Diary 2011. 10
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10月3日 (月)  床屋の青年と・・・・

アナトリアには長い文明の歴史があり、民衆はイスラムを受容する以前に、豊かな文明社会の中で暮らして来たわけだから、トルコの人々に感じられる温もりや寛容さといった美徳が、全てイスラムによってもたらされたと考えるのは、何だか偏っているように思えるけれど、同様に、アフガニスタンやスーダン等に見られる社会問題の要因をイスラムに求めるのは間違っているかもしれません。こういった国々がイスラムを受容する以前の歴史を見なければならないと思います。

また、厳しい懲罰によって治安を維持しているのもイスラム国ばかりじゃありません。昔、共産圏に旅行した人たちが、治安の良さや人々の親切を称賛している記事を読んだ覚えがあるけれど、これも厳しい懲罰と自由の抑圧によって得られた成果じゃなかったでしょうか。

そもそも、先月話題にした床屋の青年は、コーランを通読したことなど恐らく一度もないはずです。何処かで吹き込まれた話を得意げに吹聴するだけで、宗教についてそれほど真面目に考えているわけじゃないでしょう。

しかし、床屋の青年の話を聞いたら、やはり科学に勝る拠り所はないと思いました。科学は立証できない空説を認めないし、立証が崩れた場合は、誤りを認めるからです。誤りを認めて謝罪することが、無用な争いを回避するために、もっとも有効な手立てであるような気がします。

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先日、床屋の青年の話に考えさせられて、以下の論説を読み返し、改めて感銘を受けました。


ムスリムと西洋 ─ 9 月 11 日の後 ─パルヴェーズ・フッドボーイ (Pervez Hoodbhoy)
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/hoodbhoy/hoodbhoy2J.html


10月6日 (木)  「赤い三日月 小説ソブリン債務」

8月13日(金)トップレフト
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2010&m=8

昨年8月の“便り”で御紹介した“トップレフト”の著者黒木亮氏が、ほぼ全編トルコを舞台にした新作「赤い三日月 小説ソブリン債務」を上梓したので、早速読んでみました。

『赤い三日月 小説ソブリン債務』
http://www.amazon.co.jp/%E8%B5%A4%E3%81%84%E4%B8%89%E6%97%A5%E6%9C%88-%E5%B0%8F%E8%AA%AC%E3%82%BD%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%B3%E5%82%B5%E5%8B%99%EF%BC%88%E4%B8%8A%EF%BC%89-%E9%BB%92%E6%9C%A8-%E4%BA%AE/dp/4620107727

私のような経済・金融オンチの人間には、良く理解できない金融取引の場面も多く、その辺りは改めてゆっくり読み直すことにしますが、80年代後半から90年代前半のトルコを舞台に展開される物語は、91年に初めてトルコを訪れ、以来、トルコに関わってきた私にとって、とても身近に感じられる場面や、あっと驚かされる舞台裏が満載で、息をつく間もなく読み終えてしまいました。

金融に興味はなくても、トルコに住んでいる方、トルコに興味のある方には、是非ともお勧めします。


『赤い三日月 小説ソブリン債務』黒木亮が緊急寄稿
「ハゲタカ」に狙われる欧州の金融危機を横目に、急浮上する「オスマン帝国」のルネッサンス
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/21254

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10月19日 (水)  アタテュルク図書館

イスタンブールは先週の土曜日に雨が降り始めてから急に寒くなりました。雨は昨日まで断続的に降り続き、昨日は日中でも4〜5℃という真冬並みの寒さ。しかし、今日は15℃ぐらいまで上がるそうだし、金曜日は最高気温20℃と予想されています。ここが踏ん張りどころで、意地でも10月からスチーム暖房は使いたくありません。

それで、部屋の中でもジャンパーを着こんで我慢していたけれど、昨日の朝は本当に震え上がってしまい、昼、ヨーロッパ側で用事を済ませても家には帰らず、タクシムにあるアタテュルク図書館で閉館の7時まで本を読んでいました。静かで暖かくて、何時間いても無料です。

日本では、暑かったり寒かったりすると、よく近所の図書館に避難していましたが、イスタンブールで我が家の近くに図書館らしきものはありません。次に寒波が訪れたら、その辺の喫茶店にでも避難しましょう。用事もないのにタクシムまで出かけたら交通費のほうがお茶代より高くついてしまいます。

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10月20日 (木)  ペンディク国際伝統手工芸展

Pendik Uluslararası Geleneksel El Sanatları Buluşması
http://www.pendik.bel.tr/bpi.asp?caid=175&cid=9832

