Diary 2014. 4
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4月1日 (火)  独立宣言!

“無知蒙昧な民衆”が与党AKPに投票するため、何をやっても選挙に勝てないトルコの野党勢力は、この禍々しい現実の世界に、ほとほと愛想が尽きてしまった。

「独裁者エルドアンが、いくら“ツイッター”を閉鎖しても、我々知識人は、直ぐ“抜け道”を使ってアクセスできる。エルドアンはこんなことも解っていないらしい。しかし、エルドアンと同様に無知な民衆も、インターネットの使い方を知らないから“ツイッター”にアクセスすることさえ出来ない。我々知識人は、この愚民をどうやって啓蒙したら良いのか・・・」

選挙を終えた31日の夜、こうして嘆き悲しんでいたトルコの知識人たちは、一夜明けた“4月1日”の朝、ついに重大な決断を下した。新しい独立国家の樹立を宣言したのである。

この国家は、汚職にまみれた現実の世界から決別し、仮想の世界に樹立される。その名を“ツイッター共和国”という。仮想の首都はタクシムのゲズィ公園。その憲法の草案は、アメリカのペンシルバニア州で作成された。

「ツイッター国民は、正当に選挙されたネット国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再びエルドアンの惨禍が起ることのないようにすることを決意し、・・・」

このように、“ツイッター共和国”の憲法前文では、高らかに自由への決意が謳われ、独裁者エルドアンへの怒りが綴られている。

“ツイッター共和国”には、汚職もなければ、言論統制もない。もちろん税金など一銭も払う必要がない。穢れなき仮想の世界には、イマジネーションの境界など何処にもない。自由と平等を追い求め、限りなく清らかな理想の国家を建設して行く。

平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して築かれるこの国は、戦争を放棄した。

ゆえに兵役の義務はなく、国民に課せられた唯一の義務は、毎日、ツイッターで独裁者エルドアンを誹謗中傷する崇高な使命だけである。

エルドアン一族の悪を暴き、この一族に仕える“無知蒙昧な民衆”を愚弄することは、如何なる戦いよりも神聖で美しい。万歳! 万歳! ツイッター共和国!



4月2日 (水)  和平プロセスの希望

1月1日 (水) 2014年のトルコ
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2014&m=1

今年の1月1日、ザマン紙のエティエン・マフチュプヤン氏は、“クルド人の知性が皆に必要だ”と題されたコラムで、クルド人の政治勢力が、“ゲズィ公園騒動”で政府の強権を非難し、“疑獄事件”で不正の追及を要求しながらも、決して反AKPのサイドに与しなかった知性を評価していた。

3月30日の地方選挙では、多くのトルコ国民が、この“知性”を見せてくれたと思う。

これに先立つ3月13日、マフチュプヤン氏は、AKPが地方選挙で45%ぐらい確保できれば、選挙後に軍及び官僚と新たな協力関係を構築できるだろうと述べていたけれど、選挙結果を見れば、ほぼその通りの数字が出ている。今後、政府が一致協力して、“クルドの和平プロセス”やアレヴィー派問題の解決を進めて行くと期待したい。

しかし、あの3月13日、私は未だ『本当に45%確保できるだろうか?』と思っていた。我が街イエニドアンで、保守的なトルコ民族主義のMHPを支持する写真屋さんと話しても、なんとなく、エルドアン首相の力量は認めているものの、“クルドの和平プロセス”にはかなり懐疑的であるように感じられたからだ。

エルドアン首相が“クルドの和平プロセス”を余り強調しすぎると、トルコ民族主義者の票を取り逃してしまうのではないか、そんなことを考えたのである。

これが、土壇場の“YouTube”騒動で、大分、雰囲気が変わったように思う。写真屋さんも、「あの漏洩は重大な国家への背信だ」と色めき立っていた。

実を申し上げると、昨日の“独立宣言!”は、あの日、AKPの45%近い勝利を確信した時点で思いついたネタだった。


4月6日 (日)  チューリップ・フェスティバル

昨日、久しぶりに、イスタンブールの表参道(?)“バーダット通り”に出掛けてみたら、歩道の花壇に、たくさんチューリップが植えられていて、なかなか綺麗だった。なんでも、チューリップ・フェスティバルの真っ最中らしい。チューリップの原産地はトルコだそうである。

