Diary 2010. 4
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4月12日 (月)  ロシア教会

メルハバ通信「ロシア教会」
http://www.neo-pro.jp/makoto/merhaba/003.html#140

日曜日、上記のロシア教会へ久しぶりに出かけてみました。4〜5年ぶりだったような気がします。
11時頃、ミサの最中に訪れたところ、復活祭期だからなのか、あまり広くない礼拝堂に収まりきらない人たちが、廊下に並んで祈りを捧げなければならないほどの賑わいでした。

復活祭前の火曜日に、イスティックラル通りのレボンという洋菓子の老舗を覗いたら、店頭にギリシャ文字だかロシア文字の記された貼紙があり、円筒形のパウンドケーキのような菓子が並べられていたので、『何だろう?』と思って店員さんに尋ねてみると、それは“クリーチ”という、復活祭の日にロシア正教徒たちが食べる菓子なんだそうです。「この辺にはロシア人がたくさん住んでいますから・・・」と話していました。ひょっとすると、4〜5年前に比べて、イスタンブールに住むロシア人は増えているのかもしれません。

教会では、ミサが終ってから、ナターリアさんという45歳ぐらいのロシア人女性にお話を伺う機会がありました。トルコ人の御主人と二人の子供を連れて来ていたナターリアさんはモスクワの出身、きれいなトルコ語を話す教養が感じられる女性です。東京の御茶ノ水にあるニコライ堂の由来についても良く御存知でした。

「このミサには、ロシア人じゃない方もいらっしゃいますよね?」と訊いてみたところ、「ええそうです。ウクライナ人やモルドバ人、グルジア人など、ソビエトを構成していた民族は皆来ていますよ。ソビエトはバラバラになってしまったけれど、ここでは皆一緒です。国家は争っていても、人民は仲良くしていますね」とナターリアさんはにこやかに答えていたものの、これにはちょっと首を傾げざるを得ませんでした。ミサに参列していたのは、ソビエトを構成していた民族というより“東方正教会に属する正教徒”じゃないでしょうか?

ウズベキスタン等のイスラム教徒はもちろん、カソリックのウクライナ人や非カルケドン派のアルメニア正教徒もここを訪れることはないはずです。ナターリアさんは信仰に篤い正教徒でありながら、共産主義のソビエトに郷愁を懐いているのかもしれません。

2008年12月26日(金) クリスマスとシュトーレン(レボン菓子店)
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&page=10&y=2008&m=12

2004年11月7日(日) ロシア教会
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2004&m=11


写真は、日曜ミサが終った直後の礼拝堂の様子と廊下に並べられていたロシア語の書籍です。

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4月13日 (火)  正教会とソビエト

ロシア人のナターリアさんがソビエトに郷愁を懐くのは、それほど不思議じゃないかもしれませんが、そういえば、2004年にあのロシア教会で出会ったウクライナ人の中年女性も、やはり同じような郷愁を懐いていたようでした。

私は彼女が「是非、聴いて下さい」と勧めるものだから、わざわざCD店で「ショスタコーヴィチの7番“レニングラード”」を買い求め、何度か聴いてみたけれど、とにかく長くてうんざりした記憶しか残っていません。『これはソビエトに愛着がなければ聴けないだろう』なんて思ってしまいました。

一度、彼女に「ソビエトの時代、ロシア人とウクライナ人の間には何の問題もなかったのですか?」と尋ねたら、「ありません。ユニオンだったのです」と力強く言い切っていたのが印象的でした。

しかし、彼女も当然のことながら正教徒だったわけで、「ウクライナにはカトリックの方もいるでしょう?」という問いには、「それはリヴォフ(リヴィウ)の辺りですよ」と答えていたものの、リヴィウに総本山を構えていた“ウクライナ東方カトリック教会”は、2005年にこれをキエフに移したため、正教会やロシア系の右翼団体が反発して抗議デモを行ったそうです。↓

ウクライナ東方カトリック教会
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A%E6%9D%B1%E6%96%B9%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E6%95%99%E4%BC%9A

東方典礼カトリック教会
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%96%B9%E5%85%B8%E7%A4%BC%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E6%95%99%E4%BC%9A

ソビエトの時代、ムスリムの出自で初めて中央委員会政治局員に選ばれたのが、後にアゼルバイジャンの大統領となるヘイダル・アリエフだったのは有名な話だけれど、果たして当時、カトリックを含む非正教徒の政治局員は、どのくらいいたのでしょうか?

