Diary 2014. 7
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7月1日 (火)  アンカラのウルス

アンカラでは、久しぶりに旧市街ウルスのホテルで一泊した。ユルドゥズというホテルで、一泊50リラ(2500円ぐらい?)、以前に比べたら、少し値上がりしたような気がする。

91年の夏、初めてアンカラへ来た時も、やはりウルスの安宿に泊まった。それからアンカラへ来ると、常に宿はこの辺の安ホテルだった。

2006年〜2010年にかけては、年に数回ずつアンカラを訪れる機会があり、何故かいつも同じユルドゥズ・ホテルに泊まるようになった。アンカラの“定宿”と言って良かった。

ところが、その後、2011年〜2013年の5月までは、アンカラへ来る機会がもっと増えていたのに、出先の都合もあって、新市街のホテルばかりに泊まっていた。

先月、アンカラに泊まったのは、昨年の5月以来で、実に13ヶ月ぶり、ウルスへ足を踏み入れたのは、2010年の12月以来だったと思う。

ウルスは庶民的で下町の雰囲気がする。私が育った錦糸町や浅草に匂いが近いかもしれない。イスタンブールの庶民的な街は、大概、飲める店がないので、どうも錦糸町や浅草には例えられなくなってしまう。ウルスは酒が飲めるから良い。しかも安くて、まったく気取ったところがなくて、とても落ち着く。ふるさとに帰って来たような感じだ。

もっとも、先月は、友人と新市街で飲んだので、ウルスへは泊まりに行っただけだった。夜の11時頃、ユルドゥズ・ホテルにチェックインしたけれど、フロントには見覚えの無い青年が立っていた。

しかし、翌日、朝食を食べようとフロントへ下りたら、見覚えのあるおじさんがいて、「おおマコト、久しぶりだなあ、元気か?」と声を掛けてくれた。宿帳を見て、名前は確認していたかもしれないが、とにかく私のことを忘れていなかった。とても嬉しかった。

おじさんも、「もう1年以上来ていなかっただろう? どうしたのかと思ったよ」と喜んでいたけれど、1年なんてものじゃない、2010年の12月以来だから、3年半は来ていなかった。

これからは、年に一度ぐらい、“ふるさと”ウルスを訪れてみるのも良いんじゃないかと思った。


*真ん中の写真で、右側に見えるのがユルドゥズ・ホテル。右の写真は、ウルス広場。

*自己紹介欄のメールアドレスは既に使えなくなっているので、私(新実誠)へのお問い合わせは下記のアドレスにお願いします。↓

makoton1@hotmail.co.jp


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7月2日 (水)  ラマダン始まる−ウスクダルの焼鳥屋

ウスクダルの“焼鳥屋”、周囲に美味しそうな匂いを漂わせながら営業している。前にも二度ほど、その匂いに誘われて食べようかと思ったことがあるけれど、とても混んでいたので諦めた。

先週の土曜日、昼2時過ぎに、『今日はラマダンの初日だから、さすがに空いているだろう』と思って寄ったら、案の定、客は3人しか座っていなかった。

店の人に、「いつも混んでいたのにねえ。やはりラマダン中は暇でしょう?」と訊いたら、「いや、ラマダンになる前も、混むのは週末ぐらいで、平日は空いてましたよ。しかし、今日もイフタル(日没後の断食明けの食事)には混み合うでしょうね」と笑っていた。

ラマダン中も結構商売になるらしい。こうやって、店頭で炭火焼している店は珍しくもないが、ここはウスクダルの市場の中とあって、立地条件が非常に良さそうだ。なかなか儲かっているのではないかと思う。

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7月3日 (木)  今日の昼飯

今日の昼飯は、写真屋のメフメットさんが、「断食していないなら、少し先の昨年開店した食堂が、ラマダン中も営業しているよ」と教えてくれたので、そこへ行って、クルファスリエ(いんげん豆の煮込み)を食べて来た。

