Diary 2012. 5
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5月7日 (月)  モンゴル相撲

5月9日(月)韓人教会のピクニック
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2011&m=5

昨日は、年に一度開かれる“韓人教会のピクニック”に行ってきました。どのような催しであるかは上記を御覧ください。私は去年に続いて2度目の参加です。

今年はモンゴルの人たちが約150名も参加しました。去年も大柄で頑健な体つきの人が多いように感じたけれど、今回、男たちがモンゴル相撲に興じたり、男女で縄跳びを楽しんだりする様子を見ていると、その身体能力の高さに驚かされます。男女とも、少々太り気味でも動作が機敏なうえ、縄跳びを長時間続けて、持久力も相当ありそうです。

我々日本人や韓国人は不思議がって、「いつも体を鍛えているようだ」とか「相撲はもちろん、縄跳びの練習もしているんじゃないのか?」などと様々に憶測していました。モンゴルは気候風土が厳しいから、私のような弱虫の遺伝子は淘汰されているかもしれません。

モンゴル相撲は、トーナメントを開いて、一戦ごとノートに記録を取り、なかなか本格的にやっていました。数人の力士に話を聞こうとして声をかけると、彼らは未だトルコに来たばかりなのか、トルコ語も良く解っていないし、韓国語も余り通じなかったけれど、「「白鵬、鶴竜、旭天鵬・・・」は、そのまま通じて結構盛り上がってくれたようです。

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5月15日 (火)  結婚式 1

先週の金曜から昨日の月曜日まで、三泊四日で黒海地方のユンエに出かけていました。友人の長男の結婚式があったからです。

1月4日 (木) 強制送還されてしまった友人夫婦
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2007&m=1

この駄文でも記したように、友人とは、98年に名古屋で知り合いました。当時、友人は日本へ出稼ぎに来ていたけれど、奥さんの実家は相当な資産家であり、無理して出稼ぎに来る必要など何処にもなかったのではないかと思います。

土曜日の長男の結婚式も、なかなか豪華でした。金曜日の3時頃、友人宅があるユンエの団地に着いたら、もう楽団が来ていて、賑やかに演奏しており、祝いに訪れる人たちへ食事が振舞われていました。

4時を過ぎたら、さらに大きなスピーカーが取り付けられ、楽団の演奏は賑やかというより騒々しいくらいで、日本だったら、団地の住人が警察へ通報してしまうに違いありません。ところが、ここの住人たちは暢気なもので、中にはバルコニーに出て、手を振ったりする人もいます。

この日は、7時頃から何台もの車に分乗して、隣県のサムスン市にある花嫁の実家にほど近い公民館へ出かけ、“クナ・ゲジェスィ”という花嫁側の祝い事に加わったけれど、それまで団地では延々と楽団の演奏が続いていました。

金曜の晩は、クムルという山間の町にある友人の奥さんの実家に泊まり、土曜日の2時頃、団地へ戻って来ると、既に楽団がドンチャンやっていて、花婿やその親戚、友人たちが、それに合わせて踊っています。これから、また何台もの車で花嫁を迎えに行くそうです。

花嫁の実家までは片道1時間半ぐらい。実家の前でも、花嫁が出て来て、祝辞が述べられた後、15分ぐらい笛と太鼓に合わせ、皆で踊っていました。

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写真左は、花嫁を迎えに行く前、団地で踊る花婿の親戚や友人たち。

写真中は、団地で振舞われた食事。二日間で4百人分出たそうです。手前は“ケシケキ”という結婚式に振舞われる料理。茹でた小麦を潰して作るらしく、ゆるい水団のような食感でした。

写真右は、花嫁の実家前。

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5月16日 (水)  結婚式 2

結婚式は、土曜日の夜8時ぐらいから、ユンエ市内の式場で行われました。式場では、ケーキが配られただけで、後は12時過ぎるまで延々と踊りまくっていたけれど、この結婚式、団地で振舞われた食事や楽団の費用も合わせて、7万ドルぐらい掛かっているそうです。しかし、参列者も2千人を上回ったと言うから、ご祝儀である程度は補えたかもしれません。いずれにせよ、財産と名望のある家柄じゃないと無理な話です。また、この二日間に使われた肉体的・感情的なエネルギーも凄いものだと感じました。こんな大掛かりな結婚式で熱烈にお祝いされた夫婦は、そう簡単に離婚など出来ないでしょう。良い家庭を築いてもらいたいと思います。

