Diary 2012. 9
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9月2日 (日)  イスタンブールで安い夜の旅

我が家のあるイエニドアンは、イスタンブールと言ってもアジア側の東端に近く、アジア側の拠点となっているカドゥキョイから市バスに乗っても1時間以上かかる。この市バスの最終は12時15分で、これを逃すとなかなか面倒なことになってしまう。

一昨日、ボスポラス海峡を渡ってカドゥキョイへ着いたのが既に12時半、終バスはとっくに終わっているから、閑散としたバスターミナルを横切って、民間の業者がやっているミニバスの乗り場に急いだ。

ミニバスとは、日本で言うマイクロバス。このミニバスも一応走行路線は決まっているけれど、始点と終点以外に停留所はなく、ダイヤも特に定められていないようだ。「この路線、最終は何時なの?」と訊いても、「1時ぐらい・・」といった曖昧な答えしか返って来なかったりする。

カドゥキョイからイエニドアンまで行くミニバスの路線はないので、まずはウムラニエ、そしてドゥドゥルへ、ここからさらにイエニドアンへと3台乗り継いで行かなければならない。ウムラニエ行きは1時頃、ドゥドゥルはもっと遅い時間まであるから心配ないけれど、ドゥドゥル〜イエニドアンのミニバスは、遥か前、11時頃で終わってしまう。

しかし、ドゥドゥルまで他の路線を運行してきた運転手が、帰宅途中に客を拾って行ったりするから少しは希望がある。3週間ほど前、同じような時間にドゥドゥルまで辿り着き、10人ぐらいの人たちが希望を失わずに待っているのを見て、一緒に30分ぐらい辛抱強く待っていたら、我が家の直ぐ近くに住んでいると言う運転手さんが拾ってくれた。諦めてタクシーに乗らないで良かった。ドゥドゥルからでも25TL(約1200円)は出る。トルコのミニバスは待ち人がいる限り、これを見捨てないのだ。

一昨日も、ドゥドゥルに辿り着いたら、この日は5〜6人が何時来るとも知れないミニバスを待っていた。30分ほどして1台のミニバスが止まったものの、少し先のチェキメキョイから別の方角へ向かうと言う。これを聞いて、私と一緒にウムラニエからドゥドゥルまで来た親子連れはこのミニバスに乗り込んで行ったが、私は躊躇うことなく見送った。少なくともサルガーズィまで行くのなら、『後はタクシーに乗っても10TLぐらいか?』と考えるけれど、チェキメキョイでは意味がない。

この判断は正解だった。それから3分も経たないうちに、今度はサルガーズィを経てスルタンベイリまで行くミニバスが止まったのである。躊躇わずに乗り込むと、ミニバスは少し走ってチェキメキョイでまた客を拾ったが、それは先ほどの親子連れで、お父さんの方は私の顔を見て苦笑いしていた。

彼らはサルガーズィの手前で降りて行ったけれど、多分、チェキメキョイまで行って少しでも距離を縮めてからタクシーをつかまえるつもりでいたところ、直ぐにサルガーズィへ行くミニバスが来て、思わず苦笑いだったのだろう。

サルガーズィでは、私の他にもう一人若い男が降りた。少し歩いて、スルタンベイリから来る車もつかまえられる分岐点に出ると、その若い男もそこで立ち止まったので、「何処まで行くの?」と訊いたら、これがイエニドアンで我が家の少し先だった。もちろんタクシーの相乗りで合意し、直ぐ来たタクシーに2人して乗り込んだ。我が家の前に来た時点で、メーターは9TLを示していたから、5TL紙幣を若い男に手渡して車を降りた。

トルコでは、こういう顛末が本当に楽しい。一昨日も、多額のタクシー代を使わずに、まあまあ巧く行ったから尚更だ。何だか“イスタンブールで安い夜の旅”を楽しんだ気分になる。