この辺は家族暮らしの住宅が殆どだから、普段でも、飲食店はなかなか営業が難しい。うちの近くで2年以上続いている飲食店は、あのジャー・ケバブ屋さんぐらいじゃないかと思う。あそこは、ジャー・ケバブだけの単品勝負で、他のメニューはやっていないため、何とか持ち堪えているのだろう。しかし、ここもラマダン中は休業している。

あとは、ケバブ屋さんの向かいに、ボレッキや惣菜パンなどを売っている軽食店があり、ラマダン中も営業しているけれど、この店は、昨年、代替わりしていて、2年以上続いているわけじゃない。

今日、昼を食べた店は、昨年の5月頃に開業して、ラマダン中は休んでいたような気がする。1時頃に行ったら、外の席に4人、中には6人の客がいた。皆、労働者風の人たちで、近くに職場があるようだ。これならやっていけるかもしれない。

トルコでは、敬虔なムスリムたちも、「宗教に無理強いがあってはならない」と良く言う。これは、「ムスリムではない人たちへ、無理に入信を勧めてはならない」という意味なのかと思っていたが、どうやら「断食に無理強いがあってはならない」という意味でも使えるらしい。正しい使い方かどうかは解らないが・・・。

だから、体力の消耗が激しい労働をしている“敬虔なムスリム”が、無理に断食しなくても、それほど心の負担を感じないで済む。敬虔じゃない人たちは、もちろん何の負担も感じていない。

以下の記事を読むと、サッカー監督のシェノル・ギュネッシ氏は、自身が若い頃に断食しながらプレーしていたにも拘わらず、選手には断食を勧めなかったそうである。


【10】シェノル・ギュネッシ監督へのインタビュー【ザマン紙】【2003.08.19】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00010.html

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7月6日 (日)  カリフの復活?

イスタンブールの高校で、長年に亘って宗教科の教師を務めていた友人が、いつだったか「共和国になってカリフを廃止したのは拙かった」と語っていた。

友人は“敬虔なムスリム”だが、決してラディカルな傾向のある人じゃない。彼がカリフに期待したのは、カトリックにおけるローマ法王のような役割らしい。「カトリックでは、法王が時代に合わせて柔軟な解釈を示せば、それが速やかに信徒たちへ行き渡るから、プロテストタントより遥かに穏健だ」というのである。

しかし、友人も「今、トルコ人のカリフが現れたところで、アラブの人たちは言うことを聞いてくれないよ」と笑い、カリフの復活までは望んでいなかった。もちろん、仮に“正統なアラブのカリフ”が現れても、今度は殆どのトルコ人ムスリムが、その言葉に耳を傾けたりしないだろう。

また、トルコ一国の為に、法王的な存在を期待するのであれば、既に宗務庁がその役割を果たしているような気もする。

一昨年の夏にぱ、宗務庁のテレビ局も開局した。その調印式で、ビュレント・アルンチ副首相は、列席している宗務庁の副長官を例にあげながら、次のように語っていた。

「ほら、エクレム・ケレシュ先生もネクタイをするようになったでしょ。昔、小巡礼へ一緒に行ったことがあるけれど、あの頃、先生はネクタイなんて知らなかったよ。なかなか似合っているね。顎鬚生やしながらネクタイしめて・・。ブランドの靴を履く人もいれば、ブランドのジャケットを着る人もいる。でも、ズタ袋みたいな服(原理主義者風の服装?)を着てはいけない。なんでも綺麗にしないと・・・」

トルコの敬虔なムスリムが目指しているのは、21世紀の世界に合ったイスラムの信仰であって、むやみに古い制度等の再興を望む復古主義とは縁がないと思う。


2013年3月24日(日) オジャランの声明等々
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2013&m=3



7月7日 (月)  酒飲み仲間?

