Diary 2014. 6
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6月1日 (日)  馬の平和な目

昨日から今日にかけて、ちょうどあの“ゲズィ公園騒動”の一周年になるため、大規模なデモが予想されていたが、当局の厳重な警戒態勢もあった所為か、それほど長引かずに収束したらしい。

いつだったか(多分、3月12日)、やはり大規模なデモが予想されると、当局は市内の要所を封鎖して、大袈裟な警戒態勢を取ったため、あるジャーナリストは「誰もデモに参加しなければ、当局が恥をかいて面白いのに・・」と書いていたけれど、予想通りのデモ騒ぎが起こってしまい、それほど“面白い”結果にはならなかった。

今回も当局は、デモ隊がタクシムへ向かうのを防ごうとして、バスや地下鉄ばかりか、海峡を渡る連絡船の運航まで停止させた。これで、仮に何の騒ぎも起こらなかったら、当局が赤っ恥をかいて、市民から非難されていたかもしれない。

もうそんな事態は予想もされないように願っているが、もしも、また同じような状況が生じたら、その時こそは、デモ側の人たちも、当局に恥をかかせる冷静さを見せて欲しい。

さて、先月は、マルマラ海に浮かぶブルガス島を訪れる機会があった。その隣のヘイベリ島にも何度か行ったし、ヘイベリ島の向こうのビュユック島には、それこそ数え切れないぐらい出かけているのに、ブルガス島へ足を踏み入れたのは先月が初めてだった。

この島も、他の島々と同様に、一般車両の通行が許されておらず、島の観光には馬車が活躍している。

ここで馬車の写真を撮りながら、初めて教わったけれど、馬は25年ぐらい生きるらしい。写真の馬のどちらかは14歳になるそうだ。この馬は、多分、ずっと島暮らしで、デモ騒ぎも催涙ガスも知らないだろう。とても平和そうな目をしていた。


*自己紹介欄のメールアドレスは既に使えなくなっているので、私(新実誠)へのお問い合わせは下記のアドレスにお願いします。↓

makoton1@hotmail.co.jp

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6月2日 (月)  我が家の裏山は“喜びの丘”

我が家の裏山は、サファ・テペスィという名称らしい。サファは“喜び”だから、“喜びの丘”である。

丘の上では、3年前に越して来た頃から、何やら工事が進んでいて、昨年の正月には、建物等がおおかた出来上がっていたけれど、その後、暫く工事が休止した期間もあり、1ヵ月ぐらい前にやっと“完成”したような感じだった。

しかし、ここでカフェテリアなどが営業を始めるのは、まだ2〜3ヶ月先だそうである。直ぐ隣で進められている造園工事も済んでから華々しく(?)オープンする予定らしい。

丘の向こう側では、第3海峡大橋へ至る高速道路の建設も進んでいる。開通すれば、この辺りは急速に都市化されて行くだろう。丘からの眺めも大きく変わってしまうかもしれない。

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6月4日 (水)  サクランボの季節

いよいよサクランボの季節になった。トラックの荷台に積み上げられているのは、1キロが3リラ(約150円)。10日ぐらいすると、もう少し安くなるかもしれない。

安くて美味しいから、食べ始めたら止まらなくなる。一度に、500グラムでも軽く食べてしまう。

今、ウイキペディアで調べてみたら、サクランボの生産量世界一はトルコだそうである。原産地もこの辺りらしい。

トルコ語では“キラズ”と言う。この“キラズ”が終わる頃には、“ヴィシネ”が出回り始める。“ヴィシネ”もキラズに似ているけれど、実がもう少し小ぶりで、かなり酸味がある。トルコでは“ヴィシネ”のジャムやジュースがたくさん売られている。

“キラズ” と“ヴィシネ”は、名称に共通性がないから、全く別物なのかと思っていたけれど、ウイキペディアによれば、どうやら“キラズ”がセイヨウミザクラ(西洋実桜)で、“ヴィシネ”はスミミザクラ(酸実実桜)という分類になるらしい。どちらもサクランボと呼んで差し支えないようだ。

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6月5日 (木)  朝食カフェテリアの激戦区?