写真は、左が花婿と団地に到着した花嫁。中と右は、式場に入る新郎新婦です。

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5月17日 (木)  結婚式 3

結婚式が済んで、翌日曜日は、何処も出かけずに団地の友人宅でまったりと過ごしました。

新郎新婦も午後になって新居からやって来たので、「新婚旅行は?」と訊いたら、翌朝のフライトで地中海地方のアンタルヤへ飛ぶそうです。なにしろ二日続けて踊り続けているから、中一日置かないと身が持たないかもしれません。

新郎新婦は高校の同級生で27歳。法学部を出た新郎は、既に法律事務所を開業したと言うので驚きます。12年前に訪れた時は、実年齢よりずっと幼く見える男の子でした。妹のほうが背も高く、姉弟と勘違いしていたくらいです。

友人宅には、新郎と同じ法学部で学んだ青年と、まだイズミルの大学に在学している妹の同級生という青年も泊まっていました。こちらは経済学部。

最近、私と同年輩の友人たちの子女が立て続けに結婚したから、「こっちは未だ結婚していないのに、ご祝儀ばかり出て行くよ」とぼやいて見せたら、茶目っ気のある妹は、「次は私も控えてますよー、よろしく」なんて笑っていたけれど、その相手は二人の青年のどちらかでしょうか? 鈍い私には良く解りませんでした。

しかし、この青年たちなら、どちらでも良さそうな感じです。新郎新婦や妹も含めて彼らと雑談していたら、私も楽しくなりました。宗教にもイデオロギーにも偏向がなく、祖国トルコを過剰に誇るわけでもなければ、自嘲自虐することもありません。とても現実的で落ち着いていました。まあ、時代が変わって、今のトルコの優秀な若者たちは、大概こんな感じかも知れませんが・・・。

写真は、金曜の晩に泊まったクムルの町です。

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5月23日 (水)  犠牲祭・・・

2002年に、親イスラムのAKP政権が発足して以来、トルコでは様々な宗教行事が盛んになって来たと言われていますが、犠牲祭に関しては、年々規制も厳しくなり、逆の方向を辿っているような気がします。91年、イズミルで初めて犠牲祭を迎えた時は、モダンなアルサンジャクの繁華街の裏通りでも、平気で羊がばっさりやられていたのに、今や、都市部では屋外の生贄屠殺が全面的に禁止されてしまったため、ばっさりという光景もなかなか見られなくなってしまいました。

信心深い人たちも、これには格別抗議の声を上げていないようです。結局、なんだかんだ言いながら、誰も進んで生贄を切ったりしたくはなかったじゃないかと思います。血を見るのは誰でも嫌なんでしょう。

それで最近、イスタンブールでは、羊より牛が生贄として良く売れるらしい。5世帯ぐらい集まって牛を買い、誰か代表者が一人だけ、所定の場所で屠殺に立会い、金を出し合った世帯に肉を配って終わり・・・。これでは、ただ肉をたくさん食べる日じゃないでしょうか?

人間、宗教に教えられなくても、普通であれば、人殺しなんて出来やしないはずです。人どころか、猫一匹殺せやしません。猫の死骸を目の前に放り出されたら、大概の人は、ギャッと悲鳴を上げて退散するでしょう。

人間は、嘘もなかなかつけません。嘘をつけばドキドキしてしまうため、嘘発見器というのが可能になるのではないかと思います。ドキドキするのは嘘をつくのが嫌だからじゃないでしょうか。

しかし、人間、嘘の一つもつけなければ、恋愛も出来ないような気がします。私は女性と話すと、昔からドキドキして仕方なかったけれど、あれは、嘘をつくからかもしれません。「映画でも見に行きましょうか?」って、ああいうのは殆ど嘘です。最初から映画を見たいなんて、これっぽちも思っていない。肝腎なのは、その後の展開でしょう。この程度でもドキドキして声が上ずってしまうから、その後の展開とやらも巧く行った験しがありません。

高校の同級生に、友人から紹介してもらった彼女と初めて喫茶店で会った時、「週末など、どうしていますか?」と訊かれて、「はい、ソープランドに良く行きます」と答えた男がいるそうです。そしたら、彼女は何も言わずに黙って席を立って行ってしまったらしい。彼としては「正直こそ正義」と思ったんだろうけれど、これはもう犯罪的な正直じゃないでしょうか。立ち去った彼女はどんなに無念だったか・・・。この場合は、「嘘こそ正義」だったはずです。なんて言いながら、私もこれに近いことをやり続けてきました。

