Diary 2013. 11
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11月1日 (金)  サルチャ

今日、家賃を振り込みに、ウムラニエの銀行まで行ったら、近くで地方特産品の物産展をやっていた。チーズのような食品、工芸品、それから石鹸などが売られていた。

調味料のサルチャを量り売りにしているコーナーもあった。サルチャは、トマトを主に、唐辛子などを加えて煮詰めたペースト状の食材で、トルコの煮込み料理には、大概、このサルチャが使われている。日本の味噌のようなものと言って良いかもしれない。何処のスーパーに行っても、食品売り場に、瓶や缶詰のサルチャが並んでいる。

いつ頃から作られるようになったのか解らないが、南米原産のトマトが主原料に使われているのだから、少なくとも16世紀以降のことだろう。語源はイタリア語の“サルサ(ソース)”らしい。

近年は、サルチャの量り売りも余り見られなくなった。市場などへ行くと、未だ量り売りにしている所もあるが、皆、蓋をつけるようになった為、被写体としては都合が悪い。

それが、この物産展では、むき出しで並べられていたから、『これは珍しいぞ』とデジカメを取り出して、写真を撮っていたら、隣でチーズを売っているおじさんが「俺も写してくれ」と言い出した。

トルコの人たちの多くは、写真を撮られるのも撮るのも大好きだ。エキストラで“日本人ツーリスト”の役になると、決まってカメラを持たされたりするけれど、今では、トルコ人のほうが遥かに写真好きであるような気がする。

4〜5人の若者が、「僕たちを撮って下さい」と言うので、「撮ってもメールで送ったりしないよ」と断ったら、「いいですよ。貴方の記念にしてもらえれば・・」と迫られたこともある。美しい女性ならともかく、にきび面の兄ちゃんたちが、いったい何の記念になると言うのか・・・。その時は、うるさいから撮ってやって、写り具合を見せた後、直ぐに削除した。

今日のおじさんは、チーズの写真も撮らせてもらったし、しつこくせがむので、まあしょうがないと思って、アドレスを訊き、メールで送ってあげた。そんなに自分の写真を撮りたいなら、物産展の中には、スマホとか持っている同業者もいただろう。いったい何を考えていたのやら・・・。



*自己紹介欄のメールアドレスは既に使えなくなっているので、私(新実誠)へのお問い合わせは下記のアドレスにお願いします。↓

makoton1@hotmail.co.jp

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11月2日 (土)  渋柿

1〜2週間前から、この辺りのスーパーにも、柿が出回っている。多分、皆、渋柿だと思う。今日、二つ買って来て、直ぐ食べたら、かなり熟していたけれど、まだ少し渋味が残っていた。トルコの人たちは、プヨプヨになるまで待ってから食べるらしい。

アルコールによる渋抜きは伝わっていないようだが、この方法、保守的な地域では、ちょっと難しいような気がする。微量でもアルコール分が残っていたら、信仰心から受け付けない人もいるだろう。厳格な人は、アルコールと聞いただけで拒絶するかもしれない。

例えば、酒が使われた料理は、アルコール分が全く残ってなくても駄目と言う人がいる。だから、照り焼きも鰻重も蕎麦つゆも駄目なはずだけれど、日本では、酒を全く飲まない敬虔なトルコの人たちも、そこまで拘らずに、和食を楽しんでいたりした。

先日、かなり敬虔な部類の若いトルコ人の友人が、「酒は、健康に悪くて、しかも不味い」と決め付けていたから、「飲みもしないのに、なんで美味いか不味いか解るんだ?」と訊き返してやった。そうしたら、「いや、僕はビールもワインもウイスキーも一通り飲んでみましたよ。それで、やはり不味くて良くないという結論に達したのです」と答えたので驚いてしまった。彼は、そうやって信仰に合理的な根拠をもたらしたつもりなんだろうか?

