Diary 2011. 2
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2月1日 (火)  エジプトの変革

【244】エジプトの変革【ミリエト紙】【2011.02.01】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00244.html

エジプトの騒動、私はエジプトへ行ったこともないし、この出来事について、特に興味があるわけでもありませんが、日本でも話題になっているようだから、少し関連記事を読んだりしています。その中から、今日はヌライ・メルト氏のコラムを訳してみました。


2月2日 (水)  恐妻家?

チュニジアとエジプトの騒乱は、日本でも話題になっているようだけれど、その延長で、トルコにも好奇な視線が向けられたりすると、思わず「ちょっと待って下さい」と言いたくなってしまいます。

私はチュニジアやエジプトに行ったことはありませんが、騒乱に関する報道を聞く限り、トルコとは文化的にも社会的にも、かなり隔たった国々であると感じました。トルコでは、社会の構造からして、ああいった独裁者が現れるのは不可能じゃないでしょうか。

数年前、トルコで暮らす外国人が、「ギュル大統領に実際会ったら、とても腰が低くて紳士的な人物だったので驚いた」と話題にしているのを聞いた世俗派トルコ人の友人は、「トルコ共和国の大統領だよ。当たり前じゃないか」と苦笑いしていました。彼は世俗主義者として、いつもギュル大統領をこっぴどく非難していたものの、さすがに“腰が低くて紳士的”ぐらいで驚かれるのは心外だったようです。

エルドアン首相にしても、その政策やネポティズムへの批判はさておき、一国の宰相として、まずは遜色のない人物でしょう。

メディアが何処まで実像を伝えているのか解らないけれど、メディアに映るギュル大統領とエルドアン首相を見ていると、共通してとても好ましく思えるところがあります。お二人とも際立った恐妻家のように見える点です。特に、エルドアン首相は、政治家として非常に強面なイメージがあるため、そのギャップがことさら強調されているかもしれません。

1月23日のミリエト紙によると、アラルコ財閥のイスハク・アラトン会長の娘であるレイラ女史が、財界の会合に出席したエルドアン首相に対し、女性の社会進出を支援するよう求めながら、「貴方の奥さんが如何に強い女性であるかは皆が知っています。そのため、貴方はフェミニストにならざるを得ないのです」と迫ったところ、エルドアン首相は、「レイラさん、私を煽っているね」と笑ってから、レイラ女史に政界入りを勧めたそうです。

【17】シナゴークに続き、英領事館等でも自爆テロ(1)【ザマン紙】【2003.11.21】(イスハク・アラトン会長へのインタビュー)
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00017.html

エルドアン首相、外遊先へ、奥さんばかりか娘さんも良く連れて行くので、これまた批判されているし、もっともな批判だとは思うけれど、あの強面首相が、奥さんや娘さんの前で、なんとなくデレデレしている様子は、多少微笑ましくもあります。


以下の“YouTube”は、昨年9月の国民投票で、票を投じる首相家族。これは家族で来ても問題ないでしょう。奥さんから、一緒に写真へ入るように呼ばれたけれど、エルドアン首相はこれに応じませんでした。

http://www.youtube.com/watch?v=-_MkHbZFuxc

以下は、エリザベス女王がトルコを訪れた時の模様。ちょっと珍しい場面じゃないかと思いました。

http://www.youtube.com/watch?v=5omBph7oo50&feature=related

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2月3日 (木)  強面の恐妻家  

クズルック村の工場にも、強面の恐妻家がいました。工程設備の営繕を行う部署で、グループ長を務めていたオメルという青年です。

オメルさんは高卒の叩き上げで、情熱的な仕事ぶりが、日本人の出向者からも厚く信頼されていたけれど、ちょっと激しやすいところがあって、なかなかの強面でした。

奥さんのナギハンさんも、製造部の有能なグループ長であり、彼女のほうが少し早く昇進したため、オメルさんは大分発奮したようです。

ナギハンさん、2002年当時で、25〜6歳ぐらいじゃなかったかと思いますが、体つきが小さかった所為もあって、実年齢よりずっと若く見えました。スカーフをグルッと巻いて、小さな顔だけ覗かせている様子が、なんとなく雪童子を思わせる可憐な女性だったから、口の悪い出向者の方々は、オメルさんと比べて、「あれじゃあ、“美女と野獣”のカップルだ」なんて酷いこと言ってました。