こうしてみると、人間は宗教の教えが無くても、人殺しも出来なければ嘘もつけない、なかなか罪なんて犯せない。では、宗教は何のために有るのかと考えてしまいます。あれはやっぱり一つの妄想を皆で信じてみることに意義があるんでしょうか? そうすることによって立ち位置をはっきりさせる。『私はここにいるんだぞ』と・・・。そして、厳しい世の中を結束して逞しく生き抜く・・・。だから、平和な島国だった日本には宗教が根付かなかった・・・。

トルコの人たちは、長い宗教の歴史を持っているから、その取り扱いにも慣れているような気がします。原理主義のようなものへ簡単に陥ったりしない。その心配は、これに慣れていない我々日本人に向けたほうが良いかもしれません。

以下に、犠牲祭に関する記事をいくつか貼ってみました。

「この世界で生きることにはそれなりの代価があるはずだ。私たちの近くに存在する生物の命は、この代価を思い出させる為に重要である。近代的な思考の薄弱さは、代価を支払わずに生きていけるという虚構へ逃れようとしてしまう。これは人間の感受性を高めたりはしない、逆に人間を鈍感にさせ、無責任なものにする。(【110】“犠牲祭”の大切さ【ラディカル紙】【2005.01.21】)」という辺り、友愛を信奉する近代的な我々日本人が、是非聞かなきゃいけない言葉じゃないかと思ってしまいました。

私は“いじめられっ子”だったけれど、私が意気地なく戦わずに引き下がったために、何となく私をいじめてしまい、それが心の傷になって残った友人もいたようです。自分では誠実と友愛を尽くしたつもりでも、それが人を傷つけてしまう場合があるかもしれません。

「モダンな文明と言われるものは、ある側面、こういった偽善的な状態のことではないだろうか? 肉、それも生肉に近いような肉の料理(ローストビーフ、燻製肉、タルタルステーキ)を食べながら、一つの命が失われたことは全く考えないように努める。問題はここに始まって、人間の死に対する態度にまで至る。モダンな人間として、死を頭の片隅から遠ざける為に、あらゆる方法を駆使する。もっと悪いことには、人の命を奪う戦争について正しく追究する代わりに、“戦争反対”と言って自分自身を慰めようとする。死をもっと真摯に考えていれば、こういう風にはならなかっただろう。戦争は、数人の狂った、或いは悪質な政治家の所業であるという虚構に逃げ込もうとしなければ、自分自身の責任にもっと気がついただろう。ある人々(我々も含む)が、より快適な生活を営む為の代償を、他の人々が貧困と挙句の果てには命によって支払っている連鎖の中にいることを考えなければ、我々を悩ませている状況は変わらないだろう。(【206】犠牲祭【ラディカル紙】【2008.12.10】)」


【206】犠牲祭【ラディカル紙】【2008.12.10】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00206.html

【110】“犠牲祭”の大切さ【ラディカル紙】【2005.01.21】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00110.html

【40】「犠牲祭」の意味するもの【ラディカル紙】【2004.02.06】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00040.html



5月24日 (木)  正札なしの商売

これから恋愛しようという女性に、「ソープランドに良く行きます」なんて言うのは、本当に困ったものですが、この友人や私ばかりじゃなくて日本にはこういう男がかなり多いように思います。

しかし、いくら正直に行こうとしたって、恋心を感じている女性に、性的な欲望を伝えてしまうわけには行かないでしょう。

昔聞いた話、大阪は道頓堀の引っ掛け橋で、100人ぐらいの女性に「おめこせえへんか?」と声をかけると、一人ぐらいは「しよしよ」とついて来てくれるそうです。もちろん、こんなものは恋愛じゃないし、真っ当な男女関係とも思えませんが、正直と言えば、これほど正直な関係もないはずです。正直なんて碌なものじゃない・・・。

でも、日本では、男女のことに限らず、こういう馬鹿正直がまかり通っているかもしれません。物を売ろうとしても、「丹精こめて良い物を作れば絶対に売れる」という信念が先行して、馬鹿正直な価格で売ったりしてしまいます。

