Diary 2014. 3
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3月1日 (土)  パソコン故障

水曜日、急にパソコンの画面が見えなくなってしまった。翌、木曜日にヨーロッパ側の代理店まで持って行ったが、パソコンが使えないと、バスの時刻表も見ることが出来ない。本当に不便である。

修理は、昨日の夕方に終わり、今日、またヨーロッパ側まで出掛けて引き取ってきた。

お陰で、木曜と金曜には、久しぶりに紙の新聞をいくつか買って読んだ。いろいろお騒がせな事件があったから、ニュース番組もちょっと観たかったけれど、テレビがないので、パソコンが使えなければ、これも叶わない。全てパソコンが頼りの生活になっているらしい。

しかし、この2日間で、トルコの情勢が変わるほどのニュースはなかったようだ。エルドアン首相と次男が“不正金”の隠し場所を電話で話し合っていたという、“盗聴電話”の暴露事件も、「捏造だ!」「本物だ!」と罵り合いが続いているだけで、大きな展開は見せていない。

まあ、常識的に考えれば、よっぽどの馬鹿じゃない限り、この数年来、“盗聴”が騒がれているトルコで、そんな際どい話を電話でやるとは思えない。もっとも、反対派によると、エルドアン首相は“よっぽどの馬鹿”らしいが・・・。

ザマン紙のエティエン・マフチュプヤン氏が、「トルコのメディアに、報道の中立性なんてものはない。それは本紙も含めて、いくつかの新聞を読み比べてみれば、直ぐに解ることだ」というように述べていたけれど、やはり選挙が終わるまでは、何もはっきりしないかもしれない。

この混迷状況の中で興味深いのは、野党CHPとフェトフッラー・ギュレン教団が、いよいよ協力関係の様相を見せて来たことだろう。脱宗教を掲げていたCHPとイスラムの教団では、まるで“水と油”で、これは双方にとって、相当なリスクを背負う“賭け”になるんじゃないかと指摘されている。双方とも、その基盤を失ってしまう可能性があるからだ。さて、どうなることやら・・・。


*木曜日、パソコンを代理店に預けてから、地下鉄でハリチ駅まで行き、今度は、この橋梁の上に造られた駅で降りてみた。改札を出て、イェニカプ側の岸まで歩いたが、岸辺から橋梁の全容を見渡してみると、どうやら駅は向こう岸に若干近いようである。


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3月2日 (日)  チョコリヴァ

先日、ちょっと珍しい食料品を見かけて、また思わず購入してしまった。食べたことがないと、どうにも一度は味見したくなる。

その名も“チョコリヴァ”、チョコレートとオリーブを合わせたものらしい。店員さんの説明によれば、オリーブのペーストを、チョコレートで甘く味付けた新商品のようである。

普通、オリーブのペーストは塩味と相場が決まっている。ペーストに限らず、オリーブを甘く味付けて食べる例は殆どない。チョコレート味なんて、既成観念を打ち破る革命的な発想じゃないだろうか?

また、昨年来、私は高血圧の改善に取り組んで、オリーブを遠ざけて来たけれど、これなら問題ないかもしれない。

この“チョコリヴァ”には、チェリー入りやオレンジ入りなど何種類かあったが、私は“チェリー入り”を試してみることにした。

しかし、結果は、どう味わっても“ミス・マッチ”であるとしか思えなかった。不味くはないとしても、決して「美味しい」とは言えないような気がする。あれでは、オリーブがもったいない。

これは、私が未だ味覚の既成観念を打破できていないからで、慣れれば美味しく感じられるようになるだろうか? 

