Diary 2010. 10
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10月2日 (土)  トルコの新しい世代

先月の末、日本で設計された機械を購入したイスタンブール市内の事業者が、機械の不調を訴えたため、日本から機械の設計者の方が訪れていました。私は、機械を輸入したトルコ人の貿易商に呼ばれて、その事業所まで同行したのですが、事業所の経営者は、未だ30代前半ぐらいの若い人でした。

聞いたところによると、この経営者は、6ヵ月ほど前に機械を購入して事業所を設立したものの、その業界では全くの素人であり、機械の扱い等は、貿易商の下で働くエンジニアや現場の親方に任せていたようです。

しかし、任せていても、仕事には熱心に取り組んでいて、その道のベテランである40代後半の貿易商とエンジニアから様々な知識を吸収しようとしていました。また、彼らが自分より遥かに年上である所為か、一定の敬意を持って接していたように思えます。それから、現場で商品を梱包したりする簡単な作業を手伝っている姿が、何だか新鮮に感じられたけれど、トルコでも、若い世代にはこんな経営者が増えているのかもしれません。

日本から訪れた設計者の方が、作業の仕方を親方に説明している際も、真摯にその話を聞こうとします。親方が20年来のやり方を否定されて、ちょっと不貞腐れながらそっぽを向いていたら、「親方! あなたに説明しているんですよ」と注意を促していました。

昼、近くのレストランへ行き、注文を通す際に、飲み物を訊かれたエンジニアが「ビールないの?」と悪戯っぽく笑ったら、「そういうのはありません」と一瞬嫌な顔を見せたので、多分、彼は敬虔なムスリムなのでしょう。一緒に仕事してきたエンジニアがそれを知らないはずはないから、おそらく承知で冗談を言ったに違いありません。こういうのも困ったものだと思います。

しかし、その後は彼もエンジニアも、和やかに料理談義を繰り広げていました。二人ともトルコの様々な地方の名物料理に精通していて、相当なグルメであるようです。黒海地方リゼ県のムフラマ(トルコ風チーズフォンデュ)、エルズルム県のジャーケバブ、南東部シールト県のブリヤンケバブ、次から次に色々な料理名が出てきて、エンジニアがサムスン県、彼はシールト県の出身であることも解りました。

シールト県には、クルドも多いけれど、彼はアラブなんだそうです。「エルドアン首相のエミネ夫人もアラブですよ。なにしろ同じ街の出身ですから」と少し誇らしげに話していました。

帰りに車の中で、貿易商とエンジニアは、現政権に対して批判めいた話もしていましたが、だからと言って、「現政権を支持する信心深い人たちには機械を売りたくない」なんて話には、もちろんなりません。これは経営者の彼にしたって同じです。彼はこの貿易商とエンジニアを結構頼りにしているようでした。まあ、ビジネスを考えれば当たり前のことかもしれませんが・・・。

先日は、熱狂的な反欧米の知識人から妙な話を聞かされて驚いてしまい、一昨日会った左派のジャーナリストに「まさか、最近、そういう傾向の人が増えているんですか?」と訊いたら、彼は「そんな心配は無用。如何なる人たちが政権に就こうと、トルコが反欧米になることはあり得ないし、国民もそれを許しません。トルコは力強く前進していまよ」と明快に答えてくれたけれど、あの若い経営者とエンジニアを思い出したら、これはとても説得力があるように感じられました。

しかし、このジャーナリストも、別れ際に「とはいえ、今の政権が後何年も続いたら、どうなってしまうだろうか?」と不安そうな表情を隠しきれませんでした。現AKP政権が自分たちに近い人間ばかりを官庁等のポストに就かせている現状を憂えているのでしょう。でも、これは歴代の殆どの政権が多かれ少なかれ繰り返してきたらしく、何も現政権になって始まったわけじゃないようです。どんな政権でも余り長い間続くのは問題であるかもしれません。


【183】AKPはナクシュバンディ派のプロジェクトである【ラディカル紙】【2008.03.26】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00183.html



10月8日 (金)  寒空に佇む新規開店のスーパー

イスタンブールは今週になってから急に寒くなりました。今朝は、5時半に夜明け前の冷え込みで目が覚めてしまったほどです。まあ、いつも通りの7時まで、もう一度寝てしまったけれど・・・。

