Diary 2013. 12
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12月1日 (日)  もう12月、1年が経つのは早い・・・

10日ほど前、スルタンアフメットへ出掛けたら、路面電車の通りの歩道を通行止めにして、何かの撮影が行なわれていた。

交通整理していた係員に訊くと、インド人タレントのミュージック・クリップを撮影しているそうだ。女性のタレントさんは、なかなか美しい。撮影スタッフも、ディレクターを始め、その多くがインド人だった。どうやら、インド市場向けのクリップであるらしい。

しかし、わざわざイスタンブールまでやって来て、ただ路面電車の通りを背景に撮影している意味が良く解らない。左手にはブルーモスクも見えているのに、こちらを背景にしようとは思わなかったのだろうか。まあ、前後して、ブルーモスクの見える場面も撮っていたのかもしれないが・・・。

イスタンブールには、近年、インドからの観光客がとても増えている。その所為か、インド料理屋もたくさん出来た。インド人観光客を対象にしているのだから、結構本格的であるような気がする。でも、値段が高すぎて、私には殆ど縁がない。

昔、東京の九段下にあったインド料理屋で、挽肉のカレーを食べたら、クローブが丸ごとゴロゴロ入っていて、びっくりした。味も刺激的で、最初は抵抗を感じたが、そのうち虜になってしまった。ああいう刺激的な味には依存性があるようだ。

でも、2003年だったか、一時帰国中、麹町に移転していたそのインド料理屋で、また挽肉のカレーを食べてみたけれど、味が随分マイルドになっていてがっかりした。

いつ頃からなのか、何でもマイルドになってしまったらしい。スパゲッティに付いて来るパルメザンチーズも、あまり臭くないヤツが多くなった。

数年前、“輸入チーズに大腸菌”というニュースがあったけれど、敏感に成り過ぎて、匂いにまで抵抗を感じてしまう人もいるかもしれない。

そういえば、インドへ行くとお腹をこわすなんて良く言われたが、トルコに来て、お腹をこわす方もいるようだ。しかし、トルコの衛生状況はそんな悪くない、最近は良すぎるくらいだと思う。何処へ行っても“ヒジェン(衛生)”というフランス語由来の言葉が聞かれる。日本の人たちは、防菌だか抗菌だかが行き過ぎて、免疫力が落ちているのではないだろうか。

花粉症もお腹に寄生虫を飼っている人はならないらしい。だから先進国になるほど花粉症が多いと言う。トルコでも、近頃、花粉症に悩まされる人たちが増えて来た。“ヒジェン(衛生)”もほどほどにしたほうが良いのでは・・・。私は、テレビなどで“ヒジェン”が繰り返されると、「うるせえぞー」と叫びたくなる。

そのお陰か、私は未だかつて花粉症になった験しがない。本人が寄生虫みたいな野郎だから寄生虫との相性は良いのだろう。

何の話をしているのか良く解らなくなってしまったが、人間は、大腸菌も適当に摂取して免疫力を高めて置いたほうが良さそうな気がする。


*自己紹介欄のメールアドレスは既に使えなくなっているので、私(新実誠)へのお問い合わせは下記のアドレスにお願いします。↓

makoton1@hotmail.co.jp

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12月2日 (月)  汚いトイレと綺麗なトイレ

Old Delhi, India [デリー/インド]
http://www.youtube.com/watch?v=eZi481rMOm4

上記の“YouTube”の映像、あまりにも鮮明で、なんだかデリーの街に漂う匂いまで伝わって来そうだ。この街で、地元の人たちと一緒に飲み食いしたら、やっぱりお腹をこわしてしまうような気がする。インドの貧しい人たちの現実は厳しい。

ところで、トルコの一人当たりのGDPは、2008年の統計でも1万3千ドルとなっているから、おそらく私は、イスタンブールで平均よりもっと低いレベルの生活を営んでいると思う。これで所帯があったら大変だけれど、独り身のため、特に不都合を感じることなく楽しく暮らしている。

しかし、私はインドで平均以下の生活に耐えられるだろうか? 慣れてしまえばどうなるか解らないが、今のところ全く自信がない。慣れるまでに、それこそ腹をこわしてくたばってしまうかもしれない。

例えば、インドを旅行してきた人たちから、トイレの話を聞かされただけでも、ちょっと気が遠くなる。トルコでは、何処へ行っても、それほど汚いトイレに出くわしたりしない。

