Diary 2013. 6
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6月1日 (土)  餃子は中国式、催涙弾は韓国製?

今日、ヨーロッパ側新市街の中心タクシムにある韓国料理屋に、イズミルから出て来ている崔(チェ)さんを訪ねたら、周囲は騒然とした状態だった。

タクシムの広場に隣接する“ゲズィ公園”という緑地が取り壊され、跡地にショッピング・モールを備えた大きな建造物が作られることになり、これに抗議する人々が、数日前から公園に立て篭もっていた。

そして、昨日、人々を排除しようとした警官隊が催涙弾を発射して大騒ぎになり、これをニュースが大々的に報じていた。今日は、抗議活動を支援する5千人以上の人たちが、一斉にタクシム広場に向かって歩き始めていたらしい。

その為、多くの交通機関がストップしていて、私もタクシムに行くため、ドラップデレという所から、15分ぐらい歩かされたが、こちらの方は割と静かで、広場近くの韓国料理屋まで、難なく辿り着くことができた。

しかし、着くと間もなく、行進してきた抗議グループがいよいよ公園に迫り、バリケードを壊して、中へ突入し始めたので、私も野次馬根性を抑えがたくなり、カメラを持って見に行ったところ、警官隊がまた催涙弾を発射したらしく、公園に突入していた人たちが、一斉に逃げ出し始めた。

87年のソウルでは、何度も催涙弾付きの衝突に居合わせたから、『このぐらいは未だ大丈夫』と、暫く様子を見ていたけれど、そのうち目を開けているのも辛くなって来たため、韓国料理屋に戻った。

戻ったら、食卓に餃子(マンドゥ)が出て来て、私も御馳走になったが、韓国のマンドゥとは違うような気がして、崔さんの奥さんに訊くと、「調理しているのが、中国から来た朝鮮族の人でしょ。餃子も中国式みたいね」と説明してくれた。

マンドゥを食べていると、窓の外には、退却し始めた抗議グループの人たちが見える。崔さんは、「なんという腰抜けだ。前進しろ、突っ込め!」と愉快そうに吼えた。実際、87年のソウルだったら、もっと激しい衝突になっていただろう。トルコでも、70〜80年代のデモは凄かったらしいが・・・。

しかし、催涙ガスが料理屋の中にも漂ってきて、崔さんは頻りにくしゃみする。奥さんは、「あの催涙弾は、韓国から輸入しているんだってね。韓国製なのよ」と笑っていた。

暫くすると、抗議グループの人たちが、再び公園に向かって歩き始めた。少し前に、エルドアン首相が警官隊に撤退を命じたという報道があったらしい。

マンドゥを食べ終わると、私は性懲りもなく、また様子を見に行った。公園と広場は、“勝利”を祝う人たちでごった返していた。公園の方へ、柵を乗り越えて入ろうとしている若者たちが見えたので、私もその後に続いたら、同志だと思われたのか、手を差し伸べて引き上げてくれた。振り返ると、20歳ぐらいの綺麗な女性が手を差し出しているのが見えたから、今度は私が引き上げてやった。お陰で3年ぐらい若返ったと思う。

さて、これからどうなるだろう? ショッピング・モールの誕生には、広場周辺の商店主の中にも、反対している人が少なくなかったけれど、当初、「公園の緑を守れ!」という抗議活動には、「私らの声は聞かないで、樹の声を聞くのか?」と不快感を表していた。

トルコでは、もう10年に亘って、イスラム的と言われるAKP政権に抗議する左派知識人らがデモを起こす度に、「暇があって結構な人たちだ」とこれを冷ややかな目で見る民衆が、さらにAKPの支持に回るという皮肉な現象が続いていた。

しかし、今回は、当初、抗議活動に不快感を表していた人々も、催涙弾の発射を“やり過ぎ”と感じたのではないだろうか。これを機に、予てから不満に思っていた“ショッピング・モール”に対して、抗議に加わってくるかもしれない。

ただ、エルドアン首相が、警官隊の撤退を決断したことには、一定の評価を下す人も少なくないはずだ。願わくは、建設計画からも撤退して、公園を残してくれたらと思う。

来年のイスタンブール市長選挙はどうなるだろう? そして、2020年のオリンピックは? 何だか、東京に続いて、イスタンブールも自殺点を叩き出してしまったように見えるが・・・。

私も今日一日振り返ると、中国式の餃子は美味しかったが、韓国製の催涙弾はとても苦かった。もう二度と味わいたくない。


動画
https://www.facebook.com/photo.php?v=10200907153617803&set=vb.1134094593&type=2&theater

