Diary 2012. 6
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6月5日 (火)  グルジア行きバスのターミナル

イスタンブールとグルジア、アゼルバイジャンを往来するバスのターミナル。アクサライの近くにあります。つい先日、友人が教えてくれるまで、私はこのターミナルの存在を知りませんでした。

グルジアやアゼルバイジャンへ行くバスは、高速道路などで良く見かけていたけれど、専用のターミナルがあるとは思っていなかったのです。想像以上に、グルジアやアゼルバイジャンとの往来は増えているのでしょうか。

料金は、30〜40ドルぐらいだそうですが、運行時間は24時間以上、ちょっときついかもしれません。

真中の写真、“Tiflis”とあるのは“トビリシ”のことです。

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6月7日 (木)  本場?グルジア料理の店

バスターミナルの一角には、グルジア料理の店もあります。ターミナルの存在を教えてくれた友人も勧めていたので、早速、入ってみたけれど、メニューはグルジア語で記されていて何が何だかさっぱり解らないし、料理を運んでいるおばさんも殆どトルコ語が解っていないようです。友人は、餃子のような料理が美味しいと言ってましたが、これを身振り手振りで説明してもなかなか通じません。

店を管理しているのか、トルコ語を話す若者が3人、事務机の前に陣取っていたので、この若者たちに訊いてみたところ、彼らは皆クルド系のトルコ人で、一人は「でも、本当のルーツはガラタサライです」とつまらない冗談でにこやかに応じてくれたものの、彼らもグルジア語は全く解らず、話が通じないそうです。

仕方ないので、隣のテーブルのグルジア人が食べている料理を所望しました。“ホットゥル”というような料理名じゃなかったかと思います。牛肉(多分)のシチューみたいな料理で、なかなか美味でした。パクチが入っていたけれど、トルコでパクチは珍しいんじゃないでしょうか。

食べ終わる頃になったら、もう一人、グルジア人のおばさんがやって来て、この人はかなりトルコ語が話せます。餃子風の料理について訊くと、“クインガリー”とか言ってましたが、この日はなかったそうです。

それで、「では次回、食べることにします」と言ったら、あのトルコ人の若者が寄ってきて、小さな声で「気をつけなさい。あの餃子風には豚の油が入ってますよ」と親切に教えてくれました。しかし、この若者には悪いけれど、“豚の油”と聞いたら、ますます美味しそうで、是非とも食べてみたくなります。

写真左が店内の様子。大画面のテレビでグルジア語の放送を見せていました。何処かヨーロッパの国、あるいは南米辺りで制作されたテレビ・ドラマをグルジア語の吹き替えで放送しているみたいです。

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6月20日 (水)  人工中絶の是非

最近、トルコで話題になっているのが人工中絶の是非。エルドアン首相が人工中絶の禁止をぶち上げたり、宗務庁の長官が「人工中絶は殺人である」と発言したりして論議を巻き起こしています。

先週、他の用事で宗教教育学が専門の先生に会う機会があったので、ちょっとこの問題についても伺ってみたところ、この先生も「人工中絶は一つの命を奪うことであり、教義上許されない」という見解でしたが、「禁止した場合、違法な中絶手術が増えるだけだ」として、全面的な禁止には反対していました。

宗務庁の長官も、「人工中絶は殺人である」と言った後で、「我々はカソリックと違い、母と胎児の間でいつも母の側に立ってきた。・・・・この問題は、法律や禁止では解決できない」と続けていたから、こういった見解が現在の宗教界では主流なのかもしれません。

しかし、イスラムでは、元来必ずしも人工中絶を禁じて来なかったらしく、以前は各教団の指導者や宗務庁の長官といった権威も、その多くが「120日までは教義上も認められる」と明らかにしていました。

この辺りの経緯も宗教教育学の先生に尋ねてみると、どうやらこの人工中絶に関する法改正という議題は、少子化対策の中で語られ始めたようです。1983年、急激な人口の増加による人口計画政策の一環として、人工中絶を自由化させたものの、少子化の不安が囁かれる現在、人口計画政策などというものは全て白紙に戻さなければならなくなった為、その一環として自由化された人工中絶も見直すことになったらしい。だから、おそらく首相がぶち上げた“禁止”という結論には至らないように思われます。また、そう祈ります。

宗教教育学の先生は、「トルコでもトラキア地方などでは、既に西欧並みの少子化が始まっています。それでエルドアン首相も“子供は3人作るように”と力説しているわけですが、一方、東部や南東部地方を見たら、今でも8人や9人の子供がいる家族がざらにあります。これではトルコの人口バランスが崩れてしまいます」と説明しながら、“人口バランス”という言葉を使っていたけれど、これは要するに『クルド系の人口比が増えてしまう』という不安じゃないでしょうか?