9月8日 (土)  イスタンブールの夏と“アラブの春”

イスタンブールは、今週に入って急に涼しくなった。先週、観光客でごった返すスルタンアフメットを汗かきながら歩いていたのが嘘のようだ。今年の夏はもう終わってしまったのか・・・。

しかし、あの暑い最中に、スルタンアフメットの広場を埋め尽くしていた観光客の忍耐力も大したものだと思う。一週間遅らせて来れば良かったのに・・・。特にアラブ圏から来たと思われる女性たち、顔までベールで覆った黒装束は見るからに暑そうだった。

彼女らはレストランで食事する際もベールを外さない。注意して見たら、左手でベールを下からめくり、右手のスプーンやフォークを口元へ持って行くのである。あれで美味しく感じられるのだろうか?

亭主たちの方を見ると、これが結構涼しそうな格好をしている。

92年の夏に始めてスルタンアフメットへ来た時は、白い布を頭から被ったアラブ風の装束で歩き回っている男たちがたくさんいたのに、98年、4年ぶりに戻って来たら、その姿が余り見られなくなっていた。

それで、『アラブの旅行者は少なくなったのか』と思っていたけれど、この数年、わりと小ざっぱりした服装になった彼らが、黒装束の奥方たちを連れて来るようになって、やっと、少なくなったのではなくて服装が目立たなくなっただけらしいと気がついた。でも、それが今度は奥方たちの所為でまた目立つようになってしまった。

自分たちは半袖シャツにジーパンと随分身軽になったのに、奥方には未だベールを被らせているなんて如何なものかと思うが、彼女たちが海外旅行へ出られるようになっただけでも目覚しい変化と言えるかもしれない。これが“アラブの春”なのか・・。

しかし、このアラブの連中、礼儀を弁えず周りが迷惑していても知らん顔なのは、どうしたことだろう。彼らの宗旨は、女性にベールを被せることは教えても、礼儀は教えていないのかと言いたくなった。



9月9日 (日)  “アラブの春”−トルコは春爛漫

昔から、アラブの男たちがイスタンブールへ旅行に来るのは、自国じゃ出来ない飲酒や女遊びを楽しむためだったらしい。

それが、黒装束の奥方たちを連れて来てしまったら、お楽しみどころじゃないだろう。結構、せっせと家族サービスに努めているように見える。“アラブの春”も悪くない。

しかし、まだラマダンの最中に、昼間からホテルのカフェで奥方を前にしてワインをがぶ飲みしている男もいた。奥方は黒装束じゃなかったものの、きっちりスカーフを被って敬虔そうな服装であり、もちろんワインに口をつけたりしてしない。この夫婦、話している言葉はアラビア語のように聞こえたけれど、シリアとかヨルダン辺りだろうか?

まあ、トルコでは、スカーフを被った敬虔な服装の女性が、亭主らしき男と一緒にビールを飲んでいるのを見てびっくりしたこともあるが・・・

もう随分前から、女性はスカーフ姿のカップルたちが、街中で人目を憚らずにいちゃついたりするのは珍しいことじゃなくなった。中にはキスしたりする連中もいる。トルコは“春爛漫”といったところだろうか・・・。

また、この2〜3年、ラマダンになると、「断食しようという気持ちが大切なんです」という言葉が良く聞かれるようになった。要するに『気持ちはあるんですが・・・』と言いたいらしい。しかし、夏場に17時間も断食するのは、仕事の内容によっては殆ど不可能だろうから、“気持ちが大切”で済ませられるのは有難い話だ。そもそも信仰とは“気持ち”の問題であるかもしれない。

トルコの人たちにはイスラム以前に遡る長い文明の蓄積があるから、その信仰もバランスを欠いてしまうことはないように思える。



9月12日 (水)  ナーズム・ヒクメット文化センター

イスタンブールはカドゥキョイにあるナーズム・ヒクメット文化センター。ナーズム・ヒクメットは、1950年にソビエトへ亡命して、1963年にモスクワで客死した社会主義の詩人・文学者である。

