Diary 2014. 8
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8月1日 (金)  ボズジャ島

今年、ボズジャ島の“ホメロスを読む会”は、8月3日の夜明けに行なわれる。

私は母を連れて、今日(8月1日)の夜、ボズジャ島に到着した。当初、バスはゲイックリの船着場へ、8時半に着く予定だったので、まだ多少明るい内に島へ渡れるかと思っていたけれど、30分ほど遅れて、既に辺りには夕闇が迫っていた。

例年、“読む会”は7月の初旬に開かれていた為、8月になって島を訪れたのは初めてである。街のメインストリートに、夜遅くなっても、人と車の往来が絶えない賑わいに驚かされた。


*自己紹介欄のメールアドレスは既に使えなくなっているので、私(新実誠)へのお問い合わせは下記のアドレスにお願いします。↓

makoton1@hotmail.co.jp

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8月5日 (火)  ボズジャ島“嵐の珍道中”

ボズジャ島の3日間の旅も終わり、昨日、イスタンブールへ帰って来た。

今回の旅は、旅に出る2日前から“嵐を呼ぶ女”の登場で、波乱含みの幕開けとなった。“嵐を呼ぶ女”とは、故マリアさんの娘のスザンナさんで、私は彼女に“驚異の天然記念物女”という綽名を密かにつけたこともある。↓

2010年10月24日 (日) 驚異の天然記念物女
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2010&m=10

スザンナさんとは、この3年ぐらい、たまに電話で連絡を取り合うだけだったが、ちょうど島へ発つ2日前に電話があった。それで、「今、母が来ていて、明後日からボズジャ島へ行く予定だ」と近況を話したところ、「私、昔からボズジャ島に行きたかったの。私も行くわよ」と言い出した。

その時は、「もう今からでは、バスのチケットも取れないし、島で宿を見つけるのも大変だよ」と説明し、実際、間に合わないだろうと高をくくっていた。

ところが、当日、ボズジャ島行きのバスに乗るため、母とターミナルへ行って驚いた。スザンナさんが姿を現したのである。なんでも最後に一つ残っていた席が取れたらしい。

私と母は、一番前の席に座ったけれど、道中、中ほどの席に座っているスザンナさんが、携帯で話す大きな声や、隣席の女性とお喋りしながらゲラゲラ笑っているのが聴こえて来て冷や汗が出た。

しかし、実を言えば、2009年、ボズジャ島で開催される“ホメロスを読む会”に初めて参加して以来、私は、スザンナさんと息子のディミトリー君を何とか“ホメロスを読む会”に呼べないものかと考えていた。“ホメロスを読む会”でギリシャ語が読まれないのは、とても残念な気がしたからだ。

もちろん、ギリシャ語でホメロスを読んでもらいたいと思ったのは、スザンナさんじゃなくて、息子のディミトリー君だった。ディミトリー君は中学までギリシャで教育を受けて、ギリシャ語は完璧であるし、イスタンブールのギリシャ民族学校でも演劇部で活躍していた。

スザンナさんも高校時代ギリシャで学び、長い間ギリシャで暮らしていたため、トルコ語が少しおかしいくらいだが、ギリシャの歌の意味を訊いたりすると答えられず、ディミトリー君に訊かなければならなかったりした。

母のマリアさんは、自分たちの話すトルコ語が、オスマン帝国以来の格式の高いものであり、母語もコンスタンティノポリの正統なギリシャ語であると誇り、これは孫のディミトリー君に受け継がれていると語っていたけれど、娘のスザンナさんに関しては、「あれはギリシャ語もトルコ語もなっていない。まったく何でああなったのかねえ」と嘆いていた。

だから、是非、ディミトリー君に、ホメロスを読んでもらおうと考えていたものの、当時の彼らの経済状況では、私が旅費も工面しなければならないような雰囲気だったから、半ば諦めていたのである。