いずれにせよ、人口増加の不安がある時代には、人工中絶も是という“教義上の見解”を発表し、少子化になれば、これを非とするなんて、『なんと御都合主義な宗教なのか!』と思ってしまいます。これなら原理主義など心配する必要は全くないかもしれません。

また、先生に“教義上の見解”を発表する意義について訊いたら、「トルコでは、まだ多くの国民が中絶等の問題を医師に尋ねた後で、イスラム導師にも問い合わせているんですよ。それで、私たち宗教の専門家はこういった疑問に対して教義上の見解を明らかにしなければなりません。でも、私たちに出来るのは人工中絶を止めるよう説得することだけです」と言い、「そもそもトルコには、宗教を信じていない人も少なからずいるんですよ。そういう人たちに“教義上の見解”で説得を試みたって、効果はないでしょ」と笑っていました。

しかし、この問題、中絶禁止に反対している人たち、特に“宗教を信じていない人たち”は笑ってすませていません。反対する女性たちが街頭に繰り出して、激しいデモを行う場面がメディアで紹介されていました。

それを見て、私はかつての“中ピ連”を思い出してしまったけれど、当時、日本の保守層が“中ピ連”を苦々しく思ったように、トルコ国民の大半を占める保守的な人たちも街頭でデモする女性を苦々しい目で見ていたに違いありません。

いつだったか、ああいった“進歩主義者”の人たちがデモ活動するシーンがテレビで中継されると、これを見ていた保守的な雑貨屋のおじさんは、「どんどんやってくれ、こいつらがデモを繰り広げるたびに、AKPの票は雪崩のように増えるのだ! ワッハハハ」と吼えていたけれど、今回の中絶禁止反対デモも、AKPの支持拡大に一役買ったかもしれません。

ひょっとして、エルドアン首相の狙いは、最初からここにあったのでしょうか?


6月21日 (木)  トルコも少子化

6月11日 (水) 自由恋愛のすすめ
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2008&m=6

上記の“便り”で、妻には固く貞操を守らせるものの、自分は他の女性と遊び放題という、とんでもない“進歩主義者”の男について記しました。

もちろん、トルコの“進歩主義者”は、こんな男たちばかりじゃありません。

ここで何度か話題にした“トラブゾン県のギリシャ人村出身”の友人アフメットさん。美術科の教員である彼も、宗教的な傾向が殆どない(宗教を信じていないわけじゃありません)進歩主義者だけれど、41歳になる今も独身のままで彼女すらいないようです。

アフメットさん、昨年までは以下のようにハタイ県の学校に赴任していましたが、その後、イスタンブールの学校に転任して、今は市内のアジア側に住んでいます。

5月22日 (日) アンティオキア教会
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2011&m=5

先日、このアフメットさん、そして彼の友人であるという、やはり独身の36歳男の3人で、茶を飲みながら雑談してきました。

場所は、ボスポラス海峡沿いのサルエルという洒落た街でしたが、アフメットさんが10年前に始めてイスタンブールに赴任したのはこの街の学校だったそうです。

「俺はここに赴任して来て、直ぐこの裏にあった銀行で口座を作ったんだ。銀行の窓口の女性が綺麗でね。思わず見つめてしまったこともある。この女性と銀行の前で出くわしたら、彼女が俺の電話番号を訊くんだ。ちょっと驚いて、なにも答えずに別れてしまったが、あれはいったい何だったんだろう?」

これには、36歳独身男も私も大笑いで、「何だった? 君は馬鹿じゃないのか? 仲良くなりたかったに決まっているだろ」と言ってやったけれど、アフメットさん、公立校の教員で給与なんて高が知れているし、銀行員の彼女はそんなこと百も承知だったでしょう。まったく何を恐れて電話番号を答えてやらなかったのか・・・

