Diary 2010. 1
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1月1日 (金)  謹賀新年

明けましておめでとうございます。

昨日の大晦日は、イスタンブール市内で割烹の店を経営する友人に招かれ、美味しい料理を御馳走になり、楽しく語らって夢のような一時を過ごしてきました。しかも、これが日本の元旦の時間に合わせた集いになっていて、店内の大画面には、NHKの衛星放送が映し出され、紅白歌合戦から除夜の鐘まで、たっぷり日本の正月情緒を味わうことが出来たのです。

この10日間ほど風邪がなかなか治らず、アルコールも全く飲んでいなかった為、昨日はほんの一杯と思っていたけれど、久々に味わう日本の味覚やその雰囲気に引き込まれ、結局、したたか飲んで、風邪のことなどすっかり忘れてしまいました。しかし、さすがに、トルコ時間の新年カウントダウンまで見物する元気はなく、そのまま大人しく帰って寝たら、今日は風邪の症状も大分治まったように感じられます。まさに酒は百薬の長といったところでしょうか。その酒と共に鮨や天麩羅に舌鼓を打ち、年越しソバも頂いたので、大いに鋭気が養われたかもしれません。

思えば、98年以来、日本で正月を迎えていないし、日本にいた頃も一人暮らしが多かったから、正月といっても、近くの寺とか神社へ初詣に行くくらいで、他に正月らしい風物とは余り縁がありませんでした。年越しソバなんて、日本でも滅多に食べなかったように思います。

しかし、トルコで生活するようになって、たまに一時帰国すると、真っ先に食べるのは、大概、天麩羅ソバです。東京なら何処でも最初に行き当たったお蕎麦屋さんで、関西の人が卒倒するような濃い色の汁にソバ、これにゴマ油がブオッと匂う天麩羅が乗っかっていたら、それで大満足、箸でソバをたぐってズズーッとやれば、もう何も言うことはありません。

まあ、ラーメンでも関西風のウドンでも構わないのですが、この“箸でたぐってズズーッとやる”のは、麺を食べる醍醐味じゃないでしょうか。長い麺が口の中へ入って行く時の食感も、麺を味わう大切な要素になっているはずです。

イタリアではパスタをフォークに巻き付けて食べていますが、ああやって食べるのなら、麺を長くしないで、最初から丸く輪っか状に作っておけば良いでしょう。長い麺を食べるには、やはり箸が適しているかもしれません。

長い麺があったから、箸を工夫したのか、箸があったから、長い麺を思いついたのか解らないけれど、麺と箸はセットであるような気がします。

10年ほど前、こういう麺と箸の話を思いついて、友人たちに説明したものの、余り相手にされなかったので、がっかりして忘れかけていたところ、昨年、ネット上で見つけた奈良の酒造会社のホームページに、“麺を食べるために箸を工夫した”という説が、明快に示されていたので嬉しくなりました。

まほろばの銘酒
http://www.sake-asaka.co.jp/blog/2005/12/vol114.html

年越しソバに始まって、お箸から、奈良の都、大吟醸へ・・・。やっぱり正月は日本が恋しくなります。




1月6日 (水)  クリスマス・イヴのミサ 

2007年2月18日(日) アルメニア正教の教会
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2007&m=2

昨日は、上記の“便り”でもお伝えした“アルメニア正教の教会”で、クリスマス・イヴのミサを見学してきました。

アルメニア正教では、グレゴリウス暦ではなく、ユリウス暦を用いている為、今日、1月6日がクリスマスになるそうです。

夕方、5時ぐらいに始まったミサが6時半頃に終了するまで、堂内でずっと見ていましたが、美しい聖歌が歌われ、錫杖やシンバルが打ち鳴らされ、時おり教会の上にある鐘も打ち鳴らされて堂内に響き渡るなど、様々に盛り上がる場面があって、1時間半を全く長いと感じませんでした。

