Diary 2010. 9
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9月1日 (水)  なんだよこの中年男?

先月、撮影の経緯をお伝えしたCMが、ネット上で公開されているのでご紹介します。以下をクリックして下さい。

bunalima giren lastikler
http://www.izlesene.comwww.izlesene.com/video/arabalar-bunalima-giren-lastikler/2494613

http://www.youtube.com/watch?v=UTEo5duukcY

撮影の際、監督さんは私が演じた部分を上出来だと言ってくれたけれど、こうして公開されたクリップを見たら、実に恥ずかしい。これの何処が上出来なんでしょう? まあ、見る人によっては、私の存在自体が滑稽なのかもしれません。馬鹿丸出しの天然キャラですね。公開されたらお伝えします、なんて言わなきゃ良かったと後悔しています。

CMの内容を御説明すると、トルコで“タイヤが狂ってしまう”という異常事態が多発、そこへ“イナモト・クロサワ?”なる変ちくりんな日本人学者が出て来て、「解決法を知っているから心配するな」と下手なトルコ語でのたまうという筋書きです。でも、その解決法はここで示されていません。まだ続きがあるんでしょうか?

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9月12日 (日)  モンゴル語にアラビア語

もう10日ほど前の夜、高級ホテルのサロンで催されたちょっと場違いな集まりに招待されてしまい、何だか落ち着かないものだから、只で振る舞われていたワインばかり飲んで、ほろ酔い気分で帰途につき、ガラガラに空いた路面電車に揺られていると、途中の駅から、訛りのあるトルコ語で連れの二人と楽しそうに話す東洋人風の男が乗り込んで来て隣の席に座りました。

男は35歳ぐらいでしょうか。彼も私を『何人だろう?』って感じで見ていたし、ほろ酔い気分も手伝って、気軽に「あなたは何処の人?」と訊いたら、彼はモンゴル人なんだそうです。トルコの大学を卒業して、今はアンカラに事務所を持ち、トルコとモンゴルを行ったり来たりしながら、貿易業務に従事していると自己紹介します。連れのトルコ人二人も同年配、彼らは共同事業者でやはりアンカラに住んでいるという話でした。

昨日、そのモンゴル人のジョイさんから、「またイスタンブールに来ている」と連絡があり、エミノニュまで出掛けたら、共同事業者のトルコ人も一人来ていて、3人で1時間ほど食事をしながら雑談しました。

ジョイさんは、エラの張った顔にがっしりした体つきで、何だかイメージ通りのモンゴル人。1ヵ月ほど前に出会ったモンゴル人の留学生が、クリクリっとした目の華奢な青年だったから、なおさら、『まさしくイメージ通りだ!』なんて思えてしまったかもしれません。

ジョイさんの奥さんの妹も、現在、イスタンブールの大学にいるそうだし、モンゴルからトルコへの留学は少なくないようです。華奢な青年は、トルコの大学はもう卒業したので、これからアメリカへ行ってMBAを取るのだと言ってました。彼は、トルコ語と英語の他に、ロシア語と中国語がある程度解るという話だったけれど、ひょっとしたらジョイさんも、そんな風に色んな言語を使いこなしているのではないかと想像します。

しかし、3人で雑談中、ジョイさんの携帯へ3回ほど電話が掛かって来たものの、一度モンゴル語になっただけで、あとはトルコ語で通話していました。一方、共同事業者のトルコ人、彼は色白で純西洋風な顔立ちでしたが、掛かって来た携帯に何やらアラビア語のような言葉で応じているのです。私は思わず耳を欹ててしまい、彼が電話を切ってから、おもむろに何語だったのか訊いてみました。

「アラビア語ですよ」
「アラビア語は何処で勉強したんですか?」
「いや、私はもともとアラブ人ですから・・・」
「すると、シリアの国境に近いハタイ県の出身とか?」
「いいえ、ムッシュです」

ムッシュ県もトルコの南東部地域には違いありませんが、その中ではかなり北よりに位置しています。あの辺りまでアラブ系が居住しているとは知らず、何だか意外な感じがしました。私は、ムッシュ県の出身であれば、ほぼクルド人であると思っていたのです。

「あなたはクルド語も解りますか?」
「もちろん解ります。しかし、ムッシュにはトルコ系の部族もいるし、いろんなのがいるんですよ。まあトルコでも、ムッシュと言えば、クルド人ばかりだと思われていますね」

昨日は、モンゴル語にアラビア語、色々な話が聞けて、実に興味深い一日でした。彼らとは、またいつでも会えるでしょう。モンゴルの話ももっと聞いてみたいです。でも、良く考えてみると、彼らとの出会いも、あの場違いな集まりに招待されたのがきっかけでした。招待してくれたエムレさんに感謝します。というより、世の中の全てに感謝でしょうか。人の縁は何処から繋がってくるのか全く解りません。