一昨日、廃品回収屋さんで、経営者家族の一番下の弟である青年と話していたら、従業員のおじさんが、「知っているか? この人は酒飲むんだよ」と割り込んできた。

経営者の家族は、皆かなり敬虔なムスリムで、もちろん酒は飲まないし、ラマダンの今は断食も実践している。

おじさんの方は、“SKP(シャラプチュ・コルマ・パルティスィ−酒飲みを守る党)”の党員だとか冗談を言っているけれど、実際よく飲むのだろう。夜、何度か近所の酒類販売店で顔を合わせたことがある。

おじさんは、“酒を飲む”という共通点だけで、私とは親しい仲間同士だと思っているらしい。「今度、一緒に飲もうよ。なにが良い? ビール? ラク? ウォッカ?」なんて嬉しそうに絡んでくる。しかし、断食している青年の手前、「まあ、ラマダンが終わってからにしましょう」と答えておいた。青年も「ええ、それが良いですよ」と喜んでいた。

廃品回収屋さんの実質的な経営者であり、青年より15歳ぐらい年上じゃないかと思われる長兄は、義務教育しか受けていないようだが、青年は一応短期大学を卒業している。好奇心旺盛で、私から色んな話を聞きたがる。私もこの青年と話すと楽しい。

ところで、おじさんと一緒に飲むのは、ラマダンが終わってからにするとして、私は、特にラマダンだからと言って酒を控えているわけじゃない。しかし、このところ経済的な状況もあり、ビールを飲むのは月に2〜3回と、随分控え目になった。

昨日、久しぶりにビールを買って来て飲んだけれど、あれがラマダンに入ってから初めてのビールだったと思う。この数年で、ビールはどんどん値上がりして、もう日本とまったく変わらない値段だ。発泡酒とかで良いなら、日本の方がよっぽど安い。

酒類販売店の親爺さんも「困ったなあ」と嘆いていたが、販売の夜10時規制などより、この値上げが、酒類の売れ行きにもっと影響を与えているだろう。そもそも夜10時規制なんて至る所で有名無実化して来ている。

この保守的な街でも、30分超過ぐらいなら殆ど問題にならない。私のような顔見知りには何の躊躇いもなく売ってくれる。街によっては、深夜1時過ぎでもOKで、ほぼ旧態に戻っている所もあるらしい。

こんな調子なんで、この社会から“不正”を一掃するのも、相当難しいに違いない。

しかし、酒類の値上げも、これ以上やると税収に響きそうだし、なによりもっと恐ろしい“不正”が出て来る可能性もある。これまでにも、メチルアルコール入り闇酒事件が何度か起きていた。多分、政府もこれぐらいが限度と思っているだろう。

今のところ、多くの人たちが、“クルド和平プロセス”の完結を望んでいるし、フェトフッラー・ギュレン教団の脅威もあるから、来月の大統領選挙も来年の総選挙も、AKPはこのまま切り抜けそうな雰囲気だけれど、これらの問題が解決した上で、さらに酒の規制を強めたりしたら、たちまち得票に影響が現れるのではないだろうか。

AKP政権に忠実な支持層は、20%に満たない程度で、第一野党CHPの忠実な支持層と殆ど変わらないか、却って少ないくらいじゃないかと言われている。鍵を握っている約30%の浮動層は、状況次第でたちまちAKPにそっぽを向いてしまうかもしれない。トルコの人たちは、とてもしなやかでしたたかだ。


7月8日 (火)  大統領選挙

来月、トルコでは初めて国民の投票によって大統領が選ばれる。これまでは、議会が大統領を選出していた。

憲法上、大統領の権限には制約があり、首相に対して多分に名誉職的なところがあるため、今回の大統領選に出馬するエルドアン首相らは、従前より憲法を改正して大統領の権限を強化しようとしていたけれど、結局、これは実現できなかった。

それなら次善の策というわけでもないだろうが、最近、政府寄りの新聞には、現行の法律でも、その権限を目一杯に使えば、主導的な立場を築けるといった解説が試みられている。

