Diary 2011. 3
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3月1日 (火)  エルシンの婚約式

2008年6月21日(土)ささやかな誕生パーティー
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2008&m=6

一昨日の日曜日、自己紹介欄の写真に写っている(左から3番目)エルシンの婚約式があったので出かけてきました。

エルシンの家族については、上記の“便り”にも書いたけれど、93年以来の長い付き合いだから、何だかもう遠い親戚のように感じられます。93年、エルシンは未だ小学生でした。

自己紹介欄の写真は、2003年の夏に撮られたもので、当時エルシンは20歳。今年で27歳になるから、婚約はトルコの人にして見れば、少し遅いほうかもしれません。まあ、姉さんのエリフが、2008年の11月に結婚した時は28歳だったから、エルシンも、この家族としては決して遅くないのですが・・・。

婚約式、日本の結納に当たるのだろうけれど、私は結婚したことがないから、この辺の事情が良く解らなくて困ります。トルコの友人たちにも巧く説明できません。

エリフの話では、トルコの場合、ちょっと前の世代まで、婚約していない男女が二人きりで会ったりするのは許されなかった為、婚約式は重要だったそうです。「でも、今のイスタンブールなら、もう必要ないのよね。私たちもやらなかったし。今回は、向こうの家族が要求しているから・・・」。

婚約式会場の住所を見ると、レヴェントという高層ビルが立ち並ぶ地区だったから、会場へ向かう車の中で、「どんな所でやるの? 向こうの家族は金持ち?」なんて訊いたら、笑いの渦が起こり、「そうよ、なにしろシヴァスの部族だからね。うちの方からは、多分、20人ぐらいしか来ないけれど、向こうは何十人来ることやら・・」とエリフが可笑しそうに答えていました。どうやら、エルシン、逆玉ではなかったようです。

果たして、会場に着いたら、新宿の高層ビルが間近に見える“職安通り”沿いの横丁みたいな所で、“シヴァス県某村互助会館”とかいう看板が掛かっている実に庶民的な会場でした。

婚約者も直ぐ近くに住んでいて、15分ぐらいしたら、エルシンに伴われて入場して来ましたが、なかなかの美人です。まあ、エルシンも結構イケメンだから、相応ってところかもしれないけれど・・・。

エルシンとエリフの姉弟、姉さんは子供の頃から学術優秀スポーツ万能で、エルシンにはこれが負担になったのか、ちょっと引っ込み思案になってしまったような気がします。

エリフは、高校へ上がる頃から、家族で安宿の経営を始めると、宿泊客の日本人と積極的に会話しながら、あっという間に日常使う日本語をマスターしてしまったのに、エルシンは何となく日本人を避けているような感じさえしました。

それから、エリフの高校同級生の友人たちがいて、彼女らも自分の亭主を連れて婚約式会場へ来ていたけれど、高校も進学校だったから、当然、良い大学へ行って、エリフと同様になかなか鼻っ柱も強いのです。

私は連中を高校生の頃から知っていますが、当時からちょっと生意気な娘たちでした。この彼女たちが、また、「エルシン、可愛い」などといじったりするものだから、エルシンはますます委縮してしまったかもしれません。

エリフは「エルシン、ハンサムなのに、なんで彼女ができないかしら?」と、一時期心配していました。

しかし、あんな美人の彼女と婚約するなんて、エルシンも隅に置けません。どうやって、彼女を見つけたのかエリフに訊いたら、「オヌル知っているでしょ。エルシンの高校の友達の。彼が紹介してくれたのよ。今度、オヌルが結婚する彼女とエルシンの婚約者は親しい友人同士ってわけ・・」ということなんだそうです。やっぱり、持つべきは友であります。

さて、婚約式ですが、儀式めいたものは指輪を嵌めるところぐらいで、後はひたすら踊りまくるだけ。とにかく、大音響のBGMが鳴り続けているから、久しぶりに会った知人とゆっくり話すこともできません。トルコでは、こういった機会に、彼女や彼氏を見つけることが多いそうで、若者たちは、好いところを見せようとするのか、一生懸命に踊ります。

