Diary 2010. 5
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5月1日 (土)  ボスポラス海峡のカモメ/イスタンブールにもビールの季節?

イスタンブールもようやく暖かくなってきましたが、ボスポラス海峡のアジア側とヨーロッパ側を結ぶ連絡船に乗って甲板へ出ると、海峡を渡る風は、まだまだ冷たく感じられます。この風に乗りながら連絡船を追っかけて来るカモメたちは、寒くないんでしょうか?

甲板から、飛ぶカモメに向けてパン屑を投げてやる乗客たちがいて、カモメもこのパン屑を器用に口でキャッチして食べますが、これを目当てに飛んでくるのか、その辺は良く解りません。

カモメは、カラスの天敵らしく、カモメが多いイスタンブールで、カラスの姿は余り目立たないものの、この街では、カラスの代わりにカモメがゴミ箱を漁っています。優雅な飛翔からは想像もできない姿です。

この季節、海峡では、黒海の方からマルマラ海に向けて流れがとても早くなるけれど、これはロシアやウクライナの雪解け水によって黒海の水かさが増し、これが海峡へ流れ込む為なんだそうです。冷たい風は、この雪解け水の所為かもしれません。

たとえば、ブルガリアとの国境に近いエディルネは、冬の間、イスタンブールより寒くなりますが、この時期は、逆に少し気温が高いようです。海峡の影響を受けないからでしょうか?

いずれにせよ、イスタンブールで、外の席に座ってビールを美味しく飲む為には、未だ少し早いような気もします。気の早いイスタンブールっ子は、もう外で飲んでいるけれど・・・。

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5月2日 (日)  ブルーチーズ

トルコ産のブルーチーズ。コンヤ県で作っているそうです。フランスのロックフォールに比べて塩分は控え目じゃないかと思いますが、乾いた固い舌触りで、ちょっとしっとりとした風味に欠けるかもしれません。いかにも農家の自家製といった感じの素朴な味わいです。

カドゥキョイの“アルトゥンオルック”という店で売っていました。この店には、トルコの各地から変わった食材が集められています。

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5月4日 (火)  コリヴァ/葬儀の日の思い出

2007年6月10日(日) 40日供養−追悼ミサ
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2007&m=6


日曜日、2007年4月29日に亡くなったマリアさんの三周忌が墓前で執り行われたけれど、参列したのは、娘のスザンナさんに私ともう一人の友人の3人だけでした。司祭さんは祈祷を捧げて、コリヴァという麦焦がしのような菓子を墓の上に振りかけ、ものの5分ぐらいで供養を済ませました。このコリヴァは、スザンナさんが前日に4〜5時間かけて作ったそうです。

コリヴァは、トルコでヘルヴァと呼ばれている練り菓子に似ているものの、粘り気が殆どない粉の状態で、中に小麦の実やナッツが入っています。コリヴァとヘルヴァで、どう違うのか良く解りませんが、どうやらコリヴァのポイントは、小麦の実が入っているところにあるようです。スザンナさんは「コリヴァを初めて作ったけれど、茹でた小麦の実がなかなか乾かなくて難しい」とボヤいていました。

しかし、日曜日は雲一つない晴天で良かったと思います。思い出せば、3年前の葬儀の日は、雨が降っていて、棺を埋める作業も大変そうでした。葬儀が済むと、墓地の入口にある待合所で、40〜50人の参列者にブランデー(ギリシャ特産のメタクサ)とトルコ・コーヒー、ラスクのような焼き菓子、それにヘルヴァ(コリヴァ?)が振る舞われ、その後は、マリアさんの姉のエヴァさん、私とガービおじさん、それから特に親しかったルームの老婦人2名だけが喪家を訪れ、スープで始まるコース料理を食べながら、故人を偲びました。

この時も、スザンナさんは料理の一部を前日に仕込んでいたけれど、マリアさんが亡くなる前、3日ぐらいの間は付きっ切りの看病で殆ど寝ていなかったから大変だったでしょう。私は御臨終にも居合わせたので、料理以外の準備、買い物とか掃除を少し手伝いました。

あの日、準備もあらかた済んだ頃になって、スザンナさんは「客人用のスープ皿が何処にも見当たらない」と大騒ぎしたけれど、暫くしたら、台所で「ちょっと来なさい、見つけたわよ!」と叫んで私を呼び、頭の高さぐらいにある棚の扉を開けて、重ねられた5枚の白いスープ皿を見せながら、「お母さん、こんな所にしまっていたのね。全然知らなかった」と嬉しそうでした。

翌日、やっと見つけた白い皿にスープが盛られ、まずは御老人たちが食べ始めたのを見届けてから、私もスプーンを手にして一口掬おうと、スープ皿に目を落としたその瞬間、思わず『うっ!』と心の中で呟き、凍り付いてしまいました。

スープ皿の周縁部には薄っすらと黒い埃が積もっていたのです。さりげなく、両隣のガービおじさんと老婦人のスープ皿にも目をやったら、同じように薄っすらと黒い埃が・・・。『これは拙い』と思ったけれど、皆さん、口々にスープの美味さを褒め称えながら食べ続け、誰一人、埃に気づいた様子はありません。