彼のようなムスリムならば、照り焼きや鰻重はもちろん、アルコールによる渋抜きも問題ないかもしれない。

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11月3日 (日)  カフェ・アマン・イスタンブール

http://www.youtube.com/watch?v=ccFn_UveZH8&feature=youtu.be

上記“YouTube”のギリシャ語の歌は、昨年の今頃、他のギリシャ語の歌を“YouTube”からダウンロードした際に偶然見つけた。クレジットがギリシャ語表記しかなかったので、題名も何も解らないまま、なかなか雰囲気の良い曲じゃないかと思った。

それから、約1年経った先週、また“YouTube”で、“カフェ・アマン・イスタンブール(Cafe aman Istanbul)”というグループの歌を聴いた。イスタンブールと銘打っているし、“YouTube”の画面にもイスタンブールのノスタルジックな風景が出て来るけれど、歌は題名も歌詞もギリシャ語だった。

『どういうグループなんだろう?』と思いながら、他にアップされている歌をいくつか聴いてみた中に、以下の“ギュルバハル(Gulbahar)”という歌があった。ギュルバハルは、薔薇・春といった意味のペルシャ語起源のトルコ語で、地名や人の名前になったりしている。

これもギリシャ語で歌い出したけれど、上記のギリシャ語の歌と同じ曲であることが解ったので、「あっ!」と思って、少し注意しながら聴いていると、ギリシャ語の歌詞の中に、何度かギュルバハルという題名のトルコ語が出て来る。さらに興味深く耳を傾けていたら、途中の一節は歌詞が全てトルコ語になっていた。

これで、さてと気になり、上記のギリシャ語の歌をもう一度聴いてみた。こちらも、ギュルバハルの部分だけは、トルコ語になっている。前は、ギリシャ語だと思って聴いていた為に、気がつかなかったのだろう。

“Cafe aman Istanbul−Gulbahar”
http://www.youtube.com/watch?v=Y-CqlJtRVlE&feature=youtu.be

“Cafe aman Istanbul”で検索してみたところ、以下のようなホームページがある。

cafe aman istanbul
http://www.cafeamanistanbul.com/index.php/en/

このグループは、ステリオ・ベルベルというルーム(在トルコのギリシャ人)のミュージシャンが中心となって、2009年に結成されたようだ。メンバーは8人、ステリオ氏のようにギリシャ語を母語としているのは、もう一人、ブズーキという楽器担当のギリシャ人がいるだけで、後は皆トルコ人だった。

ギュルバハルを歌っているペリン・スエルさんは、ステリオ氏の夫人らしいが、彼女も成人してからアテネに留学して、ギリシャ語を学んだそうである。

カフェ・アマン・イスタンブールは、レムベティコ(レンベーティカ)と呼ばれるジャンルの歌を主に手掛けていて、ホームページには、レムベティコ(レンベーティカ)についても詳細が記されていた。どうやら、19世紀の後半から、イスタンブール(当時のコンスタンティノポリ)やイズミルのルームを中心に発展した音楽らしい。

それが、トルコ共和国の成立と共に、住民交換政策で多くのルームが、ギリシャへ移住した為、それ以降はアテネが中心になって行ったようである。

ギュルバハルも、“Vassilis Tsitsanis”というギリシャ生まれのギリシャ人が作曲している。

Vassilis Tsitsanis
http://en.wikipedia.org/wiki/Vassilis_Tsitsanis

カフェ・アマン・イスタンブールは、近いうちにCDを購入して聴いてみようと思う。もう5年ぐらい前、ステリオス・カザンジディスというギリシャの有名な歌手が、アナトリアの歌をトルコ語で歌っているCDを買って来たが、机の引き出しの奥で眠ったままになっていた。これも、また聴いてみよう。イスタンブールは音楽も素晴らしい。

Stelios Kazantzidis - Bekledim de Gelmedin
http://www.youtube.com/watch?v=aRwuDdqbAzk

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11月9日 (土)  イズミルからアテネへ・・・

http://www.youtube.com/watch?v=S4w3ZjXqoDo&feature=youtu.be

この“YouTube”では、トルコ人の女性歌手が、トルコのエーゲ海地方の民謡を歌っているけれど、これはギリシャの歌番組であり、私もルームの故マリアさん宅で同番組を何度も観たことがある。2004〜2007年にかけてだった。