夏は記録的な猛暑だったというのに、地球はどうなってしまったのでしょう? なんでも、今年は記録的な寒い冬になるそうで、寒がりの私は今から戦々恐々としています。

さて、先週だったか、我が家の直ぐ向かい側に、大きなディスカウントスーパーが開店しました。『これは便利になりそうだ』と開店準備中の頃から楽しみにしていたけれど、このスーパー、早くも以下の“便り”でお伝えしたケレピルと同じ運命を辿りそうな雰囲気を漂わせています。

5月8日(土)賢い選択
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2010&m=5

ケレピルは、あれから間もなく閉店セールもしないで終ってしまったけれど、店舗はそのままになっていて、代わりのテナントが入る様子もありません。未だ当事者の間で何か揉め事が続いているのでしょうか? 

新規開店のスーパーも大手資本によるチェーン店のようですが、どういう計算があって資本投下したのか理解に苦しみます。賑わっていたのは、開店から3日間ぐらいだけで、昨日、卵を買おうと思って出掛けたら、広い店内に私以外の客は一人もいない有様です。

私は普段、卵などを買う時、パッケージの賞味期限なんて殆ど見ていないのに、この時ばかりは、まじまじと見てしまい、“賞味期限10月10日”の刻印を確認すると、それを棚に戻して、何も買わずに店を出ました。客の姿が見えない閑散とした店で生鮮食品を買うのはちょっと勇気が要ります。このスーパーの寿命は、ひょっとするとケレピルより短くなるかもしれません。店頭には、開店の際に飾られた沢山の小旗が未だ翻っているけれど・・・。

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10月11日 (月)  トルコと中国

先週、街中をのんびり歩いていたところ、歩道の脇に置かれたテーブルでお茶を飲んでいるモンゴロイド顔の男二人が、「メルハバ」と声をかけて来たから、トルコ語で何処の人なのか尋ねると、「チンリ(中国人)」と言うので、「我是日本人(ウォシーリーベンレン)」と片言の中国語で応じて、さらにトルコ語で「中国の何処から?」と訊いたら、「私たちはウイグル人です」という意外な答えが返ってきました。

今まで、先ず始めに「中国人」と自己紹介するウイグルの人は見たことがなかったように思います。『本当かな? 日本人と言ったから、適当に合わせているんじゃないのか?』と半信半疑で、暫く話してみたけれど、一人は三週間前にトルコへ来たばかりと言って、殆どウイグル語のままだったし、もう一人のトルコ語にもやはりウイグル人特有の訛りがありました。彼らは余り民族的な主張のないウイグル人だったのでしょうか?

まあ、トルコに住んでいるウイグル人は、殆どの場合、中国語の通訳を務めたりしながら、中国の人たちを相手に働いているから、最近は仕事も増えて、結構、潤っているのかもしれません。

3ヵ月ほど前に会ったウイグル人の友人は、「中国共産党の一党支配はもう限界に来ている。あとは民主化へ移行が、ハードになるかソフトになるかだけだ。中国はロシアと違って、民主化への下準備を全くして来なかったから、ハードになる可能性が高い。我々もその時を待っている」と語っていたけれど、あの二人組みのようなウイグル人ばかりだったら、その可能性はそれほど高くもなさそうです。

しかし、中国は北朝鮮のような閉ざされた社会じゃないし、政府は優秀な若者たちをどんどん海外へ留学させているくらいだから、民主化への動きは、これからも加速して行くのではないでしょうか? 多少、生みの苦しみは伴うにしても、あまりハードにはならないような気もします。そうじゃなかったら、人類が可哀相です。今まで何を目指して来たのやら・・・。

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久しぶりに新聞記事を訳してみました。トルコと中国の関係が論じられています。

【241】大国とのダンスは注意を要する【ミリエト紙】【2010.10.11】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00241.html



10月12日 (火)  イスタンブールの国際見本市−“CNR EXPO”

2007年9月13日(木)クナ・ゲジェスィ
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2007&m=9