エリフ夫婦と私が、踊らずに隅のテーブルでお茶を飲んでいたら、進行役を務めていたスカーフ姿の女性が、「皆さんもどうぞ踊ってください」と催促に来ました。彼女は婚約者の従兄妹だそうですが、自分も先ほどからずっと踊っているから、もう額に汗が光っています。

そこへ、ちょうどエルシンも彼女と一緒にやって来たので、エリフの亭主オルクンさんが、進行役の女性に、「僕らは踊らなくても良いけれど、それより婿殿に踊り方を教えてやってよ。下手糞で観ていられない。結婚式までには何とかしてね」と冗談を言ったら、進行役の彼女も、ケラケラ笑って、エルシンのほうを向きながら、「ええ、心配しないで下さい。ちゃんと仕込んで置きますから・・」なんて言い返しているんです。何だか、エルシンは早くも小姑さんに主導権を握られているような雰囲気でした。


*左の写真、婚約カップルの両脇は、エリフとお母さんのアイシェさん。右の写真は、キューピット役を果たしてオヌル君のカップル。

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3月2日 (水)  “生物”と強姦

【246】“生物”と強姦【ミリエト紙】【2011.02.28】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00246.html

ちょっと遅くなりましたが、2月22日付けのミリエト紙より、ヌライ・メルト氏(女性)のコラムを訳してみました。コンヤ大学神学部のオルハン・チェケル教授が、「ローブ・デコルテを着ている女性は、強姦されても文句が言えない」などと発言した問題を論じていて、これまた難しい内容ですが、少なくとも以下の部分は、メルト氏の言わんとしているところが理解できるように思います。

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先週、神学部教授オルハン・チェケルが、強姦と“肌の露出が多い服装”との間に因果関係を示して、議論を呼んだ発言は、充分に気を滅入らせるものだった。これに追い討ちをかけたのは、アリ・ブラチが昨日のザマン紙で、“生物的な反応”と題して、この問題に言及した文章である。

アリ・ブラチは、女性たちが、挑発するような服装で出歩くことは、強姦の弁明にはならないものの、原因になっていると、近代心理学を用いて説明しようとしている。

「近代心理学は、外的刺激に対する生物的な反応を分析する学問である」としながら、男性が女性から挑発されたと言いたいらしい。

さらに、オルハン・チェケル教授を批判している保守派を、「近代的な女性の観点やフェミニズムの深い影響下にある」と非難しているが、自分自身は、人間の実態を近代心理学と言われる非常に実証主義的な視点から見ようとしていることに気がついていない。

おそらく、アリ・ブラチによれば、人間は“生物”なのである。・・・・・・
**********************

宗教上の見解に、科学的な根拠を持たせようとするのは、確かに無理があるでしょう。メルト氏の指摘はもっともであると納得が行きます。

しかし、上に引用した部分に限って言えば、アリ・ブラチ氏の見解は、宗教的な信仰を持たない私にとっても、結構、解りやすい理屈であるかもしれません。

この後、メルト氏は、「イスラムに限らず全てのアブラハムの宗教において、人間は“高貴な創造物”である」と明らかにしたうえで、「『信仰がなければ、人間は獣のようになる。これは実証されている』というのであれば、この人は“高貴な創造物”の意味が解っていない」と論じて、ブラチ氏の見解を批判しているけれど、こちらの方が却って解り難くて困りました。

また、ここでは、何だかメルト氏がブラチ氏に対して、宗教を説いているように思えてしまうけれど、メルト氏は記事の中で自ら明らかにしているように、宗教色の無い家庭に育ち、成人してから信仰に目覚めた人であり、イスラムの専門家というわけでもありません。一方のブラチ氏は、トルコでイスラムの知識人と言えば、真っ先に名前が挙がる人物です。

