Diary 2013. 1
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1月1日 (火)  謹賀新年

大晦日は、例年のように友人の日本料理店で御馳走になって来た。しかも、母と2人で・・・。

正月を迎える度、こうしてお世話になっている人たちに感謝しながら、今年こそ何とかしなければと思わずにはいられないが、私にとって昨年よりも、さらに展望のない年明けになってしまった。今年はいったいどうなるのだろう・・? 

明日は、初詣じゃないけれど、あの“森林公園”に母を案内しようかと思う。新年早々、希望を失ってもしょうがない、なんとかなるつもりでいないと・・・。

今年も宜しくお願いします。


1月2日 (水)  初詣

先月、12月8日〜9日の“便り”で、“森林公園”なんて適当に紹介してしまったけれど、“環境・森林省−タシュデレン・ハイキング場”というのが正しい名称だった。

我が家の前から、ミニバスに乗って5〜10分でタシュデレンの街に着く。ミニバスを降りて10分ぐらい歩くと、この“環境・森林省−タシュデレン・ハイキング場”という看板が見えてくる。

そこから、今日は母と一緒にゆっくり歩いて、眺望の良い頂きまで、行きは1時間10分、帰りは50分掛かっていた。距離にして約3.5キロ。先月、私は30分ぐらいで登っていたんじゃないかと思う。

今日も頂きの周囲に人影は無く、天気は快晴だったけれど、遠くの地面に近いところは靄がかかっていて、ちょっと見晴らしが悪くて残念。また、夏にでも母を案内することにしよう。

帰りがけに、今回も管理所でお茶をご馳走になった。

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1月5日 (土)  こんなに痩せて・・・

今朝は我が家の裏山に登ってきた。てっぺんまで家が建て込んでいて、緑も風情もないが、眺めはなかなか良い。

途中で会った地元の人に、「君のお母さんか? こんなに痩せて、ちゃんと食べさせているのか?」と言われた。

トルコでも、都会の女性たちは中年過ぎても大分スマートになってきたが、この辺の田舎のおばさん、お婆さんたちは、大概でっぷり肥えている。それで、半分冗談で「こんなに痩せて・・・」なんて言ったのだろう。

しかし、日本で姉が母の世話を全て見て、今回のトルコ行きのチケットまで用意してくれたのだから、「ちゃんと食べさせているのか?」と言われてもしょうがない。

なんだか、石川啄木の歌を思い出してしまった。

「たはむれに母を背負いてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず」

でも、啄木がトルコ人だったら、多分、次のような歌を詠むんじゃないかと思う。

「たはむれに母を背負いてそのあまり重きに潰され一歩もあゆめず」

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1月6日 (日)  アルメニア教会のクリスマス−サルギュル氏登場

今日は、ベイオールのチチェック・パサージュの裏にあるアルメニア教会で、クリスマス・ミサを見学してきた。

昨年の1月6日に訪れたベシクタシュのアルメニア教会“Surp Asdvadzadzin”は、現在、改装中でミサは執り行われないそうだ。

ベイオールの教会もやはり音楽が素晴らしかった。途中、シシリー区長のムスタファ・サルギュル氏が姿を現したのも興味深かった。教会の方に訊いたら、サルギュル氏は、毎年、クリスマスや復活祭に教会を訪れると言う。

サルギュル氏、2006年の12月25日には、シシリー区内のギリシャ正教会の教会を訪れ、“新年が皆様にとって良い年であることを祈ります。シシリー区長ムスタファ・サルギュル”とラベルに印刷されたワインのハーフボトルまで配っていた。

2005年に間借りしていた部屋の家主だった故マリアさんは、娘のスザンナさんらと共に、この教会のミサに参列し、サルギュル氏のワインを持ち帰って、私にも飲ませてくれた。

スザンナさんの話によれば、サルギュル氏は教会の中で、突然スザンナさんを抱き寄せ、頬にキスしたらしい。サルギュル氏はなかなか男前な政治家だから、スザンナさんは有頂天になっていた。

