振り返って、オートバイの様子を追ってみたものの、距離が開き過ぎて良く見えない。

ヘルメットを被っていたから、まさか通話は出来なかったと思うが、メッセージでも確認しようとしたのだろうか? オートバイは暫くの間、遥か後方を走っていたが、そのうち速度を上げて、悠然とバスを抜き去っていった。

バスの窓から外を見ていると、隣を走っている乗用車の中なども良く見えてしまうけれど、運転しながら携帯を手にしている人たちの多さに驚く。乗っているバスの運転手も携帯で延々と話していたりする。

隣を走る乗用車で、運転席と助手席、後部座席に座っている3人の男全てが、各々携帯を耳にあてがっていたのを見てのけぞったこともある。

車を運転していてもこれだから、もちろん街中の有りとあらゆる所で、携帯を取り出して話す。公衆便所の中も例外じゃない。いつだったか、フェースブックに次のような体験談がシェアされていた。

その人が、高速のサービスエリアで用を足そうとトイレの個室に入ったところ、隣の個室から「メルハバ!」と声が掛かった。それで「メルハバ」と挨拶を返し、尚も隣から聴こえてくる「何処に向かっているのか?」といった問いに、いちいち「イスタンブールです」などと答えていたら、声の主がこう言ったそうだ。「おい、一旦電話を切るよ。隣の奴がいちいち返事をしてきてうるさいんだ!」

この話、何処でもどんな状況でも挨拶しようとするトルコ人の特性も現れていて、なかなか面白かった。



9月11日 (木)  精神に病のある人たちとの共存

日本では、ベビーカーを電車やバスの車内に持ち込むことの是非が議論されているらしいが、トルコではベビーカーのお母さんを助けてあげるのが当たり前で、議論にすらならないような気がする。

すし詰め満員の場合はしょうがないけれど、混んでいても少し余地があれば、他の乗客たちが声を掛け合って、ベビーカーの入る場所を作ってあげたり、ベビーカーを畳むのを手伝ったりしている。もちろん子供を抱いたお母さんに誰も席を譲らないなんてことは有り得ない。少なくとも私が頻繁に利用しているイエニドアン発着の路線ではそうである。

いつだったか、バスの車内で泣き止まない乳児に苛立った中年男が、「子供を静かにさせてくれ!」と文句を言ったところ、周りの乗客たちから、「あんた子供を育てたことはないのか?」「赤ちゃんは泣くのが当たり前だ!」「嫌なら、あんたが降りろ!」と散々言い立てられ、男は黙り込んでしまった。

さて、これは昨日の出来事だが、バスの車内で、意味不明の言葉を喚き散らすおじさんがいた。50歳ぐらいだろうか? もう少し若かったかもしれない。小柄で身なりはごく普通に見えた。おじさんは、バスの中ほどに立っていて、小刻みに身体を震わせながら、ぶつぶつ何か言い、時折、大きな声で喚き散らす。

そんな状況が15分ほど続き、喚き散らす頻度が増してきたら、近くに立っていた大柄な中年男が、おじさんの腕を掴んで、「うるさい! バスから降りろ!」と威嚇し、ちょうど信号待ちか何かで止まっていたバスの運転手さんに、「ドアを開けてくれ!」と言いながら、おじさんを乗降口の方へ引っ張って行こうとした。

すると、何人もの乗客が、「おい、その人は病気なんだからしょうがないだろう!」と口々に言って、これを制止したのである。

中年男は、気まずそうにおじさんの側を離れ、おじさんも身体を震わせてぶつぶつ言うのは止めなかったものの、喚き散らすことはなくなった。

暫くして、高校生の男子がおじさんに席を譲ると、おじさんは大人しく座ったけれど、それからも身体を震わせながらぶつぶつ言い続けていた。

トルコでは、精神的な病を持つ人たちも、世間から温かく受け入れられているのかもしれない。

2005年〜2007年にかけて住んでいたウスキュダルのアパートは、隣が空き地になっていて、ここに40歳ぐらいの男が廃品を集めてバラックを建てたりしていた。

男は廃車を改造しながら遊んでみたり、街頭演説の真似事をしてみたり、実に様々なパフォーマンスを見せる。時々、奇声を発したりすることもあったが、それほど周囲を不快にさせることもなかった。

私はアパートを引き払う際に、同居人たちが残していったベッドやら何やらを、全て彼に頼んで処分してもらったから、有り難いくらいだった。

近所の人たちの話によれば、もともと立派な家の子で、本人も学校での成績は良かったそうだが、いつのまにか気が変になって、もう長い間、そういう状態が続いていたらしい。

でも、あの街で、彼が周囲から嫌がられているような雰囲気は全く感じなかった。子供たちが、彼をからかって怒らせることもあったけれど、仲良く遊んだりもしていた。今、どうしているだろうか?


10月29日 (土) 市バスの中の出来事
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2011&m=10



9月12日 (金)  10年来の常連客?