文化センターには広いカフェもあって、カドゥキョイで、左派の友人たちと待ち合わせる場合、「ナーズムで・・」とだけ言えば、それで解り合えるほど良く知られている。

ところが、昨年の今頃だったか、30年に亘って宗教科の教員を務めて来た友人と話していて、彼がこの“ナーズム・ヒクメット文化センター”の存在を知らなかったのに驚いた。彼はカドゥキョイに近い学校で長い間働いていたはずである。

それで、翌日、彼を文化センターに案内したら、カフェで寛ぐ人々を見渡しながら、「カドゥキョイにこんな所があったなんて!」と驚いていたが、その後で「しかし、ここの人たちはネジップ・ファーズル文化センターを知るまい・・・」としたり顔だった。

ネジップ・ファーズルは、ナーズム・ヒクメットとほぼ同時代の保守的な詩人・文学者で、我が家に近いドゥドゥルにもその名を冠した文化センターがあるけれど、そこが保守派の人たちの溜り場になっているかどうかは良く解らない。

いずれにせよ、イデオロギーや宗教の度合いで、人々が活動エリアを別けてしまうのは余り好ましくないように思える。この10年ぐらいで、エリアを隔てる壁は大分低くなって来たようだが・・・。

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9月13日 (木)  共産主義者の幻想

先週、ナーズム・ヒクメット文化センターに行って一人でお茶を飲んでいたら、隣のテーブルにいた2人のインテリ風中年男から話しかけられ、しばらく雑談した。

2人はいずれもTKP(トルコ共産党)のメンバーであると言い、その時、文化センターには党首も来ていたそうだ。

彼らが、日本や中国について、どのくらい興味があって調べたりしているのか解らないが、その中国に対する見解には、いささか驚いてしまった。

彼らは中国共産党やら毛沢東主義に相変わらず幻想を懐いていて、酷い格差社会になっている中国の現状を知りながらも、それは中国がアメリカと対決するために戦略上致し方ないことだと言う。そして、近未来に中国はアメリカを凌駕し、共産主義の理想が復活するらしい、もう何をか言わんやである。

これでは、イスラム主義に幻想を懐いている一部の保守派と変わるところがない。しかし、イスラム主義者の中でも、サウジアラビアやイランのイスラム体制に未だ幻滅していない人は僅かに過ぎないと思う。同じく、中国に幻滅していない彼らのような共産主義者もごく少数に違いない。

だから、こういった幻想は無視しても構わないだろうけれど、中国に対してもう少し現実的な期待感を懐く人たちは、保守派の中にも結構いる。この場合、保守派と左派に共通して見られる期待感の源は、『とにかく憎らしいアメリカをやっつけてくれ』であるかもしれない。いずれにしたって、健全な期待感や幻想とは言えないような気がする。



9月14日 (金)  宗教冒涜映画

アメリカでとんでもない映画が制作されて、イスラム圏の国々は騒然となっているようだが、トルコでは特に騒がれている様子もない。フェースブックに、時々凄い書き込みをしている“敬虔なムスリム”の友人たちも、関係の無い話を書き込んだりしている。

反米意識は相変わらずだけれど、経済発展で自信を深めたトルコの人たちは、つまらない挑発など余裕で受け流しているのだろう。



9月15日 (土)  風下に立てない?