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6月2日 (日)  戦いすんで一夜明けて

今朝、いつも通りに、オスマンベイの“韓人教会”に出かけたら、ミサはとっくに終わっていた。今日も、タクシムでデモが予想されていたため、2時間ほど早く始めたそうだ。

せっかくヨーロッパ側まで出て来たのに、そのまま帰ってもしょうがないから、雨が降る中、ぶらぶらとタクシムまで歩いて行った。

昨日、大騒ぎになっていた広場と公園は、雨も降っていた所為か、それほど混雑もなく静かで、デモが起こるような気配はなかった。

公園では、抗議活動のメンバーと思われる若者たちが、殊勝にも、清掃に精を出していた。メーデーなどでも、「労働者の何とか〜」と叫んで大騒ぎした挙句、ゴミを散らかしたまま帰って、いつも非難されていたから、なんとか名誉挽回に努めていたようだ。

しかし、ゴミ袋を運び出すのに、たくさんのメンバーを並べて手渡しリレーでは、なんとも気合が入らないように見えた。ゴミ袋を担いで行けば良いじゃないか。どうも楽をしたがるから困る。

広場では、昨日の騒動で破壊された警察の車両を囲んで記念写真を撮っている連中もいた。

イスティックラル通りに入ると、銀行のATMが至る所で破壊されている。デモに便乗した不良の仕業と思われるが、人々はこれを見て何と思うだろう。所々、商店の窓ガラスも投石で穴が開いていた。

今回の抗議デモ、MHP(民族主義行動党)のような右派からも参加者があったと報道されていたけれど、やはり左派政党支持者が圧倒的に多かったように思える。左派政党は、国政選挙で、大概20%ぐらいの得票率しか取っていない。“民衆の抗議運動”とは言い難いのではないか。

与党AKPも50%ほどの得票率で、微妙なバランスの上に乗っかっているから、選挙による政権の交代は充分可能なはずだが、その為には、大多数を占める中道右派支持層の心を掴まなければならないと思う。

この人たちは、それこそ額に汗して働く労働者であったり、なかなか休日も取れない中小の自営業者だったりして、公園の樹木などには余り関心がない。酒もそれほど飲む人は多くないから、酒類販売の規制にも抵抗は少ない。かなりの人たちが、今回の抗議デモを冷ややかな目で見ていただろう。デモによって営業を妨害された自営業者は尚更である。

昨日、警官隊の撤退を決断したエルドアン首相は、さらに「ショッピング・モールは決定事項ではない。まだ話し合いの余地がある」として、早くもショッピング・モールについては譲歩を見せた。

ショッピング・モールは、一部の自営業者にとって死活問題となるから、左派政党支持者もこれに焦点を合わせて、抗議活動すれば良かった。他にも、工事期間中の休業補償であるとか、いろいろ突っ込める問題はあったと思う。

それなのに「公園の樹木を守ろう」では、「私らの生活はどうでも良いのか?」と気分を悪くした人もいたに違いない。

抗議デモは未だ終結していないし、今後の政府の対応を見ないことには、何とも言えないが、この騒動で最もポイントを稼ぐのは、またもやエルドアン首相になってしまうかもしれない。

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6月3日 (月)  騒乱はもうたくさん

一昨日の土曜日、タクシム広場から警官隊が撤退して一段落ついた後、やはり気になったのか、広場まで様子を見に行った崔さんは、韓国料理店に戻って来ると、「あいつらはデモのやり方も解っていないのか」と呆れていた。

「広場を占拠したら、直ぐ仮設の舞台を用意して、代表者がメッセージを発信しなければならない。いったい何のためにデモをやったんだ」

これに、料理店の実質上の経営者である奥さんも相槌を打って、「韓国の民主化デモの時は、周囲の商店の人たちが炊き出しやったりして、デモを応援したもんだけど、この人たちは店の椅子に勝手に座ってゴミ散らかして、何か出して上げる気にもなれないわよ」と言う。

抗議デモのグループには、TKP(トルコ共産党)の旗が目立っていたが、果たしてどのくらい主導権を持っていたんだろうか。メッセージを発信できる“代表者”なんて何処にもいなかったかもしれない。

ところで、93年頃からの付き合いである崔さん。彼の犬食嫌いにも、先月、やっと気がついて驚いたが、学生時代にデモやっていたというのは、これまた新しい発見だった。考えてみたら、私より二つ年上の崔さんが、韓国の民主化闘争を経験して来なかったはずがない。

韓国料理店は、外にも何席か設けてあって、抗議デモの人たちは、ここに勝手に座っていたわけだが、ちょっと話しかけて見ると、「貴方は日本人なんですか?」と嬉しそうに応じてきた。