4年ほど前、“地球街道”というテレビ番組の取材でシヴァス県を訪れた際、キリムを織る村を案内してくれた県職員のハサンさんから、イスタンブールのペンディクで開かれた“国際伝統手工芸展”にシヴァスのキリムで出展していると連絡があったので、昨日、ペンディクに出かけて、ハサンさんと再会しました。

シヴァスから何人も来ているのかと思っていたら、シヴァスのキリムのブースにはハサンさんしかいません。29日に閉幕する展示会の期間中は、一人で夜の10時まで働かなければならないそうです。昨日、イスタンブールは久しぶりに晴れ上がって少し暖かくなったとは言え、小さな暖房器具すらないブースで、ハサンさんはくしゃみしながら、「もう少し暖かくなってくれないかなあ」とぼやいていました。

この展示会、“国際”と銘打っていますが、外国からの出展は、ロシア、オランダ、モンテネグロだけじゃなかったかと思います。

ロシアはマトリョーシカ、オランダは木靴を紹介していました。以下はオランダの木靴職人さんのサイトです。

De klompjesreinders
http://www.deklompjesreinders.nl/joomla/

7月17日(金)トルコ語の四行詩マーニ
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2009&m=7

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10月25日 (火)  ヴァンで地震

ヴァンで地震があった日曜日の夕方、私は友人とイスタンブール市内を歩いている時に、ヴァンの被災を伝え聞きました。

友人の会社にいるヴァン出身の男性は、結婚式をあげる為に里帰りしていたから、ちょっと心配になり、友人は直ぐ彼に電話したけれどこれが繋がらず、慌ててイスタンブールにいる弟に電話してもこれまた電話に出ません。

不安を感じながら、再度、ヴァンの彼に電話したところ、無事に通話できて、なんでも彼の村に被害はなく、ヴァン市内の親族の家も倒壊を免れたものの、彼らは混乱を避けて村に来ているそうです。

暫くすると、イスタンブールの弟からも電話があり、これがまた「着信あったけれど、なんですか?」と寝惚けた様子だと言うから、緊張も緩んでしまいます。

帰宅した後、私もヴァンの出身でレンタカーの運転手をやっている友人が気になり、彼に電話したら、元気そうな声でヴァンの親族等にも被害はないと話していました。それで思わず「良かったなあ嬉しいよ」なんて言ってしまったけれど、被災者を考えると、なんだか少し不謹慎な言い方かもしれません。しかし、これでもうホッとしてしまったのは事実です。

10月17日(土)子供の塾通い
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2009&m=10



10月28日 (金)  カトゥメル

水曜日の朝、8時半までにヨーロッパ側のベヤズィットへ行く用事があり、海峡大橋の朝のラッシュを避ける為、アジア側の東端にある我が家を6時前に出たところ、7時半にはベヤズィットの辺りに着いてしまいました。

それで、近くでゆっくり朝食でも摂ろうと思いながら歩いていると、直ぐにトルコ風パイのボレッキなどを売っている飲食店が見つかったので、大して期待もせずに入って、挽肉入りのボレッキとチャイを注文したけれど、出てきたボレッキを食べたら、これが挽肉の具にナッツもまじっていたりして、とても美味しいのです。

他のテーブルを見ると、朝からカトゥメルという甘い菓子を食べている客もいます。店の人に訊いたら、本場のガジアンテプでは、カトゥメルを朝食べるのが一般的だから、この店でも朝の時間帯だけ焼き立てを提供しているそうです。

とても美味しそうだったし、朝、ベヤズィットに来る機会はそうそうないだろうから、翌木曜日も同じく8時半にベヤズィットの待ち合わせだったので、朝からカロリー摂りすぎじゃないかと思いながらも、このカトゥメルに挑戦してみました。

注文すると、それから生地を薄くのばし、カイマックという濃厚なクリーム、ピスタチオ、砂糖を挟んで焼き上げます。10分ぐらい掛かったでしょうか、焼き立てのカトゥメルが運ばれてきました。

皿に山盛りの状態だったので「食べきれるか?」と心配になったけれど、食べてみたら、薄い生地で軽く仕上がっているので、それほど満腹にもなりませんでした。サクサクとした食感と程よい甘さでとても美味しかったです。

ガジアンテプでは、新婚の夫婦が、結婚した翌朝に作って、両親に振る舞い、残りを自分たちが食べるという伝統が今も受け継がれていると、店の人は話していました。

この店、昼以降はケバプ等を出すレストランになりますが、本場ガジアンテプのケバプやラフマージュンがイスタンブールで味わえる店として知られているようです。今度はラフマージュンを試してみることにしましょう。

