Diary 2010. 11
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11月6日 (土)  アレヴィー派の葬儀

11月3日、ジェムエヴィと呼ばれるアレヴィー派の礼拝所で営まれた葬儀を見学してきました。このジェムエヴィは、アジア側カドゥキョイの近くにあり、営まれたのは、2日前に亡くなったジェマル・シェネルという著名な左派ジャーナリストの葬儀でした。

前日、友人のアリさんが、「昼の1時に始まる」と話していたので、普通のイスラムの葬儀のように、“昼の礼拝”が終った後に始まるのだろうと勝手に思い込んだまま、朝、ヨーロッパ側へ渡り、用事を済ませてから、ふと考えて見ると、“昼の礼拝”が1時頃だったのは、10月末に終了したサマータイムの為であり、今、“昼の礼拝”は12時頃になっているはずです。

『アリは全く不信心だなあ、礼拝の時間が変わったのも知らないのか』と呆れながら電話したところ、「お前、何言っているんだ。アレヴィー派の葬儀だからね。礼拝の時間とは関係なく、1時に始まるんだよ」と逆に呆れられてしまいました。

しかし、アリさんとカドゥキョイで待ち合わせ、1時近くになって、ジェムエヴィへ着いたら、葬儀の営まれる中庭は既に大勢の人で埋め尽くされており、私たちは礼拝所の建物の中から葬儀を見守るよりありませんでした。

少し遠かったので良く解らなかったけれど、葬儀の進め方は、他のイスラムの葬儀と余り変わらなかったように思います。中庭に置かれた棺の前で祈りが捧げられた後、近親者たちは棺を担いで、礼拝所に隣接する墓地へ運んでいきました。

アレヴィー派
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E6%B4%BE

ベクタシュ教団
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%82%B7%E3%83%A5%E6%95%99%E5%9B%A3


右の写真は、礼拝所の中に掲げられていたベクタシュ教団の創始者ハジュ・ベクタシュ・ベリの言葉。「自分が辛いと感じたことを、他の人にするな」。論語に出て来る「己の欲せざる所は人に施す勿れ」を思い出しました。

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11月7日 (日)  モンゴル人に韓国人・・・

もう先月のことになりますが、10月30日の夜、ほろ酔い気分で地下鉄オスマンベイの駅からタクシム行きの電車に乗ったら、またモンゴル人の留学生たちに会いました。2ヶ月前は路面電車だったけれど、ほろ酔い気分で電車に乗ると、何故かモンゴルの人たちに会うようです。今度は4人並んでモンゴル語を話していたから直ぐに解りました。

男3人、女性が一人、いずれも流暢なトルコ語を話します。白鵬の話になったら、皆、連勝記録についても良く知っていて、男子学生の一人は、「外人の活躍を妬ましく思っていませんか?」なんて言い出しました。

それで、「良い技を見せてくれれば、何処の人だって構いません。でも、技の多彩さからして、私は白鵬より朝青龍のほうが好きでしたね」と答えたら、別の男子学生が相づちを打って、「僕も朝青龍が好きでした。白鵬は体が大きいから強いのは当たり前です。朝青龍は小さい体で良くやっていたと思います」と言い、他の3人もこれに賛同していました。どうやら、4人とも朝青龍のファンだったようです。

タクシム駅のホームで彼らと別れて外へ出たところ、今度は韓国語のガイドブックを手に話し合っている二人の若い東洋人女性が目に留まったので、また気軽に、「何処へ行くんですか?」と韓国語で声を掛けたら、彼女たちの大袈裟なリアクションにこっちが驚かされてしまいました。二人とも、「わーっ! 貴方は韓国人ですね」と満面に笑みを浮かべ、手を広げて抱きつかんばかりに私のほうへ迫って来たのです。

「いや、日本人ですよ」と言ったら、これには彼女たちが驚いたのか、ちょっと気勢をそがれたようでしたが、そのまま嬉しそうに近づいて来て、「スルタンアフメットに行きたいんですが・・」と尋ねるので、また地下へ下りて乗り場まで案内してあげました。二人とも“少女時代”ばりの美女だったから、私は鼻の下が延びっぱなしになっていたかもしれません。


11月18日 (木)  犠牲祭の休暇

トルコは犠牲祭の休暇に入っています。今日は少し雨が降っているけれど、昨日までは暖かくて長閑な天気だったから、行楽地は何処も賑わっていたでしょう。昨日、イスティックラル通りを歩いてみたら、凄まじい混雑で驚きました。