先月の末、94年に半年ほど下宿していたジャビデさんの家の次男坊クバンチから、電話が掛かってきました。発信元を見るとトルコ国内のようだけれど、クバンチは2004年頃、ドイツへ移住して、今はベルリンで広告代理店を営んでいるはずです。

彼とは、上記の“便り”でお伝えした妹の結婚式以来、会っていなかったので、とても懐かしく思いながら、「おおっ、久しぶり。イスタンブールに来ているのか?」と訊いたら、なんでもイスタンブールの空港近くにある“CNR EXPO”で開催された国際見本市へ、ベルリンから韓国の業者を伴って来ているという話でした。

それで、懐かしさもあるし、韓国の業者というのも気になって、早速、“CNR EXPO”の会場まで出かけてみたところ、どうやらクバンチの広告代理店は、ベルリンで韓国の企業と共同事業を進めているようです。この企業は、電子掲示板など広告に使うシステムを設営管理しており、今回はトルコでの足掛かりを作るために、結構大きなブースを構えて出展していました。

クバンチは、この見本市が終った後、引き続き“CNR EXPO”で開かれるムスィアド(MUSIAD)主催の見本市にも参加すると話していたので、一昨日の日曜日、こちらの様子も見てきたけれど、ムスィアド主催の見本市でクバンチが働いているなんて、何だか時代の流れを感じてしまいます。

ムスィアド(MUSIAD)は、“独立実業家協会”と日本語に訳されていて、“MUS”は独立を意味する“ムスタキル”という単語の略なんですが、以前、私はこれを“ムスリム”の略ではないかと勘違いしていました。とてもイスラム色の濃い組織だからです。

例えば、94年にジャビデさんの家で下宿していた頃、「ムスィアド主催の会合があるんだが・・」なんてクバンチに話したとしたら、多分、彼は「よしなよ、そんな会合に行っちゃダメだよ。原理主義者の集まりだぜ」とでも“忠告”してくれたんじゃないかと思います。

ところが、一昨日出かけて見たら、ムスィアド主催の見本市も大分様変わりしていました(もっとも以前の様子はテレビなどで観ただけですが・・)。ヨーロッパの企業も出展していたし、驚いたことに“コリア・パビリオン”なる一画まであって、韓国の企業が10社ほどブースを構えていたのです。

その“コリア・パビリオン”の前を歩いていたら、91年にイズミルで知り合って以来、いつもお世話になっているキム・サンジンさんの大学生になる娘さんとばったり出会いました。

「キム社長もいらっしゃっているんですか?」
「いいえ、私が通訳に来ているだけなんですよ・・・」

それから、私が娘さんに、半分ぐらいは冗談のつもりで、「しかし、ムスィアドも昔は随分恐ろしいような気がしたけれど、時代は変わったもんですねえ。まあ、今でもちょっと不安はありますが・・・」なんて言ったら、韓国語で話しているのに、彼女は愛嬌のある仕草で周りをグルッと見渡して、聞いている人がいないのを確かめてから、「そ、そうですよねえ」と笑いながら相づちを打ってくれました。


*右の写真が、クバンチの共同事業者である韓国企業のブースで、走っている地下鉄の車窓から広告が見られるシステムを展示する為、地下鉄の車内に模してあります。左のテーブルで会議している4人の中で、右から二人目がクバンチです。

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10月13日 (水)  韓国の人たちは大忙し?

ムスィアド主催の国際見本市、コリア・パビリオンでは、キム社長の娘さんの他にも、イスタンブール大学へ留学しているという韓国人の青年が通訳を務めていました。もちろん彼には、気心の知れた娘さんに話したような冗談は言わなかったけれど、韓国の人であるという気軽さもあって、「ムスィアドも変わりましたねえ・・・」などと話した後で、彼はクリスチャンだろうかと思いながら、「ところで貴方は何か宗教やっているんですか?」と訊いたら、彼は少し含みのある笑いと共に答えてくれました。

「実はムスリムなんですよ」(アイゴー!)
「ええっ? いつムスリムになったんですか?」
「5年前です」
「それでは未だ韓国にいる時ですよね」
「ええ、韓国で入信してから、トルコへの留学を決めました」
「ちょっと待ってください、ご両親はどうされていらっしゃいますか?」
「先ず父が6年前に入信したんですよ・・・・」