しかし、2011年だったか、スザンナさんは、私も間借りしていたあの旧居を売り払ってしまい、以来、トルコ国内を旅行したりして、結構贅沢を楽しんでいるらしい。そんなこと続けていたら、瞬く間に蕩尽してしまいそうだが・・・。

さて、8月1日、スザンナさんは、インターネットで調べたボズジャ島のホテルが高いと言って、宿の予約もして来なかった。“ホテルは高い”というぐらいの経済観念は残っているようだ。それで、夜9時過ぎにボズジャ島へ着いてから、まず安いペンションを探すのだと大騒ぎした。

やっと見つけて、皆で晩飯を食べようと、島へ来るたびに利用している“エスナフ・ロカンタス(大衆食堂?)”へ案内したら、「ここに私が食べられるようなものはない!」と言い残して、一人で何処かへ行ってしまった。後で聞いたら、近くの魚料理レストランで、45リラもする夕食を楽しんだそうである。それなら、ホテル代を、何故、あれほどケチる必要があったのか・・・。

日曜日の夜明けの“ホメロスを読む会”では、もちろんスザンナさんがギリシャ語でホメロスを読んだ。淀みなくスラスラ読んでいるように聴こえた。今回の“読む会”には、1960年にボズジャ島で生まれ、11歳の時に家族でオーストラリアへ移住したという作家のディミトリー・カクミ氏も参加していたが、氏はギリシャ語をかなり忘れてしまい、スザンナさんともやっと会話していたくらいだから、多少間違いがあっても気がつかなかっただろう。

私も日本語で読んだけれど、途中、何度かつかえてしまった。母はもちろん気がついたに違いない。でも、アルツハイマー症を患っている母は、なんでも直ぐ忘れてしまうから、私がつかえてしまったのを記憶に留めたのは私だけだと思う。

母はスザンナさんのことも全く記憶に留めなかった。スザンナさんが時々姿を現しては、ガーッとトルコ語でまくしたてる度に、「なんなのこの女?」と私に訊いた。

母がイスタンブールで会って、僅かながら記憶に留めたように感じられるのは、2人の日本人女性と、29日の“イイ・バイラムラル(良い祝祭を)!”という記事の写真に写っているトルコ人家族ぐらいじゃないだろうか?

日本人女性の一人は、「お母さん、きっと良い人の印象は覚えているのよ」なんて自慢しているけれど、そういうこともあるかもしれない。もう一人の日本人女性は、作家の澁澤幸子さんである。

エーゲ海の小島の「ホメロスを読む会」(澁澤幸子さんのブログより)
http://blog.goo.ne.jp/lale-sachiko/e/6a52b5bd672904aa4670b4a5e7a530e4


2009年7月11日 (土) ボズジャアダ・テネドス島でホメロスを読む
   7月27日 (月) アルメニア人のガービおじさんと猫
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2009&m=7

写真(ホメロスを読む私−フェースブックより)
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10152381003728375&set=a.10152381001408375.1073741843.560973374&type=1&theater

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8月6日 (水)  ボズジャ島の賑わい

8月のボズジャ島は、人と車が多く、とても賑やかで驚いた。バイラムの休暇と重なった所為もあるだろう。

特に、船着場へ出る石畳の狭い道は、フェリーボートが発着する時間になると、フェリーから降りて来た車と、フェリーに乗る順番を待つ車が行き交い、もの凄く混雑する。交通巡査が出て、整理に努めていたけれど、母を連れて車の間を縫って歩くのも一苦労だった。

一度、島の西側の“アヤズマ”という海水浴場などがある辺りにも行ってみたけれど、ここも海岸に沿った通りには、車が隙間なく停まっていて、海水浴場は“芋洗い”に近い状態だった。

車のナンバープレートを見ると、その殆どが“34”のイスタンブール・ナンバーである。近頃、俗化が話題になっているボドルムやアンタルヤのリゾート地まで、イスタンブールから車で行くのは大変だろうけれど、ボズジャ島なら7時間ぐらいで済む。これは大きい魅力に違いない。