もともとイスラムは、戒律を示して秩序のある公正な社会を目指そうとした宗教だろうから、ある程度は“嘘も方便”で、信徒に対して、神の絶対性や法の厳格さを思い知らせる必要もあったのではないでしょうか? その為か、聖典にも、地獄の恐怖や天国の快楽が、これでもかと言って良いくらい記されています。

だから、科学を方便として使うのも多少は有りなのかもしれません。ちょっと納得し難いけれど・・・。

また、こういったところに、現代の世界で、科学や民主主義と折り合いをつけて行かなければならないイスラムの苦悩があるように思えます。もちろん、その苦悩は、科学や民主主義の立場にとっても同様でしょう。

ところで、この記事などから、メルト氏が信仰に目覚めた経緯を読んだら、『メルト氏はやはり“山を呼び寄せる人”なのかなあ?』なんて、妙なことを考えてしまいました。妥協を許さない信念の人、そんな姿勢が、ちょっと「行人」の一郎に似ているかもしれません。

しかし、イスラムも、メルト氏のような信仰で良ければ、民主主義とも折り合えるはずですが・・・



−“山を呼び寄せるモハメッド”の話−

夏目漱石の「行人」に以下のような話が出てきます。我執に苦しむ主人公の一郎(兄さん)に対し、友人のH氏(私)が宗教的な信仰を勧める場面です。

****************** (以下引用)

私がまだ学校にいた時分、モハメッドについて伝えられた下のような物語を、何かの書物で読んだ事があります。モハメッドは向うに見える大きな山を、自分の足元へ呼び寄せて見せるというのだそうです。それを見たいものは何月何日を期してどこへ集まれというのだそうです。

期日になって幾多の群衆が彼の周囲を取巻いた時、モハメッドは約束通り大きな声を出して、向うの山にこっちへ来いと命令しました。ところが山は少しも動き出しません。モハメッドは澄ましたもので、また同じ号令をかけました。それでも山は依然としてじっとしていました。モハメッドはとうとう三度号令を繰返さなければならなくなりました。しかし三度云っても、動く気色の見えない山を眺めた時、彼は群衆に向って云いました。――「約束通り自分は山を呼び寄せた。しかし山の方では来たくないようである。山が来てくれない以上は、自分が行くよりほかに仕方があるまい」。彼はそう云って、すたすた山の方へ歩いて行ったそうです。
 
この話を読んだ当時の私はまだ若うございました。私はいい滑稽の材料を得たつもりで、それを方々へ持って廻りました。するとそのうちに一人の先輩がありました。みんなが笑うのに、その先輩だけは「ああ結構な話だ。宗教の本義はそこにある。それで尽している」と云いました。私は解らぬながらも、その言葉に耳を傾けました。私が小田原で兄さんに同じ話を繰返したのは、それから何年目になりますか、話は同じ話でも、もう滑稽のためではなかったのです。


「なぜ山の方へ歩いて行かない」
私が兄さんにこう云っても、兄さんは黙っています。私は兄さんに私の主意が徹しないのを恐れて、つけ足しました。
「君は山を呼び寄せる男だ。呼び寄せて来ないと怒る男だ。地団太を踏んで口惜しがる男だ。そうして山を悪く批判する事だけを考える男だ。なぜ山の方へ歩いて行かない」

******************* (引用終わり)

私は以上の話を何人もの敬虔なムスリムの友人に話して聞かせたけれど、この話の出典が何であるのか知っている人はいませんでした。「旧約聖書に出てきそうな話だ」と指摘する友人もいました。

また、これに続くくだりで、H氏は「私がどうかして兄さんを信仰の道に引き入れようと力めているように見えるかも知れませんが、実を云うと、私は耶蘇にもモハメッドにも縁のない、平凡なただの人間に過ぎないのです。宗教というものをそれほど必要とも思わないで、漫然と育った自然の野人なのです」と告白しています。