私が今まで体験した最も汚いトイレは、多分、30年前、川越近辺の産廃屋で働いていた時の寮のトイレだろう。

産廃屋の思い出
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2008&m=7

寮と言っても、プレハブの所謂“飯場”で、トイレは外に置かれた“汲み取り式”だった。大小に分かれ、大の方は、穴を余り深く掘っていないので、一杯に溜まった場合、汚物の山が眼下に迫って来て、しゃがむ時に心持ち尻を上に上げないと、何だかくっ付いてしまいそうな気がした。

一度、大に入って、茶色くなった便器を跨いで下を見たら、汚物の山がガサッと動いたので肝を潰した。良く見ると、それは大きなドブネズミだった。「ひょえー」とか叫んで飛び出し、少し気を落ち着けてから入り直した。

青森県出身で、当時、40歳ぐらいだった先輩のヤマさんは、「こんな汚い所に出したら、俺の糞に申し訳が立たない」と言って、よくダンプの荷台で用を足していた。

その上に産廃を積んで一緒に棄ててしまうのだから、別に問題ないが、4tダンプだと、いくら板で荷台を囲っても、多少見えてしまう。私もさすがに4tダンプではやらなかった。

後年、川崎の産廃屋で、大型ダンプに乗っていた時は、現場に行って、そこのトイレが仮設の汲み取りだったりすると、躊躇うことなく荷台に上がった。大型なら、近くに2階家でもない限り、そこで何をやっているのか解らない。

でも、同僚のO君は、そうやって用を足した後、現場の作業が中止となり、空で車庫に戻って来ると、用足しの件をすっかり忘れ、グリスを差す為に、皆の前でダンプをガーッと上げてしまい、とても恥をかいたそうだ。

川崎の産廃屋でダンプの運転手
http://neo-pro.jp/makoto/merhaba/003.html#200

さて、綺麗な方で、驚いたトイレの思い出と言えば、それは94年、トルコの南東部ビトゥリスの公衆便所である。

そもそもトルコでは、汲み取り式の便所さえ見たことがない。どんな田舎へ行っても、私の体験では全て水洗だった。中には綺麗な小川のせせらぎの上に造られていた公衆便所もある。そこで用を足すと、“モノ”は速やかに流れて行ったが、上流の利用者の“モノ”が下を流れて行くのも見させられてしまった。

しかし、ビトゥリスの公衆便所は、“せせらぎ”なんてものじゃない、滝のような激流の上に造られていた。個室は2〜3しかなくて、私は一番上の方に入ったから可能性もなかったが、あれなら流れて来たとしても一瞬のことだろう。あっと言う間に流れて行ってしまう。だから、全くトイレの匂いがしなかった。清流と緑の香りが漂っていたくらいである。

あの日は、ビトゥリスに泊まり、翌日、バスでディヤルバクルへ向かったけれど、途中、何度か休憩した中に、とても景色の良い場所があった。ちょっと下に綺麗な川が流れている。降りて行って、顔でも洗いたい衝動に駆られたが、良く考えてみて止めた。あれはビトゥリスから流れて来る川だった。



12月3日 (火)  トルコ式ウォシュレット?

トルコのトイレにも、洋式とトルコ式があって、トルコ式は、和式のように“しゃがむ”スタイル。街中の公衆便所には、まだまだトルコ式が多い。

10年前の話だが、クズルック村の工場では、オフィスのトイレが洋式、現場はトルコ式と、新旧が混在していた。現場の各トイレにも、一応は洋式が一つずつ設置されていたが、その多くは物置になっていて、誰も使っていなかった。今はどうなっているだろう?

