Diary 2011. 8
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8月18日 (木)  トルコに復帰

8月2日にイスタンブールへ戻って来ましたが、7月、一時帰国の直前になって、市内のさらに外れへ引越したので、インターネットの回線が16日まで繋がらず、メールも確認できない有様でした。

8月2日には、日本から母も一緒にイスタンブールにやって来て、13日まで二人で方々市内を観光して歩きました。イスタンブール以外は、トラキア地方に友人のムスタファやムジャイを訪ねただけです。11日間はあっという間に過ぎてしまいました。これからは少なくとも年に一度ぐらい帰国しなければと思っています。

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8月30日 (火)  今日からバイラム

8月1日に始まったラマダンの断食も昨日で終わり、今日から3日間のバイラム(イスラムの祝祭)です。

7月に引っ越すまで、エサットパシャのアパートには4年近く住んでいました。部屋の家主は、近くに住んでいるペンキ屋さんで、家賃収入を得る為に所有する部屋を貸していたものの、事情が変わって、自分たちがそこで暮らすことになり、私はていよく立ち退かされてしまったわけです。

そのため、家主のビュレントさんは多少なりとも私にすまないと思っていたのか、母が滞在中、一度夕食を御馳走したいと言ってきました。私は断食明けの食事に招待されたのかと思い、夜8時を過ぎる日没まで待った場合、イスタンブールの外れにある新居へ帰るのが遅くなってしまうから、断食明けまでは待てないと応じたところ、「では6時頃に来て下さい」という返事でした。

それで6時に旧居を訪れたら、いくらも待たない内に、3人分の料理が用意され、私と母の他にビュレントさんだけが食卓に着き、料理を作った奥さんや高校生の息子、中学生の娘、そしてビュレントさんの弟は、断食を実践しているのか、ソファーに腰掛けたまま、こちらの食事風景を眺めています。

ビュレントさんに、「貴方は実践していないんですか?」と訊いたら、「私はペンキ屋なんでね。この暑さの中で水も飲まずに働くのは無理ですよ」と笑っていました。暑いだけでなく、8月の初めの頃、イスタンブールは17時間に亘って日が沈まないから、きつい仕事をしている人たちにとって、実践はかなり困難に違いありません。

料理はとても美味しくて、ちょっと驚いてしまいました。ビュレントさんには悪いけれど、あんな美味い料理が出てくるとは思っていなかったのです。

それから、ビュレントさん夫婦の会話が、直ぐクルド語になってしまうことにも驚きました。ビュレントさんは高校生の息子といつもトルコ語で話していたので、いつだったか、「息子さんはクルド語解るの?」と訊いたところ、「聴くのはある程度解っても、話すのは無理だね」と言ってたから、夫婦の会話も殆どトルコ語なのかと思っていたのに、よく喋る奥さんは、亭主とトルコ語で話し始めても、興に乗ってくると、母語じゃないトルコ語で表現するのが面倒になるのか、直ぐクルド語に変わっていました。

しかし、これを聴きながら育った子供たちが、クルド語を話せるとは限らないようです。親がクルド語で話すように仕向けなければ身につかないのでしょうか? 母語と言っても、それは必ずしも母親の話す言葉ではないかもしれません。 



8月31日 (水)  断食明けの夕食“イフタル”

先週の金曜日は、友人の計らいで、彼と一緒に断食明けの夕食“イフタル”に招待されました。55歳になる友人は、子供の頃からコーランの学校に通い、導師養成高校を経てアンカラ大学で宗教学を修め、今年の6月で定年を迎えるまで、長年に亘って宗教科の先生を務めてきた敬虔なムスリムであり、この日は元同僚の先生から“イフタル”に招かれていたのです。

元同僚の女性は、理科の先生だそうで、歳も友人と同じぐらいではないでしょうか。断食明けのイフタルには、娘さんとお婿さんを始め、親族の方々が5人ほど見えていたけれど、いずれもモダンな雰囲気の人たちで、女性の服装も半袖やノースリーブだったりして、余り“敬虔”なムスリムには見えませんでした。食事中に交わされる会話を聞いても、殆ど宗教色は感じられなかったように思います。おそらく、この日も断食を全員が実践していたわけじゃないでしょう。

しかし、食事の後、友人がコーランの読誦を捧げる段になったら、女性たちは頭にスカーフを被ってショールを羽織り、皆、掌を上に向けて祈りの姿勢をとるので、にわかにイスラム教徒らしくなってきました。女性たちはスカーフと下の服装がちょっとアンバランスであるように思えたけれど・・・。

友人は、「コーランを少し読ませてもらいます」と言い、ソファーから降りて床に正座して読誦を始めたので、隣に座っていた私も同様に正座して拝聴することにしました。少しと言うから、5分ぐらいで終るだろうと思っていたのです。

ところが、読誦は延々と20分ぐらい続き、それから長い祈りの言葉が捧げられ、全て終了するまで30分以上掛かったのではないでしょうか。私の足の痺れは限界に達していました。読誦中の友人を見たら、一応、前にアラビア語で記されたコーランを広げているものの、間違いがないように読む箇所を確認している程度で、殆ど暗唱していたのではないかと思います。足の痺れも堪えたくなる素晴らしい読誦でした。

それから友人は、宗教や信仰について所感を述べていたけれど、トルコにおける政教分離の重要性を強調していたのが印象に残りました。イスラムは西欧から危険な宗教であると誤解されているが、アフガニスタンやイラクの事態を見れば誤解されてもしょうがない。トルコが、こういった国々のように成らない為には、政教分離を何としても守らなければならないと強調していたのです。