9月19日 (日)  ラマダンの断食

先週、1ヵ月に亘って続いたラマダンが終了したけれど、今年は断食の実践率が例年より低かったのではないかと言われています。スカーフを被った敬虔そうな若い女性が、日中街頭で人目を憚ることなくペットボトルの水を飲んでいる姿も見られたりしました。猛暑のため、途中でリタイアを余儀なくされた実践者も少なくなかったそうです。

ラマダンの開始日は、毎年11日ずつ早まるので、夏場にラマダンが巡って来るのは、30年に一度ぐらいの計算になります。30年前のイスタンブールがどんな状況だったのか良く解りませんが、多分、まだ市場原理による競争なども激しくなく、いたってのんびりした社会じゃなかったでしょうか。日中、暑ければ少し休んだりしながら、無理なく断食を実践できたかもしれません。ところが、本格的な資本主義の競争社会に突入した現在のイスタンブールでは、いくら暑くてもそう簡単に休めないから、実践のほうを諦めなければならない場合もあったのではないかと思います。

“トルコ便り”2007年7月29日(日) 古き良きトルコの思い出
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2007&m=7

トルコのイスラムは、戒律を重視する主流のスンニー派であっても、昔から教義を柔軟に解釈して、時代の流れに合わせようとする傾向があるため、実践に大きな困難が伴うようであれば、無理に実践しなくても構わないのでしょう。

これには少し安堵するものの、私のように信仰のない人間は、『最初から、断食なんてしなければ良いのに』と実践の意義がなかなか理解できません。しかし、昔、近所にいた中年女性がラマダンでもないのに断食しているのを見て、その効用が少し解ったような気がしました。

その女性、イスラム教徒としては、ラマダンの断食ぐらいしか実践せず、あまり敬虔とは言えなかったけれど、そんな彼女が、ある時ラマダンでもないのに断食していたのです。おそらく、彼女は何らかの理由で自分を咎めていて、断食によってその埋め合わせをしていたのでしょう。

彼女の良心がこれで安らぐなら、こんなに有難いことはないかもしれません。断食にはある程度困難が伴うから、彼女は償おうとする気持ちを充分に満たせたのではないかと思います。

私はトルコの社会で暮らしながら、富裕層の不公正な態度に呆れたことはあっても、全般的に穏やかな人間関係が感じられ、とても良い社会じゃないかと思ってきました。この社会の長い歴史を振り返って、そこに宗教の影響が全くなかったと考えるわけには行かないでしょう。もちろん、宗教以外の要因もあったはずだし、この地で栄えた宗教はイスラムだけじゃありませんでした。

また、現在のトルコのイスラムについてですが、例えば、下記の“お客様は神様です?”というエピソードで、「貴方は何処から給料をもらっているのですか?」と問われて、「アッラー(神)から」と即答したメフメットさん。彼はこの話からも解るように、トルコでは世俗主義者たちから煙たがられるほどの敬虔なムスリムだけれど、一度、彼に「アッラー(神)は何処に存在しているの?」と訊いたら、「信じる者の心に存在する」と彼は答えたのです。これには、私も納得がいきました。

“トルコ便り”2007年3月31日(土)お客様は神様です?
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2007&m=3

とはいえ、無教養なムスリムから、そんな答えが返ってくるのは殆ど期待できないでしょう。

先月のラマダン中、仕事で運転手付きのレンタカーを借りたところ、朝、時間通りにやって来た実直そうな運転手さんは断食を実践していると言います。それで私も気を使って、彼の話に合わせていたら、その内お決まりの宗教話になり、熱心に神の権能を説き始めました。

「ほら、監視カメラあるでしょ。あれは人間が作ったから目に見えますが、神は目に見えない監視カメラをそこらじゅうに張り巡らして、僕らの行動を全部見ているんですよ。だから誤魔化すことはできません」

これには思わず唸ってしまいました。メフメットさんのように『神は心の中にいる』と信じていれば、良からぬことを思っただけでも心が咎め、これは良心の呵責と変わらないだろうけれど、「神に“監視カメラ”で見られているから悪いことをしない」というのでは、何だか薄ら寒い話でしょう。まあ、これは教育の問題であるかもしれませんが・・・。

しかし、半年ほど前、イスタンブール近県のある初等教育校を訪れたところ、そこの校長先生は、まず私たちがイスラム教徒になることを望み、それから「生物学を知っている人なら、進化論が如何に間違っているか解るはずだ」と語って、生命の誕生には神の意志があったと主張したのです。この校長先生は明らかに科学と信仰を混同しているようでした。

校内を案内してくれた先生は、「あんなこと言ってるのは校長だけです。私たち教員の中には一人もいません」と強調していたものの、現在の親イスラム政権になって以来、各校へ次々とこういう“敬虔”な校長先生が任命されていると言われています。もちろん、こうして任命された敬虔な先生の中には、もっと良識のあるムスリムが少なくないはずだと信じたいけれど、やはりこれは薄ら寒いどころの話ではないでしょう。



9月30日 (木)  日本人で良かった、欧米人だったら、とっくに怒り出している?

