Diary 2013. 2
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2月2日 (土)  「50年前は誰も知らなかったのに、今は皆が知っているもの」

先日、市内のレストランで昼飯を食べていたら、店内のテレビで「クイズ百人に聞きました」みたいな番組をやっていた。

「50年前は誰も知らなかったのに、今は皆が知っているもの」という設問に出場者が「インターネット」と答え、果たして同じ回答があったかどうかパネルが開けられると、「インターネット」は3番目にランクされていた。

私は「携帯じゃないのか?」と思いながら続きを見ていると、次の出場者が「携帯」と答えて、これが百人の最多回答。私の発想は、トルコの人たちの平均に近いらしい。

あとは、4〜5番目がパソコンにDVDで、2番目は“リモコン”。何というか、楽チンなことが特に大好きなトルコの人たちの傾向が良く出た順位のように思えてしまった。もちろん、楽なことは世界中の誰もが好きだろうけれど・・・

ネットで調べたところ、「クイズ百人に聞きました」は、アメリカで放映されている“Family Feud”という番組が元になっているそうだ。それで、次に“Family Feud”でトルコ語の検索を掛けてみたら、以下の番組が見つかった。

Aile Boyu
http://www.youtube.com/watch?v=lX4-vFu-z_M

でも、これはレストランで見た番組じゃなかった。同じようなクイズ番組がいくつもあるのだろうか?

こちらの番組では、司会者が2人いて、それぞれのチームを応援する趣向になっているらしい。しかし、何だかヒントを出し過ぎているような気がした。

家にテレビがないから良く解らないけれど、トルコでは、どのクイズ番組を観てもヒントを出し過ぎているように思える。

それに、「都会に多いもの」という設問で、百人の回答に出ていたのは“ビルディング”だったのに、「ショッピングモール」と答えても正解になっていた。ちょっと甘すぎじゃないだろうか?

写真は、このネットで見つけた番組の一場面と、「50年前は誰も知らなかったのに、今は皆が知っているもの」がたくさんある販売店の様子。

サターンというドイツに本社がある家電量販店で、現在、トルコに6店舗あるそうだ。このサターンが入っているビルには、デカスロンというフランスのスポーツ用品店もあった。こちらの方が目新しいような気もする。

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2月4日 (月)  人は何のために新聞を買うのか?

最近は、トルコの新聞も殆どインターネットで読むようになってしまったが、昨日、出先で新聞読んで時間を潰そうと思い、街角にあるキヨスクのような店に立ち寄った。

買おうとしたヒュリエト紙が見当たらないので、店の人に訊こうとしたら、隣でやはり新聞を探していた若夫婦の奥さんが、機先を制して「ヒュリエト紙はないんですか?」と訊いた。

店の人が「その下にあるはずです」と他紙の束を指差したので、奥さんがその他紙の束を除けてみると、果たして下からヒュリエト紙が2部だけ出てきた。

当然、残った1部は私が買えるだろうと思って、手を伸ばそうとしたら、その奥さんは2部とも取り上げてしまった。

「すみません。2部お持ちになってますよ」と声を掛けたところ、彼女はケラケラ笑いながら、「私たちクーポン集めているんですよ」と言ってから、はっと気がついたように、「すみません、貴方は読むために新聞買おうとしているんですか?」と問い返した。

「もちろんです」と答えながら、彼女の問いの可笑しさに思わず笑ってしまったら、その若夫婦も店の人も一緒に笑っていた。でも、新聞は普通読むために買うんじゃないだろうか?

結局、残りの1部を私が買って、クーポンは若夫婦へあげることになり、店の人がハサミできれいにクーポンを切り取ってくれた。

しかし、これは日本でもそれほど事情が変わらないような気がする。

先月、「イスタンブールのルムは戻って来るのか?」でお伝えしたシンポジウムの帰り、シャーヒンさんの車で市内まで送ってもらう道中、シャーヒンさんが「日本の新聞の発行部数には、驚くべきものがある」なんて仰ったので、何だか恥ずかしくなり、「でも、殆ど読まないまま包装紙に使っている人もかなりいます」と答えてから、“インテリが書いてヤクザが売る”日本の新聞について説明した。新規契約すると洗剤がもらえるとか・・・。

シャーヒンさんは、日本の新聞の配達制度を御存じなかったようだ。私の説明を聞いて、車中の人たちは「それならクーポンで釣っているトルコと変わらないじゃないか」と大笑いだった。

*写真は今日のヒュリエト紙。何故か、お色気満載の付録が必ずついてくる。写真中の左隅に見えるのがクーポン。写真右は、求人や不動産売買等の広告欄。ヒュリエト紙は、この広告欄がとても充実している。

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2月6日 (水)  魚とヨーグルトは食い合わせが悪い?