多くの日本人は、正札を付けないで商売することさえ“嘘くさい”と感じてしまうようだけれど、トルコの商人道徳からすれば、原価1万円のものを客に見せて、それを巧く100万円で売っても悪いことではないらしい。原価50万円の良品を見せておいて、1万円の粗悪品を渡したら、客を騙したことになるものの、売る商品を“正直”に見せていれば、後は客との駆け引きだから、客が「これは良い」と思って、100万円の価格に同意すれば、商人がなんら恥じることはないそうです。

イスラム教は、こういう商人たちが作った宗教だから、トルコの人たちの中には、100万円の原価は1万円ぐらいと承知しながら信じている人も少なくないような気がします。

日本では、「本音と建前」なんて良く言いますが、建前を“建前”と仄めかしながら言ってしまうのは日本人だけじゃないでしょうか? 韓国人もトルコ人も、言ってることの何処までが本音で、何処からが建前なのかさっぱり解らない。本人さえ解っていないかもしれません。私はもうトルコ人の宗教やイデオロギーの話は“話半分”で聞くことにしました。



5月25日 (金)  平和に纏わる嘘

“本音と建前”と言うけれど、自分の“本音”が何であるのか完全に解っている人なんて何処にもいないと思います。だから、何処までが建前で何処から本音なのか、線を引くのも難しい。ムスリムやクリスチャンが何処まで本音で宗教を信じているのか問うても余り意味はないかもしれません。皆、適当に折り合いをつけて生きている。世の中、そんなものじゃないでしょうか?

在日作家の金達寿が司馬遼太郎との対談で、次のように述べていました。戦前、神功皇后の三韓征伐などが歴史として教科書で教えられても、まともな人たちは、それが御伽話であると承知して読んでいたのに、戦後の教科書は、神話と史実を区別しながら、三韓征伐に類似する事実があったかもしれないと説明している。このほうが説得力を持つだけに、もっと危険であると・・・。

トルコで、教養のあるムスリムなら、神は抽象的な概念であると理解して信じているだろうし、コーランも神話として読んでいるのではないでしょうか。もちろん、そんなことは言わないけれど・・・

却ってイデオロギーの場合、それは具体的な事実として語られているから、もっと危ういかもしれませんが、多くのトルコ人はこちらも話半分で聞いているのではないかと思います。

日本では、戦後民主主義と、これに纏わる“平和”がまことしやかに語られているけれど、御伽話の装いを持っていないから、同様の危うさがあるかもしれません。さらに、戦前の御伽話は、人々を戦争に駆り立てるものだったから、本能的に殺人を忌避する人間として、人々はこれをまともに信じたりはしなかったのに、平和は誰もが望んでやまないため、ついこれを信じたくなってしまう。しかし、信じたところで、宗教のように人々へ結束力や“戦う意志”をもたらしたりはしない。自堕落になってしまうだけのような気がします。



5月26日 (土)  日本の少子化〜小津安二郎の「彼岸花」

20代前半の頃じゃなかったかと思うけれど、戦前に青春を過ごしたような年配の文化人が、「今の若い者は恋愛もできないのか・・・」などと雑誌に書いているのを読んで、「ご冗談でしょう?」と言いたくなった。

小津安二郎の映画なんか観ていれば、その世代は皆、お見合いで結婚しているようなイメージさえある。でも、そうではない男女関係もさりげなく描かれていて、あの時代にも、恋愛という妄想をやってのける若者たちがいたらしい。しかし、いい歳して未だ相手が見つからなければ、周囲が世話してしまうから、恋愛できないボンクラは目立たなかっただけだろう。

現代はボンクラにとって厳しい。いい歳して相手がみつからないと、「今の若い者は恋愛もできないのか・・・」なんて言われてしまう。

しかし、日本の男たちほど恋愛が下手なのは、世界に余りいないかもしれない。日本は小津安二郎の映画に描かれている昭和20〜30年代に戻らないと、結婚難とか少子化は防げないような気もする。それほど根っからの恋愛下手というか馬鹿正直が多い国民じゃないだろうか。

小津安二郎の「彼岸花」。冒頭、友人の娘の結婚式で挨拶に立った佐分利信演じる会社重役は、恋愛結婚で羨ましいなどと述べたうえ、「・・・私どもは親の取り決めに従って結婚したまでで、恋愛などという美しいものには全く縁がありませんでした」とか言いながら、隣の田中絹代演じる妻を見やる。この時、田中絹代の妻は、少し“にやっ”と笑ったような感じだ。

