Diary 2012. 12
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12月1日 (土)  サビハ・ギョクチェン空港国際線

11月30日の金曜日、アジア側にあるサビハ・ギョクチェン空港の国際線から、始めて出国した。

2001年に開設されたサビハ・ギョクチェン空港は、国内線も国際線も同じ庁舎にあり、規模はヨーロッパ側のアタテュルク空港ほどではないし、日本からの就航もないので、余り知られていないが、未だ発着数が少ないためか、遅延が殆ど無くて良い。

国際線の電光掲示板を写真に撮ってみたけれど、日本語で記せば、以下のようになる。

トルコ語の表記では、まず最初の“Ercan(エルジャン)”からして、何処のことやら解らないが、これはトルコだけが承認している独立国:北キプロス・トルコ共和国の首都レフコシャの空港名。

あと、トルコ語表記で解り難いのは、“Uskup(ウスキュプ)”ぐらいじゃないだろうか? これはマケドニアのスコピエで、オスマン帝国時代、マケドニアが未だ帝国領内だった時の名称らしい。

レフコシャ=ニコシア(北キプロス)
バツーミ(グルジア)
アムステルダム(オランダ)
デュッセルドルフ(ドイツ)
ロンドン−スタンステッド(イギリス)
ドネツク(ウクライナ)
ブリュッセル(ベルギー)
パリ−オルリー(フランス)
スコピエ(マケドニア)
ミュンヘン(ドイツ)
シュツットガルト(ドイツ)
バーゼル(スイス)
バクー(アゼルバイジャン)

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12月2日 (日)  グルジア・バツーミ〜ホパ

11月30日、私が飛んだのは、グルジアのバツーミだった。

とは言っても、目的地はトルコ領内のホパであり、10月にお伝えした連続ドラマで、もう二場面の撮影が残っていた。チケットは先方が手配してくれる。

グルジアとの国境に近いホパへ、トルコの国内線を使って行こうすると、最も近いトラブゾンの空港からでも、2時間ぐらい掛かってしまう。

それで、グルジア領内のバツーミに飛び、それから国境を越えてホパに入るのである。これだと1時間も掛からない。

近年、トルコとグルジアは交流が盛んになり、トルコの国民はパスポートを携帯しなくても、国民登録証があれば、グルジア国内に入れるそうだ。

トルコ国民じゃない私は、パスポートを持参し、サビハ・ギョクチェン空港で出国のスタンプを押してもらった。

バツーミの空港に着いたら、グルジアの入国審査のゲートの前で、女性の係官が「ホパ! ホパ!」と声を掛けながら、ホパへ行く乗客たちを別室に案内していたので、私も付いて行ったけれど、パスポートに出国スタンプを押されている私は、他のトルコ人乗客と少し立場が違う。

心配になって、その女性係官に、パスポートを見せながら状況を説明しようとしたら、そのままパスポートを手に取り、リストと照らし合わせながら、「マコト・ニイノミ、OK!」と言ってリストにチェックを入れ、入国審査は必要無しと言う。

なおも不安だったので、隣にいたトルコの人にも訊いたら、「貴方のチケットはホパ行きでしょ? ちょっと見せてよ」と私の手から半券を受け取ると、“XHQ”という記号を示しながら、「ほら見て、ホパじゃないか。これなら問題ない。バツーミ行きのチケット買っちゃうと困るけれど・・・」と説明してくれた。

どうやら、係官が持っていたリストには、ホパ行きの乗客名が記されていたらしい。それから、係官の誘導に従って外へ出たら、そこにはトルコの空港リムジン会社“ハヴァシュ”のバスが待っていて、バスはイスタンブールのナンバーだった。

つまり、ホパ行きチケットの乗客は、グルジアに入国することもなく、そのままバスでトルコ領内に戻されてしまうのである。

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12月3日 (月)  バツーミ〜ホパの入管

11月30日、バツーミの空港で乗せられたバスは、ホパまでノンストップだった。

国境でも一時停止ぐらいで、審査も何もなかった。この状態でトルコに戻ったら、私はパスポート上、トルコから出国したまま、何処にも入国しなかったことになってしまう。

この心配は、国境が近づいた時点で、運転手さんに確認してみたけれど、「スタンプは、ホパで押すから大丈夫ですよ」と運転手さんは答えて、国境もそのまま通過してしまったのである。

