Diary 2011. 9
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9月13日 (火)  とても寛容なトルコの人々?

一時帰国する前だから、7月の初めの頃ですが、引越しの手筈が上手く行かなくて、ヨーロッパ側はベイオウル辺りの安ホテルに3泊しました。その近くに3日ほど通わなければならない用事もあったため、根城をベイオウルにしたわけです。

ベイオウルはイスタンブール随一の繁華街。ホテルの周辺には庶民的な居酒屋から高級レストランに至るまで、ありとあらゆる飲食店が揃っているものの、安ホテルに泊まりながら、そんなところで散財してもしょうがないので、2日間は路上にずらっと並んでいるテーブルの間を素通りして我慢したけれど、3日目に堪らず何処かで一杯やって行こうと店々の様子を窺っていたら、小さな大衆魚料理屋の店先に5〜6台置かれたテーブルの一つで、新聞紙に包まれたままの缶ビールを飲んでいる客の姿が目に留まりました。

こういう店は、酒類販売の許可を取らずに営業しているから、普通に酒を提供している店より格段に安いかもしれません。近寄って、人の良さそうな髭面の店員に、まずはビールの有無を確認。それから魚の値段を訊きます。

「イワシある?」
「ちょっと切らしています」
「他に安い魚だったら何があるの?」
「メズギットなら、8TLです。フライで良いですか?」

メズギットというのは鱈のような魚だろうと思いながら、どんなものか見もしないで、安さに引かれて即決し、端のテーブルに腰掛けました。

暫くして、髭面が新聞紙に包まれたビールを持って来たから、少しずつ飲んでいると、いくらも待たないうちに、小さな魚のフライが1ダースほど並んだ皿が運ばれて来たので、早速、一匹フォークで突き刺して、頭からガブリとやったら、これがなかなかの美味。思わず、ビールも口にしないまま、直ぐに二匹目をガブリ。『これで8TLは安い』と得心しながら、ビールをぐいとやると、そこへ髭面が慌てた様子で飛んできて、「すみません。この魚はテキルで、向こうのお客さんのでした」なんて言います。

「もう二匹食べちゃったよ」

それでも髭面は、困った顔しながら、その皿を取り上げて、二つほど先のテーブルへ持って行こうとしたところ、ちょうどそこへ私が注文したメズギットの切り身のフライが出てきました。

髭面は、向こうの二人のお客さんにメスギットの皿を見せながら、何事か交渉していたものの、お客さんから突っぱねられると、メズギットを私のほうへ回し、今度は二匹欠損しているテキルの皿を勧めて、「あちらのお客さんが一匹だけ食べちゃったんですけど」などと余計なことまで言う有様。

「一匹じゃねえ、二匹食べたよ」と呟きながら、『一匹でも、あの客たちが許すはずないよな』と成り行きを窺っていたところ、驚いたことに、彼らはその皿をテーブルに置かせると、何の問題もなかったかのように、それを食べ始めたのです。

彼らもさすがに髭面の話を聞いている時はムッとしていたようだけれど、それほど髭面を叱りつけたりもしませんでした。トルコの人たちは何と寛容なのかと今更ながら呆れてしまいます。


*写真は安ホテルの窓から撮ったタルラバシュ通りの様子です。


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9月19日 (月)  エルドアンによる政教分離の勧め

【251】エルドアンによる政教分離の勧め【ミリエト紙】【2011.09.19】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00251.html

ちょっと遅くなったけれど、興味深く思えたので、9月15日付けのミリエト紙の記事を訳してみました。

エルドアン首相は、エジプトを訪れた際、エジプトの人々に政教分離の憲法を勧めながら、次のように発言したそうです。

「トルコにおける憲法の政教分離は、国家が全ての宗教を平等に扱うことであると定義されている。政教分離は決して無神論ではない。私はレジェップ・ターイプ・エルドアンとしてムスリムではあるが政教分離ではない。しかし、政教分離国家の首相である。政教分離の体制で、人々は、敬虔な信者に成る、あるいは成らないという自由を有する」

先月、断食明けの夕食“イフタル”でコーランを読誦した友人によれば、政教分離が達成できていないイスラム社会では、往々にして断食等の実践が強要されるなど、本来の信仰が捻じ曲げられてしまうから、政教分離は真に敬虔な信仰を守るためにも必要なのだそうです。

イスタンブールのファティフ・チャルシャンバという街へ行くと、黒い布を頭からすっぽり被った女性やタリバンのような服を纏った男たちが多くて驚かされるけれど、友人は彼らについて、こう話していました。

