Diary 2012. 11
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11月2日 (金)  昼下がりの情事

昨日の昼、バスでヨーロッパ側に渡って、レヴェントに着いたら、妙に小腹がへっていたので、バス停前の大きなショッピングモールにあるフードコートへ行こうとしたが、途中で『そういえば・・・』と思い出して止めた。

いつだったか、このフードコート内のキョフテ(トルコ風ミートボール)屋でハンバーガーを食べたところ、フードコートの中央に設置された舞台で洋楽バンドがうるさい音楽を奏で始めて閉口したのである。

どうもトルコの人たちの“音”に対する感覚は私たちと違うようだ。私にとっては明らかな騒音も、食事中のBGMになってしまうらしい。

それで、ショッピングモールから出て、道路の向こう側に渡り、商店街に入って何処か適当な軽食屋を探していると、ここにもフードコートと同じキョフテ屋があった。この店はチェーン展開していて、イスタンブールの至るところで見かける。でも、こちらはギャルソンが出迎えたりして、ちゃんとしたレストランになっていた。

昼時、近くにはオフィスが多いから、スーツを着たサラリーマンやOLで賑わっていて、家族連れが多かったフードコートの店とは雰囲気もかなり違う。しかし、同様の軽食メニューもあったので、ここで食べることにした。

窓際のテーブルに腰掛け、ナップザックを窓側の席に置いて食べ始めると、ギャルソンが来て、「すみません。7人のお客様が来たので、窓側の席に移ってもらえませんか」などと言う。

『まあ、こっちは軽食メニューだから文句も言えないか』と舌打ちしながら席を移動したら、テーブルを二つに分け、そこへ向かい側のテーブルで食べていたサラリーマン2人を誘導した。彼らも軽食メニューだから渋々応じたのだろう。

それから、彼らがいたテーブルと他のテーブルをくっつけて、たちまち7人席を準備していた。

『どういう連中が来るのか?』と思っていると、現れたのはOLばかりの7人連れだった。歳の頃は、23歳ぐらいから35歳ぐらいまでと様々である。席を移動させられて業腹だったので、食べながらチラチラと何だか粗を探すように彼女らの様子を観察した。

よく喋るのは、もっとも年上じゃないかと思われる女性。お局様か? トルコの女性たちは全般的に美人なので、彼女も歳の割には美形だったが、ちょっと化粧がきつくて、服装も派手すぎ・・・。

数年前、当時話題になった「不倫」という小説を読んで以来、どうもOLたちの姿を見ると、その小説に出てくるOLのイメージとだぶってしまって困る。作者のアフメット・アルタン氏は、実に鋭くOLたちの様子を観察して描き切っていたと思う。実際のトルコのOLたちを見ていると、その表現が驚くほどリアルであることが解る。

小説「不倫」の中にも、OLたちが連れ立って昼を食べに行ったりする場面が何度か出てきた。社内食堂では、出世コースから外れたOLばかりが下世話な噂話で盛り上がっていたり・・・。しかし、出世街道をひた走っていたヒロインのアイダンも、たまには彼女たちの動向を探るために席を同じくしたりする。

小説「不倫」で、ヒロインのアイダンは有能な銀行員であり、夫のこれまた有能な脳外科医であるハールク、そして幼い娘のセリンと共に幸せな家庭を築いていたのに、思いがけない偶然が重なった末、同じマンションに住むジェムという独身貴族の青年と淫らな関係に陥ってしまう。

以前、アイダンとジェムが初めて昼下がりの情事を楽しむ場面を拙いながら以下のように訳してみたことがあった。現実のOLの姿から、これを思い出して有らぬ妄想を繰り広げたら、本当に困ったことになってしまう。

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・・・我に返って、また新たに感じ始めたら、ジェムは乳房を両手でつかみ、先っぽを舐めていた。クロイチゴのようにつんつんと立った濃い褐色の乳首を歯の間に入れ、歯で軽く押しながら舌の先端でも触れていた。