でも、ホパに到着したら、ひと安心。やっと合点が行った。バスはホパに着くと、港湾の施設内に入って停車したが、そこには「バツーミ空港−ホパ・ターミナル」という看板が掲げられていた。どうやら、ここが入管の役割を果たしているらしい。

バスから降りて、「ホパ・ターミナル」の庁舎に入ると、やはりここで入国審査が行われた。

トルコの人たちも、パスポートを携帯していないだけで、国民登録証ともう一つ別の用紙を手に持っていて、この用紙には、サビハ・ギョクチェン空港で出国スタンプが押されていたようだ。

私も入国審査を受け、パスポートに入国スタンプを押してもらったけれど、グルジアには入国したことになっていないから、どうも妙である。いったい、トルコを出国して何処へ行って来たのだろう?

グルジアで、バツーミの空港から国境までは、多分、20分ぐらいだった。車窓に広がるグルジアの景色を、食い入るように見ていたけれど、街角や人々の様子はトルコと全く変わらなかった。所々、グルジア文字の看板が出てきて、そこがグルジアであると解るぐらい。しかし、中には「カラデニズ(黒海)・レストラン」というトルコ語の看板もあった。

山の斜面に、ポツンポツンと離れて家々が建っている様子なども、トルコの黒海地方と同じだったので、車窓から写真に撮り、後で良く見たら、家々の間にモスクも写っていた。ムスリムの住民も少なくないようである。

もちろん、グルジア正教会の教会もあったが・・・。

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12月4日 (火)  ホパの魚屋さん

ホパは、2009年に何度か寄ったことがあったけれど、宿泊したのは今回が初めてである。11月30日はホパ泊まりだった。

夜は一人で、さして広くない中心街を歩き回り、食堂も兼ねている魚屋さんで、イワシのフライを食べた。

この店は、40歳ぐらいの男2人と、同年代の女性2人が切り盛りしていた。女性たちは、如何にも魚屋の女将さん風、この地方では珍しい感じがした。イスタンブールやエーゲ海地方なら普通に見られるけれど、この地方で女性たちは、銀行の窓口とかスーパーのレジといった仕事しかしていないように思えたからである。

イワシのフライを注文してから気がついたが、2人の女性はどうもトルコ人じゃないらしい。男の一人は、女性たちにトルコ語ではない言葉で話し掛けていた。

訊くと、女性たちはグルジア人で、彼はラズ語で話したそうだ。「私はラズ語なら解りますが、グルジア語は解りません。彼女たちもトルコ語は少ししか話せないけれど、ラズ語はかなり解るんですよ」。

翌日もこの店を訪れて、もっと色んな話を聞きたいと思ったが、土曜日にはトラブゾンへ移動してしまったので叶わなかった。

トルコとグルジアの交流は、ますます緊密さを増しているようである。今回は会わなかったけれど、10月、撮影スタッフの中にはグルジア人の男が2人いた。

いずれも、30代後半ぐらい。とても流暢にトルコ語を話す。グルジア領内にいるムスリム・トルコ人なのかと思ったら、正教徒だと言う。どうやってトルコ語を覚えたのだろう?

*写真はホパの街並み。魚屋さんに行った時は、カメラをホテルに置き忘れてしまった。

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12月5日 (水)  一杯の暖かいコーヒー

12月4日の火曜日。イスタンブールは朝から冷たい雨がふり、いよいよ冬の到来を告げるかのよう。

朝、ヨーロッパ側で人と待ち合わせることになったが、先方は車でいらっしゃるから、解り易い場所が良いと思い、トランプタワーという高層ビルの前にした。

早めに着いて、車が停まれる場所かどうか確認し、高層ビルの脇に佇んでいるキオスクのような店で、1リラのガムを買ってから、近くの喫茶店に入った。

待ち合わせの15分前に喫茶店から出て、トランプタワーの前に戻ったら、一時止んでいた雨が本降りになり、おまけに傘を差したら吹き飛ばされてしまうような強い風で、とてもじゃないけれどボンヤリ立っていられない。