まあ、小さなボズジャ島には、場所的な制限もあるから、ボドルムのようにはならないかもしれないが、それほど遠くないアソスやアイヴァルックと併せて、この地域もどんどん俗化が進んでいくような気がする。

また、近年、トルコの自動車保有台数が、どのくらい増えたのか知らないけれど、91年、初めてトルコへ来た時分には、「夏季の別荘は持っていても車がない」という人も少なくなかったのに、これまた大きな変化と言えるだろう。

古き良きトルコを愛する人たちは、こういった変化に眉を顰めているものの、誰にだって車を所有し、リゾート地へ行く自由があるのだから、文句を言っても始まらないと思う。それに、古きの中には、たくさんの“悪き”もあったはずだ。

スザンナさんのように、「ボドルムのほうが賑やかで良い」なんて言う人もいる。父祖の代から、ここで暮らしてきた人たちの多くも、観光客の増大を歓迎している。彼らにとっては、大きなビジネスチャンスの到来であるから当然のことかもしれないが・・・。


*昨日、黒海地方のユンエからイスタンブールに来た友人のネヴザットさんとカドゥキョイで会った。ネヴザットさん、日本語を大分忘れていたけれど、母と少し片言の日本語で話してくれた。↓
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10203838462298688&set=a.2905659557275.145709.1134094593&type=1&theater

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8月10日 (日)  ルーメリヒサル〜オルタキョイ

昨日、母が日本へ帰った。トルコはこれが5度目になるけれど、アルツハイマーのため、何を見聞しても直ぐに忘れてしまう。それで、とにかく景色が美しい所をテクテク歩くように努めた。お陰で、私も随分日に焼けた。

母は元気で、うちからほど遠くないタシュデレンの山に登って来た時などは、夕方になって、「今日は余り歩かなかったような気がする」と言い出した為、また我が家の裏山まで散歩に行ったりした。

一昨日は、ボスポラス海峡第2大橋の袂の“ルーメリヒサルユステュ”から、第1大橋袂の“オルタキョイ”まで歩いた。7キロぐらいはあったと思う。途中、べべクで大雨に降られて、近くのレストランに避難したら、料金がもの凄く高くて驚いた。

我が街イエニドアンの物価はそれほど高くないが、べべク辺りの物価は、もう日本の普通の街より高いかもしれない。

母と歩いていると、トルコの人たちに「お母さんはトルコが気に入りましたか?」と良く訊かれるけれど、どうなんだろう? 気に入ったも何も、殆ど記憶に留めていないと思う。

24年前、私がトルコ語を勉強し始めたら、母はこう言ったものである。「またお前は、変な国ばかり行きたがるんだね。普通は、フランスとかに興味を持つんじゃないのかい? まあ、朝鮮よりは良いか・・・」

その後も、「是非、トルコへ行ってみたい」といった話は余り出なかった。私がたまに一時帰国しても、「用がないなら、無理に帰って来ないでも良い」なんて言われた。しかし、今は少なくともトルコに来るのを楽しみにして喜んでいる。

私も下らない冗談を言って、母が笑ってくれると、とても嬉しい。よく私は周囲から笑いを取ろうとして、「そのネタ、もう何度も聞いてるよ」と呆れられているけれど、母には同じネタが何度でも使える。こんな良いお客さんはいない、と母に言ったら、また大笑いしてくれた。

もちろん、いつも親子漫才ばかりやっているわけじゃない。母がトルコを訪れるようになって以来、私は母から色々昔の話を聞いて楽しんでいる。近々の出来事は思い出せないが、50年以上前の話は忘れていないのである。この3年間で、初めて知り得た過去も少なくない。

