Diary 2012. 8
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8月18日 (土)  ブルサ県のクムラ

20数年来のトルコ暮らしに一旦別れを告げて、来月、日本へ帰国することになった友人と共にブルサ県のクムラを訪れ、3日ほど彼のトルコ人の友人ハサンさんのお宅でお世話になってきました。

ハサンさんは、友人が20年前に働いていたイスタンブールの邦人企業で運転手を務めていた方で、今はクムラで奥さんと隠居生活を送っていますが、友人がいよいよトルコを離れることになったため、是非にと友人を自宅に招待したようです。20年経っても全く変わらない友誼・・・胸が熱くなります。

私は何だか余計だったかもしれないけれど、ハサンさん御夫婦は、初対面の私も大歓迎してくれました。近くの海へ泳ぎに行ったり、農場でトマトを採って来たり、毎日のんびり過させてもらったうえ、美味しい手料理で満腹の3日間でした。

写真は友人が撮ってくれたハサンさん宅の食事風景とトマト農場。そして、海岸の様子です。

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8月19日 (日)  君子危うきに近寄らず

イスタンブールのアジア側にも地下鉄が開通しました。カドゥキョイ〜カルタルまで約30分の路線で、今日から始まったラマダン明けの祝祭中は無料運行になるそうです。

私は今日、ギョズテペに用事があって出掛けたので、その帰り、試しにギョズテペ〜カドゥキョイの区間を利用してみると、昼の2時半というのに、私のような初物好きが多いのか車内は大混雑でした。

終点のカドゥキョイで降り、混み合うコンコースを歩いていて、突然、響き渡った女性の怒鳴り声に驚き、その方を見たら、ノースリーブの白いシャツにジーパンという出で立ちの若い女性が何やら腕を振り上げて走り出そうとしているのを、同じような服装の若い女性が必死に止めています。

『何だろう?』と思いながら、そのまま彼女らを追い越し、エスカレーター脇のこれまた混み合っている階段を上って半分ぐらいまで来たところ、ちょうど直ぐ隣を行くエスカレーターの後ろの方から、さきほどよりもっと激しい女性の怒号が聞こえたので振り返ったら、歯をむき出し、もの凄い形相になった白シャツ・ジーパンの女性が何事か叫び、エスカレーターの手すりに捉まって体を支えながら足を振り上げ、前方を行く若い男に蹴りを入れようとしているのです。女性は体を鍛えているのか、なかなか見事な足の上がり方でした。

今度は連れの若い女性も止めようとせず、一緒に叫びながら、足を蹴りあげる友人を支えています。こちらも凄い形相。メスのマントヒヒといったところでしょうか。

蹴りを入れられた若い男を見ると、これがへんてこな髪型をした不良っぽい奴で、何か怒鳴り返しながら口を大きく開き、殆ど抗争中のオス・チンパンジーといった形相。しかし、腕を振り上げて威嚇したものの、蹴り返すようなことはなく、直ぐ周りの人たちに抑えられ、大人しくエスカレーターを上がって行きました。

続いて、やはり周りの人たちに抑えられた女性2人が上がってくると、彼女たちは懲りもせず、また何やら金切り声を上げ、男は周りの人から抑えられた姿勢のまま、今度は割りと落ち着いた声で、「俺は隣の子に向かって言ったのに、自分に言われたと勘違いしやがって! いい気になるんじゃねえ!」と怒鳴り、女性たちが詰め寄ろうとすると、さらに落ち着きを取り戻し、「警備室へ行って話そう」と半ば捨て台詞のように言って立ち去ろうとしたけれど、改札口の所で追いついた女性が振り回したハンドバックを肩の辺りに当てられたようでした。

やれやれトルコの娘たちもなかなかやります。私にとって世界で比較対象になるのは、日本と韓国の女性だけですが、トルコの女性たちは、日本の女性ほど大人しくないものの、その激しさは韓国の女性に遠く及ばない、というのが私の観察だったのに、あの娘たちは韓国女性に負けていません。何にせよ、とても見応えのある活劇を見せてもらいました。

それから地下駅を出たら、あの娘たちが直ぐ横を歩いているのに気がついたので、ちょっと注意して見ると、すっかり落ち着いた彼女たちは相当な美形です。いずれも黒い長い髪でラテン風な顔立ち、スタイルも抜群なうえ、ごくまともな雰囲気のお嬢さんで、あばずれっぽいところは全くありません。それが、ひとたび怒ったら、歯をむき出してあの形相ですからねえ・・・。君子は危うきものに近寄りたくなくなってしまいます。

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8月20日 (月)  韓国の女性は可愛くても恐ろしい

1987年の初秋、韓国のソウルに語学留学して未だ3ヵ月目ぐらいの頃だと思う。週末にインチョンに出かけて晩飯もそこで済ませ、ソウルへ戻る地下鉄の駅へ向かおうとした時である。

繁華街の一角に人だかりが出来ていたので覗いたら、7〜8人の男たちが入り乱れて殴り合いの真っ最中だった。

男たちの3〜4人は軍服を着た若い連中で、おそらく徴兵期間中なのだろう。もう一方はスーツ姿のサラリーマン風だったが、こちらも大学を出たての24〜5歳に見えた。彼らは一足先に徴兵を終えていたに違いない。