しかし、「日本だったら、エルドアンみたいな政治家はとっくに辞任しているでしょ?」と訊かれて、「いやあ、エルドアン氏に日本の首相になってもらいたいくらいですよ」と答えたら、表情ががらっと変わった。

それから少し問答が続いたけれど、私が彼らの思想に賛同していないと明らかになったら、一人を残して、皆、何処かへ立ち去ってしまった。残った男は、「ここはビールを売っていないのか?」と言い出し、ビールを持って来させると、黙って一人で飲み始めた。

あそこで、何故、ビールを飲みたくなったのか良く解らない。よっぽど苛立ったのかもしれない。あまり美味いビールじゃなかったと思う。まさか、私がエルドアン氏の肩を持ったものだから、『こいつもイスラムに違いない?』とでも考えたのだろうか?

この手の左派・政教分離主義者の中には、時々、『まさか』という発想の人がいて驚く。5月1日のメーデーで出会った人が、「PKKのオジャランは賢いが、エルドアンは愚かだ」と言うので、「何故?」と訊いたら、「エルドアンは宗教を信じているんだよ」と答えた。

こんな人の話は聞かなかったことにして、放っておくべきなのかもしれないが、教員組合のグループの中にいたのだから、彼もおそらく教員だったのだろう。決して教育のない人ではなかったはずだ。

同じく教育のあるイスラム的な人たちは、少なくともこちらの異見を聞いてくれる場合が多い。しかし、左派・政教分離主義者の中には、異見に対して全く忍耐のない人がかなりいるので驚いてしまう。

ある政教分離主義者の友人は、「我々が民衆を引っ張る機関車の役割を果たさなければならない」と良く語っていた。彼らの“政教分離主義”とは、脱宗教であり、つまり『宗教を信じる無知蒙昧の民を、我々宗教を棄てたエリートが導かなければならない』と考えていたらしい。

一部の政教分離主義者が、2007年まで、いざとなれば、軍が非民主的な手段で、イスラム的なAKP政権を転覆できると信じていたのは事実だろう。そのぐらい、自分たちは一段高いところに立っていると思っていた人たちが、今、逆の立場に追い込まれて、必死に抗議デモを敢行している。

今日のミリエト紙のコラムで、アスル・アイドゥンタシュバシュ氏は、タクシム広場がタハリール広場になる可能性は無く、今後、「・・・トルコの得票率に大きな変化があると期待するのは、革命のロマンティズムに過ぎない」と述べ、現在、抗議デモに加わっている人たちの多くは、「・・・政権から疎外され、罰せられたと感じている“都市住民、政教分離主義者、中流層”」であると明らかにしていた。

しかし、今は疎外されているかもしれないが、数年前までは“エリート層”であると自覚していただろうし、相変わらず生活水準は高く、暇も多い。民衆から同情されるような立場じゃないと思う。

このエリート意識を持った、余り異見に耳を傾けない人たちを、政府は何とか説得しなければならなくなってしまった。これ以上、催涙弾で制圧するのは不可能だろう。

かつて、イスラム的な人たちは、もっと忍耐強く、こちらの話を聞いてくれたけれど、それは、政教分離主義者がエリート層を占める社会で、仕方なく身についてしまった術だったかもしれない。政権について以来、彼らも急速に忍耐を失っているような気がする。ついには限度を超えて催涙弾をぶっ放すに至った。

どうか、かつての忍耐を思い出して譲歩し、説得に努めて欲しい。騒乱はもうたくさんです。



6月5日 (水)  騒動の行方

フェトフッラー教団は、“クルド和平交渉”などで、AKP政権(特にエルドアン首相)との齟齬が取り沙汰されていたけれど、今回の騒動でも政権の対応を厳しく非難したりして、いよいよ対立が鮮明になって来たような気がして興味深い。

一説によれば、この対立は、政治や宗教信条の違いと言うより、もっと利害関係に関わるものであるらしい。

あるジャーナリストは、教団に対して、「文句があるなら、自分たちも政党を作ったら良いだろう」と書いていたが、思わず『そこまで言うのか?』とのけぞってしまった。

どちらの言い分が正しいのか解らないけれど、お互いに功績を認め合って、もう少し穏やかに袂を分かてば良いのではないだろうか。

折りしも、教団の支援によると言われている“国際トルコ語オリンピック(トルコ語による弁論等の大会)”が始まっている。教団が、生臭い政治の世界に立ち入らず、こういった文化活動に邁進してくれたらと願いたい。

