Diary 2011. 1
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1月1日 (土)  謹賀新年

あけましておめでとうございます。

本年も健康に正月を迎えることができました。本当にこの冬は、未だ風邪すらひいていません。規則正しい生活が功を奏しているようです。

昨年までは、このホームページにつまらいな話を書こうとして、夜更かししたりしたこともあったけれど、そういう馬鹿な真似はやめました。業務であれば仕方ありませんが、一銭にもならないのに、深夜まで何をしていたんだか・・・。

この数ヶ月、1時過ぎまで起きていることは滅多にありません。お陰さまで、朝も目覚ましが鳴る前に起きたりしています。まあ、私はフリーの仕事などと言って、実のところ、イスタンブールで暇ばかりの“歩道エンジニア(失業者のこと)”状態だから、これも可能なものの、お勤めの方たちには、ちょっと難しいでしょう。申しわけない話です。

しかし、こんな日常がいつまで続くか解ったものではないから、暇な時間にもっと勉強しなければいけません。まったくいい歳して何をしているのやら・・・。今年も宜しくお願いします。



1月4日 (火)  17歳の肖像

17歳の肖像(An Education)
http://ja.wikipedia.org/wiki/17%E6%AD%B3%E3%81%AE%E8%82%96%E5%83%8F

昨年12月に、イズミルへ行くバスの中で観た映画です。トルコ語の表題は“Ask dersi(恋の授業) ”。

映画館で観たら、暫く席を立てなかったのではないか、と思えるくらい感動しました。ちょっとネタバレになりますが、1961年のロンドンを舞台に、17歳の少女が恋をして挫折するものの、怯まずに荒波を乗り越え、偉大な勝利を収めるという物語です。娘の幸せを願いながらも、彼女が迎えた危機に父親らしい役割を果たせずに悲しむ頼りないお父さんの姿にも泣けました。お父さんがドアを隔てたまま娘に詫びる場面は、忘れ難い余韻を残したように思います。

トルコ語の吹き替えを担当した声優さんたちの演技力もなかなか良かったのではないでしょうか。

以前から、トルコ語の学習用に、繰り返し聞きたくなる洒落た会話の多い映画を探していたけれど、考えて見たら、それがトルコの映画である必要はありません。これに気がついて、イスタンブールに戻ってから、この“17歳の肖像”という映画のDVDを探して歩きましたが、結局、見つかりませんでした。

ところが、暮れになって、ふとインターネットで検索を掛けて見たら、なんと以下のサイトから全編が観られるようになっているのです。直ぐにダウンロードして、昨日、ゆっくり見返しながら、感動を新たにしました。

Ask dersi (トルコ語の吹き替えのみ)
http://www.baglanbize.com/online-tr-dublaj-dram-romantik-dram/76788-ask-dersi-an-education-2009-online-turkce-dublaj-izle-2.html

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1月5日 (水)  シムシェク財務相のクルド語による新年挨拶

1月1日のニュース番組で、メフメト・シムシェク財務相がクルド語による新年の挨拶を披露するというハプニングがあったようです。

女性キャスターからクルド語によるメッセージを促されたシムシェク財務相は、「多分、通訳も私がやるんだよね」と笑いながら承諾し、「“サーラーアピロージべ(??)”、意味は“新年おめでとう”です。最も簡単で、最も美しいメッセージでしょう」とクルド語のメッセージを伝えて、自らその意味を明らかにしていました。この場面は以下の“YouTube”から御覧になれます。

シムシェク財務相のクルド語による新年挨拶
http://www.youtube.com/watch?v=r7G6bw6CUz8

シムシェク財務相は、1967年に南東部バットマン県の貧しいクルド人の村で、9人兄弟の末っ子として生まれ、アンカラ大学を卒業した後、奨学金を得て英国の大学で学んだというから、まあ、大変な神童だったのでしょう。以下のクリップでは、2009年の8月、テレビ番組の取材に応じて、自分が生まれ育った村と生家を案内しているけれど、ここでも伯父さんを紹介する際、自らクルド語の通訳を務めています。

http://video.cnnturk.com/2009/haber/8/28/bakan-simsek-kurtce-sozleri-tercume-etti