私が道路わきの壁にもたれて観戦し始めた時点では、既にサラリーマン組が有利な形勢で、テコンドーの心得でもあるんじゃないかと思われる青年が防戦一方になった軍服姿の一人を激しく殴打していた。

すると、形勢不利に苛立った軍服のもう一人がウイスキーの瓶を放り投げたが、瓶は大きく目標をそれ、私の頭上の壁に当たって炸裂、私は頭からウイスキーを被ってしまった。

それからのことである。殴打されていた軍服はよろけて横転し、少しぐったりした様子だったが、そこへ見物の中から若いOL風の女性が躍り出て、「この野郎!」などと叫びながら倒れている軍服の所へ突進、ハイヒールの足を軍服の顔の辺りへ2度ほど蹴りおろしたのだ。なんとも戦慄的な光景で、これで勝負がついたのだろう。サラリーマン組は女性を抑えて引き離し、軍服組はぐったりした仲間を抱えるようにしながら逃げて行った。

女性はサラリーマン組の連れのようであり、多分、軍服組が彼女へ何か言ったことから喧嘩になったと思われる。ごく普通なOL風で、ちょっと可愛らしいぐらいだった。お陰で、私の弱い頭に、『韓国の女性は可愛くても恐ろしい』という認識がインプットされてしまった。

しかし、この喧嘩騒ぎでは、韓国の人たちの儒教的な礼儀正しさも再認識した。軍服組が逃げ去って騒ぎが収まった後、サラリーマン組の一人が、ウイスキーを拭っていた私の所へ来て、「私どもの喧嘩で御迷惑をおかけしてすみません」と丁重に謝ったのである。私は何か喋ったら、日本人であることが明らかになって面倒だと思い、手のジェスチャーで『大丈夫だ』と伝えて、その場を後にした。



8月21日 (火)  断食の実践

ラマダン明けの祝祭も今日で終わりますが、今年も暑かったし、日が長くて断食時間は17時間ほどにも及ぶから、断食を実践するのは並大抵のことじゃなかったでしょう。

ミリエト紙のメフヴェシ・エヴィン氏のコラムによれば、ある世論調査の結果、2003年には65%だった断食の実践率が、2007年は50%だったように、年々実践率は減少しているそうですが、2003年のラマダンは、10月〜11月にかけての比較的楽な時期だったけれど、2007年は未だ残暑が続く9月13日に始まっているし、以来年々、断食の条件は厳しくなっています。これも実践率に影響を与えていないでしょうか?

しかし、2003年〜2007年にかけて、日に5回の礼拝の実践も、31.6%から29.3%に減少しているそうです。トルコもこの10年ぐらいでますます経済活動が盛んになり、忙しい社会になってきた結果であるかもしれません。

AKP政権は「敬虔な青少年を育てる」などとぶち上げていますが、経済活動を抑制してしまうわけには行かないし、果たしてどうなるでしょう。

もっとも、異端のアレヴィー派の人たちによれば、“敬虔な信仰”とは、必ずしも断食や礼拝の実践によるのではなく、心で祈ることだと言うから、これで良いのかもしれないけれど・・・。

「敬虔な青少年を育てる」もいろいろ批判されているけれど、私はAKPの執行部が、かなり真摯な気持ちで、「そうなれば世の中は良くなる」と信じて主張しているようなところが最大の問題じゃないかと思います。権力や金の為にそんなこと言ってるのであれば、どうでも良いはずです。

7月、ビルギ大学のフェスティバルで酒類の提供が禁止され、さらにこれがエルドアン首相直々の要請だったことが明らかになって物議を醸していたけれど、これについて、ヒュリエト紙のイスメット・ベルカン氏は、「自分たちの道徳が他の全ての道徳より上であると思っている」ところが問題であると指摘していました。

これに尽きるのではないかと思います。自分たちの道徳や文化だけが全てだと決め付けるようになったら、トルコは袋小路に嵌ってしまうでしょう。

6月にお会いした宗教教育学の先生は、「トルコでは、まだ多くの国民が中絶等の問題を医師に尋ねた後で、イスラム導師にも問い合わせているんですよ。それで、私たち宗教の専門家はこういった疑問に対して教義上の見解を明らかにしなければなりません・・・」と仰っていたけれど、多くの国民が道徳の判断を他者に委ねているというのは、少し問題であるかもしれません。

福沢諭吉の「文明論之概略」に以下の記述があるのを思い出します。
「・・然るを況や政府にて、宗教学校の事を支配し、農工商の法を示し、甚しきは日常家計の事を差図して、直に我輩に向て善を勧め生を営むの道を教るがためにとて銭を出さしめんとするに於てをや、謂れなきの甚しきものなり、誰か膝を屈して人に依頼し我に善を勧めよとて請求する者あらん・・」

私はこれを読んでも「うーむ」と唸るばかりで何も言えません。トルコの人たちは何と言うでしょうか?

ついでに「文明論之概略」から、もう一つ引用します。トルコのラマダンでは、夕方、断食明けの食事を市などの行政が提供したりしているけれど・・・
「・・譬へば周礼に記したる郷飲の意に基き、後世の政府時として酒肴を人民に与ふるの例あれども、其人民の喜悦する有様を見て地方の人心を卜す可らず。苟も文明に赴きたる人間世界に居り、人の恵与の物を飲食して之を悦ぶ者は、飢者に非ざれば愚民なり。此愚民の悦ぶを見て之を悦ぶ者は、其愚民に等しき愚者のみ。・・」