ジェムはもう一度顔を乳房に押し付けた後、腹に口付けし、小さい花のようなお臍に舌を這わせ、両腿に腕を絡ませて広げながら、ずっと下の方に身を引いた。

アイダンが、ジェムの息遣いを鼠径部に感じてのけぞると、ジェムは腿を押さえつけ顔を埋めてこれに応えた。

アイダンは夫との交わりで身につけたかつての癖で、ジェムの顔を掴んで上に引き上げようとしたが、ジェムは予期せぬ態度で「良いじゃないか、やらせてくれ」と言い、アイダンの手を取って退けた。アイダンは、最初、ジェムがその行為を楽しんでいるとは信じられなかったけれど、その内に、彼がそれを本当に楽しんでいると感じ、おそらく初めて、男がその行為にうんざりするのではないかという疑念を全く懐くことなく、快感に身を任せた。ジェムの舌は、何処へ行きたいのか知り尽くした旅の達人のように神秘の褶曲部を徘徊した後、その僅かな凹凸の間に隠された小丘に辿り着いた。

アイダンは、先ず瞬間的に、人間が我身をこのような快感へ、男がうんざりするのではないかという疑念を感じることなく、共通の快感を分かち合っていると信じながら任せられるのは何と素晴らしいことかと考えたものの、その後、全ての思考はおろか感覚までも消えうせてしまい、鼠径部から脳に向かって駆け上がって来る火のついた蟻たちに身を任せたのである。・・・・

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11月3日 (土)  小説「不倫」−ネタバレ注意

小説「不倫」に出てくるOLたち、トルコでは昇進して役職につく女性が多いから、日本で言うOLとはイメージが違うかもしれない。それから、食事風景などの描写は実にリアルだと思ったけれど、情事の場面がどれほどリアルだったのか、私には経験がないから良く解らない。

小説のその後の展開にリアリティーがあるとしたら、ちょっと恐ろしくなってしまう。少々記憶があやふやだが、以下のような展開になる。

アイダンたちが暮らすマンションは、高級団地のようなもので、敷地内に何棟か同じマンションが建っている。トルコには中級から高級に至るこういった団地が多い。敷地は壁で囲まれていて、入口には警備所がある。

アイダンは、この団地で町内会の委員みたいな役目を任されていて、団地内に庭園を整備するプロジェクトに奔走している。この為に、庭園等の設計を請負っているジェムと知り合うのである。

ジェムと淫らな関係に陥ったアイダンは、当初、ジェムの部屋を訪れて情事に耽っていたが、さらに刺激を求めて、夫と娘がいない時にジェムを部屋に誘い入れてしまう。そして、ついには夫が寝入った後に、ジェムを招き寄せ、バスルームで行為に及ぶという冒険を試みる。

ここに至って恐れをなしたジェムは、徐々に距離を置き始めるが、アイダンは既に危険な刺激がないと治まらなくなっていた。それで、次なる刺激として、団地内の方々の家を委員として訪れる度に、窃盗を重ねるようになる。最初はジェムの所の人形だった。

盗むのは、灰皿とか花瓶といった小物ばかりで、住民たちは奇妙な現象として話し合ったりするものの、犯人を探し出そうと警察に通報したりはしない。

ところが、元々アイダンと仲が良くない気難しい老夫婦の家でも小物を盗んでしまうと、これに気がついた老夫婦は躊躇わずに警察へ通報する。

翌朝、アイダンが銀行へ出勤しようと支度しているところへ警察が訪ねてきて、アイダンは事情聴取のため、署に連行される。

署には老夫婦の他、団地住人の殆どが事情聴取に呼ばれ、中にはジェムと夫のハールクの姿もある。しかし、老夫婦を除いて、ジェムも含めて誰一人、盗難の事実を申告しようとしない。老夫婦の思い違いじゃないかと言う人もいる。破滅を望んでいたアイダンは、この展開にがっかりする。

事件は、老夫婦の思い違いということで決着し、アイダンはハールクに伴われて帰宅したが、老夫婦の偽証を詰るハールクに向かって、「事実だからしょうがないでしょ」と言い、驚くハールクに、ジェムとの行為も含めて洗いざらいぶちまけてしまう。