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1月6日 (木)  雪解けムードのクルド問題

私が今住んでいるアパートの家主は、カルス県出身のペンキ屋さんで、35〜8歳、投資としてアパートの一室を買い、賃貸に出しているようです。おそらく、ローンの支払も未だ沢山残っているんじゃないかと思います。あまり余裕のある生活をしているようには見えません。

エスニック的にはクルド人であり、学歴までは訊かなかったけれど、多分、中学校ぐらいしか出ていないのではないでしょうか。しかし、なかなかしっかりした頭の良い人物です。

一度、「クルマンチ・ザーニー?(“クルド語解りますか?”という意味のクルド語)」なんて訊いたら、クルド語で何か言い返しながら喜んでいたものの、現AKP政権を支持しているくらいだから、それほど強い民族的な主張を持っているとは思えません。

子供たちの教育には熱心なようです。「出来れば大学まで行かせたい」と話していました。そのために、一生懸命働いて事業を拡大しようとしているのでしょう。イスタンブールで暮らしながら、民族的な差別を受けるなんてことも殆どないだろうから、わざわざ民族問題などに関わっている暇はないのかもしれません。

最近、マルマラ海に浮かぶ島の刑務所に収監されているPKKのオジャラン党首は、南東部のクルド人同胞に対して、イスタンブールへ移住しないように、既に移住しているクルド人たちは早く南東部へ戻るように呼びかけているそうです。このまま混住が進んでしまえば、支持基盤を完全に失ってしまうと恐れているのでしょう。しかし、うちの家主さんのように仕事も家も持っている人たちが、こんな馬鹿げた呼びかけに応じるはずがありません。

昨日お伝えしたシムシェク財務相のエピソードでも明らかなように、“クルド問題”とやらにも、そろそろ雪解けの春が訪れたようです。以下の“便り”でお伝えした“アザディヤ・ウェラト”というクルド語の新聞も、いつからか、街角にあるキヨスクのような店で売られるようになりました。

2009年8月15日(土)続・トルコのクルド問題
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2009&m=8

私が初めてトルコで暮らした91年〜94年の当時は、南東部の殆どが非常事態宣言の下にあり、毎日のように武力衝突のニュースが伝えられていたのに、なんと和やかな時代になったのでしょう。なんとも感慨深いものがあります。

2008年7月10日(木)非常事態宣言下の旅
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2008&m=7

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1月7日 (金)  自由と規律 / 「神は正邪のあるを知らず」(安藤昌益)

日本にはもう4年も帰っていないけれど、現代はインターネットのお陰で、簡単に情報が得られることもあって、そんなに遠い国へ来ているという実感もなく、望郷の念を懐くほどでもありません。しかし、出来れば正月ぐらいは日本で過ごしたいと思ってきました。今年はいろいろあって特に強くそう感じています。とはいえ、大変な出費になるので、なかなか決断できないのです。

情報を何でもインターネットから得ようとするのは良くないかもしれませんが、最近は老眼が進んで、辞書の小さな字を読むのが難しくなってきたため、解らない言葉が出て来たら、直ぐにインターネットで調べてしまいます。辞書のページを捲っているより、このほうが早いかもしれません。

他にも、何か調べようとすれば、直ぐにインターネットですが、ウェブサイトの記事を読んでいて、知らない人名などが出てくると、これも直ぐに検索できるから、芋づる式に色んなことが調べられます。

先日、これもインターネットから手に入れた小津安二郎の“早春”を観ていたら、池田成彬という人物の名前が出てきたので、『どんな人だろう?』と思って検索したところ、この方の次男が池田潔であることを知りました。

私は、もう廃校になってしまった都立秋川高校を卒業しているんですが、全寮制のこの高校を出ていて、池田潔という名に見覚えのない人は先ずいないと思います。入寮と同時に、必ず池田潔の「自由と規律」という著作を読まされて、感想文を書くことになるからです。