一昨日の月曜日、家賃を振り込みにウムラニエまで出た帰り、いつも前を素通りするばかりだった魚料理屋に入ってアジのフライを食べてきた。

ここは魚屋さんが隣でやっている店で、魚以外のメニューは全くないようだ。『さては・・』と思って、飲み物が並んでいる冷蔵庫を覗いたら、やはりアイランが見当たらない。

アイランは、ヨーグルトを薄めた飲料で、トルコには“魚とヨーグルトは食い合わせが悪い”という言い伝えがある。

店の人に「アイランないの?」と訊いたら、「うちは魚屋ですから・・・」ときっぱり。当たり前なことを訊くなという顔つきだった。

数年前、魚も肉もあるレストランで、イワシのフライとアイランを注文したら、若い店員に「魚料理にアイランは出せません」などと御託を並べられ、「君が食べるんじゃないだろう」「貴方の健康のためです」と押し問答の末、やっと持ってきてもらったこともある。

日本の“鰻と梅干”みたいなもので、何が根拠になっているのかさっぱり解らない。

しかし、例外もある。昨年の夏、イズミルのフォチャで、魚のフライにヨーグルトのソースを掛けた名物料理を食べた。フォチャでは、昔からこうやって食べているらしい。もちろん、腹を壊した人などいないそうだ。食い合わせの件について尋ねたら、「新鮮な魚なら問題ありません」と胸を張っていたけれど、クサヤとヨーグルトを一緒に食べても問題はないような気がする。

一昨日は、ウムラニエの店の人にも、フォチャで食べた名物料理を説明した。すると、彼は困った顔しながら、何か言い返さなければと思ったのか、「まあ、魚が新鮮ならば問題ないかもしれません」なんて随分迂闊なことを言う。「それじゃあ、ここは新鮮じゃない魚を売っているの?」と突っ込んでやったら、ますます返答に窮して、ただ「アハハハハ」と笑っていた。

*昨日、フォチャの名物料理を検索してみたところ、以下のサイトが見つかった。“Lezzet Duraklari(美味の停留所?)”。有名な紀行作家のメフメット・ヤシン氏が運営しているらしい。(読むだけでも嬉しくなるグルメ情報満載の素晴らしいサイトですが、残念ながらトルコ語の記述しかありません)

Lezzet Duraklari
http://www.lezzetduragi.net/restaurant.php?tumliste=ok

次のページでは、フォチャの名物料理が紹介されている。

Liman Restoran
http://www.lezzetduragi.net/liman-restoran-yogurtlu-gopez-baligi-r87.html

こちらは“YouTube”の映像。

Yogurtlu Gopez Baligi
http://www.youtube.com/watch?v=yFirWgxo32M

*写真−CNNトルコのサイトより
http://video.cnnturk.com/2012/yeme-icme/8/13/yogurtlu-gopez-nasil-yapilir

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2月8日 (金)  素人のケバブ屋さん?

うちの近所で、昨年の夏頃に開店したジャー・ケバブ専門店、この辺りは住宅があるだけで、人が集まるような場所じゃないから、経営も難しいだろう。

昨年、歩道やら水道管の工事で、そこらじゅう掘り返していた時分は、現場の人たちが食べに来ていたようだけれど、工事が終わって、街は静かになり、店も静かになってしまった。

ジャー・ケバブの本場であるエルズルム出身の家族が経営している。普段は、55〜6歳ぐらいのお父さんと30歳ぐらいの息子で切り盛りしているが、時々、息子の嫁さんに、お父さんの義理兄も来て手伝っている。家族総出は良いけれど、お客さんが3人しか座っていなかったりすると何だか寂しい。

