Diary 2010. 12
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12月4日 (土)  変わる世の中

先日、カドゥキョイの軽食店で腹ごしらえをしていたところ、通りがかりに店の中を覗いた男が、レジの前に並べられていたペットボトル入りのボザ(トルコの独特な甘い飲み物)を指して、「これいくら?」と女子店員に訊き、彼女が「6リラ(400円ぐらい)です」と答えたら、男は黙って財布からクレジットカードを取り出して彼女に渡し、彼女も黙ってそれを端末機に差し込んで男の方に向けると、男が暗証番号を入れて支払終了、男はカードとレシートを財布に収め、ペットボトルを手に持って店を後にしました。

私はクレジットカードなんて持っていないので、4リラの会計を現金で済ませながら、彼女に「6リラの買い物にクレジットカードなんて・・・、時代は変わったもんだねえ」と言ったら、彼女は「ええ、そうですよ。そのうち、お金なんてものは無くなるかもしれませんね」と笑っていました。彼女、20歳ぐらいでしょうか。多分、物心ついた頃には携帯電話が当たり前にあった世代じゃないかと思います。

実際、現金を持たずにイスタンブールの街を出歩いても、既にそれほどの不便はないはずです。未だ端末が普及していなくて現金が必要になるのは、タクシーとミニバスぐらいかもしれません。市バスや地下鉄ならプリペイド式のアクビルという電子キーがあれば乗れます。

スーパーマーケットはもちろん、小さくてもちょっと気が利いた店なら、大概、端末機が用意されているようになりました。銀行のキャッシュカードでも残高があれば使えます。

私はもう4年ほど日本に帰っていませんが、日本の状況はどうでしょうか? 2003年に韓国へ行ったら、クレジットカードの利用率が非常に高くなっていてびっくりしました。韓国は国策として、端末の普及を進めたそうですが、トルコも同様でしょう。そのうち、本当に現金なんて通用しなくなってしまうかもしれません。


12月6日 (月)  日本のほうがよっぽど心配です

クレジットカード用の端末機、一部のタクシーにはもう付いているそうです。アクビルの購入も既にクレジットカードで出来るところがあります。インターネット・プロバイダのスーパーオンラインなどは、クレジットカード以外の支払を受け付けていません。グローバル化の一環でしょうか。凄い世の中になりました。

この変化が良いことなのか悪いことなのか私には解りませんが、トルコの経済が世界に開かれ、日々発展を遂げる中で、人々は多忙を極めると共に、生活は一層豊かになり、これに張り合いを感じている人たちも多いはずです。

10月27日付けのミリエト紙で、タハ・アクヨル氏は、市場経済の発達と中産階級の増大に伴って、宗教やイデオロギーも教条的な色合いが薄まり、お互いに柔軟な態度を示すようになったと指摘していました。

相変わらず、“イスラム主義と世俗主義の対立”といった構図で捉える向きもあるけれど、最近の状況は、対立の激化どころか、お互いの境界線が曖昧になって溶解しつつあるような印象さえあります。一昨日は、繁華街のレストランで、スカーフを頭にしっかり巻いた若い女性の前に、赤ワインの注がれたグラスが置かれているのを見て、驚きを禁じ得ませんでした。

イスラム系の新聞で、人々に信仰心を喚起させるような記事は一向に減っていないものの、豚肉を食べる信者が全くいないのであれば、“豚肉は禁忌だから食べてはならない”と呼びかける必要もなく、そういった記事は、グローバル化に伴う教義の形骸化に対する不安の表れかもしれません。伝統的な価値観の動揺に関しては、世俗主義者の中にも同質の不安を懐いている人が少なくないような気がします。

しかし、かつて教条的な説を唱えたり、今現状に不安を懐いたりしているのは、いずれも知識人と言われている人たちに限られていて、多くのトルコの人々は、昔から柔軟な考え方で現実に対応してきたのではないでしょうか。様々な民族や宗教が交錯した“文明の十字路”で生きて来たため、対立を解消する柔軟な思考が身に付いているのだと思います。

民族問題にしても、イスタンブールの状況を見る限り、クルド系とそうではないトルコ人は、ますます混ざり合って来ました。私はもうそれほど心配していません。この問題も遠からず解決されるでしょう。

島国の日本は、民族や宗教の対立など殆ど経験して来なかったけれど、グローバル化の中で、近い将来、そういった対立に直面するかもしれません。私にはこちらの方がよっぽど心配です。



