Diary 2013. 7
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7月1日 (月)  ナスレッディン・ホジャ

記憶に誤りがなければ、“週刊朝日百科”の“世界の地理”だったと思う。ネットで調べたら、83年〜86年にかけて刊行されていたとある。毎週、各国別に、歴史や文化、国情を紹介していて、巻末に“民衆のヒーロー”というようなコーナーがあった。

パキスタン編では“ジンナー”、インド編では“ガンジー”がヒーローになっていたと記憶している。それで、トルコ編は、当然、アタテュルクだと思っていたら、意外なことに“ナスレッディン・ホジャ”だった。少し驚いた所為か、これは良く覚えている。

ナスレッディン・ホジャは、13世紀頃、トルコに実在したとされる頓知話の主人公で、イスラム教の導師ということになっている。詳しくは、以下のサイト等を参照して下さい。

ナスレッディン・ホジャ
http://home.e-catv.ne.jp/komamemame/turkey5.5.htm
http://www.jp-tr.com/icerik/unluler/Nasreddin.html

実在したとしたら、一休さんのように、かなり生臭い導師だったのではないか。とても世俗的な人物だったような気がする。

イスラム的と言われるAKP政権が誕生して以来、世俗主義の体制が脅かされているという論説が繰り返され、私も不安に感じたりしたが、考えてみると、ナスレッディン・ホジャを生んだ社会が、そう簡単に教条主義へ陥るはずがない。

学識のある先生たちが、イデオロギーや宗教の教義を熱心に説けば、人々はこれを有り難く拝聴するけれど、その全てを文字通り受け入れたりはしないだろう。「この先生はなかなか偉い人だが、ちょっと実際的じゃないね」などと言いながら・・・。

“民衆のヒーロー”としてナスレッディン・ホジャを採り上げた編集者の方は、世俗的なトルコ社会のルーツをナスレッディン・ホジャに求めたのだろうか? そして、この世俗的な社会に、近代化をもたらしたのがアタテュルクであるということなのかもしれない。



7月2日 (火)  アッラー(神)は形而上の概念

昨日のナスレッディン・ホジャ云々、アラビアン・ナイトを生んだ社会やオマル・ハイヤームを生んだ社会の現況を考えたら、何の意味もないかもしれない。

しかし、かの国々も、西欧からその価値観まで押し付けられたと感じてしまった為に、自分たちの宗教的な価値観を大袈裟に持ち出して、抵抗を試みているだけのような気もする。

そもそも人間の営みなんて、何処へ行っても世俗そのものじゃないだろうか? 宗教の理念だけで成り立った社会が過去に実在したのか疑わしく思える。

少なくとも、トルコの“敬虔なムスリム”や宗教学の先生らの話を聞く限り、彼らが“宗教の理念による統治”などと言うものを求めているようには感じられない。「我々の宗教に基づく伝統的な価値観を蔑ろにするのは止めてもらいたい」とか「宗教による道徳の規範を大切にしよう」といったものではないのか。

来週からラマダンが始まる。確かに、イスラムは戒律が多く、ラマダンのように長期間、社会的な活動に影響を与える行もあるけれど、人々は「実践しようという気持ちが重要なのです」などと言いながら柔軟に対応している。

政教分離を“脱宗教”と捉えている一部の世俗主義者は、ラマダンという行事そのものを無くしてしまいたかったのかもしれないが、そういった脱宗教政策は性急なやり方で、人々の反感を買っただけのようだ。少しずつ人々の意識を変えて行く地道な努力をしていたらと思う。

西欧にも脱宗教的な傾向の国があれば、イタリアのように宗教に熱心な国もある。トルコも宗教の違いこそあれ、そういった二つの傾向の間で揺らいでいるに過ぎないような気もする。

【197】酒は悪事の母である【ラディカル紙】【2008.08.23】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00197.html

上記のコラムに、以下のような件がある。

「イスラム主義者のメフメット・シェヴキ・エイギは、この仮定を信じたが為に、指名手配されるとサウジアラビアに亡命した。ところが、暫くして、この国で暮らすのは可能でないと悟るや北欧の国々に移住した。本人がこれをとても正直に告白している。『アラビアでは暮らせなかった。ヨーロッパの国々では楽に暮らせる』と言うのだ。」