しかし、かつてのオザル大統領も、当初はそうやって主導権を握っていたものの、意に反してユルマズ氏が党総裁・首相になると党を掌握し切れなくなり、その後の国政選挙で党は敗北、デミレル新政権とは折り合うことがないまま世を去ってしまった。

7月1日、エルドアン首相はようやく正式に出馬を表明したけれど、表明がこの時期までもつれ込んだのは、オザル大統領の例もあり、なかなか決断が下せなかったのではないかという説もある。

これに先立って、CHPとMHPの野党陣営は、イフサンオウル氏という殆ど知名度すらない統一候補を擁立している。陰謀論が好きな人たちの中には、「これでエルドアン首相に勝利を確信させて出馬を促し、彼が大統領になった後で、党(AKP)を篭絡しようとするフェトフッラー・ギュレン教団の罠」などと分析する人もいた。

AKPの内部には、教団のシンパが未だ残っている可能性もあると言うから、まったく根も葉もない話と無視するわけにも行かないらしい。いずれにせよ、教団との闘いは、まだまだ先がありそうだ。これが今や国家の最重要課題になってしまったような気もする。

エルドアン首相は、「大統領になっても手綱は緩めない。根絶やしにするまで徹底的に闘う」などと宣言している。国家の中に、異なる命令系統が巣食っているのだとしたら、やはり、これは徹底的にやるよりないかもしれない。

もちろん、本来の最重要課題である“クルド和平プロセス”についても、エルドアン首相は、出馬表明の中で言及している。

とはいえ、今、一部の人々がもっとも抵抗を感じているのは、この“クルド和平プロセス”じゃないかと思う。保守的なイエニドアンの街で、AKPに反対している人たちも、その多くがこれに疑念を懐いているようだ。「人殺しのオジャランが釈放されてしまうのか?」であるとか、「クルドは分離独立してしまうのではないか?」という声を何度となく聞いた。

しかし、北イラクにクルドの独立国家が誕生しようとしている今、クルド勢力と再び武力衝突する事態になったら、それこそぞっとしてしまうだろう。既に、“和平”しかトルコの選択肢は残されていないような気がする。誰が大統領になったとしても・・・。




7月9日 (水)  国家の敵

90年代、トルコで最も危険な“国家の敵”と言えば、“ボルジュ(分離主義者)”と“ミュルテジ(保守反動主義者)”だった。

“ボルジュ(分離主義者)”は、トルコからの分離独立を企てるクルド人勢力などであり、オジャラン氏が率いるPKKは、実際に武力闘争を繰り広げていた。

“ミュルテジ(保守反動主義者)”は、アタテュルクの革命に反対するイスラム主義者たちであり、その代表的な存在が“ミッリ・ギョルシュ(国民の思想)”の指導者エルバカン氏とされていた。この人たちは、特に治安を乱す活動などしていなかったが、共和国の体制を転覆させて、イスラム法による統治を目論んでいるのではないかと言われていた。

そして、エルバカン氏の率いる福祉党(RP)が、95年の選挙で第一党となり、96年、正道党(DYP)と連立政権を成立させて、エルバカン氏が首相の座に就くと、翌97年、軍部は公然と圧力をかけて、この“国家の敵”を政権から引き摺り下ろしてしまった。

さらに、実のところは、共産主義者も軍部から“国家の敵”と看做されていたようだ。80年の軍事クーデターで、もっとも過酷な迫害を受けたのは共産主義者だったらしい。しかし、共産主義者の多くはアタテュルク主義者でもあるため、さすがにアタテュルク主義者を“国家の敵”と言うわけには行かなかったのかもしれない。

その後、2002年、“ミッリ・ギョルシュ(国民の思想)”の保守反動主義者らを中心に結党されたAKPが選挙に大勝、単独で政権に就いてから、既に12年が過ぎようとしている。女性のスカーフが解禁されたり、イスラム的な行事が盛んになったり、確かにイスラム色は濃くなったけれど、そのイスラムも随分モダンになってきて、人々はかなり多様化したように思える。