あの美しい聖歌には、アナトリア風と言ったら良いのか、どことなくトルコの民謡等に似た雰囲気があります。東方正教会のミサでも、やはり同じ雰囲気の聖歌が歌われるけれど、昨日のミサでは、それこそ絶え間なく聖歌が続き、一層、音楽性も高いような印象を受けました。もっとも、東方正教会のクリスマス・イヴのミサは未だ見ていませんが、クリスマス当日のミサでは、あれほど聖歌を歌い続けていなかったように思います。

東方正教会のミサと言えば、私には、2007年の4月に亡くなったマリアさんの40日供養の追悼ミサが偲ばれてなりません。

2007年6月10日(日) 40日供養−追悼ミサ
http://www.neo-pro.jp/makoto/tayori/diary/diary.cgi?mode=read&y=2007&m=6

実に荘厳なミサでしたが、聖歌より、聖典の読誦が印象に残っています。ミサは、やはり1時間半ぐらい続いたけれど、当時、未だ元気でミサに参列していたガービおじさんは、ミサが終ると、「この司祭は手抜きしないで良くやった」と私の耳元に囁きました。でも、それは支払われた金額がものを言ったのかもしれません。

昨年の9月に亡くなった御自身の40日供養は、墓の前で執り行われた短い祈祷と聖歌だけでしたが、まさか司祭さんも手抜きしたわけではなかったでしょう。それどころか、ガービおじさんの墓には、未だ墓碑も立てられていないのです。

クリスマスの便りだったのに、何だか湿っぽい話になってしまいました。追悼ミサとクリスマス・イヴのミサでは、歌われる聖歌も異なるのではないかと思います。しかし、昨日聴いた聖歌も何処となく物悲しい調子でした。

以下の“YouTube”で、アルメニア教会のミサの様子が御覧になれます。昨日、私が訪れた教会ではないし、どういうミサなのか解りませんが、雰囲気は良く似ています。昨日の聖歌はもっと美しかったけれど・・・。

Armenian Church Jamerkoutyun in Istanbul
http://www.youtube.com/watch?v=8E4tP7l9ae0&feature=related

ここでもシンバルが打ち鳴らされていますが、トルコのアルメニア人が作ったシンバルは世界的に有名だそうです。

イスタンブール・シンバル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%AB

ジルジャン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3





1月9日 (土)  変革のジレンマに悩む日本

【225】変革のジレンマに悩む日本【ラディカル紙】【2010.01.08】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00225.html

上記の記事を訳してみました。ラディカル紙のコラムニストが日本の経済について論じています。まあ、岡田外相の来土に伴って、いくつか日本関連の記事が出ていたので、一つぐらい訳して置こうかと思いました。

普段から、経済欄のコラムには、余り目を通していないし、何しろ経済の基本的なことが良く解っていないので、思わぬ間違いを犯しているかもしれません。

(訳しながら悩んだところや訂正した部分については、掲示板に記しています。↓)
http://www.neo-pro.jp/makoto/ban29/index.html

それから、「・・・民主党が政権について、先ず一人の首相を危機に生贄として捧げた。ところが、危機は未だ治まっていない」という部分も少し悩みました。

“kurban verdi(生贄を捧げる)”は、“犠牲を出す”“死者を出す”などと訳すべきところですが、「・・・先ず一人の首相が危機の犠牲になった」とした場合、何だか鳩山内閣は既に退陣してしまったかのようです。それで、“生贄として捧げた”と訳してみたけれど、まあ同じようなものでしょうか。ひょっとすると、コラムニストのイルコルル氏は、鳩山内閣を既に“死に体”と見ているのかもしれません。

しかし、トルコでは、犠牲祭の度に、「鶏や七面鳥は“生贄”として適切か?」といった議論がおきているので、『鳩は良かったのかなあ?』なんて、またつまらないことが気になってしまいました。