そういった繁華街の商店はもちろんのこと、私が暮らしている庶民的な住宅街でも、多くの商店は通常通り営業しているから、買い置きなどする必要はありません。かつては昔の日本の正月みたいに、犠牲祭ともなれば開いている店はごく僅かでしたが、今や競争も厳しくなって、そうそう休んではいられないようです。

昨日、近所の乾物屋へピーナッツを買いに寄ったら、信仰に篤い店主のおじさんは、店の秤でビニール袋に入った肉塊の重さを計っていました。なんでも、隣近所7世帯で金を出し合い、牛を一頭屠ったので、その肉を分配してもらったそうです。おじさんは、店がある為、屠殺の立会いには行かなかったようだけれど、他の世帯からはどのくらいの人が立ち会ったのでしょうか。

犠牲祭は、年に一度、屠殺に立会って祈りを捧げるところに意義があるはずなのに、これでは単なる“肉をたくさん食べる日”になってしまうかもしれません。また、わざわざ都会まで、牛や羊を生きたまま連れて来て売買する意味も何だか解らなくなってしまいます。都会の人々は、グローバル化とやらの中で、日々忙しく働いているから、時間に余裕がなくなっているのは解るけれど・・・。

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【242】宗務庁長官アリ・バルダックオウル氏の退任【ラディカル紙】【2010.11.18】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00242.html

宗務庁長官アリ・バルダックオウル氏の退任は、様々な憶測を呼んでいるけれど、後任のメフメット・ギョルメズ氏も、犠牲祭のメッセージで、宗務庁は政教分離の原則に従って如何なる政治的な考えにも与しないと強調しています。


*写真は大混雑のイスティックラル通りです。

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11月19日 (金)  中国人のクリスチャン

イスタンブール市内で鮨職人やっている中国の人がいて、上海の出身というから当たり前に漢族の方かと思っていましたが、一昨日、トルコ語で色々訊いて見たら、彼はムスリムなんだそうです。(アイヤー!)

「えっ? いつムスリムになったんですか?」と驚いてしまったけれど、回族であることが解って納得しました。酒は飲むし、余り真面目な信者とは言えないものの、豚肉は口にしないそうです。

「それじゃあ、中国の人なのに酢豚が食べられないの?」と揶揄したら、「酢豚なんて大した料理じゃない。中国には他にもっと良い料理がたくさんある」なんて言われてがっくり。「では、回鍋肉は?」と、これも“大した料理じゃない”と言われるかと思いながら、しつこく訊くと、「回鍋肉は牛肉でも構いません」とあっさり交わされました。しかし、どう考えても回鍋肉は豚肉のほうが美味しいんじゃないでしょうか。

それから、少々意地悪く、「犬肉は?」と訊いてみたけれど、やはり回族には禁忌であるという回答でした。

私は犬肉料理を韓国で何度か味わったことがあります。大阪でも一度探して食べに行きました。探して食べに行きたくなるほど美味しいという認識です。

88年のソウルオリンピックで、英国などが「犬を食べる国のオリンピックには行かない」などとほざいたら、韓国政府は、犬肉料理店を表通りから一掃してしまったので、私は韓国の友人たちに、「韓国は情けないねえ。中国だったら“じゃあ来るな!”って言うと思うよ」なんて話していたのに、2008年の北京オリンピックでは、中国も韓国と同じように対応していました。もっとも、今の中国政府が“じゃあ来るな”と言い出したら、それも何だか恐ろしいけれど・・・。

しかし、88年当時、何処が美味しいのかさっぱり解らないアメリカのファースト・フードが、いよいよ韓国にも上陸してきたのを見て、『でも、さすがに中国では通用しないだろう。そのうち、世界が中華点心の美味さを認めるはずだ』なんて思っていたら、今ではアメリカのファースト・フードが北京や上海も席巻しているというから恐ろしくなります。

ところで、欧米が世界へ広めているのは、ファースト・フードやファッション・ブランドだけじゃありません。一昨日、回族の鮨職人さんから、もう一つ興味深い話を聞きました。

中国でクリスチャンが急増しているという話は他所でも聞いたけれど、イスタンブールには、在住の中国人クリスチャンのために、中国語でミサを行う教会が既にあるそうです。日曜には多くの中国人が訪れて賑わうのだとか・・・。これは、結構良い話じゃないでしょうか。中国国家は覇権の野望に燃え上がっているみたいですが、少なくとも欧米との間に“文明の衝突”なんて事態は起こらないように思えます。