先月、工場へ行く送迎を待っていた四つ角の辺りには、朝からボレッキ(トルコ風のパイ)やポアチャ(トルコ風のフォカッチャ?)を売っているカフェテリアが4軒もある。

3年前に越して来た頃は、1軒しかなかったと思う。この2年ぐらいの間に続々と開店したようだ。

あの四つ角で送迎を待つメンバーは他に3人いた。3人とも20代の青年で、送迎を待つ間に、皆、ポアチャなどをもぐもぐやっていた。私以外は誰一人、家で朝を食べて来ないらしい。

黒海地方出身の青年は、独身で一人暮らしというから、解る気もするが、後の二人は、既婚者と未だ親元にいる若者である。

既婚者の青年は、工場の事務所棟で喫茶サービスを担当していた。トルコの会社には大概彼のような“お茶くみ係り”がいる。男女同権にうるさいトルコで、一般事務職の女性社員に“お茶くみ”などさせたら、大変なことになるだろう。

彼は結婚する前まで、映画やコマーシャルのエキストラに良く出ていたらしい。「貴方と同業者だったんですよ」なんて言う。それが結婚したら、“芸能界”みたいな所に出入りするのを奥さんが嫌がるため、きっぱり止めてしまったそうだ。しかし、このやきもち焼きの奥さんは、彼に朝食も用意してくれないのだろうか?

親元にいる若者は、もう24〜5歳になるのに、朝、お母さんに起こしてもらわないと起きられず、それも時間ぎりぎりなので、やはりポアチャを買い食いすることになってしまうようである。

話してみると、とても頭の良い青年だが、「工場の仕事はきつい」とか文句ばかり言っている。両親は、アナトリア最東部のカルス県から出て来たクルド人というから、叩き上げの苦労人じゃないかと思うけれど、息子はもう“イスタンブールのボンボン”になってしまったらしい。

独身一人暮らしの青年は、かなり残業もこなしていて、やる気が覗える。頭も力もありそうだ。一人暮らしだから、ポアチャの朝食でも良いだろう。彼は4軒のカフェテリアを全て値段もチェックしながら食べ比べてみたという。それで、いつも四つ角から少し外れた小さな店でポアチャを買って来る。

私もその店には、たまに寄る。なにより店主のおじさんの感じが良い。そういえば、あのおじさんも黒海地方の出身だ。青年と同郷であるかもしれない。


ビュユック島のポアチャ
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2013&m=8

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6月6日 (金)  ボレッキ−ポアチャ−キュネフェ

うちの直ぐ近くにも、ボレッキやポアチャを売っている店がある。こういった店の品揃えは、何処でもそれほど変わらない。大概、ポアチャは、チーズかポテト入り、ボレッキでは、これに挽肉入りが加わる。それから、具の入っていないボレッキとポアチャもある。

具なしのボレッキは、好みによって粉砂糖をかけて食べる。これがボレッキの中では最も安い。

ボレッキを“トルコ風のパイ”などと勝手に紹介したけれど、パイ層はあまり薄くなく、食感は大分異なる。具なしも焼き立てであれば、なかなか美味しい。まさしく小麦粉生地そのものの味であるような気がする。安いから、私は結構これが好きだ。

最近、日本で、トルコの人が、こういったポアチャなどもある“トルコ風のパン屋”を開店したらしい。品揃えはどうなっているのだろう? 甘い菓子類もやっているだろうか?

トルコの何かを売り込もうとするなら、私はキュネフェが一番じゃないかと思う。これなら単品で勝負できる。装備も大掛かりなものは必要ないから、ごく小さな店舗でもやれそうだ。キュネフェは本当に美味い。日本でも流行るに違いない。

5月28日 (土) アンタキアのキュネフェ
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2011&m=5

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6月7日 (土)  マスラックの夜

5〜6年前、“レジェップ・イベディック−2”という映画にエキストラで出たことがあった。この映画は、なんでも観客動員数の記録を作ったというくらいだから、観た人も多いらしい。最近になっても、たまに飲食店などで、「貴方あの映画に出ていませんでしたか?」と訊かれたりする。 

3ヵ月ぐらい前、うちの近所の床屋の青年にも訊かれた。「そうだよ」と答えたら、「僕は、この前の新作“レジェップ・イベディック−4”に出たんですよ。他にも色々出ています。貴方は何処のエージェントに登録しているんですか?」なんて言い出した。この辺りには、エキストラやっている奴が少なくないのかもしれない。

床屋の青年は、さらに、私がその映画に出た時の日当まで調べようとする。この問いにも、「200リラ、2日で400リラだったと思う」と正直に答えたところ、「僕は300リラでしたよ。役者としては僕のほうが格上のようですね」などと生意気なことを言う。