自由と規律
http://club.pep.ne.jp/~y.hosoya/booksreview/jiyutokiritu.htm

残念ながら、細かい内容はとうに忘れていたけれど、『あの本を読んだ頃までは俺にも青春の志みたいものがあったのかなあ』と妙な感傷に浸ってしまいました。

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近頃は、トルコの新聞の各紙面もインターネットで目を通してしまうことが多くなりました。トルコの各紙は、ほぼ全ページをウェブサイトに掲載しているだけでなく、過去の記事もネット上に保存してあります。

日本の新聞では、朝日などの場合、特定の記事は有料の登録を行わないと読めません。私はクレジットカードを持っていないので有料の登録が出来ず、とても残念。文化欄のコラムに読みたい記事が多いのに、こういった記事は大概有料になっているのです。

本当は、文化欄のコラムなどを読みながら、知識のつまみ食いで済ませていたらいけないかもしれないけれど、そうそう日本から本を送ってもらうわけにもいきません。

最近では、産経新聞の以下のコラムがとても面白かった。安藤昌益なんて、高校の歴史の教科書で名前を見た記憶が微かに残っている程度で、貝原益軒と殆ど区別もついていなかったけれど、こんなこと言ってたのですね。

「神は正邪のあるを知らず」(安藤昌益(しょうえき))
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101207/acd1012070243000-n1.htm

「だから神は祈られても喜ばないし、捨てられても怒らない。正邪があるのは利己を追う私法や私教の世界である」



1月8日 (土)  小津安二郎

昨年から、日本の古い映画にはまっています。特に小津安二郎の作品。まあ、インターネットで観られるのが、小津安二郎などの作品に限られている所為もあるけれど、最近、ああいう日本的な情緒に浸りたくなっているのかもしれません。

昨年、トルコの友人に「東京物語」を見せてあげたいと思い立ち、インターネットで探したら、次から次へ色んな作品が見つかってしまい、その殆どが初めて観る作品だったため、友人のことは忘れて、私が夢中になってしまいました。

思えば、20代の頃に観た「晩春」が初めての小津作品だったけれど、正直言って、その時は『なんて退屈な映画なんだ』と感じただけでした。その後、30歳ぐらいになってから「東京物語」を観て、『なかなか良い映画だ』とは思ったものの、まあ、それほど感動したわけじゃありません。昨年も、『トルコの人たちに、日本の文化を伝えるためには良いかな』と考え、それで探してみたのです。

ところが、久しぶりに観た「東京物語」では、何だか目頭が熱くなってしまいました。以前は気がつかなかったけれど、あの映画は音楽でもなかなか泣かせます。

小津安二郎の映画、「東京物語」以降は、殆どの作品で、斉藤高順という方が音楽を手掛けていたようです。「彼岸花」と「秋刀魚の味」の音楽は特に素晴らしいかもしれません。私は、それぞれ冒頭の曲だけを良く聴いたりしています。

映画として、どの作品が気に入ったかといえば、「東京暮色」「彼岸花」「浮草」といったところでしょうか。

「東京暮色」を観たら、“子供を棄てて男に走った母”というテーマが「エデンの東」と似ているように感じて、最初は『エリア・カザンの奴、パクリやがったのか?』なんて興奮したけれど、調べてみたら、「エデンの東」のほうが2年前の作品でした。どうやら、小津安二郎が「エデンの東」を“参考”にした可能性もあるようです。エリア・カザンさん、イスタンブールの皆さん、ごめんなさい。エリア・カザンはイスタンブールの出身なんですよね。

しかし、「東京暮色」で“子供を棄てて男に走った母”を演じた山田五十鈴は、実生活でも“子供を棄てた母”であり、演じた当時もその葛藤に苦しんでいたそうだから、小津安二郎というのは、残酷というか、なかなか凄い人であると思いました。