朴訥とした、とても感じの良い人たちで、店の前を通るたびに挨拶されるから、もう少し寄ってあげたい気もするが、さすがにケバブだけのメニューでは、多くても月に2〜3回がいいところである。

先月、ここで食べていたら、食卓の塩容器や楊枝入れといったレストラン用品を扱う会社の営業マンが来ていた。

「うちで各種の香辛料なども取り寄せることが出来ます。ここはスマックを使っていないんですか?」
「スマック?」
「ええ、何処のレストランでも使っていますよ。玉葱にちょっと入れるだけでも味がぐっと良くなります」

お父さんは、スマックを知らなかったようだ。何だかそそっかしい息子夫婦はともかく、お父さんには少なくともレストランで働いた経験ぐらいあるのかと思っていたけれど、スマックも知らないのでは、ちょっと違うような気がして来た。

訊いたら、お父さんの村では、誰でもジャー・ケバブを作るという。それで、見様見真似でレストランの経営に乗り出したらしい。随分思い切ったことをするものである。

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2月10日 (日)  ハンガリー映画「イスタンブール」

先日、DVD屋で偶然「イスタンブール」というハンガリーの映画を見つけた。イスタンブールを舞台に、トルコの有名なシンガーソングライターで俳優でもあるヤヴズ・ビンギョルが出演している。

ハンガリーにはとても興味があるから、躊躇わずに購入して、早速全編を観た。ブダペストで、主人公の中年女性は、突然、大学教授の夫が家を去ってしまい、非常なショックを受ける。そして、ヒッチハイクの旅に出て、イスタンブールまで来てしまう。イスタンブールでは、投宿した安ホテルでトルコ人の技師と知り合い、ちょっとした恋心を覚える。

このトルコ人技師を演じているのがヤヴズ・ビンギョル。私はトルコの歌を余り聴かないので、ヤヴズ・ビンギョルの歌も、ルムの故マリアさんのところで何度か聴いたことがあるくらい。ちょっと渋めのトルコの民謡風な歌で、マリアさんはヤヴズ・ビンギョルが大好きだった。

映画には、ブダペストの街角の風景も出てきて興味深かったが、イスタンブールの街角の描写も、それに劣らず興味深かった。2011年という制作年が信じられないくらいノスタルジックなイスタンブール。特に、トルコ人技師と知り合うホテル・ユルマズラルと周囲の街並み・・・金角湾に面するバラットの街だった。

昔ながらの鯖サンド船も出てくるけれど、あれは何処で撮ったのだろう? 今やエミノニュの鯖サンド船は、テーマパークにあるような金ピカの見世物になっていて、昔の面影はない。あの古い鯖サンド船を探すのは苦労したんじゃないかと思う。

中年女性は、逃避行の末、最果てのアジアまで来てしまう、という設定のようだから、イスタンブールがブダペストより派手な都市だったら困るのかもしれない。しかし、高々人口300万ぐらいのブダペストに比べて、イスタンブールは1千万を越える大都会だからねえ・・・

この中年女性を演じている“Johanna Ter Steege”という女優さん、調べてみたところ、彼女はオランダ人だった。マジャール語が解るという話も記されていない。「えっ?」と驚いたけれど、考えてみたら、彼女がマジャール語を話すのは、冒頭の場面で肉屋と交わす「こんちわ」と「はい」ぐらい。夫に別れを宣告されてから、ヒッチハイクでハンガリーを後にするまでは、ショックで口もきけないということになっていた。しかし、なんでオランダの女優さんを起用したんだろう?

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2月12日 (火)  アヴィセンナ・ウムット病院

昨年の7月に“食生活の改善”を決意して、その後8月には、血圧計も購入した。

血圧を計り始めると、“食生活の改善”が功を奏したのか、当初145辺りを推移していた最高値が、1ヵ月ぐらい後には、一時135辺りまで下がっていた。

血圧計を買う前は、時々薬局などで計ってもらって、大概、150ぐらいだったから、かなり良くなったと安心した。

ところが、11月の中頃から、また上がり始めて、140〜150が出るようになり、年明けの10日だったか久しぶりに計ってみたら、160に達していて驚いた。

雪が降ったりして寒くなった所為かもしれないと思ったけれど、その後も160前後で推移し、最高168まで上がったりしたので、一度病院で診てもらうことにした。

私は日本でも病院には滅多に行かなかった。気管支炎などで抗生物質を処方してもらう必要があった時ぐらいだろう。トルコに来てからは、抗生物質も処方箋なしに買えたので、ますます行かなくなった。