出演者たちは、勝手気ままに飲み食いしながら、歌ったり踊ったりして、とても楽しんでいるように見えた。その懐かしい番組で、トルコ人の女性がトルコ語で歌っている。『どういう歌手なんだろう?』と俄然興味が湧き、ネットで少し調べてみた。

フィデ・キョクサルというイズミル出身の女性で、イスタンブールの“コンセルバトゥワール”で学んでいた2006年に、ギリシャのテレビ局が企画した歌謡コンテストに招待されたのがきっかけで、以来、アテネを拠点に芸能活動を続けているらしい。

トルコの民謡やポップミュージックを紹介するばかりでなく、短期間でギリシャ語をマスターしてギリシャ語でも歌い、作詞や作曲も手掛けているそうだ。

以下の“YouTube”では、トルコの有名なシンガーソングライター、セゼン・アクスの歌を披露しているけれど、その前にギリシャ語で何か説明しながら、ギリシャ人の司会者に「乾杯!トルコ!」とトルコ語で言わせてしまう。この親善友好ぶりも素晴らしい。

http://www.youtube.com/watch?v=TIS8F9K8dhg&feature=youtu.be

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11月10日 (日)  学生寮

2ヶ月前、ルレブルガスで暮らしているムスタファが、イスタンブール大学に合格した次女の入る寮を探すため、日帰りでイスタンブールへ出て来た。私も一緒に3ヵ所の学生寮を見て回ったが、結局、ムスタファは、寮費の安い宗教団体運営の寮を選んで、次女をそこへ入寮させた。

信仰に篤いムスタファは、当初、風紀の良い寮に安心して喜んでいたけれど、1ヵ月も経たないうちに、早くも問題が明らかになったそうだ。

寮の夕食時間が早く、大学の授業で少し遅くなると、頼んでも食事を取って置いてくれないので、外食しなければならなくなってしまうらしい。イスタンブールで外食したら、どんな安食堂でも結構する。

「入寮する前は、調子の良いことばかり言って、もうこれだよ。トルコは20年前と何も変わっていない」とムスタファは電話口でため息をついた。

91年に、私とムスタファが出会ったアルサンジャク学生寮などは、嘘だらけのパンフレットを配って寮生を勧誘していた。私は実際に訪れ、ムスタファの話を聞いて入寮を決めたから良いが、あのパンフレットを見て寮を選んだ学生たちは堪らなかっただろう。

パンフレットには、有りもしない学習室の写真が載っていて、「少なくとも朝食は4種類、夕食は5種類の料理・・・」なんて見え透いた謳い文句が並べられていた。

ところが、朝は、チャイとパン、バターにチーズしか出なかったこともある。「何処が4種類だ? チャイとパンも数えているのか? 砂糖や水も数えれば6種類か・・」などと寮生たちはブーブー文句を言っていた。

夕食は、毎日のように豆の煮込みに白飯(ピラヴ)とパン、豆の種類だけが、インゲン豆から鞘インゲン、エジプト豆からグリーンピースと毎日入れ替わる。でも、あの豆煮込みは決して不味くなかった。日本の高校の寮の飯に比べたら、涙が出るほど美味しかった。我が母校の飯は、品数だけはバラエティーに富んでいたけれど、その多くが驚くほど不味くて臭かった。それでも腹が減っているから、いくらでも食べることが出来た。

さて、アルサンジャク学生寮だが、寮費免除で雑用を引き受けていたムスタファは、食事の配膳も担当し、巧く盛り付けて、足りなくなることもなければ、たくさん余ることもなかった。

しかし、ムスタファが寮を去った後、住み込みの雑用係として一時雇われていた青年は、ちょっとぼんやりした所があって、度々、たくさん余ったり、足りなくなったりしていた。彼は小学校(5年制)を出てから、郷里の村で羊飼いをしていたそうで、郷里へ手紙書いているのを見たら、小文字も大文字も句読点も無い見事さに驚かされたものだ。