【207】現代のチューリップの球根:日本【ラディカル紙】【2008.12.15】
http://neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00207.html

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4月7日 (月)  地方選挙・アンカラの接戦

先週の地方選挙、アンカラで接戦となったのは、CHPが元MHPのマンスル・ヤヴァシュ氏を擁立して戦い、かなりのMHP票がCHPへ流れたからだと言われている。MHPは、2009年に約27%の得票率だったのが、今年は8%に留まっていた。

こうして見ると、与党AKPは、選挙戦の土壇場で“YouTube”を閉鎖したりして、“国難”を印象付けようとしたものの、結局、MHPの基盤である“保守的なトルコ民族主義者”の票を切り崩せなかったらしい。

それでも、AKPが総得票率を伸ばして勝利したのは、西部の大都市でクルド人の支持が得られたお陰であるような気もする。

民族意識の強いクルド人らは、南東部でもちろん自分たちの政党であるBDPに投票したはずだが、西部の大都市では、BDPに投票しても“死票”になってしまう為、AKPに票を投じたのではないだろうか。

勘ぐってみれば、今回、“クルド和平のプロセス”を前面に掲げて選挙戦に臨んだAKPは、これによってトルコ民族主義者の票を取り逃してしまったが、それをクルド票で相殺して、なんとか勝利に漕ぎ着けたのかもしれない。

これから“クルド和平のプロセス”がどのように進展して行くのか解らないが、最終的には、イムラル島に収監されている“クルド運動の指導者オジャラン氏”の恩赦も議題に上るのではないかと思う。これにはトルコ民族主義者らの抵抗が大きいだろう。

こういった抵抗を封じ込める上で、今回もAKPが国民の広範な支持を維持したのは、非常に有意義であるに違いない。

しかし、抵抗する側も、今回の選挙で、CHPとMHPの支持者たちが合流して、何だか結束を強くしたような感じだ。MHPの支持層は、保守的・イスラム的な面でAKPに繋がっているけれど、トルコ民族主義ではCHP支持層とある程度価値観を共有している。でも、1年続いた平和により、この人たちの中にも、和平に安逸を見出す気持ちが生じているかもしれない。そうあって欲しい。

トルコの経済成長がそろそろ頭打ちになって来ているのは気懸かりだ。「トルコはテクノロジーを輸入する国ではなく、輸出する国にならなければならない」というスローガンが盛んに叫ばれているものの、こんなのは一朝一夕に達成できる課題じゃないだろう。

そのため、AKP政権も経済運営では、相当無理が出ているという指摘が少なくない。汚職も取り沙汰されている。まあ、これに関しては「罪のない者だけ石を投げよ」と言いたくもなる。イスラム主義者として有名なアブドゥルラフマン・ディリパク氏は、選挙前のテレビ討論会で、「これだけ脱税が多い国で、誰が政権の汚職を批判できるのか」と語っていた。

日本の報道では、街頭デモの騒ぎがクローズアップされていたけれど、ああいったデモが選挙の結果に影響を与えたようには思えない。日本の60年代の安保闘争やそれに続く三里塚闘争で、自民党政権がびくともしなかったのと同様じゃないだろうか。

さて、今回の地方選挙で、最大の敗者が、アメリカのペンシルバニア州に滞在しているフェトフッラー・ギュレン師というのは、衆目の一致するところであるらしい。師の教団は、これからどうなってしまうのか・・・。世界各国に展開しているトルコ語学校のような文化活動は、そのまま続けてもらっても良いのではないかと思うが・・・。



4月8日 (火)  イエニドアンの街でもチューリップ

イエニドアンの住民の多くは、選挙の結果に安堵しているだろう。しかし、中には、AKPの票がもっと伸びると期待していた人もいるかもしれない。この街だけで選挙を実施すれば、AKP票は70〜80%近くに達しそうな感じだから、そういう期待があったとしてもおかしくない。

もちろん、知識層が多い高級な住宅街であれば、逆に、70〜80%の人たちがCHPに投票して、あの結果に愕然となっていたはずだ。とはいえ、トルコの全域を考えたら、イエニドアンの住民の方が、遥かに平均に近いのではないかと思う。