その為、何処の病院に行こうか迷ってしまった。少し記憶があるのは、クズルック村の工場にいた2001年頃、出向者の部長のお供で出かけた市内カルタル区の病院。あれは、工場の総務課から薦められた病院で、確かに良い印象が残っているけれど、名前すら思い出せなかった。

しかし、私が車を運転してお連れしたから、だいたいどの辺かは覚えていた。自分で探しながら行った場所はなかなか忘れない。そこで、グーグルアースを使って調べたら、直ぐに判明した。“Avicenna umut hastanesi(アヴィセンナ・ウムット病院)”

アヴィセンナことイブン・スィーナーは、歴史上有名なイスラムの医学者で、その名を冠しているくらいだから、この病院では、2001年当時もイスラム的な傾向が感じられ、看護婦さんや事務員の中に、スカーフをしている人がかなりいた。

今回、出かけてみたら、やはりスカーフの看護婦さんらがいたけれど、12年前と比べて極端に増えたような印象はなかった。

まず1月16日に行って、やはり167でかなり高いが、原因になる特定の疾病もないと診断され、降圧剤を処方してもらい、血圧の記録を取りながら25日したらまた来るように言われた。

降圧剤を飲み始めると、最初の2〜3日、とても良く眠れた。その後も朝早く夜明け前に目が覚めてしまうことはなくなった。10日ほどで平常値の120まで下がった。それから、さらに下がり続け、3週間目には100を下回る時もあり、立ちくらみしたりして、ちょっと薬が効き過ぎているんじゃないかと思った。

血圧計が壊れて、高い数値が出ないのかもしれないと疑い、試しに腕立て50回やった直後に計ってみたら、147まで上がっていた。しかし、160とか出ていた頃も同様に腕立てとか定期的にやっていた。その時はどのくらいまで上がっていたんだろう?

昨日、再診に行ったら、降圧剤をもっと弱いものに変えられた。ストレス等で血圧が一時的に上がることもあるけれど、このまま“食生活の改善”を続ければ、そのうち降圧剤は服用しなくても済むようになるかもしれないと励まされた。

以下は病院のホームページ。

Avicenna umut hastanesi
http://www.umut.com.tr/Anasayfa

ドクター紹介のページを見ると、スカーフを被った女医さんもいるようだ。↓
http://www.umut.com.tr/Doktorlar

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2月13日 (水)  マルテペの魚料理屋

病院に行った月曜日は、朝から雨がしょぼしょぼ降っていた。病院は、カルタルの駅から歩いても15分ぐらい掛かる。12年前は車で行ったから、駅の直ぐ近くという印象だったが、そうでもなかった。

診療が終わって外に出たら、雨は本降りになっていた。うちへ乗り換えなしに帰れるバスに乗ろうと思ったら、駅を通り越して、さらに10分ぐらい歩かなければならない。おまけにこのバスは1時間に一本ぐらいしか来ない。

病院の前の通りを見ると、カドゥキョイへ行くバスが通るようだ。そのバスでボスタンジュまで出て、そこからまたバスを2度乗り継げば、うちまで行く。こちらのバスは、いずれも10分間隔で来る。

停留所までは5分も掛からなかったし、バスも直ぐ来た。しかし、乗って暫くしたら、バスはマルテペの辺りで渋滞にはまり、なんだか殆ど前進する様子もない。諦めて、ボスタンジュまで電車で行こうとバスを降り、多分、一度も歩いたことがないマルテペの街を物珍しそうに歩いていると、一つ先の通りに、ちょっと洒落た魚料理屋の看板が出ているのを発見した。

近づいて見たら、鯖サンドのメニューもある。お腹も減っていたので、ここで食べて行くことにした。

この魚料理屋は、2ヶ月前に開店したそうだ。黒海地方のリゼ県出身という40歳ぐらいの男性が経営者で、他に東部のカルス県出身の青年と、黒海地方内陸部のギュムシャハネ県が故郷だと言う若い女性が働いていた。