トルコはとっくに、“イスラム法による統治”など全く不可能な社会になっていたのではないか。軍部の主流派も、既にAKPを“国家の敵”とは全く思っていないだろう。

大統領選挙に出馬したエルドアン首相は、先日、黒海地方のサムスンでミーティングを行なった。まずサムスンに上陸して救国戦線を主導したアタテュルクに準えたらしい。政権に就く前、AKPのメンバーや支持者たちの中には、アタテュルクや共和国の体制そのものを批判する人が少なくなかったけれど、今や彼らも“アタテュルク主義者”になってしまったかのようだ。

今回の大統領選挙では、一方のもっと危険な“国家の敵”だった“ボルジュ(分離主義者)”のクルド人勢力を代表していた元BDP(平和民主党)のデミルタシュ党首も立候補している。

PKKと密接な関係にあったBDP(平和民主党)は、今年になってから、南東部のクルド人だけを対象にする地域政党ではなく、トルコ共和国全体の左派政党を目指すとして、HDP(人民の民主党)に組織再編し、再びデミルタシュ氏が党首に就いている。

デミルタシュ氏は、トルコ人の左派からも票を取りに行くと語っているけれど、第一野党の左派CHP(共和人民党)が、右派のMHP(民族主義行動党)と共に擁立したイフサンオウル候補は、非常にイスラム色の強い人物であり、CHPの内部からも既に反発の声が出ているため、一部の票がデミルタシュ氏へ回るのではないかという憶測も囁かれている。

もちろん、今回の選挙でデミルタシュ氏が勝つ可能性は全く無い。得票率8%ぐらいでも御の字らしい。しかし、「CHPがこのまま迷走を続ければ、HDPが左派の代表政党なっても不思議はない」などと言う識者もいる。さて、どうなるだろう? デミルタシュ氏は未だ41歳と若い。今は無理でも、10年後に期待できるかもしれない。

元“ミュルテジ(保守反動主義者)”のエルドアン氏が首相の座についたら、アタテュルクに賛辞を送るようになったのだから、元“ボルジュ(分離主義者)”のデミルタシュ氏も大統領になったら、「アタテュルク万歳!」とか言い出すかもしれない。そうなれば、“国家の敵”は完全に消滅、トルコ共和国もとこしえに安泰ということになるのだが・・・。



7月10日 (木)  チャルシャンバの保守反動主義者?

ヨーロッパ側のファティフ区にあるチャルシャンバという街へ行くと、頭にターバンを載せ、顎鬚を生やして、ダブダブのズボンをはいた男たちや、黒い布を頭から被り、顔は目と鼻・口が辛うじて見えているだけという女性たちばかりが、やたらと目に付く。

彼らの多くは、イスマイル・アーという非常にラディカルなイスラム教団の信徒であるという。一説によれば、かつては普通の人々がもっとたくさん住んでいたけれど、この信徒たちが集まり始めたら、一部は薄気味悪くなって他所へ引越してしまったらしい。

信徒が礼拝に訪れるイスマイル・アー・モスクでは、アザーンの呼び掛けにスピーカーを使わず、実際に詠み手が尖塔へ登って呼び掛ける。このアザーンがとても味わい深い。それで、友人たちを案内したりして、年に一度ぐらいは、チャルシャンバの街を訪れている。

昨年も9月頃に出かけた。イスマイル・アー・モスク前のパスターネ(菓子屋)でお茶を飲もうと思って覗いたら、ちょうど菓子を買いに来ていた黒装束の女性とターバンに顎鬚の店員が、何か言葉を交し合っているのが見えた。

女性が支払いを済ませて出てくるのと入れ替わりぐらいに店へ入り、チャイを頼んで腰を掛けたら、顎鬚の店員が前に座って色々話しかけてくる。これを幸いに、私もこの男の宗教的な信条などをあれこれ訊いてみた。