「ああいう人たちが余り増えてしまったら問題だが、現状の程度なら問題ない。かえって宗教を過度にした場合の見本になっている。あの人たちがいなかったら、宗教が度を越えてしまった場合の恐ろしさがなかなか理解されないだろう」

ちょっとこれとは違うけれど、全ての人たちに敬虔な信仰が強要される社会では、本当に“敬虔な信仰”がなんであるかも理解されないような気がします。敬虔であることを誇りにしている人たちも、比較の対象がなくなって困ってしまうんじゃないでしょうか。

しかし、この友人も、エルドアン首相の“自分は政教分離ではない”という発言には、少し首を捻っていました。ただ、これが文字通りの“政教分離”なのか、“過度な政教分離主義者ではない”という程度の意味なのかは良く解らないと言います。確かに、「私は政教分離ではない」という表現では、なんだか意味が通らないかもしれません。


以下の論説でも、エルドアン首相の「国家は政教分離だが、個人は必ずしもそうではない」という発言が批判されています。

【208】AKP、イスラムと近代化【ラディカル紙】【2008.12.22】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00208.html



9月21日 (水)  ファティフ・チャルシャンバ

ファティフ・チャルシャンバのイスマイル・アー・モスクでは、礼拝の呼びかけ“アザーン”が、他のモスクのようにスピーカーから流れて来るのではなく、生の声で伝えられています。呼びかけを行う男性が、実際に尖塔の上まで登って、アザーンを唱えるのです。

なかなか趣きがある見事なアザーンなので、私はこれまでにも何度か礼拝の時間に合わせて、これを観にいきました。

イスマイル・アー・モスクには、特定の教団に属する信者たちが多く集まり、彼らの如何にもイスラム的な服装も人目を引きます。宗教科の先生を務めていた友人は、30年ほど前にこのモスクを訪れたところ、スーツにネクタイという出で立ちだった為に、「異教徒が来た!」と言われて、とてもがっかりしたそうです。しかし、経済や政治的な野心のない彼らは、決して危険な存在ではないと擁護していました。

友人は、イスラムの教団が政治的な野心を懐くのは非常に危険であり、最近勢いを増したフェトフッラー師の教団に対して、その近代的なイスラム解釈を評価しながらも、彼らの政治的な野心を危惧していると言います。

「かつては軍という巨大な組織の不透明さが問題だった。今、これは改善されつつあるが、その代わり、この軍の不透明さを批判していた教団が不透明な巨大組織になってしまった。イスラムの解釈にも以前のような斬新さが見られない」

90年代には、トルコの社会でフェトフッラー師の教団が何だか白い目で見られているような雰囲気さえ感じられ、教団と関係のあるザマン紙などを大っぴらに読んでいると、公然と注意されたりしたから、私も彼らには“判官贔屓”のようなものを感じていたけれど、今や彼らは頼朝公の側にいるかもしれません。

しかし、この話を左派の友人に伝えたら、彼は笑いながら、「その宗教の先生は何を心配してんだ? 今、フェトフッラー師の教団に群がっている連中は、フェトフッラー師の思想に共鳴しているわけじゃない、利権に群がっているだけさ」と片付けていました。

考えて見ると、10年前だったら、この二人は全く逆の立場で心配していたはずです。トルコの社会が経てきた変遷に驚かざるを得ません。イスマイル・アー・モスクに集う人々は、この変化をどう受け止めているでしょうか。

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9月23日 (金)  日本人の多くは無信仰?

この前、宗教科の先生だった友人は、こんな話をしていました。

「日本人が無宗教と言っても、それは全ての宗教を少しずつ信じている場合が多いけれど、トルコ人の無宗教は、全ての宗教を否定しているから、意味が全く違う」

それは“少しずつ信じている”というより、いろんな宗教から教訓を得ようとしているだけで、ちょっと違うような気もするけれど、なかなか面白い観察だと思いました。

最近は、トルコの新聞などにも、「日本人の多くは無信仰である」といった話が記されていたりする為か、知り合ったばかりの人から、「日本人には信仰がないそうですね?」などと訊かれることもあります。

相手が左派のインテリである場合、「そうです。私も無信仰です」と答えれば、「素晴らしい!」と称賛されるかもしれません。実際、そうやって称賛されたりしました。

日本では、「キリスト教国やイスラム国に行って、無信仰と自己紹介したら、人間扱いされないから、仏教徒と答えるように・・・」と良く言われているけれど、トルコに限ってはそんなこともないような気がします。

もっとも、相手が敬虔なムスリムの場合は、「日本の文化や道徳の体系は非常に異なっているので、私のような者がこういった問題を簡単に論じるのは難しい」と論争を避けたりしました。しかし、親しい友人に対しては、彼が敬虔なムスリムであっても、はっきり自分の考えていることを表明しています。それで人間扱いされなくなったことなど一度もありません。