一度、青年が配膳していて、3〜4人分足りなくなり、盛り付けてもらえなかった寮生たちに詰め寄られたあげく、配膳台の下に1人分隠しているのが見つかってしまったことがある。彼は、自分の食事だけ、いつも前以て取り分けていたらしい。

怒った寮生が、「俺たちは寮費を払っているんだぞ。それをこちらへ出せ。お前に食べる権利なんて無い」と締め上げたところ、「僕の給料で外食なんて出来ません。君たちは小遣いたくさんもらっているんだから、何処かへ食べに行けば良いでしょう?」と青年は泣きそうになっていた。確かに、寮生たちは、寮の食事に飽きると、結構贅沢な外食を楽しんだりしていたから、その通りだったかもしれない。

あの日、寮生たちは諦めて、何処か食べに出掛けていた。小遣いに困っているような寮生は一人もいなかった。しかし、あれから20余年が過ぎた今のトルコは、もう状況が異なっていると思う。

寮費免除で雑用係やっていたムスタファの娘が、大学へ行くようになったのである。ムスタファは、次女にそれほど小遣いなんて渡せないだろう。学費と寮費だけでも相当な負担になっているはずだ。

昨年、トルコは、義務教育をそれまでの8年から12年へ一気に引き上げた。校舎や教員の数は足りるのか、貧しい家庭の負担はどうなるのか、なんてことは進めながら解決を図って行くつもりらしい。トルコは今まで大概そんなやり方で何とかやってきたから、驚くことでもないが、大学への進学も近年急激に増えて、学生寮なども全く数が足りていないそうだ。

しかも、負担を最小限に止めたいムスタファのような親たちが、20年前に比べて凄い割合で増えているような気がする。彼らは、概ね保守的な傾向が強いから、負担をかけずに、なるべくなら風紀の良い安心できる所へ入寮させたいと願っているだろう。娘さんであれば、特に心配だ。ムスタファも大分心配していた。

先週、エルドアン首相は、AKP党内の会合で、学生寮の新設を急ぐよう呼び掛けながら、「寮に入れない男女の学生同士がアパートの部屋をシェアしているのは由々しき問題」などと演説したらしい。それがメディアに伝わって大騒ぎになると、例によって強硬な姿勢を崩さず、男女の学生が部屋を借りられないよう法的な処置を検討すべき、みたいなことを主張したそうだ。

これも、また例によって、検討だけで終わり、うやむやになってしまうだろうと言われているけれど、中には穿った見方をする人たちもいる。

最近、第一野党のCHPも保守層に対して柔軟な姿勢を見せるようになり、国会におけるスカーフの解禁にも賛意を表明していた。その為、これによって保守層の票が一部CHPに流れることを恐れたエルドアン首相は、先手を打って、CHPを挑発したのではないか、というのである。

確かに、結果だけ見れば、“当たらずとも遠からず”だったかもしれない。CHPは「個人の生活スタイルへの介入だ」として猛反発し、これを見た保守層の多くは、「なんだ、CHPは一つも変わっていないじゃないか。相変わらず不道徳を擁護している」と不愉快に感じただろう。「またCHPは、エルドアンが狙った通りの反応を見せてしまった」と書いたジャーナリストもいる。

しかし、どうなんだろう? 失言を後から巧く利用した可能性はあるけれど、「最初の発言は、社会の早い変化に不安を感じているエルドアン首相の本音だったのではないか」という説の方が的を射ているように思えた。グローバル化、そして経済成長を推し進めて来たAKPは、それによって生じた社会の変化の早さに当惑している・・・。

AKPをずっと支持してきたムスタファも、同様に当惑しているかもしれない。ムスタファは、次女の夢を叶えてやりたいとバイラム(祝祭)も休まずに働いていた。そして、それに応えて、次女も学業に励んでいると信じながら、一抹の不安を隠しきれていないように見える。