アメリカは世界の風上に立っているわけだから、風当たりが強くても仕方がない。だから風下に身を置くのも満更悪くないと思うけれど、トルコのように、かつては大帝国として君臨した国の人たちは、「何故、我々がアメリカの風下に立たなきゃならんのか?」と反発するのだろう。

1年ぐらい前、カドゥキョイの酒場で居合わせた3人連れのトルコ人と飲んでいたら、一人が面白い話をしていた。その男は私より少し年上で、まあインテリには違いない。自分では「“元左派”だ」と言う。

彼によれば、歴史上、“デヴレット”と言える国は、いくつもなかったそうだ。トルコ語のデヴレットは、“国家”と訳せるはずだが、ここでは“帝国”あるいは“覇権国”という意味で使われていたと思う。

それは、東西ローマ帝国とオスマン帝国、中国、アメリカであり、日本などは“デヴレット”の範疇に入らないらしい。そして、「今はアメリカを中心とするキリスト教文明が権勢を極めているが、この文明は既に行き詰っていて間もなく衰退を迎える、果たして次は何処の文明が主役になるのか?」と問い掛けながら、その答えはトルコであると言いたかったようだ。

それで私も「行き詰っているのは一神教の文明でしょう。これからは多神教の時代にならなければ・・」とやり返したら、「つまり日本だと言いたいのか?」と鼻であしらわれてしまった。

彼は、“元左派”と断っていたけれど、「キリスト教文明の後を担う“トルコの文明”」と言った場合、そこにはイスラムも含まれていたに違いない。現役左派の人々が恐れている“AKP政権によるイスラム化”など殆ど心配する様子もなく、トルコの発展に自信を持っているようだった。彼が想定していた“トルコ文明”のイスラムは、政教分離のもとに世俗化されたイスラムなのだろう。

しかし、ヨーロッパの文明をそう簡単に隅へ追いやって良いものだろうか? この文明からは、まだまだ学ばなければならない所がたくさんあるし、そこにはキリスト教的なエッセンスも少なくないように思える。でも、特に宗教では、風下に立つなんて絶対に許されていないかもしれない。私たちの日本は、八百万の神で本当に良かった。



9月16日 (日)  CKP(共和発展党)?

昨日の“風下に立てない?”で、昨年の出来事について書きながら、以下の駄文に記した話を思い出しました。昨年の6月9日、内輪のネット・サークル(Mixi)に書いたもので、当時、巷で聞いたり、新聞のコラムで読んだりした話をもとにした仮定とシャレに過ぎませんが、1年経ってみて、『やっぱりそんなところかなあ?』という気もします。

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12日の日曜日、トルコでは国政選挙が行われますが、政権党のAKP(公正発展党)が、また第一党になるのは、ほぼ間違いなさそうです。

AKP(公正発展党)は、2002年の選挙で大勝して政権についたけれど、当時は、司法や軍、財界、メディアが反発して、その中での政局運営は困難を極め、それは今の日本の民主党の比ではなかったかもしれません。ただ、アメリカの支援は受けていたところが違うでしょうか。

その後、2007年の選挙でもAKPは圧勝して、いよいよ政権固めに入ったものの、トルコには、軍などを基盤とする“深層政府”という存在があるとされ、これがAKPの進める民主化に抵抗するのではないかと言われていました。リベラル派と呼ばれる知識人たちは、この“深層政府”を壊滅させるため、AKPに支援を惜しみませんでした。

ところが、最近になって、こういった知識人たちは、AKPが既に“深層政府”と一体化しているのではないかという疑念を持ち始めています。

AKPは、以前ほどイスラム的な主張を出さなくなったし、それと同時に民主化を進めるのも止めてしまったようです。考えてみると、トルコの軍は、左翼と違って、イスラムを否定したことなど一度もないし、政教分離と言いながら、トルコ共和国は建国以来、宗務庁が宗教を管理し続けていました。国民は、共和国が望むレベルでイスラムを信仰しなければならなかったのです。

当初、AKPの創設者や支持者たちは、そのレベルを越える篤い信仰を持っていると看做されたため、“深層政府”と折り合いが付かなかったけれど、ここに至って、“深層政府”との間に、信仰レベルの調整が行われ、同意が得られてしまった可能性もあります。お互い譲歩して、『まあこの辺で』といった感じで、レベルを少し引き上げ、協力関係が出来てしまったかもしれません。