うちの近くの廃品回収屋さんには、よく近所の男たちが集まり、チャイを飲みながら駄弁っていたりする。写真屋さんや隣の家電修理屋さん、その先のスーパーの青年経営者らがその常連である。

廃品回収屋さんの経営者家族は、信仰に篤い人たちで、家電修理屋さんと同じくエルドアン首相のAKPを熱心に支持している。

スーパーの青年経営者は、顎鬚を伸ばし、いつも頭にターバンを巻いて“原理主義者”を気取っている為、皆から「ハジュ(巡礼者)」と少し嘲笑気味に呼ばれながらも、イスラム守旧派SPへの忠誠を棄てようとしない。

先月の選挙前には、ここで並み居るAKP支持者らを前に、堂々とAKPを非難していた。「エルドアンは、フェトフッラー・ギュレンと大して変わらないくらい親米だ。選挙が終われば、直ぐまたアメリカと仲良くするだろう・・・」

まあ、当たらずとも遠からずかもしれない。もっとも、そうなってもらわないと困るが、ハジュ青年は、アメリカとの断交を望んでいるのだ。

廃品回収屋さんの従業員のおじさんは、SKP(シェー・カー・ペー)という政党の支持者らしい。皆、「この男はSKP支持だから困ったもんだ」と言いながら笑っている。

何の話かと思ったら、SKPとは、「シャラプチュ・コルマ・パルティスィ(酒飲みを守る党)」という冗談だった。おじさんも私に、「俺たち“酒飲み”を守ってくれ!」と訴えながら笑っていた。

イエニドアンの街は、イスタンブールの標準からすれば、かなり保守的でイスラム的だが、こんな冗談を言い合って、“敬虔な信者”と“酒飲み”が和気藹々と仲良く暮らしている。

一昨日は、写真屋さんの店先で、「昨晩、ラクとワインを御馳走になって良かったよ・・・」なんて話していたら、ちょうどそこへ、ハジュ青年が通りかかった。写真屋さんは彼を呼び止め、私の方を振り返ると、「マコト、この男もそういうレストランへ連れて行って、ラクを飲ませてくれよ。でも、こんな格好している奴はレストランに入れてくれないか」ときつい冗談を飛ばした。

ハジュ青年も負けずに、「お前らみたいな連中は、皆、地獄の業火に焼かれるのだ」とやり返したところ、写真屋さんが、「マコトの宗教では、死んだら、皆、焼かれてしまうのだから、なんでもないよ」としたり顔で説明して大笑いだった。

私には、政教分離主義の知識層が心配している“イスラム化”とはいったい何であるのか、まったく解らなくなってきた。そんなに心配なら、是非、この街に来て、彼らと話し合ってもらいたいような気がする。

イエニドアンでは、軽食店を一人で切り盛りしている“スカーフを被った若い女性”の姿も珍しいものではない。こういうのは、15年ぐらい前でも余り見られなかった光景だろう。この10年、保守層における“女性の社会進出”は目覚しい。これもAKP政権の実績の一つではないかと思う。


*右の写真は、廃品回収屋さん。

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4月9日 (水)  日本とトルコの廃品回収屋さん

我が街の廃品回収屋さんは、信仰に篤い実直な人柄で、誰からも親しまれている。それで、皆がここに集まるのだろう。私も、留め金の折れた腹筋台を只で直してもらったりして、世話になりっぱなしだ。

トルコでは、家畜の屠殺等に携わる人たちが差別されることはない。イスラムの犠牲祭で、生贄の屠殺は神聖な儀礼となっている。そして、廃品回収業にも薄暗いイメージは全く見られないような気がする。(少なくともイエニドアンでは)

日本ではどうだろうか? 私が30年前に産廃のダンプをやっていた頃、産廃、解体、廃品回収は、各々密接に関わり合う業種であるけれど、いずれも余り良いイメージは持たれていなかったと思う。産廃や廃品回収業の経営者には、在日朝鮮・韓国人や被差別部落系の人たちが多かった。

私が働いていた産廃屋の社長は、在日朝鮮人だったが、先輩の日本人社員の話を聞いていると、なんとなく在日朝鮮・韓国人系の会社を、被差別部落系のそれより優位に見ている節が感じられた。