若い女性は、両親がギュムシャハネ出身というだけで、おそらくイスタンブール生まれだろう。大学生ぐらいに思える。彼女、私の顔を見るなり、「韓国人ですか?」と訊いた。

なんで韓国人と思ったのか訊き返すと、「韓国人の知り合いがいるので・・」と答える。

「その韓国人とは何処で知り合ったの?」
「教会です」

この返答にはちょっと驚いた。

「貴方はクリスチャンなんですか?」
「いいえ、私はムスリムです。ちょっと興味があって行くだけです」
「教会は何処にあるの?」
「直ぐ近くです。プロテスタントの教会で韓国人がたくさん集まりますよ」

教会には、彼女のように興味本位で来るトルコ人が他にもいるそうだ。ギュムシャハネはかなり保守的な地域に思えるし、リゼもカルスも同様である。マルテペはそういった地方から出てきた人たちが多いから、イスタンブールでは保守的な方じゃないかと思う。

そんな街の魚料理屋で、近くにある教会が面白いなんて話している。カルス出身の青年が、「時代は変わったんです」と笑っていたけれど、こうして人々の趣味や志向はますます多様化して行くのだろう。

若い女性は、未だ昨年高校を卒業したばかりで、志望する大学に受からなかった為に一浪中だという。それで気軽に魚料理屋でアルバイトもしている。時代は変わった・・・。

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2月14日 (木)  停電!

(まだ水曜日ですが・・・)
今日、夕方のフライトでトラブゾンへ飛ぶため、出かける前にシャワーぐらい浴びておこうと思った。

うちの風呂場はやたらと広いお陰で滅法寒い。それで冬場は軽く運動して、体を温めてからシャワーにする。今日も、少し汗が出るくらいまでウォームアップした。

ところが、いざ風呂場へ行こうと思ったら、急に停電してしまった。こうなると、うちの湯沸かし器は作動しない。

この場合、二つ選択肢がある。一つは電気が来るまで待つ。しかし、3時間待っても来なかったら、汗かいてさらに汚れた体で旅立たなければならない。

もう一つは、まだ体が温まっている今のうちに、速攻で水シャワーを浴びる。3時間待っても電気が来る保証はないから、躊躇わずにこちらを選択した。

まあ、今日はそれほど寒い日じゃないから良かった。それに、ガスは来ている。水シャワーを浴びてから、温かい汁物を作って暖を取った。

そしたら、少し経って電気が来た。停電継続タイムは1時間15分だった。

まあ、今はこうやって暢気に書いているけれど、停電した時は、それまで運動して息を切らしていたこともあり、その勢いで「バカ野郎!」とか怒鳴りまくり、壁に2〜3発蹴りを入れた。

なんにしても、日本は有り難い国だと思う。原子力で作っているんだか、何で作っているだが良く知らないが、とにかく電気は来る。ガスも水道も止まらない。郵便を送れば期日に届く。

トルコじゃ郵便もなかなか来ない。トルコの人たちも郵便局なんて信用していないから、ちょっとした書類を送るときも民間のカーゴを使う。

一昨年だったか、日本から郵便物を送ったという連絡があったのに、待てど暮らせど何も届かない。こちらから区域の郵便局へ様子を覗いに行ったら、「えっ、貴方の住所は? はあ、イエニドアンのユヌスエムレ。それなら、その辺探してみて下さい」と幾つか区切られた棚の一つを指差した。

その乱雑に重ねられた郵便物の山を掻き分けて探すと、それほどの苦労もなく私宛ての封筒が見つかった。それを局の人に見せて、「これです」と言ったら、「ああそう、持って行って下さい」と本人確認もしなかった。

トルコの新聞も、イスラム化だとか何とか政府を非難する前に、こういう問題をがんがん叩いて欲しい。

トルコのジャーナリストは、良く「コヌシャン・トゥルキエ(話すトルコ)」なんて言う。言論がある限り世の中は何とかなると思っているらしい。

そうだろうか? 喋ってばかりで、物を生産しないことには経済発展もへったくれもなかったような気がする。

この国では、ジャーナリストや物書きがやたらと持て囃される。知的な仕事だと思われているらしい。通訳とか翻訳もそんな感じ。しかし、工場で私みたいに下手な通訳が生産現場の人たちより偉そうにしていたら、その工場の未来はないと思う。国もやっぱりそうじゃないだろうか。