先月、市内某所で、お役所的な手続きに引っ掛かって大分待たされたら、そこの責任者である女性公務員は、「日本人で良かった。こんなに待たせてもニコニコしているでしょ。欧米人だったら、とっくに怒り出しているわよ」と部下に告げていました。

欧米の人たちも、そこへ同様の業務で多数訪れるだろうから、これは実際の体験に基づいているような気もします。しかし、例えば、そこで日本人が怒り出した場合、この責任者の方はどういう反応を示すでしょうか? 裏切られたように感じて、もっと気分を悪くするかもしれません。それを考えたら、何だか憂鬱になってしまいました。

トルコの人たちは、欧米人がトルコの民族や宗教の問題を偏見によって曲解していると言いながら、苛立ちを隠さないけれど、同様の偏見を日本人が見せたら、さらに大きな憤りを感じるようです。

だから気をつけなければと思いつつ、多分、私も大いに周囲のトルコ人を苛立たせているでしょう。この前も、教養のあるトルコ人と噛み合わない会話を繰り返し、彼らを苛立たせてしまいました。そんなつもりじゃなかったけれど、彼らの見解も相当変わっていた為、何処から話してもすれ違ってしまったのです。

最初、私は彼らの身なりやラク酒が好きといった話を聞いて、アタテュルク主義者だろうと思いながら話を進めていると、「スカーフを規制したりせず、信仰を解放すべきである」とか「軍が政治に介入してはならない」と言い出したので、信仰の自由や民主主義を標榜するリベラル派なのかと軌道修正に努めたところ、「PKKはアメリカの策略。クルド語の学校教育は認められない。欧米はトルコを分割しようとしている。宣教活動など許してはならない」という話になってしまい、『これはリベラルでもないな・・・』と当惑していたら、ついには「共和国の西欧化政策は、国をヨーロッパへ売ってしまったようなもの。トルコ人はイスラムの伝統を守るべきだ。女性がその伝統に基づいてスカーフを被るのは当然である」とイスラムの伝統を積極的に擁護し始めたから、すっかり驚いてしまいました。

つまり、今、トルコが守らなければならないのは領土の不可分であり、政教分離などは二の次、そもそもトルコはオスマン帝国の時代から政教分離だった、領土の不可分を脅かす最大の敵は欧米、これに断固として対抗しなければならないと言うのです。その為には、ロシアや中国との連帯が必要であると主張していました。

おそらく、彼らもかつては西欧化を目指すアタテュルク主義者だったのではないかと想像しますが、欧米の人たちから偏見に満ちたトルコ論を聞かされ続けたあげく、完全な欧米不信に陥ってしまったのかもしれません。・・・なんて言う生意気な日本人と噛み合わない会話を続けて、彼らもかなり苛立っていたでしょう。

しかし、イスラムの伝統を強調するものの、自分たちはラク酒を好んでいたりして、この辺はどう説明するのか訊いてみたくなりました。多分、「イスラムのカリフを兼ねていたオスマン帝国の皇帝は、その殆どが酒を飲んでいた」とでも言うのだろうけれど、彼らも自分たちの伝統が何であるのか、アイデンティティーを何に求めたら良いのか、悩み苦しんでいるような気がします。

いつだったか、トルコで事業に携わっている日本人の方から、「君は韓国人についても詳しいだろ? トルコの人たちは韓国人に良く似ていると思わないか? どちらも奴隷根性が染み付いているんだね」と訊かれて戸惑いながら、「いやあ、トルコは征服した側ですから・・・」と答えたところ、「そんなこと言ったって、頭がすげ替わっただけでしょう? 民衆は元の民衆じゃないか」と切り返され、ちょっと参ってしまいました。

確かに、文明の十字路と言われるアナトリアでは、古来より目まぐるしく支配者が入れ替わり、その度に宗教や民族的なアイデンティティーの変更が民衆に強いられて来た可能性は否定できません。

アラブに同化されたり、トルコに同化されたりしたクルド人の悲劇という話を何処かで聞きましたが、クルド人に限らず、アナトリアに居住する全ての人々が同様の歴史を背負っているのではないでしょうか。アナトリアの民族問題は非常に錯綜していて、トルコ人でさえ自分たちが何者であるのか良く解っていないのに、それを外国人に論じられたら堪らないのかもしれません。