イスタンブールで、知り合いのお宅を見る限り、最近は、洋式を使う家庭が増えて来たような気がする。ひと頃、「洋式はイスラムの教えに合っているか?」などと良く解らない論争が、一部の人たちの間で繰り広げられていたらしいけれど、やっぱり使い易さには敵わなかったのではないかと思う。レストランやショッピングセンターのトイレも洋式が主流になりつつある。

ところで、トルコの洋式トイレには、ちょっと特殊な機能が必ず備わっている。右下に付いているコックを捻ると、ウォシュレットのように水が出て来るのだ。

しかし、穴に向かって噴出してはくれない。放物線を描いて流れ落ちるだけである。だから、指を使って、ゴシゴシと洗わなければならない。トルコ式トイレの場合は、脇に水道があって、水桶が置かれている。このため、トルコ式が多い街中の公衆便所は、大概、紙がないけれど、手洗い場に必ず石鹸が用意されている。

もちろん、洋式主流のショッピングセンターのトイレには、紙もあれば石鹸もある。しかも、その多くは無料なのに、掃除が行き届いていて、とても綺麗。街中の公衆便所は、有料の割りに、それほど綺麗じゃない。ショッピングセンターのトイレが断然良い。

シシリーにある“ジェヴァヒル”ショッピングセンターでは、いつも大した買い物していないのに、トイレばかり使わせてもらって申しわけなく思っている。

それから、私もトイレに行ったら、必ずトルコ式ウォシュレットを使って、指で洗っている。あれに慣れてしまうと、日本のウォシュレットでは、なんだかすっきりした感じがしない。ウォシュレットもなかったら、それこそショックだ。

成田空港に降り立って、トイレで用を足すと、思わず癖で右下のコックを探してしまう。これで先ず愕然となり、その後に、『ああ日本へ帰って来たんだ』としみじみ思うのである。


*写真は、我が家のトイレと“ジェヴァヒル”ショッピングセンター。トイレが汚くてすみません。

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12月4日 (水)  トルコの人たちの衛生観念

トルコでは、何処の田舎へ行っても、“汲み取り便所”を見たことがなかった。昔から牧畜が盛んだった為、下肥など作る必要はなかったのかもしれない。

エフェソスの遺跡には、当時の水洗式“公衆便所”も残っている。オスマン帝国時代の歴史的なモスクやハマム(トルコ風呂)の構造を見ても、便所は当時から水洗だったと思われる。イスタンブールやイズミルのような都市は、相当昔の時代から水洗が当たり前だったのではないか? 都市文明の歴史は、日本と比べ物にならないくらい古いのである。

トルコの人が日本へ行き、初めて“汲み取り便所”に遭遇した時は、度肝を抜かれたに違いない。驚きのあまり、用を足せずに困った人もいるだろう。

トルコの都市住民の衛生観念は、ビザンチン帝国〜オスマン帝国の時代から、かなり高かったはずだ。しかし、農村部ではそうでもなかったような気がする。

22年前、初めてトルコにやって来た頃は、バスなどで、隣に凄く匂う人に座られて閉口したことがある。当時は、長距離バスでも、靴を脱ぐのは固く禁じられていた。足の臭い人が多かったからだ。私が靴を脱ごうとしても、乗務員や周りの乗客から凄い勢いで注意された。

靴を脱いで入るモスクの中もプーンと匂っていたりした。信者の方たちは、入る前に、足も洗う“清めの儀式”を行なっているけれど、足を濡らして、そのままいつ洗濯したのか解らない臭い靴下を履くのだから、何の効果もなかった。

それが、この10年ぐらいで大分変わってきた。まず、長距離の旅に航空機の利用は珍しくなくなった。飛行機の座席では、靴を脱いでも文句を言われない。脱いだ足が臭い人も殆どいない。モスクも、少なくともイスタンブールであれば、それほど匂わなくなった。

もう今のイスタンブールで、私より衛生観念が欠如した人を探し出すのは、結構難しいかもしれない。生活水準と同様、ここでも私はトルコの平均以下だろう。



12月5日 (木)  鯖サンドの大出世!

昨日、ウムラニエの銀行で家賃を納めた後、散歩がてらテペユストまで歩き、“ブヤカ”という派手なショッピングセンターのフードコートで、“鯖サンド”を食べて来た。

トルコ語では、“バルック・エキメッキ(魚パン)”だけれど、これがただの“魚パン”ではない。エミノニュ辺りで売っている所謂“鯖サンド”の3倍近い15リラの高級品である。

10リラぐらいを想定していたので、メニューを見てたじろいだが、ひと月前に、同じ散歩コースを歩いてこの店を見つけて以来、気になっていたから、とにかく一つ食べてみることにした。

“ダルデニア”というチェーン店で、ツナ缶などを製造しているダルダネル社が運営しているそうだ。ダルダネル社は、チャナッカレを本拠地にしていて、社名は“ダーダネルス海峡”に由来すると思われる。トルコ語で“チャナッカレ”としなかったのは、海外での展開を考えてのことかもしれない。