社の番頭格だった先輩は、「うちの親爺(社長)は朝鮮人でも○○じゃないから、うちは大手のゼネコンで仕事ができる」なんて良く話していた。また、近くの同業者と比較して、「親爺は人種差別しないところが良い。某社へ行って見ろ。あそこは朝鮮人じゃないと出世できない」と社長を持ち上げていたが、当時、あの業界では、日本人が差別の対象になっていたらしい。

産廃屋の思い出
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2008&m=7

しかし、2003年の一時帰国中に、友人の仕事を手伝って、川越街道沿いの廃品回収屋に粗大ゴミを棄てに行ったら、そこの社長がイランの人だったので驚いた。タブリーズ出身のトルコ系アゼリー人と言うから、トルコ語で話しかけてみたところ、今度は向こうが驚いていた。

この時は、川越街道をもう少し進んで、あの辺りでは最も大きい在日朝鮮・韓国人経営の廃品回収センターにも寄ったけれど、ここへは産廃のダンプで何度も来たことがある為、とても懐かしい感じがした。20年前とそれほど様子も変わっていなかった。さらに10年たった今はどうなっているだろう? 

廃品回収センターには、ダンプが乗れる大きな秤があって、まずそこで総重量を計り、鉄屑等を降ろしてから、その差数を計算するシステムになっていた。

アルミニウムや銅線は、結構高い値で売れた。ダンボール紙も量が多ければ、ちょっとした小遣い稼ぎになった。私は2〜3度、ここに4tダンプ満載のダンボール紙を降ろしたことがある。当時の工事現場では、資材を梱包していたダンボール紙が大量に棄てられていたのだ。

一度は、先輩から教わった汚い手で、儲けを少し増やして、とても喜んだりした。

どうするのかと言えば、乾いたダンボール紙を8割方積んでから、現場のホースを借りて、真ん中の辺りだけ水を撒き、その上へまた乾いたダンボール紙を積んで、降ろす時に、巧く形が崩れないようにすると、中ほどの濡れたダンボール紙には気がつかれないまま、“乾いたダンボール紙”で計算してもらえるのである。

降ろす時は、ダンプをアップしながら、さっと前に出る。巧くやれば、ダンボール紙は積み上げた形を維持して、ストンと降りる。30年前のあの日は非常に巧く行って有頂天だった。

先日、イエニドアンの廃品回収屋さんに、この話を聞かせたら、「何処でも似たようなことやっているんだなあ。トルコの業者もダンボール紙をそうやって湿らせて持ち込んだりするんだよ」と愉快そうに笑っていた。

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4月10日 (木)  トルコ版“自虐史観”からの脱却

選挙前日の3月29日、ラディカル紙のコラムで、オラル・チャルシュラル氏は、「政権の寿命が、EUとアメリカの選択によって定められるのは、どれほどノーマルだろうか?」と問いかけ、翌日の選挙の意義を明らかにしていた。

これにトルコの国民は、「政権の寿命は我々が決める」と応えて見せたのだと思う。

トルコに限らず、中東では何処の政権も、おそらく欧米の意志によって寿命が決められてきた。それどころか、国家の成立や国境さえ、欧米が勝手に決めてしまったのではなかったか。

エジプトの状況など余りにも酷すぎる。インターネットのソーシャル・ネットワークで国民が連帯してムバラク政権を倒したなどと大袈裟に喧伝して置きながら、その後の軍事クーデターと圧政は見て見ぬふりを決め込んでいる。

なんだか、最近は、このソーシャル・ネットワークとやらが欧米の強力な武器になっているような気もする。少なくとも、これが“持たざる者の武器”になり得ないのは明白だろう。世界中で展開している大きなソーシャル・ネットワークを運営するアメリカの企業は、トルコのような国々で、税金も払わなければ、国の法律にも従わないまま、相当な利益を計上しているそうだ。

ソーシャル・ネットワークが“アラブの春”をもたらしたなんて、御為ごかしの典型かもしれない。

その為、今回の選挙結果は、トルコばかりでなく、中東全域にも影響を与えたと指摘する識者もいる。しかし、それはかつての暴力的な反米思想を呼び起こすものではないだろう。

選挙の前だか後だか忘れたけれど、トルコのテレビの討論番組で、ニハール・ベンギス・カラジャ女史が語っていた。「AKPを支持する保守的な民衆は、既に顔を欧米に向けている。しかし、自国の歴史を恥ずかしいとは思っていない」