そこで、先ほどのキオスクの軒先に避難して、先方にこれを伝え、そのまま軒先を借りて待つことにした。

五分ぐらい経っていただろうか、後ろから肩を叩かれたので、振り向いたら、キオスクのおじさんが、ビニールコップに注いだコーヒーを差し出しながら微笑んでいる。

「えっ? これ私にですか?」と訊いても、おじさんは「寒いねえ」と笑うだけ。有り難く頂戴して、飲み終わってから、再び礼を述べて握手したけれど、それから間もなく車が来たので、挨拶もそこそこにその場を離れた。

この店で買い物したのは、多分、その朝のガム1リラしかないと思う。顔見知りでも何でもない。とても暖かくて美味しいコーヒーだった。


*写真は、帰りがけに写した別の店。本文の店は、間口がここの倍ぐらいあったけれど、やっぱり軒先に立たれたら、迷惑だったような気がする。

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12月6日 (木)  イスラミック・クリスマス・ツリー?

いよいよクリスマス商戦もたけなわ。店の中にサンタクロースの人形を置いたり、店先にクリスマス・ツリーを飾ったり。

大きなスーパーで、家庭用の小さなクリスマス・ツリーも売っていたけれど、そんなに需要があるんだろうか? 考えてみると、家庭じゃなくて、飲食店等が使うのかもしれない。

それにしても、このスーパーで、販売用のクリスマス・ツリーの前に飾ってあった大きなクリスマス・ツリー・・・。よく見ると、一番上にイスラムを象徴する三日月が掲げられている。

スーパー従業員の若い女性に、「あれ、何なの?」と訊いたら、「ターキッシュ・スタイルなのよ。綺麗でしょ。ギャハハハ」と愉快そうに笑っていた。

トルコが世界を制覇する日は近い。ゴー!ゴー!ターキッシュ!

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12月7日 (金)  高速海上バス

先月、ブックフェアに行く際、アジア側のカドゥキョイからヨーロッパ側のバクルキョイまで、高速海上バスを利用した。所要時間は20分。

カドゥキョイから、普通の海峡連絡船で、ヨーロッパ側のエミノニュへ渡り、そこから電車かバスでバクルキョイへ行こうとしたら、海峡連絡船だけでも20分かかり、少なくとも1時間は見なければならない。

そこを20分で行ってしまうのだから、高速海上バスは便利だけれど、この船は、一種の水中翼船で、海の上を飛ぶように航行する為、波の影響を受けやすい。

一度、ちょっと波の高い日に利用したら、かなり豪快に揺れた。乗客の中には吐いている人もいたが、吐く前にゲロ袋が渡されて事なきを得ていたところを見ると、よくある想定済みの出来事だったようだ。

もっと波が高くなれば、直ぐ欠航する。速いことは速いが余り当てにならない。

同じような水中翼船で、マルマラ海を越えてブルサまで行く、高速カーフェリーもある。これがまた、3時間ぐらい掛かるところを1時間半で行ってしまうから、本当に素晴らしいけれど、やはり波に弱くて良く欠航する。

聞いた話によれば、欠航せずにブルサまで行ったものの、波が高くて接岸出来ず、イスタンブールへ引き返したこともあったそうだ。

これじゃあ乗客は堪らない。最初から欠航になった方がよっぽど救われる。しかし、イスタンブールに戻って接岸出来たから良かった。こちらも駄目だったら、どうなっていたことやら・・・。さすらいの航海か?

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12月8日 (土)  遠足

我が家の近くから、北西の方角を眺めると、さほど遠くないところに小高い山々が見える。

昨年の夏に引っ越して来た時から気になっていて、『いつか登ってやろう』と思っていた。

今日は、久しぶりに晴れたので、ちょっと行ってみることにした。山の下辺りまで、ミニバスに乗って行き、そこから、だいたいの見当をつけて、住宅の立ち並ぶ間を歩いて行くと、程なくして周囲に建物がなくなり、森林公園という表示が見えてきた。

公園の管理所があり、車道の方には遮断機が下りていたので、管理所の前にいた人たちに、「ここは有料なんですか?」と訊いたら、初老の男性が、「貴方は何処の人? えっ? 日本人? 実は有料なんですが、日本人なら特別に無料です」と答えてから、私の肩を抱きしめて、「ハハハハ」と笑い出した。どうやら料金など無いようである。