母は、かつての都立第6高等女学校を卒業している。在学中、水泳部のキャプテンだったという。それで、子供の頃から『うちのお母さんもなかなかやるねえ』と少し自慢気に思っていた。ところが、母の話を聞くと、当時は終戦直後の混乱期で生徒数が少なかったため、同学年の水泳部は母一人しかおらず、進級したら自動的にキャプテンにされたそうだ。

これを聞いて何だかがっかりしたけれど、本当は20年30年前に、戦時中の話などもっと聞いておくべきだったかもしれない。

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8月11日 (月)  大統領選挙が終わって・・・

大統領選挙は、投票前からエルドアン氏の勝利が確実と思われていたため、どういう勝ち方になるのかが注目されていた。ボクシングに例えれば、KO勝ちを収めるのか、判定に留まるのか、という興味だったかもしれない。

結果は、中差の判定勝ちといったところじゃないだろうか? 決選投票まで行かなかったのだから、僅差とは言えないけれど、“大差の判定”でもなかった。

MHPのバフチェリ党首は、投票率が低かったことを悔やみ、棄権がなければ結果はどうなっていたか解らないと語ったそうだ。棄権したのは、おそらくCHPの支持者たちだろう。彼らが、MHPとCHPの統一候補イフサンオール氏に投票していれば、本当にどうなっていたのか解らない。決選投票までもつれ込んだかもしれない。

ところで、7月24日の“ビュユック島〜大統領選”という駄文の中で、私が予想した「エルドアン氏49%、デミルタシュ氏26%、イフサンオール氏25%」という冗談みたいな数字は、もちろん当たらなかった。CHPから出た離反者の多くは、棄権しただけで、デミルタシュ氏に投票した人はいくらもいなかったに違いない。

ビュユック島〜大統領選
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=20&y=2014&m=7

エルドアン氏が、保守層の大部分を取り込めていれば、60%近く得票しても不思議じゃないけれど、“クルド和平プロセス”に反発している“トルコ民族主義的な保守層”をMHPから切り崩すのは無理だったようである。

だから、もしもエルドアン氏が、アドバルーンを上げて落としどころを見極めているだけの政治家だったら、“クルド和平プロセス”に取り組むことはなかったかもしれない。

エルドアン氏は色々言われているものの、トルコ共和国が解決しなければならない問題には真摯に取り組んできたのではないかと思う。また、フェトフッラー・ギュレン教団との決別に示した確かな判断、その後の教団との戦いで見せた“不退転の意志”、この辺りにエルドアン氏の政治家としての資質が見えるような気もする。

大統領選挙も終わり、今トルコでは、首相の後釜に座るのは誰になるかが論じられている。ダヴットオール外相らの名前が上がっているらしい。政権寄りの識者によれば、エルドアン氏に忠実で、フェトフッラー・ギュレン教団との戦いに揺るぎない意志を示せる人物でなければならないそうだ。

AKPの中で、フェトフッラー・ギュレン教団との関わりが割りと少ないように感じられるのは、エルドアン首相と教団との間にいよいよ齟齬が生じ始めた2012年になってからAKPに合流した元HAS(民衆の声党)のヌーマン・クルトゥルムシュ氏じゃないかと思うけれど、どうなんだろうか?

クルトゥルムシュ氏は、イスラム守旧派政党をクタン氏から受け継いで率いた後、2010年にHAS(民衆の声党)を立ち上げ、AKP政権を厳しく批判していたが、結局、AKPに合流している。



8月12日 (火)  デミルタシュ氏の躍進

大統領に選出されたエルドアン氏は、8月28日に就任するそうだ。そして、それまでには、AKPの新しい党首、即ち新首相も決まるだろうと言われている。

退任するギュル大統領は、今のところ議席がないので、首相にはなれないらしい。これはクルトゥルムシュ氏も同様で、彼らは10ヵ月後に予定されている国政選挙まで待たなければならない。