日本語ガイドやっているトルコ人の友人は、日本から来たお客さんに「貴方の宗教は何ですか?」としつこく訊かれたため、いつもの調子で、「いやー、宗教を信じるほど馬鹿じゃありませんよ」と答えたところ、大笑いされたので何事かと思ったら、このお客さんたちは熱心なキリスト教徒だったそうです。

「無信仰と自己紹介したら、人間扱いされないから、仏教徒と答えるように・・・」、ここまでして相手に合わせて、自分を引っ込めてしまうのは、何だか日本人だけのような気もします。

“八百万の神”で、仏教から儒教から何でも取り入れて来た日本の文化をもっと自信を持って説明すれば良いのではないでしょうか。

キリスト教やイスラム教からも教訓を得ようとするのは結構なことだけれど、別にこれらの宗教を礼賛する必要など全くないと思います。向こうは決して“八百万の神”を礼賛してくれたりしません。



9月24日 (土)  ケレビチ

昨年の3月、地中海沿岸のメルシンを訪れた際、街の人に「メルシン名物の菓子ってあるの?」と訊いて教えてもらったのが、このケレビチ。

早速、評判の店に行き、ショーケースを覗いて見ると、大きめのクッキーのようなものが並べられていたので、五つほど持ち帰りを所望したら、店のおじさんが、その五つを収めるにしては、やけに大きいビニールパックを取り出した為、『何故?』と訝しげに見ていたところ、パックの底に五つ並べてから、白いクリームが入った別の容器を取り出し、それを大きな杓文字ですくって、五つ並んだクッキーの上に掛け始めたのです。

おじさんは、端で見ている私が『何処まで入れるんだろう?』と驚くくらいクリームを掛け続け、結局、大きなビニールパックは、その白いクリームで一杯になってしまいました。

持ち帰って直ぐに食べたら、このクリームが甘いこと甘いこと、口の中がむわっとするような甘さでした。クリームは明らかに乳製品ではなく、何だかメレンゲのような感じ。調べてみると、チョベンという植物の根から作られるそうです。チョベンは辞書で引くと、“カスミソウ”となっているけれど、カスミソウの根からどうやってああいうクリームが出来るのか、ちょっと想像がつきません。

*写真は、先日イスタンブールで食べたケレビチです。

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9月25日 (日)  野良猫との共生?

以前、トルコでは、保健所が野良犬を捕獲しても、殺処分することなく、狂犬病の予防注射や避妊処置を施して、また街に放してしまうとお伝えしたけれど、野良猫のほうはそれこそ野放し状態で、何処へ行っても野良猫がうようよしているし、この野良たちが人を恐れている様子もありません。それどころか、人を見れば餌をもらえると思うのか近寄ってくるほどです。

昨年、トルコを訪れた姉が行く先々で野良猫の写真を撮るので、「日本にも猫はいるでしょう?」と呆れてしまったら、「日本の猫は直ぐに逃げてしまうから、そう簡単に撮れない」と言われました。確かにそうかもしれません。

写真はカドゥキョイ・モダの海岸通り。防波堤に集まる野良猫たちへキャットフードを与えている人がいるようです。子猫たちは、写真を撮る為に至近距離までカメラを寄せても、全く見向きもせずにキャットフードを食べ続けていました。

8月25日(土) お犬様
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2007&m=8

7月27日(月)アルメニア人のガービおじさんと猫
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2009&m=7

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9月28日 (水)  従兄妹同士の結婚は人間扱いされない?

先日、「キリスト教国やイスラム国に行って、無信仰と自己紹介したら、人間扱いされないから、仏教徒と答えるように・・・」という警めについて書いたけれど、韓国語を学び始めた頃には、以下のような話も良く聞かされました。

「韓国に行って、従兄妹同士で結婚していると言ったら、人間扱いされないから、絶対、明らかにしないように・・・」

私は両親が従兄妹同士だったから、当初は真に受けて、なるべくそういう話題を避けるようにしていました。

ところが、ソウルに留学中、語学教室のフリー会話の授業で、在日韓国人の受講生が「日本人は従兄妹同士でも結婚するから禽獣に等しい」などと発言したので、思わずムッとして「それでは、私が禽獣に等しいとでも言いたいのか? 私の両親は従兄妹同士なんだ」と抗議したら、発言した受講生は驚いて謝罪しながら、かなり恐縮していたし、韓国人の女性講師の方も、我々のやり取りを当惑した様子で見守っていたものの、“従兄妹同士の結婚”にそれほどショックを感じたようには見えませんでした。在日の受講生は、授業が終ると私の前に来て、今度は日本語で丁重に謝罪したものです。