12月15日 (水)  クレジットカードのお客様は・・・

端末が普及し、何処でもカードが使えるようになったトルコで、私は頑固に現金払いを続けて来たけれど、先日、スーパーで買い物して、レジに商品を置き始めてから、現金がいくらも残っていないことに気がつき、銀行のキャッシュカードで支払を済ませました。考えてみれば便利なものです。今まで、現金が足りないと、ATMを探して大騒ぎしていましたが、少し間が抜けていたかもしれません。

トルコがカード支払の普及を進めている理由の一つは、これで確実に税金が取れるからでしょう。トルコは間接税の比率が高いから、これは非常に有効じゃないかと思います。消費税は、生活必需品に8%、嗜好品は18%、最低限の食料となるパンの場合は1%というように、税率が一定していないけれど、これは結構、納得できる区分けです。

ところで、老舗レストランの中には、頑なにカード支払を拒んでいる所もあります。ギャルソンによるテーブルサービスの良さを売りにしているレストランの場合、義務ではないものの、お客は10%ぐらいのチップを置いて行くから、チップが出し易いように、現金払いに拘っているんじゃないでしょうか。

写真のカナートというレストランも、そんな老舗の一つ。ここは、サービスも良いし、料理も美味しいです。

しかし、韓国の人に聞いたら、最近、韓国のレストランの中には、クレジットカードのお客さんしか入れない特待コーナーを設けて、差別化を図っているところがあるというから驚きました。チップの有無より、ステイタスの方が重要なのかもしれません。これは、ちょっと恐ろしい気がします。

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12月17日 (金)  崔さんのニュー奥さん

先週、ちょっとイズミルのほうへ出かけて、いつものように韓国人の友人チェさんのところで世話になってきました。漢字で書くと崔さん。イズミルで知り合ったのが94年のことだから、もう長い付き合いです。

99年には、クズルック村の工場に就職するまで、5ヵ月間ほど彼のところで働かせてもらいました。ちょうどクズルック村への就職が決まる頃、韓国から奥さんが二人の娘を連れて初めてトルコにやって来たけれど、長女は中学生に上がったばかり、次女は小学校4年生ぐらいで、そのまま普通のトルコの学校に編入されてしまったのだから、母娘の苦労は並大抵のものではなかったはずです。

この母娘とも、2週間ぐらいは一緒に暮らしたでしょうか。奥さんとは、98年にソウルでもお会いしましたが、敬虔なクリスチャンで、ピアノが巧くて、とても朗らかな可愛らしい感じの女性でした。

クズルック村に行ってからは、滅多に会うこともなく、2005年頃、4年ぶりぐらいにお会いしたら、トルコ語が御主人よりよっぽど巧くなっていました。娘さんたちが、殆どトルコの子供たちのようにトルコ語を話せるようになっていたのは言うまでもありません。崔さんは、最初からトルコ語の学習にそれほど意欲的ではなかったようです。

崔さん夫婦は、2008年の春だったか、イスタンブールでカラオケ店を開業したため、その頃は頻繁に夫婦揃ってイスタンブールに出て来ていたけれど、その後、何があったのか、奥さんは度々韓国へ一時帰国し、翌年の秋には、娘さん二人を連れて韓国へ帰ってしまいました。崔さんは、はっきり言わなかったものの、他のイスタンブール在住韓国人の噂を聞くと、どうやら離婚したようでした。

今年の1月になって、イズミルへ出掛けた際に、市内で崔さんと会ったら、ちょっと水商売風の韓国人女性を連れて来て、暫く立ち話しながら、なかなか私に紹介しようとしないので、「こちらの方はどなたですか?」と訊くと、崔さん、ちょっと怒ったように「どなたですかとは何だ。俺の女房に決まっているだろ。暫く会わないで見忘れてしまったのか?」とのたまわったのです。私が思わず、プッと吹き出してしまったら、崔さんもその女性も一緒に大笑いしていました。

でも、その時は、『おいおい崔さん、あんた何てことするんだ。前の奥さんに悪いと思わんのか』と心中呆れ果てたものです。それに、今度のニュー奥さんは、生真面目だった前奥さんに比べると、どことなく酒場のマダムみたいで、どうも納得が行きません。“20年ぐらい前、20歳の頃に日本へ行って数ヶ月暮らしたことがある”なんて話を聞いても、『えっ? 日本でいったい何やっていたの?』と余計なことを勘ぐってしまう始末です。