そもそも、経済成長等に伴う“伝統的な価値観の動揺”に対しては、CHP支持者の中にも不安を感じている人が少なくないような気がする。例えば、トルコで、大学生の娘が男と同棲するのを許す親は、ごく限られているだろう。大概の場合、男女の自由な交渉が近代化の証しであるかのように言っても、それが自分の娘や妹に及んだら、たちまち豹変してしまう。それなら、保守派の態度の方が、よっぽど整合性が取れているのではないかと思う。


*写真は、ムスタファと出会ったアルサンジャク学生寮の建物(左側)。今は普通の住居になっているようだ。(撮影したのは2010年の4月)

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11月11日 (月)  高校の寮の飯

三度の飯が食べられるだけでも有り難いのに、不味いなんて言ったら罰が当たるかもしれないが、高校の寮の食事は本当に美味しくなかった。

全寮制だったから、全校生徒600人ぐらいが、大きな食堂で朝・昼・夕を食べていた。毎日、大量の食事を用意するのは大変だろうけれど、生徒数がもっと多かった小学校と中学校の給食は、とても美味しかったから、やはり高校の寮の食堂には何か問題があったような気もする。

特に魚の類は、鮮度が落ちていたのか、よく火が通っていても、かなり生臭いことが多かった。肉じゃがの挽肉も何だか匂っていた。醤油も醤油と言えるような代物じゃなかった。

ご飯は、備蓄米のお下がりでも使っていたのか、微妙に黄色がかっていることもあり、あまり良い匂いがしなかった。このご飯は、30人分ぐらいずつ、大きなバットに米を入れ、スチームで炊いていたけれど、バットが少し傾いでいたりすると、片方はグチャグチャ、もう一方はパリパリ、辛うじて真ん中だけが普通に炊き上がったりしていた。

それを当番の部屋の奴が、他の部屋の分も盛り付けるわけだが、1部屋は8人だから、真ん中の普通に炊き上がった所だけで、自分の部屋の分は確保できる。後は、パリパリとグチャグチャを適当に混ぜて盛り付ける。まあ、真面目な奴なら、全てをまんべんなく混ぜてから盛り付けていたけれど・・・。

しかし、それでも育ち盛りの食い盛りだったから、いくらでも食べることが出来た。腹があまりにも減って、他人の分まで食べてしまったこともある。

部活の試合等で、校外に出て、夕食の時間まで戻って来られない連中には、盛り付けた上で、扉付きの棚に入れて置く決まりになっていたが、あまり遅くなれば、部活の連中は帰寮途中に食べて来たりする。それが解ると、夜の学習時間中に、また食堂に忍び込んで、取って置いた食事を食べてしまったりした。冷めた飯は一層不味くなっていたけれど、とにかく腹が減っているから、貪るように食べた。

あの育ち盛りに、満腹するまで食べられたのは実に幸せなことだったかもしれない。



11月12日 (火)  イマーム・ハティップレル中学校の授業

先日、イスタンブール市内で、イマーム・ハティップレル中学校2学年の宗教科の授業を見学する機会に恵まれた。

イマーム・ハティップレルは、導師養成校と訳されたりするけれど、現在では導師を養成する為というより、“イスラムの信仰を重視した教育を行う学校”という位置づけになっているのではないかと思う。

宗教科の授業は思いのほか少なく、カリキュラムは一般の中学・高校とそれほど変わっていない。数学の授業もあれば、英語や化学、歴史といった授業も一般校と同じカリキュラムで行われている。そもそも導師(イマーム)に成りようのない女子の生徒が非常に多い。風紀が良いからと進学を望む親御さんも少なくないそうだ。

また、実践的な教育はあまり行われていないため、イマーム・ハティップレル高校を卒業した男子が直ぐ導師(イマーム)の仕事に就けるかと言えば、そうでもないらしい。

見学した教室も、ほぼ半数(それより若干多かったかもしれない)は女子生徒だった。現在、トルコの中学校2年は、日本の小学校6年に相当するけれど、トルコの子供たちは遥かに早熟であるため、中学校1年生ぐらいの感じじゃないだろうか。トルコの他の一般中学校の教室に比べて、とても規律があるように思えた。騒いだり、キョロキョロしたりする生徒は殆どいなかった。