その後、日本へ帰国してから親しくなった韓国人の友人に、この話をしたら、「では、それまで君は“従兄妹同士の結婚”が恥ずかしいことだと思っていたのか? 日本の文化で認められているものなら、韓国人が何を言おうと、最初からそう主張すべきだ」と言われました。確かにその通りだと思います。

日本人には、何でも相手の尺度に合わせてしまう傾向があるかもしれません。逆に、韓国の人たちは、相手の尺度を全く考慮せずに、自己主張を繰り返す傾向があるから、日韓の対話はいつも何だかややこしくなってしまうのでしょう。

我々日本人は、友好と言えば、とにかく仲良くすることだと思ってしまうけれど、多少、主張をぶつけ合って争いながら築き上げて行く友好が、国際社会では当たり前のような気もします。


9月29日 (木)  床屋の青年と天罰?

昨日、この街へ引っ越してきてから、初めて近所の床屋へ行きました。

バーバーチェアを三つ置いて営業している小さな店で、先客もいなかったけれど、髪を刈ってくれる理容師さんも見当たりません。店番していた10歳ぐらいの男の子が、「今、親方が来るからちょっと待ってください」と言って、携帯で呼んでくれました。

待合客用のソファーに座り、テーブルの上に置いてあった雑誌を手に取ってパラパラ捲ってみると、これが何処かのイスラム教団が発行しているような雑誌で、“民主主義は大嘘!”なんていう見出し躍っています。読む気にもならないまま、その紙面に目を泳がせていると、いくらも経たないうちに親方が戻ってきました。親方と言っても、25〜30歳ぐらいの青年です。髪を長く伸ばして如何にも気障な雰囲気、少々不良っぽくて、とても敬虔な信者には見えません。

のっけから「よう、元気!?」といった感じで馴れ馴れしく話しかけ、名前やら素性やら色々訊いてきたけれど、歳を51と答えたら、「えっー?」と驚き、それから態度が少し紳士的になりました。どうやら私を同年配であると思っていたようです。

日本のことを訊きながら、「あれは酷い災害だったなあ」と言うから、お悔やみでも述べてくれるのかと思ったら、「あの地域には教義上の罪を犯した人たちが多かったのだろう」と言い放ったので唖然としました。

「そんなこと言ったら、99年の大地震で被害を受けたアダパザルの人たちも教義上の罪を犯していたというのか?」
「ええ、もちろんです。教義上の罪を犯せば天罰が下るんだよ」

私の拙いイスラムに関する知識では、人間が犯した教義上の罪は、あの世で清算されることになっていたような気がするけれど、コーランには神が不義の者に怒り懲罰を与える場面も出てくるから、青年の解釈を真っ向から否定して良いのかどうか解りません。

実際、イスラム法を適用している国々では、厳しい懲罰により、教義上の罪は現世で清算されてしまうようです。これで維持されている“治安の良さ”にどんな有難さがあるんでしょうか?

しかし、トルコの法律は西欧に倣ったもので、イスラム法など適用されていないし、死刑すら存在していません。トルコの“治安の良さ”には、別の要因もあるような気がします。

トルコの特に文化的・経済的な中心地域となっている西部地方は、ギリシャ文明に始まり、ビザンチンの時代を経てイスラムの到来を迎えるまで、長い文明の歴史を有しているから、この地域で暮らして来た人々には、文明的な生活がもともと身についていたのかもしれません。もちろんイスラムの要素もそこへ加味されたのだろうけれど・・・。




9月30日 (金)  イェニドアン

イスタンブールも日中は未だ半袖で出歩けるくらいですが、朝晩は大分冷え込むようになって来ました。といっても、7月に引っ越してきたイェニドアン地区は、イスタンブールの外れで標高も少し高いため、多少、早く寒くなるのかもしれません。

先週の金曜日、昼過ぎに買い物へ出かけたら、付近の商店が殆ど開いていなかったので驚きました。金曜礼拝のために、1時間ほど休業していたようです。イスタンブールも周辺部はだいたいこんな感じなんでしょうか?

しかし、8月のラマダンの最中でも、近所の店ではビールを売っていたし、天罰を恐れる床屋の青年も「今度はラクで乾杯しよう」なんて言ってたから、それほどガチガチな地区ではないかもしれません。


*家の裏手の丘を少し登れば、それほど広くない市街区が見渡せるし、さらに上まで登れば、向こう側に山と湖水が見えてきます。

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