当時、サルギュル氏には、“パフォーマンス過剰”という批判もあったが、ムスリムの政治家として、クリスチャンの市民からあれだけ喜んでもらえれば、上出来じゃないかと思った。


*写真右の中央に写っている黒髪の男性がサルギュル氏。

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1月8日 (火)  イエニドアンは一面銀世界

昨日、母が日本へ帰ることになったら、イスタンブールはまた雪が降り始めた。空港へ着いた頃には、かなりの雪になっていたが、飛行機は2時間程度の遅れで済み、今日、母は無事に藤野の実家へ着いた。

イスタンブールでは、今日の朝、まだ雪が降り続いていたけれど、イエニドアンの辺りは、11時頃から12時半ぐらいまで、一時的に晴れ間がのぞいた。

それで、カメラを手に、我が家の裏山に登ったら、辺り一面、銀世界だった。子供たちも一時の晴れ間を利用して、雪の中で遊んでいた。

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1月9日 (水)  運行中止

昨日、午後から急に用事が出来て、ヨーロッパ側に渡った。かなり雪が降っているから、どうかと思いつつ第2海峡大橋を渡る122B番のバスに乗ったら、意外に快調で、1時間10分ぐらいしか掛からなかった。

それで帰りも、この122B番バスにしようと、始発から乗るつもりで、メジディエキョイのバス・ターミナルに出た。6時20分前、これなら6時10分前発のバスに乗れる。

この時間だと、退勤の人たちで、バス停は長蛇の列になっているはずだが、122B番の乗り場には、4〜5人が待っているだけだった。

隣は、やはり第2海峡大橋を渡ってアジア側のテペユストに行くバスの乗り場で、あちらは長蛇の列。『あっちは大変だなあ。後ろの方の人たちは座れないぞ』なんてほくそ笑みながら、写真を撮ったりして、この時までは相当余裕があった。

ところが、テペユスト行きのバスが到着し、長蛇の列がバスに乗り込み始めると、交通局の職員がこちらに来て、「皆さん、122B番は運行を取り止めているので、テペユスト経由で行ってください」などと言うのである。

道理で待っている人が少なかった。『そんなバカな!』と叫びたくなった。でも、私は直ぐにテペユスト行きの列に加わったけれど、諦めきれずに、職員を問質している人もいた。

「待っていれば、バスは来るんでしょ?」
「運行中止ですから、バスは来ません」
「本当? 遅れているだけじゃないの?」
「それなら、朝まで待っていて下さい。バスは来ませんから」

これで、その中年男性も諦めたのか、私の後ろに並んだが、「テペユストからどうやって行くんだ? ミニバスでも乗り継いで行けと言うのか?」とまだぼやいていた。

しかし、テペユスト経由で何とかなると安易に考えていた私も間が抜けていた。いくらイエニドアンが僻地とは言え、このぐらいの雪で道路が閉鎖されてしまうはずがない。運行中止の理由は、海峡大橋だったのだろう。

テペユスト行きのバスは、バスターミナルを出て直ぐ渋滞に嵌ってしまった。見ると、海峡大橋に向かう通りは、高架道路の方もびっしり埋まっていて、殆ど動いている様子もない。

私は5分で諦め、バスを降りると地下鉄の駅に向かい、地下鉄を2路線乗り継いでカバタシュの船着場に出た。ここからアジア側のウスキュダルに渡り、スルタンベイリ行きのバスでサルガーズィへ、そこでバスを乗り換えればイエニドアンまで行く。

この選択は正解だった。乗り継ぎは全て順調に行き、8時半には我が家に着いていた。テペユストを経由していたら、大変なことになっていたと思う。


*右の写真は、カバタシュの船着場から見えるドルマバフチェ・ジャーミー(モスク)。1855年の創建で、設計は著名なアルメニア人(クリスチャン)の建築家ガラベット・バルヤン。

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1月10日 (木)  腹を立てても始まらない

昨年末で、銀行のキャッシュカードの使用期限が切れてしまったのに、新しいカードは、昨日ようやく口座のある支店に届き、携帯に「支店でカードを受け取って下さい」というメッセージが入った。