実を言うと、3年ぐらい前、カドゥキョイの飴屋 ジャフェル・エロルで、“オリーブの甘露煮”を買って食べてみたことがある。でも、あれは甘味が強すぎて、何を食べているのか殆ど解らないくらいだった。

“チョコリヴァ”は、ちゃんとオリーブの味も残っている。だから、最初はギョッとするのだろう。とにかく買ってしまった分だけは食べ続けてみよう。そのうち慣れるかもしれない。

Chokoliva
http://www.chokoliva.com/

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3月4日 (火)  民衆をエルドアン嫌いにさせるには・・・

昨日、家賃を支払いにウムラニエまで出掛け、天気も良かったので、以前住んでいたエサット・パシャの街へも足を延ばしてみた。

顔馴染みだったクリーニング屋さんの店先を覗いたら、来客と談笑していた店主の青年が、「おお久しぶり!」と私にも椅子を勧めて来た。それで、30分ぐらい座って雑談したが、時節柄、話題はもっぱら選挙だった。

青年(35歳ぐらい)は、イスラム守旧派SP(幸福党)の支持者で、店の奥には大きな故エルバカン氏の写真が掲げてある。しかし、今回の選挙に限っては、与党AKPに投票するそうだ。「我々イスラム勢力は、エルドアン支持で結束を固めている」と語気を強めていた。

フェトフッラー・ギュレン教団については、「上層部が過ちを犯しているだけで、一般の信徒に罪はない」と論じていたが、フェトフッラー師を非難する言葉には厳しいものが感じられた。

彼は、AKPの不正疑惑を大筋で認めていたものの、「国益のためなら多少は構わない」という論調で、あまり意に介していない。“盗聴されたエルドアン首相と次男の会話”は、「捏造」と一蹴していた。

来客は、不正をもっと悪質なものと見ていて、彼と議論を繰り広げていたが、なんとなくAKP支持では同意しているように思えた。

先週会った人たちの中には、“エルドアン首相と次男の会話”を半ば事実と思っていながら、AKP支持を表明する人もいて驚かされた。「何があっても、他の政党よりはまし」という感じだった。

『さすがに、あれが事実だったら拙いだろう?』と思うけれど、そもそも音声の捏造など、それほど難しいわけじゃないかもしれない。8年前には、ビュレント・エジェビット氏の声色を模倣したフェイクに私も引っ掛かったことがある。↓

6月3日 (火) ビュレント・エジェビット氏
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2008&m=6

野党CHPでは、クルチダルオウル党首が、党の会合で、問題の会話テープを披露したそうだが、これに対しては、CHP党内からも、「不法に盗聴されたという真偽さえはっきりしないテープを政争に持ち込んではならない」と批判の声が出ている。

昨日は、イエニドアンに戻ってきてからも、バス停近くの写真屋さんに呼び止められて、また長々と雑談した。

この写真屋さんは、50歳ぐらいだろうか? 2年ほど前に開店して以来、店先で顔が合えば、挨拶を交わしたりするだけだったが、先月、滞在許可延長用の写真を撮ってもらってから、急に親しくなった。

ちょっと話してみたら、ここへ越して来る前は、イズミルで30年近く写真屋をやっていたことが解り、イズミルの話題で盛り上がった。イズミルでスピード現像機を売っていた崔(チェ)さんのことは知らないと言うが、崔さんから機械を買って写真屋を営んでいたキムさんとは面識があったようだ。ひょっとすると、私も何処かで出会っていたかもしれない。何だか、とても嬉しくなった。

以来、その隣の家電修理屋さんも含めて、良く無駄話に花を咲かせている。家電修理屋さんの兄弟は、エルドアン首相と同じリゼ県の出身で、熱烈なエルドアン支持者、昨日も途中から割り込んで来て、また“エルドアン首相万歳”を繰り返していた。

写真屋さんも「今はエルドアン以外にいない」と同調していたが、彼は元々MHP(民族主義行動党)の支持者だったようである。修理屋さんがいなければ、私に「MHPをどう思うか?」と問い掛けながら、「今の党首に魅力がないから投票はしないが、MHPへの期待を失ったわけじゃない」なんて話したりする。

もちろん、このイエニドアンもエサット・パシャも、元来保守層が多い地域であり、他の街へ行ったら、どういう声が聞かれるのか良く解らない。彼らは、AKPが得票率を増やして勝つと主張しているが、いくらなんでも、そこまでは行かないような気がする。今度ばかりは、AKPにとってかなり厳しい選挙になるのではないだろうか? 

