Diary 2011. 7
メニューに戻る
7月6日 (水)  ボズジャアダでホメロスを読む

2009年7月11日(土) ボズジャアダ・テネドス島でホメロスを読む
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2009&m=7

上記のホメロスを読む催しに、今年は参加して来ました。昨年も行けば良かったと後悔しています。

昨年までは、夜明け前にボズジャアダ(ボズジャ島)の東側の海岸に集まって、日の出を見ながらホメロスの“イリアス”を各国語で朗読するという催しでしたが、今年は夕刻前に西側の海岸で、日の入りを見ながら“オデュッセイア”を朗読することになり、時間的に楽になったからか、参加者も一段と多かったようです。

私も岩波文庫の“オデュッセイア”の冒頭2ページを名調子とは行きませんが、その代わり大きな声で朗読してきました。

この催しは今年で10回目を迎え、催しの意義などを明らかにした小冊子も出版されたけれど、この小冊子には2009年の朗読風景が写真で紹介されていて、その中には私の姿もあります。

これを見たら呆れたことに、私は2年前も今年と同じシャツを着ていました。私は、夏も冬も3パターンぐらいの服装しか持っていないから、同じシャツでも不思議じゃありませんが・・・。

しかし、服装は変わらなくても、私にとって2年の歳月はそれほど短くなかったようです。この2年間でかなり老眼が進み、日の入り間際の薄暮の中では、近眼用の眼鏡を掛けたまま活字を追うことが出来ず、眼鏡を外し、本に顔を近づけて読まなければなりませんでした。

【240】変わりゆくボズジャアダ【ラディカル紙】【2010.07.11】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00240.html


****

7月10日に一時帰国し、8月2日まで日本に滞在する予定なので、今月、10日以降の“便り”は日本発になります。掲示板が機能していないので、御連絡は以下のメールアドレスに頂けると嬉しいです。

makoton1@hotmail.co.jp

20110706-1.jpg 20110706-2.jpg 20110706-3.jpg



7月15日 (金)  平和の時

日本へ一時帰国しました。神奈川県相模原市にある母と姉の家で過ごしています。家の周囲は緑に覆われ、5分ほど歩いて高台に出れば相模湖も見渡せる、なかなか風光明媚な山里です。

今日は、犬を散歩させる母にお供して、その高台を越え、森の中をかなり高い所まで登ってきました。少なくとも3キロぐらいは歩いたんじゃないかと思います。

高台は、マレット・ゴルフというゲートボールのような遊戯ができる場所になっていて、2003年の一時帰国時に訪れた際は、多くの人で賑わっていたものの、今日は人影も殆ど無く閑散としていました。平日だったからでしょうか? 猛暑のためかもしれません。

この高台には、“平和の時”という前衛彫刻が展示されていて、これはメリチ・フザルというトルコ人芸術家の作品です。片側に“平和の時”と日本語で表示され、もう一方にはトルコ語で“バルシュ・ザマヌ”と表示されています。

1999年の作で、2003年には、未だ新しかった所為か、芸術作品らしい貫禄もあったけれど、今日見たら、所々錆びて汚れも目立ち、相模湖を見下ろしながらひっそり佇んでいました。

この相模原市緑区では、“芸術の町”を標榜していた旧藤野町の時代、各国から招かれた芸術家が、彫刻等を製作して行ったそうです。トルコ人芸術家の作品は、もう一点ありました。滞在中にこちらの方も見て来たいと思います。

20110715-1.jpg 20110715-2.jpg 20110715-3.jpg



7月17日 (日)  トルコの“雨”が藤野の町にふる?

“芸術の町”藤野には、“芸術の道”もあって、沿道の所々に彫刻等が展示され、この中にもトルコ人芸術家による作品があります。

2003年には、町役場でトルコ人芸術家の作品が展示されている場所を尋ね、その作品だけを見てきたけれど、今回、それが“芸術の道”のどの辺にあったのか忘れてしまい、逆方向から歩き出した挙句、猛暑の中を1時間ほど歩いて、“芸術の道”を一周してしまいました。

途中、20点近い芸術作品が展示されていたはずですが、なにしろ初めからトルコ人芸術家の作品が目的だったので、他の作品はじっくり見ませんでした。芸術には余り縁が無いようです。

トルコ人芸術家はフェリット・オズシェンという方で、“雨”という作品が展示されています。こちらは“芸術の道”にある所為か、保存状態は“平和の時”より良いかもしれません。でも、表示板は斜めに傾いていました。

“平和の時”は、何だか存在が忘れ去られてしまっているようです。前を通り過ぎても、あれが芸術作品であると気がつく方はどのくらいいるでしょうか? 