ハールクは思いがけない話に悲しんで涙を流し、翌朝まで一睡もせずに苦悶し続けるが、結局、娘のためにもアイダンを許し、イスタンブールを離れてやり直そうと決意して、これをアイダンに告げる。アイダンは無感動にこれを首肯し、彼らはイズミルに向かって旅立つ。

今、手元に本がないから確認も出来ないが、だいたいこんな内容だった。これは現実に有り得る話なのか? まあ、世の中にはもっと奇怪な事件も起きているから、有り得ないと決め付けるわけにもいかないが・・・。

しかし、この小説は、本が余り売れないトルコで異例の大ベストセラーになった。特に女性たちの間で人気だったらしい。あの7人連れのOLたちも読んでいただろうか・・・。


11月6日 (火)  銅像じゃなくて生きている野良犬が嬉しい!

イスタンブールには、バスの停留所などで佇んでいる野良犬が多い。いつも同じ停留所に同じ野良が佇んでいるのか、そこまでは確認していないが、本当に多い。

バスに乗って帰って来るはずの元飼い主を待っているのかもしれない。まさかねえ・・・。

停留所には、いつも人が集まっているから、その雰囲気が好きなんだろうか? トルコでは、餌をあげる人も多いような気がする。それが目当てだったりして・・・。

渋谷の忠犬ハチ公にも、餌がもらえるから駅に来ていたという説があるらしい。

しかし、現在、渋谷の駅前には、ハチ公の銅像まで立っているけれど、本物の野良犬があの前に寝そべっていたら、どうなるだろう? 直ぐに保健所が連れて行って殺処分してしまうんじゃないかと思う。南無阿弥陀仏・・・。銅像より、生きている野良犬の方がよっぽど有難い。

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11月7日 (水)  騎馬民族の末裔

二ヶ月ほど前、写真の出で立ちでテレビのコマーシャル撮影に駆り出された。一緒に出演したのはモンゴル人の留学生たち。

子供の頃からモンゴルには憧れがあるから、彼らと雑談できるだけでも嬉しかった。

子供の頃と言っても中学生ぐらいにはなっていたけれど、よく世界地図を見ながら、『大帝国を築いたのに、何故、草原しか残らなかったのか?』と残念に思ったりした。今でも、時々、そんな感傷に浸ることがある。

しかし、考えてみると、草原しか残っていないから、憧れてしまうのかもしれない。モンゴルがずっと北アジアの強国として栄え続けていたら、多分、恐ろしいだけだろう。なんとも勝手な憧れで、モンゴルの人たちには申し訳ない。

今は、草原にビルが建ち、経済発展が著しい首都ウランバートルを訪れることが出来たらと思う。もちろん、草原にも行ってみたいけれど・・・。

司馬遼太郎の本に、「モンゴル人は今でも皆馬に乗れる」と記されていたので、彼らにも訊いてみたところ、「乗れる」と答えたのは、真中の大柄な青年だけだった。彼は日本の相撲部屋からも勧誘されたことがあったらしい。

後の二人は、「いやあ、都市に住んでいて乗れる人は余りいませんよ」と苦笑いしていた。

一応、騎馬民族の末裔を自称しているトルコの人たちも、「トルコの男には、“馬”“武器”“女”の三つがなければならない」なんて言ってるけれど、イスタンブールで馬に乗れるトルコ人はどのくらいいるだろう?