しかし、それからイズミルへ行く度に泊り込んで世話になっているうち、私はこのニュー奥さんと何だか妙に波長が合うような感じがしてきました。お世辞にも上品とは言い難い御婦人ですが、とにかく楽しい人です。韓国の人らしく、やたらと元気があって、亭主にもやらせようと思ったのか、筋トレのマシーンまで購入してきて、毎晩エッチらオッチら頑張っています。

先週、私も早速使わせてもらったら、台所からニュー奥さんがすっ飛んできて、「静かに降ろさないと、階下の住人が怒鳴り込んできますよ」と慌てていました。私は自分のところが、階下は事業所があるだけで、夜は遠慮なく運動できるから、うっかりしていたけれど、トルコのマンションは壁が薄いから、気をつけなければなりません。

崔さんは、韓国人男にしては珍しく殆ど飲まないので、今まで崔さんの家で飲んだことは殆どなかったけれど、先週は皆でビールを少し飲みました。ニュー奥さん、歯槽膿漏の薬を飲んでいるから余り飲めないと言う割には、結構、飲んでいたくらいで、なかなか行ける口であるようです。「次回は、盛大にやりましょう」なんて言ってました。

トルコへ来る前は、ソウルで美容院やっていたそうですが、韓国の場合、美容院などで、お客さんや近所の人たちが集まって、良く酒盛りをやるらしく、「ああいうのが楽しいのよね。クレジットカードで気取って高級な店に行っても面白くないでしょ」と笑い飛ばしていたけれど、私も全く同感です。

崔さん夫婦、私が行くと、結構喜んでくれます。というのも、前の奥さんのこともあって、イズミルやイスタンブールの韓国人社会からは、ちょっと白い目で見られているようです。男連中は、おそらく何とも思っていないものの、女性の方々は、かなり厳しい見方をしているでしょう。まあ、当然のことかもしれませんが・・・。


12月20日 (月)  歩道エンジニア

この前、イズミルへ出掛けた折に、アイドゥン市とデニズリ市にも足を延ばして来ました。アイドゥン市は、2年前に一度訪れたことがあるけれど、デニズリ市はこれが初めてです。

アイドゥン市では、メインストリートの歩道が広くてとても綺麗だと2年前にも感じていたので、今回、市の観光局の方にそう伝えたら、「アイドゥンには、あの大通りぐらいしか見てもらうようなものはありませんから・・」なんて、少々自嘲気味に話していました。

しかし、メインストリートの歩道は凹凸や陥没もなく、升目が真っ直ぐに延びていて、本当に見事だと思います。イスタンブールの歩道などは何処も酷いもんです。所々、敷石がガタガタと浮いていたり、半分に割れて陥没していたりするから、歩く時も注意しなければなりません。

数年前、歩行者専用になっているイスティックラル通りの敷石が張り替えられた時は、余りの酷さに苦情でも出たのか、工事をやり直していました。やり直した後もそれほど綺麗にはならなかったけれど、張り替えた業者への支払はいったいどうなっていたのでしょう?

行政と業者が癒着していて、監査も甘くなっているんじゃないかと疑いたくなってしまいます。まあ、ある程度はトルコの人たちの大らかな気質に起因しているかもしれませんが・・・。

いつだったか、友人の親戚がイスタンブール市内に家を新築したので、お祝いに行ったら、日本人の感覚からすれば“豪邸”と言っても差し支えない立派な造りなのに、風呂場のタイルが少し剥がれていて配管がむき出しになっているのです。日本へ留学したことのある友人が、「これは酷い。業者に文句言わなかったのか?」と訊いたら、新築した御本人は、「悪気があってやったわけじゃないでしょう。目立つ所でもないし・・・」と笑って済ませていました。重箱の隅をつつくようにして、些細なことでも文句を言う日本の消費者とはえらい違いです。 

ところで、今の若い人たちも使っているかどうか知りませんが、トルコ語のスラングに“歩道エンジニア(カルドゥルム・ミュヘンディスィ)”というのがあります。エンジニアと言えば聞こえは良いけれど、これは失業者のことです。失業者は、いつも歩道をブラブラしているからでしょうか?