97年頃だったか、大阪市内の文化施設で講演したロシア人の方に、「正教徒にとってムスリムとは?」と訊いたら、「兄弟です」と微笑んだのに、カトリックについては「敵」という言葉を使ったので驚いたことがあります。

トルコでも、オスマン帝国の時代、非カルケドン派のアルメニア正教徒とカトリックのアルメニア人の間には、深刻な対立があったようです。↓

【150】アルメニア文字で表記されたトルコ語の小説【ザマン紙】【2006.05.08】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00150.html

ソビエトも何だかんだ言いながら、正教会を国民の紐帯にしていたのではないかという気がしてならないけれど・・・。


左の写真に、十字を切っている女性の姿が見られますが、正教とカトリックでは、十字の切り方が逆であり、正教では額・胸・右肩・左肩の順、カトリックでは額・胸・左肩・右肩の順となっています。

真中の写真、ロシア正教徒が復活祭の日に食べるという“クリーチ”、通常はもっと大きいそうです。「小さなものですみませんが・・・」と言いながら、ナターリアさんがわざわざ奥から持って来てくれました。あまり甘くなくてなかなか美味しかったです。

右の写真は、礼拝堂の中で売っていた小さなパン、アンティドルと呼ばれる持ち帰り用の聖餅でしょう。一つ所望したら「仏教徒の貴方にとっては罪になりますから」と係の男に断られてしまったけれど、外へ出る所で待ち構えていたモルドバ人の女性が、「あの男に断られたのを見ていたから、余分に買っておいてあげましたよ、どうぞ」と言って分けてくれたのです


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4月22日 (木)  イズミルのスィミット屋さん

ちょっとイズミルの方へ行って来ました。毎年のように出かけていますが、今回は二日ほど自由にイズミル市内を巡り歩くことが出来て格別でした。2006年の9月にも、半日出歩く機会があったものの、急ぎ足で回った所為か、色々見落としていたようです。

2006年9月9日“トルコ便り”
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2006&m=9

あの時、91〜92年にかけて過ごした旧アルサンジャク学生寮の辺りをぐるぐる回りながら、『もう昔通りに残っているのは何もないなあ』なんて思っていたけれど、実は一つ懐かしいスィミット(胡麻パン)屋さんが変わらぬ姿で営業を続けていました。18年も経つというのに、その一角だけ、タイムスリップにでもあったかのようにそのまま残っているのです。

アルサンジャク学生寮にいた頃、少なくとも3日に一度は、ここで焼きたてのスィミットを食べていたように記憶しています。カリカリっと香ばしく焼きあがっていて、最近流行りのチェーン店のスィミットとは比べ物になりませんでした。

18年ぶりに訪れたら、30歳ぐらいの男性が一人で店番していましたが、彼はここの息子さんで、18年前にも時々店番していたそうです。当時、スィミットを焼き上げる様子を見ていると、ドーナツ状に成形したパン生地を一旦煮立った湯の中で少し茹でてから引き上げ、胡麻を付けて焼き釜に入れていたので、今でも製法は同じかどうか彼に尋ねたところ、「作り方は昔と変わりません。何処のスィミット屋でも同じようにやっているはずです」と事も無げに答えていました。

一つ所望して齧り付いたら、本当に昔と変わらぬ香ばしさ、「これは素晴らしい! ここはユネスコの世界遺産に登録されるべきですよ」などと、いつもの如く調子の良いこと言いながら、写真まで撮らせてもらい、勘定を置いて行こうとしたけれど、彼はもう一つのスィミットに、チーズを一切れ添えて包んでくれたあげく、「18年ぶりに訪ねて来た方から御代は頂けません」と決して代金を受け取ろうとしませんでした。そのホスピタリティーとスィミットの香ばしさに感謝感激です。

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4月23日 (金)  スィミットとベーグル/ビールの季節

前回のスィミットについて、茹でるプロセスに“ベーグル”との類似性を指摘するお便りがありました。茹でるのは発酵を止める為なんだそうです。

以下のウィキにも詳細な説明があります。

ベーグル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%AB

しかし、様々な国で見られるベーグルに似たパンの由来等が紹介されているのに、トルコのスィミットについては全く言及無し。トルコはここでも蚊帳の外なんでしょうか?