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11月8日 (木)  インフルエンザの予防接種

知人に勧められて、インフルエンザの予防接種を受けようかと思っていたけれど、「果たしてどのくらい有効か」と異議を唱える友人もいる。

接種を受けようと思えば、最寄りの薬局で簡単に受けられるらしい。そこで、今日、近所の薬局へ寄って訊いてみた。

「10TL(約500円)です。接種しますか?」とにこやかに応じて来たが、有効性について質問すると、「どのタイプが流行するのか、予想に基づいて作るわけですから、当たれば効くんですが・・・」と何だかはっきりしない回答。

「それじゃあ、宝くじみたいじゃないですか?」と言ったら、「ええ、チャンスがあれば効きますよ。ハハハハ」なんて可笑しそうに笑っていた。それで、ユーモアたっぷりに答えてくれた薬局の人には申し訳ないけれど、やっぱり止めにした。

予防接種と言えば、3年前の“豚インフルエンザ”の一件を思い出す。

当時、レジェップ・アクダー保健相は、自らワクチンの接種を受け、国民にも勧めたばかりか、「エルドアン首相もギュル大統領も接種を受けます」などと言ったらしい。

これに、エルドアン首相が「私は受けるつもりなどない。国民に強要すべきことじゃない」と強く不快感を表明したので、アクダー保健相は釈明に大わらわだった。

「メディアに発言が間違って伝えられてしまった」と弁解していたようだが、真相はどうなんだろう? いずれにせよ、医療制度の改革を推し進めて評価の高いアクダー保健相は、罷免も更迭もされなかった。

他のイスラム圏では、“豚インフルエンザ”に世情が騒然となっていたようだが、トルコでは、イスタンブール市内の大きなスーパーマーケットで売られている豚肉加工品が、おそらく店側の自粛により、しばらく姿を隠していた程度で大した騒ぎにもなっていなかった。

アクダー保健相も、イスラム的な与党AKP生え抜きのメンバーで敬虔なムスリム。夫人はしっかりスカーフを被っている。でも、“豚インフルエンザ”の一件では、医学博士として、自身の見解を明らかにしたのだろう。

エルドアン首相にしても、昨年、酒やタバコの税率が引き上げられた際、「タバコは吸わなければ良い。酒も少しにすれば良い」と発言して、イスラム化を恐れる左派ばかりか、一部の“非常に敬虔なムスリム”からも批判されていた。

ご存知のように、タバコが新大陸からもたらされる以前に記されたコーランには、酒の禁忌は明らかされていても、タバコについては何の規定もない。だから、教義の厳密な解釈に基づけば、タバコを少しにして、酒は飲むなと言うべきところだった。

しかし、トルコでは、「アッラーが酒を禁じられたのは、それが健康に悪いからです」という近代的(?)な解釈が広まっていて、「だから、少し飲む分には良い」と言う鈍らなムスリムもいれば、「それなら、タバコもいけないはずだ」とする真面目なムスリムもいる。(そんなこと言ったら、脂肪も糖分も運動不足もいけないはずだが・・)

導師養成学校の出身で、イスラムの教義についても深く学んでいるはずのエルドアン首相にも、一般と同じような「健康に悪いから・・・」という発想があるのだろうか? (エルドアン首相が、脂肪や糖分、運動不足にも充分留意しているのは確実だが・・)

かなりイスラム的と言われているザマン紙を読んでいて、その教義解釈に少々驚かされたこともある。ちょっと正確には覚えていないが、宗教の質疑応答コーナーに、以下のような読者の問いが寄せられた。

「市販されている一部の薬品や化粧品に、豚から得られた物質も使われている可能性があると聞いていますが問題はないでしょうか?」

これに対して、イスラムの導師は次のように答えていた。

「豚から得られた物質が使われているという確証があるのなら、その薬品や化粧品を使用するのは止めるべきでしょう。しかし、一部に使われている可能性があるかもしれないと言うのであれば、貴方が購入した製品に使われている確証はないのだから、使用しても問題はありません」

これならば、一部の製品に“豚から得られる酵素”が使用されていたという調味料も問題にはならなかっただろう。

ところで、私は暇があるから、こんなことをくどくど考えているけれど、忙しい人たちにとっては、どうでも良い話に違いない。

世俗化云々にしても、世俗化されていないのは、「ああでもない、こうでもない」と余計なことを考えている人たちの頭の中だけで、トルコの世間はとうの昔から世俗化していたような気もする。

*写真は、うちの近所の薬局さんです。

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11月9日 (金)  この国が好きですか?