残酷と言えば、遺作となった「秋刀魚の味」では、笠智衆の演じる父親が、自分の所為で婚期を逃しそうになる娘の姿に悩むわけですが、この作品には、婚期を逃した女性の悲惨さを見せようとしたのか、ちょっと気になる場面がありました。

冒頭、会社の重役である笠智衆のところへ、書類を届けに来た事務員の女性は、三十路半ばでとうに婚期を逃しているけれど、この場面では、美しいヒップラインが目立つようなピチッとしたスカートに、綺麗な足を際立たせる白いハイヒールで、かなり美人に見えます。私のような助平中年男は、『おやっ? この女優さん、何ていう人だろう?』と思わず気になってしまったほどです。

ところが、この三十路女性、後半、同じく笠智衆のところへ、寿退社を告げに来た若く美しい女性と一緒に姿を現す場面では、寿退社の女性がピチッとしたスカートとハイヒールであるのに、彼女は何だか大きすぎるような上っ張りを着ているから、美しいヒップラインも目立たないし、低いヒールの野暮ったい靴を履いて、如何にも惨めな雰囲気。用を済ますと逃げるようにその場を立ち去ります。これは、多分、意図的な演出じゃないでしょうか。なかなか残酷な場面であると思いました。


1月10日 (月)  トルコに胡桃はないの?

昨日、近所のスーパー“トゥンチマル”へ出掛けたところ、入荷した胡桃を袋詰めする作業の真っ最中でした。私も一袋勧められたけれど、殻を割るのが大変だからと断りながら、話のついでに胡桃の産地を訊くと、これは南米からの輸入品なんだそうです。

ちょっと驚いて、「トルコに胡桃はないの?」と訊き返したら、「今期は不作だったらしいわね」と余り興味なさそうに答えていました。

そういえば、この数年で、輸入品のバナナなども大分安くなったように思います。91年に初めてトルコへ来た頃は、バナナなんて殆ど見かけなかったのですが・・・。トルコも愈々豊かになって来たということでしょうか?

昨年は、うちから歩いて20分ぐらいのところにも、米系のハンバーガー店が進出しました。トルコのドネル・ケバブのほうがずっと美味いと思うけれど、ああいうのはファッションみたいなものかもしれません。

しかし、「工業製品等でトルコの有名なブランドは何ですか?」などと問われると、途端に『ええっ、何だろう?』と考えてしまいます。世界的なブランドのOEM生産では、相当な割合を占めていると言われるものの、トルコのブランドとなると、まだまだのようです。

トルコは、現AKP政権になってから、思い切った外資の導入、民営化政策を進めているため、経済が好調なのは、一時的に金が流れ込んでいるだけだと主張する論者も少なくありません。とはいえ、OEM生産の現場を見れば、トルコが勤勉で質の高い労働力に恵まれているのは間違いないし、石油や天然ガスといったエネルギー資源の通過点である地の利も注目されています。これから、いったいどうなるでしょうか?

ところで、胡桃について、ちょっと調べてみたところ、原産地はアジアの西部というから、どうやらこの辺りだったようです。それをまた、なんで南米のような遠いところから輸入しなければならないのか、どうにも合点が行きません。

ついでに申し上げると、かつてイスタンブールで外国人観光客を相手に商売していた店では、ジェヴィズ(胡桃)という言葉が、“買いそうもない客”を示す符牒として使われていました。今でも通用するかどうか解らないけれど、17〜8年前は、しつこい客引きから逃げたくなったら、「私はジェヴィズだよ」と言うのが、なかなか効果的でした。


1月13日 (木)  ボスポラス海峡を渡る船

3年前、以下の“便り”でも話題にしましたが、ボスポラス海峡を渡る船に乗っていると、何故か良く寝てしまいます。

2008年3月3日(月)最後の一葉?
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2008&m=3

ヨーロッパ側のエミノニュからアジア側のカドゥキョイまで、船は20分ぐらいで着いてしまうので、実際に寝ている時間は、長くても15分ぐらいなんだろうけれど、目覚めた時に、もの凄く長い時間寝ていたように感じることが少なくありません。船の心地よい揺れが、深い眠りをもたらしてくれるのでしょうか。