それで、今日、バスと海峡連絡船を乗り継ぎ、2時間かけてシルケジの支店まで行き、担当の女性に用件を伝えると、既に顔見知りになっている彼女は、愛想よくカードを手渡してくれたけれど、新しいカードの暗証番号を尋ねたら、おそらく昼の休憩時間になっていたからだろう、支店内に設置されている電話で問い合わせてくれと言って、席を立ってしまった。

仕方なく、電話を掛けると、これが自動応答で、本人確認の為なのかいろいろ訊いてくるが、その殆どはカードに記載されている事柄であり、それが本人確認になるのかどうか良く解らない。答えは、全てプッシュホンの番号を押して答えるようになっているから、数字で答えられない事柄は問えないのだろう。

良く覚えていないが、まずはカードの表にある16桁の数字を答えた。それから、裏に記載されている3桁の数字を訊かれたが、これが小さな文字で、老眼の私には、メガネをかけたままでは、とてもじゃないけれど読めない。

メガネを外そうにも、片手に受話器、もう一方はカードを持っているから、なかなか巧く行かない。この辺りで、大分イライラしてきた。

そして、聞き間違いの記憶違いかもしれないが、最後に、旧カードに記載されている数字を訊かれた。しかし、期限切れの旧カードは手元にないから答えようがない。

こうなれば、係りが出てくるだろうと思っていたら、「係りにお繋ぎします。お待ちください」というアナウンスが繰り返されるだけで、10分経っても出てこない。

いい加減に電話を切ろうかと思ったところ、やっと係りが出てきて、また最初から本人確認が始まった。今度は、数字で答える問いばかりじゃない。

まず、母親の嫁入り前の苗字の2番目と5番目の文字というのがあって、これは私の場合、“Nagasawa”の“a”と“s”を答えることになるんだけれど、こんなもの何処かに書いて見なければ解るわけがない。イライラは頂点に近づいた。

次に、「最後にカードをいつ使って、いくら下ろしたのか?」。これで、もうぶち切れる寸前だった。そんなもの誰が覚えているんだろう? まあ、通常は旧カードの期限が切れる前に、新しいカードが渡されるから、覚えている場合もあるかもしれないが・・・。

そして、最後に登録してある住所を訊かれ、これも答えることが出来なかった。何度も引っ越しているから、いったいいつの住所を登録していたのかも思い出せない。

ここで、ついにぶち切れてしまい、意味もなく電話に向かっていろいろ悪態をついた。「そんな住所、思い出せるわけないだろ」とか「あんなに待たせた挙句どういうつもりか?」とか・・・もっとえげつないことも言ったが、忘れたことにする。

支店内にいた皆がこっちを見ていた。電話を切った後で、とても恥ずかしくなって、周囲に詫びた。

それから、気を落ち着けようと食事に行って、帰ってきたら、担当の女性も席に戻っていた。私の顔を見て、「暗証番号、聞きましたよねえ」なんて言う。事情を説明したら、直ぐ私の携帯に暗証番号を送ってくれた。

こんな簡単に済むのに、さきほどの騒動はいったい何だったのかと呆れたが、もう満腹になっていた所為か腹も立たなかった。


*こういう時は、心が和むような写真を見て、ほっとすることにしよう。

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1月12日 (土)  ドバイ・ショッピング・センター

我が家から20分ぐらい歩くところに、“ドバイ・アルシュベリシュ・メルケジ(ショッピング・センター)”というのがある。何でも安いから、時々買い物に行く。

ドバイは、アラブ首長国連邦のドバイで、トルコでも“ショッピング天国”というイメージがあるのかもしれない。

店の看板には、まず“ドバイ・アルシュベリシュ・メルケジ”と記され、その下に“ドバイ・チャルシュ(市場)”、そのまた下は“ドバイAVM”となっている。

“アルシュベリシュ・メルケジ”は、ショッピング・センターを直訳して造られた言葉と思われ、当初は外資などによる大きなショッピング・モールに適用されていた。“AVM”は、“アルシュ・ベリシュ・メルケジ”の頭文字で、こうやると一層華やかでモダンなイメージになるらしい。日本のカタカナ言葉と同じような感じ。