ブルガリアにも、ベーグルに似たゲヴレツィというパンがあると記されているけれど、イズミルではスィミットのことを“ゲヴレック”と呼んでいるようです。おそらく語源は同じでしょう。

それから、モントリオール式ベーグルは、蜂蜜を入れた湯で茹であげるという記述も見られますが、トルコ語版ウィキによると、スィミットを茹でる際に、ペキメズというブドウ汁を煮詰めた糖蜜を入れる場合もあるようだから、これも何か関連がありそうです。また、この茹でるやり方について、“一部の地方では”と断っているところを見ると、何処でも茹でてから焼き上げているわけではないのでしょう。イスタンブールのスィミットは、イズミルのものに比べて少し歯ごたえが違っているような気もします。

いつだったか、イズミル近郊の町からゲートボールに似た遊戯を紹介しているテレビ番組を観たことがありました。この遊戯は、レコンキスタでスペインを追われてきたユダヤ人が持ち込んだそうです。ウィキに、ベーグルはユダヤ人のパンと記されていますが、スィミットも、ひょっとするとこういったユダヤ人が持ち込んだものかもしれません。

ついでに申し上げると、パストラミという牛肉加工品は、トルコのパストゥルマがルーツじゃないかと思っていたけれど、こちらについてはウィキにも記されていました。

パストラミ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%9F

パストゥルマについては、以下の“トルコ便り”でもお伝えしています。

2008年8月3日(日)シャルキュテリ
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2008&m=8


さて、昨日辺りからイスタンブールも大分暖かくなってきたけれど、イズミルは日中既に初夏の陽気で、海岸通りを歩くと、至るところでビールを飲む人たちの姿が見られました。

写真の若者たちは、8〜9杯分取れるという容器でビールをオーダーし、容器の蛇口から各自のグラスに注いで飲んでいます。トルコでは、これが数年前から流行っているようですが、日本にもあるでしょうか? 皆でわいわいやる為には良いかもしれませんが、なんだかビールが生ぬるくなってしまうような気もします。

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4月24日 (土)  水タバコ

水タバコ(ナルギーレ)は、トルコでも、この10年ぐらいの間にフレーバータイプの軽いものが定着し、元来のトムベキと呼ばれる種類の葉煙草を巻いたものは、殆ど見かけることがなくなりました。トムベキは独特な臭みがある結構強いタバコです。

2004年10月17日(日)ナルギーレ
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2004&m=10

しかし、先日、イズミルの海岸通りで、水タバコを提供しているカフェの前を通り掛ったところ、フレーバーの甘い香りに交じって、トムベキの匂いも漂っていたので、店員に「この中にトムベキ吸っている人いない?」と訊いたら、「トムベキ知っているの?」と言いながら、直ぐ近くの席で御老人が吸っている水タバコの火元を覆っていたカバーを外してくれました。

大きな葉巻のようになっていて、その上に炭が置かれています。吸っている御老人も貫禄充分、こんな方にはフレーバーなんて似合いません。

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4月28日 (水)  イズミル/旧友との再会

メルハバ通信“ムスリムからクリスチャンへの改宗”
http://www.neo-pro.jp/makoto/merhaba/003.html#180

先週、イズミルで様々な見聞を得たけれど、最も大きな収穫は、上記の“ムスリムからクリスチャンへの改宗”という話で紹介した友人フィクレットと再会を果たしたことじゃないでしょうか。94年以来、まさに16年ぶりの再会でした。

フィクレットとは、91年にイズミルの韓国人牧師宅で知り合い、翌年、イスタンブールへ越してからも時々会っていました。知り合った当時、彼はイズミルのエーゲ大学の学生で、ムスリムからクリスチャンに改宗したばかりではなかったかと思います。

2008年9月3日(水)なんと素晴らしい一日
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2008&m=9