まだ中学生である所為か、スカーフを被っている女子生徒は半分ほどだったが、成長の早い生徒が被っているというわけでもないような気がした。先生から度々指名され、発言も多く、優秀そうな女子生徒は、かなり大柄でませていたけれど、スカーフは被っていなかった。

先生は年配の男性であり、生徒から慕われているように見えた。授業の中で印象的だったのは、アルコールの禁忌を説明する際、男子生徒に「お父さんが居酒屋で酔い潰れてしまったらどうする?」と尋ね、生徒が返答に詰まっていると、「お父さんを尊敬するのは最も大切なことだから、お父さんを助けて一緒に家へ帰ってあげなさい。お父さんに反抗してはならない。でも、君は居酒屋で飲むようになってはいけないよ」と諭した場面だ。

イスラムの人たちは嫌がるかもしれないが、イスラムは為政者側の立場で作られた宗教であるために、権威への反抗が戒められているのではないだろうか。キリスト教に見られる“プロテスト”の要素はないような気がする。

私はトルコでイスラムに接してきて、「イスラムとはどういう宗教ですか?」と訊かれたら、「事なかれ主義の宗教です」と答えたくなる。日本語の解るトルコ人女性は、日本人旅行者にそう訊かれて、「頑張らない宗教です」と答えていた。彼女は、トルコの基準で普通に信仰のあるイスラム教徒だが、何度か日本を訪れ、日本の文化に接しながら、どうにも“日本的な頑張る”は好きになれなかったようだ。

確かに、日本人は良く頑張ってしまう。でも、かなり“事なかれ主義”の所もある。プロテスタント的なアメリカ人は、「いくら問題が生じても構わない。我々はその問題を解決して見せようじゃないか」と積極的にチャレンジするけれど、日本人の一般的な傾向は、その前に、なんとか問題が起きないように努めることじゃないかと思う。この点で、私はイスラムに親近感を覚える。

もちろん、私が接して来たのは、“トルコのイスラム”だったかもしれないが、これがイスラム本来の姿であるような気がする。

さて、イマーム・ハティップレル中学校の授業を見学した帰りに、私はカドゥキョイから乗ったバスの中で2時間近く立たされ、汗をかいて喉がカラカラになってしまったが、バスを降りてみると、未だ9時半で、バス停前の酒屋は営業中だった。

『やれやれ、ビールでも飲んでさっさと寝るか』と酒屋に入ったら、もう大分飲んで上機嫌の酒屋さんは、スーツ姿の私を見とがめ、「よう今日はどうしたんだよ?」と絡んできた。

「イマーム・ハティップレルを見学してきた」と答えたところ、スンニー派中心の宗教教育に反発しているアレヴィー派の彼は、顔をしかめて見せたけれど、アルコールの禁忌に関する先生の話をそのまま伝えたら、「その先生は良い話をするねえ」とにっこり笑った。

そして、「僕にも子供が2人いる。子供の前では絶対に飲んだりしないよ」と言うのである。彼はアレヴィー派だが、東部のスィヴァス県出身なので、エーゲ海地方やトラキア地方の人たちのように、昔からの伝統として楽に飲んでるわけじゃないかもしれない。それなら、もう少し控えれば良いのにと思った。

イマーム・ハティップレル
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2013&m=2



11月13日 (水)  酔っ払いは嫌じゃなかったが・・・

トルコでも、イスタンブールやアンカラといった大都市、それからエーゲ海地方やトラキア地方に行けば、家族団らんで子供たちを前にして当たり前に酒を飲む人たちがいる。2009年にアルトヴィンで知り合ったメフメットさんの家族がそうだった。彼らは彼らなりにイスラムを信仰しながら、飲酒が悪習であるとは一つも思っていないらしい。

2009年には、トラキア地方のギリシャ国境に近いウズンキョプルも訪れたが、街中の居酒屋(メイハーネ)でも何でもない普通の食堂で、老人たちが昼からラクを飲んでいるのに驚かされた。案内してくれた地元の人は、「私たちの伝統的な文化は、あまりトルコの東部地方とは関係がありません。どちらかと言えば、向こうの文化に似ています」と言って、ギリシャ国境の方角を指差した。