この店は、“チャルシュ(市場)”と看板を掲げて、その下に“AVM”とも記しているところが面白い。今は市場でも、将来は、堂々と“AVM”の看板を掲げたいということなのか・・・。

先月、ここに買い物に行ったら、経営者と思しき40歳ぐらいの男性に呼び止められた。

「すみません。貴方は中国人ですか?」
「いや、日本人です」
「はあ、そうなんですか。中国語は解るんですか?」

何だかよっぽど中国に興味があるらしい。「何故?」と訊いたら、「もちろん興味があります。だって、この店の商品の8割ぐらいは中国製ですよ」と笑っていた。

中国に行ったことがあるのか尋ねると、「ないから、貴方に声かけてみたんですよ」という。中国に足がかりを作って、出来れば直接取引したいと夢を見ているのだろう。

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1月13日 (日)  喫煙者の受難

昨年、12月の中頃に、いつも寄るジェヴァヒル・ショッピングモールから外に出たら、片隅に設けられた喫煙コーナーが目に留まった。いつ頃出来たんだろう?

なにしろ、EU基準とやらに従って、2〜3年前から、公共の場となっている所の屋内では、喫煙が一切禁止されてしまった為、ショッピングモールの買い物客も煙草が吸いたくなったら、一旦外に出なければならない。一時は出入り口の辺りに喫煙者が屯していた。それで、ショッピングモール側としても、喫煙コーナーを設けることにしたのだろう。

12月中頃で、外はもう大分寒くなっていたから、喫煙コーナーは尚一層寂しげに見えた。

オフィス・ビルも、もちろん全館禁煙なので、休み時間になると、働いている人たちが、一斉に外へ出てきて煙草を吸う。

写真のオフィス・ビルは、30階建てぐらいの高層ビルで、おそらく何百人もの人たちが働いているんじゃないだろうか? 多いときは、出入り口の周囲に、黒山のように人々が群がって煙草を吸っている。辺りに煙草の煙が漂っているのが見えるくらいだ。

年末に、母たちを案内して、ベイオールの裏通りを歩いたら、まだ外のテーブルでビールを飲んでいる人たちがたくさんいた。その多くは、喫煙者であるような気がする。寒空の中で大変だろうと言いたいところだが、周囲はそれほど寒くない。

これも、いつ頃からなのか良く解らないが、各店の庇の下にいくつもヒーターが設置されていて、これを全開にして暖めているから、横丁全体がかなり暖かくなっていた。なんというエネルギーの無駄遣い・・・。禁煙なんて止めてしまえば良いのに・・・。

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1月15日 (火)  生ビール樽の運搬

年明けにカドゥキョイで見た生ビール樽の運搬風景。

横丁にはトラックが入れないので、坂の上の通りで樽を下ろすと、後は並べて坂を転がして行く。かなり急な坂だから、ちょっと油断したら、樽が一斉に坂を転げ落ちて、えらいことになる。業者の人は真剣な表情だった。

この並びの飲み屋は、何処も安くて小さな店ばかりだから、多分、これで数軒分じゃないかと思う。右の店に二つ、左の店に三つといった具合で届けて行くのだろう。夏になったら、量が多くなって大変かもしれない。

トルコの生ビールは、日本と少しイメージが違うようだ。“美味い”というより、安いから飲んでいる人が殆どじゃないだろうか? 店が装いを改めて高級になると、生樽を置かなくなったりする。

店の人に訊いたら、やはり生ビールのイメージは、まず“安さ”であるという。だから、ビールを安くたくさん飲みたいお客が来る所なら、店としても利潤が大きい生樽を置くけれど、そうじゃなければ、場所を食うし管理が面倒なので、生樽を置きたがらないそうだ。

その所為か、どの店も生ビールを注ぐ時、泡をたてないようにして、ぎりぎりまで入れようとする。泡が多いと文句を言うお客もいるらしい。何か間違っているような気がする。

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