日本人の多くが宗教に関心の無いことを不思議がっていたムスリムの友人には、この話も聞かせてから、「そもそも私たちは、“山を呼び寄せよう”なんて大それたことは考えないから、山へ向かって歩いて行く必要もありません」などと言って煙に巻いたりしたものです。

しかし、宗教を信じていないというトルコ人に、こういう“漫然と育った自然の野人”は余りいないのではないでしょうか。

その多くは、何らかのイデオロギーを宗教の代わりにしているか、さもなければ“山を呼び寄せようとするけれど、山へ向かって歩いて行こうとはしない人”であるような気がします。

「山を呼び寄せる男、呼び寄せて来ないと怒る男、地団太を踏んで口惜しがる男、そうして山を悪く批判する事だけを考える男」が多いように思えてなりません。




3月13日 (日)  雪のアンカラ〜春のイズミル〜そして・・・

8日から、ヤロバ、アンカラ、イズミルを巡って昨晩帰って来ました。

ヤロバ〜アンカラの道程は大雪の中、8時間も掛かり、翌9日もアンカラでは雪が降り続いて所々交通がマヒしていたけれど、なんとか、この日は無事に済み、夕刻前のフライトでイズミルへ移動したら、こちらは天気も良くて、雪とは無縁の世界でした。

10日には、気温も少し上がって、春の到来を感じたものの、翌11日の朝は、ホテルの部屋で、トルコのニュース番組が中継した津波の惨状を見ながら、呆然としていました。しかし、その時点では、被災の規模も分からず、まるで映画のような光景に実感も湧かないまま、予定通りに日程を済ませ、昨晩帰宅してから、今日、この時間に至るまで、次々と入って来る災害の情報に恐れ慄いています。

アンカラの雪ぐらいで悲鳴を上げている場合ではありませんでした。それに、雪の中を歩いたりしたのは僅かな間であり、殆どの時間を暖かい車の中や室内で過ごし、夜は、我が家より遥かに暖かいホテルの部屋で寝られたのだから、悲鳴を上げる必要など何処にもなかったのです。

昨晩、5日間ほど空かしていた我が家は完全に冷え切っていて、暖房を入れても直ぐには暖まりません。それでも眠かったから、そのまま寝てしまったら、明け方に寒さと凄まじい頭痛で目を覚まし、アスピリンを飲んで寝直したけれど、頭痛は日中も続いて、先ほど漸く治まりました。そんな体調だったから、被災地の惨状を見て、余計に恐ろしく感じられたかもしれません。

幸い、家族や友人たちが被害にあったという情報はなく、ホッと胸を撫で下ろしていますが、日本では未だ予断を許さぬ状況が続いているようです。しかし、被災地の人々が、その惨状にも拘わらず、規律正しく毅然と行動している様子を伝え聞き、日本社会の底力を感じました。頭痛ぐらいで滅入っていたら恥ずかしくなります。

ZARD/負けないで
http://www.youtube.com/watch?v=r3D8yAVl2c0

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3月20日 (日)  トルコの原発

【247】原子力への固執【ヴァタン紙】【2011.03.20】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00247.html

この記事で、ヴァタン紙のギュンギョル・メンギ氏は、トルコ政府がロシアに発注したメルシン県アックユの原発建設は中止すべきだと論じています。

福島の原発は、未だ予断を許さないものの、何とか収束に向かっているようですが、やはり、地震の可能性がある地域で原発が稼働しているのは、ちょっと恐ろしい感じがしてきました。徐々に、太陽光など安全な新エネルギーの比率が増えて行くよう願っています。

トルコも地震は多いから、メンギ氏が言う通り、原発の建設は中止した方が良いかもしれません。トルコには、水力発電の可能な場所が未だかなり残っているそうです。こちらの開発や、風力、太陽光といった新エネルギーの可能性に、もっと力を入れたら良いでしょう。

それに、原発を建設するのがロシアと聞いては、尚更、『大丈夫なの?』と心配になります。ロシアに地震はないのに、原発事故の実績だけはありますから・・・。

福島の原発事故で、ロシアは早くも「完全にコントロールされている」と事態の収束を明らかにしたらしいけれど、まさか、トルコでの受注を考慮して、そんなこと言ってるのでしょうか?