お父さんは、53歳になるそうだから、47歳で入信したことになります。いったいどのような心境の変化があったのでしょうか。
それから、どうにも気になって、もう一つ尋ねてみました。

「失礼ですが、ひょっとして、フェトフラー師の教団と何か関係がありますか?」
「ええ、その通りです」
「はあ、そうなんですか? ソウルにはフェトフラー師の教団の語学学校がありましたよね。私も何度か訪れたことがあります。1998年には、カンナム(ソウル最大の繁華街)で場所も広かったけれど、2003年にはホンデ(繁華街からは少し外れています)の小さな所へ越していたようでしたが・・・」
「僕はプサンの出身なんですが、ソウルにも今はもっと沢山の学校ができていますよ・・・」
「ええ、日本でも大きな都市には大概ありますから・・・」

まあ、とにかく驚きました。韓国ではムスリムが結構増えているのかもしれません。韓国の人たちも、トルコでプロテスタントの宣教活動を繰り広げてみたり、ムスリムになったり、なかなか忙しいようです。(アイゴー!)

コリア・パビリオンばかりでなく、三つのホールに分かれた広い会場を私は方々隈なく歩き回ったのですが、第一ホールだったか、中央の目立つところにある大きなブースでは、展示物を熱心に見ている黒装束の女性や顎鬚をモジャモジャさせたおじさんたちの姿が目に入ったので、『何だかんだ言っても、やっぱりムスィアドだな』と思いながら近づいて見ると、そのブースには、果たして“イスラム科学とテクノロジー”という表示が掲げられています。

『いよいよムスィアドらしくなって来たな』と得心して、ブースの受付の方へ回ってみたら、被り物などしていない小ざっぱりとした身なりの女性たちが待ち構えていました。それで、一応許可を得て、写真を撮らせてもらい、彼女たちからも色々な話を聞いたけれど、こちらも何だか少し意外な感じでした。

「私たちは書籍の出版に携わっております。今回は、著名なイスラム学者フアト・セズギン教授の作品を紹介する為に出展しました。・・・」
「えーと、出版社というお話ですが、どんなメディアと関係があるんですか?」
「と仰いますと?」
「例えば、新聞ならば、ザマン紙とか色々ありますね?」

そしたら彼女はニヤッと笑いながら、「うちはドアン・グループの関連ですよ」と答えたので、「それなら、ザマン紙とはかなり違いますね」なんてつまらないことを口走ったら、彼女は何も言わずに可笑しそうに笑っていました。この出版社で宗教に関する刊行物は、そのフアト・セズギン教授の作品ぐらいであり、セズギン教授はイスラムにモダンな解釈をもたらした学者として知られているそうです。

ムスィアドとドアン・グループなんて、ひと頃だったら、呉越同舟のように思われたかもしれません。やはり色んなところで何かが微妙に変わって来ているのでしょう。


*写真は、“イスラム科学とテクノロジー”のブースです。

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10月16日 (土)  世間に合わせるためなの?

先日、「イスラム教へ入信した韓国人の気持ちが解らない」なんて書いたけれど、もしも、あれがキリスト教だったら、少しは解るような気もします。キリスト教は、イエスが全ての人々の罪を背負って十字架に掛けられたという物語からして、なかなか感動的じゃないでしょうか。

イスラムでは、悪事を働けば恐ろしい懲罰があり、善行を積めば褒賞が与えられるといった話がやたらと出て来て、なかなか感動には至れません。懲罰を恐れ、褒賞を期待して善行を積む人の姿に感動の余地などはないはずです。

しかし、心優しいトルコの友人たちが、ただ懲罰を恐れ、褒賞を期待して善行を積んでいるとは、とても考えられないでしょう。彼らは生まれながらのムスリムであり、聖典の話に感動してイスラムに入信したわけではないけれど、この懲罰と褒賞についてはどう感じているのか、そんなことを考えながら、彼らと話していると、時々、宗教についてその友人が本当は何を考え、どのように神を信じているのか解らなくなってしまうことがあります。