昔、トルコ人に職業をしつこく訊かれた場合、「エンジニアです」と嘯いて見せ、「どういう関係の?」と重ねて訊かれたら、「歩道造っています」と答えて、笑いを取ったりしました。しかし、中には、なかなか冗談の通じない人がいて、さらに「何処の歩道でしょう?」と真顔で訊くので、「あんた知らんのか? イスティックラル通りとか、あれは全て私がブラブラして踏み固めたんだよ」と言ったら、やっと解ってくれて、二人で大笑いしたものです。


*左と真中の写真は、アイドゥンのメインストリート。右の写真は、デニズリです。ここの歩道もなかなか綺麗でした。

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12月26日 (日)  ニシャンタシュの街角

先日、ちょっと用事があって、ヨーロッパ側のニシャンタシュに出掛けたところ、街はクリスマスや新年祝いの飾りつけが施され、とても華やいだ雰囲気でした。西欧の高級ブランドの店も賑わっていたけれど、こういったブランド品を求める人たちは、もう一部のブルジョワばかりじゃないでしょう。この街の光景は、好調なトルコの経済を象徴しているように感じられます。

トルコは、パソコンや携帯電話の市場としても、年々大きくなっているから、韓国の企業などが積極的に出て来ているものの、日本の企業はそれほどでもなく、何だか寂しい限りです。

イズミルの崔さんは、もともと日本製のスピード現像機の売買に関わってトルコへやって来たのですが、98年だったか、韓国からアフリカへ赴く途中にトルコへ寄ったという崔さんの同業者は、次のように話していました。

「私らは日本の製品で商売させてもらっているが、これは日本に感謝されても良いくらいだね。だって、日本の人たちは、アフリカの奥地まで、自国の製品を売り込みに行かないでしょ? 私たちが、そういった隙間を埋めてあげているんだよ」。

崔さんも、トルコへ来る前は、暫くコートジボアールで同じ商売していたらしいけれど、その頃は、トルコも“日本企業が出て来ようとしない隙間”という位置づけだったのかもしれません。しかし、急成長を続ける今のトルコが、隙間であるはずはないでしょう。トルコは、東欧や中央アジアへの重要な拠点にもなると思います。

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12月27日 (月)  ゴディバのチョコレート 

ニシャンタシュの街には、チョコレートのゴディバも出店しています。現在、ゴディバの親会社は、トルコのウルケル・グループだから、イスタンブールにゴディバの店があるのは当たり前かもしれないけれど・・・。

ゴディバ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%90

12月19日のヒュリエト紙に、コラムニストのギラ・ベンマヨル氏は、ゴディバに纏わる興味深い話を記していました。ベンマヨル氏は、7月に日本を訪れて5日間ほど滞在した東京のホテルで、ロビーにある小さなゴディバの店の前を通る度に、店の中へ入って、女子店員に『ゴディバのオーナーがトルコ人であることを知っていますか?』と訊いて見たくなったものの、結局、訊かなかったそうです。

記事には、帰国してから、ウルケル・グループの代表と会った際、この話を持ち出したら、「おそらく(女子店員は)何を訊かれたのか解らなかったでしょう。トルコについて知っているかどうかも定かじゃありません」と言われた話も紹介されています。

何となく、日本でトルコへの関心が低いことに苛立っているようにも思えるけれど、私も同様の苛立ちを感じているから、ベンマヨル氏にエールを送りたくなってしまいました。

しかし、上記のウイキにも、ゴディバがウルケル・グループに買収された経緯は明らかにされているし、東京のゴディバの店員さんは、それぐらい知っていたかもしれません。

さて、ニシャンタシュのゴディバですが、喫茶室でチョコレートを味わって見ようと思ったものの、先ずはメニューの値段を見てびっくり。最も安い、四つのチョコレートを選べるセットが8リラ(500円ぐらい)。暫く考えたあげく、チョコレートは諦めて、6リラのエスプレッソを頼んだら、これにもチョコレートが一つ付いてきたので、何とか一つ味わうことが出来ました。

でも、良く考えてみると、クズルック村の工場にいた頃、トルコ人チーフのマサルさんは、ヨーロッパへ出張する度に、ゴディバのチョコレートをお土産に買って来てくれたものです。以下の話に出て来るチョコレートもゴディバだったかもしれません。

娘さんには御用心
http://www.neo-pro.jp/makoto/merhaba/002.html#120

しかし、オフィスで部下に配るお土産なのに、マサルさん、そんな高いものを買って来ていたんですね。何だか、こんなところにも、マサルさんの誠実な人柄が現れているように感じました。もっと有難く味わっておけば良かったと反省しています。


*右の写真は、ウルケル社のピスタチオ入りチョコレート、1.75リラ。私はこれで大満足です。

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