この初老の男性によると、森林には、イノシシや鹿、狐、ジャッカルといった野生動物が生息しているそうだ。

それから、途中、小走りに走ったりして、どのくらいだろう? 時計を見ていなかったから、良く解らないが、30分〜40分ぐらいで、見晴らしの良い頂に出た。

頂の少し下で、車の通れる道から、藪の中の小径に入ったけれど、標識も何もないから、うっかりすると見落としてしまうところだ。

今日は、ミニバスを降りた場所と言い、森林公園に入ってからの道の選択と言い、勘が冴えていて、すべてどんぴしゃり。そして、頂からの見晴らしは最高だった。



*左の写真が、我が家の近くから見た景色。今日登ったのは、左から二番目の頂だったと思う。

中の写真は、頂の少し下から、我が家の方角を望遠で絞って撮った。我が家の裏手も小高い丘になっているけれど、上までびっしり家が建て込んでいる。

右の写真は、頂の上から、我が家のある方角も含めた景色。なかなか絶景だった。

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12月9日 (日)  森林公園

森林公園は本当に素晴らしかった。近くなのに、何故、今まで行かなかったのかと思う。久しぶりに、“森の匂い”を嗅いだような気がする。

車道は途中までアスファルト舗装だったけれど、上の方に行くと砂利道になっていて、その辺りまで来たら、人影はまったく見られなくなった。下の方では、バーベキューを楽しむ家族連れが車で来ていたりしたが・・・。

頂に出た時は、何だか自分だけの取って置きの場所を見つけたように思えて嬉しくなった。

隣の頂には、小さな白い家が建っていて、公園の管理所で訊いたら、森林火災などを見張る係官が常駐しているらしい。この建物は、我が家の辺りからも見えるので、間近に見られて、これまた嬉しかった。

そして、隣の頂から少し左の方へ目を移すと、遥か向こうにマルマラ海まで見渡すことが出来た。多分、ボスタンジュの辺りじゃないだろうか。随分、高層ビルが増えたような気がする。

帰りは、管理所の人たちに呼び止められて、お茶をご馳走になりながら長話した。これからも、月に二回ぐらいは来ようかと思う。

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12月10日 (月)  ポロネーズ・キョイ

森林公園、地図で見ると、山の向こうはポロネーズ・キョイで、森はずっとそこまで広がっているように見える。

ポロネーズ・キョイは、“ポーランド人の村”といった意味で、実際、その昔にポーランド人が入植して出来たと言う。現在、ポーランド人の入植者は、お年寄りばかり数世帯が残るだけのようだが、今でも豚肉の加工品などを作って売っているらしい。

ポロネーズ・キョイには、市内からバス便がなく、“イスタンブール近郊の秘境”みたいな感じだ。その為か、不倫のカップルなどが、付近の山荘風ホテルを利用する例が多いそうで、こちらの方でも有名になっているけれど、健全なピクニックを楽しむ人たちも多い。

10月、犠牲祭で訪れた村は、森林公園やポロネーズ・キョイから大分離れているものの、山野は繋がっているかもしれない。

村の人は、近くで射止めたイノシシをポロネーズ・キョイまで持って行くと話していた。彼は敬虔なムスリムだから、田畑を荒らすイノシシを仕留めても、自分で食べるわけに行かない。それで、ポーランド人の家族に売り渡すそうだ。

この話を、犠牲祭でイスタンブールから来ていた人も聞いていて、「ポロネーズ・キョイって、そういう村だったの? いつだったか家族でピクニックに行って、あの村のレストランで肉料理も食べたけれど、まさか豚肉は入っていなかったよねえ・・・」と驚きを隠さなかった。

これに対して村の人は、「それは大丈夫です。ポーランド人と言っても、トルコで生まれ育った人たちですから、我々の宗教や伝統についても良く知っていて、その辺は充分に気をつけています」と答えていた。

この村人は、イスタンブールで長年公務員として勤務した後、定年退職して、6年ほど前、生まれ故郷の村に戻って来たそうだ。なかなか面白い人で、近くに出没するジャッカルの餌付けに成功してしまい、他の村人たちから変人扱いされたなんて話を楽しそうに語っていた。


*写真はポロネーズ・キョイじゃなくて、犠牲祭で訪れた村です。

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