その為、新首相の候補は、現在議席があるダヴットオール外相やアルンチ副首相らに限られてくる。しかし、アルンチ副首相の場合、AKPの連続4選禁止条項に引っ掛かって、次の国政選挙には出馬できない。首相に就任しても、10ヵ月後には退任ということになってしまう。それで、ダヴットオール外相が有力視されているのかもしれない。

でも、10ヵ月の中継ぎを置いて、ギュル氏やクルトゥルムシュ氏の登板という筋書きも考えられるだろう。

さて、今回の大統領選挙で誰が最も躍進を見せたのかと言えば、それはHDPのデミルタシュ氏ではないかと言われている。デミルタシュ氏の得票率は8%ぐらいと予想されていたが、結果は10%近い数字を得たからだ。

デミルタシュ氏は、南東部のクルド人地域以外からも票を獲得しているけれど、これが西部の大都市に居住しているクルド人の票なのかどうかは明らかになっていない。CHPの離反者の票が、僅かながらデミルタシュ氏に回った可能性もある。

いずれにせよ、デミルタシュ氏が存在感を示したことで、“クルド和平のプロセス”にも新たな展開があると期待したい。

しかし、エルドアン氏の得票率が52%に留まった所をみれば、相変わらず“クルド和平のプロセス”には抵抗が強いような感じもする。選挙中、イスタンブールで、うら若い女性が、デミルタシュ氏を激しい言葉で非難しているのを聞いて驚いたこともある。

まあ、「クルド人がクルド語で教育を受ける」といった改革案は、10年ぐらい前でも絶対に受け入れられなかっただろう。そんな改革案を示した政治家は、政治生命を絶たれてしまったかもしれない。それを考えれば、エルドアン氏の得た52%は、大きな意味を持っていると思う。


8月13日 (水)  お隣さん

母が日本へ帰る前日の晩(8日)、隣のアパートに住んでいる写真屋のメフメットさんに呼ばれて、お茶を御馳走になった。

4月19日 (土) 我が街の写真屋さん
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2014&m=4

左は、メフメットさんがプロ用のカメラを使って撮った写真で、右は、高校生の娘さんが、私のデジカメで撮ったものである。写りが大分違うのは致し方ない。

左端に見えるのが奥さんで、右端は高校生の姪っ子だそうだ。

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8月14日 (木)  メルハバ通信

気がついたら、このホームページをやり始めてもう10年が過ぎていた。ホームページが出来る前は、2000年頃から、トルコでの見聞を友人たちへメールで書き送ったりしていた。

すると、中にはトルコについての疑問などを返信に書いてくれる友人もいて、それに答える形でまた何か書く、というようにして記事が増えていった。

2004年になって、友人の勧めでホームページを作った。ページの枠組みからコンテンツを紹介する文に至るまで全て友人が用意してくれた。だから、「働けど働けど なお我暮らし楽にならざり・・・」という前書きも私が書いたものじゃない。石川啄木のこの歌が特に好きなわけでもない。

ホームページを始めたら、暫くの間は、用意してくれた友人も、掲示板にメッセージを書き込んだりしていたけれど、段々私の記事がマンネリ化してきた所為か、もう殆ど読んでくれなくなってしまった。掲示板の機能も停止したままである。

しかし、まだ読んでくれる人たちもいるようなので、こうして書き続けている。もっとも、アクセスがあったからといって、必ずしも記事が読まれているとは限らないものの、ごく稀に励ましのメールを頂いたりする。いつまでトルコで暮らせるのか解らないが、もう少し続けてみよう。

そして、続けるならもっとトルコの生活に密着した話を書くべきじゃないかと思う。でも、トルコで選挙等のニュースがあったりすると、必ずアクセスが増える。そうなると、アクセスだけで読まれているのかどうか解らなくても、なんとなくニュース関連の話も書かなければと気負いが生じる。また、日本での報道を読んでいると、何だか「中東の専制国家」というイメージの中でトルコが語られているような気がして、ぶつぶつ言いたくなってしまう。