私も、イスタンブールやアンカラのような都会での生活は、既に中東より西欧のスタンダードに近いのではないかと思ったりする。

私のような無宗教の人間が見れば、イスラムもキリスト教も、要するに一神教であって、それほど大きな違いがあるようには見えない。少なくとも、トルコのイスラムは、キリスト教などと同じ一神教の一つに見えてしまう。

敬虔なムスリムの友人ネヴザットさんに、キリスト教の教会の話をしていたところ、「でも、キリスト教って、どう考えても変ですよ。アッラー(神)に子供がいたり、その子供は神と一体であるとか説明したり、全く訳が解らない」なんて言う。

それで、「ネヴザットさん、アッラー(神)は抽象的な概念じゃないんですか? そうですよね。それなら、キリスト教の人たちが、自分たちの頭の中で、どんな神を創りだしても、それは彼らの自由じゃありませんか?」と言い返したら、「ハハハハ」と笑って、納得してくれた。

メフメット・アリ・ギョカチト氏の「イマーム・ハティップレル」には、宗教教育の重要性を訴えたイスラム主義者の言葉が紹介されていた。「・・・知性が尽きた所で、メタフィジカルに答えを求める人が、その答えを得られる唯一の本はコーランである」。

トルコで、教養のある敬虔なムスリムと話していると、アッラー(神)が形而上の概念であることを当たり前に認めていたりするので、却って驚いてしまう。宗教教育学の先生は、「アッラー(神)は抽象的な概念なので、これを第四学年の児童に教えるのは難しいと思った・・・」と述べていた。

この国の大多数の人たちは、アタテュルク主義を文字通り受け入れてはいなかった。同様にイスラム主義も文字通り受け入れたりはしないと思う。


7月4日 (木)   夏のバカンスシーズン到来!

タクシム騒動の発端になったのは、ゲズィ公園の再開発計画。この計画に設計士協会というような組織が異議を申し立て、裁判所は工事の差し止めを決定したが、行政は直ぐこれを不服として抗告し、そのまま工事を進めようとしていたらしい。

一昨日だったか、この行政側の抗告が却下されたという報道があった。但し、設計士協会の異議が認められ、再開発計画の破棄が決定されるかどうかについては、未だ審議が続いていて、あと2ヶ月ぐらい待たなければならないらしい。

仮に、設計士協会の異議が認められなかったとしても、政府は住民投票を行うと言っている。でも、この住民投票が曲者で、どのくらいの範囲で行うのか、未だ決まっていないそうだ。

イスタンブール全域で行えば、行政側の再開発計画が通ってしまう可能性が高い。この場合、ゲズィ公園など全く知らない人まで投票することになるから、その投票結果の有効性に疑問を呈する声も聞かれる。

ゲズィ公園が所在する地区だけの住民投票になれば、おそらく再開発計画は中止され、公園は守られる。

行政は、騒動が終わってから、公園に花を植えなおしたりして、盛んに“環境の保護者”をアピールしていた。それを見て、「再開発をやる気なら、あんなことやらないよねえ。もう諦めているんじゃないの?」と言う人もいる。さて、どうなるだろうか?

しかし、エジプトが大変なことになってしまって、何だかこちらは報道の扱いも小さくなったようだ。裁判所の抗告却下等については、報道によってニュアンスも異なり、どうも良く解らない。

今年は暑くなるのが早く、既に本格的な夏のバカンスシーズンに突入したから、もうそれどころじゃないのだろうか?

昨日は、今週末、ボズジャ島へ行くバスのチケットを購入するのも一苦労だった。直行の夜行バスには席がなく、イスタンブールからバンドゥルマまで高速フェリーで渡り、そこからバスを二つ乗り継ぐという、ややこしい方法で行かなければならなくなってしまった。まあ、何とかチケットが取れたから良かったけれど・・・。




7月5日 (金)  国民登録番号

昨日、家賃を振り込みに、大家さんの口座があるハルク銀行のウムラニエ支店まで行った。バスで40分、道が少しでも混めば1時間以上かかるけれど、他の支店から振り込むと20TLも手数料を取られるので、月に一度の“行事”と諦めて、この支店まで行くことにしている。

この支店で振り込んでも、5TLの手数料を取られていた。しかし、先月はどういうわけか、それも請求されなかった。

先月、いつものように窓口で、大家さんの口座番号と私の氏名が記された紙を見せて、振込み手続きをお願いしたところ、窓口の女性行員は、暫くパソコンの画面を覗き込んでいたが、他の行員を呼び寄せると、パソコンの画面を示しながら、何やら相談している。