保守を標榜し、伝統の維持を訴えるAKP政権の人たちも、トルコには色々な伝統文化があることを忘れないでほしい。

AKP政権はギリシャとの友好に積極的で、ルームの人たちがトルコへ戻って来ることも望んでいるようだが、それならば、ワインやウーゾを飲みながら、歌って踊るギリシャの歌謡番組を観ても顔を顰めずに、その番組でトルコの歌を披露しているフィデ・キョクサルさんにも理解を示してもらわないと困るような気がする。

AKPの基盤となっている保守層もどんどん変わって来ている。ラマダンの断食明けに、ロックのコンサートを楽しむ“敬虔な若者たち”や、信仰に合理性を持たせる為なのか、ビールからウイスキーまで一通り飲んでみて、「酒は不味い」と決定を下す青年もいる。この先、如何に斬新な教義解釈が現れても驚いてはいけないだろう。そのうち、男女の学生が同棲しているぐらいで不安に駆られていたら身が持たなくなるかもしれない。

ところで、トルコの保守層の中には、未だに彼らの伝統と日本の伝統が類似していると思い込んでいる人たちが多くて、なんと説明すれば良いのか迷ってしまうことがある。

特に性の自由さや、飲酒の伝統について有体に話したら、驚いて腰を抜かす人もいるのではないか。

日本で、うちの親戚連中ときたら、男も女もまず酒を良く飲む。私は幼い頃から間近にそれを見てきた。あるおじさんなど、うちに泊まりに来て、飲み過ぎたあげくゲロを吐いたこともある。それが一度だったのか、来る度に吐いていたのか解らないが、子供の頃、そのおじさんと言えば、直ぐにゲロが思い浮かんだ。 

母も昔は良く飲んだ。最近はもう80を越しているし、なにしろアルツハイマーを患っているから、あまり飲まれたら困るけれど、それでもイスタンブールへ来る度に、「この家には酒を置いていないの?」と不満を述べる。

とうに他界した父が、毎晩飲んでいるのを物心ついた頃から見て来た為、私も大人になれば毎晩酒を飲むようになると当たり前に思っていた。酔っ払った親戚の大人たちを見て、嫌な気がしたことも殆どなかった。ただ、ある時点から、父が飲んでいる姿は疎ましく感じるようになった。

あれば中学校2年に上がった頃だったと思う。夜一人で留守番していたら、若い警察官が訪ねて来た。「お父様が大分飲まれてしまったので引き取りに来て下さい」と言うのである。それまで父は、相当酔っ払って帰宅することはあっても、酔い潰れて帰って来られなくなったことは一度もなかった。それで私は、「何かの間違いじゃないですか?」と応じた。

しかし、警察官が「間違いじゃないから来て下さい」と繰り返すので、『子供だと思ってなめんなよ。間違いだったら、ただじゃ済まさんぞ』と思いながら、憮然として警察官の後をついて行った。そして、紛れも無い父が道端に座り込んでいるのを目撃した。警察官に謝り、父を連れて帰ったが、とても恥ずかしくて情けなかった。

親戚の中には、結構な地位まで出世したため、何処で酔い潰れていても、パトカーが家まで送り届けてくれると自慢げに語られているおじさんもいたけれど、父のためにパトカーは出動してくれなかった。

それから父はどんどん酒浸りになり、意味不明の戯言を口走るようになった。いろいろ可哀想な事情もあったから、もう少し大きくなっていれば理解できたかもしれないが、当時、中学生の私は、もう父の顔を見るのも嫌になった。そして、全寮制の高校を選んで家から逃げ出してしまった。

そんな思い出もあったので、先日のイマーム・ハティップレル中学校の授業は、とても興味深かったのである。




11月14日 (木)  ギリシャの経済

アテネを拠点に活躍しているフィデ・キョクサルさんのインタビュー記事が、12年10月22日付けのラディカル紙に掲載されている。

http://blog.radikal.com.tr/Sayfa/atinayi-buyuleyen-izmirli-tanrica-fide-koksal-2457