それから、家族で箱根へ出かけた時に、夫婦の間で交わされる会話は、こんな感じじゃなかったかと思う。

妻「戦争中、敵の飛行機が来ると、皆で急いで防空壕へ駆け込んだわね。・・〈中略〉・・真っ暗な中で親子4人このまま死んでしまうのかと思ったことあったじゃない、貴方、覚えていない?」
夫「ああ、そんなこともあったね」
妻「戦争は嫌だったけれど、ふとあの頃が懐かしくなるの。貴方はない?」
夫「ないね。俺はあの頃が一番嫌だった。物はないし、つまらない奴が威張っていたしね」
妻「でも、私は良かった。あの時ほど家族が一緒になれたことないもん」

最後の台詞、田中絹代がそれこそ燃えるような眼差しで佐分利信を見つめながら語っている。あらためて観ると、あの場面は、夫は全く気がついていなかったけれど、妻は充分に恋愛という美しいものを感じていた、ということだったのかもしれない。

それで、田中絹代の妻は、佐分利信が頑固に反対しても、恋愛して相手を見つけてきた娘を支援する。恋愛を知っているから・・・。佐分利信の親父は、スーパー鈍感男ってところだが、あれも日本人男の一典型ではないだろうか。しょうもないねえ、日本の男たちは。少子化になるはずだ。



5月29日 (火)  日本人は気楽で幸せだ

3年ぐらい前に黒海地方のトラブゾンで地元の青年たちから、こんな話を聞かされた。

「トルコに、“(私は)トルコ人であると言える者は幸せだ”という標語がありますね。あれは“トルコ人である者は幸せだ”じゃないところが素晴らしいのです」

彼らの中には、ギリシャ系の言葉を母語とする者もいたから、“トルコ人である者は幸せだ”とされたのでは、幸せじゃないことになってしまう。確かに“と言える者”で良かったかもしれない。

しかし、トルコの学校では毎朝、生徒たちに「私はトルコ人であります。正しい人間です」と宣誓させているらしい。これはどうなんだろうか?

かつては、トルコ国民でもない外国人の生徒にも宣誓させていたそうで、これを止めさせたチェリック教育相は次のように語っている。

「トルコ人(国民)ではないドイツ人の生徒に毎朝、『私はトルコ人であります。正しい人間です』と宣誓させた場合、最初の項目が嘘なわけだから、当然次の項目も嘘になるだろう」。

【41】フセイン・チェリック教育相へのインタビュー【ザマン紙】【2004.02.09】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00041.html

トルコ人とは、文化的に結びついた民族であり、エスニック・ルーツに基づくものではないとされているから、クルド・アラブ系であるチェリック教育相が、「私はトルコ人であります。正しい人間です」と宣誓しても問題はないかもしれないが、それなら“と言える者”じゃなくて、“トルコ人である者”でも良かっただろう。“トルコ人”というのは本当に難しい。

ユンエで結婚式のあった日の朝、クムルの周辺を案内してくれた友人の義兄が、「最近になって調べたら、うちはチェチェン人の家系だったらしい」と明らかにしたところ、居合わせた彼の実弟は、「えっ? 本当なの? 兄さん、どうやって調べたの?」と驚いていた。それまでは普通にトルコ人の家系ということになっていたのだろうか?

2007年頃から、こういった問題がとても楽に話せるようになって以来、やっと自分たちのルーツが解って驚いた人は少なくないかもしれない。解っていたけれど、周囲に合わせて偽ってきた人もいるだろう。私たち日本人には、こういう感覚がなかなか解らない。

【105】我々はフランス人の千倍もビザンチンの子孫である【ラディカル紙】【2004.12.30】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00105.html

この記事で、チザクチャ教授は、「・・・貴方の祖先も私の祖先も、ある時期に宗教とエスニック・ルーツを変えている。凄まじいほど、宗教、文化、アイデンティティーの変更が行われたはずだ」と述べているが、これは簡単に受け入れられる話じゃないはずだ。