“ダルデニア”の魚パンには、鯖だけじゃなくて、サーモンやスズキもあるが、こちらは19リラもして、とても昼食の値段じゃない。大人しく“鯖サンド”にした。やっぱり、魚パンは鯖だろう。

エミノニュの鯖サンドは、大きなフランスパンを半分に切って、無造作に鯖を挟んでいるけれど、こちらは薄く切ったパンに丁寧に挟まれ、タルタルソースがついている。なかなか美味しい。腹一杯にはならない。

パンフレットを見たら、「魚パンが出世した!」と謳っている。私としては、『ちょっと出世しすぎじゃないのか? 平のままでも良かったのに・・』とぼやきたくもなるが、ふところに余裕のある人たちにとっては健康的な昼食になるんじゃないかと思う。

メニューには、寿司もある。それから、チャナッカレ名物のチーズ菓子も記されていたが、これは未だ“記されている”だけらしい。トルコでは良くあることだから文句を言っても始まらない。いつかは、実際のメニューになるのだろう。そう期待しよう。チャナッカレのチーズ菓子は、表面がこんがり焼けてとても美味しいのである。

dardenia
http://dardenia.com/

Dardanel
http://www.dardanel.com/

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12月6日 (金)  やっとオープンしたシルケジ駅

ボスポラス海峡横断地下鉄“マルマライ”のシルケジ駅、先週、やっとオープンした。10月29日に派手な式典で、“マルマライ”が開通してから、ほぼ1ヵ月遅れのオープンである。

報道によれば、「なんの前触れもなく静かにオープンした」そうだ。それもそうだろう、11月の中旬にも「明日いよいよオープン」と伝えられたのに、結局、オープンしなかったから、また前触れしたところで誰も信じなかったに違いない。まるで狼少年のシルケジ駅だった。まあ、これもトルコじゃ良くあることなので、それほど騒がれてもいないが・・・。

私は、昨日、初めて利用する機会があった。シルケジ駅は、海底を横断して直ぐの所にあるため、とても深い。長いエスカレーターを何度乗り継いだだろう。脇に階段など付いていなかった。さすがにあれを全て階段で登ったら大変だったかもしれない。

おそらく、こういったエスカレーター等の整備に手間取り、オープンが遅れたのだと思う。こちらの感覚に慣れれば、これで充分納得できる。

利用したのは、昼前の時間帯だったが、結構乗客が多く賑わっていた。なんにしても、シルケジ駅が使えるようになって、とても便利になった。私もこれから頻繁にここで乗り降りすることになるだろう。

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12月7日 (土)  サツマイモ

先日、ヨーロッパ側のアクサライで、サツマイモを手に入れて来た。“アンタキヤ食材市場”という店。ハタイ県アンタキヤの人が経営しているようだ。サツマイモも、ハタイ県から取り寄せているらしい。

トルコ語では、“タットゥル・パタテス”、つまり“スウィート・ポテト”。でも、今まで、トルコでサツマイモを見たことはなかった。ハタイ県以外に、栽培している所はないのだろうか? また、ハタイ県での栽培は、いつ頃始まったのだろう?

ウイキペディア等を見ても、余りはっきりしたことは解らなかった。甘く煮たサツマイモは、トルコの人たちにも受けるような気がするけれど・・・。

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12月8日 (日)  出世していない鯖サンド

今日は天気も良かったから、サルガーズィまで散歩して、鯖サンドを食べて来た。魚屋さんの店先で鯖を焼き、パンに挟んでくれる。一つ4リラ、鯖サンドは余り出世しなくても充分美味しい。サルガーズィに来ると、よくここで食べる。

海から遠いサルガーズィで、鯖サンドが美味いと言ったら、“目黒の秋刀魚”みたいだけれど、エミノニュの波止場に係留された船の名物より、こっちのほうが美味いと思う。

いつもパンが新しくてパリッとしていて、少し小ぶりなところも良い。大きなパンに小さな鯖が挟まっていると、4回ぐらいかぶりついて、やっと鯖が出てきたりするが、ここのは一口目から鯖にヒットする。