さて、騒動の行方はどうなるだろう? 昨日も、出先からの帰途に、タクシム広場へ寄ってみたら、公園では、人々が楽しそうに輪になって踊っていた。でも踊りに飽きたら引き上げてくれるわけじゃない。建設工事を始めるのは難しいのではないか。

エルドアン首相も、ショッピングモールで譲歩したまでは良かったものの、建造物の建設には固執し、またもや緊張を煽るような強硬発言を繰り返して、与党支持者からも批判の声が出ている。

まあ、建設計画には巨額が動いているだろうから、今更、中止するのも大変かもしれないが、暫くこちらは棚上げして、今進められている地下道路の工事を早く再開し終わらせてもらいたいと思う。工事が長引いて周囲の商店等は皆迷惑している。

抗議デモの人たちも、「エルドアンが辞任するまで止めない」なんて言うのは勘弁して欲しい。

かつて日本でも、一部の知識人は、田中角栄に我慢がならなかったそうだけれど、同様に、彼らもエルドアンに我慢がならないらしい。しかし、人々が角さんやエルドアン首相を慕ってやまない理由も同じところにあるような気がする。宗教的信条などは二の次だろう。

昨日は、帰りのバスの中でも、ちょっとした出来事があった。

自動車専用道路で渋滞に嵌ったバスを、他の車が、緊急車両通過用の路側帯から、どんどん追い抜いて行く。すると、乗客の3〜4人の男たちが、大きな声で文句を言い始めた。

「おい、運転手。なんで路側帯を通らないんだ!」
「何を言うんですか? 私に交通違反しろと言うんですか? 路側帯を通るのは禁じられています!」
「じゃあ、追い抜いて行く車は何なんだ? おい見ろ、同じ市バスにも抜かれたぞ! 規則を守っているのは、お前だけじゃないか!」

それでも、運転手さんが態度を変えることは無く、バスは渋滞の中をそのままのろのろと進んで行った。

私は日本で、1年ほど長距離トラックの運転手もやったけれど、その間、路側帯を走る同業プロドライバーは、まず見たことがなかった。これは何も遵法精神の為じゃない。路側帯も塞いで緊急車両の通過を妨げたら、自分たちが困るだけだ。だからやらない。

トルコでは、プロドライバーも平気で路側帯を走るから呆れてしまう。こうして、色んな業種のプロが、同様に不正を働くから、当然、政治家も不正を働くのだろう。

政権の不正は、何もAKPに始まったわけじゃない。アタテュルクが創設した現第一野党のCHPは、やはりアタテュルクの指示によって設立されたイシ銀行の株主になっているから、資金調達も楽だったのではないかと思うが、こんなのは構造的な不正であるような気もする。

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6月6日 (木)  金鍾泌氏と『千の風になって』

エルドアン首相には、これまでの業績が正当に評価されていないという苛立ちがあるのではないかと指摘する識者がいる。

何か新しいことを始めた人たちは、大概の場合、直ぐには正当な評価を得られないのかもしれない。オザル大統領もそうだった。

韓国では、“漢江の奇跡”を実現させた朴大統領や金鍾泌首相が、長い間批判され続けている。

韓国“中央日報”の日本語版に、以下のような記事が出ていた。日付を見ると、2011年5月16日となっていて、一昨年の記事であるようだ。

5・16クーデター50周年:金鍾泌氏インタビュー
http://japanese.joins.com/article/969/139969.html?servcode=400

とても興味深い記事だと思った。特に、(4)の最後の部分。金鍾泌氏は、記者の質問に答えて、以下のように語っている。

−−総理には風雲児という言葉が付いているが。
「風雲児とは…。風雲は風と雲という意味だが。日本では『千の風になって』という歌が流行したが、こういう一節がある。私のお墓の前で泣かないでください/そこに私はいません眠ってなんかいません/千の風になってあの大きな空を吹きわたっています…。人生であれ革命であれ頑張って生きて、人にすべて渡して空になって行ってしまうのだ」

『千の風になって』という歌は、2006年頃に流行ったようだが、私は良く知らない。題名を見て、有名なアニメーションの主題歌かと思ってしまったくらいだ。金鍾泌氏は、こんな歌まで良く知っているものだと、まずこの辺が面白く感じられた。もちろん、話の内容も金鍾泌氏の凄まじい生き様が語られていて迫力がある。

韓国語の原文では、どうなっているのか気になって探してみた。以下のブログに全文が掲載されている。

http://blog.daum.net/haj4062/15724039

『千の風になって』という歌について語る部分、原文を読むとちょっと違う。金鍾泌氏は、自分の記憶の中にある歌詞のイメージで語ったようだが、日本語訳した人が、『千の風になって』の正しい歌詞をそのまま記してしまったらしい。