それで私も、「君はこの前出たんだろ? もう5年ぐらい経っているから、多少賃上げがあっただけだよ」と言い返してやった。このやり取りを聞いていた隣のお客が、声を立てて笑っていた。

エキストラは、先月、まだ工場へ通っていた期間中にも一件こなしている。撮影が金曜日の夜に始まる連続ドラマだったので都合が良かった。その前にも、コマーシャル撮影のお呼びがあったものの、こちらは平日の昼だったため、取り逃がしてしまった。なんでも巧い具合には行かない。

連続ドラマの撮影は、ヨーロッパ側のマスラックという高層ビルが立ち並ぶ地区のスタジオで行なわれた。カメラが回り始めたのは、夜の12時過ぎで、工場の業務が終わった後、アジア側の東端から駆けつけても余裕で間に合った。

この日、東洋人のエキストラは、もう一人モンゴル人留学生の青年が来ているだけだった。彼とは、待ち合い時間に、相撲の話題で盛り上がった。力士の名前も実に良く知っている。日馬富士のような小兵力士が好きらしい。

「ゴウエイドウ(豪栄道)も好きですね。あの人は何処の人ですか? 日本人ですか?」と、なかなか相撲通のようである。それで思わず、「豪栄道が好きだなんて、君はかなり相撲が解っているね」などと偉そうなことを言ったら、軽く笑われてしまった。

向こうはモンゴル相撲の経験もあるだろう。なにしろ凄い体格である。相撲取っても、私など一発で土俵の外まで突き飛ばされてしまうに違いない。“相撲が解っている”もへったくれもあったものじゃないと恥ずかしくなった。

さて、撮影の方は2時間ぐらいで終了したけれど、アジア側から来ているエキストラは、1台のミニバスで一人一人送り届けて行くため、私がイエニドアンに帰り着いたのは、もう明け方の5時半頃だった。近くのモスクからは、朝の礼拝を告げるアザーンの声が聴こえていた。

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6月8日 (日)  近所の家電修理屋さん

夕方(土曜日)、家電修理屋さんの前を通ったら、入口の脇に大型の冷蔵庫が置かれている。綺麗にビニールで覆ってあるから、修理が済んで、お客さんに引き渡す製品なのだろう。

見ると、ちょうど目線が行く高さの所に派手なステッカーが貼ってあり、「AKPは出て行け!」みたいな文句が書かれている。「何これ?」と修理屋さんに訊いたら、「そのお客は、CHP支持者なんだよ。選挙に勝っていれば、新しい冷蔵庫を買っていただろうに、残念だったよなあ」と言いながら、愉快そうに笑った。

修理屋さんは、エルドアン首相と同郷のリぜ県出身で、熱烈なAKP支持者である。40歳ぐらいじゃないかと思う。実兄と2人で店を運営しているようだ。いつも、店には修理を待つ冷蔵庫や洗濯機が何台も並んでいて、景気は良さそうな感じがする。今日は、掃除機を修理している最中だった。

家電の修理については、子供の頃から働かされて、実地で学んだと言う。多分、当時の義務教育(5年制)を卒業しただけみたいだけれど、日本や韓国の事情についても随分良く知っている。訊くと、全てテレビの紀行番組などから得た知識らしい。

彼は、私の話も驚くほど詳細に覚えている。よっぽど好奇心が強くて、記憶力も相当良いに違いない。

ところで、91年に、イズミルの学生寮で知り合った友人のムスタファは、郷里のアダナから、わざわざイズミルまで出て来て、電気の専門学校に通い、ルレブルガスの電気屋に職を見つけた。

ブラウン管テレビの修理などはお手のもので、10年ぐらい前までは、修理の仕事も多かったらしい。しかし、その後間もなく薄型テレビの時代になり、ムスタファは敢え無く失職してしまった。

ムスタファも好奇心旺盛で、私が伝えた日本の話ぐらい皆覚えている。それに活字から得た知識もある。でも、これが何の役に立つだろうか? 以来、ムスタファは飲食店で働きながら家族を養っている。