11月20日 (土)  土耳其人朋友熱烈歓迎

中国の話題で思い出したけれど、先日、市バスの中で、人の良さそうなおじさんから、「中国人ですか?」と声をかけられました。おじさんは、最近、北京や上海を訪れて来たそうです。50歳ぐらいじゃないかと思いますが、観光旅行で中国へ行けるほど裕福そうには見えなかったので、「仕事で行ったんですか?」と訊いたら、「いや、それが観光なんですよ」と言って、次のように説明してくれました。

おじさんの郷里であるマニサ県に中国の企業が投資して工場を設立した際、企業の代表として訪れた年配の中国人女性をおじさんが親切に案内して上げたら、感激したその女性がおじさんを中国へ招待してくれたと言うのです。

しかし、おじさんと話し始めたら、直ぐに降りる停留所へ着いてしまったため、それ以上の詳細は聞けませんでした。招待されたのはおじさんだけじゃなかったようですが、いったい何人ぐらいだったのでしょう? いずれにせよ、いくら感激しても、日本人にこれは出来ないだろうと驚きました。日本では組織の仕組みからして無理だと思います。おじさんも驚いていたようです。

おじさんは如何にも人が良さそうな感じだったから、多分、その中国人女性が訪れた時、素晴らしいトルコ的なホスピタリティーを発揮したのでしょう。それで女性も中国的に熱烈歓迎してしまったのではないかと想像します。おじさんの他に、もっと上のクラスのトルコ人も招待されていたかもしれませんが、おじさんを一行に加えたところで中国側に何らかのメリットがある由もなく、やはり単なる熱烈歓迎だったのではないでしょうか。

もちろん中国の人たちは計算して戦略を図ることにも長けているだろうけれど、朋友や家族に対する昔ながらの情熱的な面も失われていないはずです。まあ、これが不正の温床になっているような気もしますが・・・。

トルコの人たちも、友人や家族に対して、とても情熱的だから、お互いに解り合えるところは多いかもしれません。また、いずれも世界に覇を唱えた大帝国だったのに、19世紀以降は、欧米や周辺国からよってたかって酷い目に遭わされ、猜疑心がやたらと強くなっているところなど、良く似ている面はたくさんあると思います。


11月21日 (日)  伊斯坦堡華人基督教会

今日は、イスタンブールの“中国人教会”で営まれた日曜ミサを見学してきました。プロテスタントの教会であり、“伊斯坦堡華人基督教会”というのが正式な名称です。

今日集まったのは20人ほどで、トルコ人のクリスチャンも一人来ていましたが、後は私を除いて全て華人の方々でした。牧師さんは香港の生まれで、今はアメリカを本拠地にしているそうです。

トルコ語が流暢な中国人留学生の方でもいればと期待していたけれど、大半は中華料理店などで働いている方たちで、余りトルコ語が話せません。世話役の男性とシンガポールの華人であるという女性が、かなりトルコ語を話すので、トルコ語の会話は殆ど彼らとの間に限られていました。

もう一人、2ヶ月前に香港から来たという青年とは話が弾んだものの、こちらは日本語の会話でした。青年は以前日本へ留学した経験があり、今回は仕事で一年ほどトルコへの出張を命じられて来たようです。来る前は、イスラム国という先入観で少し不安も感じたけれど、来て見たら、なかなかヨーロッパ的な雰囲気なので良かったと話していました。

中華料理店で働いている人たちは、上海などから来ていましたが、皆、突然訪れた日本人を結構歓迎してくれたんじゃないかと思います。

トルコ人の方は、牧師さんの友人で75歳ぐらいでしょうか、英国へ留学していた1958年に、イスラム教からキリスト教へ改宗したそうです。イスタンブールに共通の日本人の知り合いがいることが分かって、ちょっとびっくりしました。

以下は、ミサの最後に歌われた賛美歌です。中国語の表題を見て、多分そうだろうと思いましたが、やはりあの曲でした。日本でも良く知られた賛美歌です。歌詞の内容も中国語の字幕を追っていれば、ある程度解ってしまうから嬉しくなります。

耶蘇恩友
http://www.youtube.com/watch?v=P5wodPHEKhs&feature=related