原文通りに訳せば、以下のようになる。歌詞に続く部分も少し変えてみた。

「・・・こういう一節がある。死んだら墓碑を立てないでくれ/墓碑から私の魂は抜け出た/私は千の霊魂となって宇宙を飛び回るだけだ。人生にせよ革命にせよ、一生懸命に生き、他人に全てを渡し、抜け殻となって去るのだ」

しかし、金鍾泌氏は、簡単に“抜け殻”になって去るつもりはないようだ。記事にも、脳梗塞で倒れた後、懸命のリハビリで回復したとあるが、この記事が書かれた一昨年の段階では、まだ完全な回復には至ってなかっただろう。

つい2ヶ月ぐらい前のニュースで、金鍾泌氏が、脳梗塞で倒れて以来、4年半ぶりに公式の場に姿を現し、日本の大使と懇談したと報道されていた。その時点でも、まだリハビリを継続していることが伝えられている。87歳というのに、正しく不屈の闘志で、感嘆に堪えない。偉い人は何処までも偉いのかと、ため息が出てしまう。

もちろん、エルドアン首相も、そう簡単に、抜け殻となって去るわけには行かないだろう。作家・エコノミストのアレヴ・アラトゥル氏は、「未だ隠居する歳じゃない。大統領になって、もっと働いてもらわなければ・・・」と語っていた。


日韓基本条約 7/7−金鍾泌氏
http://www.youtube.com/watch?v=qWnREfKGYhM



6月7日 (金)  “白いトルコ人”と“声無き民衆”

作家のアレヴ・アラトゥル氏は、今年になって「ベヤズテュルクレル・キュストゥ(白いトルコ人はむくれている−?)」という著作を上梓している。

“白いトルコ人”というのは、西欧的な生活スタイルを身につけたエリート層を指す造語で、AKP政権に対してむくれている旧エリートらをテーマにした小説らしい。

どんな話か、ちょっと読んでみようかと思っているうちに、“白いトルコ人”は、とうとう怒りを爆発させてしまったようだ。

2週間ほど前、市内の大学に、宗教教育学の先生を訪ねて来たが、彼は雑談の中で、不機嫌な“白いトルコ人”について、次のように話して笑っていた。

「例えばね、行儀の悪い猫を叩いて叩いて追い詰め過ぎると、ついには歯向かって噛み付いたりするじゃないですか、私たちは最近それを恐れているんですよ」

そして、10日も経たないうちに、これは現実となってしまい、軽口を叩いているどころではなくなった。

しかし、日曜日にタクシム周辺を歩いて以来、私は別のことを恐れ始めている。

あの日、店を汚されて一生懸命掃除していた人たちは、明らかに怒っていたが、彼らの多くは表現の手段を持っていないから、黙って堪えるよりなかっただろう。

翌日、保守的な黒海地方のユンエで教員を務めている友人に、電話して話を聞いたら、「いや、我々50%側の人間は、常識というものを弁えていますから、デモなんてやらないし、デモやっている人たちと衝突することもありません。ご心配なく・・」と楽観していた。

ところが、昨晩、外遊先から戻ったエルドアン首相をアタテュルク空港に出迎えた人々の様子はどうだっただろう? 夜中の1時を過ぎていると言うのに、まるで凱旋将軍を迎えるような熱気に包まれていた。

エルドアン首相が、デモには屈しないと強気な態度を崩さなかったため、彼らは安心して家路についたみたいだが、彼らを送るため、市の交通局が地下鉄の臨時便を走らせるという“とんでもないおまけ”も付いていた。

今日は、近所のジャー・ケバブ屋さんで昼飯を食べながら、この店の人たちにも話を聞いてみた。

「あんなデモやっている連中は、国民の10%も代表していない。無駄だよ。何も変わらない。エルドアンの支持者はね・・・」

「50%ですか?」

「違う。もう70%だ。私らはMHP(民族主義行動党)支持者で、AKPに票を入れたことなんてなかったけれど、エルドアンを応援するよ!」

さすがに、多くの識者から批判の声が出ているから、エルドアン首相が、こういった“声無き民衆”を背景に、ますます強気に出ることはないと思う。またそう祈りたい。

しかし、フェースブックにも、抗議デモの人たちを「シャラップチュ(葡萄酒屋?)」、つまり“酒飲み”と呼んで非難する書き込みが見られる。

この社会の大多数を占める保守的な人たちが、怒りを爆発させないまでも、不満を高めて、不機嫌な視線を向けるようになったら、我々“酒飲み”は辛い。私はこれを恐れ始めている。


6月9日 (日)  “人間らしく”飲む?