20110717-1.jpg 20110717-2.jpg 20110717-3.jpg



7月26日 (火)  ニコライ堂  

ニコライ堂
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E5%A0%82

東京は御茶ノ水にあるニコライ堂です。私が付け焼刃の知識をここで述べても始まらないので、興味のある方は、上記のウィキペディアを御覧下さい。1891年の竣工だそうです。

母の生家はニコライ堂の近くで、私が子供の頃、我が家には、母が描いたニコライ堂の油彩画が飾ってありました。この為、子供の頃からニコライ堂には親しみを感じていたけれど、どういうわけか、いつも前を通り過ぎるばかりで、中を覗いてみたことは一度もありませんでした。

ところが、イスタンブールで、2004年から2005年にかけて一年ほど、ギリシャ人正教徒であるマリアさん一家の御宅に間借りして以来、東方正教会にとても興味を覚えて、イスタンブールにある正教会の教会などを訪ね、ここでも紹介してきました。

昨年は、以下にも記したように、イスタンブールにあるロシア正教会の教会で、ロシア人の方から“ニコライ堂”の由来を聞いて驚いたものです。

ロシア教会
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2010&m=4

それで、今回の一時帰国中に、ニコライ堂は是非とも訪れてみたいと思っていました。

先週の土曜日に下見して、日曜日にはミサの様子も途中から見学しました。ミサは賛美歌も含めて、日本語で営まれていたようですが、ギリシャ正教会のミサと同様に独特な抑揚をつけて読み上げるため、殆ど聴き取ることができません。所々、日本語の単語が聴き取れて、『やっぱり日本語なんだなあ』と思ったくらいです。

しかし、美しい堂内の装飾と共に、荘厳なミサの様式も、ギリシャ正教会のミサと変わらないように感じました。日本にいながら、いにしえのコンスタンティノポリスに思いを馳せたくなるような雰囲気です。

20110726-1.jpg



7月30日 (土)  高校同期生

2006年の11月以来、ほぼ4年半ぶりに日本へ帰って来たけれど、“故郷に錦を飾る”なんてものからは、ほど遠い“襤褸を纏った慌しい”一時帰国でした。

それでも、温かく迎えてくれる家族と、歓待してくれる友人たちがいるのは、筆舌に尽くし難い幸せです。

わけても中野で飲食店を営んでいる高校同期の友人には、いつも世話になりっぱなし。襤褸を纏って一時帰国する度に、何かと面倒を見てくれます。出世したしないなんて全く関係ありません。高校時代と変わらぬ無茶苦茶な友情です。

この日も、友人の店には高校の同級生たちが集まっていました。

まずは写真のシャッターを押してくれた友人(だからここには写っていません)。一時帰国の度に会っているけれど、いきなり後ろから蹴りを入れてきたり、いつも手荒な歓迎をするので、この友人と待ち合わせる時は、ゴルゴ13じゃありませんが、必ず壁を背にして待ち構えます。そうすると、今度は頭を叩かれるけれど・・・。しかし、我々はこうやって時計の針を33年前に戻しているのです。

右手に顔を見せている友人は、大阪から駆けつけてくれました。日中貿易で長年頑張って来た中国語の達人です。私は高校以来、彼から多大な影響を受けてきました。私が26歳になって韓国語を学び始めたのも彼の影響なくしては語れません。人生の先輩だと思っています。

左で指を突き出している友人とは、この30年に3回ぐらい顔を合わせただけですが、高校の時から強烈な印象を残して、その強烈さは全く変わっていないので、何だか久しぶりに会ったようにも感じません。高校時代から凄い英語力、そして凄い腕力でした。今や世界を舞台に活躍しているけれど、未だにトルコを訪れてくれないのが残念です。

後ろで笑っているのは、剣道部の面々。一際豪快に笑っている友人が七段に昇段したので、久しぶりに集まったそうです。彼らとは、高校卒業以来、殆ど合っていなかったけれど、印象が全く変わっていないから、30年の年月を感じません。七段になった友人は頻りに謙遜していましたが、七段は凄いと思います。

そして、途中から記念写真の場に乱入して来た店主の友人。私の人生、彼から受けた影響も計り知れません。20代の頃、彼の親友だった在韓華僑の友人と知り合い、これも韓国語を学ぶ決意を後押ししてくれました。彼自身は、中国語も韓国語も全く学ぼうとしなかったけれど、中国や韓国から来た人たちとも直ぐに打ち解けてしまう不思議な力を持っています。久しぶりに会った韓国の友人たちが、真っ先に彼の消息を尋ねようとするので妬ましく思ったほどです。海外の人たちと相互理解を深めるために必要なのは、言葉や品の良い外交辞令だけじゃないのでしょう。

20110730-1.jpg 20110730-2.jpg