それ以前は、いつも直ぐに手続きしてくれて、待たされたことなどなかった。やがて、窓口の女性はこちらへ向き直って、私が差し出した家賃と手数料の5TLを受け取り、金額を確認してから、5TLを私の方に戻し、「手数料は必要ないので、これはお返しします」と簡単に言った。私も、やぶ蛇にならぬよう、理由は訊かなかった。

さて、昨日は、また別の女性行員が、やはり暫くパソコンの画面を覗き込んでから、「身分証明書を見せて下さい」と言う。滞在許可証を差し出したら、今度は「国民登録番号は何処にありますか?」と訊く。

「私はトルコ国民じゃないから、登録番号なんて持っていませんよ」と答えたら、「規則が変わり、振込み手続きには国民登録番号を記載しなければならなくなって・・・」などと説明していたけれど、このやり取りに気がついた隣の窓口の女性行員が寄って来て、「この人はいいのよ。お隣さんだから・・・」なんて冗談みたいな助け舟を出してくれた。

この女性行員は、先月も隣の窓口に座っていたから事情を知っていたのだろう。パソコンの画面を示しながら、何事かアドバイスして、自分の席に戻った。

それから、いつも通りに手続きしてもらったが、国民登録番号のない人から手数料は受け取れないそうで、やはり手数料は免除になった。ひょっとして、以前、私は必要のない手数料を払い続けていたのだろうか? トルコでは、いろいろ不思議なことがある。


7月6日 (土)   トルコ軍のクーデター

トルコの国営放送“TRT”に、「祖国を望む」という番組があった。各分野の著名な識者をスタジオに招いて、祖国トルコへの思いを語ってもらう趣向になっていた。

私は、2年ほど前、イズミルのホテルの一室で、初めてこの番組を観た。夜、出先でかなり飲んでからホテルに戻る途中、また缶ビールを一本買い込み、部屋に入ると、テレビをつけて直ぐにビールを飲み始めた。

テレビの画面では、鋭い視線の紳士が何か語っている。トルコ海軍の退役中将アッティラ・クヤット氏だった。少し耳を傾けたら、飾り気のない率直な語り口に思わず引き込まれた。

トルコ軍によるクーデターは、国家の発展に寄与しなかったと、軍人としての反省を込めて力説し、最後に、“多様性のある民主的な、そして経済的に繁栄した祖国トルコ”を望みながら、少なくとも、国民同士が敵対し合わない祖国を、生きている間に見たいという熱い気持ちを吐露して発言を終えた。祖国を思う赤心が伝わって来るような言葉の数々だった。

私は多少酔っていた所為もあって、非常に興奮し、薄暗いホテルの部屋の中で、思わず立ち上がって、阿呆みたいに拍手してしまった。

クヤット氏は、クーデターが何の役にも立たなかった、トルコ軍にも害を与えてしまったと語りながら、まだ士官学校の生徒だった1960年のクーデターで、メンデレス首相が処刑された際には、何の痛痒も感じなかったと告白している。

また、当時の軍人たちに政治的な野心は無く、あくまでも国家を思って決起したのであると、軍を擁護しているが、この辺りに却ってクヤット氏の率直さを感じる。

さらに、「診察が誤っていれば、正しい治療はできない」としながら、クーデターの前に、多くの国民が、クーデターを熱望していた事実を指摘していた。何処の国でも、悪いことは全て軍の所為にして済ませてしまう傾向があるから、なかなか“正しい治療”はできないのかもしれない。

クヤット氏には、現実的で穏健な軍人というイメージがあるけれど、それは以下の話に如実に現れているように思った。

1960年のクーデターでは、ヘイベリ島の海軍士官学校の生徒だったクヤット氏にも、ヘイベリ島の公安秩序を正すという任務が与えられ、若いクヤット氏は勢い込んで、許可無く歩道に商品を並べ、値札もつけない島の商人たちを厳しく取締り、瞬く間に秩序を確立した。

ところが、2年後に少尉となっていたクヤット氏が、再び島を歩いてみると、島の秩序は旧態に戻っており、クヤット氏を見つけて話しかけた商人たちは、「少尉さん、あんたには酷い目に合ったよ」と笑っていたそうである。

これでクヤット氏は、「クーデターという恐怖で秩序を正したところで何の意味もない」と悟ったと言うけれど、これは誰もが悟り得ることじゃないと思う。2年後に、島の商人たちがクヤット氏を見て冗談を言ったところにも、氏の人柄が現れているような気がする。