“AKP政権によるイスラム化”を危惧する左派の人と話していたら、「貴方はこの国が好きなんですか?」と訊かれた。

「好きじゃなきゃ17年も暮らしていないでしょう」と答えると、彼は隣の人に向かって、「この人は外国人で、ずっと良い所に住んで、トルコの良い面しか見て来なかったんだろう。酷い目にあったことがないんだね」なんて言う。

言われた人も、これに肯いて「この国が好きだなんて・・。この国はとても変わっていますよ。無知な人がこんな多くて・・」と呆れた顔をしていた。トルコが好きな私も“無知”の部類に数えられていたんだろうか・・・。

(というか、彼らの理屈からすれば、日本でも何処でも世界は“無知”だらけに違いない。)

ウィキペディアで調べたところ、トルコの識字率は94%となっていて、それほど低くはない。1923年の共和国革命以降に、ラテン文字の導入や義務教育化等の改革が始まったことを思えば、決して低い数字じゃないだろう。アンカラ以西の地域に限定すれば、100%近いのではないかと思う。(日本は99%)

「外国人で、ずっと良い所に住んで・・」と言うが、多分、彼らは私より遥かに豊かな暮らしをしているだろう。

彼らが住んでいる街区は、我が家のある僻地のイエニドアンと違って、そんなに停電もしていないような気がする。

しかし、マイカーを持っているため、イスタンブールの交通渋滞では、私より酷い目にあっているかもしれない。

世俗主義を標榜して来た彼らが、イスラム系と言われるAKP政権の長期化に落胆している気持ちは解るけれど、その下で達成された経済成長まで疎んじたりするのは可笑しいと思う。彼らだって、充分に経済成長の恩恵は受けているはずだ。

多くの庶民は、イデオロギーのような形而上の事柄については“無知”かもしれないが、それは興味がないだけで、実社会で役立つことについては誰もが解っている。

同じく形而上の事柄である宗教についても、それを信仰しているだけで、別に“イスラム主義”とかややこしいことを考えているわけじゃない。実社会で役に立たない概念には興味がないのである。

その意味では、とうの昔から世俗化していたのではないかと思う。

そういった多くの人々が、オスマン帝国の時代から少しずつ近代化を進め、アタテュルクによる共和国革命以降、大きな力を得て産業化を図り、生産性を高めて来た結果が、今のトルコ共和国じゃないのだろうか?  

ところが、この経済成長を最近のイスラム傾向に結び付けて論じたりする人がいるから、世俗主義の彼らも苛立つに違いない。

トルコの人々は数百年に亘ってイスラムを奉じてきたから、この自分たちの伝統を近代社会の許す範囲で守ろうとしているだけで、それがキリスト教であれば、その伝統を守ろうとするだけだろう。イスラムを貶すのも美化するのも間違っているような気がする。

AKP政権についても、イスラム化などより、長期化に伴う政権の腐敗を心配した方が良いのではないかと思う。



11月10日 (土)  アタテュルク

今日は、トルコ共和国の国父アタテュルクの命日だった。昨日話題にした世俗主義者の人たちは、「この国は無知な人が多いから嫌だ」と話していたが、敬愛するアタテュルクを追悼する集まりには参加していただろうか?

もちろん、彼らは自分たちの理想が達成されない現状を嘆いているだけで、“愛国心”を否定しているわけじゃないだろうけれど、“無知”だからと言って大多数の国民を愛さないのであれば、国を愛するのも難しくなるような気がする。

アタテュルクについては、教科書的な知識しか持ち合わせていないが、最悪の事態に備えながらも希望を最後まで捨てない未来志向の指導者だったように思う。過去に郷愁など懐いていなかったようだし、全ての理想を実現しようと冒険を試みることもなかったのではないだろうか? 現実的には達成が難しい理想を求めるより、最悪の事態を避けようと努力していたような気がする。そうでなければ、絶体絶命の危機に瀕していた国土を守るのは不可能だったかもしれない。

もしも、アタテュルクが、“無知”な人々を疎ましく思うような人物だったら、アナトリアの東部や南東部をさっさと切り捨てて、イスタンブールの周辺だけが残された小さな“オスマン国”の大宰相にでもなっていたのではないか?