これは、ある種のトルコらしい伝統的な風俗を恥ずかしがっている“一部の進歩的な政教分離主義者たち”に対して述べた発言じゃないかと思う。 

先月29日の“便り”で、「今回の選挙では、トルコ版の『戦後レジーム(大戦後に欧米の定めた枠組みという意味で)からの脱却』も問われているような気がする。これはもちろん反欧米を意味していない。トルコは何処かで必ず巧くバランスを取ると思う」と申し上げたけれど、これにはもう一つトルコ版“自虐史観”からの脱却も含まれていたかもしれない。



4月13日 (日)  私たちの“西洋コンプレックス”

10年ぐらい前、ジャズとロックは「西洋土人囃子」に「西洋獅子舞」、ヨットを「西洋舟遊び」と論い、「何がヨットだ。東京の人間なら隅田川に屋形船でも浮かべて楽しんでろい!」などとメールに書いて、友人らの顰蹙を買ったことがある。

確かに、こんなものは“西洋コンプレックス”の裏返しに過ぎないから、顰蹙を買って当たり前だろう。私たちの“自虐史観”は、戦後になって始まったのではなく、“鹿鳴館”以来のものじゃないかと思う。

トルコでも、かつて、イスラム的な保守層の人たちは、やたらと西欧の文物にケチをつけ、伝統的なトルコの風俗を自慢したりしていたけれど、最近は、余り見られなくなったような気がする。これもAKP政権の12年がもたらした“自信”の表れであるかもしれない。

ジャズやロックを楽しむ“イスラム的な若者たち”も特に珍しくはなくなった。そのうち、クラシックの分野にも進出して来て、ある日、“スカーフを被ったトルコ人女性ピアニスト”が、ウィーン・コンツェルトハウスのコンサートで演奏しても驚いてはならないと思う。

しかし、そうなったとして、これまで西欧の文物の紹介を一手に引き受けていた“進歩的な政教分離主義者”たちは、皆、喜んでくれるだろうか?



4月14日 (月)  スカーフを被っている女と雑誌プレイボーイで脱いでる女

舶来の文物にやたらとケチをつけるのも恥ずかしいけれど、赤坂の迎賓館は、やはり西洋の猿真似みたいで、みっともないような気がしていた。だから、舛添都知事の提唱には大賛成。他の所でも、もっと日本らしさを見せられないものかと思う。

そこへいくと、トルコの伝統・風俗は、もともと西欧のそれと極端に異なっていたわけじゃないから、我々ほど頭を悩まさずに済みそうだ。

宗教も、トルコのイスラムを知るならば、欧米の人たちは、日本の多神教より身近に感じるのではないだろうか。

しかし、明治の時代、あれほど異なる西洋の文化を短期間に取り入れてしまったエネルギーは凄い。しかも多くの分野で外面的な模倣だけには終わらせなかった。

トルコの場合、外面を少し変えれば、西欧と同じように見えてしまう所が却って拙かったかもしれない。

さて、先日は、“進歩的な政教分離主義者”の知識人女性が、「スカーフを被っている女と雑誌プレイボーイで脱いでる女は、知性の面で変わりがない。双方とも自身を客体として提供している。主体性がない。・・・」などと発言して物議を醸していた。どうやら進歩的な人たちにとって、スカーフの着用は恥ずべき風俗に見えてしまうらしい。

日本でも、スカーフを被っているイスラム女性と、カトリックの修道女さんでは、大分異なるイメージを持たれているような気がするけれど、あれはいったいどういうことなのか。

トルコの知識人らも、こういった海外での受け取られ方を気にして嫌がっているのかもしれない。これから、トルコがもっと発展して自信を深めれば、そんなことは気にならなくなるだろう。



4月15日 (火)  700トン・クレーン車

700トンまで吊り上げることが可能という巨大クレーン車。トルコに2〜3台しかないらしい。

如何にも仕事人といった中年男が操作していたけれど、ああして巧く使いこなせるオペレーターは限られているだろう。

トルコ国内だけでなく、アゼルバイジャンやトルクメニスタンなどの外国にも出かけるという。特にイラクでは、何度も仕事を請負って来たそうだ。

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