例えば、礼拝や断食を真面目に実践している友人の一人は、頑なな無神論者の友人が話題になった時、「あの男も少しは世間に合わせるってことが出来ないのかなあ」とぼやいていました。私は思わず、『ええっ? すると貴方は世間に合わせようとして礼拝しているの?』と訊きたくなったものです。 

「監視カメラで神が見ているから誤魔化せない」と話す男には驚きましたが、あれも「世間の目っていうのがあるだろ」という意味なのかと思えば、それほど驚く必要はないかもしれません。世間的な“和”を重視しているところは日本の社会と似ているような気もします。

そもそも法を定めて社会に秩序をもたらそうとしたイスラム教と、福音を信じることで安らぎを得ようとしたキリスト教を比較したのは間違っているでしょうか? しかし、だからこそ、福音の有難さとか、それで得られる安らぎとか、色々聞かされて入信した人の気持ちは解るものの、非イスラム社会に暮らす人がどうやってイスラム教に導かれたのかが理解できないのです。

今までに、私をイスラムへ導こうとしたムスリムたちは、その殆どが「コーランは、神の言葉が記された唯一の聖典であり、その全てが真理である。だから信じなさい」の一点張りでした。

真理であることを科学的に説明しようとする者もいたけれど、これには『コーランの一節が科学的には間違っていると解ったら、彼は信仰を放棄してしまうつもりなのか?』と、こちらが心配になりました。白夜の国では断食の実践が不可能だったり、突っ込まれそうなところはいくらでもあるから、『自分の信仰を守るためにも、科学と信仰をごちゃ混ぜにしないほうが良いよ』と言ってあげたくなるけれど、まあ、余計なお世話かもしれません。

いずれにせよ、イスラム教は、そこに“和”を求める社会があってこその宗教じゃないかと私には思えます。懲罰と褒賞を示して、社会に秩序をもたらそうとしながらも、そこには和の精神が活かされているから、イスラム法を適用しないまま、信仰として存在し続けているのではないでしょうか。

キリスト教の社会も、宗教とは別次元の法律によるとはいえ、懲罰と褒賞を規定して社会の秩序を保っているわけだし、現実を見れば、博愛だけではどうにもならない禍々しさが人間の心には存在しているようです。二つの宗教がお互いの違いを認識して、相互に補完し合えないものかと“いいとこ取り”の日本人である私は思ってしまうけれど、それをやったら宗教じゃなくなってしまうのでしょうね。



10月24日 (日)  驚異の天然記念物女

これまでにも度々話題にしてきた旧居の大家さん家族、3年前に大黒柱のマリアさんが亡くなって、今は娘のスザンナさんと彼女の息子ディミトリー君の二人だけです。

スザンナさんは今年で40歳になるけれど、相変わらず脳天気で、精神年齢は10歳ぐらいじゃないでしょうか。息子のディミトリー君は、結構まともかもしれません。今年イスタンブール工科大学に合格して、今は学生やっています。まあ、トルコとギリシャの二重国籍だったのに、トルコ国籍から離脱して、入試が容易な留学生枠を利用するという裏技を使いましたが・・・。とにかく、何とか卒業まで頑張ってもらいたいものです。しかし、スザンナさんには、家賃収入が僅かばかりあるだけで、これからどうやって息子の学費を工面するのでしょう。

今のところ、母マリアさんの友人であるマリアさんというルーム(トルコ国籍のギリシャ人)の老婦人が、ある程度、援助してくれているけれど、数日前、スザンナさんは、このマリアさんと諍いを起こして大騒ぎしたあげく、携帯の電源を切ったままにしています。

諍いは以下の問題から起こったようです。スザンナさんは、祖父母からの蓄えも殆ど底をついたため、いよいよあの旧居を売り飛ばすことにしたものの、そうなるとギリシャのロードス島にいるお兄さんにも権利があり、一人では家を売ることもできません。それで、マリアさんに頼んで弁護士を紹介してもらったのに、数日前、マリアさんがロードス島のお兄さんと緊密に連絡を取り合っていることが明らかになって、たちまち逆上してしまいました。