実際のところは、オメルさん、トルコ人男性の基準からしても、相当なイケメンで、それこそ日本へ行ったら、モテモテだったでしょう。しかし、激昂して、大きく目を見開き、鼻孔を膨らませた時の形相は、確かに“野獣”のようだったかもしれません。

いつだったか、会議室で、製造部の面々と折衝中に激昂し、あの形相で椅子から身を乗り出すようにして大声を張り上げ、手がつけられない状態になると、製造部チーフのマサルさんは、そっと席を立ち、内線を使って何処かに電話していたけれど、暫くしたら、会議室にナギハンさんが入って来ました。

この時のオメルさんの反応は実に見物でした。奥さんの姿が視界に入るや否や、まずは居住まいを正し、柔和な表情になって静かに話し始めたのです。会議が終った後、マサルさんは何やら嬉しそうに、「オメルを大人しくさせるためには、彼女を呼ぶのが一番だね」と手の内を明かしてくれました。

オメルさん、会議中、隣に奥さんが座っているの忘れて、大声を張り上げたこともあります。あの時は、奥さんの反応が凄かった。冷たい視線で亭主を睨みながら、静かな声に力を込めて、「あんた、何で怒鳴るの?!」と問いかけ、たちまち制圧してしまったのです。

オメルさんの部下の男も、「うちの大将に、何か提案する時は、ナギハンさんに頼むと巧く行くね」なんて良く言ってました。

クズルック村はかかあ天下?
http://www.neo-pro.jp/makoto/merhaba/002.html#130

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エルドアン首相にも、「エミネ夫人の意見は聞くようだ」という噂があります。ラディカル紙のコラムニスト、アヴニ・オズギュレル氏は、「エミネ夫人には、そのうち回想録を書いてもらいたい。エルドアン首相が夫人にだけは相談していたこともあっただろうから・・・」と書いていました。

エミネ夫人は、学校を出てから、イスラム主義運動の婦人部で活躍していて、そこでエルドアン氏と知り合って結婚したそうです。エルドアン首相にとって、エミネ夫人は政治的な同志でもあるのでしょう。

しかし、私のような腰抜け男が言うのも何ですが、外では強面を通しながら、奥さんに頭が上がらないというのは、まさに“男の中の男”であると思います。

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面白いクリップを見つけました。エルドアン首相がエミネ夫人と並んで歌うシーンを見ることができます。
“一緒に歩んで来た、この道を・・・”という歌詞もなかなか意味深な感じです。

http://www.timsah.com/Erdogan-Emine-Hanim-ile-duet-yapti/C0VPVurP3y9

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2月4日 (金)  カリスマ

エルドアン首相のエミネ夫人は、首相に付き添うばかりでなく、一人でも方々へ出かけて親善活動などに携わっているから、“出しゃばり過ぎ”という批判が尽きないものの、式典や講演会で見せるそのスピーチは堂々としていて見事なものです。

昨日、インターネットで、高校の開校式でスピーチしている場面を見たけれど、ずっと前を見据えて朗々と話していました。巧くまとめられたスピーチだったから、即興ではなく、原稿を用意していたと思いますが、話しながら原稿を見ている様子はありません。そのぐらいは前以て覚えて来ているのでしょうか。そういう一生懸命な姿勢が伝わってくるようなスピーチでした。

http://www.haberler.com/emine-erdogan-genc-kizlarimiz-tore-ve-anlamsiz-2503712-haberi/

まあ、トルコの人たちは全般的に人前で話すのが巧いし、政治家などは、皆、5分ぐらいのスピーチであれば、原稿を見ないで話します。

以下は、クルド民族主義運動家のレイラ・ザナ氏が、2007年にウードゥル県で行った演説ですが、凄い迫力であると感じました。

Leyla zana Kurdistan federasyonu istedigi igdir mitingi
http://www.youtube.com/watch?v=r3ZkDWu5wVo

ザナ女史は、こういった演説を途中でクルド語に切り替えて続けたりするから、その機転と言い、エネルギーと言い、全く大したものだと思います。カリスマと言っても、メディアが作り上げた薄っぺらなカリスマとは違うでしょう。また、あれだけ艱難辛苦に満ちた半生を歩んで来たにも拘わらず、ときおり見せる笑顔の素晴らしいこと・・・(もともと美人ではありますが)。

以下の会見は、昨年のものですが、こうやって静かに話している場面でも、なかなか迫力があります。

Leyla Zana herkesi sagduyuya davet etti CNNTurk com
http://www.youtube.com/watch?v=tv8Wr6vb0Zo