しかし、不正疑惑など何処吹く風といったエルドアン人気にも恐れ入る。昨年末に事件が勃発した頃、ある知人が語っていた言葉を思い出した。「トルコの民衆をエルドアン嫌いにさせる為には、相当の仕掛けがなければならない。まあ、今回も無理だろうな・・・」



3月5日 (水)  何があってもエルドアン嫌いを止められない人たち

87〜88年、韓国に留学していた頃、ソウルの語学学校の先生から聞いた話だが、当時、韓国の人たちは、車を運転する際、必ず免許証の裏に5千ウォン札を忍ばせていたそうである。

交通違反を取締る警察官は、運転者から免許証の提示を求め、当然の如く5千ウォン札を抜き取る。これが警察官の相当な収入になっていたらしい。

語学学校の先生は良家のお嬢さんで、彼女の知り合いだか親族だかの大学教授が、実際に体験したという話を語っていた。

その大学教授は、初老に至って初めて免許証を取り、勇躍、自分でハンドルを握って街に繰り出したところ、あいにく違反の取締りに引っ掛かってしまう。提示を求められ、免許証を差し出したが、世間知らずの教授は、5千ウォン札など忍ばせていない。警察官に仄めかされても、何のことだか解らない。驚いた警察官は、自ら5千ウォン札の“常識”を説明し、教授の無垢な人柄に感動したと言って、そのまま見逃してくれたという。

おそらく教授は、それまで運転手付きの車にでも乗っていたのだろう。語学学校の先生も、教授に負けない世間知らずで、地下鉄の乗り方さえ良く解っていなかった。多分、彼女も教授の話を聞いてとても驚き、話のネタにしていたんじゃないかと思う。

トルコの警察官も、かつては、これと大して変わらなかったようだが、最近は大分改善されたらしい。今の韓国はどうだろうか?

ところで、トルコには、個々の警察官が金を受け取らなくなったのを“改善”と看做していない人もいるから驚く。

先月、知り合った運転手さんは、「昔は、それでも警察官個人の収入になっていたのに、今や罰金は全て国に巻き上げられて、エルドアンの懐に入ってしまう」と怒っていた。この人は、アレヴィー派なので、熱心なスンニー派(イスラムの主流派)のエルドアン首相を激しく嫌っているのかもしれないけれど、その理屈は余りにも荒唐無稽で唖然とした。

彼らの多くは、CHPを支持していて、CHPの現党首クルチダルオウル氏もアレヴィー派と言われている。しかし、旧来のCHP支持者である友人は、一昨年だったか、「アタテュルクが創った政党CHPの党首がアレヴィー派になってしまうなんて・・・。アレヴィー派が党首じゃ大多数の支持を得られるわけがない。これもアメリカの陰謀だろう」と毒づいていた。

共和国になってアレヴィー派の教団を閉鎖させたのは、アタテュルクじゃなかったかと思うが、アレヴィー派の多くはアタテュルク主義者として、CHPを支持して来た。熱心なスンニー派より、政教分離主義のCHPが安心だったのかもしれないが、ちょっと皮肉な感じがする。

けれども、アレヴィー派の問題を解決できるのは、今のところ、大多数のスンニー派を説得できるAKPをおいてないだろう。AKPには、少なくとも問題解決の意志はあるようだ。

しかし残念ながら、現在のトルコは、何があってもエルドアン嫌いにならない多数派の民衆と、何があってもエルドアン嫌いを止められないアレヴィーや知識人等からなる少数派が激しく対立している状況じゃないかと思う。



3月6日 (木)  BoAが歌う“アンゲ(霧)”

先月、“YouTube”で、“BoA”が“アンゲ(霧)”という韓国の古いヒットソングを歌っているのを見つけた。

古いと言っても、1968年の曲らしいけれど、私が初めて韓国へ渡った1987年には、既に懐メロの扱いになっていて、おじさんたちがカラオケで歌う定番だった。

1986年生まれのBoAさんにしてみれば、かなり古い歌に違いない。なんでこの歌を取り上げたんだろう?