私は急いでスープを平らげると、御老人たちが食べ終わるのを待ってから、「では、次の料理が出るので、皿を片付けましょう」と努めてゆっくり立ち上がり、「マコト、洗い物が増えたらスザンナが大変だよ。この皿に盛れば良いじゃない」という老婦人を、「いや、そういうわけには・・・」と説得しながら、素早くスープ皿を重ねて台所へ運び、慌しく次の料理を盛り付けていたスザンナさんに、「これ見なよ」と埃を指し示したところ、彼女は「だから何だって言うのよ? 埃食べたぐらいで人間死なないわよ! 誰か気がついたの? 皆、耄碌しているから気がつかないでしょ。ハイ、これが次の料理。どんどん運んでよ」と全く動じる様子も見せませんでした。

まあ、今となっては、悲しい葬儀の後のホッとするような思い出です。


*写真は、コリヴァとマリアさんのお墓です。

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5月8日 (土)  賢い選択

近所にも、食料品などを売っている小さな個人商店はあるけれど、私はいつも10分ぐらい歩いて、“トゥンチマル”というスーパーまで行きます。なんでも安いし、野菜は自分で手に取って選べるし、従業員も愛想が良いので言うことありません。

看板の“トゥンチマル・ハイパーマーケット”は複数形になっているから、何店舗もチェーン展開しているのかと思っていたけれど、今日訊いてみたら、近くにもう一店舗あるだけだそうです。これから徐々に増やして行くのでしょうか。

昨年の2月、家の直ぐ近くに“ケレピル”というスーパーも開店しました。大手のチェーン店にありそうな洒落た看板が目を引き、値段も“トゥンチマル”と変わらなかったので、大いに喜んだものの、品揃えが悪くて、結局は“トゥンチマル”と交互に利用しなければなりませんでした。

しかし、“ケレピル”にも、最初の頃は、いつも明るくて愛嬌のある若い女性がレジに座っていたのに、夏を過ぎた辺りから、客の姿がまばらになったうえ、レジには、体の具合でも悪いんじゃないかと思えるほど元気のない青年が座ったりして、えらく陰気な雰囲気が漂うようになってきました。こうなると、客足はさらに遠のきます。

いつだったか、“トゥンチマル”で砂糖を買い忘れてしまい、“ケレピル”に行って砂糖を探したけれど、これが何処にも見当たりません。訊いたら、品切れなんだそうです。砂糖を切らすスーパーが何処にあるでしょうか。これ以来、私も“ケレピル”には殆ど寄らなくなりました。

そのうち、店頭の野菜類は、ジャガイモぐらいしかなくなり、店内に客の姿はいよいよ少なく、『大丈夫かな?』と思っていたら、先週、ついに二日続けて店を開けなかったため、やはり来るべき時が来たと確信したのですが、今日、前を通ると、不思議なことにまた店を開けています。

そこで、すかさず写真を一つ撮ってから、客が一人もいない店内に入って、スパゲッティを一袋だけ購入しました。スパゲッティなら少々古くても構わないでしょう。


写真は、“トゥンチマル”と“ケレピル”。ケレピルは、そもそも廉価という意味であり、ネットで調べたら、結構規模の大きなスーパー・チェーンが、新しいタイプのディスカウント・ストアとして、昨年から大々的に展開を仕掛けたようです。

看板には“ケレピル”の下に、“アクル・キャル”と謳っていて、これは直訳すれば“知性の利益”、まあ“賢い選択”といった意味になるんだろうけれど、その管理体制は何ともお粗末で余り賢そうには見えません。しかし、近日中に「閉店処分セール」があるかもしれないから、店の前は必ず通ることにしましょう。それこそ“賢い選択”じゃないかと思います。

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5月28日 (金)  CHPに期待しなければならないこと

【228】CHPに期待しなければならないこと【ラディカル紙】【2010.05.28】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00228.html

暫く更新していなかったので、何か興味深い記事でも訳して見ようと思い立ったけれど、また随分ややこしい記事を選んでしまったかもしれません。

この記事の以下の部分が非常に興味深く感じられました。

***************
誰が何と言おうと、保守的な層が、共和国および政教分離とある程度和解できたのは、右派の政党、そして最後にAKPを通してだった。

こうして見た場合、AKPが緊張を解きほぐす課題において行き詰った時点で、仕事はCHPに回って来るのである。共和国と政教分離の保守層との和解は、似たような形でCHPを通して成されるべきだ。

CHPとその支持層は、彼らが危機にさらされていると考えている“共和国建国の原則”を守る道は、この原則が社会的な和解を実現させる方向で新たに解釈されて可能になることを理解しなければならない。
***************(拙訳)

まあ、双方から歩み寄らなければならないということでしょうか?

筆者のヌライ・メルト氏は、「この本は未だトルコ語に翻訳されていないが、可能性のある方は直ぐに読んでもらいたい」と以下の英語による書物を推薦しています。私は可能性ありませんが・・・・。

Cihan Tugal / Passive Revolution, Stanford University Press, 2009
http://www.sup.org/book.cgi?id=9252

以下のような記事もありました。

【61】トルコにおけるムスリムによる政教分離の可能性【ラディカル紙】【2004.03.26】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00061.html