昨日は、ベイオールにある“アヴェスタ”という出版社の方に呼ばれて出掛けたけれど、せっかくだから、メジディエキョイから歩いて、ゲズィ公園、タクシム広場も通って見た。

公園に集まった人たちは、テントも用意して長期戦の構えだ。相変わらず、歌ったり踊ったりして楽しそうにやっている。

しかし、周囲の商店の中には、渋い顔をしている人たちもいた。客足が途絶えて、売り上げに響くという切実な理由もあるが、公園で、これ見よがしにビールを飲んでいたりするのも不愉快なようだ。

“酒類販売規制の強化”をやり過ぎだと論じていた人まで、「そのぐらい締め付けてやった方が良いのでは・・・」と言い出している。我々“酒飲み”にとっては、こちらの方が切実な問題だろう。

アヴェスタ出版の催しは、1991年、憲兵に謀殺されたヴェダット・アイドゥンというクルド人に関する講演だったが、全てクルド語による講演で、トルコ語の通訳もなかったから、ちょっと困ってしまった。

ただ、講演の模様を撮影している青年が、エロル・ミンタシュという映画監督に良く似ていたので、声を掛けて見たら、彼はエロル氏の弟だそうで、まあ、わざわざ来た甲斐があったかもしれない。

エロル氏とは、昨年の夏、詩人の高橋睦郎さん、作家の澁澤幸子さんとベイオールの居酒屋“ボンジュク”で飲んでいたところ、隣席となって少し話したことがある。こうして縁が出来たから、また何処かで会えるのではないかと期待したい。

講演会場を後にしてから、そのベイオールの居酒屋の辺りにも足を延ばしてみた。未だ5時頃じゃなかったかと思うが、何処の居酒屋も多くの人たちで賑わっていた。

“酒類販売規制の強化”が、予定通り9月以降に実施されたとしても、販売時間が制限されるのは小売店だけで、居酒屋等に営業時間の制限は設けられないようだから、この賑わいが変わることもないと思う。もっと賑わったりして・・・。

今日、あの黒海地方のユンエで教員やっている友人から電話があったので、「これから、“酒飲み”が白い目で見られるようになりはしないかと心配です」と訊いてみた。

友人は敬虔なムスリムで、もちろん酒は飲まないが、この問いに、「居酒屋などで“人間らしく”飲んでいる人に、私たちは何の不愉快も感じていないから心配しないで・・」と笑って答えてくれた。

“人間らしく”は、“アダム・ギビ”というトルコ語の訳だけれど、この“アダム・ギビ”は、いつも何と訳して良いのか困ってしまう。

トルコのツボルグ・ビールは、最近、「“アダム・ギビ”ビール!」と宣伝している。これを“人間らしいビール”とは訳せない。“真っ当な”“堂々とした”という意味になるんだろうか?

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6月10日 (月)  大丈夫か?

昨年、トルコ人の知人と飲んでいたら、彼がこんなことを言う。

「トルコの建設会社の施工技術は、もう先進国に引けをとらない。だから、設計の面で先進国に協力してもらえれば、施工は我々だけで出来る」

トルコの建設業界は、周辺国からたくさんの工事を受注して、華々しい展開を見せているから、多くのトルコの人たちが、同様の自信を持ち始めているようだ。

でも、トルコの施工技術は、実際、そんな高いレベルなんだろうか? 私には全く解らない分野だけれど、イスタンブール市内で進められている様々な工事の模様を見ていても、何だか疑わしい気がする。

例えば、今、抗議デモが行われているタクシム広場の工事。道路を地下化させるだけで、それほど難しい工事にも思えないが、全ての交通を遮断し、上から掘り返して進めていた。他の地下鉄工事なども同様である。だから、工事が始まるたびに、市内の交通が麻痺して大騒ぎになる。

日本では、随分昔から、地下鉄の工事で、交通を全面的に閉鎖したりしていなかったように思う。いつの間にか、地下で工事が進んでいて、いつの間にか終わっていた。

最近、東急東横線渋谷駅の地下化が話題になっていたけれど、代官山で新線と旧線を切り替える作業を、施工会社は電車の運行を全く妨げることなく、4時間で終わらせてしまったそうだ。こういうのを“施工技術”と言うんじゃないだろうか?