アフメットさんの話には未だ続きがあります。「でも、俺は彼女が何で電話番号訊いたのか良く解らず、数日の間、考えてみたんだ。それから、意を決して、もう一度彼女と話してみようと銀行へ出かけたら、彼女はもうそこを辞めていたんだよ・・・」。笑ってはいけない悲恋の思い出だったみたいです。

まあ、36歳独身男もずっと彼女がいないそうだけれど、この中で一番情けないのは、(昨日で)52歳のこの私でしょう。まったく他人のことを笑っちゃいけません。

彼らは進歩主義者だから、恋愛結婚を望んでいるのかもしれませんが、これでは宗教教育学の先生が言うように、トルコも少子化の危機に陥ってしまいます。

エルドアン首相も「子供を3人作るように」と言いたくなるでしょう。

進歩主義者の人たちは、エルドアン首相の発言に激しく反発しているけれど、“3人の子供”が最も必要とされているのは彼らじゃないでしょうか?

福祉党の時代からエルドアン首相らを支持している特に敬虔な保守層の多くは、首相に言われなくても、4〜5人の子供を作っているような気がします。これでは、進歩主義者と保守層の差は広がって行くばかりです。

進歩主義者たちも、「よおし、エルドアン一派が3人というなら、我々は10人作ってやる」ぐらいの気概を持たないと、この先、進歩主義政党が政権に就くチャンスは永久にやって来ないかもしれません。まあ、日本の少子化問題はもっと深刻だけれど・・・。



6月22日 (金)  人工中絶の問題

人工中絶の是非は、生命の尊厳に関わる問題だから、もちろん笑ってすまされる話ではないでしょう。

日本では、ちょうど同じ頃に、プロゴルファーの東尾理子氏が、生まれてくる子供がダウン症である可能性を明らかにして話題になっていました。東尾理子氏は次のように述べていたそうです。

「どんなにユニークでも私達を選んでくれた大切な我が子だから。最初から全ての運命を受け入れる覚悟も出来てるしね」

こちらも公表の是非を含めて、賛否両論いろんな意見が出ているようですが、私も東尾氏の発言には感動しました。私たち日本人の多くは特定の宗教を信じているわけじゃないけれど、生命の神秘や運命といったものは自然に受け入れているのではないかと思います。もともと神道自体が自然信仰のようなものかもしれませんが・・・。

先週お目にかかった宗教教育学の先生は、宗教学の中でも“人工中絶”や“帝王切開”といった医療問題に関する“教義上の見解”が専門だそうですが、障害の可能性がある胎児の中絶もこれを認めるべきではないとして、次のように話していました。「では、障害を持った子供たちは生まれて来なければ良かった、と言うのですか? そんな酷いことは誰も言えないでしょう?」

この先生は進歩主義者たちの反発について、「宗教を信じていない人たちに“教義上の見解”で説得を試みても効果はない」などと述べたりして笑っていたけれど、私も中ピ連まがいの過激な抗議には少々滑稽なものを感じてしまいました。人工中絶に道義上の問題があるのは論をまたないと思います。



6月23日 (土)  近代文明のジレンマ?

先日、「進歩主義者たちも、『よおし、エルドアン一派が3人というなら、我々は10人作ってやる』ぐらいの気概を持たないと」なんて書いたけれど、近代的な文化生活を築いてきた人たちが、今更、10人も子供作る時代に戻るのは不可能でしょうね。3人ぐらいは頑張ってもらいたいけれど・・・。

こういうのはトルコに限らない近代文明のジレンマかもしれません。

宗教では、人間が神によって作られた崇高な存在になるらしいし、各イデオロギーもいろいろ高邁な理想を述べてきたものの、とどのつまり、人間なんてものは生物学的に見れば、食べて、生殖して、遺伝子を残す“動物”に過ぎないのに、“近代的な私たち”は、これを忘れてしまっていたような気がします。

人間が他の動物と少し違うのは、家族という文化を持っているところでしょうか? これが、それぞれの地域で異なる伝統を形作って来た・・・、結局、私たちはこの伝統に回帰するよりないのかもしれません。

トルコの場合、家族に関しては、進歩主義者も保守層もある程度同じ“伝統的な価値観”を共有しているから、まだまだ救いがあると思います。日本はちょっと厳しい・・・。