昨夕も、エミノニュから船に乗ったら、いつのまにか寝てしまい、船がカドゥキョイの桟橋へ差し掛かる頃になって、深い眠りから目覚めると、船窓の向こうに、暗い海と遠くヨーロッパ側の街の灯りがおぼろげに見え、一瞬、『ここは何処なのか?』とうろたえてしまいました。

最近、日本では、バスや電車の中で寝過ごした人が車庫まで連れて行かれてしまう事件が相次いだようですが、トルコでこんな事件は、まず起きないでしょう。終点で寝ていたら、近くにいる乗客が必ず起こしてくれます。

昨年の春のことです。船がカドゥキョイに着いて、乗客が下り始めたのに、近くの席にいた中年女性は、背もたれに寄りかかって口を半開きにしたまま爆睡していました。

とてもお洒落な身なりでしたが、あの無様な寝姿では目も当てられません。通り掛った大学生らしきカップルの彼氏が、「カドゥキョイに着きましたよ」と声を掛けたけれど、何の反応も示さないので、もう一度かなり大きな声で呼びかけたものの、やはり反応はなく、カップルの彼女は、「どうかしちゃったのかしら?」と不安そうな表情。それで、今度は私が、試しに椅子のほうをコンコンと叩いてみたら、中年女性はビクッと身を震わせ、ガッとばかりに目を見開いたのです。

私とカップルは顔を見合わせてクスッと笑い、中年女性に悟られぬよう、静かにその場を後にしました。

それから、船を下りて船着場前の広場に出たら、あの中年女性が目の前をすました顔して通り過ぎて行きます。その後姿にまたクスッと笑ってしまったけれど、まあ、直ぐに正気を取り戻してくれて良かったかもしれません。

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1月16日 (日)  ボスポラス海峡最終便

先日、写真で御紹介した新型の海峡連絡船、お目見えしたのは一昨年頃だったでしょうか。現在、特定の航路には、もっと導入されているようですが、私が頻繁に利用しているエミノニュ〜カドゥキョイ/カラキョイ〜カドゥキョイ航路の場合、新型に当たるのは4回乗って一度ぐらいの割合じゃないかと思います。

イスタンブールの人たちの中から、「新型には船らしい情緒が感じられない」なんて批判的な声も上がっているけれど、昨夏の猛暑では、冷房完備の新型船に喜んだ人たちが少なくなかったでしょう。私も、新型は一層寝心地が良いような気がして大歓迎です。

昨晩も、私はカラキョイ〜カドゥキョイ航路で帰ってきましたが、残念ながら船は旧型でした。しかし、11時の最終便にぎりぎりで間に合った所為か、あれほど船が有難く思えたことはなかったかもしれません。

そもそも11時の最終便に乗ったのは初めてだったような気がします。いつも余裕を持って、晩くとも、その前の10時半便に乗ったりしていました。

昨晩、『もう10時半は無理だが、最終便なら余裕で間に合うだろう』と、のんびり歩きながら、あと7〜8分じゃないかと思える地点で時計を見たら、なんと既に10時55分を示しています。

海峡連絡船の出航時間は割りと正確で、それまで船を目前にして無慈悲に扉を閉められたことが何度もあったから、『これは大変だ』とばかりに走り出し、船が見えるところまで来てから、猛然とスパートして、改札口を抜けるときに、電光掲示板の時計を見上げたら、これがぎりぎりの10時59分、そのまま息を切らせて船に乗り込むと、心の中で、『セーフ! セーフ! ぎりぎりセーフ!』と快哉を叫んでいました。

暫くして息が落ち着いてからも、『やっぱり最後のスパートが利いたな』とセーフの余韻に浸りながら、ふと気がつくと、とうに出航して良いはずの船は、全く動く気配も見せません。