そもそも、エミノニュの船でも、鯖はノルウェー産を使っているようだから、鯖に変わりはないのだろう。鯖サンドは、サルガーズィに限る。

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12月9日 (月)  サルガーズィ

うちからサルガーズィまで、バス路線沿いに歩いて行くと、だいたい45分ぐらい掛かる。しかし、斜めに横切る道を通れば、もう少し早くなるかもしれないと思っていた。グーグルアースで見ると、かなり距離が縮まるように見える。

それで、昨日は、行きにこの“近道”を使ってみた。バス通りと異なり、周囲には商店も何もないから、わき目もふらず、ひたすら歩いた。サルガーズィに到着して、『大分早かったぞ、30分ぐらいか?』と自信を持って時間を確かめたら、なんのことはない、37分掛かっていた。

バス通りでは、周囲の商店等に気をとられて、わき目もふらずに歩くことはなかったような気もする。だから、実際の違いはもっと少ない可能性もある。まあ、今まで“近道”と思い込んできた幾多の道も、大概、実態はこんなものだったかもしれない。

帰りは、いつも通りの道を歩いて、途中、アレヴィー派の礼拝施設“ジェムエヴィ”に寄り、写真を撮ったりしたけれど、47分しか掛かっていなかった。


*写真は、サルガーズィの中心街。その外れから遠くに我が街“イエニドアン”の小高い丘が見える。もう一つの写真は“ジェムエヴィ”。昨日は日曜日だったため、多くの会衆が集まっていた。

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12月10日 (火)  駱駝が針の穴を通るより難しい

北朝鮮では、“張成沢国防副委員長”が罷免というか“粛清”されてしまったらしい。北朝鮮の報道によれば、「張成沢を除去し、一党を粛清することにより・・・」だそうである。日本で“除去”という漢字語は、おそらく物質や植物のみを対象に使われているから、何だか余計に凄い雰囲気を感じてしまう。

91年にソビエトが崩壊すると、多くの衛星国で、体制が変革を余儀なくされたため、いずれは、これが北朝鮮にも波及して、南北の統一が実現するかもしれないと誰もが思ったのではないだろうか?

2000年頃、クズルック村の工場で、出向者の方から、「うちの生産拠点が北朝鮮に出来たら、おまえ通訳で行ってみるか?」と冗談交じりに言われたこともある。

あれから、さらに10年以上過ぎて、まだ北朝鮮発の時代錯誤なニュースを聞くことになろうとは夢にも思わなかった。しかし、あの体制は、そろそろ限界に近づいているような気もする。

あれだけ閉鎖的な体制で、人口も2500万に満たないのに、核開発に成功するなど、科学的水準は決して低くない。少なくとも教育のある人々は、世界情勢の変化をある程度把握しているのではないかと思う。いつまでも、恐怖だけで現体制に服従させるのは難しいに違いない。

そこで、これは単なる私の空想だけれど、例えば、韓国の朴大統領の度を越した“反日”、あれはひょっとすると南北統一を見据えた理論武装の一環であるかもしれない。南北の壁を越えたイデオロギー闘争が既に始まっている・・・なんて考えたら、面白いなというぐらいの話だが・・・。

しかし、現実問題として、韓国国内の親北勢力に対応するため、朴大統領も簡単には“反日”の旗を降ろせなくなっているのだろう。まったくイデオロギーが現実より優先されてしまう社会は大変だ。

100年前も、観念の世界だけで生きていたかった知識人・安重根は、次から次へと現実を突きつけて来る日本、その中でも取り分け現実主義的だった伊藤博文に我慢がならなかった・・・というのは空想が過ぎるとしても、あの日韓の両雄を並べてみると、私は日本の英雄が常に現実を直視していたことに感謝したくなる。

50年前の韓国では、父・朴大統領がそうやって現実を直視して、“漢江の奇跡”へ一歩踏み出したはずなのだが、今でも、ちょっと教養のある韓国の人と話すと、相変わらず父・朴大統領に対する非難の声が高いので驚いてしまう。あれでは娘・朴大統領も落ち着いて現実と向き合っている場合じゃなくなる。

父・朴大統領は、独裁者でもの凄く“悪い人”だったらしい。しかし、そう言って故人を貶してやまない人たちは、どれほど“善い人”なのか? この人たちがキリスト教徒であれば、彼らが天国へ迎え入れられるのは、駱駝が針の穴を通るより難しいような気がする。



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