私にも電話を掛けてきて、「マリアが裏切った・・・」とか喚いていたので、『これはただ事じゃないな』と思い、帰宅してこちらから掛け直すと、「今、タクシー乗っていて余り話せないけれど・・・」と言いながら、段々ボルテージが上がってきて、しまいには、オイオイと大声で泣き出す始末。あれにはタクシーの運転手さんもびっくりしたでしょう。

タクシー? そう何処へ行くにしても大概タクシーなんです。彼女はなにしろお嬢様育ちだから、公共交通機関など余り利用できないのです。というより、彼女に利用されると、他の乗客がいい迷惑だから、向こうでお断りかもしれません。一度、市バスの中で携帯を掛け、怒鳴るような大声で話し出した時は腰を抜かしました。少し込んでいる車内で、彼女の席から大分離れたところに立っていたので、直ぐには注意できなかったし、私などが注意したら火に油を注ぐようなもので却って大騒ぎになります。それで、知り合いじゃないような顔してそっぽ向いていました。

私はこの女性を秘かに“驚異の天然記念物女”と呼んでいます。その天然キャラと放縦な気質は充分に記念物級であるし、ギリシャ語を母語とするトルコ国籍のギリシャ正教徒“ルーム”は既に2千人を割ってしまっているから、正しく“天然記念物”であるに違いありません。

いつだったか、あまりの放縦な態度に、私もぶち切れて怒鳴りつけてしまったら、こちらが呆れるぐらいシュンとなったのは良いけれど、その後、3ヵ月ぐらいの間、何の連絡も寄越しませんでした。3ヵ月ぐらい経って、また面倒なことを頼みたくなったら、臆面もなく電話してきて、怒鳴られたことはもうすっかり忘れていたようです。

その時、息子のディミトリー君へ、「君のお母さんにとって私は余り良い友人じゃないよ。彼女には横っ面を張り倒すような友人が必要だね」と言ったら、「僕もそう思います」とケラケラ笑っていました。しかし、横っ面を張り倒してくれる人は、たちまち彼女の敵になってしまうから、良い友人になれる人なんて何処にもいません。

ディミトリー君は祖母のマリアさんが亡くなってから、暫くの間グレてしまい、妙な髪形をして、鼻やら瞼やらにもピアスを突っ込んでいたけれど、祖母マリアさんの友人のマリアさんが、予備校等の学費を援助してくれるというので、挨拶へ行くことになったら、髪形を正し、ピアスも全て外してしまいました。

それを見て、『この青年には常識がある。まあ、大丈夫だろう』とホッとしていたら、天然記念物のスザンナさんは、「恥知らずなお調子者だ。適当に合わせることだけは巧い」と息子を罵っているのです。これには呆れて何も言えませんでした。

今回の問題でも、今日になってディミトリー君の携帯へ電話してみたところ、「何かマリアさんと揉めたみたいだけれど、いつものことですから・・・」と彼は至って落ち着いています。それで、私も安心して、自分の見解を伝えることにしました。

実を言えば、私も随分前から、ロードス島のお兄さんに相談してみたいと思っていたくらいで、マリアさんの気持ちは痛いほど良く解るのです。スザンナさんには経済観念が全くないから、家を売って一時をしのいだとしても、いつかはロードス島のお兄さんに頼らなければならなくなるかもしれません。本当はスザンナさん自身がお兄さんと連絡を取り合うべきでしょう。そう伝えると、ディミトリー君は当たり前に理解してくれました。

考えて見ると、この大家さん家族の中で、確かな経済観念が窺えるのはディミトリー君だけじゃないでしょうか。サルエルの豪邸で生まれてフランス高校に通ったという母マリアさんにも経済観念は余りなかったようです。しかし、母マリアさんには人徳があったから、今でもマリアさんのように、スザンナさんやディミトリー君の面倒をみてくれる人がいるのだと思います。

母マリアさんは余り長患いせず、急に亡くなってしまった為か、私は今でもマリアさんの死が何だか腑に落ちないように感じたりしますが、多分、マリアさんは、私たちの心の中でずっと生き続けているのでしょう。そして、『スザンナの馬鹿さ加減には頭が痛いよ』なんて地団太踏んでいるのだろうけれど、本当に生きていた頃と違って、マリアさんは少し微笑んでいるかもしれません。