2008年の9月にイスタンブールで出会った韓国人女性より、フィクレットがカルシュヤカの教会で牧師を務めているという情報を得ていたので、今回、イズミルへ来てから、インターネットで調べて、電話番号を公開している他の教会に問い合わせてみたところ、彼はアルサンジャクに新しいプロテスタントの教会を設立して代表者になっているそうです。アルサンジャクは、なにしろ私が1年間暮らした街だから、少し探し歩いたものの、何とかその教会に辿り着くことができました。

雑居ビルの最上階にある教会で、ドアを開けて迎え入れてくれた女性に案内を請い、フィクレットが奥の部屋から出て来るのを待ちながら、ちょっと彼の変化を想像してみたけれど、実際に姿を現した彼は、相変わらず快活で自信に溢れた笑みを浮かべ、16年前に比べて少し太ったところや禿げの進み具合まで、殆ど想像した通りでした。

握手をしながら、「私を覚えていますか?」と訊いてみましたが、韓国人の知り合いも多いだろうから、なかなか思い出せないのでしょう。「えーと、お名前は?」と問い返されたので、「マコト」と答えたら、一瞬目を見開き、「おおーっ、マコト・ニイノミ!」と私の姓名を正確に言い当ててくれました。

フィクレットは、96年にアメリカへ渡り、翌年、アメリカ人女性と結婚した後も神学の勉強を続け、2001年にトルコへ戻ってきたそうです。教会には、三人の娘さんと一人息子、アメリカ人の奥さんも来ていて、奥さんは子供の頃、日本で暮らしたこともあり、「私は日本の幼稚園に通っていて、当時は日本語を普通に話せたらしいけれど、今はもうすっかり忘れてしまいました」と言いながら、“幼稚園”とか“いただきます”といった単語をいくつか挙げていました。ご両親は日本で宣教に携わっていたようです。

この日、フィクレットとは、自分たちの近況からトルコの現状に至るまで、いろんなことを語り合いましたが、正直言って、彼がどのように信仰を深め、思想的に変化を遂げたのか、私は殆ど理解し得ないまま、何だか当惑するばかりでした。

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少し日が経ってしまったけれど、以下の記事を訳してみました。

【227】トルコ・イラン・イスラエル【ラディカル紙】【2010.04.27】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00227.html


4月30日 (金)  実家の犬

もう4月も終わりですが、3月末より4月の頭にかけて一週間ほど、日本から母と姉がイスタンブールに来ていました。私は2006年の11月以来、日本へ帰っていないので、久しぶりに皆で会えて嬉しかったです。母も姉も元気そうでした。私は何だか相変わらずのしょぼくれた姿しかお見せることができなかったけれど・・・。

私がイスタンブールを案内すると、あまり普通の観光地とは言い難い変わった所ばかりになってしまうし、歩く距離が長くて大変だったりするんですが、一週間に亘って何のクレームも来なかったから、実に健脚でタフな“お客様”じゃないかと、これまた嬉しくなりました。

しかし、今回、母と姉が一週間のトルコ旅行を思い立ったのは、家で飼っていた犬が急に死んでしまった為で、その慰安を兼ねていたのです。また、犬を飼っている間は、トルコどころか国内旅行もままならなかったという事情もあります。

先日、亡犬の四十九日も済み、もう新しい子犬もやって来たというので、今は次のトルコ旅行計画どころではないでしょう。今度は私がしょぼくれた現状を打破して、颯爽と日本へ行きたいところです。まあ、もっとしょぼくれて帰国の途に着くだけになるかもしれませんが・・・。

亡犬とは、たまに一時帰国した際、じゃれあったりしたけれど、まあ私には余り懐いていませんでした。でも、とても可愛い犬だったと思います。夜中に、ふと目を覚ますと、犬が枕元に立って私の様子を窺ったりしていました。まあ、見慣れない怪しい奴が寝ているから、番をしていたのだろうけれど、枕元の犬の仕草に心和んだものです。だから、亡犬の写真を見て、母と姉の話を聞いたら私も悲しくなりました。

見ず知らずの遠い外国で戦争や災害があって、たくさんの人が亡くなったというニュースを聞いても、特に悲しいという気持ちにはならないけれど、良く知っている身近な犬が死んだら、とても悲しい。そんなものかもしれません。

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