そもそも、トルコの人たちの信仰レベルを見れば、極端に薄かったり濃かったりしているのが2割程度いるだけで、8割方の人たちは大差なかったように思います。以前は、共和国も、その平均より、かなり薄い信仰レベルを望み、これを政教分離とか近代化とか名付けて、国民の啓蒙を行ったものの、反発も激しく、所謂“政教分離とイスラムの対立”が続いたけれど、その間に反発する側の信仰レベルも大分薄まってきたうえ、彼らが続けて選挙に勝って、国民の支持を得たため、“望ましい信仰レベル”の調整が行われたということでしょうか?

これにより、“望ましい信仰レベル”は、平均的な信仰レベルに限りなく近づき、安定が図られたということかもしれません。

最近の主張を見ると、AKP(公正発展党)も第一野党のCHP(共和人民党)も大して変わらなくなってきました。AKP(公正発展党)は、その名の一部が示す通り、金の回る“発展”には余念がないけれど、“公正”の方は何処かへ行ってしまったようです。

CHP(共和人民党)も、“共和”は良いとして、“人民”はとっくに忘れているようだから、いっそのことAKPとCHPが合体して、CKP(共和発展党)になったらどうでしょうか?

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以下の記事にある“ムスリムによる政教分離”は、あまり美しくない形で実現されたようにも思えます。まあ、そんなに美しいものを求めちゃいけないかもしれませんが・・・。

“新しいトルコ”も、最近はトルコ民族主義的な傾向を見せ始め、“国民国家”の鞘に収まってしまったような感じもします。しかし、イスラムの信仰レベルは上がったでしょう。そして、これからどのくらい上がるのか、多少の不安がないわけじゃないけれど・・・。

いずれにしても、大多数の民衆を無視する政治などもう出来ないだろうと思います。

【61】トルコにおけるムスリムによる政教分離の可能性【ラディカル紙】【2004.03.26】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00061.html

【174】古いトルコと新しいトルコ【ラディカル紙】【2007.07.26】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00174.html

【183】AKPはナクシュバンディ派のプロジェクトである【ラディカル紙】【2008.03.26】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00183.html



9月17日 (月)  交通事故

昨晩、市バスに乗って帰宅途中、バスが停留所付近でゆっくり停車したところ、ガシャンという軽い衝撃がバスの後部に・・・。

後ろから2列目の席に座っていた私も、『ああ、ちょっと追突されたな』ぐらいに感じた程度でしたが、バスを降りて良く見たら、追突した乗用車は、先端をバスの後部にのめり込ませた無残な状態で止まっていました。

運転していたのは初老の男性で、外へ出て中央分離帯のところにしゃがみ込んだまま呆然とした様子。取り囲んだバスの乗客たちが心配そうに話しかけたりしていると、じきに気を取り直して、携帯で何処かに電話していたから、まあ大事には至らなかったのでしょう。

20分ぐらい待ったか、私たちを乗せる次のバスが来た頃になって、救急車とパトカーが到着しました。あれから現場検証やら事故処理が行われたはすです。

もちろん、昨晩の事故では車両の移動など簡単に出来なかっただろうけれど、ちょっと擦った程度の事故でも、当事者たちは警察が来るまで車両を動かそうとしません。交差点の真ん中で大渋滞を引き起こしながら、そのまま待っていたりします。

現場検証が済んで、事故証明がもらえないと保険が下りないからだそうですが、日本ではもっと融通を利かせてやっているんじゃないでしょうか?

数年前、やはり乗っていたバスが乗用車と軽い接触事故を起こした時も、二車線をふさいだまま待っていたけれど、暫くしてやって来たパトカーの警察官は、現場検証などせずに苦笑いしながら、「書類は出しますから、とにかく車を移動してください。もう大渋滞ですよ」と運転手さんたちを説得していました。

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