2月15日 (金)  エキストラの役回り

水曜日の夕方、イスタンブールのサビハギョクチェン空港で、チェックインを済ませてフライトを待っていたら、トラブゾンから電話が掛かってきた。

「明日の撮影は延期されたから、搭乗せずに自宅へ戻ってください」

これは、昨年の10月から続いている連続ドラマの撮影で、私がエキストラで出る場面も未だいくつか残っていた。突然、撮影が延期されたのは、出演する役者さんが、腹部の激痛で病院に担ぎ込まれてしまった為だと言う。

幸い、大事には至ってないらしいが、役者さんの回復が遅れた場合、その場面をキャンセルして、脚本を少し変えるらしい。そうなると、私の出番は来月まで回って来ないそうだ。

制作会社は無駄な出費で大変だろう。ここのスタッフは、皆、とても感じの良い人たちで、エキストラにも分け隔てせず、家族のような雰囲気の中で撮影が進められていたから、とても残念。

他の撮影現場では、エキストラA、エキストラBと数えられるだけで、あまり人間らしい扱いを受けなかったりする。

先月、駆り出されたコマーシャルの撮影は、中国の工事現場という設定で、私らエキストラの役回りは、現場で働く中国人の労働者。でも、演じているのはモンゴル人に日本人、カザフ人で、中国人は一人もいなかった。

エキストラ担当の若いアシスタントの女性は、私らエキストラに口うるさく指示を飛ばし、「この角材持って、ここから向こうまで歩け」とか一人々々の動きにまで注文をつけるのだが、いざカメラが回り始めると、主役たちの動きばかり見ていて、背景のエキストラが指示通り動いているのかなんて全くチェックしていないようである。早く主役担当になりたくてしょうがないのかもしれない。

私は最初のカットで板材を何枚も担がされ、同じ動きを続けるように指示されたから、何十回も重い板材を担いで歩いていたら、最後に違う角度からアップを撮る段になって、カメラを覗き込んでいたディレクターが、「あっ、その板材持った人が写ってしまうなあ」と言い、立ち位置の変更を求めた。

そしたら、アシスタントの彼女、「あんた、なんでここに居るの?」とのたまわった。もう何十回も同じ動きを御指示通り繰り返していたのに、全く見ていなかったらしい。それとも、ディレクターの手前、そう言わざるを得なかったのだろうか?

それから、次の場面に移ったので、もう同じ動きを繰り返す必要もなかろうと思っていたら、「あんた、さっき板材を担いでいたでしょ? また同じようにしなさい」と言い出した。「これ、結構重いんですよ」と御指示に逆らったら、凄くむくれていた。

それで、カメラが回り始めてから、彼女が私の動きを見ているのか、ちらっと観察したけれど、彼女は私らに背を向けて主役の方を見ていた。

どうも、こちらの組織には、自分の持ち場で良い仕事をしようとするより、上司の御機嫌ばかり伺う人が多いように思えてならない。

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2月16日 (土)  カドゥキョイのムラット・ムハレビジスィ

1ヵ月ほど前に新装開店したカドゥキョイのムラット・ムハレビジスィ(ムラットのムハレビ屋)。ムハレビは米粉や牛乳で作ったお菓子だけれど、こうしてムハレビ屋の看板出している店は、他にも色々な菓子や軽食からドネルケバブまで揃えている所が多い。

この並びには、似たようなムハレビ屋や軽食屋が何軒かあって、新規開店した店は、もちろん綺麗になっているし、古い店も最近続々と改装して、ムラット・ムハレビジスィだけが、何だか時代に取り残されているように見えていた。

こうなると客足も遠退いていくから、ムラット・ムハレビジスィも、ついに改装へ踏み切ったようだ。改装中は休業せざるを得ないし、改装費も含めて大変な損失だろう。商売は難しい。

しかし、後から改装しただけあって、ちょっと他にはない工夫が凝らしてある。店の入口を奥の方に引き込ませて、前面をテラスのようにしたばかりでなく、そこに巨大なヒーターを取り付けて暖かくしている。

要するに喫煙者対策。当局が規制を強めれば、庶民もあの手この手で対抗するということなのかもしれない。

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