Gaziantepli Cavusoglu
http://gazianteplicavusoglu.com/
http://www.turkiyevedunyadanlezzetler.com/2009/10/gaziantepli-cavusoglu.html

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10月29日 (土)  市バスの中の出来事

一週間ほど前、一時真冬並みの寒さだったのが急に暖かくなった日のことです。

かなり混んでいる市バスの中で、初老の男性が周りの人たちを押しのけるように乗降口へ近づいたと思ったら、そこでゲーッと吐き始めたのです。内臓まで出てしまうのではないかと思えるくらい激しい嘔吐でした。

窓際に立っていた私は周囲の人に促されて慌てて窓を開けました。外から新鮮な空気が入ってきて、私は殆ど不快な思いをしなくて済んだけれど、乗降口付近の人たちは嘔吐物の臭気で堪らなく不快だったでしょう。日本だったら一斉にその場から離れようとしたかもしれません。

ところが、そのバスの乗客たちは、男性の背中をさすって労わったり、口々に「紙を持っている人は回して下さい」と叫び、手に入れた紙で汚れを拭ってあげたりしていました。

市バスは庶民的な街区を走る路線で、乗客たちは決して豊かとは言えない庶民が大半だったと思います。トルコの庶民は金持ちからぼったりすることがあるかもしれないけれど、困っている人には本当に親切です。

8月、母と一緒にイスタンブールを回った時は、バスや電車で必ず母に席をゆずってくれるので、私も大分助かりました。

ヴァンの地震では、被災者が助け合い規律を守っている姿を報じた日本のメディアが、「日本の人たちを見習っています」と発言した地元の人を紹介していたけれど、トルコの人たちが日本を見習う必要など何処にもないように思えます。

99年の西部大地震で、私は3日後に被災地に入りましたが、やはり人々は落ち着いて行動していて、これといった混乱は目に留まりませんでした。


10月31日 (月)  トルコも忙しい社会になった/銀行での出来事

イスタンブールのバスや地下鉄で、高齢の女性、しかもそれが外国人であったりすると、必ず席をゆずってくれますが、高齢男性への対応は、この20年間で大分冷たくなったかもしれません。もちろん、腰が曲がっているような老人に対しては別だけれど・・・

宗教科の教師を務めていた友人は、こういった変化を次のように説明していました。

「自分が郊外に引っ越して、長時間バスに揺られて通勤するようになったら、席をゆずらない若者の気持ちが理解できた。彼らはああやって通勤しながら、かなり重労働に従事している場合もある。なるべくなら座って通勤したいだろう。トルコも忙しい社会になったということだね」

日本は、多分、私が生まれる以前から、トルコに比べたら殺人的と言ってよいほど忙しい社会になっているため、毎日通勤している人たちが、なかなか席をゆずる気になれないのは仕方ないかもしれません。

トルコでは、高学歴者の夫婦が共稼ぎをして、双方とも管理職であったりする例が少なくないけれど、管理職が毎日夜遅くまで残業させられる日本では、これも難しいでしょう。もう少し働く時間を減らさなければならないような気もします。

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今日、銀行へ家賃を振り込みに行ったら、犠牲祭前の給料日にあたる所為か、窓口は大混雑で、順番を待っていたら半日掛かってしまいそうな雰囲気です。

それで、自動預払い機から振り込もうとしたところ、これがいつからか国民登録番号を入力しないと操作できないようになってしまい、トルコ国民じゃない私は途方に暮れるばかり。通りかかった行員に訊いても、「ああシステムが変わったからね」とぶっきらぼうな答えが返ってくるだけで埒があきません。

この銀行には、利用者を窓口へ誘導したり、自動預払い機の操作を教えたり、いつもテキパキと仕事をこなしている警備員の青年がいたから、彼の姿を探すと、窓口の付近で他の利用者の質問に、にこやかに答えているところでした。

その一件が片付くのを待って、こちらの事情を説明すると、彼は直ぐに私を自動預払い機の前に連れて行き、なんと自分の国民登録番号を入力して、「はいどうぞ、これで使えますよ」と、あっという間に処置してくれました。

この警備員さん、何を訊いても、とても解り易く説明します。窓口の業務も務まるんじゃないかと思えるほどです。

日本であれば、こういう青年は直ぐに見出されて頭角を現すのではないかと思うけれど、凄まじい学歴社会のトルコでは、そのまま警備員として終わってしまうかもしれません。非常に残念です。