3月23日 (水)  原子力発電所について知ろう

【248】原子力発電所について知ろう【ヒュリエト紙】【2011.03.23】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00248.html

先日に続き、原子力発電所について論じた記事を訳して見ました。

トルコのメルシン県アックユで計画されている原子力発電所は、ロシアの第3世代型・原子力技術によるものだそうです。同系技術の第1世代型による発電所は、トルコと国境を接するアルメニアにもあり、これがまた“世界で最も危険な原子力発電所”の一つらしいと言うから嫌になります。

トルコは、チェルノブイリでも、かなり被害を受けているはずだけれど、今もこんな物騒なものが目と鼻の先にあるなんて・・・。さらに、これと同系の技術による原子力発電所が、トルコの国内でも計画されているのだから堪ったものではありません。もう少し慎重に検討すべきじゃないでしょうか。

しかし、日本の場合、代替の新エネルギーが確保できるまで、まだまだ長い年月に亘って原子力に頼らざるを得ないようです。付近の居住者や発電所関係者の人たちにとっては大変なことだけれど、今ここでは申し上げる言葉も見つかりません。私の乏しい想念では、今度の事態を明確に捉えることも難しく、何か申し上げたところで現実感を伴わない気がします。



3月26日 (土)  ジャー・ケバブ

東部地方エルズルム県の名物料理ジャー・ケバブ。エルズルムでは、今年、冬季ユニバーシアードが開催されたので、日本から参加した選手たちも、多分これを味わう機会があったと思います。

牛や羊の切り身を大きな鉄杭に通して重ね、巨大な肉塊が出来ると、これを炉の上で横に寝かして回しながら焼き、次に表面の焼きあがった部分を削ぎ取って小さな鉄串に通し、この鉄串の肉を、また軽く炭火で炙って仕上げるという手の込んだケバブです。

香ばしくて、とても美味しいのに、イスタンブールでは、余りお目にかかれません。アジア側のマルテペにあるエルズルム郷土料理店の人に、「何故、イスタンブールで流行らないの?」と訊いたら、「準備するのが大変だからでしょう」なんて答えたけれど、本当でしょうか?

一般的に、トルコの人たちは、見慣れない料理を食べようとしない為、珍しい料理はなかなか広まらないのではないかと邪推したくなります。

4年ぐらい前、ヨーロッパ側カラキョイの裏通りにあった屋台風の小さな店の前に座って、ジャー・ケバブを食べていたら、通り掛ったトルコ人の男性は、ケバブを焼いている店主に、疑わしげな表情で、「これ何?」と訊き、店主がにこやかに説明しても、疑わしげな表情のまま、首を傾げながら行ってしまいました。店頭で、東洋人が美味そうに食べていたから、余計に怪しく思えてしまったのでしょうか? 店主は、何処から見ても、普通のトルコ人だったのですが・・・。

エルズルムのジャー・ケバブがこれでは、日本の鮨を流行らせようとしたって難しいかもしれません。

Maltepe Erzurum Sofrasi
http://erzurumsofrasi.com.tr/Default.aspx

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3月27日 (日)  タントゥニ

イスタンブールでジャー・ケバブは、なかなか流行らないけれど、メルシン県の名物タントゥニは、いつの間にやらイスタンブールを席巻してしまいました。

タントゥニは、細かく刻んで一旦茹でた牛肉を油で炒め、香辛料等で味付けして仕上げます。イスタンブールにも、昔から何軒かあったそうですが、流行りだしたのは、この10年ぐらいの間じゃないでしょうか?