オスマン帝国末期の危機的な状況の中でも希望を失わなかったアタテュルクを偲ぶならば、今のトルコが嫌になる理由など何処にもないと思う。


11月13日 (火)  シャルガム

シャルガムとは、単に植物のカブを意味するようだから、本当は“シャルガム・スユ(カブ汁?)”と言わなければならないけれど、レストランなどで「シャルガムください」と言えば、黙ってこの“シャルガム・スユ”を持ってきてくれる。

かなり酸味がある。酢漬けのカブの漬け汁なのかと思っていたら、カブを乳酸発酵させて作るものらしい。

ケバブが美味しい炉辺焼き風の居酒屋にも、必ずこのシャルガムが置いてある。注文すると、親爺さんがとても喜ぶ。

ラクを注文しても喜ぶけれど、あれは日本の居酒屋で、外国人が熱燗注文したら喜ばれるのと同じだろう。シャルガムの方は、梅干のような感じかもしれない。「この外国人は、こんなものまで飲めるのか!」って・・・。

酢は健康に良いと言うから、最近、これに酢も少し足して、毎日一杯ぐらいずつ飲んでいる。塩分も少し入っているから、あまり沢山は飲めない。

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11月14日 (水)  ミロのヴィーナス

数年前に、やはりコマーシャル撮影にエキストラで駆り出された時の話。

こういう撮影は、スタジオに行って、トルコ人スタッフの指示に従い、その通りに体を動かして来るだけで、多くの場合、何のコマーシャルにどういう場面で使われるのかも解らないまま終わってしまう。

あの時は、博物館で“ミロのヴィーナス”を見て、感動したり、写真を撮ろうとしたりする“東洋人の観光客”という設定だった。

しかし、この“ミロのヴィーナス”が全身に銀粉を塗られた本物の半裸美女だったから、『こんなものが今のトルコで放映されるのか?』と疑問に思い、トルコ人スタッフに尋ねたところ、これはロシアで放映されるポテトチップスのコマーシャルなんだそうだ。

博物館の“ミロのヴィーナス”が、漂って来たポテトチップスの香りに思わず手を伸ばしてしまうというストーリーらしい。

コマーシャルを制作しているのはイタリアの会社で、ディレクターはアメリカ人、ヴィーナスを演じるモデルさんもアメリカ人だったように記憶している。

撮影スタッフは、アシスタント・ディレクターも含めて殆どがトルコの人たちだったから、またスタッフに、何故、トルコで撮影しているのか訊いてみた。

なんでも、ロシアでは様々な障害があって、コマーシャルの撮影も難しいのだとか・・・。それで、制作費がイタリアやアメリカより安く抑えられるトルコが選ばれると言う。

設備の整ったスタジオがあるし、英語の解る優秀なスタッフも揃っているからだそうだ。

*写真は、先月、出先で見かけた映画撮影の現場。ロシアの映画会社が制作していて、監督や俳優たちは皆ロシアから来ているらしい。ここでもスタッフの大半はトルコの人たちみたいだったが、写っている人のどれがトルコ人で、どれがロシア人なのかは良く解らない。

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11月24日 (土)  工事

近頃、我が家の周辺では、やたらと工事が多い。古い歩道も取り壊されて、視覚障害者用のレーンが付いた新しい歩道になった。

これもEU基準とやらを満たす為なんだろうか? そういえば、市バスも車椅子で乗車できる新型が増えてきた。周りの人たちが、乗降口に備えられた車椅子用のスロープを出したり、車椅子を押し上げたり、気軽に手伝ってくれるから、利用者も結構多い。

だから、歩道の改良工事にも異存はないけれど、工事のやり方はどうにかならないものかと思う。

新しい歩道が出来たかと思ったら、今度は直ぐに、車道を掘り返して、水道管の工事を始め、せっかく出来た新しい歩道も所々傷ついてしまった。順序を逆にすれば良かったのに・・・。

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