トルコでは、かなり優秀な人でも、ある程度の目標に達すると、それに満足してしまい、精進を止めてしまう場合が多いように思えてならない。

目標すら定まっていない私如きの愚物が言っても始まらないが、日本で世に出るような人たちは、大概、一定の目標に満足せず、あくなき精進を続けていると思う。イチロー選手が全ての記録を“通過点”と言うように・・・

知人は、あの程度の“施工技術”でも、「先進国レベル」と言って満足していた。施工技術に限らず、民主主義でも何でも、少し前進するとそれで満足してしまう。この体たらくで、これからも長期的な経済発展が維持出来るのか心配になる。

今回の抗議デモ騒動、日本の安保闘争もこんな感じだったのかどうか、私には解らない。 でも、あの頃の日本は、デモばかりでなく、あらゆる分野でもっとエネルギーを燃やしていたような気がする。だから、経済も凄い勢いで発展していたし、多少の騒乱があっても堪えられる体力を持っていたのではないか。

今のトルコにその体力があるのだろうか? 抗議デモ側も政権側も、良く考えてもらわないと、騒ぎを続けている間に経済が失速して沈没してしまうかもしれないと危惧するトルコ人の識者も少なくない。

しかし、抗議デモ側に、民主主義など主張する資格は殆どないと思う。彼らの中には、騒乱が続けば、軍がクーデターを起こして、AKP政権を排除してくれるのではないかと、未だに期待している連中がいる。

「AKPが政権を取れたのはアメリカのお陰だ。しかし、AKPは最近アメリカの言うことを聞かなくなったから、もう切り捨てられる」という陰謀説を開陳した左派CHP支持のトルコ人がいた。こういう怪しげな陰謀説はどうでも良いけれど、これに期待して喜んでいる男の顔を見たら唖然としてしまった。

彼は、AKPとアメリカから、アタテュルクの国を守りたかったわけじゃないらしい。自分がそれまで主張して来た薄っぺらい思想の正当性と僅かばかりの権益を守りたかっただけではないのかと疑う。

政権側も、来週、AKP支持者のミーティングを挙行すると発表したが、デモにはデモで対抗するつもりなんだろうか? こちらの民主主義も随分お粗末であるような気がする。



大変な大工事・・・
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2012&m=11

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6月11日 (火)  陰謀説

今回の騒動、「樹木を守ろう」と言って、公園に立て篭もっていた人たちを、警官隊が放水車と催涙弾で、それも未明に奇襲するような手を使って排除しようとしたのが発端だった。これには、政治や宗教的な信条を異にする多くの人たちが反発を示した。

警官隊が、何故、あんなに焦って人々を排除しようとしたのか、良く解らない。プロジェクトの一環である道路地下化の工事も、トルコにしては珍しく凄い速さで進んでいた。何か工事を早く終わらせなければならない事情でもあったのだろうか?

そして、6月1日の土曜日、5千人以上と言われる抗議デモの人たちが公園に向かって行進し、警官隊を撤退させて、公園とタクシム広場を占拠した。

これには、左派・政教分離主義者のグループの他にも、右派MHP(民族主義行動党)の支持者など、色んなグループが参加していたと言われる。しかし、抗議デモに便乗した不良グループが銀行のATMを破壊、略奪したりして、一般市民の反感が高まると、MHP支持者は、バフチェリ総裁の意を受けて、デモから離れたようだ。

広場に残った若者たちの中には、特に支持政党を持たないノンポリも少なくないらしい。その後、サッカーチームのサポーターなども集まってきて、様相はますます不明瞭になってしまった。

AKP政権側は、アルンチ副首相が、警官隊の行き過ぎた行為を謝罪したりして事態の沈静化に努めたけれど、エルドアン首相は強硬な姿勢を崩さず、緊張した状態が続いている。

今日、6月11日のザマン紙で、コラムニストのミュムタゼル・テュルコネ氏は、これを“コントロールされた緊張”であると解説していた。エルドアン首相は、強硬な姿勢で、党内と支持層の結束を図りつつ、副首相らに緊張を和らげる役を任せているのだと言う。先週、AKPの党員やっている友人を訪ねたが、彼もこれを「良い刑事と悪い刑事」に例えて説明していた。

エルドアン首相が強硬な姿勢を見せているのは、ノンポリの若者や「樹木を守ろう」と言う人々ではなく、左派・政教分離主義者らに対してだと言われている。彼らは、エルドアン首相の辞任を要求しているのだから、当然かもしれないが・・・。

こういった左派の中には、2007年、ギュル氏の大統領選出に反対して、軍部にクーデターを呼びかけた人たちもいる。今回の騒動でも、ネットを検索して見たら、「将軍は寝ているのか! 職務につけ!(“クーデターを起こせ”という意味だが、軍の職務はクーデターなんだろうか?)」なんていう書き込みがあった。