さて、この記事の要点ですが、それは多分、以下の部分だと思います。

「こうして見ると、日本の問題は次のようなものかもしれない。『我々は経済において、自由市場システムを支持する』と明らかにしているが、経済が行き詰っている状況で、必要な革新や変化による政治的・社会的な犠牲、根を下ろした伝統や文化への影響に直面したくないのである」。

ここで言及されている“日本の伝統や文化”とは、いったい何でしょうか? “終身雇用”とか“年功序列”といったものであれば、これはそろそろ崩れつつあるようだし、“根を下ろした”と言えるほど、古い伝統ではなかったという声も聞かれます。

また、このような伝統が安定していたとされる80年代でさえ、中小の運送会社でトラックの運転手として働いていたら、“終身雇用”にも“年功序列”にも全く縁はなかったでしょう。まあ、当時は、免許証さえあれば直ぐに仕事は見つかったから、“終身雇用”かどうかは、あまり気にならなかったかもしれないけれど・・・

なんにしても、あの頃の日本は、平和で仕事が溢れていて、格差も少ない理想的な社会でした。

でも、考えてみれば、他の発展途上国との間には凄まじい格差が存在していたし、何処かで必ず戦争も起こっていたはずです。そして、朝鮮戦争に限らず、大概の戦争で日本は、多かれ少なかれ間接的に恩恵を享受して来たのではないかと思います。

要するに、今までも存在していたけれど、気がつかないふりをすれば済んでいた問題に、いよいよ直面しなければならなくなった、ということなのかもしれません。これからいったいどうなるのでしょうか?




1月12日 (火)  中国の耐えられない重さ

【226】中国の耐えられない重さ【ミリエト紙】【2010.01.11】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00226.html

上記の記事によれば、昨年の7月、中国の新疆ウイグル自治区で起こった事件に関連して、中国に対するボイコットを呼びかけたチャーラヤン国務相は、先週、中国の陳徳銘商務部長を友好的な雰囲気の中で迎え、経済関係の強化について話し合いながら、ユーモアをこめて、こう語ったそうです。「私が中国の企業家であれば、とっくにトルコへ投資していましたよ。貴方たちが何を待っているのか解りませんねえ」。

狸と狐の化かし合いといったところでしょうか。しかし、双方、仲良くする方法も良く知っているけれど、喧嘩の仕方も心得ているような気がします。そもそも如何なる国同士でも、国家間の友好なんて、それほど麗しくも甘くもないかもしれません。

記事は、ラビア・カディルというウイグル人女性の活動にも言及していますが、この女性は、中国人民政治協商会議委員という要職にありながら、積極的にウイグルの問題を共産党政府に訴えた為に投獄され、その後、アメリカに亡命したようです。

これは、以下の記事でインタビューに答えているシェラフェッティン・エルチ氏が投獄された経緯を思わせるものの、エルチ氏は今でもトルコで政治活動を続けているから、その後の展開は全く異なります。

【104】クルド人政治家へのインタビュー【ミリエト紙】【2004.12.22】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00104.html

もっとも、民主主義の発展に努力しているトルコと一党独裁を止めようとしない中国では、展開が異なるのも当然であり、初めから比較すべきではなかったかもしれません。

相違と言えば、中国政府は、新疆ウイグル自治区に漢族を大量に入植させて、自治区の人口比率を変えようとしているらしいけれど、トルコでは、クルド人がイスタンブールに次から次へと押し寄せる為、イスタンブールの人口比率が変わってしまいそうな状況です。


*2007年に日本を訪れたラビア・カディル氏(YouTube)
Rebiya Kadeer in Japan (in Japanese)
http://www.youtube.com/watch?v=mbNIX_2rF4M&feature=related


1月18日 (月)  「ウイグルの母」ラビア・カーディルさん 

前回、ミリエト紙のコラムニスト、セミヒ・イディズ氏の記事について記しましたが、先週水曜日のイディズ氏のコラムに、この記事に関する“訂正”が明らかにされていたので、その部分を訳出します。