見慣れない状態を脱して火が付けば、広まるのは早いようです。ジャー・ケバブは、やはり“準備するのが大変”で、値段もそれほど安くはならないところが難点であるかもしれません。

しかし、タントゥニは何でこんなに流行ったのでしょう。私には格別美味いとも思えんのですが・・・。

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3月28日 (月)  モンゴル語によるミサと韓国人伝道師

三週間ほど前、イスタンブール市内で韓国料理店を経営しているイ・ヨンヒさんが、「最近、韓人教会では、日曜日の午後3時から、日本人の為に、韓国人の牧師が日本語でミサをやっているそうよ」と教えてくれたので、昨日、ちょっと様子を見に出かけました。

韓人教会は、以前、市内のアングリカン・チャーチの礼拝堂を借りてミサを執り行っていたけれど、現在は雑居ビルの中に専用の礼拝堂を設けているそうです。

昨日の午後4時頃、ヨンヒさんから教えてもらった通りに行くと、その雑居ビルは直ぐに見つかり、入口には“8階:韓人教会”と表示も掲げられています。エレベーターに乗り込んだら、ニンニクの香りが漂っていたので、『ミサが終ったら、キムチとか食べさせてもらえるだろうか?』なんて妙なことを期待してしまいました。韓人教会のミサでは、皆が持ち寄ったキムチや惣菜が振る舞われていたからです。

8階で降りると、そこにはミサの後に食事したり茶を飲んだりする集会所があり、その右手のガラス扉の向こうが礼拝堂になっていて、既に始まっているミサの様子が見えます。

先ずは、それほど広くない礼拝堂が、多くの信者で込み合っている状況に驚かされました。『イスタンブールに日本人のクリスチャンがこれほどいるのだろうか?』と訝りながら、尚も様子を窺うと、どうやら集まっている人たちは、日本人じゃないようです。

『なんだ、午後も韓国語のミサなのか』と少し拍子抜けして、左手の炊事場を見たら、東洋人のおばさんが所在無げに座っていたので、当然、韓国人だと思い、韓国語で話しかけたけれど、おばさんはポカンとして何の反応も示しません。『待てよ?』と、言葉をトルコ語に切り替えたら、おばさんはニッコリと微笑み、あまり上手くないトルコ語で応答してくれました。彼女はモンゴル人なんだそうです。

それどころか、礼拝堂に集まっている人たちも、全員モンゴル人という話だから、これまた驚かされました。日本語のミサは別の場所で行われるようになったと言います。

おばさんが、「ミサは韓国語もあります。どうぞ入って下さい」と勧めるので、何のことやら解らぬまま、礼拝堂に入ったところ、正面に二人の女性が立っていて、一人が韓国語で信仰について語ると、もう一人がそれをモンゴル語に訳しているのです。

韓国語で話しているのは、韓国人の伝道師さんでしょう。年の頃、35ぐらい。大昔に、私が日本で惚れたの腫れたのと大騒ぎした韓国人女性に良く似ていたので、一瞬ギクっとしたけれど、向こうも私と一緒に歳を取っているわけだから、そんなはずもありません。

伝道師さん、隣のモンゴル人女性が通訳しているのを聞きながら、二度ほど訂正していたところを見ると、モンゴル語もかなり解っているみたいです。

ミサが終了に近づき、モンゴル人と思われる中年男性が、集金袋を持って堂内を回り始めた時は、どうしようかと躊躇したものの、『まあ、何かの縁だから』と思って、ほんの小額を集金袋に入れたら、男性は間髪を入れずに、「カムサハムニダ」と韓国語で挨拶しました。

ミサが終ると、おそらく今日、初めてミサに参加した人たちが、順繰りに立ち上がって何やらモンゴル語で自己紹介らしき言葉を述べ、最後に私も周りから促された為、渋々立ち上がって、近くに立っていた先ほどの男性を見やりながら、韓国語で「モンゴル語は全く解らないのですが・・・」と救いを求めたところ、遠く正面から、伝道師さんが「ああ韓国人ですね」なんて声を掛けて来たので、「日本人です(イルボン・サラミムニダ)」と断ったら、驚いたことに、周りにいた4〜5人のモンゴル人が、「イルボン・サラム(日本人)、イルボン・サラム(日本人)」と口々に呟き、他にも皆がモンゴル語で何事か言い合い、礼拝堂内はちょっと騒然となりました。