この記事の中で、キョクサルさんは、「・・・イズミルの賑やかな週末が懐かしい。ここで週末は、何処も閉まっています。まるで国勢調査の日のようです。就労時間はとても短く、非常に多くの休日がある国です」と語っている。

かつてトルコでは、数年に一度、調査員以外の全市民の外出を禁じて、国勢調査を行う日があった。もう長いこと実施していないような気がするけれど、いつが最後だったのだろう? 93年か94年、外出禁止で人っ子一人いないバクダッド通りを、日本人の友人とエレンキョイからカドゥキョイまで歩いたのを思い出す。外国人はお目こぼしだったようだ。

ギリシャの週末は、そんな風になってしまうらしい。キョクサルさんの説明によると、月曜日と水曜日に営業所は15時で閉まってしまい、他の平日にもシエスタがあり、週末は何処も開いていない。

私もトルコの国境に近いアレクサンドロポリスやエーゲ海の島で、シエスタに入って人っ子一人いなくなった街を見たけれど、アテネのような都会であれば、そんなことはないのかと思っていた。

キョクサルさんも、「これで経済が成り立つのかと思ったが、やはり成り立っていなかった」と述べているが、私も昨年、ギリシャの島を訪れて酷いものだと驚いた。観光地なのに、何処のレストランもクレジットカードを拒絶して現金を要求してくる。おそらく間接税を払いたくなかったのだろう。

ギリシャは、何故、こうなってしまったのか? いろんな要因があるに違いないけれど、長い間、西欧の庇護を受けて来たのが最も拙かったような気がする。オスマン帝国から独立した時でさえ、西欧の助けを借りていた。

イスラムは“事なかれ主義の宗教”なんてつまらないことを言ってしまったが、宗教やイデオロギーより、こういった庇護の有無がもっと大きな影響を及ぼしているかもしれない。個人や企業も庇護を受けて競争にさらされない状態が続くと駄目になってしまうのと同じじゃないかと思う。



11月15日 (金)  学習塾も廃止、入試も廃止?

今、トルコでは、予備校・学習塾の廃止であるとか、入学試験制度の改革、あるいは入試そのものの撤廃などが議論されて話題を呼んでいる。

学習塾の廃止は、多くの学習塾を運営しているフェトフッラー教団に対する嫌がらせではないか、等々、様々な憶測を生んでいるものの、何処まで事実を反映しているのかさっぱり解らない。この議論、決着が付くまで、まだ相当な時間が掛かるのではないだろうか。

そもそも、これは“教育をどうするか?”というテーマの中で始まった議論であり、数年前から、“生徒を中心にした(考えさせる)教育”というのが提唱されていた。その線で新しい教科書も作られているけれど、何だか“ゆとり教育”のトルコ版になってしまいそうな気もする。“入試をなくそう”という発想からして良く似ているかもしれない。

1ヵ月ぐらい前、インターネットで視聴できるテレビの討論番組を観ていたら、女性の司会者は、「私にも子供がいるので、子供たちがストレスにさらされないようにしたい」と言い、その為には、試験を減らして行かなければならないと主張していた。

私はこれを聴いて、『おいおいトルコの何処に“ストレス”があるんだよ?』と突っ込みを入れたくなってしまった。

22年前、初めてトルコへ来た頃は、『なんとストレスの少ない社会だ』と感心すると同時に、悪く言えば、それだけぶっ弛んだ社会じゃないのかと思ったりした。

最近は、トルコでも競争が激しくなり、少しストレスが生じてきたようだけれど、日本に比べたら、まだ大分弛んでいるような気がして、『この弛みをピリッとさせるにはどうしたら良いのか?』と考えていたが、要するに、もっと試験を増やせば良いのかもしれない。

まあ、冗談はともかく、“生徒を中心にした(考えさせる)教育”は、もともと学習意欲のある子供たちには適しているはずだから、対象によって巧く使い分ければ良いのだろう。でも、学習塾や入試の廃止なんて、あまりにも極論過ぎるのではないかと思う。 


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