彼は宗務庁の見解など殆ど認めていないようである。だから、AKP政権も支持していなければ、イマーム・ハティップといった国の宗教教育方針にも否定的だった。

彼のイスラム理解によれば、女性は男の性欲をかきたててしまうため、外を出歩いてはいけないそうである。「店には女性のお客さんも来ますよね?」と訊いたところ、それは仕事だから応対しなければならないが、言葉は必要最小限に留めて、むやみに女性と話すべきではないと言う。

これには思わず、『嘘こけ、さっき君は女性客と必要以上に喋っていただろう』と言いたくなったが、そこをぐっと堪えて、「しかし伝聞によれば、預言者の妻アイーシャも戦闘に参加していたそうじゃないですか?」と問い返したら、彼はちょっと興奮して、「嘘だ! そういう話は皆嘘だ!」とこれを真っ向から否定した。

彼の後ろには、もう一人、髭も剃って小ざっぱりとした身なりの店員が立っていたけれど、この店員は身振り手振りで、『こいつの話は聞かないほうが良い』と伝えながら笑っていた。

顎鬚男には、未だ就学年齢に達していない息子さんがいるそうだ。「息子さん、大学まで行けると良いね」と水を向けたら、「私らは無学なので・・」と恥ずかしそうに笑ってから、「そりゃ大学へ行ければ良いですが・・」と嬉しそうだった。

大学へ行かせようと思ったら、あの禍々しい国の宗教教育も受けさせなければならなくなってしまうはずだが、そこまでしつこく訊くのは止めにした。

おそらく、『子供を大学へ行かせたい』とか『商売に励んでもっと良い生活をしたい』というのが彼の偽らざる心情じゃないかと思う。

多分、彼はイスマイル・アー教団の信徒なのだろう。何故、この教団に加わったのか解らないが、日本で少し変わった新興宗教に入信する人たちと、その背景・経緯はそれほど変わらないような気がする。


2011年9月21日 (水) ファティフ・チャルシャンバ
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2011&m=9

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7月11日 (金)  黒いベールのアラブ女性

ファティフやウスクダルの街で良く見かける黒装束の女性たち、近年は、辛うじて目と鼻が見えているだけで、口元も隠されていることが多くなった。以前はもう少し露出していたのではないかと思う。

保守的なイエニドアンの街で、「何処そこの娘が黒い布を被るようになったが、あれはいったいどうしんだ?」と心配そうに男たちが話していたくらいだから、あの黒装束は普通に“敬虔なムスリム”の間でも、余り良い印象を持たれていないようだ。男たちの奥方らはしっかりスカーフを被ったりしているけれど、単なるスカーフと黒装束では、背景に違いがあるのかもしれない。

しかし、黒装束の女性たちも、家に引き篭もっているわけじゃない。最近、彼女たちの活動エリアも一層広がって来たような気がする。

なにしろ、ベールを被って目だけ覗かせているサウジアラビア辺りの女性たちも、イスタンブールまで海外旅行に来る時代である。インターネットさえあれば、世界の情報がどんどん入って来てしまう。女性だけを世間から隔離するなんて出来やしない。

ところで、思わず好奇心から、黒いベールのアラブ女性たちの様子を覗っていると、よく目と目が合って恥ずかしくなったりする。でも、それは、向こうもこちらの様子を覗っているからに違いない。そうやって世界を見て歩いている。既にパンドラの箱は開かれてしまったのだと思う。

彼女たち、目しか見えないけれど、目には派手なアイシャドーつけたりして凄くお洒落している。その所為か、皆、何だか美しい女性に見えてしまう。・・・これだから、男という動物は恐ろしい。目から下は勝手に美しい顔立ちを想像しているのである。

考えてみたら、もう一つ恥ずかしいことがあった。私は彼女たちの“美しい顔”を想像しているだけで、実際には見ていないが、彼女たちは、こっちの風体を隅々まで観察しているかもしれない。何処かでまた出会っても、私が解らないだけで、向こうは直ぐに気がついたりして・・・。