文明の十字路に位置しているため、支配民族がめまぐるしく変わってきたとは言え、これではずっと自分たちを偽り続けてきたことになってしまう。

中国や日本から支配されて来た朝鮮半島の人々も同様の痛みを感じているに違いない。

私たち日本人の多くは、おそらく坂上田村麻呂の時代以降、万世一系の皇統のもと、“アイデンティティーの変更”など経験せず、ずっと日本人だったので、身分を偽る必要もなかった。「日本人は何故こんな正直なのか?」なんて考えてみたけれど、大陸のように厳しい文明の衝突もなく、平和に暮らして来れたからではないのか。とても有難いことだと思う。



5月30日 (水)  日本人は気楽で幸せだ・続

自分で言うのはなんだけれど、私も割りと正直なほうじゃないかと思う。でも、私の場合は、本当に厳しい現実に直面することもなく、甘ったれた人生を送って来たから、勇気を出して“正義の嘘”をつく必要もなかっただけに違いない。嘘ついてまで守らなければならない家庭もなかった。度胸がないから際どい嘘はつきたくてもつけない。恋しい恋しいと言いながら女性の一人口説くことも出来ない。まさしく役立たずで、果たしてわざわざ生きている価値があるのかと悩んでしまう。

こんな私は論外だが、やはり厳しい文明の衝突といった歴史を経ていない日本は、ちょっと塩気が足りていなかったかもしれない。歴史上の人物にも必要以上に正直な人が多いような気がする。

例えば親鸞聖人。歎異抄では以下のように、「念仏唱えると浄土に行けるというのは、法然上人がそう仰ったから信じているだけです」なんて正直に話してしまっている。

「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとの仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土に生るるたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもつて存知せざるなり」。

イスラム教でもキリスト教でも、人が信仰を持つときは全て同様の過程を経ているはずだ。「神の声を聴いて信じるに至った」などと言おうものなら、宗教上の罪になってしまう。正直に言えば、「両親がそう言ったから・・」ぐらいのところだが、そこをぐっと堪えて「聖典は神の言葉だから・・」と言い切っているのではないだろうか。

親鸞聖人も、念仏にすがろうと訪ねて来た門徒たちへ、「私は如来様のお告げを聴いたのです」と嘘ついてあげたほうが、よっぽど親切だったかもしれない。「よきひとの仰せをかぶりて・・」と言うのは、お見合いで結婚した妻へ、「親の取り決めに従ったまでです」なんて味気ないこと言うのに似ているような気がする。親鸞聖人も恋愛は下手だったりして・・・。

クズルック村の工場で、コンピューターのエンジニアだったアブドゥルラーさんは、だぶだぶのズボンをはいて顎鬚をたくわえ、敬虔なムスリムそのものであり、奥さんも黒い布を頭からすっぽり被って顔すら良く見えなかったけれど、アブドゥルラーさんは、「妻を一目見た時から恋してしまった」などと澄ました顔で惚気ていた。

アブドゥルラーさんがどういう状況で奥さんと知り合ったのか解らないが、多分、お見合いのようなものではなかったのか。それなら、「親の取り決めに従ったまでです」なんて言うより、たとえ嘘でも、こちらのほうが洒落ているかもしれない。

彼らの宗教は、「正直になれ」と教えているんじゃなくて、必要な時に嘘をつく勇気を与えているんじゃないかと思ってしまう。

論語にも、「言必ず信、行必ず果、矼矼然として小人なるかな」とあって、孔子も正直を大した美徳(政治家としての)とは認めていなかったようである。

我々日本人は、正直を旨としているものの、戦後はアメリカに守られ、世界中の戦争から利益を得て繁栄を貪りながら、虚構の平和に満足してきた。とても調子の良い正直だったような気がする。

しかし、日本人も幕末のような国難に際しては、権謀術数の限りを尽くして頑張ったのではないか。その後、ちょっとまともに行き過ぎたきらいはあるが、“戦う意志”を充分に見せている。

戦後になって、私のような自堕落が増えてしまったかもしれないけれど、意志があって正直な人もたくさんいる。それに、虚構の平和とは言え、あの平和の中で育ったサブカルチャーはなかなか侮れない。微笑で全てを飲み込んでしまうような“平和力”。このパワーを否定する手はないと思う。

「親の取り決めに従ったまでです」なんて味気ないと言ったけれど、映画「彼岸花」の中で、あの言葉を聞いた妻は、さりげない夫の愛を受け止めていただろう。野暮ったいが、そういう慎ましさは私たちの文化だから、それで良いんじゃないか。親鸞聖人も、あの正直さが有難いのです。