2002年にAKPが政権を取ってから、トルコにクーデターが起こらなかったのは、トルコ軍にクヤット氏のような軍人が少なくなかったからだろう。02年〜06年に参謀総長を務めたヒルミ・オズコック氏らが、クーデターに傾いた民族派の将校たちを、それこそ命懸けで抑え込んでいたという説もある。

このように、ほんの数年前まで、クーデターを企図する勢力があったと言われているくらいだから、トルコもそう簡単には、第一級の民主主義まで到達できないかもしれない。

でも、既に一定の民主化は成し得たのではないか。そして、これは、AKP政権ばかりでなく、軍人や官僚を始めとする多くのトルコ国民の努力によって達成されたのだと思う。


*以下の記事では、アッティラ・クヤット氏が、ネシェ・ドゥゼル氏のインタビューに答えています。

【6】イラク参戦はエジェビットの時代に決定されていた【ラディカル紙】【2003.01.02】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00006.html

【7】キプロス問題が未解決である限り我々はEUに加盟できない【ラディカル紙】【2003.01.02】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00007.html

“YouTube”より、「祖国を望む」のアッティラ・クヤット氏
http://www.youtube.com/watch?v=heFJ3KtsSCw





7月9日 (火)  ホメロスを読む会

恒例の“ホメロスを読む会”。今年は、例年より参加者が少なかったかもしれない。各国語による“イリアス”の朗読は、トルコ語、英語、フランス語、スペイン語、日本語、そして、韓国語だった。

韓国語は、先月お伝えしたように、キムさんの奥さんのイ・ヨンヒさんが読む予定になっていたけれど、急用でボズジャ島に来れなくなり、キムさんが読んだ。

7月7日の朝は風が強く、朗読の声も風にかき消されてしまいがちだったが、我々東洋勢は2人とも声が大きく、何はともあれ、言葉の持つ響きだけは伝えられたと思う。

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7月11日 (木)  ラマダンのギュルラチ

昨日、久しぶりに、タクシム広場からイスティックラル通りを歩いてみた。

途中、“サライ・ムハレビジスィ”という軽食店のショーウインドーを覗いたら、ラマダン月になると売り出される甘い菓子“ギュルラチ”が並んでいたので、思わず中に入って味わって来た。

店内は、ラマダン2日目の昼とあって、閑散としていたけれど、1週間後には、どうなっているだろう?

最初の3日ぐらいは、気合で断食している人たちも、そのうちにギブアップしてしまうのか、例年、1週間も過ぎれば、イスティックラル通り辺りの飲食店は、昼飯時にかなり活気を取り戻している。

時の流れが緩やかだった昔、夏場のラマダンでは、多くの人たちが、日中はごろごろして、休み休み何とか断食を続けていたと言うから、現在、日中忙しく働きながら断食するのは、3日坊主でも立派じゃないかと思う。

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7月12日 (金)  ゲズィ公園

水曜日は、タクシム広場からゲズィ公園にも入ってみた。先週から、一般の人たちも入れるようになっていたらしいが、週末、またデモ騒ぎがあった為、一時再び閉鎖されていたそうだ。

公園は、中も周囲も、以前より美しくなったのではないだろうか。6月1日に、公園から退却するデモ隊の人たちが駆け降りた坂にも、綺麗に花が植えられている。当時、あの坂は、工事中の瓦礫がそのままになっていて、まるで戦場のように見えたものだ。

公園の中には、遊技場まで新設され、子供たちが楽しそうに遊んでいた。

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7月13日 (土)  韓国とトルコ−国家の正統性

ボズジャ島で、キムさんと長話した。20年来の友人だけれど、かつて、あれほど様々な話を聞いたことはなかったように思う。もっと韓国語が解っていた時に聞いておけば良かった。

話は、韓国の政治や歴史に至るまで多岐に亘ったが、北朝鮮との関係について、「名分からすれば、北朝鮮のほうが国家の正統性があって、はるかに正しい」と断じたので驚いた。

その理由として、大よそ以下のような説明があった。

韓国は、日本の敗戦によって解放されたのであって、自力で独立したわけじゃない。独立してからも、親日派を排除することができなかった。何故なら、教育のある有能な人たちは皆親日派だった。その後の発展にも、絶えずアメリカや日本の影響が見られた。