「前回の記事に、ザフェル・チャーラヤン国務相は、新疆ウイグル自治区で起きた事件の後、中国商品のボイコットを呼びかけたと書きましたが、ボイコットを呼びかけたのは、ニハット・エルギュン商工相でした。間違いを訂正し、ザフェル・チャーラヤン氏にお詫び申し上げます」

【226】中国の耐えられない重さ【ミリエト紙】【2010.01.11】
http://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00226.html

私もこの“訂正”を早くお伝えしなければと思いながら、なんとなく日が過ぎてしまいました。まあ、記事の趣旨に関わるような間違いではなかったと思います。

それから、記事でその活動が紹介されていたラビア・カディル氏ですが、カディル氏は昨夏の事件後も日本を訪れたそうです。これでは、トルコを一度も訪れていないことが少し不自然に感じられても仕方ないでしょう。

「ウイグルの母」ラビア・カーディルさん来日
http://www.youtube.com/watch?v=RlRuveGsJIE

こういった民族の問題は、私たちにどのくらい実情が伝えられているのか良く解りません。民族運動を展開する人たちの主張ばかりを一方的に聴くのもどうかと思います。歴史上、様々な民族問題が大国の覇権争いに利用されてきました。トルコはその良い例じゃないでしょうか。中国の場合も、チベットの問題を見ていると、その裏には英国との覇権争いが潜んでいるような気もします。しかし、チベットの人たちにしてみれば、英国の覇権のほうが却って好ましかったかもしれません。

ウイグルにしたって、例えば、かつての覇権争いの過程で、ソビエトの一共和国になっていたら、もっと発展したうえに、今頃とっくに独立していたのではないかと何の役にも立たない空想に耽ってしまいます。

トルコのクルド人は、イスラム教徒としてオスマン帝国の時代からマイノリティーではなかったように思えるけれど、ウイグルは、清帝国でもマイノリティーと看做されていたのではないでしょうか? 過酷な歴史に翻弄され続けた民族であるように思えてなりません。




1月20日 (水)  チョコレート

今日、例年の如く、滞在許可の更新を申請するためにヨーロッパ側の警察署へ行って来ました。9時半に着いて、待ち時間は殆ど無し、10時半には手続きが完了して、明日、早くも更新された許可証が交付されるそうです。

一昨年は、申請の手続きに半日、許可証の交付に一週間も掛かったから、見事な迅速化と言えるかもしれません。

もっとも、申請の手続きは数ヶ月前から予約制に変わり、月曜日に出掛けた時は、予約の受付だけで帰されてしまいました。近くに住んでいる人にとっては願ってもないシステムですが、私のようにアジア大陸から海を越えて遥々やって来る者は、『うーん、どっちが良かったかなあ?』と考えてしまいます。

しかし、今日は窓口の若い女性担当官も愛想良く、テキパキと処理してくれたので、良かったことにしましょう。

申請書類や証明写真をまとめて提出すると、彼女は書類をチェックした後、余分な証明写真を一枚戻してくれてから、直ぐに、また同じような大きさのものを一枚すっと突き出したので、写真がもう一枚余ったのかと何の気なしに受け取ると、それは厚みが5ミリぐらいあって、写真などではありません。

『あれっ?』と思い、まじまじとその黒い物体を見ていたら、彼女はにこっと微笑んで、「チョコレートですよ。どうぞ召し上がって下さい」と言います。狐につままれたような気分で、「今日は何か特別な日ですか? 誰かの誕生日とか?」と訊いたけれど、彼女は「なんでもありませんよ」とケラケラ笑うばかりでした。

まあ、自分がつまんでいたチョコレートを一枚お裾分けしてくれたのでしょう。『えっ、窓口業務中にチョコレートをつまんでいて良いの?』なんて野暮なことは訊かないで下さい。ここは日本と違いますから。

今日は1月20日。バレンタインデーじゃなかったようです。残念。