その後、集会所でお茶と菓子が振る舞われ、私もこれに加わって、いろいろな事情を訊こうとしたけれど、トルコ語がまともに話せる人は余りいません。

韓国語で「イルボン・サラム(日本人)」と呟いた人たちから話を聞いたところ、彼らは皆、数年に亘って、韓国で暮らした経験があると言います。集金していた男性もモンゴル人でしたが、かなり流暢に韓国語を話していました。通訳の女性は、12年も韓国にいたそうです。

まあ、何にせよ驚きました。朝鮮半島の人たちは、かつて大陸の儒教を日本へ伝えたわけだけれど、今度は海の向こうからやってきたキリスト教を大陸のモンゴルへ伝えようとしているのでしょうか? しかも、ここはイスタンブールなんです。


*写真に写っているのは、私を除いて皆モンゴルの人たちです。

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3月31日 (木)  灯の消えた東京

先日、トルコの新聞のインターネット欄に“灯の消えた東京”と題して、一連の写真が掲載されていましたが、あれを見ても、多くのトルコの人たちには、何処が“灯の消えた東京”なのか良く解らなかったのではないかと思います。あれでも、今のイスタンブールと、光の量はそれほど変わらないような気がするからです。

日本の大都市を照らす過剰なネオンサインは、もう見直さなければならないかもしれません。あのネオンサインの代わりに、太陽光発電のパネルでも設置するわけには行かないでしょうか? そうやって、東京中のビルにパネルを張り巡らしたり、各ビルに省エネの最新技術を動員したりすれば、かなり効果は上がるような気もするのですが・・・。↓

ZEB(ネット・ゼロ・エネルギー・ビル)
http://www.bema.or.jp/project/top12.html

しかし、ネオンサインが消えた東京では、早くも飲食店の経営者が悲鳴を上げているそうだから、「省エネもほどほどにしないと経済が駄目になってしまう、使うべき電力は使い続けなければならない」というのも理解できます。直ぐに全ての原子力発電所を止めてしまうわけには行かないでしょう。

地震のリスクが特に大きい所は直ぐにでも停止させ、他の発電所も安全基準を高めながら、代替の新エネルギーの開発を急ぎ、省エネを進めて、徐々に原子力の比率を下げて行き、最終的には、原子力に頼らなくても済む体制を作るべきじゃないかと思います。

福島は深刻な状況になっているようです。チェルノブイリの例も参考にして、対策を考えなければならない状況であるかもしれません。↓

マル激トーク・オン・ディマンド/ あえて最悪のシナリオとその対処法を考える
http://www.videonews.com/on-demand/511520/001784.php

チェルノブイリの事故により、トルコも被害を受けたはずだけれど、トルコでは、事故の当初から、どれぐらいの被害を受けたのか、余り詳細な調査を行っていなかったらしく、放射能を浴びた特産の茶や他の農産物、黒海で獲れる名物のイワシなどが、そのまま国内市場に流通していたと言われています。まあ、それを食べても、トルコの人たちは元気だったから、それほど甚大な被害ではなかったのでしょうか。

とはいえ、統計によれば、以来、トラブゾン県などでは、他県に比して、癌の罹患率が著しく高くなっており、これは今でも続いているそうです。

おそらく、ウクライナでは、相当な罹患率になっていたのでしょう。しかも、農業を主にしていたから、こちらの方の被害も凄かっただろうと想像します。

しかし、ウクライナはその後、滅亡したわけでも、衰退したわけでもありません。ソビエトの崩壊と共に独立し、復興を遂げました。

******************

以下の記事を訳して見ました。

【249】原子力と虚偽は兄弟である【ミリエト紙】【2011.03.31】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00249.html