北朝鮮に影響を及ぼしたのは、過去の殖民統治とは関係のないソビエトと中共である。“漢江の奇跡”を主導した朴政権は、特にクーデターという手段で政権についたから、全く正統性が認められない。等々・・・

しかし、それを言うのであれば、朝鮮の李成桂も、高麗をクーデターで倒して、王朝を樹立したのではなかっただろうか。もちろん、キムさんは、そんなこと百も承知で論じたに違いないけれど・・・。中国の脅威に対して、韓国は日本と連帯しなければならないとしながら、「名分を糺さずにはいられない我々の気質を理解してほしい」と話していた。

こうして名分・正統性を突き詰めて行くと、韓国は神話の時代から同じ王朝が続いていなければならなくなってしまう。何となく、日本の皇室の正統性を羨ましく思っているような気がした。

実際、そのお陰なのか、私たち日本人の多くは、“国家の正統性”なんてものを、余り突き詰めて考えたりしないだろう。これは、かなり幸せな状態であるかもしれない。

韓国に居た頃、“正統性(チョントンソン)”という言葉を頻繁に聞いた。トルコでは、やはり“メシュルイエット(正統性)−mesruiyet”が良く話題になる。

トルコも、クーデターに近いやり方でオスマン帝国を倒して共和国を樹立させたから、正統性の確立には苦労したようだ。アタテュルクが霊廟に祀られ、徹底した礼讃教育が行われているのも、その為じゃないかと思う。

非常に敬虔なムスリムで、強固なAKP支持者の友人は、小学生の頃、教科書に「アタテュルクは死なない」と書かれていた為、疑問に感じて、やはり敬虔なムスリムである父親に、その部分を示したところ、父親は彼の手から教科書を取り上げ、「こんな教科書を読んではいかん」と言って、その教科書をずたずたに破り捨ててしまったそうだ。

しかし、彼は今、アタテュルクを“建国の父”として認めている。「もう少し大きくなっていれば、“アタテュルクは死なない”というのは、“アタテュルクが樹立した共和国は不滅だ”という意味に理解できただろう。あれは教育のやり方が間違っていた」と言うのである。

過剰な礼賛教育は既に不要と主張しながら、トルコ共和国の正統性まで糺すつもりはないようだ。「“私たちのアタテュルク”を、まるで自分たちだけのアタテュルクにしてしまうのは良くない」と言い、次のように説明していた。

「アタテュルクも人間だから間違いはあったけれど、私たちはもう、その間違いについては口を閉ざして何も言わないことにした。私たちは、アタテュルクの功績だけを称えている。ところが、彼らはアタテュルクの間違いまで喧伝しようとする。そこが違う」

こういう所は、韓国の人たちに比べると遥かに柔軟であるような気がする。



7月14日 (日)  ジュムフリエト・メイハーネスィ

昨夕は、久しぶりにベイオール街のメイハーネ(居酒屋)でラクを飲んだ。楽しい集い、楽しい酒だった。

ラマダン中ではあるものの、この辺りにはメイハーネ(居酒屋)が立ち並び、何処も賑わっていて、気兼ねなく飲める。私はイスラム教徒じゃないので、ラマダンになれば周囲に一定の配慮はしても、後は普段どおり。

敬虔なムスリムの友人は、「居酒屋などで“アダム・ギビ(真っ当に)”飲んでいる人に、私たちは何の不愉快も感じていないから心配しないで・・・」と言ってくれたけれど、確かにその通りだと安心した。

AKP政権になってから、飲食店でアルコールを提供する為の許可証が取り難くなり、そのうち特定の繁華街に行かなければ飲めなくなってしまうかもしれないという声も聞かれるが、考えてみたら、私は今までも、ベイオールやベシクタシュ、カドゥキョイといった“特定の繁華街”でしか飲んでいなかったような気もする。

料理が美味しくて、雰囲気も良い店は、大概、その辺りにあるからだろう。昨夕のメイハーネ(居酒屋)も、そんな店の一つ。1923年、共和国が樹立された際に、“ジュムフリエト(共和国)”と命名されたものの、居酒屋自体はそれ以前からあったそうだ。つまりオスマン帝国時代に遡る歴史があるらしい。

昨夕、私たちが座った席は、“アタテュルクのテーブル”と呼ばれていて、アタテュルクはここに座ってラクを飲んでいたという話が伝わっている。その為、時計はアタテュルクが亡くなった時間で止まったままだ。

Cumhuriyet meyhanesi
http://www.tarihicumhuriyetmeyhanesi.com.tr/

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