報道は多くの読者を対象にしているから、なるべく面白い記事にしなければならないのかもしれないけれど、例えば、『“君主エルドアン”は言い過ぎだろう・・・』などと呟きたくなるのである。

日曜日のアクシャム紙に、エティエン。マフチュプヤン氏が書いていた。「民主的/権威主義的という議論は欺瞞である。何故なら、トルコは一方が主張しているほど民主的でもなければ、もう一方が主張するほど権威主義的でもない・・・」

ロシアや中国の状況は、報道で知るだけだが、トルコは少なくともあれほど非民主的な社会じゃないと思う。



8月15日 (金)  バル・カイマクは悪魔の誘惑

母にトルコの絶品朝食メニューを是非味わってもらいたいという口実で、先週土曜日の朝は“バル・カイマク(蜂蜜&濃厚クリーム)”だった。

私はこれを“悪魔の誘惑”と呼んでいる。そのぐらい美味い、もの凄く美味い。でも、毎朝こんなものを食べていたら、必ず太る、おそらく健康にも良くないだろう。

乳脂肪分が60%だそうだ。コレステロールも相当高いに違いない。これに蜂蜜の糖分が加わる。そして、悪魔のように美味しいから、どんどん食べてしまう。

だから、特別な日でもない限り食べないようにしている。多くても年に3回ぐらい。こうして歯止めをかけて置かなければ、あの誘惑には勝てないのである。


カイマク(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%82%AF

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8月16日 (土)  韓国の光復節

忘れかけていた韓国語を、また勉強しなおそうと思って、昨年来、無料でインターネットから視聴できるKBSの“9時ニュース”を時々観ていたけれど、この4ヵ月ほどの間、これが大分疎かになっていた。

昨日、久しぶりに視聴したら、聴き取りが、また少し衰えてしまったように感じた。やっぱり言語は、毎日少しずつやらなければ駄目らしい。

昨日のKBSニュースは、もちろん“光復節(8月15日)”から始まった。考えて見ると、光復節のニュースをまじまじと観たのは、昨日が初めてだったかもしれない。

87年と88年の“8月15日”は、ソウルで迎えたはずだが、87年当時は韓国語が未だ良く解っていなかったし、88年になると、今度は大方どういう報道をするのか解ってきた為、わざわざ観る気にもならなかったのではないかと思う。

だから、例年と比較する術もないが、お決まりの反日以外に、今年は“統一”が主要なテーマだったところが際立っていたような気がする。

昨年の12月10日のこの欄に、「朴大統領の度を越した“反日”は、南北統一を見据えた理論武装の一環じゃないか」などと、ほんの思いつきを書いたけれど、あれも満更間違いではなかったようだ。もっとも、“反日”は北朝鮮に対してというより、中国に擦り寄る為の理屈らしいが・・・。

朴大統領世代の人たちが、『我々の目が黒い内に統一を・・』と焦るのは当然だろう。北朝鮮に改革開放の兆しが見えないまま歳月を重ねれば、文化の差も広がり、分断が固定化されてしまうかもしれない。

しかし、中国に擦り寄って統一を達成するというのは、危険な賭けにならないだろうか? 1月6日の就任一周年の記者会見で朴大統領は、「統一は“テバク(大舶)”だ」と語っていた。私はこの“テバク(大舶)”の意味が良く解らなかったけれど、どうやら“大当たり”といった意味があるらしい。「一か八か」という賭け事めいた雰囲気もありそうだ。

「一か八か」で政治をやられたら、国民は堪ったものじゃないと思うが、韓国の人たちは常に“ハイリスク・ハイリターン”を好むようである。


12月10日 (火) 駱駝が針の穴を通るより難しい
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2013&m=12

1月6日 (月) 韓半島の統一
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2014&m=1

5月22日 (木) 慰安婦問題と戦後の平和
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2014&m=5


*1月6日の記事で、“テバク”の漢字を“大船”と誤って記していました。“大舶”に訂正します。


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