今日、家電修理屋さんで景気の良い話を聞いていたら、つくづくと世の中の移り変わりを考えさせられ、ため息が出た。


*写真は、2ヶ月ぐらい前に撮った家電修理屋さんの店先。

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6月9日 (月)  タクシム広場〜ゲズィ公園

昨日、ヨーロッパ側へ渡ったので、タクシム広場に寄ってみた。ゲズィ公園も歩いた。静かで長閑な休日の午後だった。

去年、ちょうど同じ日にゲズィ公園で撮った写真がある。この1年を振り返ってみたら、何だか激動の日々を過したような気もする。来年の6月8日はどうなっているだろう。

2013年6月
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2013&m=6

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6月10日 (火)  厭戦気分

6月1日に、この欄を記しながら、あるジャーナリストが「誰もデモに参加しなければ、当局が恥をかいて面白いのに・・」と書いていたのは、3月12日のデモのことじゃないかと思っていたけれど、よく考えて見たら、あれは5月1日のメーデー・デモの話だった。

この1年で様々なデモ騒ぎがあったから、いったいどのデモについてだったのか、わけが解らなくなっていた。これ以上記憶が混乱しないためにも、もう新たなデモ騒ぎは起こらないように祈りたい。また、デモへ参加していた人たちの中にも、ある種の厭戦気分みたいなものが広がっているのではないかと思う。

先日、南東部のクルド地域では、軍部隊の発砲により数人の死傷者が出る事件があり、衝突の拡散が懸念されたものの、幸い今のところ事態は沈静化に向かっているらしい。一般のクルドの人たちは、戦乱に懲り懲りしているはずだ。こちらは、本来の意味での“厭戦”に違いない。

クルド人の武力闘争を率いてきたPKKの内部には、オジャラン党首の呼び掛けにも関わらず、“和平プロセス”へ不満を持つ分子が存在するようだけれど、1年以上続いている平和により、厭戦気分が高まって来たため、PKKが再び武力闘争に転じたとしても、既に一般住民の支持は得られないだろうと言われている。

一昨日、市内のショッピングセンターで昼飯を食べていたら、知り合いのクルド人観光業者にばったり会った。彼の話によれば、郷里のヴァンでも、観光客の誘致に向けて、高級ホテルの建設が着々と進んでいるそうだ。彼らは、和平が達成され、ビジネスチャンスが増えるよう願っている。

平たく考えれば、これが当たり前なのかもしれない。

そして昨日は、カドゥキョイで久しぶりに、反AKPであるアタテュルク主義者の友人と会って話した。彼も昨年の“ゲズィ公園騒動”では、当初、喜んでデモに参加していたが、そのうち、デモが外国のメディアに煽られているように感じて、行くのを止めたと言う。「結局、1年に亘ってデモを繰り返し、国外でトルコのイメージを悪化させ、国内では、保守層の結束をより強めただけで、何の効果も得られなかった」と呆れ果てたように話していた。


6月11日 (水)  リジェの死傷事件

ディヤルバクル県リジェの死傷事件。軍の発表では、PKKと関係があると見られるテロリストらが、部隊に火炎瓶や“手製の爆発物”で攻撃して来たために発砲し、2人のテロリストが死亡したという。

しかし、その後、検察が事件の調査を開始したそうだから、軍にも過剰な行動があったのかもしれない。

昨日も、ディヤルバクルなどで、死傷事件に抗議するデモ隊と治安部隊の衝突があり、その光景はニュースの画面を通して見ることができた。デモ隊は火炎瓶等を投げ、治安部隊は放水や催涙弾で対抗している。なんとなく、この1年間に、イスタンブールで目にした衝突騒ぎとそれほど変わらないように思えた。

一部のメディアは、デモ隊を“PKK”と報道していたけれど、PKKが出てきたら、火炎瓶ぐらいで済むのだろうか? 90年代のニュース番組では、放水車なんてものじゃなく、戦車が登場して、何だか市街戦のようになっている場面を見させられた。

今回は、山間の道路を封鎖して挑発行為に出たグループも、投石や火炎瓶程度だったらしい。PKKであれば自動小銃ぐらい出てきそうなものだ。PKK内部の不満分子が後ろで糸を引いている可能性はあるとしても、PKKそのものではないような気がする。

イスタンブールでデモ騒動が続いていた頃、和平進行中の南東部は平穏だったという。イスタンブールが静かになったと思ったら、デモはあちらへ引越してしまったらしい。いったいどのくらい続くのだろうか?

仮に、PKKの不満分子がデモを煽って、武力闘争再開の機会を狙っているのであれば、彼らは地域のクルド人民衆も敵に回すことになるかもしれない。事件後も和平の継続を呼びかけているオジャラン氏やクルド政党のメンバーは、地域民衆の動向を冷静に見極めているようだ。大半の民衆の支持を得られない“闘争”は、イスタンブールと同様、結果を得られないのではないかと思う。


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