これは相当なハンデに思える。こっちもベールで顔を隠して対抗しよう。そうすれば、助平な視線で、綺麗な女性を観察し放題だ。



7月12日 (土)  姿を見せぬ監視員女性

日本へ一時帰国していた2003年5月のこと、私は3千円ほどの現金をなんとか工面しなければならなくなってしまった。

ちょうどゴールデンウィークで、銀行はATMも休止している。ふところには330円しか残っていない。どうしようかと考えて、「こういう時こそアコムじゃないか」と思いついた。

早速。駅前で良く見かけるけど、多分お世話になることはないと思っていた、あの「むじんくん」へ・・・。

無人契約コーナーという個室に入って、パソコン画面の指示に従いながら、運転免許証やらパスポートをカバンから取り出していると、横の壁に掲示されている表に「最低融資額5万円・利息2千なんぼ」とか書かれているのが目についた。

『3千円もあれば充分なのに、5万円借りて2千円も利息払ったってしょうがないよなあ』と思いながら、詳細の書かれたパンフレットでもないかと、辺りをキョロキョロしていると、突然、パソコンのほうから、録音されたものではない女性の声がして、「お客様、どうなさいました?」。

思わず、また辺りをキョロキョロしてしまったが、無人とかいって、しっかりカメラで監視しているらしい。

まあ、どこにあるとも分からぬカメラに向かって、ひとりで怒ってみても始まらないから、ごく当たり前な調子で「最低融資額」の件について訊ね、「3千円ほどで充分なんですが」と言うと、「お客様、まずはお手続きをお済ませ下さい」と姿を見せぬ女性の声。

「それは、手続きすれば、3千円からでも貸してもらえるということなんですね?」と重ねて訊いたけれど、「お客様、まずはお手続きお済ませ下さい」と、今度は録音テープのように同じ口上を繰り返す。

しょうがないから、指示通りに申請書を書いて、所定の位置に置いたところ、「お客様、お勤め先は?」と、また監視員女性。「ありません」と答えたら、「お客様、ご就職なさってから、またお手続きにいらっしゃって下さい」とぬかした。

ここは本当に、「バカヤロー」と叫びたいくらいだったが、そのまま、そそくさと外に出た。しかし、あのカメラ、いったい何処にあったのだろう? カメラに向かって、「アッカンベー」とやるぐらいなら、愛嬌があって良かったかもしれない。

でも、次のように応じてやれば、もっと面白かった。

パソコンの画面に、「身分を証明するものとして、次の内の何をお持ちでしょうか?」とテロップが出たら、わざと回りをキョロキョロしながら、監視員女性から「お客様、どうなさいました?」と声がかかるのを待ち、「ちょっと身分証明として、この中に無いものを持参したんですが・・」と言う。

「どんなものでしょう?」と訊かれたら、やおらズボンを下ろし、カメラに向かってイチモツを取り出して、「ワシの身分証明はこれじゃ、どうだ!」と言い放つ。

多分、私の場合だったら、「おっ、お客様! 本当にご立派です。直ぐに無利息で100万円ほどご融資いたします」ということになるんじゃないかと思う。 (嘘です。おそらく「お客様、それは何でしょう? もう少し大きくしてから、またお手続きにいらっしゃって下さい」と言われるのが落ちです)

まあ、冗談はともかく、姿を見せない監視員女性に、こちらの風体をじっくり観察されてしまうのは恐ろしいような気がする。

監視センターが何処にあるのか知らないけれど、監視員女性たちは、その日の仕事が終わると、「今日さあ、○○駅前に変なバカが来たのよねえ」なんて楽しく語らい合っていたのではないか。

偶然、何処かで私を見かけて、「あっ、いたいた。あいつよ」などと喜んでいたかもしれない。それから、無人契約コーナーに知人や友人、有名人が入ってきたら、これまた話のネタになっただろう。プライバシーもへったくれもありゃしない。

もっとも、今や、日本でもトルコでも、街角などにたくさんの監視カメラが設置されている時代だから、このぐらいは当たり前なのか・・・



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