この会見では、内容にも、前述の演説のような過激さは影を潜めていて、これを変節と見る向きもあるようだけれど、状況の変化を見極めた柔軟性とは言えないでしょうか。

「クルド人には譲歩しない」という強硬論を主張しているMHP(民族主義行動党)のバフチェリ党首とCHP(共和人民党)のバイカル党首に対して、ザナ氏は次のように語っています。

「・・・バフチェリ氏は常識的な人です。バイカル氏も長年に亘ってトルコの民主化に貢献してきました。もう少しデリケートに、そして、選挙に関する不安から離れた態度を示すことが出来れば、この国の前途は開けると信じています。・・・その意志を明らかにすれば、不可能なことなどありません。皆、変わりました。これは喜ばしいことです。私たちも変わりました。参謀本部もPKKも変わりました。世界が変わりつつあるのです。この流れに誰も抗うことはできません」

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トルコでカリスマと言えば、まずはエルドアン首相の名が上げられるかもしれません。「あのカリスマはメディアが作り上げたものだ」なんて言う人もいるけれど、その言動には真摯な力強さが感じられるように思います。また、強面ばかりじゃなくて、射程圏内に入って来た人たちの心を掴んで離さない“人たらし”的な魅力もありそうです。

しかし、こういったカリスマは、一方で人々に冷静さを失わせてしまう重大な危険も孕んでいるように思いました。カリスマ的な人物の信念や政治的な判断が、いつも正しいとは限らないからです。

以下は、2007年の総選挙で開票作業が続く中、AKPの勝利が確実になった段階で、党本部前に押し寄せた支持者たちの前に姿を現したエルドアン首相の演説。AKPに投票しなかった人々へ「貴方たちのメッセージも受け取っているから心配しないで」と呼びかけたりして、なかなか感動的でした。しかし、その後の展開を見ると、メッセージがどのように受け取られたのか、多少不安になります。今年はどういう演説になるでしょうか?(まだAKPの勝利が決まったわけじゃありませんが)

22 Temmuz 2007
http://www.youtube.com/watch?v=M3kyhtM9ivA



2月5日 (土)  民主主義の幻想と“ポスト・イスラミズム”

【245】民主主義の幻想と“ポスト・イスラミズム”【ミリエト紙】【2011.02.05】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00245.html

“エジプトの変革”に続いて、ヌライ・メルト氏の記事を訳して見ました。訳に大きな間違いがなければ良いのですが・・・。この方の記事を読むと、なかなか頭の体操になります。

メルト氏のイランに対する考察が興味深く思われました。エジプトの出来事には、それほど関心ありませんが、イランには大有りです。イラン人の友人は何人もいるけれど、エジプトには知り合いすら殆どいない所為でしょうか。世界中に友人がいれば、世界の出来事にもっと関心が持てるようになるかもしれません。

イランは何だか極端な面のある国だなあ、と思います。ハタミ大統領が現れて、さすがに古の文明が栄えた国だと感心していたら、次の大統領さんが・・・。まあ、ホメイニ師の革命はもっと極端でしたよね。

極端なことをやってのけてしまうのは、激しい情念が渦巻いているからでしょうか。だから、素晴らしい芸術を生み出して世界から称賛されたり、厄介なことで注目されてしまったり・・・。もう少しマイルドになったら良いのに・・・。

以下の“YouTube”のクリップ、ハーフェズの詩の読誦でしょうか? ペルシャ語の意味は解らなくても、読誦の声と伴奏が見事にマッチして、痺れるほど格好良い、背景の風景も何だか詩情にピッタリ、素晴らしい仕上がりじゃないかと思います。

persian poetry 2
http://jp.youtube.com/watch?v=HjfPXtr4aSY&feature=related



2月6日 (日)  八百長

1980年に大相撲の八百長が問題になった時、小林秀雄が雑誌に“相撲と決別す”といった表題の文を書いていました。3〜4ページぐらいの文でしたが、思わず「凄い名文だ」と唸ってしまいました。

小林秀雄なんて、高校の教科書で読まされたりして、難しいという印象しか残っていなかったけれど、“相撲と決別す”は、何しろ私が良く知っている相撲について、しかも、『そうそう、俺もこれが言いたかった』という話ばかりで、一読して大いに納得しながら、『なんでこんな感動的に、解り易く伝えることができるのか』と唸らされてしまったのです。