私は一時期、殆どソラでこれを歌うことができた。とても好きな韓国歌謡の一つである。しかし、BoAの持ち歌で知っているのは一曲もない。もう最近の新しい歌にはついていけなくなってしまった。

それで、“BoA”の“アンゲ(霧)”も、聴く前は、何か斬新なアレンジでも施してあるんじゃないかと嫌な予感がしたけれど、聴いてみると、それほどオリジナルからかけ離れているわけでもない。なかなか渋い歌唱だと思った。

“BoA”の存在は、2003年、半年ほど日本へ帰っている時期に知った。とにかく凄い才能であると話題になっていたものの、私が解ったのはその語学力ぐらいで、歌とかダンスのほうは、何だか良く解らなかった。

その夏、韓国へ行き、同年輩の友人と話していて、“BoA”を話題にすると、「なんだそれ? 桂銀淑みたいな歌手か?」と問い返された。

『えっ、韓国じゃ“BoA”が流行っていないのか?』と驚き、CD店で“BoA”のCDを探してみたところ、これが何処にも見当たらない。ますます驚いて、店員の若い女性に訊いたら、面倒臭そうに「そこにあるでしょ」と言われた。見ると、レジの前に“BoA”のCDが、どーんと山積みになっていた。

どうやら、新しい感覚についていけない親爺どもに国境はなかったらしい。友人も私も桂銀淑さんの世代だ。

しかし、友人の「桂銀淑みたいな歌手か?」という問いには、ちょっと別の意味があったのではないだろうか? 『日本語で歌わされている“出稼ぎ歌手”』という感じだったかもしれない。

“BoA”や東方神起が出て来て、大分イメージも変わってきたと信じたいが、彼らにしたって、日本では殆ど日本語で歌っているようだ。それが母国で詰られ、母国での発言が日本で批判される。これでは堪ったものじゃない。実に難しい立場に置かれてしまっている。

いつの日か、“BoA”や桂銀淑さん、キム・ヨンジャさんが、日本でも当たり前に韓国語で歌う時代が来たらと思う。


BoA−Mist
http://www.youtube.com/watch?v=zpn4HM8nYbc&feature=youtu.be

鄭薫姫−霧
http://www.youtube.com/watch?v=AvxiuVWWD7U



3月7日 (金)  ノートル・ダム・ド・シオン・フランス高校

昨日は、ヨーロッパ側のタクシム近くにあるノートル・ダム・ド・シオン・フランス高校で開かれたクラシックのコンサートを聴いてきた。

ここでは、不定期に、クラシックのコンサートなど様々な催し物が開かれていて、多くの場合、自由に無料で楽しめるようになっている。2年ほど前、友人に誘われて、一度訪れて以来、時々、ウェブサイトからプログラムをチェックしていたけれど、再び訪れる機会はなかった。

昨日のプログラムは、2ヶ月ぐらい前にチェックした。ベートーヴェンのコリオラン序曲、交響曲4番、そしてモーツァルトのピアノ協奏曲21番と、何れも耳馴染んだ好みの曲ばかりだったので、時間があれば聴きに行こうと思っていた。

演奏は“オーケストラ・シオン”という楽団、この楽団はノートル・ダム・ド・シオン・フランス高校の支援によって運営されているようだ。指揮とピアノは、オルチュン・オルチュンセル氏で、ウェブサイトに、1985年のイスタンブール生まれと記されている。楽団の設立もオルチュンセル氏の尽力によるという。

ノートル・ダム・ド・シオン・フランス高校は、ウィキペディアの記載によれば、オスマン帝国時代の1856年に、フランスから来た修道女らによって女学校として設立された。当初は、キリスト教徒の子女を対象にしたものの、直ぐにユダヤ人の子女が通うようになり、1863年からは、イスラム教徒の子女も加わったそうだ。

1922年に出版された小説「チャルクシュ」の主人公フェリデは、この“ノートル・ダム・ド・シオン女学院”で学んだために、イスラム教徒ながら聖書の記述にも詳しく、アルメニア正教徒の老人を驚かせている。 