ベイオウルの裏通りにある“大衆食堂”。2004年〜2005年に、故マリアさんの家で間借りしていた頃は、週に2〜3回、ここで食べていたような気がする。

その後も、昼をこの辺で食べようとしたら、大概この店である。10年来の常連客と言って良いかもしれない。とにかく安くて美味しい。私が知る限り、イスタンブールで最も安い食堂じゃないかと思う。

経営者は、黒海地方出身のラズ人で、レジを任されているのは、殆ど親族のようである。彼らは、自分たちの間ではラズ語を話したりする。

今日は経営者のおじさんが自らレジに立ち、料理の盛り付けなども手伝っていた。10年来の顔見知りだから、「おう元気かよ?」とにこやかに声を掛けてくれるけれど、内心は『この人は出世もしないし、何の進歩もないんだな。もう10年来、うちに通い続けているよ』なんて呆れているんじゃないかと思う。

今日食べたのは、“砂肝の煮込み”と“ほうれん草の煮込み”。いずれもクタクタになるまで煮込んである。トルコでは、砂肝をカリッと炭火焼にしたりしないらしい。

値段は、“砂肝の煮込み”が3リラ、“ほうれん草の煮込み”は2リラ50クルシュで、ミネラルウォーターを含めて都合6リラ(約300円)だった。(パンは無料)

“クルファスリエ(いんげん豆の煮込み)”なら2リラで、これとパンでもお腹は充分一杯になりそうだ。でも、さすがに、“いんげん豆の煮込み”だけ食べているお客は見たことがない。少なくともピラフぐらい付けている。(ピラフは1リラ50クルシュ)


12月16日 (木) 安い・美味い・早い
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2004&m=12

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9月13日 (土)  ATLAS

先月、久しぶりに“ATLAS”という雑誌を購入した。新刊で買うのは10年ぶりぐらいだったかもしれない。その後は、カドゥキョイ辺りの古本屋を覗いて、まとめて数冊買ったりしていた。これも、もう4〜5年やっていないような気がする。そういえば、このところ古本屋も余り覗いていない。

先月号は、表紙に日本人女性の姿が写っている。おそらく、表紙写真とほぼ同じ場所で、私もこの方と会って話したことがあるので、『おや?』と思い、店頭で見かけたなり直ぐに購入した。

7月の下旬、母とベイオウルのイスティックラル通りを歩いていて、この日本人女性が大道芸人よろしくアコーディオンを弾きながら歌っている場面に遭遇したのである。

その場所では、以前、やはり日本人の青年が楽器を演奏しているのを見かけて、少し立ち話した。それで、一曲歌い終わった彼女に、青年と知り合いかどうか訊いてみたけれど、どうやら縁はなかったらしい。

彼女が歌ったのは、美空ひばりの歌だったそうだが、私は全く知らなかった。母も聞き覚えがないと言う。

それから、彼女は、リクエストに応えて“KATIBIM(ウスキュダラの歌)”を歌った。私は綺麗な発音のトルコ語で歌ったと記憶しているが、“ATLAS”には、「ベイオウルは、いつも驚きに満ちている。例えば、日本人のストリート・ミュージシャンが“KATIBIM”を英語で歌っているのを聴くように・・・」と記されていた。色んな言語で披露していたのかもしれない。

あの青年にしても彼女にしても、ちょっと立ち話して、何の話をしたのかも良く覚えていないけれど、とても楽しくやっているところが印象に残った。

今日、本棚の隅から“ATLAS”を3冊ほど引っ張り出してきて、パラパラとページを捲ってみたら、直ぐにもう一度読み直してみたい記事がいくつか見つかった。思えば、カラキョイにあるロシア正教会の教会であるとか、この雑誌で情報を仕入れてから訪れてみた所がいくつかある。

イスタンブール以外の地方や海外で取材された記事は、興味深く読むだけだったが、トルコの少数民族などについて、私は様々な知識を“ATLAS”から学んだ。また、新刊をチェックし、たまには古本屋を覗いてみることにしよう。

ATLAS
http://www.kesfetmekicinbak.com/

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9月14日 (日)  パスターネ

“Dilek”“Merve”“Dilayla”、これは皆“パスターネ”と呼ばれる類いの店で、“ケーキ屋・喫茶”といったところだろう。

“Dilek”には、“願い”という意味もあるけれど、この三つは、いずれも女性の名前である点が共通している。

もちろん、地名や植物の名前等に由来する店名も少なくないが、男名前の“パスターネ”は見た覚えがないと思う。“ムスタファ”とか“アリ”なんていう“パスターネ”は、余り美味しそうじゃない。

日本でも、“ケーキ屋五郎”とか“喫茶三郎”は、まずなさそうな気がする。新宿二丁目辺りにはあるかもしれないが・・・。

しかし、“パスターネ”じゃなくて、カダイフやバクラヴァといった純然たるトルコ菓子を売っている店には、“アリ・ウスタヌン・イエリ(アリ親方の店)”などの看板を掲げている店もある。和菓子屋さんに、男の名前が付いていたりするのと同じ感覚じゃないだろうか。ケバブ等の料理屋にも“何とか親方の店”は多い。

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