もう細かい内容まで覚えていませんが、「相撲は真剣勝負でなければ意味がない」といった趣旨により、まずは真剣勝負を前提とする相撲の醍醐味が明らかにされ、何故、決別を告げるに至ったのか、その心中が、それこそ鬼気迫るような筆致で綴られていました。

あの文、何処かで見つからないでしょうか? 八百長を根絶して、大相撲を再起させる力になるんじゃないかと思います。

2ヵ月ぐらい前、トルコ人の友人たちと飲んでいたら、その内の一人が「俺の友人で相撲に夢中な奴がいて、ユーロスポーツで相撲が始まると、観戦しながら、身振り手振りで技の解説までするから大変なんだ。お陰で俺も少しは相撲が解ってきたよ」なんて言ってました。その相撲好きな友人は、相撲以外、格別日本に興味があるわけでもないそうです。 

大相撲が再起できなかったら、こういった海外のファンも悲しむでしょう。しかし、八百長の根絶は、そう簡単な話じゃないような気がします。おそらく、相当長い間、当たり前のように行われてきたのだろうから・・・。

私も昔から“怪しい相撲”はかなりあると感じていました。何度も騒がれたお陰で、最近は大分減ったのではないかと思っていたけれど。

素人が見ても、『おいおい、今の負け方は何だよ?』と首を捻りたくなる相撲であれば、多分、親方衆は解るはずだから、裏で秘かに注意するようなことはなかったのでしょうか?

徹底追及が叫ばれているものの、メールとか残っていない限り、本人たちが「やっていない」と言えば、証拠はないから、それまでです。これから、八百長が起き難い制度を作り上げて行くよりないかもしれません。


2月7日 (月)  我が家の向かいのスーパー

昨秋、我が家の向かいに開店したスーパー、10月の“便り”には、“閑古鳥が鳴いて風前の灯”みたいなことを書いてしまいましたが、結構、健闘しています。

相変わらず客の入りが悪いけれど、生鮮食品は余り置いていないし、従業員も少ないから、それで何とかやって行けるようです。もともとそういう方針なのかもしれません。余計なこと言って失礼しました。我が家に近いから重宝しています。

さすがに、卵とか野菜の類いは、ちょっと買う気にならないものの、チーズやヨーグルトなら問題ないでしょう。先日は、ペットボトルに入ったボザ(トルコの独特な甘い飲み物)が2TLと安かったから、試しに一つ買ってみることにしました。

ところが、レジの兄貴は、“ピッピッ”とバーコードを読み込んで、他の商品は次々と手早く会計していたのに、ボザのところへ来たら、動きを止め、ペットボトルを持ち上げて、まじまじと賞味期限を確認したのです。私も慌てて、彼の手から奪うようにペットボトルを受け取り、刻印された日付を読むと、これが“2月28日”。ホッとして顔を上げたら、レジの兄貴が笑っていたので、私も一緒に大笑いしてしまいました。

まあ、彼も、『待てよ? この商品は余り出ていないが、大丈夫かな?』と真面目に職務を遂行したのだろうけれど、もう少しさりげなくやってくれないと、客も不安になります。

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2月8日 (火)  傘の実演販売

昨日のスーパーじゃなくて、その前につぶれてしまったケレピルというスーパーですが、その場所に、今は装飾雑貨を売る店が出来ています。オープンして、もう2ヶ月ぐらい経つかもしれません。

先日、前を通り掛かったら、店頭に雨傘が出ていたので、ちょっと見てしまいました。昨年、5リラで買った傘は、骨が曲がって、殆ど使い物にならなくなっていたのです。

しかし、あまり安い傘はなさそうだったから、直ぐにその場を離れようとしたら、スカーフを被った店員のオネーサンが出て来て、愛想良く挨拶されてしまいました。

それで、一応、値段ぐらいは訊いておこうと思って、黒い傘を少し持ち上げたところ、彼女は「10リラですね」と答えながら、その傘を手に取り、「ちょっと待って下さい。この傘には、なかなか変わった特徴があるんですよ」と先ずは傘を広げて見せ、次にたたんでから、その先端を示して、「ほら、ここに帽子みたいものがついてますね」と何やら得意そうです。

見ると、傘の先端には、プラスチックの黒いキャップのようなものがついています。それから、彼女がさらに得意そうな表情で、「見て下さい、これが特徴です」と、そのキャップを抑えて引き寄せれば、あら不思議、キャップは蛇腹になっていて、どんどん広がりながら傘を根本まで覆ってしまいました。これは確かに優れものかもしれません。

結局、巧く乗せられたように思いながらも、その傘を購入してしまいました。良く見たら、やっぱり中国製でしたが、5リラの安物よりは丈夫そうに出来ています。何だか、雨の日が待ち遠しくなってしまったけれど、天気予報は土曜日まで晴れマークです。

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2月9日 (水)  トルコのチーズ・フォンデュ?