4月17日 (火) 小説“チャルクシュ”
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2012&m=4

しかし、共和国革命以降、女学院は教育省の管轄に置かれ、所謂“政教分離主義”の観点から、宗教的な教育は行なわれなくなる。そして、1996年から共学に移行した。

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3月8日 (土)  カフェ・フランセ

タクシムのフランス領事館にある“カフェ・フランセ”。いつ頃から、こんな看板が出ていたんだろう? よく前を通るのに気がついていなかった。

守衛さんに訊いたら、「カフェは昔からだが、この名前になってからは、それほどでもない。でも、もう大分経つよ」と言う。

この領事館は、文化センターも兼ねていて、10年ぐらい前、何かの催し物で入ったことがあるけれど、カフェがあったかどうかは覚えていない。

一応、領事館なんで、中へ入るのに、一人ずつセキュリティー-チェックを通らなければならないが、カフェのある中庭は広々して気持ち良い。ゆっくり新聞読みながら、チャイを飲んで、2.5リラ。トイレも綺麗だった。

周りを見渡すと、皆さん、なかなか美味そうなものを召し上がっている。メニューも豊富なようだ。

30年前、東京の飯田橋に住んでいた頃、日仏学院の前を何度か通った。結局、利用する機会はなかったものの、“ぴあ”で、毎月、催し物をチェックしていた。これからは、イスタンブール領事館の催し物も、時々、チェックしてみることにしよう。

Institut francais−Istanbul
http://www.ifturquie.org/category/istanbul-2/?lang=tr

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3月9日 (日)  ムスタファ・サルギュル氏

第一野党CHPから、イスタンブール市長選に立候補しているムスタファ・サルギュル氏には、今までシシリー区の区長を務めて来たぐらいの経歴しかないが、とてもカリスマ的な人気がある。

クリスマスに区内のギリシャ正教の教会を訪れ、サイン入りのワインを配ったりと、なかなか洒落たパフォーマンスを見せる。

でも、私が最も注目していたのは、サルギュル氏がエルドアン首相を非難したり、攻撃したりして来なかった点だ。それどころか、エルドアン首相を優れた指導者と持ち上げた上で、「今のトルコにゼロから出発した政治家は、エルドアン首相を除けば私ぐらいだろう」と自分をエルドアン氏に準えたりしていた。

これは、熱烈にエルドアン首相を支持している民衆から疎まれない為の配慮だったと言われている。非常に賢明な人物だと思った。

しかし、今回の選挙では、この封印を解き放ち、真っ向からエルドアン首相を非難している。そのため、イスタンブール市長選は、「サルギュル氏とエルドアン首相の対決」と騒がれているが、一方のエルドアン首相は、CHPのクルチダルオウル党首を攻撃目標にして、それほどサルギュル氏については言及していない。

さて、サルギュル氏の方向転換は、吉と出るだろうか、凶と出るだろうか?

サルギュル氏は、現在57歳、最初の奥さんと死別した後、14歳若いアイリーン・コティルさんと再婚したが、2008年に別れている。今度の選挙では、そのコティルさんをベイオール区長の候補に担ぎ出したりして、サルギュル氏もなかなか太っ腹だ。

これには思わずエールを送りたくなるけれど、保守的な民衆がどういう反応を見せるのかちょっと良く解らない。

不正疑惑にも関わらず、保守層におけるエルドアン人気が急落しないのは、今までの実績と他政党への不信感もさることながら、エルドアン氏が人間的に好感を持たれているからじゃないかと思う。エルドアン首相は、彼らと同じように保守的・イスラム的で、何より非常に家庭的なイメージがある。

私も、エルドアン首相の“良き父、良き夫、そして孝行息子”的なイメージは好ましく感じてきた。論語にも、士の条件として、2番目に「宗族孝を称し、郷党弟を称す」なんていうのが挙げられているけれど、これは結構大事なことであるような気もする。特にトルコのような国では・・・。