『あれれ?』と首をひねり、乗船口の方を振り返ったら、船は未だ艫綱を解く様子もなく、船員の招きに応じて、何人か走り込んで来た連中の姿が見えたのです。まあ、日本でも終電の場合、ある程度のトレランスはあるだろうけれど、あそこまで大目に見ないでしょう。ちょっと冗談に、『アウト! アウト! こいつらは絶対にアウト!』なんて叫びたくなってしまいました。



1月17日 (月)  世俗主義とイスラム

先週、イェニシャファック紙という現政権寄りの新聞に、著名なイスラム法学の権威であるハイレッティン・カラマン教授が、“世俗化と信仰の劣化”といった内容の記事を書いて、ちょっと話題になっていました。カラマン教授の論説は、穏当で解り易いため、私も何度か読んだことがあったけれど、この記事は、世俗主義とイスラムについて、かなり踏み込んだ内容になっているため、少なからず反響があったようです。

教授は、現代を生きる人々が、モダニズムやモダンな生活の影響を受けて、伝統的な習慣等も変化してきたと指摘し、世俗主義と信仰の劣化について、他者を批判する人たちは、まず自分自身を省みて、自分が“世俗化のどの辺にいるのか”を問わなければならないとしています。

記事には、イスラムと政教分離のリベラル・デモクラシーがどのように併存できるかについて、異なる二つの意見が紹介されているので、その部分を以下のように拙訳して見ました。

1)「この二つが折り合うことはない。一方が存在すれば、もう一方は−少なくとも完全な実践という意味では−存在しない。イスラムにおける不変なものを変えない限り、それをリベラルな政教分離デモクラシーに合わせることは不可能である。この為、もしもそういった体制で生きなければならないのであれば、信徒たちは、信仰とその見解を守りながら、実践は可能な範囲内で行うのである」

2)「イスラムは、信心、礼拝、道徳から成り立っている。他のエリアにおける教義(コーランとスンナで説き明かされていること)は、継続的、拘束的ではない。政治、法律、社会、経済、文明といったエリアでは、信徒たちは時代の必要性(リベラルな政教分離デモクラシーのきまり)に合わせるが、イスラムはこれの障害にならない」

2)の意見は、イスラム近代主義者によるものだそうですが、カラマン教授自身は、1)の意見に与していると明らかにしています。

この為、世俗主義者の中からは、「現政権を支持しているリベラル派の人たちは、これを必ず読まなければならない」とか、「穏健なイスラム主義者が愈々その衣の下から鎧を見せ始めた」といった声も上がっていました。記事の最後の部分もちょっと刺激的な感じだったので、一部の人たちが騒ぐのも無理はないかもしれません。その部分も拙訳してみます。

「・・・ここでもう一つの問題は、不可能や困難により、つまり止むを得ずイスラムを不充分に実践していることが、そのうち当たり前になってしまい、信仰の目指すものが揺らいでしまうことである。宗教を、信徒たちの人生において、完全な意味で実現させ、守ろうとする導師たちは、一方で止むを得ない事情を認識し、これに従って暫定的な解決を図り、もう一方で、完全なものへ向かう道を歩ませるために、努力しなければならない」。

ところで、最近のイスタンブールの様子を見ると、スカーフを被る女性がやたらと目立ってきたり、金曜礼拝の参列者が増えて歩道にまで溢れるようになったり、ラマダンに断食明けの食事を楽しむ屋台がたくさん出て派手に賑わったりして、イスラムが盛んになって来たような印象も得られるものの、スカーフを被った女性が酒場に出入りし、人目につくような場所で男と抱き合ってキスをしたり、断食明けの食事を派手に楽しんでいる人たちが、断食の実践を途中で諦めていたり、犠牲祭のような重要な祝祭でも、多くの商店が営業を続けながら、生贄を屠る大切な儀式はなおざりにされたりして、何が何だか良く解らない状況になってきました。

ですから、カラマン教授の論説も、これからもっとイスラム化を図る為というより、文字通り信仰の劣化を嘆く、真摯な宗教人の訴えではないかと私には思えるのですが・・・。しかし、イスラムと民主主義の間には、この記事で明らかにされた問題が常に存在している事実も忘れてはならないかもしれません。


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