黒海地方に“ムフラマ”とか“クイマク”とか呼ばれている料理があって、私はこれを“トルコのチーズ・フォンデュ”などと紹介したりしたけれど、ウィキペディアのトルコ語版で調べてみたら、この料理は黒海地方でも各地によって作り方が異なり、アルトゥヴィンのムフラマには、チーズが使われていないと明らかにされていたので、ちょっと驚きました。私が初めてムフラマを味わったのは、アルトゥヴィンだったからです。

ムフラマの作り方は、ウィキペディアの記述によると、トラブゾンとリゼでは、鍋にバターや油を溶かして、そこへトウモロコシ粉を入れ、水か湯を注いで混ぜながら、チーズを加えますが、アルトゥヴィンでは、バターの代わりに“カイマク”という濃厚なクリームを使い、チーズを加えずに仕上げるようです。

そういえば、アンカラのレストランで食べたムフラマは、あまりトウモロコシ粉が入っているとは思えず、鍋が冷めるとチーズは固まってしまったけれど、アルトゥヴィンのムフラマは、冷めてもそれほど固くなりませんでした。しかし、あの味わいは、どう考えてもチーズだったような気がします。

以下のクリップは、アンカラに暮らしているリゼ県の人たちが、ラマダンで断食明けの夕食にムフラマを楽しんでいる場面です。ここで紹介されているムフラマのレシピは、ウィキペディアの記述と少し違うものの、バター、トウモロコシ粉、チーズが使われている点は変わりません。私がアルトゥヴィンで食べたムフラマもこんな感じでした。

muhlama
http://www.dailymotion.com/video/xeqlol_kanal7-lazborei-ve-muhlama-yapm_news

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2月10日 (木)  イヴォ・パパゾフ

イヴォ・パパゾフ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%91%E3%82%BE%E3%83%95

ブルガリアにイヴォ・パパゾフという世界的に有名なロマ民族(ジプシー)のクラリネット奏者がいるそうです。昨年12月、トルコのネットニュースで、その生い立ちに関する記事を読むまで、私はこの演奏家について何も知りませんでした。

HABERLER
http://www.haberler.com/klarnet-ustasi-ivo-papasov-turkce-muzik-2408940-haberi/

記事は、1952年にブルガリアのクルジャリで生まれたパパゾフが、“イブラヒム・アッバスオウル”というトルコ名を持っていたと伝えています。ジブコフ政権の下で、名前を変更させられ、トルコ系の人々の結婚式でトルコ風やロマ風の演奏の披露したことにより、刑務所へ送られたこともあったそうです。

以下のクリップでは、冒頭、一方がパパゾフ氏の肉声と思われるトルコ語の短いやり取りがあります。続いて始まる演奏は、ジプシー・ブラスと呼ばれるスタイルでしょうか? イスタンブールの盛り場で、ジプシーの流しが演奏している場面を頭に思い浮かべてしまいました。

Ivo Papasov - Dance Of The Falcon By KunDuz
http://www.youtube.com/watch?v=Vvg3jTmHYAo

10年ぐらい前、夜、ボスポラス海峡を渡る連絡船に乗ったら、居合わせたジプシー風の老人が2人か3人、興に乗って銘々の楽器を奏で始めたことがあります。ちょっと良く思い出せないけれど、バイオリンとダラブッカの演奏に歌声も入り、哀愁が漂うような曲調でした。

もちろん、パパゾフ氏の音楽性と比べたら不味いでしょう。しかし、連絡船の薄暗い船室と、老人たちの切々とした演奏ぶりが、なんとも言えない雰囲気を醸しだして、深い印象を残しました。

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2004年3月31日(水) ロマ(ジプシー)の人々
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2004&m=3

2004年5月19日(水)路上の即席バンド
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2004&m=5

2009年9月4日(金) 海峡の向こうはギリシャなの?
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2009&m=9


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