3月10日 (月)  王子と乞食

小学生の頃、区の図書館から本を借りて来て良く読んだ。その多くは、“少年少女文学全集”といった類の本で、海外の文学が子供向きに平易に訳されていた。

ジュール・ベルヌの作品であるとか、ルパンやホームズが活躍する物語、“モンテ・クリスト伯”を十分の一ぐらいに縮めた“巌窟王”、“罪と罰”のような余り子供向きとは思えない小説もあった。

“モンテ・クリスト伯”は、中学に上がって直ぐ、岩波文庫の完訳で読み直した。“罪と罰”なども後に完訳を読んだけれど、“ああ無情(レ・ミゼラブル)”とか“何処へ行く(クオ・ヴァディス)”とか、結局、“少年少女文学全集”で終わってしまった作品が多い。今からでも読んでみたいとは思うけれど・・・。ジュール・ベルヌや“ホームズ”も完訳で読んだら面白いかもしれない。

マーク・トウェーンの“王子と乞食”は、2003年だったか、岩波文庫の完訳を買って来て読んだ。非常に面白いと子供の頃から印象に残っていたこともあるが、トルコで友人の子息に、平易なトルコ語訳をプレゼントしたので、自分ももう一度読んでみようと思ったのである。 

その頃、“モンテ・クリスト伯”を再読して、なんとなく“子供の読む小説”だなんて感じたけれど、“王子と乞食”は、大人でも充分に楽しめる“童話”じゃないかと思った。苦難の中で、“国王”としての矜持を失わない“王子”の健気さに胸を打たれた。この“感動”には、翻訳の素晴らしさもあったかもしれない。

翻訳は村岡花子氏で、花子氏の生涯は、今月からNHKの連続ドラマになるらしい。もっとも、イスタンブールでこの連続ドラマを観る機会はまずないだろう。

岩波文庫の“王子と乞食”の巻末では、村岡花子氏の“訳者のことば”も読むことができる。ここに、とても興味深い考察が明らかにされているので、以下に引用してみたい。

「・・・マーク・トウェーンの生涯の願望はキリストの伝記を書くことであったが、自分の筆はかかる宗教的のものを書くには余りに諧謔味が勝ち過ぎていると自覚して、敢えてそれを試みなかったということを、私は以前に読んだことがありました。この事実を知ると同時に、正しくして世に容れられず人の世のあらゆる艱難と誤解と迫害とを一身に受けたイエス・キリストの一生に就いて知る人が、この小説を読む時、身は尊い王家に生まれながらも虐げられ嘲られて冷たい世をさまよい歩き、真の友を求める若き王子の上に、単なる小説の主人公という以上に、何か一種の暗示的なものを読み得るようにさえ感じられます。・・・」

私はキリスト教徒じゃないし、殆ど信仰らしい信仰は持っていないけれど、この話はしみじみと解るような気がした。「真の友を求める若き王子」は、悪に対して厳しい正義感で臨むものの、あくまでも慈しみ深く、愛に溢れていた。

しかし、岩波文庫の“王子と乞食”では、もう一つ驚いたことがある。本のカバーに記された以下の言葉だ。

「・・・エリザベス一世時代のイギリスを舞台に、人間は外見さえ同じなら中身が変わっても立派に通用するという痛烈な諷刺とユーモアに満ちたマーク・トウェーンの傑作。」

これを書いた方は、いったい何を読んだのだろう? この言い回しに左翼的なイデオロギーを感じてしまうのは私だけだろうか?