ラディカルな共産主義者を除けば、トルコの中道左派は、かつての体制派と言って良いのではないかと思う。体制側の人が左派であるのは奇妙かもしれないが、彼らによれば、アタテュルクの革命は未だ完了しておらず、共和国は革命体制ということになるらしい。しかし、革命も90年続けたら腐ってしまうような気がする。

この人たちは、民主的な選挙でAKP政権を覆そうと努力せずに、軍のクーデターを望んだり、今回のような騒動に乗じて気勢を上げたり、そんなことばかりしている。「選挙では、愚かな大衆がAKPに投票してしまうから勝てない」などと平気で言う。いったい「お前たちは馬鹿だ」と言われて気を悪くしない民衆が世界の何処にいるだろう? 

さて、「アメリカの言うことを聞かなくなったAKPは切り捨てられる」という陰謀説だけれど、これは2年ぐらい前に聞いた話で、以下のようなストーリーだった。

「反米的な福祉党から袂を分かって創設されたAKPは、政権を取るに当たって、アメリカとの関係を築くため、親米的なフェトフッラー教団の協力を仰いだ。政権の基盤が固まって図に乗ったAKPは、アメリカの言うことを余り聞かなくなると同時に、教団とも距離を置き始めた。この為、AKPに見切りをつけた教団は、左派CHPに接近、選挙協力して政権を取らせる・・・」

この手の陰謀説は、殆どの場合、何の根拠もないから、聞き流せば良いだけの話だが、これを語ってくれた左派のCHP支持者は、陰謀に期待して喜んでいた。それまで彼は、AKPとフェトフッラー教団を“アメリカの手先”“売国奴”と詰りつけていたのに、CHPが売国するのは一向に構わないらしい。

もちろん、左派・政教分離主義者やCHP支持者の中には、思想的に真面目な人もたくさんいる。でも、以下の記事に出てくるような「宗教を棄てたふりだけしていた人」も少なくなかったのだろう。

【100】宗教を遠ざけてきたトルコの知識人【ラディカル紙】【2004.11.23】
http://neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00100.html

ところで、昨日、CHPに近いとされるジュムヒュリエト紙には、フェトフッラー師がエルドアン首相を非難している論説が掲載されていた。まさかねえ・・・。

しかし、陰謀とまでは行かなくても、最近、トルコが北イラクのクルド自治区に進出しているのを快く思っていないとされるアメリカが、タクシム広場の騒乱に乗じて、『トルコの野郎、近頃増長しているな。少し苛めてやれ』とメディア等を使って掻き回そうとしている可能性はあるかもしれない。

今日も、タクシム広場では、ちょっとした衝突があったそうだ。トルコの人たちは、バランスを取るのが巧いから、何処か適当な落としどころを見つけてくれるのではないかと祈っているが、暫くは、この騒動から目が離せそうもない。


ザマン紙のコラム記事(トルコ語原文)

http://www.zaman.com.tr/mumtazer-turkone/kontrollu-gerginlik_2099240.html

http://www.zaman.com.tr/mumtazer-turkone/erdogan-bir-diktator-mu_2098621.html

http://www.zaman.com.tr/etyen-mahcupyan/ergenligin-hazin-siyaseti_2098617.html



6月12日 (水)  フェトフッラー師の論述

一昨日のジュムヒュリエト紙に掲載されたフェトフッラー師の論述、元はフェトフッラー師のウエブサイトに掲載された記事らしい。

昨日は、ジュムヒュリエト紙の“独裁政権を作るな”という見出しと最後の部分だけ読んで、そうなのかと思ってしまったけれど、改めて読んで見ると、何だかそうとも言い切れないような気がして来た。

まず、エルドアン首相を名指しにはしていない。難解な文章で、抽象的な表現に終始しているから、私には、何処がエルドアン首相に対する批判なのか良く解らなかった。

この記事、ジュムヒュリエト紙ばかりでなく、エルドアン首相に批判的な多くのメディアが、“フェトフッラー師がエルドアン首相を批判”という趣旨の見出しを付けて掲載していた。しかし、“フェトフッラー師がデモ隊に反発”という見出しを付けたメディアもある。

ザマン紙には掲載されていなかった。ザマン紙を見ると、エルドアン首相を擁護しているコラムニストも少なくない。

さて、騒動の経過だが、昨晩は、極左の過激な抗議グループが、タクシム広場で警官隊と激しい衝突を繰り返したらしい。しかし、公園に立て篭もっている人たちは、広場のグループと距離を保って、最後まで冷静に行動し、政権側との話し合いによる解決に希望を残したそうだ。


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