別に宗教を礼賛するつもりはないが、キリスト教にしてもイスラム教にしても、そこには必ず愛や慈悲が語られている。多少如何わしくても、こういう“愛や慈悲”が何処かで語られていなければ、世の中、どうにも息苦しくなると思う。

社会主義的な思想は、現代の社会制度に取り入れられ、役立てられているけれど、その平等志向は、“愛”というより、何だか“憎しみ”から成り立っているように感じてしまう。王家や皇室、為政者たちは、いとも簡単に憎しみの対象になる。

ある種の人たちは、そういった“憎しみ”を叫ぶことでフラストレーションを解消しているのではないか。宗教と同様、これも“阿片”と変わらないかもしれない。


3月11日 (火)  秋刀魚の味

昨年の4月に韓国を訪れた際、ソウルの地下街に出ていた屋台で、いくつか邦画のDVDを買った。小津安二郎の「秋刀魚の味」や黒澤明の「七人の侍」等々・・・。一つ2千ウォン(約2百円)の格安だったから、もっと買っておけば良かった。

全てハングルの字幕がついていて、もちろん韓国の人たちを対象にしている。韓国で、日本の映画・歌謡は、新旧を問わず今でも人気らしい。最近、“YouTube”にアップされている日本のバラエティ番組などを見ても、ハングルや中国語の字幕付きがあったりして驚く。映画や歌謡ばかりか、日本の芸能界全体に関心がもたれているようだ。

「秋刀魚の味」は、1962年の映画で小津安二郎の遺作となった。笠智衆演じる初老の男:平山が、娘を嫁がせて万感の思いに浸るという典型的な小津作品。

平山は、旧制中学を卒業して40年になるそうだから、57歳ぐらいだろう。時代設定は、制作された1962年とみて良いと思う。

海軍兵学校に進んだ平山は、太平洋戦争中、駆逐艦の艦長を務めながら、敗戦まで生き残るが、戦後間もなくして、奥さんに先立たれてしまったようだ。その後、3人の子供を男手一つで育て上げ、24歳になった娘を嫁がせる。

この映画でも、「東京物語」以来の斉藤高順が音楽を担当していて、テーマ曲が素晴らしい。これは劇中の様々な場面で効果的に使われているけれど、曲だけ単独で聴いても実に味わい深い。ポール・モーリアなどのイージーリスニングより、よっぽど洒落ているんじゃないだろうか。

「浮草」に、その年のヒット曲である「南国土佐を後にして」が出てきたりして、小津安二郎は、音楽を効果的に使うばかりでなく、流行にも結構敏感だったかもしれない。

「秋刀魚の味」では、重要な舞台となるバーを平山が初めて訪れた時、背景にシャンソンの「回転木馬」が掛かっている。エディット・ピアフが歌ってヒットしたのは1958年というから、これも流行の先取りであるような気がする。

平山は、偶然再会した艦長時代の部下に連れられて、このバーへ行く。そして、ママさんに、亡き妻の面影を見出して、度々訪れるようになる。バーでは、部下の男が“軍艦行進曲”を聴きたがるので、ママさんは平山を見ても、そのレコードを掛けてくれる。

娘を嫁がせた晩、また一人でバーを訪れ、カウンターに座ると、ママさんは、早速、“軍艦行進曲”を掛ける。平山がしみじみと聴き始めたら、隣に座っていた40歳ぐらいのサラリーマン2人組みが、曲に乗せて冗談を言い合う。

「大本営発表!」
「帝国海軍は、今暁5時30分、南鳥島東方海上において・・」
「負けました!」
「そうです。負けました。ハハハハ」
「ハハハハ」

これを平山は、寂しそうにチラッと横目で見るだけである。

戦争では、平山の同僚もたくさん死んでしまったに違いないが、この曲を聴けば精一杯頑張っていたあの日々が蘇って来るのではないか。戦後、平山はその栄光の海軍を失い、妻も失ってしまった。そして、今日、亡き妻に似ているであろう娘は嫁いで行き、やはり亡き妻に似ているらしいママさんを見つめながら、平山はウイスキーのグラスを傾ける。万感の思いが、この場面に凝縮されていたように思う。

軍艦行進曲
http://www.youtube.com/watch?v=fUdKEaTLl_c

*↑この映像に現れる軍艦の殆どが、海の藻屑と散ってしまったかと思うと、何とも言えない感慨に捉われてしまう。しかし、軍艦行進曲は、パチンコ屋の曲にして置いたらもったいない、マーチの傑作じゃないだろうか。

「秋刀魚の味」の音楽
http://www.youtube.com/watch?v=K2CCDKq9xAg

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